2009年03月14日

教員にとっての研究研修とは、(2)4

e7d27dca.JPG 本記事では、前記事の末尾に書かせていただいた、『目の前にいる子どもたちの子ども研究』について、具体的に書かせていただこうと思うが、

 そのまえに、前記事について、三つほど、補足をさせていただきたい。


 一つ目は、前記事で、リンクさせていただいた『わたしも若いときは』の授業についてだが、

 これは、双方とも、研究授業として行ったものではない。

 あくまで、研究授業の大切さを、

『研究授業を積み重ねた結果、ふだんの授業もこのように変容していったのです。』という意味をこめて申し上げたかった。


 さらに、二番目だが、

 このとき、我が勤務校は、『一人ひとりの子どもの心の豊かさを育てるための学級経営の研究』に取り組んでいた。

 この、学級経営の研究に取り組むにあたっては、正直のところ、教員の中に、抵抗感がなかったわけではない。一人ひとりの教員にとって、『自分自身の人間性を問われる。』など、よりきびしい状態におかれることは容易に予想できたからだ。

 しかし、全教員の共通理解のもと、あえてその研究に取り組んだ。

 その辺の事情や、研究の実際については、下記リンク記事をごらんいただきたい。かなり具体的に述べていると思う。

    学級経営の研究へ 問題解決学習の問題点(5)

 そうした研究の結果、『わたしも若いときは』にあるような、わたし自身の変容があったのだと思う。


 もう一つ、三つ目に、

 もう読者の皆さんにはご理解いただけたと思うが、研究授業の成果というものは、授業者一人のものではないということだ。

 学校によって、重点研究とか、共同研究とか、いろいろな言い方はあると思うが、要は、学校が一つになって取り組むことにより、研究成果は当該校の全教員の共有財産となっていくのである。

 もちろん、一番力をいただくのは、授業者であること。それは間違いない。

 
 
 以上、お断りした上で、

 それでは、本日の記事である、『目の前にいる子どもたちの子ども研究』について、それはどのようなものかを述べさせていただきたい。


 ここでは、座席表指導案なるものを紹介させていただこう。例としてあげさせていただくのは、3年生の理科、つい先日行われた、『豆電球にあかりをつけよう。』の単元である。


 指導案では、まず、単元に入る前の子どもの実態が述べられる。

 興味深いものだけ書き記してみよう。なお、学級の児童数は29人である。

〇豆電球をつけたことのない子は9人。

〇『豆電球にあかりをつけるために必要なものは、』の問いに、
 ・電池と導線を上げた子は4人。
 ・電池のみ上げた子が11人。
 ・その他、スイッチ、ボタン・電気などという答えが6人。
 ・無回答が8人。
であった。

〇豆電球にあかりをつける方法を知っているか問うたところ、
 ・知らないが22人。
 ・知っているが7人だったが、正しいつなぎ方を書いた子は1人だった。

 そういう実態で本単元に入ったわけである。


 ここで、指導者の願いを述べる。

 元来、この単元で押さえるべき主な内容は、

〇豆電球をつけるには、電池と導線と豆電球とで、一つの輪にする必要があること。
〇電気を通すものと通さないものとがあること。

その2つである。

 しかし、指導者は、それが分かればいいとは考えていない。


 『なぜ輪にしなければならないのか。』『輪にするとはどういうことなのか。』を通し、『電気は流れるもの。だから、通り道を途切れさせないために、輪にするのだ。』

 また、途中に、電気を通さないものがあると『輪が途切れてしまう。』つまり、『電気の通り道を途切れさせてしまう。』

 そうしたことを実感できる子どもにしたいと思う。


 そして、『電気が流れる』という意識は、上学年のモーターや電磁石の学習につながっていくであろうし、

 家で電球がつかなくなったとき、『どこの通り道が途切れたのだろう。』と考える子どもにしたいと考える。

 また、電池の中には、『電気がぎっしりとつまっているのだ。』という認識をもつようにしたい。


 さて、前時、子どもたちは、試行錯誤を繰り返しながら、豆電球にあかりをつけようとした。うまくついて、『ばんざあい。』と狂喜したり、つかなくて、『何でつかないの。』と悩んだりした経験を繰り返した。

