子どもたちとのお別れ初任者が希望と夢をはぐくめるように、

2009年03月20日

涙、涙の卒業式へ。5

23cd8d18.JPG 自分がいた学校の教育活動が、自分の退職後も盛り上がっていくというのは、ほんとうにうれしいことだ。

 涙、涙の卒業式だった。『こんなに卒業生が泣くものか。』と、驚かされた。

 というのは、わたしの担任のときも、その後、管理職になってからも、こんな卒業式は記憶にない。すごい卒業式だった。


 そう言えば、Aさんからは、今年も年賀状が届いたっけ。
そこには、
『わたしは今年も6年生担任です。toshi校長先生。卒業式にはぜひお越しください。校長先生がいらしたとき2年生だった子どもたちが、今年卒業します。子どもたちの成長した姿をぜひ見てやっていただければと思います。』
と書かれていた。

 そのとき、『そうか。Aさんは今年も6年担任か。必ずおじゃましないといけないな。』と思ったのだった。

 卒業式は、6年生としての学年経営の集大成とも言えるものだ。日ごろの学校、学級生活が、充実していればいるほど、子どもたちの姿が感動を呼ぶ。

 そんなわけで、Aさんの学年経営の成果を見せてもらうつもりで、出かけた。


 式後、Aさんに握手を求めながら、
「いやあ。すばらしかった。卒業生の一途な姿が、そこかしこに感じられ、ほんとうに感動的だったよ。Aさんの思いも強く感じることができた。・・・。いやあ。よかった。よかった。」

 Aさんも、
「ありがとうございます。toshi校長先生に、そのようにおっしゃっていただいて、とってもうれしいです。」

 そばにいた卒業生たち、なおも泣き顔ながら、とてもうれしそうに、そして、なつかしそうに、わたしにほほえみかけてくれた。



 今年の卒業式は、このB小学校の伝統を大切にしながらも、昨年までとはけっこう様変わりしていた。『Aイズム』が、B小全体に浸透してきていることを感じた。

 子どもをいっそう大切にしてきていることが実感できた。


 それでは、様変わりしたことを中心に、式の様子を書いてみよう。


〇卒業証書授与の際、子どもたちは、校長先生から卒業証書をいただくと、式場に体を向け、一言ずつ、自分の思いを語った。

「B小学校での6年間は楽しかったです。ありがとうございました。」
「A先生。C先生。充実した1年間でした。ありがとうございました。」
「中学校へいったら、部活と勉強をがんばります。」
「たくさんの友達ができました。中学校へ行っても、仲間を大切にします。」

 そういうのが多かったかな。

 
 どの子も、式場全体にひびくように、そして、訴えかけるように、声を出していた。
 もうこのとき、涙でうまく話せず、やっとの思いで語っている子が一人いた。

 校長先生も、授与の際、卒業生一人ひとりに、ほほえみかけながら、声をかけていた。


〇在校生(4・5年生)と卒業生とが向かい合い、呼びかけと歌でつづる『別れの言葉』。

 卒業生は、舞台前に設営されたひな壇に並ぶ。ここまでは例年通り。


 しかし、まず、ひな壇への向かい方が違っていた。

 最初は、男女一人ずつが立つ。そして、何と独唱から始まった。よく澄んでひびく素敵な歌声だった。そして、演奏中に、次から次へと席を立ち、壇上に向かう卒業生たち。歌いながらの整列が、見事だった。


 呼びかけでは、ふだん子どもが話しているような感じの表現が多用されていた。訴えかけるように、共感し合うように、そして、決意を表明するように・・・、


 子どもたちの思いが、こめられていたからであろう。

 次から次へと、言葉が続き、歌と合わせ、延々30分近くを要した。


 歌は、地声ではあったけれど、6年生がこんなにも歌うかと思うほど、声量あふれ、そういう意味で、見事だった。


 『おっ。やったあ。』と思うことがあった。

 それは、6年生担任の言葉から始まった。お祝いと励ましの言葉のあとに、
「〜。それでは、わたしたち、教職員も、卒業生へ歌を贈ります。」
 そして、『きみたちよ。光は空に、〜』
 少ない人数ながら、堂々と歌い出した。

