2009年04月07日

ダイナミックな社会科へ4

0b562920.JPG 前記事『実践が学校をつきぬけ地域へ』の末尾に、


 『〜。こうした学習のすごいところは、その年だけの実践になるということだ。
 ポストが設置されてしまえば、もう、この学習は二度とありえない。社会科学習のダイナミックな点は、ここにある。

 人は、便利さ、豊かさを求めて、日々生活している。
 だから、改善の営みは変われども、改善の努力は永遠のはずである。

 社会科が、『去年も今年も来年も同じ学習内容だ。いや、学習指導要領が変わらない以上、10年は変えなくていい。』のだとしたら、それは、本物の社会科とは言えないだろう。』

と書かせてもらった。


 ほんとうにその通りで、社会事象は刻々と変わる。それにつれて、学習内容も大きく変わっていく。

 今日は、そうした事例を、我が実践から、また、我が校の実践から3つほど、紹介させていただこう。

 そして、その上で、今の世相にもメスを入れてみたいと思う。


 その1

 わたしは、若かったころ、5・6年の繰り返しで、俗に、ゴロゴロと言われたということは先に述べた。


 ここでは、5年の『日本の農業』について述べるのであるが、日本有数の米どころを訪ねると、2年ごとに、米作りの事情はまったく異なっていくことを経験した。


 初めてA農協を訪ねたとき、

「はい。共同化はどんどんおし進めています。何しろ農業機械の値段はたかいですからね。とても一軒一軒で買えるものではありません。」

 そして、一つ一つの農業機械をどのように貸し出しているかの一覧表を見せてもらった。それは大事な資料として、学習に使わせてもらった。


 しかし、2年後に訪ねていくと、

「いえ。もう、共同化はすたれていますね。多くの農家が自分で機械をもちたがっています。自分のところに回ってくる順番を待っていられなくなったのです。」

 なぜ、待っていられなくなったか。

 銘柄米への生産指向が高まり、同一品種ばかりを作るようになったからだ。従来のように、わせ、なかて、おくてと作っていれば、収穫適期は1ヶ月近くにわたるので共同化も可能だったが、いまや同一品種では、広い平野いったい、1週間くらいで収穫しなければならない。とても待ってはいられなくなった。


 こうして、2年後はまったく正反対の学習をすることになる。


 その2

 同じく5年で学習する『日本の工業』。

 B自動車工場を訪ねる。2年たつと、産業ロボットの普及はどんどん進み、その変貌ぶりには驚かされた。

 これは、学習内容が逆という事例ではないが、『産業ロボットが導入される理由』はどんどん変わっていった。


 最初は、確か、塗装・溶接の工程だけだったと思う。3Kと言われる、『きたない、きつい、きけん』が、産業ロボット導入のおもな理由だった。

 しかし、それが組み立てラインにまで及ぶようになると、理由は、おもに、『人手をはぶくこと』や、『品質の安定』へと変わっていく。


 その3

 『只今、改良中』の社会事象は、格好の学習対象になりうる。

 むかし、低学年も社会科、理科を学んでいたころ、2年生の社会科に、乗り物単元があった。

 ちょうどそのとき、学区にある駅が、改良工事中だった。

 上り下りホームそれぞれ、階段が一つずつしかなかったのを二つずつにする工事だった。


 しかし、工事中は大変不便で危険でもある。迂回させられるし、板張りの階段だし、混雑するしで、利用客は大変なことこの上ない。

 おまけに、もともとこの駅はカーブしているところにあるため、電車とホームの間がものすごくあいているところがあり、たまたま遠足に来ていた学校の子どもが転落するという事故も起きた。


