2009年02月25日

初任者の成長(9) 自分のクラスとは信じられない。5

45fe203b.JPG 今、担当している初任者Aさんとも、その学級の子どもたちとも、あと1ヶ月でお別れである。毎年、毎年、1年のたつのは早いものだ。

 Aさんの今の口グセは、

「これが自分のクラスだとは、とても信じられないですよ。」


 苦笑いを浮かべているAさんを見て、わたしは、とてもうれしく思う。

「そうかもしれないね。子どもたちの落ち着き、学習への集中、学級のまとまりなど、どれをとってみても、Aさんにとっては、初体験なのだろうね。」

「はい。そうです。toshi先生は、最近よく、『子どもの姿に感動したら、その感動を口と表情に出してやりなよ。』とおっしゃいますよね。確かにそうしなければいけないとは思うのですが、なんか、感動より先に、『へえ。Bちゃんが、このようなすごいことを言うのか。』と思うとびっくりしちゃって、なんか、自分のクラスではないみたいで、とまどってしまうのですよね。」

「それはそうかもしれないけれど、もっと自信をもちなさい。間違いなく、Aさんの学級で起きていることなのだから。」


 このクラスの子どもたちの変容。それは、わたしも、日々実感している。


 昨日も随所にあった。


その1

 国語が、最終の、『モチモチの木』に入った。

 まず、音読しようということになる。Cちゃんが言う。

「最初だから、A先生が読んで。お願い。・・・。わたし、A先生の音読を聞きながら、お話の世界に入っていきたいの。豆太の気持ちを想像したい。」

などと言う。


 その要望を喜びとともに受け止めたAさん。ゆっくり味わい深い感じで読み出した。すると、Cちゃんは、教科書は手に持っているものの、目は閉じて、ほんとうにうっとりとした感じで聞いている。聞きほれているように見える。


 この子は、4月当初、担任のAさんをなめているところがあり、言動が粗雑だった。それがわたしへも転移したのであろう。わたしを、『toshiちゃん。』などと、なれなれしく呼んでいた。そういう時期があった子だ。


その2

 Dちゃん、Eちゃんは、算数が苦手だった子だ。

 文章題をみると、引き算で解くべき文章題なのに、足し算をしてしまうなどということもあった。


 今は、こだま先生の、『絵解き文章題』よろしく、すぐ絵をかき出す。だから、このような間違いをおかさなくなった。

 挙手の態度など、見違えるようだ。自信にあふれている。


その3

 圧巻は、

 子どもたちは、先日、地域にある古民家を訪ねた。そして、昨日は、そこで受けた印象などを話し合っていた。


 子どもたちは、ほんとうによく、見てきた。ただ単に、見たことの感想ではない。そこには、一人ひとりの子どもの『心でとらえた姿』がにじみ出ていた。

 
 Fちゃんは言う。

「あのね。むかしの生活は、みんな、人の力が必要だなと思った。今は、ボタン一つで何でもできるでしょう。でも、むかしは、道具を回すにも、運ぶにも、何でも力がいる。だから、大変だと思った。」

 続いてGちゃん。

「手の力が必要なのだと思う。何でも、手で回したり持ち上げたりしなければならない。『むかしっておもしろい』って教科書には書いてあるけれど、それは、今のぼくたちから見れば、おもしろいって言えるかもしれないけれど、むかしの人にとっては、大変だったと思う。」


 そう言えば、思い出した。教科書の、『むかしっておもしろい。』っていう単元名は、子どもには不評なようだった。

 数日前、Hちゃんは怒っていた。

「おもしろいなんて言っていられない。むかしは戦争があったし、貧しかったから、おもしろいなんて言ったら、むかしの人に失礼だよ。」


 また、昨日の授業に戻って、Jちゃんだ。

「『むかしの人の生活は大変。』に賛成なのだけれどね。でも、すごい工夫もしていたと思う。食べ物をおいておくところで思ったのだけれど、むかしはクーラーなんかないでしょう。だから、風通しをよくするためにね。わざわざ上の方に窓をつくったの。それで、温度の調節をしているのだと思った。

 今はクーラーがあるから、窓はあってもしめてしまうでしょう。やることが反対になっているなと思った。」


 これはもう、多くの子どもたちの心をうったようだ。

「へえ。Jちゃん。すごい。」
「窓があるのには気づいていたけれど、そこまで、ぼくは考えなかったよ。」
「ねえ。Jちゃん。もう一回ゆっくり言って。わたし、メモしたくなっちゃった。」