 わたしも、この歌は知っていたから、来賓席からではあったが、歌わせてもらった。


 ひな壇から、教職員席を見つめる子どもたち。予期していなかったからであろう。感動の面持ちだ。

 このあたりからだったかな。もう、ひな壇で涙を流す子が続出した。呼びかけのせりふも、それまでの調子のようにはいかなくなった。『嗚咽とともに』となってしまった。

 
 来賓席からも、地域の方々のささやきが聞こえる。

「すごいね。今年の卒業式は。」
「まったくだ。涙、涙だな。」
「時間がものすごくかかっているようだけれど、長いっていう感じがしないね。」



 わたしも、子どもたちの感動とともに、

 もう、いっしょに生活したのは、彼らが1・2年生のときだったから、ほんとうに幼いときの記憶だけれど、一生懸命思い出していた。

 すでに何度か記事にさせていただいたが、今、その一つにリンクさせていただこう。

    『校長先生の代わりに』

 この記事に登場する外国籍の子というのが、今年卒業だ。あのときの幼な顔の面影は残しているものの、もう立派な青年といった感じだ。

 いやあ。ほんとうに、最近の小学生は、

 もう、6年生も卒業期となると、とても小学生には見えないような子が大勢いる。


 個別支援学級のDちゃんにも、すてきな思い出がある。

 やはり、1年生のときだった。

 わたしの顔をまじまじと見つめて、
「校長先生。痛い? 校長先生。痛い?」
心配そうに何度も聞くのだった。
 
 わたしは、なかなかその意味が分からなかった。何を、『痛い。』って心配してくれるのだろう。

 そうしたら、しばらくして、Dちゃんは自分の歯を指し示すのだった。


 それで分かった。

 わたしは、上の前歯がかなり開いてしまっている。空洞があるのだ。それを、歯が1本抜けたと思ったのだろう。

「大丈夫だよ。校長先生ね。ここあいちゃっているだけで、抜けたわけではないのだよ。だから、安心してね。・・・。でも、心配してくれてありがとう。」

 Dちゃんの肩に手を置きながら、感謝の気持ちを表した。後ろで、お母さんが、にこにこしながら見守っていたっけ。


 その、Dちゃんも卒業だった。

 校長先生からしっかり卒業証書をいただき、決意の一言も、壇上からしっかり話すことができた。


 ほんとうに、感動的な場面がたくさんあった。思わず独り言のようにつぶやく。
「ああ。拍手したくなっちゃいますね。」

 そうしたら、隣りの連合町内会の会長さん。
「そうだねえ。拍手はしちゃいけないのだねえ。」

いかにも、残念そうに応えてくれた。

 その分、退場のとき、盛大に拍手を贈った。


 来賓退場のとき、在校生と保護者席の間を通る。

 そのとき、わたしのすぐ前にいらしたのが、放課後学童クラブのチーフで、在校生に呼びかけていた。
「さあ。りっぱな卒業生のあとを、しっかりと引継ぎなさいよ。」
 子どもたち、『おお。』とばかり、ガッツポーズを見せていた。


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 わたしは、この式を通し、斉藤喜博氏の教育実践を思い浮かべていました。そのくらい見事だったと言っていいでしょう。

 来賓という立場になって4年目。これまで、式が終わり、家路に着くと、なにやら現職でないさびしさが先にたったのですが、今回は、充実感というか、満ち足りた思いというか、そうしたものがあり、例年とは違っていました。

 もっとも、現職時代がだんだん遠ざかるせいかもしれませんね。


 さて、

 卒業式に関する記事は、これまで、何度も掲載させていただきました。

 そのすべてにリンクさせていただきましょう。お時間がありますなら、ぜひ、ごらんください。

    感動の卒業式とは?
    来賓として
    母校(?)の卒業式へ
    卒業式シーズンに(国旗・国歌の問題)
    卒業式の式辞
    中学校長から学ぶ(1)