 そして、一人ひとりの子どもは、そうした体験を通しての思いを、ノートに書いている。また、担任はそうした一人ひとりの子どものノートを、本実践の冒頭に述べた、座席表指導案に、書き記している。 
  

 
 それでは、この座席表指導案から、本時の授業に生かしたい子どもの思いをいくつかピックアップしてみよう。児童名はもちろんイニシャルとする。

A 電池と導線の中は、電気でいっぱいになっていると思っている。ついた豆電球はあたたかくなることにも気づいている。本時、電池のなかに電気がいっぱいつまっているのだという認識に迫れるか。

B プラスとマイナスという言葉を知っている。本時、電気は流れるというイメージをつかめるだろうか。

C 豆電球の仕組みに目が向いている。豆電球のなかは導線とつながっていて、それが電池につながって光ると考えている。本時、電気の通り道が輪のようになっていることに気づいてほしい。

D 電池のむきに関係なくつくことに気づいている。そして、それを不思議がっている。本時、電気の通り道が輪になっていることが押さえられたら、この子を活躍させたい。

E 片一方の導線を電池の横につないでもつかないことを不思議がっている。つかないつながり方をとり上げるときに、この子の発言を生かしたい。

F ソケットの仕組みを細かくよく見ている。ソケット、豆電球まで含めて輪になっていることの理解は本時やる内容ではないが、輪になることの学習の際、もしそれを発言したら、次時以降の学習問題につながるので、大切にしたい。

G 観察眼にすぐれ、フィラメントを虫眼鏡で見て、ギザギザになっていることを気にしている。それが光る秘密になっていることをとらえられるか。しかし、これは、3年生の段階では高度に過ぎるので、とらえたらほめてやろうと思うが、全体に押さえるようなことまではしないようにする。

H 鉄に電気があると思っているのか、教卓の鉄の部分に導線をあて、『豆電球がつかないよ。おかしいな。』と言っていた。そのことをノートに書いたわけではないが、電池のはたらきに気づく上でいい疑問と思われるので、発表力のある子だし、授業の前半で活躍させたい。

I 豆電球がつかない理由として『電気が動かないから。』また、豆電球がつくと、『豆電球がはたらいて、』と表現している。この表現について、みんなで考えるなかで、『電気は流れること。』につなげていきたい。

 〜。


 以上、無作為に書いてみたが、21人についてこういう記述がある。8人は空欄だが、それは、何もノートに書けなかったということではなく、絵や文をかいたが、意味が、指導者にくみ取れなかったとか、ちょっと実験や観察したこととはニュアンスの違うことが書かれていたとか、そうしたたぐいのことで空欄となった。


