2009年04月09日

今年度の全国学力調査は完全実施となるようで、3

onnanoko 以前、『教育ジャーナリスト渡辺敦司の一人社説』なるブログが、拙ブログを紹介してくださったことがあった。

 大変感謝している。ありがとうございました。

 その記事には、『教員の処遇 評価より自由を』という標題がついており、その趣旨は、かつて、拙ブログでも紹介させていただいた、愛知県犬山市の瀬見井教育長の主張を思わせるものがあった。

 なお、この渡辺敦司氏が執筆される記事は、Benesse教育情報サイトにも、たびたび掲載されているようである。参考までに、本記事の趣旨と関連する「活用」重視でこれからの授業はどうなるにもリンクさせていただこう。



 さて、いよいよ、標題にかかわる記事となるが、

 年度が切り替わり、今年ももうすぐ、全国学力調査が実施される運びとなろう。

 3回目の今年は、わたしとしては、これまでになく憂鬱な季節を迎える。

 全国の子どもがかわいそうでならないのだ。

 ご承知の通り、調査結果の開示をめぐって、全国各地で大人が狂騒(競争ではない。)状態を繰り広げている。

 それだけに、今年の調査実施は、いろいろ物議をかもすに違いない。


 そこで、おそらく思いを共有するとみられる同氏ブログ記事の中から、次の2点を紹介させていただきたい。

『全国学力テスト 公立「全校参加」を惜しむ』

『全国学テ開示問題 だから任意参加にすべきだ』


 基本的にわたしは、同氏の主張に大賛成である。特に次の2点は、まったく同じ見解をもつ。

 上記リンク記事の一点目。
〇地方分権時代にあって、自治体の参加率が100%になるという“異様”さ

 次は同じく二点目。
〇全国的な学力テストの意義を否定するものではない。ただしそれは、自治体や学校の主体的な参加により、それぞれの指導改善や教育条件整備に生かすために活用されるべきだ。

 
 まず、一点目について、わたしの思いを述べさせていただこう。

 参加率100%の『異様さ』について。

 わたしは、『不気味さ』といってもいいくらいだと思っている。


 それは、こういうことだ。

 わたしは、拙ブログにて、いろいろなことを主張する。主張する以上は、自分の主張に賛意を表してくださる方が限りなくふえることを願う。多ければ多いほどうれしい。それは間違いない。

 そうなのだが、同時に、民主主義社会においては、それが100%になることはありえないことも知っている。

 主張に違いがあるのは当然だ。考え方は多様なのだから。

 『間違い』と『違い』は違う。間違いは正さなければいけないが、違いは尊重しなければいけないのだ。

 そういう民主主義社会において、法律で制定したものならいざ知らず、そうでない任意参加のものまで、100%になるというのはどういうことだ。

 ありえない。いろいろな考え方があっていいのに、一律になってしまうのだもの。


 我が地域において、『標準学力診断検査』なるものが、50年以上の歴史をもって持続してきたことはすでに述べた。

 その場合、わたしは実施する側にいたから、実施校がふえることを限りなく願い、検査の趣旨、活用、及び作問の手続きなど、多々説明させていただいたが、それでも、実施率はおおむね80〜90%だった。

 実施側としては、これでいいとは言わない。しかし、民主主義は健全に機能していたと言えよう。


 それが、国の場合は、今回、なんと100%のようだ。

 これは、何か、マジックがはたらいているとしか、言いようがない。

 
 マジック1

 全国各地で、地方行政府の『長』の暗躍が目だつ。ほんらい教育委員会は、政治勢力から独立し、教育の中立を守らなければいけないのに、これら『長』の主張に屈してしまった。政治勢力からもろに影響を受けるようになってしまったのは、将来の教育行政に禍根を残すことになるだろう。


 マジック2

 住民パワーがはたらいているのではないか。

 日本人の集団心理。いったん国民的支持を受けると、『右へならえ!』で、みんなそちらへ流されてしまう。

 住民パワーは、

〇学力調査結果の開示請求に示される。そして、この請求は、今のところ、認められているようである。法的には、開示しなければならないということなのだろう。

 渡辺氏は、これは、致し方ないことととらえられているようだ。

 しかし、わたしは、それこそ、教育のプロたる者たちの説明不足が大きいと思っている。

 現在のところ、教育のプロの言っていることは、

・学校現場が過度の競争に巻き込まれ、混乱する。
・教育の成果は、テストの点数のみで測れるようなものではない。
・教育現場はもっと自由でのびのびとしたものであるべきだ。

