2009年04月16日

給食、食べ残しの指導4

23ef9f90.JPG ハッターさんから、コメントをいただいた。

 そこには、

《うかがいたいのは、給食指導についてなのですが、食べ残しについてです。

 小学校と中学校ではまた、指導の方法も変わってくるのかと思いますが、”全く残してはいけない”というところから、色々あると思うのです。

 toshi先生はどういう指導を行われていたのか、教えていただきたいと思いました。》

とあった。


 そこで、本記事では、『食べ残しの指導』を中心にすえながらも、わたしがしてきた、あるいは、我が地域の給食指導の様子について、概略ふれてみたい。


 ただし、すみません。そのまえに、これまで拙ブログでふれてきた給食関連の記事について、紹介させてください。


 最初は、ハッターさんへのコメントで紹介させていただいた二点である。

   〇心の教育(4)

 これは、栄養士さんの努力や、子どもと調理員さんとの交流を通し、学校給食が家庭の食生活の改善につながったという話である。


いきなり、蛇足で大変恐縮してしまうが、わたしは、わたしの教育改革の提言のなかで、家庭教育の改善にもふれている。

 提言の全体は、リンク先記事にクリックしていただくと、そのバナーの下にある。

 そして、提言の最後に、家庭教育にふれさせていただいた。

 その考え方は、次のようである。
 

 ※家庭教育の重要性を認識できるようにする。

 ただし、家庭に対しストレートにお説教しても、改善は望めない。あくまで、上記取組(学校改革、教員の指導力アップなどの取組)のなかで、学校への信頼を高めることを通して、家庭教育が改善されるという考えで取り組む。

とした。

 これはたぶんに、上記、『心の教育(4)』の事例に、根拠を置いている。

 要するに、子どもが変容することによって、家庭教育の変容が導かれる。

 そういうことである。


 蛇足、終わり。


 〇そして、もう一つの記事は、

    食生活の改善を

 これは、直接学校給食にふれた記事ではないが、我が勤務校の校医さんのお話を中心として、今の、日本人の食生活の乱れについて、警鐘を鳴らした記事である。


 〇ハッターさん、すみません。ここで、さらに、もう一つ、紹介させてください。

    学校だよりへの想い(8) 説明責任も楽しく

 これは、学校給食について、保護者、地域の皆さんに、なおいっそうのご理解を賜りたく、その取組を紹介させていただいた記事である。


 
 さて、それでは、本論に入るが、

 最初に紹介させていただいた、『心の教育(4)』で、

「食事って、人間は、心で食べるのよね。体のことがあるから、きめ細かく対応する必要はあるけれど、心豊かな生活を送ることができれば、自然に食欲はましてくるわ。」

という、栄養士さんの言葉を紹介した。


 そう。

 人間は、『空腹だから食べる。』それだけではないのだよね。『心』でも食べている。

 だから、学級生活、学校生活が楽しく充実していれば、自然に食欲はまし、『給食の食缶は、いつも空になる。』という、そういう傾向になる。


〇そのようにとらえるわたしだから、

 食べ残しがあったときの指導にしても、『無理強いはしない。』のが鉄則だ。


 無理強いすれば、そのときは食べるかもしれない。

 しかし、それは、『いやいや食べる。』のだから、食欲は減退する。ひどくなれば、登校への意欲も減退する。それこそ、いつかの記事ではないけれど、もともこもなくしてしまうだろう。食べることはそのくらい影響が大きいのだ。


 そこで、学級担任時代、わたしがやったことは、

「おっ。〜をまったく食べていないね。きらいなのかな。」
「うん。ちょっと、苦手。」
「そうか。分かった。それならさ、これだけでいいから、食べることができたら食べてごらん。」

 最初は、きわめて微量である。

 それでもだめなら、もう無理強いはしない。

 食べることができたら、『すごい。』とか言って、うんとほめてやる。

 そうして、様子を見ながら、だんだん、『これだけでいいから、』のこれだけの量を増やしていく。

「今日はどうかな。この前がんばることができたから、今日は、ちょっと増やしたけれど、大丈夫かな。でも、けっして無理しなくていいからね。」

そういうと、あんがい食べてしまうものだ。

そうしたら、またほめる。


 あるときは、まわりの子が、
「toshi先生。Aちゃん。すごい。みんな、食べちゃったよ。」 

もうそういうときは激賞する。そして、教えてくれた子に対しても、感謝の言葉を添える。 


 もちろん、これは、無条件でこうなると言えるようなものではなく、

 あくまで、子ども主体の、子どもが主人公の学級経営を推進しているなかで、言えることだ。

 授業など、指導者主体で、子どもを受身の立場にしておいて、給食だけ子どもの意欲を大切にしようとしても、それは無理な話だ。


〇ところで、

 今、初任者のやり方を見ていると、『いただきます。』のあと、すぐ、
「減らしたい子は減らしていいですよ。」
と言って、減らしたい子が食缶の前に並んでいることが多い。