 その不便であり、危険であるところから学習に入った。

 今まさに体験中だから、子どもたちは真剣なまなざしで、『早く工事を終えてほしい。』という切実な思いをもっていた。


 ところで、わたしも含め、当時全職員がもえたことがある。

 なんと、1メートルくらいの大きさで、工事前と完成後の駅の模型を作ったのだ。それも、完成後の駅舎をはずすと工事前の駅が出現するという作り方だった。

 また、カーブの具合、階段の段数まで、本物同様に作るといったこりようだった。


 工事前の駅なら、子どもたちはよく知っている。大変なつかしがっていた。それがこうなるという具体的な姿を見せられて、子どもたちは、歓声を上げた。

 これなら、安全で使いやすい駅になるという思いをみんながもつことができた。

 完成後の駅を、子どもたちは待ちかねるようになった。



 以上で、例示を終えるが、2つほど、考察の目を加えさせていただきたい。


 その1

 こうした学習は、とうてい教科書どおりに行えるものではない。ある場合は、教科書の記述と逆な学習を進めていることもありうる。

 そこで申し上げたいことは、社会科の場合、教科書は有力な資料の一つという位置づけになる。

 ところが、かつて、そうではないショッキングな事例を記事にさせていただいたことがある。

 記事の中ほど、『しかし、一般的な傾向としてはどうか。教員自らが、教科書にあわせ、平準化を求めてきたきらいはないか。』からがそれにあたる。ことは、指導主事の発言だけに、大変深刻な事態と思われた。

    教育再生会議の提言に思う。(4) 教育の地方分権を


 その2

 皮肉をこめて言わせていただくが、今、学力調査万能の時代

 本記事で述べたような学習と、学力調査とは、どういう関係になるのだろう。


 国は、国語と算数しかやらないから、関係ないか。

 いや。ことはそんな次元の話ではないよね。

 資料を駆使して解く活用問題なら問題ないが、知識として、『共同化をおし進めている。』が正解という問題だったら、

 そう思うと、愕然としてしまう。


 こうした面からも、学力調査万能の時代は早く過ぎ去ってもらいたいものだ。

 まじめな学校現場の取組を駆逐してしまう学力調査と言えるのではないか。


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 今、国が努力すべきことは、学力調査ではないでしょう。

 教員の評価システムは、認めるとしましょう。その上で、国が努力すべきことは、教員の指導力アップ策だと思うのです。

 『教員免許更新制があるではないか。』

 そうおっしゃいますか。

 でも、これはダメ。大学で講義を受けるという更新制など、指導力アップには結びつきません。あくまで、学校現場における授業改善の営みを通してしか、なしえないと思うのです。

 子どもの幸せのために、強く叫びたい思いです。

rve83253 at 03:34│Comments(2)TrackBack(0)問題解決学習 | 社会科指導

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この記事へのコメント

1. Posted by しょう   2009年04月07日 22:12
>こうした面からも、学力調査万能の時代は早く過ぎ去ってもらいたいものだ。

>まじめな学校現場の取組を駆逐してしまう学力調査と言えるのではないか。

 上記のような認識をできる限り広く共有していくためにも、貴ブログのような形で「まじめな学校現場の取り組み」を具体的に発信していくことは(確かに地道な取り組みではありますが)大きな意義があると考えます。

 本日も応援です。私もできれば「学校の力」などについての関連記事を書いてみたいと思っています。
2. Posted by toshi   2009年04月08日 04:51
しょうさん
 そうですね。
 現場の実践を具体的にお知らせすることによって、どのような学力が大切なのか、社会に出て生きてはたらく学力とはどういうものか、そういうものを訴えていかなければいけませんね。
 大部分の大人は、子ども時代、こういう学習を経験していないと思います。それだけに、本記事のような学習を紹介すると、『みんな大人になって農業経営をするわけではないでしょう。』などという反応が返ってきたりします。知識としてしかとらえられないので、こういう反応になるのでしょうね。
 断片的な知識は応用のしようがないが、思考力はどんどん発展し応用されるものだということも訴えていかなければいけないなと思います。
 しょうさんの記事、期待しています。

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