2009年03月11日

教員にとっての研究研修とは、4

b5617028.JPG 教員にとって、研究研修は、権利であるとともに、義務でもある。これは、教育基本法や教育公務員特例法などに規定されている。

 また、法的に云々する前に、子どもの教育に携わる身として、自身の指導力アップをはかることは当然のことであろう。

 これまでも、その必要性は力説してきた。

 代表的な記事は、

    教員の資質を高めるために、

であっただろうか。


 ところで、教員にとっての研究研修の必要性のうち、一番大きなものは何であろうか。

 わたしは、上記リンク記事にも書かせていただいたように、

 『子どもを、やる気にさせる指導法』の研究

 それが一番だと思う。やる気にさせることができれば、『知識・技能』の習得は後からついてくる。


 ところが、かつて、『なぜ教員は研究授業をやるの。』なる記事を書かれたブログを読み、あぜんとしたことがある。

 今、そのブログはないようであるが、わたしの記憶で書かせてもらえれば、次のようになる。それは、ある保護者の声だった。


 なぜ、学校の先生は、研究授業などをやるのでしょう。子どもはいるのに、その子どもたちに自習をさせて、自分の教室を空け、一人の先生の授業をみんなで見るのです。どうでもいいような授業をみんなで見て、いったい何になるのでしょう。もっと目の前にいる子どもを大切にしてほしいものです。


 わたしは、そのとき思った。


 『ああ。この方のお子さんが通う学校の研究授業は、保護者から見たとき、教員の指導力アップに何も結びついていないのだな。』
と。

 それは、とても残念なことだった。


 そうした、やる意味を疑問視される研究授業があることは確かだ。

 しかし、そのことにふれるのは後回しにさせていただいて・・・、


 わたしは、拙ブログに、何度も、『教員修行時代』があったことを書かせていただいている。


 今、その代表的な記事にリンクさせていただこう。なお、これは、ブログではなく、『小学校初任者のホームページ』の方である。

    わたしも若いときは


 このように、若いときの自分の指導を変容させることができたのも、研究授業等を積み重ねることによって、先輩教員から指導上の課題等を指摘され、学ばせていただいたからである。研究研修に励んだ結果であった。

 また、そういう職場に身をおくことができたのは、自分にとってほんとうに幸せなことであった。深く感謝している。

 このように、研究授業は、教員の指導力アップの観点からみても、欠かすことのできないものである。



 さあ。それでは、話を元へ戻して、

 先ほどふれた、ある保護者の声も、理解できるのだ。


 わたしは、そうした、指導力アップに結びつかない、研究のための研究といおうか、研修のための研修といおうか、目の前の子どもの、『やる気』『意欲』の向上に結びつかない、そんな研究授業も経験してきた。


 本記事では、そのことにもふれて、研究授業はどうあったらよいかを考察してみたい。

 
 わたしは、教員修業を経験させていただいたA小学校に11年(わたしの30代は、すべてこの学校であった。)勤務させていただいたあと、B小学校に異動となった。


 この学校の研究は、一風変わっていた。

 授業をパターン化し、4つの型に分けるのであった。『どんな指導力の教員でもやることのできる授業』というのがうたい文句であった。

 そう言えば、どこかの研究グループが言っているのと似ているね。

 そのため、目の前にいる子どもたちの思い、こだわり、疑問などは、軽視された。

 何をどう教えるか、そのためには、一斉学習がいいかグループ学習がいいか、また、何をどうとり上げるのがいいか、など、など。

 そこにあるのは、教員の側からの、指導上の必要感のみであった。


 いや。もう一つ、特徴的なことがあった。

 子どもも4つのタイプに分類するのだ。発表を得意とするタイプ、調べ学習を得意とするタイプ、知識欲に燃えるタイプ、どれにも属さないタイプというように。


 心のなかでは、『ああ。何という研究だ。』そう思ったが、口にすることはできない。

 なにしろ、この研究の実質推進者は、校長であったのだから。


 わたしは、表向き、この研究にお付き合いした。その学校に身をおく以上、のがれようはないからね。

『今度の研究授業は、〇型の授業をやります。そして、このタイプの子どもには、こうした手だてを講じます。』というように。


 しかし、裏では、一人ひとりの子どもの思い、こだわり、疑問などを大切にして、それを軸にした授業の流れを組み立てていた。表向き、それを言わなかっただけだ。


 しかし、それは、以心伝心、他の教員に伝わっていく。

 わたしのクラスの子どもたちを前学年で担任したCさんなどは、あけっぴろげな教員だったから、研究授業のあと、大声で叫ぶように言ってくれた。

「いやあ。toshi先生の授業はすごいわ。わたしが受け持っていたときと、子どもたちの表情がまるで違う。Dちゃんなんか、わたしの授業のときはいつもつまらなさそうにしていたのに、今日なんか、『はい。はい。』って言って、すごく意欲的に手を上げて、いきいきと発言しているのだもの。わたし、びっくりしちゃった。」

