2009年03月28日

障害者との共生を!  ある講演記録から(3)4

c3bfbb89.JPG さあ。本シリーズも最終回を迎えました。

 『訪問の家』理事長の日浦美智江先生の講演、3回目をお届けします。

 その前に、これまでの2回分にリンクさせていただきましょう。

    障害者との共生を!  ある講演記録から(1)
    障害者との共生を!  ある講演記録から(2)

 それでは、3回目をどうぞ。



 『朋』には、今、51人の青年が通っています。鶴見、瀬谷といった遠方からも来ます。このなかで、青年たちはいろいろな活動をしています。

 その一端を、スライドで、お見せしたいと思います。


 (スライド1)これは、『朋』の全景です。隣りのA中学校から撮りました。いわゆる障害者の施設と言って思い浮かべるイメージと違い、モダンで明るい建物です。近所の人が、勘違いして、「いったいこのお店は、いつ開店するのですか。」と聞きにきたことがあります。わたしはそのとき、内心、うれしく感じました。

 (スライド2)これは、海水浴に行ったときの写真です。男性は皆、本施設の職員ですが、女性はたまたま近くで遊んだり泳いだりしていた女性でした。呼び集めたらさっと集まってきて、障害者のお世話をしてくれました。ですから、一番喜んだのは、本施設の男性職員だったかもしれません。

 (スライド3)これは、運動会での光景です。『朋』の運動会は、近くの中学校の体育館を借りて行います。外だと天候の影響を受け体にさわることもありますし、重症者の運動というのは、ちょっと手を動かしてみたとか、ちょっと首を振ってみたとかいうようなものなので、近くで見てほしいからです。

 職員がいろいろな工夫をします。一人ひとりの障害者の実態に合った運動用具を考え、創り出しています。

 (スライド4)これは、夜間外出の写真です。重症者は、まず、夜、外出することは少ないです。それで体験的な意味で、ときどき、遠くの町へ連れ出します。

 (スライド5)これは、近くのボーリング場で、ボーリングを楽しんでいるところです。スロープ状の道具を作り、持ち込みました。この上からボールを転がせてピンを倒すのです。

 ところがボーリング場の方から、言われてしまいました。
「工夫が足りないよ。ストライクが出ないじゃないか。もっと研究してこい。」
そして、ボールを貸してくれました。

 職員みんなで研究し、この写真にあるように、スロープの真ん中に溝を掘ったら、ストライクが出るようになりました。

 (スライド6)これは近くのカラオケ屋さんでカラオケを楽しんでいるときのものです。
 靴を脱いで、お店に入ります。お店の方も、
「皆さんがこんなに喜んでくださるなら、どうぞ、いつでもお越しください。」
と言ってくださいます。こうやってじゅうたんに寝転んで、楽しんでいます。

 (スライド7)これは近隣の町をまわり、缶の回収をしているときのものです。この子は歩くことができます。

 近くの方は、障害者がまわってくることはよく知っていますので、
「とっておきましたよ。どうぞ持って行ってください。」
と言って、こうやってわたしてくださいます。

 (スライド8)これは、成人式の写真です。重症者にとって、成人式は特別な意味をもっています。だいたいの人がほんの数年の命と言われていますので、『よくぞ、ここまで生きてくれた。』という感慨があります。

 この子は、お母さんが特別に奮発してのはおりはかま姿です。



 ここで、一人の青年のお話をさせてください。

 それは、Aという青年です。Aが10歳のとき、わたしは初めてAと出会いました。だから、Aの成長の過程をつぶさに見てきました。

 Aはすわることができません。緊張が強いです。背骨が変に回ってしまう。のけぞるようなきびしい姿勢をとらざるをえません。おなかから背骨にさわることができました。そんなAが、26年を生きました。


 Aは話すことができました。

 プロ野球が好きで、巨人のファンでした。わたしはカープ。よくそれで、Aと言い合いました。


 母親の誕生日。
「お母さんへのプレゼントは?」
と聞くと、
「お母さんにお休みの日をあげたいよ。」
と応えました。


 その死は、『朋』を開設してすぐ、桜が満開の日におとずれました。

 死の間際、お母さんは、突然、
「もういい。もういいの。」
と叫び、かっとAを抱き起こしました。そして、抱いたのです。それは、いきなりでした。

 その瞬間、Aはパッと目を見開きました。
「Aちゃん。分かる?日浦先生だよ。」

 Aはじっとわたしを見て、ゆっくり、「ありがとう。」と言ってくれました。

「何、言っているの。『ありがとう。』は、わたしの言う言葉だよ。Aちゃん。ありがとう。」
と、応えました。


 今、わたしは、Aちゃんの顔、表情を思い出そうとします。そうするといつも、笑顔しか思い出せないのです。それを思うと、ほんとうのやさしさってどういうことなのか、よく考えます。ほんとうのやさしさには、強い心が必要なのではないでしょうか。