 最後の言葉は、前述のCちゃんだ。


 そして、期せずして、多くの子から拍手が出た。


 担任のAさんが授業の最後に言う。

「さっき、Jちゃんの発表では、みんなから拍手をもらっちゃったね。確かに、いい発表だったね。窓は温度調節のためだったんだ。むかしの生活は大変だったけれど、でも、工夫もしていたということが分かったね。よかったね。」


 こうした子どもたちの育ちを見て、わたしは思う。


 担任の変容がそのまま子どもの変容につながっていると。


 これは、何度も書いてきたことだが、

 かつてのAさんは、子どもが理解したかしていないかしか念頭になかった。そして、理解していないと分かると、しっかり教え込もうとしていた。

 しかし、そうしているあいだは、子どもはろくに先生の話を聞いていないし、先生が教え込もうとすると、子どもは、自信喪失になったりはずかしいと思ったりして、心に壁をつくってしまっていた。


 そうではなく、今、Aさんは、子どもの話をよく聞くようになった。

 今のAさんは、子どもが理解しているかいないかは、二の次、三の次になった。今、最大の眼目は、子どもたちが、どのような思いでいるか、どのような考え方をしているか、それを把握しようと努めている。

 そして、理解までの道筋も、多くは、子ども同士の話し合いにゆだねていることだ。

「ああ。分かった。そういうことか。なるほど。」
「なあんだ。簡単なことだったのだね。」
「今のKちゃんの説明でよく分かったよ。さっきのLちゃんのと、言い方は違うけれど、けっきょく、同じことなんだね。」

そのようなつぶやきがよく聞こえるようになった。


 Aさんは、子どもたちの話をよく聞くようになっただけではない。

 いろいろある子どもの発言を、『これとこれは同じことかな。』と関係づけたり、『これは、前のあれをくわしく具体的にしているな。』と深めるようにしたり、

 要するに、子どもの発言の交通整理ができるようになった。


 これが大きい。


 今、Aさんはわたしに言う。

「かつて自分が経験したことのないような深い発言や幅の広い発言を、子どもたちはいっぱいするようになっていますので、わたしもしっかり教材研究や子どもの思い、考えを知るようにしないと、わたしが子どもからおいていかれそうになってしまいます。毎日緊張の連続ですよ。」


 わたしは、このAさんの言葉を、すごく重く受け止めた。まさに、Aさんに感動させられた。

「そうだね。先生自身が、多くの初体験に遭遇し、今、学んでいる真っ最中なのだろうね。

 でも、以前、先生がやっていたことも、もう一度再評価してごらんよ。

 たとえば、理解していないと思う子どもがいたら、Aさんが説明してやっても、今なら、大丈夫なのではないかな。もう、自信喪失の子どもたちではないから、よく先生の話を聞いて、理解するようになると思うよ。」


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 校長先生がおっしゃっていました。

「いやあ。Aさんはすごい成長ですよ。

 わたし、半年くらい前、彼に言ったことがあるのです。『わたしが、Aさんのクラスの子どもだったら、なんか先生の話があっちいったりこっちいったりして、次々とまくし立てられるので、わけが分からなくなり、今、一体何の勉強をしているのって言いたくなっちゃう。』ってね。

 ほんとうに、彼が説明しだすと、混乱状態になることが多かったですね。

 toshi先生。先生の指導のおかげです。ありがとうございます。」


 でも、今思います。

 半年くらい前の混乱状態は、わたしにも責任があったのです。『Aさん自身が、なかなかわたしの指導(?)を吸収できない状態だったな。悩みも多かったのではないかな。』と、今、思うのです。反省しています。

 そのように、校長先生には、お話しました。


 最後に、

 これまでのAさんやその学級にまつわる記事にリンクさせてください。


    4月17日  新しい学校が決まった

    5月22日  思考力養成はじっくりと、

    8月4日   すぐ涙ぐんでしまう子

    9月11日  初任者の成長(8) 初任者の変容と子どもの成長と

    1月12日  教えない指導。でも、?