 以上で、座席表指導案に関する記述を終えるが、

 どうだろうか。『目の前にいる子どもたちの子ども研究』について、その具体例をご理解いただけただろうか。


 『あらかじめ、子どもの思いを把握しておくことなくして、授業なし。』

 そんな言葉はないけれど、

 子どもって楽しいし、

 意表をつくような思いの連続だけれど、

 それだけに、子どもの思いによって、授業を組み立てるのは楽しいものだ。

 もちろん、授業はみずもの。なかなか予測どおりにいくものではない。それがまた、こたえられないのだ。プロの教員のプロらしさの発揮どころ。

 また、子どもだから、授業に臨めば、前時書いたことを忘れてしまうことだってある。予期していたこととはまったく違う発言をし、ガクッとくることもある。


 でも、でもだ。

 問題解決学習が子どもに定着すればするほど、学習の流れに必然性がでてくるし、子どもたちは解決せずにはいられない気持ちで授業に臨むようになるし、

 以前、『大河ドラマのような授業を、』と書かせてもらったが、ドラマの次を待ち望む視聴者のように、次の授業を待つ気持ちになるし、

 したがって、上記のような、『ガクッ』は、少なくなっていくものだ。



 最後に、問題解決学習に必然の、『子ども研究』について、いくつかの考察記事を書かせていただきたい。

〇問題解決学習は、座席表に書かれた子どもの思い、こだわり、疑問等によって、授業の前半は、進行していく。そして、その話し合いのなかで、一件落着すると、そこから、あらたな学習問題が成立していく。

 本時だったら、授業者は、『輪になったら、何がどうなって、あかりがつくの。』というところへ収斂すると、予測している。

 そして、子どもたちが、輪をもっと細かく見ていこうとすれば、ソケットや豆電球のつくりへ。

 また、『輪になっていてもつかないときがある。』というところへ関心が向かうなら、電気を通すものと通さないものへ学習が進むだろうと予想する。

 
〇座席表指導案には、子どもの個性にかかわることもけっこう書かれている。

 たとえば、

『自然現象を人の行為にたとえて発言することが多い。』
『観察眼にすぐれ、〜。』
『電池のはたらきを自分たちの生活とつなげて考えようとしている。』
『実験・操作は好きだが、考えをまとめることはいまいち〜。』
『見えない世界を予想するのが好きで〜。』などだ。

 指導者は、こういうことも考慮において、授業の組み立てを考えている。


〇教え込みの授業と違い、授業の構想は複線だ。子どもの、こういう思いが強ければこう、そうでなければまた別な流れというように。

 だからと言って、やたら子どものペースにゆだねていいわけはなく、押さえどころはちゃんと押さえている。

 要は、子どもがどう思うかだ。指導者の発問によって、指導者のレールに乗って授業がすすんでいると思うか、ぼくたち、わたしたちが、授業の流れをつくっていると思うか、そこが、『自己教育力』『生涯学習力』にかかわって、大事なポイントであろう。


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 座席表指導案に書かれた、一人ひとりの子どものこだわり、思い、疑問についてですが、

〇これは、ノートの記述だけにたよっているのではないこと、お分かりいただけたと思います。前時、子どもたちは、電池、導線、豆電球を使い、自由に、あかりをつけようとして、いろいろな実験をやったわけですが、そのときの一人ひとりのやっていることを、つぶやきなどとともに、ていねいに拾っています。指導者の観察眼が必要だということを示しています。

〇子どもによっては、その学年の学習内容をこえて、すごい知識を披露したり、観察をしたりします。それは、認めてやらなければいけません。しかし、全体への押さえまではしないようにします。どの子にも理解させるには高度すぎるからです。
 この辺は、教材研究をしっかりやって、どこまでが当該学年の学習内容であるのかを把握しておくことが大切です。

〇また、わたしは、常々、『どの学力の子にも合った授業をしなければいけません。』と言っていますが、子ども主体の学習は、どの子の発言も認めますし、疑問はみんなで考え合いますから、必然として、どの子にも合った授業になるのです。 

