2009年02月04日

小中一貫教育のあやうさ でも、がんばって。(1)3

45fa272f.JPG 過日、横浜市が、平成24年度から、全市で、小中一貫教育を実施していく旨表明し、それが、ある新聞のトップを飾るということがあった。



 わたしは驚いた。

 理念は立派だ。そうあってほしい。

 でも、現状はどうなのだろう。例によってこの改革は、教員の意識改革と同時進行でなければならないと思うのだが、(わたしの『教育に関する提言』が、リンク記事末尾に記載してあります。)そちらの方はうまく機能しているのだろうか。

 どうも、日本の教育改革は理念だけに終わるか、理念先行で失敗するか、いずれにしてもそれを繰り返していると思うのだが、この小中一貫が、そうならなければ幸いである。


 今回、グーグルニュースにより、いろいろな新聞を読ませていただいたが、どうも現状では、『小中一貫』と言いながら、『小中連携』にとどまる話が多いようだ。


 我が地域においても、小中連携なら、もう、わたしが現職のときから、おし進めている。


 過去記事にもいろいろ書かせてもらった。今、そのうちの一つを紹介させていただこう。

 本記事は、どちらかというと、中学校批判に終始してしまうと思うので、『そうでもないですよ。中学校の実践に感謝、感激し、ともに努力した事例もあります。』という思いもお伝えしたく、

 まだお読みでなかったら、ぜひご覧いただきたい。

    実(じつ)のあがる小中連携は、


 さて、小中連携と小中一貫との基本的な違いは何か。

 わたしは、小中連携は、上記リンク先過去記事にあるとおり、お互いに手を携え、交流を深めていくことだと思う。

 それに対し、小中一貫とは、教育課程のなめらかな接続、一本化を指しているのだと思う。


 わたしには、これは、『至難の業』のように思える。

 授業に対する考え方、指導法、など、など。

 それらがまったく違うのだ。


 本記事では、その象徴的な部分を書かせていただこうと思うが、それに類するものは過去記事にもある。今、それにリンクさせていただこう。

    中学校の問題(2) 


 それでは、本リンク先記事の続きのつもりで、『至難の業』と思う理由をつけたさせていただこう。


 我が地域に限らずだと思うが、指導主事は、定期的に学校訪問を行う。


 もう10年くらい前の話ではあるが、定期訪問にかかわり、我が地域の指導主事から直接聞いた話を2つとり上げさせていただく。

 さらに、もう一つ、保護者の声も紹介させていただきたい。



その1 小学校出身の指導主事

「小学校を訪問すると、どの学校も、全クラスの授業を見せてくれます。しかし、中学校で、見せてくれる学校はまれにしかありません。

 あるとき、ある中学校で、校長先生に、『授業を見せてください。』とお願いしたのですよ。そうしたら、

『授業?そんなのは見たってしょうがないでしょう。それより、生徒を見てほしい。』とおっしゃったのです。』

 〜。」

 これは、小学校の感覚からすれば、奇異な話だ。

 授業を見ずして、どうやって、『生徒を見ろ。』というのだろう。


 ところが、校内を案内していただいて分かったという。


 要するに、授業に参加できず、教室を抜け出して、勝手な場所にたむろしている生徒を見てほしいというのだった。


 その中学校長の本音は、たぶん、こうだろう。

「『授業についていけない。』『つまらない。』そのような子どもがこんなにいるのだ。彼らへの指導で、中学校はいかに苦労しているか。そのあたりをようくみてほしい。」


その2 中学校出身の指導主事

「いやあ。もう、小学校の授業からは学ぶことが多いです。

 ほんとうにきめ細かく子どもに対応していらっしゃる。また、一つの授業にかける準備もすごいものがある。だから、授業中の子どもの表情が、中学校のそれとはまるで違います。

 子どもの思い、疑問を引き出して、授業を組み立てるという、そういう手法について、中学校の先生は、もっともっと小学校の授業を見て、勉強しなければいけませんね。

 指導主事とは言いながら、わたし自身が小学校の授業から、多くのものを学ばせていただいています。」


 わたしは、このことがよく分かった。


 一言で言えば、中学校の授業は、『解説と演習。』


 まるっきり指導法が異なるのだ。はっきり申して、子どもは、お客さん状態だ。子どもが活躍できる場面はほんとうに少ない。だから、授業内容の理解できない子どもが、大幅に増えてしまう。