 これは、分かるのだ。食べたい子のお代わりできる量が増えるから。そして、大食漢が食べたいだけ食べるから、食缶の中はいつも空になる。

 しかし、減らすのを自由にやらせていると、『徐々に苦手なものを克服する。』という営みがない。それはやはり、野放図につながりやすいと思うのだ。

 無理強いはいけないが、かと言って、野放図もやはりまずいだろう。そう思う。


〇わたしが担任だったとき、これは苦手とする子が多いなと思う食べ物のときは、よそうとき、『多め。』『ふつう。』『少なめ。』と言わせていた。そして、当番は言われた量をよそう。

 『多め。』『ふつう。』を選択した子は、基本的に全部食べる約束だ。しかし、『少なめ。』を選択した子には・・・、


 まず、苦手な子にも、よそうときは、『少なめ。』を選択させる。『なし。』は認めない。ある一定量はよそうようにした。

 そうして、次は、先ほど書いたように、『これだけでいいから食べられたら食べてごらん。』とやった。

 だから、その段階では、

 無理強いはしないけれど、一定量よそうことはよそうのだから、食缶が空になることはない。しかし、だんだん、『空』というセンに近づいていく。

 それは、『食べたい子が食べ、食べたくない子は食べなくていい。』という『空』ではなくて、みんながそれぞれの量に応じて意欲的に食べるなかでの、『空』となるのである。

 だから、『食べたい子も、我慢する。』ということが起きる。

 もっと食べたい子も、『苦手な子が食べられるようになることを、喜んであげることができ、そのためには、自分がもっと食べたいという思いも我慢できるようになる。』という、そういうことである。


〇ここで、ぜひふれておかなければいけないこと。大事な留意点がある。

 食べ物アレルギーの問題だ。

 これは、家庭との連携の中で、配慮していく。

 そして、よそうときの、『空』も認める。

 ただし、『ずるい。』と思われないようにするために、学級のみんなには、あらかじめ伝えておく。

『Bちゃんは、アレルギーといって食べることができないのだ。無理すると、体に変調をきたしてしまうのだ。』


 ここで、冒頭紹介させていただいた3番目の過去記事。これを想起していただこう。

 学校だよりで、調理員さんの努力や配慮を紹介させていただいた。そのなかに、『アレルギーの子のための除去食』にもふれた。

 これは、たとえば、卵アレルギーの子がいた場合に、その子のために、卵ヌキの食事を用意するということだ。

 これも、家庭との連携の上で、調理員さんの理解、学校長の承認という手続きを経て行う。


〇もう一つ。同記事で紹介した、ラーメンのこと。

 不登校傾向の児童や校長室登校、保健室登校の子がいた場合、

 そして、自然発生的にその子たちから、メニューについての要望が出たとき、その登校意欲を喚起するという意味合いもこめて、要望に応えるということもやった。

 それから、卒業期が近づくと、『6年生が考えたメニュー』なるものをとり入れたこともあった。栄養のバランスや、自分たちの好みなどを反映させたメニューだ。確か、家庭科学習の一環だったと思う。


〇そう。そう。

    一人ひとりを見つめて! 学級だよりから

なる記事も紹介させていただこう。


 これは、一人ひとりの子どもの個性を育むことに焦点を定め、記事にしたものだ。指導の経過もまじえながら書いたものもあり、わたしの指導の様子をかいまみることもできると思う。

 このなかに給食関連のものもいくつかある。

 秋川、秋元、五木、木山、伍代、水森(すべて仮名)などだ。ごらんいただければ幸いである。



〇最後に、
 
 ハッターさんからの、次のようなコメントもいただいた。

 『少し強引ではないかと思える指導に出会ったときに保護者はどうしたらよいか。』

 わたしにとっては、これは、言うまでもないことなのだが、しかし、地域によっては、かなり強引さの目立つ指導(?)もあるようだから、これは、保護者にとって頭の痛い問題だろうと察しがつく。

