2009年01月23日

困難に立ち向かう喜びを 〜オバマ大統領の就任演説から〜4

9664dc38.JPG 『ミスマッチと言うけれど、』シリーズを始めたとき、そんな思いはまったくなかった。

 今、同シリーズが、オバマアメリカ新大統領の就任演説と重なる部分があることを発見し、驚いている。


 そこで、教育にある者の立場から、同演説をひもといてみたいと思う。



 『家が失われ、雇用は減らされ、企業はつぶれた。医療費は高すぎ、学校は、あまりに多くの人の期待を裏切っている。(石油などを大量消費する)私たちのエネルギーの使用方法が敵を強大にし地球を脅かしていることが、日に日に明らかになっている。』

 これは、日本の現状分析としても、ほとんど認めざるを得ないであろう。『学校は、あまりに多くの人の期待を裏切っている。』の部分は、日本の現状分析だったら認めたくはないが、しかし、『その通り』と思われる市民の方は多いのだろうな。



 『米国の偉大さを再確認する上で、私たちはその偉大さは所与のものではないと理解している。それは、自ら獲得しなければならないものだ。私たちの旅に近道はなく、途中で妥協することは決してなかった。仕事より娯楽を好み、富と名声の快楽だけを求めるような、小心者たちの道ではなかった。』

 そう。『ミスマッチと言うけれど、』シリーズに書かせてもらったように、幸せは人が与えてくれるのではない。自ら獲得するものである。心が開かれた先にあるものだ。

 同大統領の言葉を借りれば、娯楽や富や名声は、一時的快楽に過ぎず、根の浅いものである。

 真の幸せは・・・、いや。あとに譲ろう。



 『あらゆるところに、なすべき仕事がある。経済状況は、力強く迅速な行動を求めている。私たちは行動する。新たな雇用を創出するだけではなく、成長への新たな基盤を築くためにだ。商業の糧となり、人々を結びつけるように、道路や橋、配電網やデジタル回線を築く。科学を本来の姿に再建し、技術の驚異的な力を使って、医療の質を高め、コストを下げる。そして太陽や風、大地のエネルギーを利用し、車や工場の稼働に用いる。新しい時代の要請に応えるように学校や大学を変革する。これらすべては可能だ。そしてこれらすべてを、私たちは実行する。』

 日本の政治家にこそ、言ってほしいせりふだなと感じる。日本の、環境を守る技術は、世界に冠たるものなのだから。

 わたしは、前から、低炭素社会の建設は、日本が率先して行うべきだし、それは、新しい雇用の創出につながるし、新しい繁栄への道だと思っているのだが、こうした方面にお金を重点的に使うという話は、ほとんど聞いたことがない。

 唯一、『新しい時代の要請に応えるように学校や大学を変革する。』ことだけは、日本の政治家も声高に叫んでいるね。

 しかし、これは、拙ブログでずっと訴えてきているように、『未来を切り開く日本人』の育成につながるか、現状では、お寒い限りだ。



 『まっとうな賃金の仕事や、支払い可能な医療・福祉、尊厳をもった隠退生活を各家庭が見つけられるよう政府が支援するのかどうかだ。答えがイエスならば、私たちは前に進もう。答えがノーならば、政策はそこで終わりだ。

 私たち公金を扱う者は、賢明に支出し、悪弊を改め、外から見える形で仕事をするという、説明責任を求められる。それによってようやく、政府と国民との不可欠な信頼関係を再建することができる。』

 驚いた。もう、日本の今の課題とまったく同じではないか。政治に求めたいのも、まさにこの点だ。まさか、アメリカの場合は、天下りやムダづかいのことではないと思うのだけれど。

 そして、今の日本は、まさに、政府と国民との信頼関係が深刻な状態になってしまっている。



 『古くからの友好国とかつての敵対国とともに、核の脅威を減らし、地球温暖化の恐れを巻き戻す不断の努力を行う。』

 核廃絶とまでは言っていないのかな。

 でも、このようなことを言うアメリカ大統領は、初めてではないか。広島、長崎も同大統領の言葉に強く期待しているようである。

 わたしも、切望したい。



 『今私たちに求められているのは、新たな責任の時代だ。それは、一人ひとりの米国人が、私たち自身や我が国、世界に対する責務があると認識することだ。その責務は嫌々ではなく、むしろ困難な任務にすべてをなげうつことほど心を満たし、私たち米国人を特徴づけるものはないという確信のもとに、喜んで引き受けるべきものだ。』

 『新たな責任の時代』。

 この言葉が、後世、オバマ演説の際立った一節になるのかもしれない。

 しかし、わたしは、後段の、

『その責務は嫌々ではなく、むしろ困難な任務にすべてをなげうつことほど心を満たし、私たち米国人を特徴づけるものはないという確信のもとに、喜んで引き受けるべきものだ。』