 問題解決学習とまでは言わないにしても、どの子も活躍させることのできる授業は、ほんとうに少ない。


その3 保護者の声

 中1プロブレムと言われる。その原因のかなりの部分は、この授業の違いにあるといっていいだろう。

 でも、保護者の声は、おもに、子どもへの接し方にかかわる部分のようだ。

 わたしも、少なからず、保護者の声を聞いているが、ここでは、拙ブログが大変お世話になっているPSJ渋谷研究所Xさんの記事をご紹介させていただこう。


   子ども、「校長先生の授業」、TOSS - 1

 リンク先記事をお読みいただければありがたいが、ここでは、本記事にかかわる部分だけ、引用させていただこう。次の2つの段落が、引用部分になる。


 小学校の先生に比べると、中学校の先生は細やかに生徒の意を汲むとは言い難いとぼくも感じている。「なぜ、どうして」よりも、まず「覚えろ」という傾向が強くなっていると感じる。教える技術について、小手先の工夫になっていっているように見える。

 小学校の教師の「どうやって教えるか」の努力と熱意に比べると、見劣りすることは多い。「生徒は授業を受ける準備が万全にできている」という前提で授業をしたいという欲求が強いんだろうな。


 中学校の先生方、ごめんなさい。

 ある部分だけ強調しすぎているとは、自分でも感じています。


 以下、上記のPSJ渋谷研究所Xさんもおっしゃっていると思うが、


 中学校の立場も分からないではないのだ。


 やはり、ここでも、受験が重くのしかかる。


〇急に学習内容がふえる。

〇受験があるために、学習がノルマをこなすようになってしまう。

〇とても、子どもを活躍させる授業。あるいは、試行錯誤を許容しての思考力重視の授業というわけにはいかない。

〇また、小学校で当然押さえてあるべき、学習内容が定着していないということもあるだろう。

〇さらに、小学校にはあまりない、部活の指導に追われてしまう。

 
 それは分かるが、しかし、それでは、上記、指導主事の話にあるような子どもは救われないことになってしまう。


 その解決策は何か。


 キーワードは、前記事に引用させていただいた、こだま先生のブログにある。もう一度リンクさせていただこう。

    娘の日々の楽習 〜算数文章題〜

 この記事の末尾の方に、『このゆっくりとした方法(『思考力を重視した指導』と言っていいと思う。)はいずれ、とんでもなく高速になります。』

 そう。それを信じてもらうしかない。

 
 同氏の記事は、

 『小学校のあいだは、ゆっくり。そして、それがうまくいけば、中学校ではとんでもないくらいの高速になる。』

という書き方なのだが、これは、小学校の低と高、中学校の中1と中3の関係でも当然言えることで、そこに信頼をおいていただくしかない。


 現に、中学校でも、そうした取組はあったのだ。

    大村はま 教えることの復権 



 最後に、わたしが、小中一貫教育に賛意を表しながらも、現状では危ぶまざるを得ないのは、


 以上ご理解いただけたと思うが、

 中学校の教員に、小学校の実践を学ぶ方向で、一貫教育がなされるようにお願いしたいのだが、

 現状、全国学力調査騒動や、真の学力を問わずしてなされる『いわゆる学力低下論』などのまえでは、・・・、それに第一、重くのしかかる高校受験の前では、

 小学校の教員が、中学校の教育に合わせる方向での一貫教育になりはしないか。


 それを恐れるのである。


 やはり、小中一貫教育は、教員の意識改革とともに、受験教育撤廃と同時進行でなければならないだろう。

 ああ。もう一つ。中学校教員の部活指導からの解放もあるね。


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 上記、PSJ渋谷研究所Xさんも、リンク記事の末尾で、小中一貫教育にふれていらっしゃいます。

