2009年02月16日

発達障害児と問題解決学習と、3

c41f4bb1.JPG さる2月10日、NHKの『クローズアップ現代』で、『才能を開花させよ 〜どう支える発達障害児〜』なる放送があった。
(リンク先ホームページの『これまでの放送』をクリックしていただき、次に、第二週、さらに10日(火)とクリックしていただければ出ます。)


 発達障害児の教育はどうあるべきか。

 わたしは、障害児といえども、障害のない子同様『生きる力』を育むべく、自主的、主体的な学習活動が大事と思っている。国も、学習指導要領をみるに、その立場をとっているようだ。

 これについては、拙ブログにおいても、かつて記事にしたことがある。下記にリンクさせていただこう。

    『生活単元学習』

 
 しかし、拙ブログを開設して以来、わたしには、『だから、よし。』と言ってすましてはいられない『重たい課題』が、横たわっていた。


 そこで、クローズアップ現代を食い入るように見つめた。

 同番組では、『発達障害児にとってよく分かる授業は、障害のない子どもにとってもよく分かる授業である。』と主張していた。その点はまったく賛成なのだが、

 そのための現場の工夫としては、

〇授業の冒頭に、本時の学習の流れを示すこと。

〇イラストや映像など、視覚的な手がかりを活用すること。

の二点を紹介していた。


 それは、指導者の一方的な工夫、配慮であり、子どもたちにとって、受身の学習であることにはかわりないようであった。

 したがって、問題解決学習を標榜するわたしとしては、上記、『重たい課題』の思いが払拭されず、残ってしまった。



 それでは、『重たい課題』の原点に戻り、それが、いかに醸成されていったかを、まず述べてみたいと思う。
 


 重たい課題 その1


 話は、2年以上前にさかのぼる。

 わたしは、初任者向け記事として、姉妹ブログの、『小学校初任者のブログ』に、『42円になったよ』なる記事を書かせていただいた。

 その趣旨は、

『挙手してではなく、思わず声を出してしまうような発言(不規則発言)は、直感的かもしれないが、それだけに、本質をついていることが多い。そうした子どものつぶやきを指導者は拾って、子ども主体の学習をより充実させなければならない。』

といったテーマだった。


 そうしたら、それから約半年後、

 教育ブログで、当時お世話になっていた、はるえもんさんの、『先生が明日からできること』なるブログに、以下のような記事が載った。
 
 タイトルは、『ルールって何だ?(4)』


 この記事は、

 子どもが挙手もせず勝手にした発言を、指導者がとり上げたりとり上げなかったりしていたのでは、ルールが不明確でよくない。やはり、『発言は挙手して指名されてからにしましょう。』というように、ルールを明確にすることが、発達障害のある子にとって、過ごしやすく安心できる環境となる。それは、障害のない子にとっても同様であるはずだ。

ということだったと思う。

(あまりに短くまとめてしまいましたので、誤解のないようにお願いしたく、そのためには、上記『ルールって何だ?(4)』なる記事をお読みいただければ幸いです。)



 この記事は、わたしにとって衝撃的だった。それまで、考えたこともない視点だった。


 わたしは、授業の活性化をねらう。

 だから、子ども主体の学習であれば、

言い換えれば、子どもが真剣に学ぼうとし、そこに、学びの必然性、切実感さえあれば、それは言わずにはいられない心情から発しているのであるから、たとえ不規則発言であってもとり上げていくべきと言っている。

 そして、何より決定的なのは、わたしは、不規則発言をめぐる、このようなことまで、学級のルールとしてしまうことについて、非を唱えている。


 しかし、はるえもんさんは、特別支援教育の立場から、そういうのは、自由度が高すぎ、発達障害のある子にとっては、学びにくい環境だとおっしゃる。

 そして、きちんと学級のルール確立し、どの子も安心して授業に臨める態勢を確保してほしいとおっしゃる。

 

 わたしの悩みはここから始まったと言ってよい。

 
 一応、コメントのやり取り(拙ブログ『学級のルールとは、』や、はるえもんさんの『ルールって何だ?(4)』でのコメント)のなかで、お互いに理解し合えたようにはなったけれど、

 わたしとしては、『問題解決学習は、発達障害のある子にとって自由度が高すぎ、
学びにくい学習方法になってしまうのか。』ということが、重たい課題となって残ってしまったというわけだ。
 