rve83253 at 22:45│Comments(10)TrackBack(0)問題解決学習 | 理科指導

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この記事へのコメント

1. Posted by きむきむ   2009年03月15日 23:50
5 茶っと倶楽部母の輪のきむきむです。
メールのお返事ありがとうございます!!
嬉しいです。なにしろパソコンもブログも慣れていないので、何をどうしていいのかわからなくてすみません。toshiさんのブログを見つけてうれしくて。
先生方もいろいろ考えてくださっているのだなー。と思いました。親が子供の困ったことにぶつかったとき、学校は先生はなにをしているの?何もしてくれない。とついつい責任転嫁してしまいます。本当は親こそ気付かなきゃいけないのに。親も学ぶべきです。でもそういう場はなかなか無い。
話題になったモンスターペアレントも悩みや迷いをぶつける場も、気付ける場もないから学校にぶつけていくのかもしれない…と私達は母のお茶会サークルを始めました。学校への愚痴も日々の愚痴も自由に語って母のガス抜きができる。と、悩める母が集まっています。母が元気なら子供も元気になる。子供が元気なら学校も地域もそして、未来も元気になる。
そんな思いで母達が始めました。もし、同じような活動をされている方をご存知なら教えてください。
2. Posted by toshi   2009年03月16日 06:37
きむきむさん
 コメントもいただき、ありがとうございます。
 ブログも開設され、おめでとうございます。茶っと倶楽部母の輪がますます盛り上がっていきますよう祈念しております。
《モンスターペアレントも悩みや迷いをぶつける場も、気付ける場もないから学校にぶつけていくのかもしれない。》
 そうした側面は確かにあるでしょうね。今の時代は、親も孤独なのかもしれません。そういう意味でも、貴会の存在は、きっと大きい支えになると思います。口幅ったい言い方になりますが、貴会は、学校にとってもとてもありがたい存在ということができると思います。
 我が地域では、最近、PTAの姉妹組織として、(兄弟組織かな。)『おやじの会』なるものが盛んです。同じ目的もあると思います。
 いずれにしても、保護者同士、心の通い合いができれば、先ほどは、『学校にとっても』と書きましたが、ほんとうは、『子どもにとって、』幸せなことですね。
3. Posted by 中田   2009年03月16日 14:31
〇また、わたしは、常々、『どの学力の子にも合った授業をしなければいけません。』と言っていますが、子ども主体の学習は、どの子の発言も認めますし、疑問はみんなで考え合いますから、必然として、どの子にも合った授業になるのです。 

これを聞いて安心しました。
巷では、教科書のレベル、進度を、どの学力のレベルに合わせるかという観点で、語られることが多く、私もそういう考えをしていましたので、
授業を参加し、皆がそれぞれに、何かを感じ、学ぶことは、結局、レベルうんぬんの話ではなく、
これこそが公の教育などだろうと思います。

そして、こういう経験は絶対に必要です。
単に知識だけならば、学校なんかいらないのです。


 だからと言って、やたら子どものペースにゆだねていいわけはなく、押さえどころはちゃんと押さえている。
 要は、子どもがどう思うかだ。指導者の発問によって、指導者のレールに乗って授業がすすんでいると思うか、ぼくたち、わたしたちが、授業の流れをつくっていると思うか、そこが、『自己教育力』『生涯学習力』にかかわって、大事なポイントであろう。


 これは、家庭ではできないことです。
沢山の仲間がいてこそですね。
先取り学習の弊害は、ここにあるのかもしれません。
答えを知っていたら、深く知る好奇心は生まれませんものね。

 

4. Posted by toshi   2009年03月16日 21:51
中田さん
 『どの学力の子にも合う授業』は、どの子も、自由に発言できる雰囲気が学級になければなりません。それはすなわち、どの子の発言も大切にする学級の雰囲気とも言えると思います。
 授業のかたちがいくら問題解決学習になっていたとしても、一部の子どもの発言だけで進むようだと、大部分の子にとってはわけの分からない授業になってしまうので、これでは、成果を期待できないことになります。
 おっしゃるとおり、みんなで高め合うというか、深め合うのですから、家庭では無理ですね。
 
 わたし、よく思うのですが、個別指導ばかりだったり、教え込みばかりだったら、原理的に言わせてもらえれば、学校へ来て学ぶ必要はないのではないか。親だってその気になれば教え込むことは可能と思うのです。
 