 やはり、基本的には、学校にお願いをしていいのではないか。その上での話し合いだろう。要は、信頼関係があるか否かが問われるのだと思う。

 お互いに分かり合える関係だといいのだけれどね。


 ただ、学校から見た場合、その要望が好き嫌いにもとづくのか、アレルギーといってもいいような状態なのか、それによって、対応も違ってくるように思う。

 わたしなら、

 単なる好き嫌いの問題だったら、上記のような指導を通して、ある程度食べられるようになるという確信があるから、それを了解してくださるようお願いをする。

 それが家庭における食生活の改善につながることもあるのだし・・・。

 つまり、学校給食が、一人の子の好き嫌いを克服させることができたとき、それは、『子どもに負けてはいられない。』という親の気持ちを導き出すことになり、親も好き嫌いを乗り越えるようになるという、そういう効果をもたらす。


 アレルギーの問題だったら、これはもう、無理させることは絶対にない。


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 ハッターさん。これでよろしかったでしょうか。なお、質問等、あれば、今度はコメントでお答えしたいと思います。

 それから、なんか、お気遣いのコメントも賜り、かえって恐縮してしまいました。


 読者の皆さんへ。

 質問は大歓迎です。

 お答えできるものは、こうして記事のかたちをとったり、あるいは、コメントでお答えしたりしたいと思います。

 また、メールにても受け付けています。

 よろしくお願いします。 

rve83253 at 02:04│Comments(15)TrackBack(0)学級経営 | 給食指導

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この記事へのコメント

1. Posted by ハッター   2009年04月16日 07:53
toshi先生

給食指導へのお考え、とても納得できました。
ありがとうございます。
また、児童の食の問題には家庭での食事や生活環境のあり方からみえてくる側面もあるということなのですね。
これは、保護者の側からは気づきにくいことかもしれません。-私が鈍いだけかもしれませんが…。
少しでも、子供の生活改善のためにと考えての指導もあるのですね。

ありがとうございました
2. Posted by toshi   2009年04月17日 16:00
ハッターさん
 食を通しても、他の指導同様に、やはり、心を育むことが大切と思います。そして、人間にとって、食は切実であるだけに、血の通った指導も可能です。ただ食べるだけの時間にはしたくありません。
 それにしても、学校は、ちゃんと給食指導の全体計画ももっているのですから、しっかり説明し、理解をいただくための努力をする必要がありますね。
3. Posted by 文月   2011年07月26日 20:36
私は食べ物の好き嫌いは、子供のころからほとんどなくて給食は問題ありませんでしたが、
そもそも、食べ物の好き嫌いは克服すべきことですか?(削除されないことを祈りつつ・・)
食べ物の好き嫌いは人の個性であり、尊重すべきものであって克服すべきものではないと思うのですけど。
食べ物の好き嫌いを克服させようとするのは、傲慢なことであり、自己決定権の侵害につながると思うのです。
子供にいやな思いをさせ、快適さを損なうことにつながります。
食べるも食べないもそれぞれの自己責任であり、教師による干渉は必要ないと思います。

>『徐々に苦手なものを克服する。』という営みがない。
なくていいと思うのです。苦手な食べ物は、食べる必要も食べさせる必要もないでしょう。
教師は、好き嫌いに干渉せず、子供の自己決定権を尊重すべきだと思うのです。
給食の時間は、子供が快適に過ごせるように環境を整えることが一番大切なことではないでしょうか。
給食の時間は、子供の快適さが第一であり、教師は子供に一時たりともいやな思いをさせないよう努力すべきでしょう。

子供の快適さの観点から見て、一時的にせよ子供にいやな思いをさせてしまう場合もある指導方法は問題だと思います。
教師の指導によりいやな思いをする子供の例をあげてみます。よければ参考にしてみてください。