 『指導法が、子どもによって違うべき。』とは思えない。しかし、おっしゃることはよく分かる。そこからくる悩みだった。

 それまでのわたしの自信があやうくなったのは、言うまでもない。


 
 重たい課題 その2


 半年くらい前のことだ。

 わたしは、拙ブログに、尊敬するA先生の授業を掲載させていただいた。『校長先生の授業(2) TOSSとくらべて』

 そうしたら、それを読まれた、『虹色教室通信』と、『ADD?先生の発達障害児 教育支援サイト』のなおみさんが、ご自分の『虹色教室通信』の方のブログで、上記、わたしの記事に関連した記事を書いてくださった。

 また、わたしの、A先生の授業を解説した記事、『TBしてくださったブログ記事といただいたコメントから TOSSのこと』に、コメントも寄せてくださった。


 それらを通して、なおみさんは、

 今教員の間で流行っているという、TOSSという教育法の問題点は、そのまま幼児教育の問題点でもあるんじゃないか…?と指摘された。

そして、次のようにおっしゃる。


 自分の人生を自分の足で歩みだそう、自分の頭を使って切り開いていこうとする最初の段階で、大人の一方的な働きかけのシャワーに、適応していくことが自分となってしまう幼児。

 自分のなかから生まれてくるものを感じる経験もないまま、期待に応えること、親に褒められることを、喜びと誤認してしまう幼児が、幼児教育の流行とともに増加しているのです。

引用は以上だ。


 その一方で、そうした考えをもつなおみさんが、上記、わたしのブログ記事に寄せてくださったコメント2、3番では、

 私は、TOSSの授業は、アスペルガー症候群の子には非常に理解しやすい良い授業になるだろうとは感じています。私自身、想像力と推論に問題を持つアスペッ子は、TOSSとそっくりの教え方をしてうまくいっているのです。
 ですから、軽度発達障害の子によって乱される授業の秩序は、TOSSの授業の一部を取り入れることで回避できるとも感じています。

ともおっしゃった。


 
 わたし同様、TOSSを批判されるなおみさんをして、こう言わしめるもの。

 わたしは、そこに、2年前の、はるえもんさんの記事の再来を見た。



 重たい課題 その3


 次に寄せられたのは、ドラゴンさんのコメントだ。これはつい最近のことである。

 わたしが感動した、個別支援学級の授業の様子をあらわした記事へいただいたのだった。

 同コメントの3番だが、

 ただ、(障害のある子は、)通常の学級の子どもたちより、早く社会へ出ることも多いので、問題解決学習的にじっくりと取り組めない点もあるとの話も聞きました。社会で生活するためには、教え込みであっても確実に身につけなければいけない知識もあります。本来は、時間をかけてじっくりと育ててあげたいとも思うのですが。



 以上、その3までを、たどってみると、

 どうも、一般の小学校では、子ども主体の学習、つまり、問題解決学習や生活単元学習を標榜する方でも、こと、特別支援学級や養護学校となると話は別で、一斉学習でも発言のルールが大切とか、教え込みの方が向いているのではないかとか、そのように考える人が多いようだ。

 となると、ふつう級に発達障害のある子が在籍することの増えている現在、これは、非常に悩ましい問題となる。


 
 わたしの疑問は、ついにぬきさしならぬところへきたようだ。


 そのようなときの、冒頭述べた、『クローズアップ現代』の放送だったわけだ。


 確かに、『よく分かる授業』にするための工夫は、よくなされている。視覚に訴えての理解を図ることの大切さは、勉強にもなった。

 しかし、問題解決学習においては、授業のねらいは明確にもっているとしても、そこに至るまでの道筋は、多様に準備されている。

 頂上は一つであるにしても、登山口はいろいろあり、どの登山口から登るかは、子どもの手にゆだねられているようなものである。子ども主体の学習とはそういうことだ。

 とても、クローズアップ現代で紹介されていたような、授業の道筋をあらかじめ示すというようなことはできそうもない。

 
 わたしにとっての、『重たい課題』は、沸騰点に達したようだ。


 そこで、わたしの大先輩であり、元養護学校長でもあり、先ほどもリンクさせていただいた『校長先生の授業(2) TOSSとくらべて』の授業者でもあるA先生に、この点をうかがうことにした。



 A先生のお話は明快だった。


 「そうだね。発達障害のある子のなかには、パターン化された授業の方が、心が安定して学習できるという子は確かにいる。


 たとえば、このようなことがある。

 Bさんは、養護学校の生活ではちっとも落ち着きがなく、問題行動の多い子とみられていた。ところが、成長して、職業訓練を受けるようになると、すっかり落ち着き、生活が見違えるようになった。

