2009年03月25日

教職35年と卒業式3

e08e9e4e.JPG ここ数年、来賓として、母校(?)の卒業式に参列させていただいているが、そのたびに、現職時代の卒業式を思い浮かべる。

 もう2度とやってこない現職時代。

 そういう、ある種、郷愁にも似た思いになる。


 若いときは、俗にゴロゴロと言われる。5・6年の繰り返しだったから、2年に一度は学級担任だった。

 呼名簿というのがあるが、それを見ないで、子どもの顔だけを見て呼名するのが、こだわりだった。間違えることのないよう、必ず、あらかじめ心のなかで、壇上の子どもの顔を見て、何度か呼ぶようにしていた。

 先輩から、
「苗字と名前を一気に呼ばないように。一瞬の間をおくのだよ。また、一音一音はっきりと声を出しなさい。」という指導を受けた。


 一度、ものすごい強風のため、式場の屋根がバタンバタンと音をたてていたことがあった。それが、子どもの恐怖心をあおり、ムードをぶち壊しにしたことがあった。敗戦直後の貧しい時代に建てられただけに、お粗末だったなあ。


 5年担任だったときは、放送係を務めた。せまい放送室に閉じ込もるため、式場との一体感は、いまいち欠いていた。また、肝心の証書授与の場面は見ることができなかった。
 しかし、上から式場を見ることはできるので、在校生代表として参列している自分の学級の子どもたちを見ることはできた。

 校長や教頭が壇上を行き来するとき、靴音をマイクが拾わないように、ボリュームをいちいち上げ下げした。また、人によって、声の大きさが違うから、ボリュームをどこまで上げるかも、事前にチェックが必要だった。


 ある年だけ、校長の斜め後ろに立ち、証書授与の瞬間の子どもの表情を撮影したことがあった。だいたいいい表情を撮ることができたが、かわいそうだったのは、動きにミスがあった子だ。『しまった。』という表情を撮ってしまった子がいた。

 それが分かっている場合は、式終了後、校長先生とその子にお願いし、撮り直しをした。

 今は、写真屋さんにたのむのが一般的だろう。また、わたしは経験がないが、ビデオカメラを壇上において、その瞬間の子どもの表情を式場に大写しする学校もあるようだ。


 2校目も、前半は初任校と似た感じだったが、後半になると、なんと、指揮を担当することとなった。小規模校ということ、指揮する教員はいたが、その教員が6年担任だと指揮も同時にというわけにはいかないので、わたしにおはちがまわってきた。

 卒業式の歌。

 歌詞が載っているホームページがあったので、それにリンクさせていただいた。ただし、このなかの1〜3年生が歌う部分は、その学年が式場にいないので、割愛した。それでも、延々、12分くらいはかかったかな。

