2009年02月12日

発言のブレと放言3

663bd547.JPG もう二ヶ月以上も前になってしまった。

 テレビの時事放談で、瀬戸内寂聴さんの話を聞いた。麻生首相について語っているところが印象に残った。

 ちょうど、その場面をとり上げたホームページを見つけたので、リンクさせていただく。


 ところで、

 あまりに軽率な発言が続くものだから、二ヶ月前の放言など、もう忘れていた。

 そうか。このときは、高齢者医療費の抑制に関して、『わたしの方が税金は払っている。たらたら飲んで食べて、何もしない人の分の金を、何でわたしが払うんだ。』との放言が問題となっていたのだね。

 わたしは、これを聞いたとき、『確かにこの人は、何もしていないわけではないけれど、たらたら飲んで食べている人ではなかったっけ。』と思い、おかしくなったものだった。

 『自分で自分のことが分かっていないのだな。』と思ったものだった。



 ああ。ごめんなさい。

 首相の放言や発言のブレについて話題としているのだが、その前に、ちょっとふれておきたいことがある。


 それは、マスコミ等が報道する内容は、『必ずしも真実を言い当ててはいない。』ということだ。


 過去記事に次のものがある。
   
    教室訪問(2)

 だから、マスコミ報道をうのみにするわけではないけれど、でも、この放言癖やそれに伴う釈明発言、また、ブレ発言は、本人が言っているものがそのまま映像になっているのだから、これはいくらなんでも真実とみてよかろう。



 話を時事放談に戻そう。


 同席された野中氏のおっしゃる、『やっぱりお育ちでしょうか。』では、次のようなことを思い出した。


 別な番組で、一般の方の質問に答えていた。韓国訪問の直後だった。

 『首相は、子どもだったころ、何かほしいものを我慢したという経験がおありですか。』

 それに答えて曰く。

「わたしたちが子どもだったころは、日本が戦争に敗れ、きわめて貧しい時代でしたから、そりゃあもう、ほしいもののほとんどは我慢させられましたね。当時はみんなそうじゃなかったですかね。」

 それはそうだが、特別な育ちと思われているのだから、一般人とは我慢の度合いが違うという、その疑問は残されてしまった。



 時事放談では、司会者が言う。

 『なんだか記者との関係もギクシャクしているようで、』


 これについては、いささか、首相に同情しないでもない。

 また、別な番組での話だが、まだ首相になる前の放送で、麻生さんが語っていた。

「いやあ。祖父が首相のときは、それはひどいものでしたよ。ある記者が、子どもであるわたしに言うのですよ。『坊やのおじいさんが早く死んでくれれば、日本はよくなるのになあ。』なんてね。」

 子どものときにこのようなことを言われたのでは、その後、記者との悪しき関係がトラウマになってしまうのも分かるような気がする。

 でも、首相ともなれば、トラウマは脱却してほしいと切に願うけれどね。



 次は、寂聴さんの言葉だ。

「わたしもおしゃべりでよく失言するんですけどね。『失言』って本音なんですよ。だから、この発言は麻生さんがほんとうに思ってることなんです。みんなに叱られてあやまっていますけれどね。ほんとうは『なんであやまらなきゃいけないの?』と思っていると思います。」

「〜。正直と言えば正直なんですよ。ですから、あやまらせたってダメだと思います。」


 いやあ。ほんとうにおっしゃるとおりで、その後も、放言やブレが続くところをみると、まさに、『あやまらせたってダメ』になっているよね。

 ということは、これからもしょうこりもなく、続くのであろう。


 要するに、前々記事でとり上げた、『自己認識』。この能力に欠けているのだ。


 自分で自分を客観視することができない。自分の思い、感情のおもむくままに言葉が口に出てしまう。だから、首相という立場であっても、言っていいこといけないことの判断がつかない。

 今、自民党は大変な危機のなかにあると思うのだが、その認識すらないのではないか。


 その一つの現れだが、

 今回、国会答弁で、『わたしは、郵政民営化のとき総務大臣であって、その担当からは外されていた。』と言ったが、総裁選挙のときは、逆を言っていた。

 これ、映像で流されるのだから、まあ、気の毒と言えば気の毒だが、はっきり、『わたしは、当時、総務大臣で、郵政民営化の担当だった。』と言っている。

 まあ、釈明に次ぐ釈明となっているわけだが、これなど、釈明が墓穴を掘る結果となってしまっている。


 これも、自己認識が欠けているからだね。

 そのときどきの、思い、感情のおもむくままにしゃべってしまっているのだもの。論理に矛盾をきたすことがあるのは当然だ。


 なんだか、福田前首相が辞任会見した席でも、『わたしは自分自身を客観的にみることはできるんです。あなたと違うんです。』と答え、それが繰り返し放送されたのは、ほんとうに気の毒だったが、まさにその問題なのだ。



 さあ。問題は、こうした人々が首相であることだ。首相でなければ、それこそ、『放談』で済むけれど、首相ともなれば、これはもう、即、国民の不幸ということになる。


 ところで、校長でも、こういう、自己認識に欠けた校長はいる。そういう場合は、かなりの確率で学校は傾く。


 かたや、日本という一大国家。今のところ、大変な経済の状況下にあるわけだが、日本が自壊しそうな気配はない。

 日本国民というのはたいしたものだなあ。



 さて、本日の結論だが、民主主義の危うさを感じる。

 なんで、このような人が首相に選出されてしまうのか。現に、首相になる前は、国民的な人気があったのだものね。わたしも、好感をもっていた。

 でも、国民は、上記、リンク記事にもあるように、ほんとうのところは分からない。首相になってみないとね。


 問題は、自民党議員など、総裁選で投票した人たちだ。自民党議員も、彼らのことをほんとうに分からなかったのだろうか。

 分からなかったのだろうね。分かっていたら投票するわけがないもの。


 総裁選で投票した人々は、ほんとうに彼らが総裁になれば、選挙に勝てると思っていたのだろうか。

 思っていたのだよね。

 
 そこを、こわいなあと思う。

 あまりに、政策軽視、人間軽視、そして、人気本位の投票態度ではないか。


 日本は核兵器をもっていなくてほんとうによかった。

 このような人に核のボタンをにぎられたら、たまったものではない。


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 我が次女が言っていました。

「お父さんが、ブログで批判している橋下知事は、支持率が高いね。90%近いのでしょう。」

 これはまた、首相とは違う意味で、民主主義の危うさを感じます。近日中に記事にさせていただきましょう。


 それにしても、前々記事のように、指導によっては子どもでも身につく『自己認識力』。それを、首相ともあろう方がもっていないということは、どういうことなのでしょう。


 これも、教育の問題なのでしょうか。

 いい勉強をさせてもらっています。    

rve83253 at 01:56│Comments(0)TrackBack(0)自己啓発 | エッセイ

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