2009年02月20日

発達障害児と問題解決学習と、 (2)3

1e40064a.JPG 前記事では、はるえもんさんやなおみさんのブログにかかわるかたちで記事にさせていただいたので、両氏の記事にリンクさせていただいたところ、なおみさんが、ご自分のブログ、『ADD?先生の発達障害児 教育支援サイト』にて、拙ブログを受けるかたちで、『公教育の一斉学習は発達障害のある子に合わせるべきなの?』なる記事を書かれた。

 わたしの記事を大々的に引用してくださり、感謝している。

また、《そんな風に子どものことを真剣に考える先生方は悩んでいます。》

などとおっしゃっていただき、大変恐縮している。ありがとうございました。


 しかしながら、わたしの不徳のいたすところもあり、また、公教育の課題にかかわる点については地域における違いもあり、さらには誤解されている点もあるなと思われるので、

 そこで、本記事では、そうした点を掘り下げてみたいと思う。



その1


 なおみさんは、上記リンク記事の冒頭、

《一斉学習を、発達障害の子にとって分かりやすい、すごしやすい授業にするには
どうすればいいのか…という点を、(toshiは)真剣に考えておられます。》

と書いてくださった。


 ううん。

 『真剣に』などとおっしゃっていただき、ありがたいのだけれど、

 わたしが申し上げたかったのは、ただ単に、『分かりやすい』とか、『すごしやすい』とかいった次元にとどまる話ではない・・・、つもりだった。

 単に指導上の工夫、留意点レベルの話だったら、わたしはそんなに、『重たい課題』と受け止めることはなかった。


 それは、『人間としての尊厳』にかかわるのだが、

 障害のある子もない子も、『生きる力』を育むべく、自主的、主体的な学習活動、また、自分らしさを発揮できる学びをすることが大切と思っているので、

 『そういう学び、すなわち、それは問題解決学習なのだが、それに、むいていない子がいる。』と指摘されたがゆえの、いえ、少なくともそのようにわたしが理解したがゆえの悩み(?)なのであった。


 教育理念への問いかけだったのである。


 
その2


 《あまりに形にとらわれると、子どもたちから自分で考える力や想像力を奪いかねません。》

 これは、完全に同意する。

 《授業のあり方の工夫》にとどまらず、『人間としての尊厳』を大切にしているはずの問題解決学習においても、形のみにとらわれた学び(?)が横行する現実は確かに認めなければならない。


 下のリンクは、障害児教育にかかわる記事ではないけれど、こういう現実もありますよという意味で、お時間があれば、ご覧いただきたい。

    問題解決学習への誤解(2)

 かたちのみにとらわれた問題解決学習(?)がいかにひどいものであるか、ご理解いただけると思う。


 
その3


《しかし一方でアスペルガー症候群などの『広汎性発達障害』に含まれる子たちが
こうした変化に富んだ授業の中でとまどい混乱し、本来の能力が発揮できないだけでなく、授業を妨害するような困った行為に走ってしまうこともよく起こっています。》

 誤解のないように、ぜひ、ふれさせていただきたい。

 『問題解決学習だから、広汎性発達障害の子が授業を妨害する。』ということは、基本的には、考えられない。何か別な理由があるのではないかと思う。

 真剣に学び合っている学級集団のなかで、そのような行為に及ぶ子がいるとは、考えられないのだ。

 それどころか、議論に参加している場合もめずらしくない。

 ただ、その場の議論にかみ合わないことは、よくある。


 この辺は、過去記事にあるので、やはり、これも、お時間があったらごらんいただきたいと思う。

 この記事の半ば、『ただ、それでも、浮くケースは出てくる。』から始まる事例がそれにあたる。 

    その子らしさを大切に(2) 学習編

    
 こまった行為に及ぶ事態の多くは、『その2』で述べたような『似て非なる問題解決学習』や、秩序だつことのない教え込みの授業の方が圧倒的に多いと、わたしは思う。



その4


《発達障害の子に一斉授業を合わせるべきか。発達障害の子は特別支援教室などで学ぶべきなのか。一斉授業は問題解決学習を基本とするべきであり、発達障害の子には
配慮をするにとどめるべきなのか。》


 なおみさんの記事のタイトルにもなっている。

 でも、わたしにしてみれば、確かに悩んで(?)きたのだけれど、こういう悩み方ではなかったのだよね。

 こういう命題を与えられれば、ちゅうちょなく、『ともに学ぶべき』と答える。

 そして、

 発達障害の子に合わせるべきとも思わないし、配慮するにとどめるべきとも思わない。特別支援教室は必要だが、すべての時間、そこで学んでいればいいとも思わない。


 発達障害に限らず、重度重複障害児(これは事例的な意味で申し上げた。どの学級でも行われているわけではない。)とも小さいうちからともに学ぶからこそ、『共生』の理念が育まれていくのである。