 Cさんに、そんな思いはまったくなかったと思うが、多くの教員は、それを校長批判と受け取ったようだ。


 わたしは、しだいに、校長から、うとましい存在とみられるようになっていった。

 でも、嘆く必要はなかった。だって、子ども、保護者とは、強い信頼関係で結ばれていたのだから。



 以上、研究授業は、子どもを変容させ、伸ばすものであり、それは、授業を直接見ていない保護者にも感じ取れるものでなければならない。

 研究のための研究、ノルマをこなすような研究授業、それだったら、子どもを自習にさせてまでやる意味がない。


 今は、教員評価、学校評価の時代だ。

 学力調査万能のような、いやな雰囲気もある。

 それをはねっかえす意味でも、研究を実のあるものにしたいものである。


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ninki



 冒頭、『やる気にさせることができれば、知識・技能の習得は後からついてくる。』と書かせていただきました。

 しかし、これは、考え方を述べたもので、

 もちろん、学習内容、教材研究等も大切です。ただただやる気にさせることだけ考えればいいというものではありません。

 でも、やはり、一番大切なのは、目の前にいる子どもたちの、『子ども研究』なのでしょう。

 そうして、こうして獲得した、『知識・技能』こそ本物であり、生きてはたらく力になるのだと思います。

 また、こうとらえることが、一見回り道のようであっても、一番確かな、『知識・技能』の獲得となるのだと思います。

    (2)へ続く。

rve83253 at 04:37│Comments(12)TrackBack(0)授業 | 自己啓発

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この記事へのコメント

1. Posted by 社会人   2009年03月12日 01:49
先生のおっしゃる通り
「子供をやる気にさせる指導力」が大切だと
思います

いつもニコニコして
日だまりの様な
温かな先生の話を
皆よく聞いていて
魔法にかかった様に
手を挙げる

学習の導入で
予め用意した仕掛けに
子供の課題へ取り組む意欲を掻き立てる

楽しく学んで
身につく

理想です♪

その為の教材研究や
教材作りはいつも残業して作りますorz

時間の余裕は
マイナス200%です
2. Posted by toshi   2009年03月12日 06:20
社会人さん
 社会人さんがおっしゃる理想が、現実のものとなる学校でありたいですね。
 そのためには、学校がのびのび、いきいき、自由な環境で、学んだり教えたりすることができるようにしなければなりません。
 しかし、行政や一部の市民は、そのようなことをしたら、怠惰になると決め付けているようです。
 人間というものは、のびのび、いきいき、自由にしたら、情熱をもってがんばるようにもなるし、また、逆に、怠惰にもなるし、そういう意味では双方とも真理です。
 ならば、情熱をもってがんばるような、あるいは、がんばらざるを得ないような、内発的動機付けの政策をとってくれればいいのですがね。
 今のところは、競争させるとか、序列化するとか、差をつけるとかの、消極的、外発的、そして、恐怖を伴っての動機付けしかないようですね。
 残念でたまりません。
3. Posted by kawa   2009年03月13日 04:37
研修の必要性は、強調しすぎてもしすぎることはないと思っています。その会の質は問わなれければいけないとも思いますが、それでも自分を磨く場は探し続けたいと思っています。

コメントで〈toshi先生〉が述べられている今の教育観は、マウスなどの動物実験から導き出された行動学によるものと聞いています。
どうりで、教育というより調教に近い感じがするのですね。
4. Posted by 中田   2009年03月13日 08:47
保護者は学校の表の顔しかしらないので、
見えないところで先生方が努力されているのを聞くと、頭の下がる思いがします。

子供は、自分を見て!見て!という欲求が強いと思います、特に小さいうちは。
昔から人望のある先生は、何十人という生徒達を相手にしながらも、まるで子供達一人一人は、先生は自分に目をかけてくれている、見守ってくれてる!と感じさせる方だと思います。

もちろん、始終、その子一人を、
特別に思ったり、扱うわけではないのだけれど、
ちょっとした声がけや配慮で、
子供は何か安心感のようなものを感じますね。

もちろん、それ以前に、家庭で愛されている感が、
しっかり本人にあることも肝心ですよね。

自己肯定感がある子供は精神的に落ち着いていますし、他人も認められる心の余裕がありますし、
確かに、学習内容もさることながら、子供の心を掴むことが、重要なのですね。

息子の大好きな先生の楽しい授業についての話を思い出しながら、わかるわかる…とうなずきながら、この記事を読みました。




5. Posted by toshi   2009年03月13日 17:39
kawaさん
《今の教育観は、マウスなどの動物実験から導き出された行動学によるものと聞いています。》
 そうなのですか。知りませんでした。確かに、人間に対して調教では、たまりませんね。

