2009年04月18日

子どもの感性を育む指導4

72402d7f.JPG 新たな初任者指導が始まった。今年度は、3年生と4年生の担任、2人を担当することになった。


 驚くことがある。こんなことは、初めてだ。

 Aさんは3年生の担任。いくらよその学校で臨時的任用職員の経験があるとはいえ、舌を巻く思いがした。


 わたしの勤務の初日。まだそのときは、子ども同士、よそいきといった感じだった。

「子どもが無表情だね。緊張しているのかな。でも、新しい学級にも新しい先生にもまだなれていないのだから、しかたないだろう。すぐ、かたさがとれていくよ。」

などと言っていたのに、


 その翌々日は、もう、みんな明るく楽しげで、その変化に驚かされた。いくら『すぐ』と言ったって、こんなにすぐとはね。でも、とてもうれしく思った。


 子どもたちの学ぶ態度がすごくいい。自由かっ達で、発表意欲も感じられ、それでいて、落ち着きも感じられた。

 子どもとAさんとの一体感を感じた。早くも信頼関係が構築されつつあるなと感じた。

 
 さて、そんな雰囲気の教室だが、今日言いたいことは、実はそのようなことではなくて(すみません。)、そんな子どもたちに、豊かな感性を育むにはどうしたらいいかという観点で、授業を中心に考えてみたい。

 なお、この学校は、今年度、豊かな感性を育むことを大切にしている。
 


 まずは、朝の会から。

 家庭学習の豊かさを感じた。

 一昨日は、国語の学習にからみ、きつつきについて調べてきた子がいた。そして、今日は、地域にある船について調べてきた子がいた。

 Aさんは、そうした子どもが自ら調べることを、とても大切にしている。発表する時間をとってあげているし、あとでほめることも忘れない。

 そのほめる言葉だが、ほめるというよりも、『感動した。』という感じがにじみ出ている。

 たとえば、『すごいね。』とたった一言、感嘆の声を上げた。感動のあまり、声がかすれてしまったが、それがかえって、効果的に感じられ、とてもいい。発表した子もうれしそうだった。

 初任の、しかも、まだわずか数日で、こういうことができる。それは、天性のものなのかもしれないが、すごいと思った。


 それを聞く子どもたちの反応も豊かだ。

「きれいな船だね。」
「へえ。そんな大きな船なの。」
「2000tて、どのくらいかな。」

 こうした子ども同士の係わり合いや、好奇心に満ちた様子に、前学年の指導の確かさを感じたし、また、今のAさんもしっかりそうした学びを継続発展させているようにみえた。


 そう。思い出したことがある。

 こうした指導が、家庭学習をよりいっそう豊かなものにするのだよね。

 わたしはかつて、『toshiの家庭学習(宿題)論』を書いたことがある。まさか、Aさんが、それを読んだわけではないだろうが、わたしの考えに近いものを、もうすでにもっているようだった。

 
 そういえば、Bちゃんがやってきた一昨日の『きつつき』の調べ学習についても、調べてきたことの発表のあと、Aさんは、そのBちゃんがもってきたきつつきの写真を使って、国語の授業を進めている。

 自分が自主的に調べたことが、日々の授業に生かされるということ。これも、Bちゃんにとってうれしいことだろう。

  

 次、2校時の図工である。

 小学校の場合、学級担任制だからだろう。一日の生活には、リズムというか流れというか、そういうものがあり、気分はかなり持続するものである。

 朝の会のそうした雰囲気があったからだろう。先生が、『さあ。図工だね。』と言うと、分かっているはずなのに、『いえぃ。』と歓声が上がる。


 初めて絵の具を使って、本格的な絵を描くことになる。本時はその導入だ。

「早く描きたいよう。」
「なんか、楽しそうだなあ。」

 そんな言葉が聞こえてくる。


 しかし、そのあとは、ちょっと問題の場面となってしまった。朝の会では、子どものやったことを大切にしていたが、授業となると、やはり、『これをしっかり押さえないと。』という思いになるのかもしれない。 



