2009年05月24日

子どもの無限の可能性を信じよう。(2) いただいたコメントに感動!5

43fc580a.JPG いやあ。ほんとうにすごい。感動しっぱなしである。

 以前、『ブロガー冥利に尽きる。』という記事を書かせていただいた。しかし、最近は、そのときとはまた別な意味で、同じ感慨を抱くことが続いている。

 上記、『ブロガー冥利〜』は、『toshiのおかげで、〜。』とおっしゃってくださるコメントやメールを紹介させていただいた。

 しかし、最近は、ある意味、それとは逆で、わたしが学ばせていただいている。


 読者の皆さんの方が、すばらしい体験をたくさんお持ちなのだ。わたしの書く記事など、足元にも及ばない。そんな思いを強くしている。


 その一回目は、『小1プロブレムの心配は?(番外編) すごい取組があった。』という記事であった。

 そして、今回は、その第二弾といっていい。

 またまた、読者の方から、感動的なコメントをいただいた。

 前々記事の、『子どもの無限の可能性を信じよう。』に寄せられたコメントの6番である。中さんからいただいた。

 

 今、ここに、再掲させていただこう。

 それでは、どうぞ。



 先日、担任の先生に赤ちゃんが生まれたのです。

 そこで、お祝いに、寄せ書きでもプレゼントしたら喜ばれるのでは?と我が子に提案しました。ちょうど、色紙が家に1枚残っていたのです。

 最初、我が子は、『休み時間ないしなあ、みんな書いてくれるかなあ〜。』と不安げでした。ですが、どうすれば良いかは、一切アドバイスせず、学校へ行かせました。

 そして、我が子が帰ってきて、
「今日は、クラスでお祝いパーティーして大成功だった!!」
と興奮冷めやらない様子で言うのです。

 お祝いのために、先生に気づかれないように寄せ書きをしようと声をかけると、
 子供達は、寄せ書きのレイアウトやデザインを考え、クラスだけでなく、学校の全職員にまで、1日かけて、メッセージを書いてもらったそうです。

 記入漏れはないか、廊下の掲示板の先生方の写真を見比べチェックをし、最後に校長先生のところへ。

 校長は、くす玉を用意してくれたそうです。彼らは、色紙と、折り紙を細かくちぎったものを沢山詰め、帰りの会のときに、教室の窓を全部閉め切って、息をひそめて先生を待ちました。

 先生が入ってくるなり、
「おめでとう!!!」の紙ふぶきの嵐☆
くす玉がパカッと割れて、中から大量の紙ふぶきと色紙が!

 これを聞いて涙したのは、言うまでもありません。

 余計な入れ知恵をしないで、正解だったと思いました。

 普段、みんなで何かを成し遂げることがスゴイ!と、先生が口癖のように、仰っているのが、子供の心に届いていたんでしょうね。

 それにしても、まだまだ幼いと思っていた子供達が、ここまで1日がかりで事を成し遂げるなんて、その日は感動しすぎて、胸いっぱいでした。

 先生は、もっと幸せだったことでしょう。



 以上である。



 ほんとうに、タイトルの、『子どもの無限の可能性を信じよう。』を、地でいく話ではないか。そして、わたしが記事に書かせていただいた事例より、はるかに説得力があり、感動的な内容だった。


以前も確か書かせていただいた。

 学校は、言うまでもなく、意図的・計画的・組織的な営みを大事にする場だ。

 しかし、ともに毎日生活していれば、ハプニングは必ず起きる。そして、そのハプニングが起きたときこそ、日ごろの心のつながりが、よきにつけあしきにつけ、目に見える形で現れる。

