2009年04月14日

toshiはふつうと反対のことを言う。4

88a1def2.JPG 「『toshi先生がおっしゃることは、ふつうの人と反対だ。』と思うことが、よくあるのですよ。だから、初めのころは、ほんとうにびっくりしました。

 でも、先生のおっしゃるようにやると、学級の子どもたちは、自分でも驚くほど、見違えるように成長しますので、心から納得できましたし、すごく勉強になりました。

 一年間、toshi先生のご指導をいただくことができて、わたしはほんとうに幸せだったと思います。ありがとうございました。」

 昨年度末、初任者指導の最後の日に、Aさんからそう言われ、すごくうれしかった。


 確かに、このクラスの子どもたちは、すばらしく成長した。

 それは、過去記事に書かせていただいたとおりだ。

    初任者の成長(9) 自分のクラスとは信じられない。


 でも、このAさんの『思い』って、実は、むかし、わたし自身が先輩からご指導いただいたとき、思ったこととまったく同じなのだった。だから、うれしい反面、なつかしさもこみ上げてきた。

 少し涙ぐむような感じもあった。


 そのむかしなつかしいできごとも、過去記事にある。

    保護者の皆さんへ(2)
 

 この先輩のご指導についてだが、上記リンク記事以外にも、次のような言葉があった。

「一日中、朝から帰るまで、ずっと一緒にすごしているわけだから、いくら子どもだって、『こうすれば先生に叱られる。』『こうすれば注意される。』『こうすればほめられる。』
 そういうことは、もうほとんど分かっているわけだ。

 だから、『あっ。これは、叱られる。』と思っているときに叱るとするだろう。子どもは、『ほら。やっぱりね。』と思うだけで、そうなると、効果はあまり期待できないのだよ。

 『あっ。これは、叱られる。』と子どもが思うようなときは叱らずに、逆に、ほめたり慰めたり、心にしみる言葉を言ったりすることができれば、子どもは、『あれっ。』と、びっくりしたような表情を浮かべるよ。

 その方が、よほど、効果的だし、変容を期待できるというものだ。」


 そのときのわたしは、分かったような、分からないような、そんな気持ちだった。

 効果的というのは分かるが、

『そんなのは無理でしょう。叱らなければいけないときに、いったいどうやってほめたり慰めたりすることができるのですか。』

 口には出さないけれど、そのように思ったものだった。


 だから、先ほどのリンク記事、『保護者の皆さんへ(2)』に書かせていただいたようなご指導(?)は、大変具体的だから、よく分かり、わたしを成長させてくれた。


 冒頭のAさんの『toshiの言うことは、ふつうと反対。』は、まさに、先輩のご指導の賜物なのだった。



 さて、

 このことに関して、初任者指導中、印象に残っていることはいくつもあるが、今、もう一つの過去記事にリンクさせていただこう。

 ただし、これは、Aさんのことではない。一昨年度のことで、Cさんへの指導となる。

 このとき、Cさんにとまどいが見えたので、わたしがじかに対応したのだった。姉妹ブログの、『小学校初任者のブログ』の方にある。

    トラブルの対応法


 ここで、わたしが子どもにどう対応したかを述べるなかで、ふつう、よく行われる言葉かけとの違いを感じ取っていただくことができるのではないかと思う。


 だいぶ、前置きが長くなってしまったが、それでは、よろしくお願いします。



〇まず、同記事の中ほど、『鉄則4』に着目してほしい。

 『自分が悪い。』と分かっていると思われるときは、お説教は極力しないようにする。逆に、『君のくやしかった気持ちは分かるよ。』というように、受容的、共感的な対応を心がける。その方が、反省する心を豊かにすることができる。

とある。

 まさに、上記、むかし、わたしが先輩からいただいたご指導そのままである。


 この場合、一般的な言い方なら、次のようになるかな。

「いくらお母さんが、『持って行っていい。』って言ったって、学校のきまりを知っているのはBちゃんなのだから、お母さんに、『いいよ。持っていかない。だって、学校のきまりなんだもの。』って言うべきでしょう。」