 手順が明快で、こうするとこうとか、この場合はこうとか、そういうことがはっきりすると、安心して生活することができるようだった。


 しかし、逆の場合もあるよ。

 Cさんの場合は、サッカーのルールはこうと、先生が教えようとしたが、どうもそれではうまくいかない。失敗ばかりする。やがて、『ぼくたちにルールを決めさせてくれ。そうすれば、もっと上手にやれると思う。』

 そう言われて、先生方は、ルールを子どもたちで決めさせるようにした。

 『ああでもない。こうでもない。』子どもたちはいろいろ考えた。

 そして、たとえば、『オフサイドのルールはやめようではないか。待ちぶせしたっていいことにしよう。』そうしてゲームをやってみると、実にうまくゲーム運びができるようになった。

 Cさんの場合は、試行錯誤したり、考え合ってよりよいものにしたりしようとする方が、よかったということになるね。


 だから、やっぱり、一人ひとりの個性をみていくしかないのだ。その子に合った指導法を考えるしかないのだよね。『発達障害のある子だからこう。』って決めつけるわけにはいかない。

 でも、これって、発達障害のない子どもたちにも言えることだよね。いつも問題解決学習で、ああでもない、こうでもないと議論し合っても、それで活気があるようにみえるが、なかにはそれが合わないという子だって、いるはずだ。」


「そうですね。そうすると、TOSSのような指導法は間違いって、いちがいに決めつけることはできないのですね。あくまで、子どもによるということですか。」


「いや。そうは言っていない。ことは人間としての尊厳にかかわる。

 子ども同士、お互いに切磋琢磨しながら、価値を深めていくところに、『考える力』『生きる力』を養う一斉学習のよさがあるとすれば、TOSSの授業を、それもよしというわけにはいかない。

 また、学級に発達障害のある子がいるからといって、全体が障害のある子に合わせなければいけないとなると、それは、違うよね。あくまで、『そういう子もいるのだから、配慮しましょう。』ということではないかな。」



 その後も話はあったのだが、なにしろ、わたしは車の運転中だったので、記憶がボケてしまっている。申し訳ありません。



 最後の結論は、以上を受けてのわたしの思いだが、『重たい課題』が、かなり軽くなってきたように感じた。



 こう考えたらどうだろうか。


 いつも学習問題をめぐってけんけんがくがく議論し合っているとする。そして、価値も深め合っている。

 ところが、どうも、そうしていると、Dちゃんは落ち着かないことが多い。いらいらしたような表情をみせる。そして、ときどきは、『分からないよ。何言っているのよ。』などと口にすることもある。

 しかし、そのDちゃんが、一人で作業などしていると、実に楽しそうだ。そして、あるとき、一斉学習でも、手順が明確だと、落ち着いていることを発見する。

 そういうことがあったとしよう。


 そうしたら、それに学級のみんなが気づいて、『ねえ。話し合いのルールをしっかり決めようよ。そうすると、Dちゃんも張り切って学習に参加できると思うよ。』などと提案するようになる。

 それを受け、Dちゃんの周りにいる子が、しょっちゅう、『Dちゃん。今、話し合っているのはこういうことだからね。』などと助言するようになる。


 まあ、ようするに、Dちゃんが落ち着いて学習できるように、学級のみんなが気配りできるようになるというか、そうなると、真の、どの子も伸びる問題解決学習と言えるようになるだろう。


 上記、クローズアップ現代の、『発達障害のある子にもよく分かる授業』の工夫。

 それを、子どもみずからがするようになるのだ。

 
 それがまさに、共生を目ざし、生きる力を身につけた子どもの育成につながるのではないか。



 さて、ここまで書いてきて、読者の皆さんのなかには、

『そのようなことは名人ワザだ。とても誰でもできる指導ではない。』と思われる方がいらっしゃるかもしれない。

 
 しかし、そのようなことはない。

 要は、そうした子どもを育もうとする展望を指導者がもっているかどうかだ。


 もっていれば、障害のない子たちが示す、『発達障害のある子へのちょっとした気配り』に対しても、それを、『共生』の観点から認め、ほめることができる。

 それでいいのだ。あとはその積み重ねがあるだけ。

 子どもは、指導者が認め、ほめ、共感し、感動する。そのセンまでは間違いなく育っていく。

 わたしは、そう思う。


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 A元校長先生にうかがってよかったです。ストンとむねに落ちるものがありました。『重たい課題』がかなり軽くなった思いです。


 補足ですが、

 初任者指導の際、わたしは、学級のルールの必要性について、あまり言及することがありません。しかし、学級に乱れが生じたり、子ども同士の関係が不安定だと感じた場合は、ルールの必要性に言及しているように思います。