5. Posted by 社会人   2009年03月17日 01:30
先生の記された
子供が主体になる授業を目指して
研究したいと
思います

まずは
色々な授業を
拝見したいです
6. Posted by toshi   2009年03月17日 06:33
社会人さん
 社会人さんの教員生活への励ましになれば、ブログ人生において、これにまさる幸せはありません。とてもうれしく思います。
 そう。いい授業を見ることも大切ですね。
7. Posted by きむきむ   2009年03月18日 01:58
ありがとうございます。
おやじの会!!私の地域でも盛んになってきています。PTA活動と連動しているというか、活動のための会といった感じになっているようです。もちろん親同士の交流ができてとってもいいです。
私達がまず目を向けたのは、懇談会やPTA活動の中ではできない話をしたい、というところでした。
いじめの話、不登校の話、発達障害の話などでした。元気のある子を持つ親とは話が合わないのです。それどころか諭されてしまいます。
辛い状態の子供の親はさらに孤独です。周りに責められ、自分を責め。
でもこうして話しができると違ってきます。
それに、toshiさんのブログを見るとほっとします。
先生方もやっぱり子供の事を一生懸命考えてくださっているのだと。親として、大勢いる子供達一人ひとりを見てほしいなんて無理は思いませんが、一人ひとりみんな違うということをわかっていてもらえたら嬉しいです。
8. Posted by toshi   2009年03月18日 11:59
きむきむさん
 ごめんなさい。わたしは、単なる保護者同士の懇親を深めるサークルくらいに誤解していました。
《辛い状態の子供の親はさらに孤独です。周りに責められ、自分を責め。でもこうして話しができると違ってきます。》
 ほんとうにそうですね。連帯、提携が、生きる力になっていくことでしょう。
 しかし、本来は、差別も偏見もなく、あるがままを認め合えて交流できる社会でなければいけませんよね。そして、貴会のような存在もあるという、そういう社会を目指したいものです。
 拙ブログにおいても、かつてそのような記事を書かせていただいたことがありました。本コメントのHN欄にURLを貼り付けましたので、よろしければごらんください。
9. Posted by きむきむ   2009年03月18日 20:31
ご丁寧にありがとうございます。
事の始まりは、いじめに悩む一人のお母さんと「自分の子だけではない、みんなが苦しんでいる。この世の中からいじめを無くしたい。そういう活動をしたいけど、どうしていいかわからない。」と話したことからでした。ちょうどお母さん達の悩みを聞いて相談機関につなげたい、と2年前から始めたサークルに所属していたので、ここで活動方針を明確にして私とそのお母さんが中心となって、仕切りなおしました。でも、あまり堅くなると集まりづらいので、懇親会のような感じです。
差別も偏見も無い世の中は理想ですが、簡単に現実にはなりません。今いるところで精一杯頑張ることが、少しずつでも理想に近づく道だと信じています。
またみんなでtoshiさんの記事を読ませていただきます。ありがとうございます。
今日は子供の学校の卒業式でした。来年度6年生ですが、クラスにほとんど行ってませんでしたが、担任の先生が転勤する、と泣いてしょんぼりしていました。いろんな思いがありますね。
10. Posted by toshi   2009年03月19日 07:14
きむきむさん
 よく分かりました。やはり、すてきな会だなという思いです。事態が深刻な方も、そうでない方もいらっしゃるでしょうが、自然体という感じがしますね。
《差別も偏見も無い世の中は理想ですが、簡単に現実にはなりません。今いるところで精一杯頑張ることが、少しずつでも理想に近づく道だと信じています。》
 わたしもこの考え方に大賛成です。無理なく、しかし、あきらめず、できる範囲で、しかし、精一杯やることはやるといった感じかな。それでいいのではないでしょうか。わたしもそんな考え方でブログをやっているような気がします。

 今日は、わたしが退職した小学校の卒業式です。これから行ってきます。わたしの最後の年に、2年生だった子が、卒業となります。わたし、分かるかな。ちょっぴり不安と、でも、再会をなつかしみ、同時にお祝いの気持ちを伝えてきたいと思います。

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