 この場合、一番感動を呼ぶのは、すべて子どもたちが主体的に考え行動したということではないか。

 そして、子どものまわりにいて、子どもとかかわっている大人たちが、そうした子どもの取組を支えてやっている。温かな目で見守っているといったらいいだろうか。

 よけいなことは一切言わない。

 それは、中さんにしても、学校の教員にしても、まったく同じだ。

 そして、必要な支援に関しては、そっと手を差し伸べる。色紙やくす玉をわたしてやったのだよね。・・・。子どもたちは、喜んだことだろう。


 もともと豊かな土壌はあった。

 そこに、陽気がいいことと、質のよい種がまかれたことにより、ものすごく感動的な実りがあったとなるだろうか。


〇これぞ、『ゆとり教育』の極致である。『生きる力の育成』の極致でもある。

 これを学力といわずして、何を学力というか。

 そう言いたいくらいだ。

 『子ども自ら、主体的に行動し、アイデアを出し合い、学級のみんなが一つの目的に向かって、一致協力し、豊かな人間性を育んでいる。』

 それこそ、学校の教育目標が具現化された感じさえする。



 ここで唐突に話を変えてしまうが、すみません。お許しください。


 中さんのコメントから、わたしは、全国学力調査の算数、活用問題を思い出した。

 先に記事にさせていただいた。『全国学力・学習状況調査実施(3−2)算数編』である。

 この記事で、わたしは、次のように書いた。



 1番の(1)『階段の段数と一段の高さから、天井までの高さを求める問題』で、わたしだったら、ゆうじさん(問題文に出てくる子どもの名前)にこう語らせる。

「天井までは高いから、背が届かないけれど、30センチのものさしがあるから、天井までの高さをはかることができるね。」

 そして、ゆうじさんは、なぜそう言ったのかを問うのだ。

 つまり、この問題では、問題文に、『上の図のかべの高さを知りたいので,階段を使って調べます。』と書かれてしまっているが、まさにそこ(階段を使えば解けると気づく力)を問うのだ。』

 そして、そういう問題作りをしてこそ、解説資料にあるような、『子どもの生活場面における問題解決』を重視した作問になると述べた。



 読者の皆さんは、わたしが、中さんのコメントから、なぜ、この、調査問題を思い浮かべたか、お分かりいただけるだろうか。


 それは、次の部分である。

 『記入漏れはないか、廊下の掲示板の先生方の写真を見比べチェックをし、〜。』


 実は、

 算数の学習指導要領、4年の(D)数量関係には、
(3) 目的に応じて資料を集め,分類整理したり,特徴を調べたりすることができるようにする。
とあり、さらに、
そのイに、『資料の落ちや重なりについて調べること。』とある。


 まさに、子どもたちは、この学習を、授業としてでなく、生活として、誰から教わるということもなく、やってのけたのだ。

 そこには、
・大好きな先生の赤ちゃんの誕生をお祝いしたいという思いと、
・お祝いの色紙には、一人の先生の落ちもあってはならないという、
 切実な思いがあったに違いない。

 それに支えられて、子どもたち自身で発見した問題解決法であった。


 まさに、国の言うところの、『生きる力』『学ぶ力』という学力が、フルに発揮された瞬間である。

 この項の冒頭に述べた『ゆとり教育』の極致とは、そういう意味である。


〇中さんは、コメントの最後に書かれた。

 『先生は、もっと幸せだったことでしょう。』

 いやあ。ほんとうにその通り。

 この幸せ感は、2つあるかな。

 1つは、そりゃあ、『お祝いしてもらえれば誰だってうれしい。』という部分と、

 もう1つは、やはり、学級担任としての喜びだ。ここまでやってくれたという、子どもたちの成長・・・、それを実感できた喜びと、その双方があるのではないか。


 そして、後者の喜びの中には、次のようなことも含まれるのではないか。


 それは、ここまでやる子どもたちなのだから、もう、学級はかなりまとまっていると言えるだろうし、担任の先生大好きという気運もあるだろうが・・・、

 しかし、中さんのお子さんが、『〜。みんな書いてくれるかなあ〜。』と不安げでした。

という現実もあるとすれば、

 このお祝いの行事(?)を通して、それだけのことをやったという自信から、今後、学級の雰囲気はさらに盛り上がっていくとも言えよう。


〇そして、コメントをお寄せくださった中さん(お母さん)にも、

 涙したとか、

 『まだまだ幼いと思っていた子供達が、ここまで1日がかりで事を成し遂げるなんて、その日は感動しすぎて、胸いっぱいでした。』とかあるように、

ものすごい幸せ感を抱かれたのではなかろうか。


 考えてみれば、きっかけをつくられたのは、まさに、中さんだったのだよね。

 僭越ながら思う。

 中さんの思いは、子どもたちはもちろん、教職員全員ともひびき合ったのだ。それは、もちろん担任のすばらしさもあるだろうけれど、思いが共有できた喜び、

 それも中さんの心の中にあったのではなかろうか。


〇最後に、わたしは、中さんにお詫びしなければならない。

 これまでとは違う記事、『道徳教育の現状は?』にお寄せいただいたコメントに対し、わたしは、ちょっと失礼なコメントを返してしまった。

 それは、6番なのだが、次のようなコメントである。

 ただ、『学ぶ力』『生きる力』も、大事な学力の一つであることを思うとき、《様々な考え方、解き方があり、みんなでそれを話し合えたこと、知恵を出し合ったことは、すぐに正解を出すよりも、大切なことなんだ。》ということも、指導者が一方的にしゃべってしまうのではなく、子どもの気づきにゆだねたいですね。