 この段階では、

 自分の好きな色を水彩絵の具でつくり、思いのままにぬって遊ぶ活動である。

 色をまぜる学習でも、『〇色と△色を混ぜると※色になる。』という知識を学ぶのではない。


 なぜ、こういうことにこだわるかというと、

 偶然できた色を楽しむ。

 発見の喜びを味わう。

 そういう心情を養いたいからである。それが色への関心を高めることにつながる。


 だから、

「うわあ。ピンクになった。」
「これ、何色だろう。」

などという言葉が、子どもから出てきたのはよかった。


 また、Cちゃんは、わたしに向かって、

「わたし、toshi先生の好きな色を作る。何色が好きですか。」
「ええっ。わたしかい。わたしは〇〇だから、〇色。」

 そう言ったら、すごく喜んで、また、色を出し始めた。

 
 まさに感性を養う授業だった。それは、人と人との信頼関係が深くかかわる。


 だから、先ほど述べたように、『先生の感嘆の声。』これがいいのだ。

 ところが、ここはやはり、図工だけに、しっかり押さえないといけないと思ったのではないかな。

 
「紫は紫でもいろいろな紫がありますね。濃い紫と薄い紫は、どうしてできるのですか。」
と発問。

「水の量の違いだと思います。」
「水をたくさん入れると薄くなります。」
といったやり取りになってしまった。

 子どもは一生懸命学んでいたから、知識はしっかり押さえられたと思うけれど、ここには、もはや、発見の喜びや感性はなくなってしまった。これでは何の感動もない。

「うわあ。紫は紫でも、いろいろな紫があるのだね。」

 そのように、Aさんの感動した言葉があればいい。この場合、答えを求める必要もない。

 

 次は、3校時の国語である。

 3年生の初めは、『きつつきの商売』という物語だ。

 きつつきが森の木々を突いて音を出し、お客さんに聞かせて商売をする話だ。

 「おとや」という看板が出てきて、音を出す商売にだんだん引き込まれていく。雨の日の特別メニューと合わせ、全員が幸せな気分になって終わる。

 その聞かせる音が楽しい。いろいろイメージがふくらむ。


 繰り返すが、この学校は子どもの感性を育むことを大切にする。

 それなら、このお話は、格好の教材になるのではないか。

 ところが、残念ながら、ここでも理屈の授業に偏ってしまった。

T「特別メニューって何ですか。」
C「今日しか味わえないメニューのことです。」
C「それは、雨の音です。」

 こうしたやり取りを、いけないとは言わない。大事な学習だ。

 しかし、それのみではね。


 たとえば、楽しかったのは、森のずっと奥から聞こえてくる『ドウドウドウ』の音。Dちゃんは、これを、日本語にない発音で、それは英語の発音だが、『du,du,du』と読んだ。

 それを、先生は、文字通り、『ドウドウドウ』と発音した。これは、先生が、子どもの読みを訂正したようにも見えた。先生は、『ドウドウドウ』以外何も言わなかったから、その意図は不明だが・・・、