教師「おっ。〜をまったく食べていないね。きらいなのかな。」
子供「うん。ちょっと、苦手。」
子供の心の中(苦手だから食べていないのに、そんなこといちいち聞かなくてもいいだろうに。)
教師「そうか。分かった。それならさ、これだけでいいから、食べることができたら食べてごらん。」
子供「無理です。」
子供の心の中(苦手だっていってるのに、なにすすめてきてるんだ全く。干渉してきてうっとおしい、いやなこと言わないでほしい。)
となる場合などもあるでしょう。
4. Posted by 文月   2011年07月26日 20:38
恐縮ですが、子供にいやな思いをさせず快適にすごさせている初任者さんの指導方法を尊重されてはいかがですか。
私は、初任者さんの指導方法は適切だと思いますけれど。

toshi先生、よければ子供に好き嫌いを克服させようとする欲を捨ててみてください。
心に開放感、安心感が広がって、教師も子供も、より快適に給食の時間を過ごすことができると思います。
食べ物の好き嫌いも人の個性ですから、干渉せずにしっかり尊重していきましょうよ。
それでみんな心がよりハッピーになれますよ。いかがですかね?
5. Posted by toshi   2011年07月27日 12:12
文月さん
 またですか。もういい加減にしてほしいですね。
 今回も丁寧にお返事したいとは思いますが、拙ブログがあなたの一方的なコメントでうめられてしまうのはこわいなあとも思っています。これを最後にしていただけませんか。
《食べ物の好き嫌いは克服すべきことですか。》
 克服すべきことでしょう。
《食べ物の好き嫌いは人の個性であり、尊重すべきものであって、》
 そういう部分があることは分かります。しかし、すべて個性と認めるわけにはいきません。ケーキが主食では困るのです。
《食べ物の好き嫌いを克服させようとするのは、傲慢なことであり、》
 何が傲慢ですか。あなたのコメントこそいつも傲慢です。高飛車に自説を押し付けるようにコメントしてくることがあまりにも多いですね。
《食べるも食べないもそれぞれの自己責任であり、》
 小学生に対し、自己責任ですか。冗談じゃありません。自己責任で済む話なら、小学校の教員は楽なものです。やりたいようにやらせておけばいいことになります。そんな甘い話がありますか。
 わたしは、《子供の自己決定権を尊重》していますよ。拙ブログでは、それをものすごく大事にした主張をしていること、分かりませんか。ハッターさんはご理解いただけているのに、あなたには分からない。
 これまでも、その繰り返しでしたね。
《心に開放感、安心感が広がって、教師も子供も、より快適に給食の時間を過ごすことができると思います。》
 あなたに言われるまでもなく、そうした給食の時間を過ごせるように努力しています。強制して食べさせるわけではありませんし、いつも子どもの思いと意欲を大切にしての指導を心がけています。

6. Posted by toshi   2011年07月27日 12:31
最後に、あなたは本記事のリンク先記事をお読みになっているのですか。いつもそれを読まずにコメントを入れてくるのではないですか。
 本リンク先には、今の日本人の食生活に関する危機感が書かれています。
 あなたの言う意味での変な個性や自己決定権を大切にしていたら、日本人の生命は危うくなるでしょう。本コメントのtoshi欄にその記事のURLを貼りつけました。必ずお読みください。
7. Posted by 文月   2011年07月28日 17:28
toshi先生、こんばんは。
リンク先の記事は、すでに読ませて頂いてましたので、どうぞ誤解なく。

バランスのとれた食事が重要であると私も思っています。そして、教師はその重要性を子供たちに対して伝えるべきだとも思っています。
基本的にはtoshi先生と同じでしょうか。
ただ、教師からその情報を伝えられたうえで、あくまで決定するのは子供だと考えているわけです。
教師は、正しい情報を子供に伝えることが大切であり、子供は、その情報をもとに、自分で熟慮して決定することが大切ではないでしょうか。
そうした状況下での自己決定権・自己責任だということです。
野放図にさせよと言っているわけではありませんのでどうぞ誤解なく。
ですから、変な個性や自己決定権などと批判されるのは大変違和感を感じるわけです。
それと、給食で嫌いなものを残したからといって、日本人の生命が危うくなるというのは
どう考えても論理が飛躍しずぎています。はてなを感じざるを得ません。

toshiさんが、子供のことを大切に思っていらっしゃることは私も理解していますが、
子供にとっては、いわゆる「ありがた迷惑」になる場合があると思われませんか?
今回のコメントで私が問題としていたのは正にその部分です。
子供だって、教師から与えられた正しいと思われる情報をもとに、熟慮を重ねて、食べるか食べないか判断を下している場合があるのです。
教師は、そうした子供の自己決定をしっかり尊重するべきだと思います。
だから、正に初任者さんの指導方法こそ、適切だと思うのです。
toshiさん、あなただって熟慮を重ねた末に、食べないと自己決定した食べ物を人から食べるようにすすめられたら、たとえ強制でなく、本当の善意からのものであっても「ありがた迷惑」だと感じませんか。
子供だって同じことですよ!!!子供も大人と同じく、深く物事を考えていて賢明な場合もあると思いますよ。
8. Posted by 文月   2011年07月28日 17:32
それと、ケーキが主食では困るというのは理解できます。これもtoshiさんと同意見です。
ただ、給食ではケーキが主食になるメニューというのは通常ないでしょう。
ケーキはたまにデザートとして出されるくらいですから。
私たちは、今、給食の食べ残しの指導に関して意見交換をしているわけで、
それに関わる例え話としては、ケーキを主食にする例は少々論点がずれているのではないかと思います。