 やはり、ここに、引用させていただきましょう。


 中1プロブレムってのは、「小学校時代には常に用意されていたハシゴを、中学でいきないはずされる」ってことだわな。もしも、これを「段差」とか「ギャップ」と呼んで、スムースな接続を模索するなら、小学校のようなやり方を中1に導入して、徐々にハシゴのない状態に慣れさせていくのか、小学校段階から徐々にハシゴをはずしていくのか、そこは検討しなくちゃいけないよね。

 今のところ、ぼくの知っている小中一貫教育は、中1プロブレム「だけ」に着目してしまって、同じ問題が中2に起きているようにも見える。もっとも、すでに中学にある程度馴染んでからなので、中1のときに直面するよりはマシなのかもしれない。


 とにかく、ギャップをなくす努力はしなければいけませんね。

 このギャップ、

 実は、わたしの子ども時代もありました。多くの読者の方々も記憶にあるのではないでしょうか。

 そういう意味では、古くて新しい課題なのですね。


もう一つ。

 冒頭の写真ですが、これは、前記事にかかわる写真です。


 中学校の教室で、中学生が、絵で数学を解いていたら・・・、

 ああ。それが現実になってほしいですね。

 もっとも、中学校がそればっかりになっても、それはまた、こまる。

 それは、わたしも認めます。

    (2)へ続く。

rve83253 at 06:17│Comments(5)TrackBack(0)教育観 | 小中連携・一貫

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この記事へのコメント

1. Posted by 亀@渋研X   2009年02月05日 11:04
toshi先生、ごぶさたしています。
ご紹介、トラックバックとコメントをありがとうございます。

横浜の小・中一貫の件はぼくも報道に気づいていて、ちょっと記事を書きかけたのですが、まとまらなくて塩漬けになっています。

小中の校舎の統合なしの状態で、「小中連携」ではなく「一貫」と言うためには何が必要か、「連携型」と呼ばれる三鷹市でも議論があったようです。結局は、一貫性のあるカリキュラムの構築と相互乗り入れをもって「小・中一貫」と言い得ると考えているように見受けられます。

うちの地域(三鷹市内の一学区)の小・中一貫に関して言えば、すでにほぼ丸三年を経過して一定の成果は出ていると思っているのですが、どこでも可能なことなのか、うちにしても喫緊の課題はないのかというと、なんとも言い難いものがあります。学校規模にもよるでしょう。

特に強く感じるのは、やはり「小・中の風土の差」ですね。これは特に保護者や小学校の先生方からよく聞く指摘です。どこででも同じような温度差が生じると言い切るだけの根拠は乏しいのですが、いろいろ考えると、似たようなことになる可能性は低くないだろうと踏んでいます。

下記のブログは、大阪の公立小中一貫教育校の「教育相談室」のブログです。

教育相談室 かけはし 小中連携版
http://blog.goo.ne.jp/higasioka-soudan

ここ何年かずっと読んでいるのですが、中学校の先生が課題意識をもっていれば違うんだなあ、と感じています。そういう意味では、なんらかの問題を抱えている地域の方が充実した取り組みになりやすいのかもしれません。

2. Posted by 亀@渋研X   2009年02月05日 11:09
(続きです)
うちの学区の場合、中学校の先生も水を向けると「文化の差は感じる」と言うのですが、そういうリアクションの薄さも温度差の現れだと受け止めています。結局は、小学校文化による中学校文化の変革ということになっていくのではないだろうか、と考えたりもします。

なんというか、「小・中一貫教育にすれば解決する問題がある」というわけではないのだろうと考えています。小中の教員がもっと深く濃い交流と議論をする必要がある課題がいくつかある。しかし、ある種の縄張り意識があり(互いの専門性への信頼はないと困るのですが、縄張り意識は困ります)、なかなか難しい。しかし、小・中一貫への取り組みを契機にすれば、突破口が開ける可能性がある。そういうことなのではないでしょうか。

小・中一貫そのものが「すばらしいこと」なのかどうかは、また考えてしまうところです。風土の差は、歴史的な経緯だけでなく必然もあって生まれているのだろうと考えると、少なくとも無条件に小学校文化を中学校に持ち込んでよいわけでもないですよね。なにを持ち込んでよくて、なにを持ち込むべきでないのかは、おそらく中学校側がより積極的にならないと見えて来にくいはずで。