 また、視覚に訴えての指導については、これはもう、まったく共感するところで、これは、初任者指導でも一貫して話しているところです。


なお、下のリンクは、情緒障害児とふつう級児童との交流をえがいた記事であり、本記事のように、授業にかかわるものではないのですが、本記事末尾の、『障害のない子たちが示す、発達障害のある子へのちょっとした気配り』にはかかわると思いますので、紹介させていただきます。

    人権教育(6) 交流教育 

    (2)へ続く。  

rve83253 at 23:47│Comments(10)TrackBack(0)問題解決学習 | 個別(特別)支援教育

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この記事へのコメント

1. Posted by なおみ   2009年02月17日 14:50
記事に取り上げていただきありがとうございました。私の教室のような少人数を相手にしている場合でも、定型発達の子に大切なこと(主体的に、創造的に、授業に取り組む)と広汎性発達障害の子に大切なこと(変化がなく、柔軟性や想像力をあまり求めない授業)のどちらを優先するかで悩むことが多いのです。一斉授業では本当に難しい重たい課題だと思います。toshi先生のように真剣に考えてくださる先生が増えると、どちらにとっても良い教育へと授業が洗練されてくるのでしょうね。
2. Posted by toshi   2009年02月18日 05:09
なおみさん
 A先生のおっしゃる、『人間の尊厳』という視点で考えた場合、障害のあるなしによって、指導の理念が左右されてはならないと考えます。
 しかし、それだけに、配慮すべき事項については、重く受け止めなければいけないと思いました。

 貴ブログの最新記事を読ませていただきました。さらに配慮すべき事項があるなと、感じました。
 それらを内容として、また、記事にまとめさせていただきたいと思います。よろしくお願いします。
3. Posted by ドラゴン   2009年02月25日 18:16
toshi先生

いつも勉強させていただいております。
大変示唆のある問題提起で、いろいろ考えさせられておりますが、なかなか自分の考えがまとまりません。ぜひ、あらためてコメントさせていただけたらと思っております。

 さて、TOSSの機関誌の教室ツーウェイの3月号の編集前記を見ましたところ、非常に残念な記述がありました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
▼「勉強ができなくなる要因」を持っている子が、二十五パーセントぐらいいる。
 どの学校のどのクラスにもいる。
 発達障害の子と境界知能の子だ。
▼この子たちは「きちんと教育」されれば基礎的学力を身につけ、大人になっても自立していける。
▼この子たちに、我流の授業をすれば、基礎的学力は身につけられず、将来の自立は極めてむずかしい。
 非行少年少女になる、多重債務者になる、仕事につけないなどの道を辿る。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 養護学校の先生にも知り合いはいますが、うまく自立できなくとも、非行少年少女になる子はいません。ましてや多重債務者などとは。
 そして、雇用の問題は、本人だけでなく、社会をふくめた大きな問題です。
 教育者の言葉としては、憤りを通り越えて悲しくなってきます(笑っちゃえません)。
 
4. Posted by toshi   2009年02月26日 05:47
ドラゴンさん
 相変わらず、TOSSの論調はひどいようですね。思い込み、偏見に満ちている感じです。
 わたしは、TOSSはその典型なのでしょうが、『生きる力』も教え込もうとするし、知識・技能のつめ込み教育をしているので、今の政治の貧困、もうけオンリーの犯罪的会社経営などは、今後もっとひどくなるのではないかと危惧しているのです。エセ科学信奉者も増やしているのではないでしょうかね。
《うまく自立できなくとも、非行少年少女になる子はいません。ましてや多重債務者などとは。
 そして、雇用の問題は、本人だけでなく、社会をふくめた大きな問題です。》
 こういうことすら分からないところに、エセ科学ぶりがよく示されていますね。
5. Posted by 栃内由利佳   2010年05月21日 21:51
 はじめまして、捨てられてしまった腐ったみかんの母親です。

 ブログ読んで「確かに、そうだよな!」とうなずくところがありました。
うちは授業中の呟きが、クラスメートから授業妨害と指摘され、担任もその私的に賛成したために教室に入れなくなり、ついには不登校になりました。それが中1で、今中3です。中学校の教科学習は何も受けてません。

 家庭では東京シュウレの関係のフリースクールの通えるようにし、東京個別指導学院へ高い授業料を支払い通えるようにしています。

 学校の担任は学期初めに一度連絡してくるだけであとは期末にあゆみを取りに来るように電話してくるだけという有様です。

 子どもは毎日同じことをすることに安心をする子なので、小学校の頃は通学することを楽しみにしていました。でも、あの事件以来登校しないと決めてしまい、学習にも実が入りません。

