2009年04月28日

全国学力・学習状況調査実施(3−2)算数編4

9dd99a57.JPG 本シリーズでは、今月21日に実施された全国学力調査の問題を検討、吟味する。その2回目で、今回は算数をとり上げる。


 さて、本調査問題を、ざっと眺めただけで、気づくことがある。

 それは、
『いやあ。日本の学力観も変わったものだ。』
ということ。


 問題を分析してみると、まだまだ、よくしてほしい点はあるが、進化していることは間違いない。簡単に申せば、『知識の暗記、技能の習熟から、考え方、判断力の養成へ』ということになる。


 問題なのは、社会(一部教育界を含む。)の方だね。こちらは、ちっとも進化していない。

『つめ込めばいい。』
『暗記させればいい。』
『小学生のうちは、読み・書き・ソロバンだ。』

 ああ。何ということだ。このネット社会といわれる時代に、江戸時代と同じ学力観でいいとは。


 さあ。こうした学力観の人は、本調査問題を見たとき、例外なく言うのではないかな。

『なんだ。これは。ひどい問題だな。』

 そう。だって、算数の問題なのに、『計算の答えを書く必要はありません。』だものね。それが何度も出てくる。


 計算の答えを求めない算数の問題。

 それは、まさに、黒船来航に匹敵するのではないか。学力観の革命的変化だ。


 わたしは、身震いする。

 わたしがブログを運営させていただいてあしかけ5年たつが、これまで、わたしが訴えてきたことが、ここに結実した感がある。

 だから、

 全国学力調査を、これからの教育を変革させる力としなければいけないのだ。わたしたち教員は、このことを、口をすっぱくしてでも、世間に説明する必要がある。


 今、黒船来航と申し上げた。

 そうなのだ。

 今回の黒船は、まさしくPISA調査だ。

 国は、二枚舌。あるいは、優柔不断だから、みんなが一致してこの方針で突き進んでいるわけではないが、(いや。内実は、今も少数派かもしれないよ。)

 少なくとも、この調査問題に関する限り、
『これからの日本は、PISA調査の学力観でいかなければ、世界にとり残されるよ。』
そういう思いで一致しているのではないかと思われる。(いや。ごめんなさい。例外もあった。それは問題の分析のなかで明らかにしよう。)



 ここでちょっと話を変えるが、いや、変えているようで、実は変えていないのだが、

 わたしは、過去記事に書いたことがある。

    学力検査の『品質』を高めるために(2)

 これは、我が地域の標準学力診断検査に対し寄せられた、保護者の声を書かせていただいたのだった。今、肝心なところだけを再掲させていただこう。


〇最初は、批判的な声。こういう声だった。

 「問題は式が立てられ、答えが出せればそれでいいではないか。何で面倒くさい、『こんな考え方もある。あんな考え方もある。』といったような文章をつくって、問題をややっこしくするのだ。
 おかげで、うちの子は答えを出せるのに、変な問題のために、×になってしまったではないか。」


 ね。

 『答えが出せればいいではないか。』

 これがむかしからある、日本の伝統的学力観だ。

 そう考える大人にとって、今回の調査問題にあるような、『計算の答えを書く必要はありません。』は、驚愕の問題と映るのではないか。


〇もう一人の保護者にご登場いただく。こちらは、賞賛の言葉を寄せてくださった。

 「子どもが持ち帰った検査を見ると、『あっ。いいなあ。』と思ってしまいました。

『算数の問題なのですが、何気ない子どもの生活の場面をとり上げて、その中で抱く算数的な問題意識を大切にしているな。』
『ちょっとこれまで見かけたこともないようないい問題だな。』と思いました。

 そして、そういう問題集があれば、我が子のために買ってやりたいなと思いましたし、また、日常の何気ない生活のなかで、算数的な話題を親子でとり上げられたらすてきだなと思い、その参考になる本でもあったらと思い、一年間、本屋に行くことがあると、探しておりました。

 しかし、とうとう、見つけることはできませんでした。みんなドリルのようなものや受験用といった感じのものばかりですね。

 それで、そういう問題集でも本でもいいのですが、ご紹介いただければと思い、教育委員会へ電話をしたのです。」

 この声にわたしがどう答えたかは、リンク記事に譲らせていただいて、


 いやあ。この電話をちょうだいしたときは、ほんとうにうれしかった。

 そして、実は、全国学力調査の算数(B)も、この種の問題に似ているのだ。


 どうだろう。これら保護者との電話でのやり取りは、もう5年前のことだけれど、この、後者の方がおっしゃったような、つまり、算数(B)のような問題集は市販されているのだろうか。