 わたしは、ずっと、Aの『ありがとう。』は、みんなへの『ありがとう。』なのだと思っていました。

 でも、今は違います。あれは、お母さんへの『ありがとう。』だったに違いないと思います。目はわたしの方を向いていたのですが、お母さんの言葉に応えたのですから、そう思います。


 障害はあっても大切な命。生きている以上は、重症者だって、世の中への大切な役割をもっています。それを引き出すかどうかは、まわりの者しだいでしょう。


 最近は、重い障害のある人も、一市民として生き抜きたい。父母の世話を受けっぱなしでなく、一人で生きていきたいと表現する人も現れるようになりました。



 わたしは、この栄区が大好きです。

 町の運動会にも招待してくださいます。町の人たちが障害者を受け入れてくれます。連合町内会の運動会に障害のある人が加わると、どうしても進行が遅れます。だから、そう何種目も参加できません。

 それでも、はらはらしながら見ていると、ある町内会長さんが、
「先生。迷惑をかけていると心配されていますね。でも、そんな心配しなくていいですよ。」
とおっしゃってくださいます。

 
 こうして、地域の方たちに温かく見守られながら、今、『朋』が存在しています。




 講演はこれで終わった。

 しかし、わたしには、特にふれておきたいことがある。

 今回、この講演を記事とさせていただくにあたり、

 『社会福祉法人 訪問の家 知的障害者通所更生施設 朋(とも)』

のホームページを訪ねさせていただいた。そのなかの『日浦理事長の部屋』をクリックし、次に、『講演録:地域の中で“たけしさんの一生”』というようにクリックしていくと、次の一節を読むことができた。



 『朋』が建設されようとしているときのことだ。そのことについて、若干の反対論が地域から出た。

 それで、説明会開催の運びとなる。


 以下、同ホームページの原文のまま掲載させていただく。



 私たちは、12月に中学校の体育館を借りまして説明会をやりました。360人、370人集まっていらっしゃいました。

 〜、住民の方と質疑応答を行いました。ある問題には行政の方がお答えになったり、ある問題には私が答えたり、いろいろ質問がでました。

 その会の中で、
「保育園が建つ時は誰も反対しなかった。保育園も福祉施設です。なぜそれに反対しなかったんだろう。」
という意見も出ました。

「あ、この人はお仲間だ。」と思いましたら、大学の社会福祉の先生で、密かに座って応援して下さったということがありました。

 会も終わりに近く、一番後ろで手を挙げられた赤ちゃんをおんぶした若い方が、
「日浦さんに質問します。」
と名指しで質問なさいました。そんな体験は初めてですから、膝頭がガクガクしているような状態で、
「日浦さん。」
と言われたので心臓が喉元まで飛び上がってしまいました。

 その方は、
「もし施設ができたら、散歩に出ますか。出ませんか?」
と聞かれました。「どうしよう。出るって言った方がいいのかな?」と、本当に私の頭の中は左右に揺れました。その方の顔を見ながら
「出たいと思います。」
とお答えしました。そしたらその方が、
「どんどん出てきて下さい。そしてお友達になりましょう。」
とおっしゃったのです。うれしかったです。本当にうれしかったです。

 そういう方がここに住んでいらっしゃる、この方を信じてみんなを連れていきたいと思いました。

 その発言が、結果的に、もしかしたら空気を和ませたのか、年が明けてゴーサインが町内会長から出ました。


 引用は以上だ。わたしは、この、『お友達になりましょう。』の言葉にしびれてしまった。


 とかく、大人社会において、偏見、差別など、今も、報道されることが多い。そういうことばかりが目立つ傾向にある。本ブログにおいても、かつて、障害者の親を中心に、世間の、無理解、差別を悲しむ声、しかし、その一方で、『わたしたち、障害者の父母が、障害者に同情を求めるのはおかしい。』など、心の葛藤を思わせる多数の声が寄せられたことがある。

    障害者への差別


 しかし、それとは逆に、こうした、『共生』の思想、実践力のあふれた人がいて、地域がある。この、日本に、厳然としてあるということ。わたしはそれをすごくうれしく思った。

 
 もっとすごい言葉がある。紹介させていただこう。

 『朋』の方々、ごめんなさい。ここまで掲載の許可はいただいてなかったですね。でも、お許しいただけますよね。


 それは、

 4年前、市長さんと懇親会をもったのですが、その時にボランティアさんの一人が、
「地域が『朋』を包んでるんじゃない。『朋』が地域を包んでいます。」
とおっしゃったんですね。私はこの人、間違えちゃったのかなと思って、会が終わってから、
「さっき言ったのをもう一回言って。」
と申しましたら、
「地域が『朋』を包んでいるのではなくて、『朋』が地域を包んでいる。」
ともう一度言ってくださいました。