 
6. Posted by toshi   2009年03月13日 17:52
中田さん
《子供は、自分を見て!見て!という欲求が強いと思います、特に小さいうちは。》
 以前、『認めてもらいたい欲求』なる記事を書いたことを思い出しました。本コメントのHN欄にURLを貼り付けましたので、ご覧いただければ幸いです。
《家庭で愛されている感が、しっかり本人にあることも肝心ですよね。》
 はい。口はばったい言い方になりますが、やはり、基本は家庭ですね。家庭で十分愛されている実感のある子は、学級生活においても、自己肯定感を持ち、明るい生活を送ることができると思います。

7. Posted by bird   2009年03月14日 06:51
初めまして。
ブログ村のリンクから、先生のブログを読ませていただきました。
私は、先生の「研修」の在り方に、心から賛同いたします。
なぜなら、先生のブログを読ませていただくと、教育は誰のためのものか?というところが、はっきりと「目の前の子どものため」だとあったからです。
「目の前の子ども」・・・つまり、今、自分が接している、現在の子どものための研修、ということになりますよね。
よくある研究授業は、やはり誰のための研究?と思うものが多いように思います。
でも、私の周りには、お金をかけてでもいい、休みの時に出かけてでも研修してきたいという仲間がいます。
何を研修してくるのか。
今、担任している子どもたちが楽しんでくれることや、そういったことを実践していらっしゃる先生の授業など。

先生のブログ、これからも読ませていただき、私の心のエネルギーにさせていただきます。
これからも、よろしくお願いいたします。
8. Posted by toshi   2009年03月15日 08:17
birdさん
 教員なら、誰もが、子どものためと言います。しかし、ほんとうに、子どもの思い、こだわり、疑問を大切にしているかというと、それはまた違うのですね。
 『将来のこの子にとって必要なことだから。』という名目のもと、ほんとうに必要なのかどうかは子ども自身が決めることだと思うのですが、そういう力を養いもしないで、教員の信念、思い込みで決めてしまうのは、やはり問題だと言わざるを得ません。
《私の周りには、お金をかけてでもいい、休みの時に出かけてでも研修してきたいという仲間がいます。》
 これは、一概には言えません。『自分の仲良し集団の研究研修以外は拒否する。』というのから、『いろいろあるけれど、帰ってきたら全教員に学んだことを報告したい。』というものまで、実にさまざまな様態があると思います。
 《先生のブログ、これからも読ませていただき、私の心のエネルギーにさせていただきます。》
 このようにおっしゃっていただき、恐縮しております。ありがとうございます。
 今後ともよろしくお願いします。 
9. Posted by しょう   2009年03月17日 22:35
 “しょう”と申します。はじめまして。
 研究授業の大切さについては本当におっしゃるとおりだと思います。

>一番大切なのは、目の前にいる子どもたちの、『子ども研究』なのでしょう。
>そうして、こうして獲得した、『知識・技能』こそ本物であり、生きてはたらく力になるのだと思います。

 上記にも深く賛同するものです。(ワンクリック投票させていただきます。)

 ところで、「こどもの学びを基軸にした研究授業」は遅まきながら高校でも始まっています。
 TBさせていただきますのでよろしければご一読いただけますか。
10. Posted by しょう   2009年03月18日 06:11
 すみません。TBがうまくいかないようですので上記記事のURLをおかせていただきます。

http://plaza.rakuten.co.jp/shchan3/diary/200903140000/
11. Posted by toshi   2009年03月18日 10:27
しょうさん
 コメント、ありがとうございます。そして、TBがうまくいかないようで申し訳ありませんでした。
 しょうさんのブログを拝読しました。高校における校内研究会の取組はすばらしいものと思いました。その効果のほどもよく分かりました。
 わたしは、中学、高校においてこそ、子ども主体の授業が行われるようになってほしいと切望しております。かつて記事にもさせていただきました。  しかし、日本では、受験に追われるなか、また、高校の場合は、受験を経てきているだけに、子どもは同質集団とも言えるでしょうし、そうしたなかでの授業研究は大変だし、課題もいろいろあるだろうと思っています。それだけに、果敢なる取組に、敬意を表します。
 こうした取組がどんどん広がっていくといいですね。

 わたし、フィンランドの教育についても、記事にまとめさせていただいたことがあります。貴ブログを拝見し、ちょっと興味をそそられました。すばらしい記事になっていると思います。
 熟読させていただいて、コメントを入れさせていただこうと思います。
 今後とも、どうぞ、よろしくお願いします。
12. Posted by しょう   2009年03月20日 21:57
 ご訪問いただいた上に、大変ていねいなコメントをいただきありがとうございました。
 教育実践と若い教職員の指導を精力的に進めておられるあなたのブログ、今後も応援させていただきます。

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