単に「同じになればよい」のだとすると、むしろ小学校・中学校という区別を廃した義務教育校の創設などを考えるべきだといった、制度改革こそが必要だということにもなるはずです(財政的に可能かとか、すぐにできるか、抵抗はないかといった問題はあるにしても、行きつく先にどんなものをイメージするかというビジョンの問題ですよね)。
3. Posted by 亀@渋研X   2009年02月05日 11:13
(続きです)
なにしろ「小・中一貫教育」は、ぼくにとっては生々しいものだけに論点が多く、整理するのが難しいです。またぼくは自分の地域の問題を安易に一般化してしまいかねず、その点でも難しい(うちの学区の、いわゆる「三鷹方式」は、おそらくかなり独特な取り組みなのです)。その辺をちゃんと区別して考えていきたいです。

その意味でも、toshi先生の記事はいつも多くの示唆を含んでいて勉強させていただいています。ありがとうございます。

たとえば、こだま先生の「お絵描き文章題」をこの問題に結びつけて考えたことはありませんでした。考えてみれば、かなり濃厚な関連性がありそうなのに。

これからもいろいろご教示下さい。
4. Posted by toshi   2009年02月06日 16:45
亀@渋研Xさん
 『喫緊の課題』かどうか。判断がむずかしいですね。わたしの言う理想形でいけるのなら、早くやってほしいですが、小が中に合わせる形だったら、やらないほうがいいと思うのです。
 もっとも、地域によっては、『現状で』、小が中のようになってしまっているところもあるようで、つまり、亀@渋研Xさんのお言葉をお借りすれば、「なぜ、どうして」よりも、まず「覚えろ」という傾向が、小のうちからあるようなのです。
 皮肉なもので、そういうところでは、ある意味の小中一貫制は、現状でもあるわけですね。
 それはでも、『生きる力』には結びつかないし、わたしには無意味にしか思えません。

《どこででも同じような温度差が生じると言い切るだけの根拠は乏しいのですが、》
 これはわたしにしても同じです。ですから、『小が中のように』という上記の言葉も、たぶんに想像の域を出ないものがあります。拙ブログにいただくコメントを通して、うかがい知ることができるという、その範囲での物言いになってしまっています。

《小中の教員がもっと深く濃い交流と議論をする必要がある課題がいくつかある。》
 これはほんとうにその通りですね。我が地域でも、わたしが現職のときは、お互いに授業を見合うことはほとんどありませんでした。
5. Posted by toshi   2009年02月06日 16:45
 今、管理職の小中間異動は、わりあいありますが、教諭のそれはほとんど進んでいない状況です。やはり、第一歩としてそれは必要だと思うのです。 ただ教員免許の問題もあり、むずかしさはあります。
 わたしにしても、小学校の免許しかもっていませんでした。
 一般的には逆で、小学校教員は中学の免許をほとんどもっていますが、中学校教員で小の免許のない方はけっこういるのではないかと、これは想像に過ぎませんが、そう思います。

 ごめんなさい。わたし、記事で、中学生の絵解きにふれましたが、これは、保留にさせてください。わたし、過去に、そのようなホームページを見たことがあったなと思ったのですが、入稿後それを見つけることができまして、拝見したら問題を解くための絵ではありませんでした。
 今は、こだま先生にうかがいたい思いです。

 いろいろ書かせていただきましたが、現時点で、わたしは、小中連携を進めるという形にとどめるのが、一番現実的かなと思います。

 最後に、ご紹介いただいた、小中一貫校のブログですが、わたしはまったく違ったところで、衝撃を受けました。
 『全国学力テストがもたらす不正常な実態』という記事です。テスト対策のための練習をやらせているということ、『大阪は、そのようなことはしていない。』と記事にありましたが、これは、昨年3月時点であり、今の大阪の騒動をみると、『ああ。今の大阪は、東京よりもっとすごい練習をやらせているのだろうな。』と嘆かわしく思いました

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