 確かに、A先生の言葉として、
『あくまで、そういう子もいるのだから、配慮しましょうということではないかな。』
と書かせていただいた。


 でも、これは、わたしの文章がまずかった。ごめんなさい。


 A先生の名誉のために、特にふれておきたいが、A先生は、そのあと、確かに、同記事の記述である、『こう考えたらどうだろうか。』以降に書いたことに類することもおっしゃったのだ。

 ただ、わたしが車の運転中だったために、記憶が定かではない。

 そこで、前記事では、『わたしの思い』として書かせていただいた。


 以上、『(大人が)配慮するにとどめる』のではなく、その『配慮』は、子どもが主体的に、自発的に、そして、自然体で配慮したくなるような心情を、指導者が育むという、そういう『配慮』も含んでいることをご理解いただきたい。


 一例を申し上げると、

 多くの子がああでもない、こうでもないと議論しているとき、話があっちこっちへとんで収拾がつかなくなるようなとき、

 それをうまく整理したり、コントロールしたりするのは指導者の仕事だが、

 しかし、子どものなかからも、次のような声が出るようにしたい。

「ねえ。みんな。話が飛びすぎるよ。もう少し、整理して話すようにしようよ。『今、話し合っているのは、〜です。』ってよく分かるようにしないと、Bちゃんはうまく話し合いに参加できないと思うよ。」

そのような学び合いのできる学級集団を目ざそうとするわけである。



その5


《あるものは完全であるものは不完全といった分け方ができないものだからです。》
《一斉授業では困難があっても、発達障害のある子はそうした脳を持っているゆえに優れている部分もたくさん持っています。》

 もし、公教育に、そのように断らなければならない現状があるのだとしたら、それは、同じく公教育に携わるものとして、お詫びしたい。

 そのような意識はもうとうないし、我が地域においては、どの教員にもないと信ずる。

 
 何度も申し上げるようで、大変恐縮してしまうが、

 問題解決学習は、子ども主体の学習だ。子どもの思いがふんだんに噴出する授業形態だ。そこでは、発達障害のある子も、自分の思いを表出する。また、意欲的に、絵も描けば、運動もする。

 当然、《発達障害のある子はそうした脳を持っているゆえに優れている部分もたくさん持っている》ことも、

 たくさんもっているかどうかはともかくとして、クラスの子どもたちはよく理解、把握するようになるというのが、わたしの見解である。

 そして、『共生』を実現していく。


 上記リンク先記事の半ば、『ただ、それでも、浮くケースは出てくる。』から記載した例は、まさに、《優れている部分もたくさん持っている》の具体例ではないかと思う。

 わたしはこの子の発言が場違いなことが多々あっただけに、

 しかし、奥の深いすばらしい内容を伴っていることも多かっただけに、

 軌道修正は図るものの、クラスのみんなの前で、『ひらめきの天才』と言って称賛したものだった。クラスのみんなも、そういう思いで、彼を受け入れた。

 今だったら、さしづめ、『ひらめき王子』かな。少なくとも、『空気が読めない。』(今ならKYか。)などと言われるようなことはなかった。


 そう。そう。

 ただ受け入れただけではない。その発言の奥の深さから、たとえ場違いではあっても、クラスのみんなは、多くのものを学んだのである。

 

その6


 《アスペルガー症候群の子どもの典型的な特徴は、変化が嫌いで、ほんの少しでもいつもと違うことがあると混乱してしまうこと。ひとつの物事にとらわれがちで、熱中しはじめると、他が目にはいらなくなってしまうことです。〜。》


 
 『障害も個性である。』

 この、『個性』という言葉は、しばしば誤解されるようだ。わたしは、『その子らしさ』くらいの気持ちで受け止めている。

 だから、なおみさんがお書きになった上記文章も、それで、立派に個性なのではないか。


 うん。

 だから、《個性として、その都度対応していると、がまんしようと思えばできる。
でもそれが二次障害の原因ともなるストレスをためさせている…となりがちなグレーゾーンの子たちが追い詰められていきます。》