 少なくとも、わたしが本屋で見た限りでは皆無だった。

 やっぱり、黒船だね。
 


 なお、『黒船』と申し上げたが、そこで大切とされる学力は、何か。

 それは、通信票に記載される『学習状況の評価の観点』でいえば、『数学的な考え方』ということになる。

 だから、ほんとうは、黒船どころか、むかしからあった評価の一観点なのだ。ただ、これまでほとんどかえりみられることがなかった。それこそ、あったのは、知識・技能の習得のみ。

 日本人は、それで当然と考えてきた。


 というわけで、

 学校もうかうかできないはずだ。

 従来の学力観で日々の授業を行った場合、この調査問題を手にした子どもたちは、途方にくれるケースもあるのではないかと思われる。

 だって、とかく、日々繰り返される会話だと思うが、

「こんなの簡単。簡単。」
という子どもがいて、
「どうやって答えを出したの。」
と担任が聞くと、子どもは覚えている公式を言うだけで、再度、
「どうしてこの公式でいいの。」
と聞くと、
「分からない。」
「いいからいいの。」
「こう習ったから。」
「こうに決まっているの。」
など、答えにならない答えを言う子がいるのではないか。

 だから、こういう子どもにしてしまう授業をもしやっていたら、指導法を改善しなければならない。

 


 さあ、そこまで述べて、

 それでは、まず、算数(A)から見てみよう。

 残念ながら、(A)からは、上記のような革命的転換はうかがえない。でも、これはまあ、知識も大切だから、しかたないだろう。



〇またまた単純な計算技能だ。


 冒頭は、前回の国語同様、せっかく良問が増えているのにもかかわらず、単純な計算技能のみ。ここだけは、従来の学力観で大丈夫。PISA調査には、この種の問題はない。


 それなのに、なぜ、しつっこく残すのだろう。

・伝統的学力観への妥協なのかな。

・まだまだ、日本には、つめ込み論者がたくさんいるから、そういう教育を受けた子どもでも、ある程度は点数がとれるようにという配慮なのだろうか。


〇3番は生活実感を大切にした問題


 従来のつめ込み教育では、こうした『生活のなかで、およその見当をつける。』という学習はなかったのではないか。これは、ゆとり教育の産物だろう。

 また、上記、保護者がほめてくれた問題は、『教室のドア一枚のおよその面積を4つの選択肢から問うもの』で、本調査問題と同種のものであった。


〇実際に分度器を使わせたら。


 4番は実際に分度器を使ってはかる問題にしたらどうだろう。事前に、分度器を持ってくるよう予告しなければならないが、その方が技能が正確にはかれるのではないか。

 というのは、分度器の角への合わせ方だが、

 分度器の一番下の端、目盛りも線も何もないところ、余白部分といったらいいのかな。そこを、角を構成する一方の直線に合わせてしまう子もいるのだ。
 だから、実際にはかる問題にした方が、技能の定着度がより正確にはかれるのではないかと思われる。

 もっとも、点数アップにきゅうきゅうとしている地域では、予告しただけで、『分度器の問題がでるのだな。』と悟らせてしまうから、これもダメか。


 我が地域の標準学力診断検査では予告していた。毎年のことで、分度器、ものさし、コンパス、三角定規など、使うものは、毎年用意することとしていた。

 それに、まえもって、
「ふだんの皆さんの力を診るものです。成績には関係ありません。ですから、テストのための勉強も特に必要ありません。」
と子どもたちに伝えていたから、そのような心配をする必要はなかった。


 そう。だから、これは蛇足だが、点数アップにきゅうきゅうとするのは、こういうことにまで弊害をもたらす。


〇ついに出ました。『計算の答えを書く必要はありません。』


 わたし、この言葉が(B)問題で出るのなら、まだ分かる気がした。しかし、(A)で出るとは・・・。

 すばらしいではないか。子どもたちはびっくりしただろうな。

 あっ。何の問題か書かなければいけないね。

 5番の問題。

 これ、ただ答えを書くだけなら、簡単なはずだ。もうすでに学習しているから、知識としてはもっている。

 だけれど、これは知識を問うているのではないね。だって、三角形の3つの角の和が180度と、もうすでに問題に書かれてしまっているのだもの。また、四角形は三角形が2つ合わさったものというのも、問題に書かれてしまっている。

 わたしには、『答えを聞いてよ。』と不満げなおももちの子どもの姿が目に浮かぶ。

 まあ、やさしい問題だから、正答率は高いと思うが、

 しかし、頭の硬い子のなかには、

 三角形は180度、四角形は360度と知っていて、しかし、それだけに、式は思い浮かばず、正答を聞いて、『なあんだ。そんな簡単なことを問うていたのか。』とつぶやく子もいるのではないかと思われる。