くらいのことではないのか。


 教員不信の念の強い昨今、これだけでは、市民に対し、説得力に欠けることは否めない。

 ここは、

 入試でもないのに、テストの点数を絶対視する風潮は子どもにとって最悪なのだから、そこをもっと主張すればいいのにと思う。ことは法律論ではない。教育論なのだ。

 子どもがかわいそうなことになっている。

 子どもが犠牲になっている。

 そこを強く主張したい。


 もう一つ。学力調査結果の開示は、人権がらみで要求される指導要録開示とは、根本的に性格を異にするものであることも主張したい。


 そうした点、ご理解いただければ、誰だって子どもはかわいいのだから、開示請求はなくなると思うのだが。

 
 以上の点について、関連記事として代表的なものは、『全国学力検査の結果公表で(3)大人の狂奏曲』がある。 


 二点目。

 これはすでに記事に書かせていただいた。わたしは当初、同調査実施について、特に反対はしていなかったのである。

 初めて全国学力調査が行われたのは、一昨年だった。

    全国学力・学習状況調査実施

 この記事では、問題がよくできていることを評価しつつ、結果をどう扱うかについては、数点、その懸念を示しているに過ぎない。


 次に、昨年度の調査については、

    全国学力・学習状況調査実施(2)

の記事で、具体的に調査問題をいくつかとり上げながら、良問がふえたことを評価している。

 ただ、ペーパーテストで測れる学力重視の風潮が教育現場を混乱させているという趣旨のコメントもいただいたことから、そのことにもふれ、それを憂慮する内容にもなっている。 

 そんなわけで特に反対はしていなかった。


 そして、渡辺敦司氏がおっしゃるような、

『自治体や学校の主体的な参加により、それぞれの指導改善や教育条件整備に生かすために活用されている』事例も、新聞等で紹介されたので、

 そうした事例も記事にさせていただいた。

    全国学力検査の結果公表で、(2) その使い方は、

 この記事に書かせていただいたような調査結果の活用なら、全国学力調査も有意義なものとなるし、その普及を願っての記事だった。


 しかし、もうすでにご案内の通り、点数にこだわる大人の声に、そうした良心的な取組はかき消されてしまいそうである。


 そして、現段階で、わたしとしては、調査実施に反対したい気持ちが強くなっている。


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 調査実施に反対したい気持ちになった一番大きな理由は、何度も書かせていただいたように、子どもが犠牲になっているからです。その犠牲が全国的に蔓延してしまうことには耐えられません。

 次回記事では、そのことを具体的に述べてみたいと思います。

 とは申しても、大部分は、これまであちこちの記事で述べたことの総集編となるのではないかと思います。

 よろしくお願いします。     

rve83253 at 08:00│Comments(2)TrackBack(0)教育制度・政策 | 全国学力調査

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この記事へのコメント

1. Posted by 渡辺敦司   2009年04月10日 23:09
toshi先生、このたびは弊社(デッチ上げの仮想会社ですが)のような過疎ブログを取り上げていただき、大変恐縮です。
ご指摘のように「100%」の意味は、民主主義社会の危機としてとらえるべきかもしれません。しかもそれが、民主主義の最たる選挙で選ばれた首長らの意向によって強いられている、という矛盾は、まさに「不気味」と言っていいでしょう。
今後とも微力ながら、現場に寄り添った論説を心掛けていきたいと思っています。ご指導、ご教示をよろしくお願いいたします。「総集編」も期待しております。
2. Posted by toshi   2009年04月11日 06:06
渡辺敦司さま
 こちらこそ、大変な評価を賜り、ありがとうございました。『いつか引用させていただきたい。』と申しながら、大変遅くなってしまったことをお詫びします。
 100%は、全体主義国家しかありえないことですものね。子どもに対し、『権力に従順な人間になれ。』と教育しているようなものではないでしょうか。
《今後とも現場に寄り添った論説を心掛けていきたいと思っています。》
 ありがとうございます。力をいただいた思いです。今後ともよろしくお願いします。

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