2009年05月05日

小1プロブレムの心配は?(3) 今日は子どもの日だけれど、4

d329eeb3.JPG 今日の記事は、
    小1プロブレムの心配は?(1)
     小1プロブレムの心配は?(2)
から続いています。


 さあ、今日は、子どもの日。

 この国は、子どもにとって住みよい国となっているのでしょうか。どうも最近、拙ブログでは、子どもにとって暗い話題が多くなっているように思います。

 少しでも、『未来は明るい。』という方向性を感じ取っていただけるようにがんばっていきたいのですが、どうなりますか。自信がなくてすみません。



 それでは、前回の続きですが、(2)の記事で、わたしが言いたかったことは、


 新指導要領実施により(?)、今年の4月から、新1年生の午後の授業が週3日、あるいは4日になったと思われていることについてだが、

 
 これは、やはり、おかしいのではないか。

もっと学校は主体性をもって、弾力的な運用を図るべきだ。

 そうでないと、はるえもんさんが心配されているように、『小1プロブレムの深刻化』の懸念は避けることができないと思う。



〇新指導要領は、確かに、授業時数増をうたっている。

 しかし、同時に、総則の第3『授業時数等の取扱い』にあるように、

『〜、週当たりの授業時数が児童の負担過重にならないようにするものとする。』とか、
『〜、時間割を弾力的に編成することができる。』
とか、そういうことも言っているのだ。


〇かつて、4月からの『4校時までの授業、また、給食開始』については、保護者のニーズを反映しての、教委の強力な指導(?)があった。

 しかし、今回、それはない。

 考えてみれば、それも当然か。

 保護者にしてみれば、給食があればいいのだし、それに今は、当時とはくらべものにならないくらい、放課後学童クラブが充実している。(我が地域だけではないと思う。)

 午後の授業があろうがなかろうが、保護者にとって、それが切実な問題ということはない。

 だから、今回の授業時数増は、純粋に教育の問題としてとらえることが可能なのである。


〇ならば、学校としては、学習指導要領がいうように、『児童の負担過重にならないように、』とか、『時間割の弾力的な運用を、』とか、それを第一に考えていいはずだ。

 むかし(と言っても、まだほんの10年くらい前までのことだ。)、段階を踏んで、徐々に授業時数をふやすことによって、幼稚園・保育園から小学校へのスムースな接続をはかっていたように、

 今回、午後の授業をとり入れるのも、いきなり4月からにしなくてもいいのではないか。


〇思うに、学校は、今、学力低下論から始まった一連の世論、それを受けての授業時数増、そうした声に対し、一切異論を唱えることができないでいるようだ。トラウマになっていやしないか。

 『徐々に子どもたちを学校生活に慣れさせていく。』という、その考え方を忘れてしまったのではないか。

 『子どもの実態から、望ましい授業時数の運用を考える。』という検討をどれだけしたのだろうか。疑問だ。


〇学校は、とかく『右へならえ。』式で、独自色を出すことにちゅうちょしてしまうことはないか。説明責任はしっかり果たさないといけないが、もっと自信をもって、挑戦的に、特色を出すことを恐れず、がんばってほしいと思う。
 

〇これは、どうも、我が地域だけのことではなさそうだ。はるえもんさんのブログや、それに寄せられたコメントを拝読して感じるのだが、もしかしたら、日本中にいえることなのかもしれない。


〇以上、わたしは、この問題は、新学習指導要領というよりも、子どもを第一に考える姿勢をなくした学校現場の問題であるような気がしてならない。



 以上、

 『小1プロブレム』という言葉をできるだけ使わないできたが、読者の皆さんは、それを意識においてお読みくださったと思う。なにしろ、タイトルにしてしまったのだからね。

 3回にわたって書いてきたが、『小1プロブレム』が、こうした一連の流れと無関係ということはないであろう。


 ところで、

 わたしが本シリーズで言っているのは、たかが4月の午後の授業時数のこと。せいぜい、10時間余のことに過ぎない。

 しかし、もし、子どもたちに、『小1プロブレム』というような現象が起きた場合、また、大人の目には分からないが、子どもの内面にストレスが存在した場合、これはもう、『たかが、』では済まされない。

 そういう大事な時期の10時間余であることを忘れないようにしたい。


 もう一つ。わたしは、もっと根っこにあると思うのだが、

 元来、従来の4月からの午前中目いっぱいの授業、給食開始だって、問題は抱えていたはずだ。


 わたしが、かつて、このことについて教職員にお願いしたことを、再度、思い出してほしい。

 もともと子どもにとってそれが望ましいから改めたというのではなく、社会的な要請からしたのであるから、

・4月の3・4校時は、子どものお守りをする。そういう感じでかまわない。校庭で思いっきり遊ばせる時間であってもよい。

・給食は、担任一人では無理。複数の大人のお手伝いが必要。

 そういうことにちゅうちょしないで、


 そのように言ったわけだが、これまで、それがどれだけ、できていたのだろう。

 はるえもんさんのブログにも、『1年生の給食時の教室は、戦場のよう。』とあっただけに、心配だ。


 せめて、4月からの午後の授業が始まっても、いや、もう始まっていたわけだが、そうした原点における心構えも忘れないでほしいものだ。


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 保護者のニーズに応えての対応は、教育的な取組ではなく、社会問題的な取組と申し上げました。

 『だから、どうなのだ。』と言われれば、わたしは、やはり、少子化といわれる現在、保護者が働きやすい環境を整えるのは、大事なことと思います。

 ただ、それが子どもの犠牲のうえに成り立つようなことになってはならないでしょう。

 

 さて、次回ですが、

 これまで、3回にわたり記事にしてきたことは、『小1プロブレム』の主要因になりうるのか。もしそうだったら、『子どもの犠牲のうえに』ということになってしまいますね。
 わたしが担任した学級で、『小1プロブレム』を想起するような出来事はなかったのかということと関連させながら、記事にしたいと思います。

 引き続き、ご愛読賜りますよう、お願いします。 


 (次回へ続く。)


rve83253 at 14:07│Comments(0)TrackBack(0)教育制度・政策 | 学校経営

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