〇6番。これもやさしい問題だ。


 それこそ、公式を知っていればいい。簡単に解ける。

 それだけに、せっかく方眼を用意したのなら、底辺を縦軸にとったらおもしろかったのではないかと、ちょっといじわる(?)なことを考えてしまった。



 それでは次に、算数(B)に移らせていただこう。


 いよいよ、子どもの生活場面にありそうな事象をとり上げての問題となる。


 ただ、今年は、昨年の正答率が低かったことをふまえ、出題がやさしくなったように思う。別な言い方をすれば、出題が親切すぎる傾向にありそうだ。


〇1番を見てみよう。


 (1)で、わたしだったら、ゆうじさんにこう語らせる。

「とても高くて背が届かないけれど、30センチのものさしがあるから、高さをはかることができるね。」

 そして、ゆうじさんは、なぜそう言ったのかを問うのだ。

 つまり、この問題では、問題文に、『上の図のかべの高さを知りたいので,階段を使って調べます。』と書かれてしまっているが、まさにそこを問うのだ。そして、選択肢ではなく、言葉で書く問題とする。


 (2)は、ちょっと問題ではないか。

 というのは、

 同調査(A)の5番の(3)で、すでに、平行四辺形の向かい合った辺の長さは等しいという性質をつかって、一辺の長さを求める問題を出題している。問い方は違うものの同種の問題を二度出していることになる。

 限りある出題数、時間の中で、このようなことがあるということは、粗雑な出題と言われても仕方ないのではないか。

 
 (3)も、気になる。

 というのは、解答するにあたり、『ゆうじさんの求め方』をなぞればいいようになっている。

 もし、『論理的に同じことがいえる。』と子どもに発見させる出題の仕方なら、それはそれで意味のあるものとなるだろうが、『ゆうじさんと同じ求め方』でと、問題文に書いてしまってあるのだから、それも違う。

 要するに親切すぎるのだ。それで、はたしてちゃんと学力をはかっていると言えるのか。

 
 もう一つ。大問題がある。

 この種のなぞらせる問題は、昨年度も出題している。

 だから、点数アップ訓練をしている地域は、この種の訓練もしているであろう。

『いいかい。上のゆうじさんの求め方、考え方をよく見てごらん。それと同じに書けばいいのだよ。ただ数字と、たてが横になることだけ気をつければいい。』

 そんな言葉をかけてしまっている姿が目に見えるようだ。


 ああ。それで、何の活用問題か。何の『数学的な考え方』か。

 ここでも、訓練の弊害が見える。

 やはり、作問者は、こういう世相である以上、そこまで見通して作問すべきではないかな。


〇2番は本来なら良問だ。


 (1)はありきたりだが、これはまあ、(2)への導入の役割を果たしていると考えれば、これでいいだろう。

  (2)は、本来なら良問となるところだが、やはり、親切すぎる。

 実験の表の『実験から分かったこと』も、『考えられる重さ』も、すべて空欄にして解答するようにすればいいと思う。


〇3番の(3)は良問だ。しかし、・・・。


 これはいい。

 なぞるわけでもない。

 文章と式で答えさせる。まったくの自由記述問題となっている。まさに、活用力を問うているといえよう。

 そうして、こうした出題の仕方は、従来の伝統的な問題にはなかったものだ。したがって、まあ、『おそらく』市販の問題集にもないであろう。


 ただし、だ。

 解説を読ませていただくと、ちょっといただけない。


 正答は、

「ハンカチを買うと、500−350=150で、残りは150円しかない。残りのおみやげのなかで一番安い消しゴムでも200円するから買えない。」

「ハンカチを買うと、残りのおみやげのなかで一番安い消しゴムを買おうとしても、350+200=550で、合計すると550円になってしまう。お金は500円しかないのだから買えない。」

などとなるだろう。

 しかし、どうも、解説を読むと、

 ハンカチとボールペンを買うと、350+280=630で630円となり、ハンカチとノートを買うと、350+250=600で600円となり、ハンカチと消しゴムを買うと350+200=550で550円となり、どれも500円を超えてしまうから買えない。」

も正答のようなのである。


 読者の皆さんはどうお考えになるだろうか。

 確かに、知識・技能重視なら、『正答がでれば、どれだっていいではないか。』という考えも成り立つだろう。

 しかし、『数学的な考え方』ととらえた場合、どの答えも価値は同じだろうか。

 がんらい、『必要最低限の言葉で言い尽くす。』ところに価値があると言えないか。大人になってからも役に立つ実用的な学力重視なのだものね。

 この場合、3つとも計算する必要はない。


 だから、PISA調査なら、おそらく、『上2つは完全正答で10点。下のは言わなくていいことまで言っているから−2点で、8点。』そういう採点の仕方をするであろう。


 ここにも授業改善のポイントがある。

 日ごろ、そういう、『数学的な考え方』重視の授業をやっていなければダメだ。『いろいろな解き方があるね。どれも皆正解だね。しかし、一番楽で便利な解き方は、』とか、『一番応用のきく解き方は、』とか、