 それは、ここは新興住宅地で、周りに知人はいなかった。ところが『朋』ができるということで、みんなの関心がワーッと寄って、それで皆さんがいろいろな意味で関わり始めた。今では一年間に延べ2800人のボランティアさんとして、成人式に餅つきに行ったり、作業的なこととか、お掃除とか、お洗濯とか、『朋』の中でみんなで友達ができたってことをおっしゃるんですね。

「だからそういうふうに言ったんだよ。」
ってその人がおっしゃってました。



 引用は以上だ。


 これは、『共生』の思想を超えている。なんか、『朋』が、地域の文化センターとして息づいている感じだ。そして、『朋』のような施設の誘致運動が起きるのではないかと思わせる。
 

 さて、最後に、わたしの言いたいことは何か。

 わたしたち、公教育に携わるものの責任。それは何か。それを考えずにはいられない。


 わたしは、これまで、3回、本シリーズを続けさせていただいて、

 一番言いたかったことは、わたしたち、障害のない者の生き方についてであったことに気づく。

 
 わたしは思う。

 わたしたちは、公教育の中で、未来に生きる日本人を育てている。そのとき、地域で、社会で、日本の中で、この、『お友達になりましょう。』を言える大人を育てたい。この日本をそういう大人でいっぱいにしたい。

 
 それは、知識・技能も大事だ。一人ひとりの子どものできることは何か。才能を発掘し、伸ばすことも大事だ。
 第一、『知識がないと、相互理解もない。』という世界だってある。

 しかし、知識は、逆に、我々の敵として、我々に向かってくることもある。もろばの剣なのだ。


 だからこそ、わたしは、まず、この、『情』を育てたい。

 『知識・技能』を育むことも大事だが、それは、『情』に奉仕する意味で大切なのだ。


 そのために、障害者との交流など、小さいうちから、積極的に行っていきたい。

 そして、障害者への理解をおし進めたい。

 その過程においては、障害者に対する、不安、葛藤、とまどい、悩み、疑問など、いろいろいだくだろう。よかれと思ってやったことが、実は、障害者のためになっていなかったと気づかされることだってあると思う。

 しかし、そういう過程を経ることが大切だ。その先に、『お友達になりましょう。』の世界がひろがっていくのだと思う。


 そして、ああ、自分で本シリーズの標題を否定してしまうのだが、

 『共生』とか、『交流』とか、そういう言葉が死語になるように、


 そうでしょう。だって、我々、ふつう、ともに住んでいたって、いろいろな人間と交わっていたって、こうした言葉は使わないものね。

 わざわざ、共生とか、交流とか言うことは、やはり、人を特別視しているからだ。そして、特別な教育的配慮としているからだ。(ごめんなさい。教育的配慮は必要なのですよ。でも、それを特別視するのではなく、きわめて当たり前の当然のこととして配慮しようということです。)

 やがて、こういう言葉が消え去る日がやってくるに違いない。


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 障害者との交流は、『障害者のため』とされていることが多いと思います。もちろん、それはあります。本講演にも、それはにじみ出ています。しかし、実は、わたしたち、障害のない者のためにこそ、もっと大切なものになってくる。そう思います。

 今回、朋のホームページの引用をお願いするに当たり、朋の方と電話でお話したとき、次のような話をうかがうことができました。

「はい。もう、toshiさんがおっしゃるとおりです。地域との交流は、ますます自然体になっています。特別なことをしているのではなく、もう、空気を吸っているような感じですね。

 先日も、近くの小学生が何人も遊びに来ました。車椅子を引くのですが、なんか、仲間というか、車椅子の子と遊んでいるという感じだったです。」


 そう。そう。もう一つ。上記、15年前の講演に、

『最近は、重い障害のある人も、一市民として生き抜きたい。父母の世話を受けっぱなしでなく、一人で生きていきたいと表現する人も現れるようになりました。』とありました。

 このことについては、聞きそびれましたが、やはり、15年もたてば、その後、もっともっとこういう思いが盛り上がっていることでしょう。まさに、『自立』ですね。


 また、本記事でふれた、『知』と『情』についてですが、

 これは、日浦先生もおっしゃっています。上記、講演録『21世紀に大切にしたいもの』の中で、


 20世紀は科学と戦争の世紀。

 人間には「知」と「情」があります。出来る事はよい事だと「知」は「情」より上位にあるものだと進んできた20世紀が、人間を大切にした素晴らしい世紀と思っている人がどれだけいるでしょうか。

 朋の人達は心で生きています。「情」の世界の人達です。この人達が音楽を媒体に見せる人と人との温かい心の交流の場面を見ながら、この世界こそ今私たちが取り戻さないといけないものだと感じています。