 中一の頃方程式を溶かせても途中の計算もしないでぱっぱぱっぱと正解を書いていくけれど、途中間違うのを見つけて注意すると怒り出し、どこで間違えたのか検証するために途中の式を書いてみようよというと、計算練習することをやめてしまうようなところがありました。
 こういうことから、学年主任をしていた数学家の担任から「発達障害で、ものごとの理解のできない子ども」と決め付けられ、「私は30人の面倒を見なければならないのに、お宅のお子さんのような手のかかる1人の子どもに関わっていられないから特学へ言ってくれ」と言われました。
 とても不条理を感じました。
 
 こういうことは、どこにでもあることなのでしょうか?
6. Posted by toshi   2010年05月22日 10:44
栃内由利佳さん
 このようなメールやコメントを時々いただくことがあります。そのたびに、拙ブログ最新記事に書かせていただいたように、『日本の学校教育に民主主義は根づくのだろうか。』というような、公教育に携わる立場としては、大変申し訳ない思いになってしまいます。
《こういうことは、どこにでもあることなのでしょうか?》とお尋ねです。
 わたしは初任者指導に携わっているものですが、小学校において、また、初任者の学級においても、子ども同士、教え合う姿がふんだんに見られます。わたしのむかしの実践ですが、軽度の知的障害の子(?)が普通学級に在籍したときの様子を記事にしたことがあります。本コメントのtoshiをクリックしていただければ出るようにしましたので、よろしければご覧ください。
 『かわいい先生』というタイトルをつけています。記事のなかほど、『この教え合いは、初めは、体育や音楽に限られていたが、やがて、算数などでも見られるようになった。』からが、該当の記事となります。(続きます。)
7. Posted by toshi   2010年05月22日 11:11
お互いに学び合う機運が学級に醸成されれば、学級に発達障害の子がいた場合、学級の子たちの、発達障害への理解が増すというものです。
 もちろん試行錯誤はあります。失敗も多々あるのです。しかし、それだけに、分かり合えた時の喜びは実に大きい。
 そういう実践も過去記事にあります。先ほど同様、本コメントのtoshiにURLをはり付けさせていただきました。

 しかし、不思議なことがあります。
 今の時代、国は、個別支援学級(特学)をなくして、できるだけ、障害のない子とともに学ぶ教育の推進を図っています。その計画は、あまりに過激だったため、今頓挫している(toshiの私見)ようですが、その方向性を持っていることは確かです。したがって、栃内さんのコメントにある、《「私は30人の面倒を見なければならないのに、お宅のお子さんのような手のかかる1人の子どもに関わっていられないから特学へ言ってくれ」》は、まさにこの理念に反するものです。(続きます。)
8. Posted by toshi   2010年05月22日 11:22
今、特別支援教育について書かれたWikipediaにリンクしますね。やはり、toshiをクリック願います。 ただ、国にもずるさがあり、教員の立場も分からないわけではありません。
・国の考えは理念に走りすぎ(これもtoshiの私見です。)と思います。
・個別(特別)支援学級を廃止し、かわりに、個別(特別)支援学級を設置とし、軽度発達障害の子も対象とするとあるのですが、それにはものすごい人的な増員がなければなりません。それなのに、人的な配慮はなされていないようです。
 そんなわけで、計画はとん挫していますが、しかし、その方向性を持っていることは確かです。したがって、上記学年主任の言葉は、時代逆行と言わざるをえません。
 我が地域においては、可能な範囲で、国の理念に近づけるべく、努力していると思います。個別支援学級を廃止はしていませんがね。 
9. Posted by ドラゴン   2010年05月22日 18:56
栃内由利佳 さん

発達障害への理解が以前よりは浸透してきたようにも思いますが、まだまだ無理解な教師もたくさんいるように聞いております。
ある方が、無知であるだけで犯罪になる、と述べられましたが、実際にそう感じることもあります。
聞くところによると、発達障害の子供は毎年5000人ほど増えており、教師の数がそれに追いついていないという話もあるようです。
これも障害のある子供が増えているというよりは、以前は障害ととらえられていなかった子供も実は発達障害だったということのようです。

ご存じかと思いますが、グレーゾーンは幅広く、知的には高い水準の子供も多くいますので、最近では、大学でも課題となっているとも聞きました。

いろいろと大変のご様子ですが、特別支援学校には、相談センターの機能もあるそうです。一度ご相談されてみたらいかがでしょうか。医者のセカンドオピニオンのように複数で相談するのもよいと思います。
10. Posted by toshi   2010年05月22日 19:52
ドラゴンさん
 拙コメントを補充していただいた思いです。ありがとうございました。

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