私は、意見を押し付けたいわけではなく、toshiさんと意見交換することにより考えを深めていきたいと思っているところです。
どうか真意をご理解いただけたらと思います。私は、toshiさんにすごく興味をもっているのです。
だから会話したかったのです。興味のない人なら会話なんてしませんよ。
私はあなたと指導方法について意見が違うだけで、あなたの善意は素晴らしいと思っていますので。
善意についてはあなたと同意見です。
どうぞ誤解なく。総論賛成、各論反対といったところでしょうか。全面的に賛成できず私も残念なのです。

私は、toshiさんには、ご自身と違う意見にも、広く聴く耳をもって頂きたいと思います。
違う意見をおそれられる必要はないと思います。最終判断はtoshiさんの自由なのですから。
大切なのは、広く意見交換を通じて、意見交換する者同士がお互いに考えを深めていくことではないでしょうか。
そこから相互理解も深まると思うのです。
もちろん私も、あなたのご意見にも聴く耳をもっていますので。
聴く耳をもっていなければ記事を読んでいないし、コメントもしていません。
お分かりいただけたでしょうか。
あなたの記事には良いと感じる部分もたくさんあるわけです。そこを賞賛できず恐縮です。
良いと感じた部分については、いずれまた賞賛させていただきますので。
9. Posted by toshi   2011年07月30日 00:43
文月さん
 あなたはいつもそうです。
 最初のコメントでは、《傲慢》《干渉》《侵害》といった言葉が並び、《謝罪》せよときます。とても、《意見交換》などという気分ではありません。
 そして、第二信となると、《誤解》という言葉になります。
 わたしがどこで誤解していますか。今回のコメントで申し上げましょう。
《バランスのとれた食事が重要であると私も思っています。そして、教師はその重要性を子供たちに対して伝えるべきだとも思っています。基本的にはtoshi先生と同じでしょうか。》
などという言葉もニュアンスも、3・4番からはうかがい知ることはできませんね。
 さらに、初任者の給食指導について、わたしは、『初任者がバランスのとれた食事が重要であることについて指導している。』などとはまったくふれていないのに、『子供にいやな思いをさせず快適にすごさせている初任者さんの指導方法を尊重されてはいかがですか。 私は、初任者さんの指導方法は適切だと思いますけれど。』とおっしゃる。
 したがって、誤解したなどとはまったく思っていません。
 《今、給食の食べ残しの指導に関して意見交換をしているわけで、それに関わる例え話としては、ケーキを主食にする例は少々論点がずれているのではないかと思います。》
10. Posted by toshi   2011年07月30日 00:43
・まず一点目。もう上に書きましたように、あなたのコメントを《意見交換》などとはまったく思っていませんよ。きめ付け、おし付け、罵倒。そのように思っています。
・次、二点目。《ケーキが主食》はたとえ話ではありません。今の日本人の食生活の深刻な事態を象徴するものと思っています。
 今の日本人の食生活の乱れを深刻に受け止めている人がいます。わたしもその一人です。それだけに学校給食の重要性はますます増しているのです。そのときに、野放図(あえて申し上げます。)な、子どもの気の向くままの食事では危機はますます深まると深刻にとらえているのです。
 あなたが今回いう(初めてうかがいました。)ような《教師はその重要性を子供たちに対して伝えるべきだとも思っています。》くらいでは、とても、バランスのとれた食事にはならないのです。
 以前、あなたのコメントに、《それでは学級崩壊につながります。》と書きましたね。今回も、食生活の崩壊につながると申し上げましょう。
11. Posted by 文月   2011年07月30日 21:17
必ずしも学級崩壊につながるとはいえないし、
必ずしも食生活の崩壊につながるとはいえないと申し上げます。
迷惑に感じる場合がある以上、toshiさんの給食指導は不適切だといわざるを得ません。
一方、初任者さんの指導は、私は迷惑に感じないので適切だと思います。
私に子がいたとしたら、必要な知識等を、家庭でしっかり子供に教えますし、初任者さんの指導を歓迎します。
toshiさんの指導方法は、はっきりいって非常に迷惑です。私の子にしてきたら許しませんので。