 そして21世紀を本当の意味での人間の世紀にしなくてはと思うのです。


引用は以上です。



 今、これだけ、情の世界で、人が動揺しているとき、

 なお、『知が上位だ。』と叫ぶ人がいますね。警戒しなければいけません。

rve83253 at 09:29│Comments(6)TrackBack(0)教育観 | 教育風土

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この記事へのコメント

1. Posted by yoko   2009年03月28日 10:36
《わざわざ、共生とか、交流とか言うことは、やはり、人を特別視しているからだ。〜 やがて、こういう言葉が消え去る日がやってくるに違いない。》
本当にその通りですね。皆がこういう気持ちになれた時、本当の意味での差別や偏見がなくなったと言えるのかもしれませんね。『朋』のお話も感動しましたが、私はtoshi先生の上記の言葉もそれに負けないくらい、いえ、それ以上に感動しました。
2. Posted by toshi   2009年03月28日 14:05
yokoさん
 ありがとうございます。
 小さいうちから、教育の中に、こうした場を用意し、みんなで諸問題を解決し合う経験をつませたいです。『その子どもたちが大人になったときこそ、』と考えると、夢は大きく広がります。
 なんか、初任者指導の観点が一つ広がった感じです。
3. Posted by きむきむ   2009年03月28日 17:58
toshiさんが先生になった年に私がこの世に生まれたことを知りました。その偶然になんだかちょっと嬉しくなりました。
この3回のお話とても共感します。私の子は重度の障害があるわけではありません。一人吃音の子がいますが大したことはありません。でも、私のサークルに集まるごくごく普通と思われるお母さん達の悩みも、このお話と共通するところがあります。ちょうどここのところ、ある新聞の記事で自分の障害を乗り越え、地域に貢献し、子供の障害も乗り越えて、人に尽くすことの喜びを語る体験談に感動したところでした。障害という困難が自分を強くしたと。体の障害は人生の障害にはならないんだ。と感じました。私も同じ気持ちでした。子供の家出、不登校、いじめ、などの困難は時に自分を責め、子供や周りの環境を責め、嘆き、苦しみました。このお話のお母さん達のように死に方も考えたこともありました。体の障害ではないけれど、「普通でない」ということでは、ある意味障害者の子供達です。
それを乗り越えたのは、やはりこのお話の中のお母さんと同じ気付きでした。そして、この障害も生きるうえでの障害にはなりえないと確信しました。
4. Posted by きむきむ   2009年03月28日 18:23
そして、私はこの困難を乗り越えることを教えてくれた子供たちに感謝しました。「産んでくれなきゃよかったのに」と言った娘が今は「お母さんの子供でよかった。」と言いました。私自身が変わったら周りが変わったのです。ある、いじめに悩む発達障害の子のお父さんが言いました。クラスのみんなも施設で交流したらいいのに。障害があっても明るく前向きに生きるこの子達と触れ合ったらいじめなんてばかばかしくなるのに。と。それもいいし、こうして障害を持つ人との共生や交流も子供達や大人にとって素晴らしいことだと思います。そのとき少しだけ気付いてほしいです。体の障害は受け入れられても「普通」に見える「普通でない」子とその親も苦しんでいて、理解してもらいたがっていると。私には仲間がいました。このお話のお母さんにも仲間がいますよね。よくわかります。3回に渡る記事読みながら涙が出ました。励まされます。ありがとうございました。
5. Posted by きむきむ   2009年03月28日 18:50
たびたびすみません。気付いたことがあります。
いじめや不登校などの問題を抱えた子のお母さんと、障害や病気などの問題を抱えた子のお母さんとは不思議と話が合うんですよね。調子に乗ってコメントいっぱいしてごめんなさい。
6. Posted by toshi   2009年03月29日 02:21
きむきむさん
《toshiさんが先生になった年に私がこの世に生まれたことを知りました。》
 うわあ。そうですか。わたしはわたしで、『ああ。あのときの卒業生と同じ年齢だな。』などと、計算してしまいました。
《体の障害は人生の障害にはならないんだ。》《私自身が変わったら周りが変わったのです。》
 すばらしい人生を送った方にして言うことのできる、宝物のような言葉ですね。
 ほんとうに、『朋』の重度障害者の保護者もそうですが、自ら人生を切り開くだけの強さがありますね。そして、何より明るいのです。
 しかし、そこへ行くまでの道のりに思いをいたすと、すごいものがあったのだなと強く感じます。
《体の障害は受け入れられても「普通」に見える「普通でない」子とその親も苦しんでいて、〜。》
 これ、ほんとうによく分かります。人間て、自分たちと同じといったん思ってしまうと、違いが気になって仕方なくなるのですね。違いはあって当たり前。あるがままを受け入れて、仲良くすることができるように、わたしたち教員は、がんばらなければなりません。
 

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