 初め、この言葉が理解できなかった。

 個性って、がまんさせるものなのかな。個性って、のびのび、いきいきと発揮させるものなのではないのかな。そう思った。


 でも、今は理解できる。個性というとらえではなくて、問題行動というとらえなのだろうね。



 なおみさんはおっしゃる。

《先生方が、まず軽度発達障害について正確な知識を学んでくださること》

 もちろん学ぶことは大切だ。

 しかし、問題は学んだあとだ。


 障害のない子には、わがままだということでしかる。

 障害のある子には、これは障害なのだからということで許す。


 こういう姿勢では、温かな思いやりのある学級集団は育たない。


 まずは、どの子もあるがままでいいのではないか。

 しかし、あるがままでは、友達との衝突も起きるし、生活上の不都合も起きるだろう。そこで、障害のない子なら、多くの場合、自分で自分を変えていこうとするだろう。

 指導者は、その営みを、受容したり、ほめたり、感動したりして、支援の手を差し伸べる。

 ふつうはそれでいいだろう。


 しかし、発達障害のある子どもは、衝突や不都合が起きたとき、うまく機能がはたらかない。認識さえしていないかもしれない。


 そういうとき、指導者はもちろんだが、学級集団も、その子に合った支援の差し伸べ方を学ぶのだ。

 それは、そのまま、発達障害のある子との接し方、ふれ合い方を学ぶという意味で、まさに日々の生活のなかでの、『問題解決学習』となるだろう。


 そのときの留意点。

 配慮、気配り、支援、などなど。


 それらが、『やってあげている。』という意識ではダメだ。それでは共生にならない。

 できることは見守る。できないことに対しては、自然体でそっと手を差し伸べる。

 そして、障害のある子からも、学ぶべき点は多々あることに気づき、学ばせてもらうという、

 それでこそ、どの子も幸せになる道が開ける。


 
 そして、障害のある子も、ない子も、問題解決学習で学ぶことが、真の学びとして、実効性のあるもの、価値のあるものになっていく。

 
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 なおみさんの記事には、『犠牲』とか、『迷惑』とかいう言葉もありました。

 もし、そのような心情を養ってしまったら、それは、教育の失敗というものでしょう。

 そういう現実があるなら、指導者は、まず、どうしてそうなってしまったのか、そこから学ばなければなりません。

 次、どの子へも愛情が注がれなければなりません。

 最後に、それを実践に移そうとする意志ですね。

 わたしも、まだまだ学んでいくつもりです。

    (3)へ続く。

rve83253 at 10:32│Comments(3)TrackBack(0)問題解決学習 | 個別(特別)支援教育

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この記事へのコメント

1. Posted by なおみ   2009年02月20日 19:22
toshi先生こんにちは。記事に取り上げていただきありがとうございます。
私は自分の記事の中で、知的障害の子やADHDの子に教えるのはある「わかりやすさ」があって教えやすかったけれど、広汎性発達障害の子は教えるのが難しかった…という話を書いています。
それは、広汎性発達障害の子が教えにくいというより、私自身が子どもの主体性や自主性、創造性を育てることを大切にしていて、問題解決学習を中心とした教え方をするので、自閉傾向のある子たちに混乱を起こさせやすいからです。
枠組みや同じ繰り返しや事前にすることをしるしてもらうことで安心する子がいるということを、文章で読んだだけでは理解しがたかったからです。
広汎性発達障害の子は、私が苦手とするTOSSの教え方のような決まったパターンのある自分で想像したり決めたりすることが少ない授業で落ちるつきます。 
2. Posted by なおみ   2009年02月20日 19:22
<『問題解決学習だから、広汎性発達障害の子が授業を妨害する。』ということは、基本的には、考えられない。何か別な理由があるのではないかと思う。>というtoshi先生のお考えは、長年、広汎性発達障害の子たちを育てている親御さんたちに話をうかがって、どれほどちょっとした変化がこうした子たちを不安定にさせるのかたずねていただけばいいかと思います。といって私もかたちだけの問題学習がいいとは思っていないのです。しかし、本当の意味で広汎性発達障害の子について理解していただいていないと、授業が盛り上がっていい形になっている最中にストレスでいっぱいになっている子がいても先生が気づけない気がするのです。
発達障害の子が授業妨害に至るのは、ストレスが限界に達したときです。
TOSSのような授業に…と言っているわけではありません。ただできる範囲で、問題解決学習の授業の中にもこうした子たちへの配慮が必要だと思っているのです。問題解決学習は、ある一部分は、TOSSの授業から学ぶのは無理でも、海外の特別支援学習のあり方から学んで、ある枠組みを必要としていると思います。
「子どもの尊厳」という言葉は、発達障害の子のパニックについてよく学んでから考えないと、食物アレルギーのある子に、身体に良いからとアレルギー食品を食べさせるようなまちがいにつながるように思っています。
私はtoshi先生にもっと発達障害当事者や発達障害児を育てている親御さんに直接こうした問題についてたずねていただきたいのです。そして当事者の方々の声から、授業について考えていただきたいです。
3. Posted by toshi   2009年02月23日 03:40
なおみさん
 新たに、本シリーズ(3)を書かせていただきました。記事中にも書きましたが、後出しジャンケンのような感じになってしまい、申し訳ありません。

 ただ、二点ほど。

 学ぶことは、これからもしていきます。

 保護者の声とのことですが、これは、お子さんが問題解決学習を経験した保護者ということで言わせていただければ、わたしが申し上げるのも変ですが、まずあまりいないと思われます。
 そうではなく、一般的に広くということでしたら、これは、ブログなどで拝見する程度にならざるを得ないと思われます。

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