以前の記事で申し上げたことですが、体罰につながる可能性がより低い指導方法をされるべきであり、
今回も、迷惑に感じることにつながる可能性がより低い指導方法をされるべきだと申し上げます。
12. Posted by toshi   2011年07月31日 01:20
文月さん
《必ずしも学級崩壊につながるとはいえないし、必ずしも食生活の崩壊につながるとはいえないと申し上げます。》
 間違いなくつながります。そういう事例は山ほどあります。げんに今、そうした相談もメールで受けています。ただ話して聞かせるだけで、何も子どもへの対応がない事例です。文月さんが理想とする指導の結果です。
《私に子がいたとしたら、必要な知識等を、家庭でしっかり子供に教えますし、初任者さんの指導を歓迎します。toshiさんの指導方法は、はっきりいって非常に迷惑です。私の子にしてきたら許しませんので。》
 あなたの思いは自由ですが、それをわたしに適用することは、今度はわたしが許しません。
 現実に必要な知識等を家庭でしっかり教えないケースがあまりにも多いので、食生活が崩壊しているのです。分かりませんか。もちろんしっかり教えているケースもたくさんあります。その場合、学校は個別指導の必要がないのです。これも事実が証明しています。
 したがって、迷惑に感じることにつながる可能性は皆無なのです。逆です。『うちの子の食べ物の好き嫌いは、学校給食のおかげでなくなりました。ありがとうございます。』など、感謝、感動してくださっているのです。そういう事例ばかりです。
 ねっ。あなたの想い、考えの押し付けは、迷惑なのです。
 そして、自分にとって都合の悪い部分はふれずに済ませていますね。それこそ、謝罪の言葉もありません。
 したがって、今後、一切のコメントをお断り申し上げます。
 
13. Posted by 文月   2011年07月31日 11:41
どうか、この二つの情報を知っていただきたいと思います。
そうすれば、私の考えも少しは理解して頂けるのではないかと。

まず一つ目
>間違いなくつながります。そういう事例は山ほどあります

つながる事例があることはわかりましたが、つながらない事例も山ほどあるのですよ。
これはインドの小学校の例ですが、そのインドの小学校では休み時間がなく、
トイレは、授業中いつでも自由に行きたいときにいくように指導されているとのことです。
でも、どの学級も学級崩壊にはつながっていないとのことです。
ねっ、学級崩壊にはつながっていないでしょ。
現実に、学級崩壊につながっていない事例も山ほどあることを認識して頂きたいと思います。
必ずしもつながるわけではないことを、この事実が証明しています。

つぎ二つ目
>迷惑に感じることにつながる可能性は皆無なのです
いいえ、皆無ではありません。私の母は、toshi先生と同様の指導法により実際に迷惑に感じたのです。
私の母の例ですが、私の母は小学生のとき
苦手な牛乳を教師から飲むようにすすめられて迷惑したと言っています。いまでも母は怒っています。
ねっ、迷惑に感じているでしょ。
母は苦手な牛乳をのんでいませんが、私たち家族の食生活は崩壊していません。
私たち家族は、ずっと栄養バランスに富んだよい食事をしてきました。
ねっ、食生活の崩壊にはつながっていないでしょ。
これも事実が証明しています。 

最後に、toshi先生こそ、自分にとって都合の悪い部分はふれずに済ませていますね。
私はそのことについては、あなたを思いやって批判していないのに、
そんな私の思いやりを知らず、ご自分のことを棚に上げて私を批判ですか。それこそずるいです。
それと、一方的に私に言いたいことだけいって、あとは私のコメントを受け付けないのもずるいと思います。
14. Posted by 文月   2011年07月31日 11:45
ご自分だけ私に言いたいことをいって、あとは私のコメントを拒否するというのはやめていただけませんでしょうか。
私は対立は望んでいません。私は子供を守るためがんばっているだけです。
きっとあなたもそうでしょうが。
15. Posted by toshi   2011年07月31日 12:05
文月さん
 このコメント、しばらくはこのままとしましょう。そして、これを最後としましょう。
 『toshiはどこまで人がいいのか。削除しろ。』といったメールも複数いただいています。
 今後は、削除させていただきます。
 

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