の方に、力を感じる。

 そして、同演説前段にあった教育改革も、この一点にしぼって、なされるべきではないかと思う。


『困難な任務にすべてをなげうつことほど心を満たし、』

わたしに言わせれば、

『客観的にみれば困難な仕事であっても、うちこむことで心が満たされ、そこに喜びすら感じることができる。』という、そういう人格の育成だ。


 これは、小学生段階から、取り組むべき課題である。

 大人になればなるほど、『ミスマッチと言うけれど、』シリーズに書かせてもらったように、その仕事(?)は困難になる。


 演説は言って聞かせればいいかもしれないが、

 真にそういう人格を育む仕事は、『教職にあるもの』冥利に尽きるものだ。いえ。子育てという意味では、『親冥利に尽きる』と言ってもいいだろうね。


 これまでも、拙ブログにおいては、そういう取組を、何回も書いてきた。

 今、もっとも古い記事にリンクさせていただこう。

    心の教育(1)

 
 同リンク記事の冒頭に書かせていただいたように、今の日本は、まだ、『心の教育』という言葉が、偏見の目で見られているようだ。つまり、それは、『上からの道徳的価値観の押し付け』的イメージと同義になっている。

 そして、それは、かつての日本が、本演説で言わせてもらえれば、『ファシズムの国』『かつての敵対国』だったことに由来する。

 さらに言えば、現在も、そうした勢力が根強く居残り、むしろ近年は力を得ている傾向があり、

 道徳的価値観にとどまらず、全教育活動に、『上からの押し付け的イメージ』が蔓延しようとしている。


 それだけに、この誤解はましているのかもしれないが、この際、あえて、この、『心の教育』なる言葉を使わせていただこう。

 真の『心の教育』は、決して上から押し付けるものではなく、子どもの内面の掘り起こしなのである。

 そうしてこそ、

 受身の姿勢になって自己規制してしまうことなく、『困難な任務にすべてをなげうつことほど心を満たす、』人格が形成されるのだと確信する。

 真の幸せは、ここにこそ、ある。

 国民こぞって、『上からの押し付け教育』を排除しようではないか。


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 なんか、今回は、オバマ大統領の格調の高さに影響され、わたし自身が気負ってしまったなと、今になって気恥ずかしさを覚えます。すみません。

 同演説。格調の高さだけではありませんね。

 力強さも感じます。

 わたしが高校生だったときの、ケネディ大統領の再来のような気がしています。


※それから、記事末尾の『上からの押し付け教育』排除については、わたしたちの内なる『押し付け』も含めてとらえたいと思います。

 口では、国民主権、自由、平等を叫びながら、教室で、あるいは、家庭で、『上からの押し付け』をしていることはないでしょうか。

 わたしも自己点検してみたいと思います。

(※印以降、23日朝に付け足しました。すみません。) 

rve83253 at 01:24│Comments(7)TrackBack(0)自己啓発 | エッセイ

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この記事へのコメント

1. Posted by kawa   2009年01月24日 11:31
toshi先生

オバマ氏の演説、来学期の学級通信(大学ですが出してます)第1号の裏面に、解説付きで出すことにします。

「心の教育」は、一見遠回りをしているようですが、結局は一番の近道であり、将来の可能性を残す(つくる)教育だと思っています。『私たちの旅に近道はなく、途中で妥協することは決してなかった。』のであり、『仕事より娯楽を好み、富と名声の快楽だけを求めるような、小心者たちの道ではなかった。』という人間に、まず教師や地域の人たちがなれば、表面上の成績があがるかどうかなどは時間の問題だし、そもそも何が大事なのかを見極めることもできるようになるはずです。(そのときには、テストの質も問われるようになると思います)


最後に、今までの先生とのやり取りを、私のブログでまとめて紹介してもいいでしょうか。
日本語教育関係者にも、考えていただきたい内容だと思います。



2. Posted by toshi   2009年01月25日 01:51
kawaさん
 すごいですね。大学でも、学級通信を出されているとは。
 わたしの記憶では、大学における学級は、ただ単に単位のとり方で便宜的にできた集団に過ぎなかったと思うのですが、そこに学級通信があれば、仲間意識が盛り上がるでしょうね。
 そして、まさに、『心の教育』にも資するものだと思いました。
 わたしとのやり取りをブログにまとめてくださるとのこと。大変光栄です。ありがとうございます。
よろしくお願いします。 
3. Posted by とびうお   2009年01月27日 22:23
オバマ氏の真価はこれからですが、パレスチナ問題や金融不安を見るにつけ、「やはり厳しい時代は続くだろうな」と思います。

また、この演説にも正直「アメリカの歴史も美談ばかりではないぞ」と思ったりもしますが、学ぶところも多いです。

>政府の大小よりも機能するかだ

これは教員にとってみると「世話をやく・やかない」よりも「必要な指導をするか」ということですよね。
児童が頑張ったら報われ、困った時は救いの手が差し伸べられ、尊厳をもって卒業していくために。