rve83253 at 07:36│Comments(5)TrackBack(0) 学校行事 | 子ども

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この記事へのコメント

1. Posted by きむきむ   2009年03月20日 15:57
卒業式の記事、なんだか涙が出てきました。卒業式の歌私も知ってます。自分が小学校6年間歌ってきた歌を自分の子供達も歌っていると、嬉しくなりましたが、去年のお兄ちゃんの卒業式では違う歌になりがっかりでした。
それはさておき、自分のも含め、何度か卒業式を体験してます。子供がいて初めて感動するって事がわかった気がします。いろんなことがあり、がんばってきた集大成だからこそ感動する。たとえ全てを知らなくてもそれがわかる。その証拠に自分の子供のでなくても感動するんですよね。みんなに伝わるんです。
こんなとき子供がいてよかったとしみじみ思います。音楽会も運動会も最初から最後まで見て感動する。うちの子だけビデオで追って帰るなんてもったいない…ってわかったのは割りと最近でした。
今は親も忙しく気持ちに余裕がなくて、感動する暇さえないのかもしれません。もっと学校に行こう、もっと子供を見よう。みんなが気付いてくれたらいいな。学校の行事に楽しんで参加すればいいのにな。なんて思いました。
2. Posted by toshi   2009年03月20日 23:27
きむきむさん
 卒業式の歌。わたしも教員として、15年近く歌ってきました。指揮をやらせていただいたときもありました。大変光栄に思ったものです。
《子供がいて初めて感動するって事がわかった気がします。いろんなことがあり、がんばってきた集大成だからこそ感動する。》
 おっしゃること、よく分かります。教員という仕事は、その感動を享受できるほんとうにすてきな仕事だと思うのですが、そういう感覚を持たず、やたら言うことをきかせるだけだったり、自我から抜け出せなかったりするものもいて、そういう教員は、見ていて、かわいそうだなと思います。でも、そういう場合、ほんとうにかわいそうなのは、子どもなのですよね。
《うちの子だけビデオで追って帰るなんてもったいない。》
 いやあ。恥ずかしながら、このわたしにして、同じだったのですよ。記事にさせていただいたことがあります。本コメントのHN欄にURLを貼り付けさせていただきました。
3. Posted by きむきむ   2009年03月21日 23:34
この時期になると、”うら〜ら〜か〜に〜♪”とついつい私が歌い始めると、子供達も一緒に歌い始め、結局全て歌いきりますね〜。小学生の頃は早く6年生のパートが歌いたいと思ってましたが、こうして歌ってみると1年生から6年生、先生、親の気持ちを表した素晴らしい歌だなあと思います。私が小学生だったんだから、少なくとも30年以上前から歌われているということですね。作者も知らないのですが、感動が変わらないというのがすごいと思います。
以前の記事読ませていただきました。
toshiさんでもそんなことがあったんですね〜。
でもさすがです。そこから素晴らしい気付きをされたのですね。そういうことが無ければその気付きも無いですものね。私もよく恥ずかしい思いをするのですが、無駄ではないのですよね。というか、無駄にしない気持ちがあると気付けると思っています。
私は上の子のときは、下の子が小さいこともあり運動会も音楽会もプログラムを見て自分の子だけしか見ていませんでした。学校の役員になったとき、来賓として最初から最後まで見させていただいて本当に感動したのです。それからは、なるべく行事に参加するようにしています。
でも自分の子をビデオに撮るための場所争いや、なるべく見る時間を短くすることがいいことだと思っている親達がちょっとかわいそうになるのですが、
やっぱり自分で気がつかなくてはね〜。toshiさんの言う通り、本当にかわいそうなのは子供でしょうね。
4. Posted by きむきむ   2009年03月21日 23:35
役員もうまく避けることがいいことのように思われていますが、なるべく多くの人がそういう経験が出来ればいいのに。と思ってしまうのですが、あまり受け入れてくれる人は多くないですね。
いろんな経験が自分を育ててくれるし、そういう思いが人を思いやったり、受け入れたりすることにつながっていくんだろうし、それが子育てになにより必要だと私は思います。私のサークルに来てくれる人は、悩みがあるからこそいろんな事に気付けるチャンスがあり、何が大事かわかる人たちです。きっと。辛いいろんな経験は逆に素晴らしいと思えます。
5. Posted by toshi   2009年03月22日 07:17
きむきむさん
 ああ。なつかしい。”うら〜ら〜か〜に〜♪”ほんとうにいい曲ですね。作者は、記事中の、『きみたちよ。光は空に、〜』の箇所でリンクさせていただいたのですが、小林純一さんです。
 毎年同じ歌を歌ってきたのですが、曲は同じでも、卒業生やその年々の学年経営、学校経営によって、感動は実に多様でした。
 リンク記事をお読みいただき、ありがとうございました。ほんとうにはずかしいです。それなのに、好意的に見ていただき、感謝しています。
 保護者も教員も、ともに伸びようとする姿勢があれば、分かり合うことは容易なのですね。
 障害の問題も、心の問題も、みな、同じですね。『心は広くおおらかに、しかし、繊細な神経を注いでいこう。』をモットーとして、これからも、努力したいと思います。

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