 ここは、イメージを大切にする意味でも、子どもの読みを大切にしてほしかった。

「すてきな読み方だね。英語みたい。目を閉じると、雨の音がそう聞こえてきたのだね。」
などと言葉かけするのがよかったのではないか。

 そのうえで、『ドウドウドウ』の読みを押さえるのならとてもいい。

「教科書には、ドウドウドウと書いてあるけれど、それが、Dさんには、『du,du,du』って聞こえてきたのだね。」

くらいかな。


 また、Eちゃんは、教科書をみんなの方に向けて、挿絵を指さし、教科書を上下に揺らしながら、『シャバシャバシャバ』を、表情豊かに読んだ。

「雨がね。葉っぱにはねて、出す音です。」

 ああ。すてきな表現だなあ。ただの発言ではないよね。教科書を上下に動かすことによって、雨が葉っぱにはねている様子まで表す。

 こういうのにぜひ感動してやってほしい。


 次に、Aさんは、

『教科書にない、自分の思ったことでいいです。ノートに書いてください。』と言葉をかけた。これは、イメージをふくらませる意味でとても良かった。

 そして、ここは、Aさん、『思わず、思い浮かんじゃったのではないかな。いいねえ。』などの言葉かけができた。よかった。


 子どもが考えたすばらしい音が、いくつも出た。

 ジーンとしたのはFちゃん。
「〜のようで、サラサラサラ」。

 Fちゃんは歌うように、フシをつけた感じで表現した。

 これなど、Aさんは、口真似するだけでもよかったのではないか。また、

「すてきだねえ。このクラスのみんなも、きっと繁盛するおとやを開店できそうだ。」
などと言ってやれば、なお、よかったと思う。


 この単元は、すてきな本との出合い、新しい友達との出会いを通し、みんなでいっしょに雰囲気を盛り上げるように音読することをねらいとする。

 
 そして、そのなかで豊かな感性が開花することを願う。

 それなら、指導する側も豊かな感性をもってほしい。


 初任者らしからぬすばらしい指導は激賞した。しかし、さらに、感性を磨くべく、いろいろ注文もつけさせてもらった。

 でも、これだけできるAさんには、これから先、すごく楽しみだ。


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ninki



 やはり、指導者は、子どもの学びをよく把握しようと努力することが大切なのですね。

 子どもは実にしっかり学んでいるわけです。それを指導する側が、どうとらえるか、どう価値づけてやるか、そこにこそ、子どもの伸びの成否がかかっているのだと思うのです。


 世は、『知識を身につけさせなければ学習でない。』といった風潮ですが、

 わたしは、それも大切だが、もっと大切なのは、子どもの感性を養うことと思っています。

rve83253 at 15:32│Comments(8)TrackBack(0)授業 | 初任者指導

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この記事へのコメント

1. Posted by 今日   2009年04月19日 07:08
子どもの感性を育む指導・・・・・・・・・・

*    重要なことですね。ちょうど、このことを、本日、書きだしましたので、http://・・・を貼らせて戴きます。聴覚を中心にしたことですが。

2009.04.18
仲間が朗読・表現よみ・読み聞かせの本を出版・学力テスト

http://plaza.rakuten.co.jp/zyx1830/diary/200904180000/
2. Posted by きむきむ   2009年04月19日 17:17
お久しぶりです。
役員になってバタバタの毎日です。
こんな話を聞きました。

「教育とは『桶を満たす』ことではなく、『火を点す』ことである」
頭脳を満たす情報が氾濫している今だからこそ心に火を点す、やる気にさせることが大事。
「何のために」学ぶのかを深く自覚できれば、若き才能の芽は急速にのびていくもの。
子供達の心に、この前進のエネルギーを点火するためには、何よりもまず、親自身の心が燃えて前進していかなくては。「心」を燃え上がらせるものは「心」だから。

大切なものを忘れがちな今、親も先生も何が大事か考えていけたらいいですね。
3. Posted by 社会人   2009年04月19日 22:19
豊かな感性や
子供との信頼関係

構築できる一年に
したいです

勉強になりました

先生の更新が
待ち遠しいです

これからも
よろしくお願いします
4. Posted by toshi   2009年04月20日 18:16
今日さん
 記事のご紹介をいつもいただいております。ありがとうございます。
 実は、わたしは、音読全盛の今の風潮を、問題視していたのです。朗読。すらすら読むこと。そればっかりです。読めばいいといった感じです。
 でも、そうではないのですね。それを今日さんのブログと自分の担当する初任者から学ばせていただきました。
 まさに感性を養うための数ある表現手段の一つといったところでしょうか。
 学ばせていただきました。再度、ありがとうございます。
5. Posted by toshi   2009年04月20日 18:24
きむきむさん
《「教育とは『桶を満たす』ことではなく、『火を点す』ことである」》
 いい言葉ですね。今日の記事も、それに深くかかわるように思います。
 学力調査は使いよう。活用問題等、ほんとうは、『火をともす』うえでも、役立つはずなのです。
《何よりもまず、親自身の心が燃えて前進していかなくては。「心」を燃え上がらせるものは「心」だから。》
 ほんとうに学校現場が、学力競争によって疲弊している地域では、保護者に子どもを温かく受け止めていただきたい思いが強いですが、しかし、そういう地域では、そういう教育への保護者の支持が強いので、どうしたらいいか。
 せいぜいこのブログで訴えていくしかなさそうです。

 
6. Posted by toshi   2009年04月20日 18:28
社会人さん
 まあ、うれしくありがたいコメントをいただきました。社会へ、保護者へ、そして、教育現場へも、強く訴えていきたいと思います。
 今の時代、学校現場で教育に携わるものは、やはり現場の思い、気持ち、実態などを、強く訴えていかなければいけないと思うのですね。
 せっかくブログという手段を手に入れたのですから、がんばりたいと思います。
7. Posted by 中田   2009年04月20日 21:43
そうですね、本当にそう思います。

toshi先生が前回、コメントで、勉強自体は、やる気になれば家庭でもできるとおっしゃっておられましたが、
確かにそうで、
一定までは家庭や塾で十分、小学校程度のレベルならば習得可能だと思います。
ですが、中、高、大そして社会人と、学びの基礎になるのは小学校であって、
一見遠回りにも思える、集団での学びあいは、
家庭や塾では出来ないものです。

どうしても、保護者側は、薄い教科書を見て、
もっとレベルを上げてほしい!と勉強のレベル面ばかりに目が行きがちですが、
それは、各自家庭で補えば良いことであって、
学校においては、
学ぶ楽しさだとか、意見交換して理解を深め合ったり、違う意見にも耳を傾けたり、
そういう体験を小学生のうちは、沢山してほしいです。


8. Posted by toshi   2009年04月20日 23:46
中田さん
 ほんとうに、おっしゃるとおり、集団での学びあいは、学校の独壇場でしょうね。塾にしても、やろうとすればできるはずですが、実際問題として、そのような学習法をとり入れることは、稀有だろうと思います。
 集団での学びあいは、おそらく、フィンランドでも、そんなに活発には行われていないだろうと思います。
 学び合いに関わる指導については、メールにてもご質問いただいておりますので、近日中に記事にさせていただきます。
 よろしくお願いします。
 

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