 このなかには、卒業生が歌う歌として、『仰げば尊し』も含まれていた。これは、6拍子の曲。指揮はむずかしかった。

 かつて、初任者から指揮法を教わったことを書いたが、このときも、同じようなことがあった。その教えを胸に、家に帰っても一人で練習をした。

 式場全体に向かって指揮をとることは、大変緊張したが、しかし、すばらしい機会を与えてくださったことに感謝した。

 つい最近、きむきむさんが、この歌をなつかしむコメントをくださったが、わたしにとっても、大変なつかしい思い出となっている。


 さて、次は、教務主任のときのこと。我が地域では、式の進行を務める。

 わたしは、1年間の教務主任だったので、式の進行も1回だけ務めたことになる。

 このときは、ほんとうに緊張した。放送もそうだが、失敗はめだつ。許されない。


 そこで、自分が話す言葉は、すべて事前に、話す言葉のまま紙に書いておくことにした。そして、それを何回も何回も、それこそ、家に帰ってからも、練習した。

 自分のクラスの保護者も参列していたが、あとで、
「toshi先生の進行係。よかったあ。」
と言われ、うれしかった。

 歌の指揮とはまた違った意味で、式場全体を指揮している気持ちになった。


 そして、教頭となる。教頭は、はじめの言葉と終わりの言葉を言う。

 これは、むずかしいわけではないし、第一、こんな簡単なものを紙に書いたのでは、笑われてしまう。

 そうだが、一生懸命間違えないように練習した。おかしいくらい練習した。

「ただいまより、平成〇年度 第〇回 〇〇市立〇〇小学校 卒業証書授与式を始めます。」


 ところが、ここで、世紀(?)の大失敗を犯してしまった。


 卒業式から数週間後の、入学式においてだった。
 
 なんと、『そつ・・・』と言ってしまったのである。保護者席から、何とも言えないどよめきが起きた。平然を装ったが、すごくはずかしかった。


 教訓だが、練習しながら、あるいは練習後、

 『〇〇と言ってはいけない。〇〇と言ってはいけない。』とばかり、言ってはいけない方を思い浮かべていてはだめだ。

 『〇〇と言うのだ。〇〇と言うのだ。』と、言う方を思い浮かべる。

そうすると、まず、間違えないのだそうだ。


 教頭の仕事は、その他に、祝電披露、来賓紹介がある。

 祝電はだいたい前日届くから、事前に読みやすいように、ふつうの文に直しておく。また、電報は、電文が最初で、後で打った人の名前が続くが、その通り話すと、電文披露のとき誰からか分からないから、名前を先に言うようにした。

 来賓紹介のときは、順不同にならないよう、あらかじめ受付でカードにふりがなつきで記帳してもらい、そのカードを決めた順に並べたあと、その順のとおりに整列してもらった。


 さあ。最後は校長時代のことだが、

 証書授与は意外と疲れることを知った。一番多いときで、120人くらいだったかな。ずっと立ち続け、証書を介添えから受け取り、おじぎをするというように、その繰り返しだが、足が棒のようになった。


 それなのに、終わると、『学校長式辞』となる。

 着席したとたん、また、すぐ起立だ。

 そこで、わたしは、進行の教務主任に、
「5秒でいいから、ちょっと間を取ってくれ。」
とたのむことにした。


 わたしは、卒業生一人ひとりに、色紙を贈ることにしていた。そして、式辞のなかで、その色紙に書いた言葉にまつわる話をする年もあった。

 そこで、色紙は、あらかじめ、演台の下にかくしておくことにした。


 ある先輩校長から、おもしろい話を聞いたことがある。

 その校長は、式辞のなかで使おうと、自分が子ども時代に愛用していた辞書をかくしておいた。ところが、いざ話の中で取り出そうとすると、置いたはずのそれがない。
 
 仕方がない。実物なしで、『子ども時代大切にしていたものは、宝物。なかなか捨てることができない。』という趣旨の話をしたと言う。


 後で分かったことだが、当日朝、教頭は、式場に異常がないか、点検をしたわけだ。そのとき、『なんだ。この古ぼけた本は。誰が置いたのだろう。』と不審に思い、片付けてしまったのだった。


 それを聞いていたから、あらかじめ物を置くときは、教頭はじめ、教務主任などに、その旨話すことを忘れないようにした。


 さて、書き出せばきりがないが、このくらいにしておこう。


 今は、来賓として参列するしかないのだが、現職時代のなつかしい思い出を胸にひめ、それを宝物としてこれからも出かけるようにしよう。


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 今日は、わたしのつまらない述懐で失礼しました。

 この記事を書きながら、『ああ。もう一度、現職時代に戻りたい。』という思いがつのってきました。

 しかし、それはかなわぬこと。

 せいぜい、これからも、このブログをがんばることによって、現職時代の気分をもち続けることにしましょう。

rve83253 at 02:24│Comments(2)TrackBack(0)むかし | エッセイ

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この記事へのコメント

1. Posted by yoko   2009年03月25日 14:29
先生が式の裏でこんなにも心を砕いて下さっていること、改めて感謝でいっぱいです。
それから、toshi先生は「先生の先生」をなさっているのですから、そういう意味ではまだまだ現役ですよ(*^_^*)toshi先生の意思を受け継ぐ先生を1人でも多く育てて下さいね。
2. Posted by toshi   2009年03月25日 17:10
yokoさん
 そうですね。『まだまだ現役』などとおっしゃっていただいて、なんか新たな気持ちになることができました。ありがとうございます。
 来年度も、引き続き、継続していくつもりですので、どうぞよろしくお願いします。

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