>新たな責任の時代

「責任」…あまり好きな言葉ではありません。
この国は貧困層が「自己責任」と言われる一方で、政治家のトップの責任は辞任で免れる国ですから。
オバマ氏の責任とアメリカ国民のもつ責任は本当に分かち合えるものなのか、それとも両者には不公平な結果が待っているのか、今後を注視していきたいと思います。
4. Posted by kawa   2009年01月27日 23:26
toshi先生

学級新聞は、イノッチ先生とtoshi先生のブログを参考にしました。ですので、学生の実名が載っています。大学で出すということについては、皆が寮に入っていること、日本語は皆が0からスタートするということ、クラスのメンバーはどの課においてもほぼ同じであること、私が外国人教師であること、などの条件が整っているからできることだと思います。もし、日本の大学のように科目ごとにばらばらであったら、ちょっと難しいかもしれません。

コメントの利用をご承諾いただき、ありがとうございました。私のはまったく独りよがりなブログですが、リンクもはらせて頂きましたので、宜しくお願いいたします。

今、NHKスペシャル「非正規労働者を守れるか」(録画したものを日本の友人が送ってくれました)を見たのですが、根底にある問題は同じではないかと思いました。つまり、性善説で社会(学校)を作っていくのか、性悪説で作っていくのか、ということです。

私は、自分の日本での教師経験を振り返ってみても、どうも性悪説で教師をやっていたように思います。自分が生徒だったときも、教師と生徒はお互いに不信感を持っていたような気がいたします。

そして、性悪説で育った人間が作る社会は、やっぱり性悪説からしかその論理はスタートしないのではと思いました。

もしかしたら、日本は、意識的に性善説を取り入れないと、自然に性悪説を身につけて育っていくということでしょうか。
5. Posted by kawa   2009年01月27日 23:39
(前回の続きです)
これは、「道徳なき経済は犯罪だ、経済無き道徳は寝言だ」との二宮尊徳の言葉とも関わることだと思います。「性善説」で教育をするということは、単なる道徳ではなく、冷徹に計算された経済でもあるのではないでしょうか。
つまり、学校においては学生(生徒)が全うに育ってくれないと前には進めないということ、社会(企業)においては、ロボットのように安く便利に人を使っていると、社会全体の購買力が落ち、結局は自分の首を絞めるということです。

そして、「人間性を無視した点数アップのためだけの教育」は「道徳無き経済」つまり犯罪といえるかもしれないと、私は思っています。
6. Posted by toshi   2009年01月29日 04:14
とびうおさん
 そうですね。オバマ大統領は難問山積。
 解決不能になれば、武力行使も辞さずの演説ではありましたね。そして、そこにも、リンカーン大統領、及び、ケネディ大統領と共通する部分があるように思いました。そうならないように祈るのみですが。
 金融不安の方は、これは有能な部下がついているようですから、何とかなるのではないかと思っていますが。

 《教員にとってみると「世話をやく・やかない」よりも「必要な指導をするか」ということですよね。》
 なるほどなと思いました。一つ。おもしろい視点を与えてもらった感じです。
 とびうおさんの視点も大切にとらえつつ、ただ、教育においては、世話をやくことも指導することも、どちらも大切という側面もあるなと思いました。
 新たな責任の時代については、わたしはまったく違ったようにとらえていました。どこかの国のように、政治家の責任をあいまいにし、誰も責任をとらない国にくらべれば、うらやましいくらいに思っていたのです。
 今後考える際の参考にさせていただきます。 
7. Posted by toshi   2009年01月29日 04:41
kawaさん
 さっそく、貴ブログを拝見しました。
 わたしのコメントを大々的に取り上げていただき、感謝しております。ありがとうございました。
写真も拝見しました。なんか、和気藹々としたすてきな雰囲気ですね。学級新聞を出すに至った契機を読ませていただいたことも、貴学級のことを知る上で大いに参考になりました。
《日本は、意識的に性善説を取り入れないと、自然に性悪説を身につけて育っていくということでしょうか。》
 そうだと思います。まだまだ国民性としては、『人はほおっておいたらなまける存在』という考えが支配的だと思いますし、だから、現実も、多くはそうなってしまっていると思います。
 考えてみれば、この改善は、至難の業のような気もします。
《「人間性を無視した点数アップのためだけの教育」は「道徳無き経済」つまり犯罪といえるかもしれないと、私は思っています。》
 上記の、『至難の業』にもかかわりますが、わたしも犯罪的だと思います。人間だから人間性が大事にされなければならないのに、教育の場において、それを無視するということは、『人間性無視の再生産』につながりますからね。
 それこそ、ほおっておいたら、『百年河清を待つ』結果になりかねません。

 

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