などと、一方的にお説教してしまうのではないか。それでは、効果は薄くなるというわけだ。


 とにかく、子どもは、次から次へと言い訳をする。

 ここでも、その理不尽さ(?)から、お説教に走ってしまうことになるのではないか。


 しかし、じっくり子どもの言い訳を聞くことが大切だ。お付き合いすること。受け止めること。つまり、受容だ。

 そして、子どもなりに筋の通っているところは、認めてやる。けっして、『へ理屈を言うな。』などとは言わない。


 と言っても、これは、基本原則ですよ。この事例のように、日常よくある平凡なトラブルへの対応を言っているのであって、

 人生を変えてしまうかもしれないような重大事の場合などは、話は違ってくるでしょう。わたしだって、お説教してしまうかもしれません。


 あっ。すみません。話を戻して、

 そういう受容的な姿勢があれば、子どもの心の高ぶりを抑える言葉かけは、自然にできるものだ。


 この場合なら、

・「〜。それなら、こうしよう。音楽の見学をしにいこうよ。〜。」

・「〜。わたしが一緒に行って、音楽の先生に、そう話してやる。」

・「〜。一人、教室で自習をすることになるだろうから、しっかり勉強していたら、そのこともちゃんとお母さんに報告しよう。」
 

 こういうとき、多くの大人はどう対応するのかな。

『何、へ理屈、言っているの。音楽室へ行けば、すぐ歌えるようになるに決まっているのだから、とにかくすぐ行きなさい。』
となるのだろうか。

 3年生だから、強引に行かせれば行くだろうけれど、それでは、子どもの心は育たない。 


〇次は、『鉄則の6』。

 この場合、『お母さん』が、ポイントだった。

 Bちゃんは、『お母さんが、お母さんが、〜』と言っていたのだから、『これは、お母さんに言われたのではかなわない。』という気持ちになっただろう。


 ただし、この場合、『お母さん』を出すことが、Bちゃんへの脅しとなってはいけない。懲罰的意味合いを感じさせてしまってはまずい。

 『こわいから言うことをきく。』のでは、やはり、子どもの心の育みは期待薄になってしまう。

 
 そこで、
「〜。一人、教室で自習をすることになるだろうから、しっかり勉強していたら、そのこともちゃんとお母さんに報告しよう。」
と付け加えるようにした。


〇すみません。『鉄則5』へ戻らせてほしい。

 『やるだけのことはやった。もう手を尽くした。』そういう感じになったら、もうゲタを子どもにあずける。

 『まあ。教室で一人勉強するようになってもいいではないか。』と、こだわらない姿勢を見せることも大切だろう。

 それでは済まない場合も多々あるだろうけれどね。

 それは、今回ふれないことにして、(すみません。)

 
 このケースの場合も、『一人、教室に残って勉強。』となることを覚悟した。

 そして、もしそうなったら、ほんとうにお母さんに連絡をすること。口にしたことは実行しないといけない。


 そして、『鉄則6』に戻るが、悪者にしない配慮も大切だ。

 お母さんには、『〜というわけで、音楽の授業は受けなかったのですけれど、その分、教室でがんばりましたので、その点はほめてやってください。』などと言うことになるだろう。


〇その後、音楽室へ行くことになった。

 内心、ホッとしたのは事実だ。『しめしめ。うまくいった。』という思いは正直のところあった。

 そして、Bちゃんと約束した以上、一緒に音楽室まで行って、専科にお願いをする。これは果たさないといけない。


 また、同記事には、『これは、学級の子全員に聞かせる目的もあった。』とある。

 そう。

 これも、常識とは反対になるかもしれない。

 こういう場合、学級の子には聞こえないように、専科の先生だけに聞こえるように、ひそひそ話にしてしまう場合が多いのではないか。


 なぜか。Bちゃんがかわいそうだから。

 『Bちゃんは、悪いことをした。一人、意地を張って音楽をサボろうとした。だから、Bちゃんをかばうために、みんなには聞こえないようにする。』という思いが強いので、ひそひそ話にしてしまう。


 でも、それでは、かえって学級のなかに、

『何でこんなに遅く来たんだよう。』『サボるつもりだったのだろう。』と思う子も出てきてしまうだろう。はっきり口にしてしまう子だっているかもしれない。

 それでは、心の耕しにならないよね。いや。マイナスの効果になってしまう。


 そうではない。

 この場合、『えらい。』部分を強調して言う。だから、ことさら、学級全員に聞こえるように言うのだ。みんなに、『そうか。Bちゃんは泣いていたけれど、がんばったのだ。』と印象づけることが大切だ。


 以下は、長くなるので省略するが、



 一般的な常識と反対になるわけは、

〇やっぱり、『子どもの心を落ち着かせるためには、どうしたらいいか。』という観点が一番にくるからではないか。

〇次に、子どもの心の耕しを考える。一朝一夕には無理だけれど、長い目で見て、怒りっぽい子だったら、簡単には怒らないようになる方策を考える。

〇それには、学級集団の目もきたえないといけない。そして、学級集団の輪(和も含む。)の広がり、深まりをねらう。

〇そうすることを通して、子どもたち自身の自覚をねらう。例外はあるけれど、一般的に、お説教など、言ってきかせるやり方で、それを期待することはできない。

そのようなことが考えられる。


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ninki



 Aさんは初任者ではあったけれど、民間歴もあり、教員になったときは、もうすでに結婚され、あかちゃんもいました。

 そこで、冒頭の言葉をAさんが言ったとき、

「これは、ただ単に児童理解とか、児童指導とか、学級経営とか、そういう話で終わるものではないと思うよ。きっと、これからの、家庭における子育てでも、参考になることが、たくさんあったのではないかな。」

わたしは、そのようなことも言わせてもらいました。

rve83253 at 02:45│Comments(0)TrackBack(0)児童観 | 学級経営

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