    

rve83253 at 06:23│Comments(8)TrackBack(0)初任者指導 | 学級経営

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この記事へのコメント

1. Posted by まい   2009年02月25日 11:34
こんにちは。「むかしっておもしろい」に対する子どもたちの考えの深まりはすごいですね。私たち大人でさえも、むかしには良い面もつらい面もあったとわかっていながら、過去を美化しすぎたり、反対に否定しすぎたりしてしまいがちなのに、子どもたちの曇りのない目に感心しました。

話は変わりますが、聞きかじりなのですが、麻生首相が以前「イヌが家族の一員」という教科書の記述にクレームをつけたそうですね。なんでそんなことを言うのか理解できません。どこまでが家族かなんて、その家庭で感じていればいいことですし、家族の間でも統一する必要もないと思います。自分と一緒に生活する生きとし生けるものを家族とするという考え方は、むしろとても素敵な発想だと感じます。

また話は変わります。「育児は育自」という言葉がありますが、学校の先生も子どもたちとともに成長していくものなのですね。それをそっと援助しているtoshi先生のお仕事素晴らしいです。これからもご活躍ください。
2. Posted by toshi   2009年02月25日 17:28
まいさん
 教科書の記述に無批判に従うのではなく、自ら主体的に考える姿勢が養われていることは、わたしもとてもうれしく思いました。

 麻生さんがそのようなことを言ったのですか。わたしは知りませんでした。生活科の学習内容なのだと思いますが、国も、『家族が犬を家族と思って心を通わせているのなら、犬も立派な家族です。』と言ったのですがね。何でも、思いつきで軽く言ってしまう人なのでしょうね。

 わたしも、体力の続く限り(と言っても、別にそんなに体力を必要とする仕事ではないですが、)続けさせていただこうと思っています。
 今後ともどうぞよろしくお願いします。
3. Posted by まい   2009年02月25日 21:26
お返事、どうもありがとうございます。
麻生首相の発言について、元記事を挙げておきますね。
東奥日報22日の発言録です。私もまだ全部読めていませんが、教育については一番最後に語っているようです。日教組憎しの発言でしょうか??

http://www.toonippo.co.jp/news_too/nto2009/20090222.html
4. Posted by toshi   2009年02月26日 06:02
まいさん
 記事の紹介、ありがとうございました。
 つい最近、言ったのですね。ずっと読み、このような話のなかで、どうして、『犬も家族』云々の話になるのかと、不思議に思いながら読みました。
 おもしろいなあと思ったのは、
『我々がそういう教科書を変えた。』
 そうか。教科書は、首相たちが変えるのか。
 教育の中立は、どうなってしまうのでしょう。
 でも、いい加減な人ですから、突っつかれれば、またぶれるのでしょうね。祖父母と犬が同列に扱われているといって、文句を言っているのですね。
『どちらもかけがえのない家族』。
いけないのでしょうかね。
5. Posted by がちゃ@   2009年03月01日 01:08
このような「変容」、ぼくも体感してみたいです。
6. Posted by toshi   2009年03月02日 01:08
がちゃ@さん
 初任の先生でいらっしゃいますか。
 姉妹ブログの『小学校初任者のブログ』ともどもよろしくお願いします。
7. Posted by 中田   2009年03月09日 14:40
息子のクラスは担任が頻繁に欠席し、代わりを教務が代理をして、その後、新米の先生が来ました。
やはり、その度に、小さなことですが、息子の学校での話とか、家での様子も、その度に変わっていったと思います。

プチ学級崩壊と言われたクラスが、ベテランの先生が担当すると、普通になるのが、親として、さすが!!と尊敬の念を抱くと同時に、子供と言うのは、やはりまだ純粋な部分があって、大人に左右される生き物なのかもしれないと思いました。

8. Posted by toshi   2009年03月10日 07:09
中田さん
《子供と言うのは、やはりまだ純粋な部分があって、大人に左右される生き物なのかもしれないと思いました。》
 いやあ。もう、ほんとうにおっしゃるとおりです。基本的に、子どものやる気、向上心などは、子どもの身の回りにいる大人の指導力(配慮、気配りなども含む。)に大きく左右されること、間違いなしです。
 ですから、拙ブログの、『鉄は熱いうちに打て』シリーズ(URLを本コメントHN欄に貼り付けました。)に書かせていただいたように、子どもが幼いうちからどれだけきめ細かな指導ができるかが重要なのですね。
 

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