 とにかく、『正解か、不正解か。』だけしか問わない授業をやっていたのでは、上記3つはいずれも〇にせざるを得ないだろう。

 いや。ていねいに書いてあるだけ、一番下のがいいともなりかねない。

 さあ、本調査を授業改善に役立てるためには、採点まで含め、よく吟味してもらわないとね。


 ここで、またまた蛇足だが、

 『数学的な考え方』を養う授業を、3つほど紹介させていただこう。

・最初は、わたしが担当した初任者の授業だ。2年生の最終単元。
    パワフル算数

・次は、4年生の式と計算 ただし、記事のテーマは、こうした考え方重視の授業は、いじめ防止につながるというものだ。
    いじめ防止と算数の授業(1)

・最後は、4年生の分数 『1を分けたら』ただし、これは、『小学校初任者のホームページ』の方である。
    1をわけたらどうなるの
 

〇すみません。もう、だいぶ長くなってしまったので、以下は省略させていただきたい。でも、あえて、2点だけ。

 
・(B)活用の4番も5番も、3番同様に、文章記述をとり入れている。これはとてもいいことだと思う。我が地域の学力調査でも、こういうことはなかった。今、反省している。
 
 これを、日々の授業で考えてみると、子どもたちが、『ああでもない。こうでもない。』と説明し合ったり、論争し合ったりする姿につながる。

 子ども同士が話し合うなかで深め合うのだ。

 そういう経験をたくさんしていれば、この種の問題は、何の抵抗もなく、自然体で解くことができるだろう。


 しかし、冒頭書かせていただいたように、

 もし、日々の授業で見られる子どもの姿が、

C「こんなの簡単。簡単。」
T「どうやって答えを出したの。」
C「公式に当てはめたのだよ。」
T「ふうん。どうしてこの公式でいいの。」
C「それは、分からない。」
C「いいからいいの。」
C「こう習ったから。」
C「こうに決まっているの。」
という感じだったら、もはや、この(B)問題の、『文章と式で答えなさい。』を解くのは、大変な困難をともなうに違いない。


・もう1点。

 各問題は、大きな1番、2番・・・の後、(1)、(2)・・・と続くようになっている。この(1)、(2)はみな同じ性格をもっているのだろうか。

 わたしは、大まかに言って2種類あると思う。

 一つ目は、本調査(B)の3番のような問題。

 これは、バスに乗る場面、博物館で展示物を見る場面、おみやげ売り場でおみやげを買う場面というように、並列的、羅列的な問題の展開となっている。1番が解けなくても、2番を解くことは可能だ。

 それに対し、もう一つは、順番に質が深まっていくもの。

 本調査問題なら、4番がそれにあたる。1番が解けないと、以下はかなり解きにくくなるだろう。だから、この種の問題の1番は、かなり平易に作ってある。

 これは、問題が、必然的な学びのつながりを示すようにできている。

 日々の授業は、後者のようでありたいものだ。以前、記事にした、『大河ドラマ型』がそれにあたる。


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ああ。KGさん、とびうおさん。またまた、ごめんなさい。

 今度こそ、総合的な考察を加えさせていただきます。そのなかで書かせてください。

 たびたびの延期で、ほんとうに申し訳ないです。

rve83253 at 15:29│Comments(2)TrackBack(0)算数科指導 | 全国学力調査

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この記事へのコメント

1. Posted by yoko   2009年04月30日 12:09
『計算の答えを書く必要はありません。』
これには驚きました。娘もびっくりしたようです。
でも、「答えよりも式とか考え方の方が大事だもんね」と笑顔で言っていました。
算数は楽勝だったそうで、見直しをしても時間があまったそうです。それに引き換え国語は時間が足りなくて2問できなかったそうです。
自分で文を考えて書くのに時間がかかったそうです。うちの娘はここに課題がありそうです…。
後日、家で答え合わせ等させましたが、学校ではやりっぱなしなのでもったいないですね。
2. Posted by toshi   2009年05月01日 01:00
yokoさん
 お嬢さんも、この学力調査が、『黒船』であることを感じられたのでしょう。これが刺激となって、日々の学校によるテストや授業が、『考え方』重視に向かってほしいですね。
《自分で文を考えて書くのに時間がかかったそうです。》
 慎重派で、熟慮を重ねるタイプなのでしょう。
 しかし、こうした力も日ごろはあまり問われていないのではないでしょうか。『何を書いたらいいの。』『どう書いたらいいの。』など、そういう思いが先にたったのではないかと思います。
 やっぱりこの調査が、授業改善に向かう契機となってほしいと思います。
《学校ではやりっぱなしなのでもったいないですね。》
 ほんとうです。やりっぱなしでは、改善につながらないですね。やる気になれば、授業の中で、調査が目ざす学力について、みんなで考え合うことも可能ですものね。
 ぜひ、そうしたことにも力を注いでほしいものです。

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