 もうさんざん書いてきたように、子どもたちは、十分、『学ぶ力』『生きる力』を養っているし、今後とも、自ら養っていくであろう。

 このような注文をつけることなど、何も必要なかった。

 よく分かりもせず、勝手に自分の思いを書いてしまったこと、お詫びします。


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 記事を書き終えて、わたしもかつて、似たような事例を記事にしたことがあったと思い出しました。

 ここにリンクさせてください。

    子どもたちとのお別れ


 それにしても、子どもって、信頼して取り組めば、ちゃんと信頼を返してくれるものだなと、今回も、深く感じることができました。

 ありがとうございました。

rve83253 at 13:59│Comments(6)TrackBack(0)児童観 | 子ども

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この記事へのコメント

1. Posted by 中   2009年05月25日 13:53
この話の続きです。
子供達は、その日、上級生の委員会活動があることを知っており、
担任の担当する委員会の5.6年生の先輩を探しに、教室まで行ったのです。

なぜ行ったのかと言うと、休み時間や給食時間に、
先生に内緒で皆で作った紙ふぶきを渡すためです。
委員会でも、お祝いするように言いに行ったのです!

すると、「もう、俺達も用意してるけど〜」と言われ、紙ふぶきを渡さずに帰ってきたということです(笑)。
先生は、他でもお祝いされたということです。

それから、我が子のクラスの子供達は、同学年の他のクラスの子たちにも声をかけ、お祝いを見に来るように言っていました。
お稽古があったりで全員は来れなかった様ですが、
それでも、沢山の生徒がお祝いをしたようです。

大量すぎる紙ふぶきに(笑)、掃除が大変だったようですが、先週は、
我が子は何かにつけ、「今週は、ほんとにいいことした。」と何度も思い出しては言っていました。

先生も連絡帳のコメントで、教師になって良かったと改めて思いましたと、仰っていました。

指示待ち人間が多いといわれる昨今で、
こんなにも主導的に、大勢の子達が協力しあうとは、本当に驚きです。

まだまだ余韻の残る今日この頃です。

2. Posted by toshi   2009年05月26日 05:06
中さん
《子供達は、その日、上級生の委員会活動があることを知っており、担任の担当する委員会の5.6年生の先輩を探しに、教室まで行ったのです。》
 お子さん、確か3年生でしたよね。わたしの経験から言わせていただくと、これもすごいことです。ふつう、いくら委員会活動があることを知っていても、それだけで、3年生と5・6年生がふれ合うということは、ほとんど考えられません。
《指示待ち人間が多いといわれる昨今で、こんなにも主導的に、大勢の子達が協力しあうとは、本当に驚きです。》
 このことが一番感動したことですね。日本の教育の課題のような気がします。お子さんの学級の子どもたちが、今後どのように成長していくか、ほんとうに楽しみなことだと思います。

 
3. Posted by 中   2009年05月26日 12:43
おそらく、普段から高学年との交流をしているからだと思います。
縦割りの遊び班があり、毎週1回は昼休みに遊びますし、給食を6年生のところで食べに行ったりなども聞きました。
学年を超えて、あだ名で呼びあったりしていますので、仲が良いのかもしれませんね。
4. Posted by toshi   2009年05月27日 09:43
中さん
 なるほど。よく分かりました。日頃のそのような取組があるのですね。地道なそういう取組が、いざというとき、功を奏するのですね。
5. Posted by しょう   2009年06月01日 20:22
“しょう”です。こんばんは。

>縦割りの遊び班があり、毎週1回は昼休みに遊びますし、給食を6年生のところで食べに行ったりなども聞きました。(中さん)

>地道なそういう取組が、いざというとき、功を奏するのですね。(toshiさん)

 拙ブログで以前「教育を変える学校の力とは“教職員集団の力と生徒集団の力”である」ということを述べましたが、私は生徒集団の力を高めていく取り組みとして「小、中でも行われている『縦割りの活動』(上記のような異年齢交流も含む)」に注目しています。

 ある中学校の「再生」を目指して行われた「縦割り活動」の取り組みを記事にしました。

 (すでにお読みいただいたかもしれませんが)URLをおかせていただきますのでよろしければご一読ください。

http://plaza.rakuten.co.jp/shchan3/diary/200904180000/
http://plaza.rakuten.co.jp/shchan3/diary/200904250000/
6. Posted by toshi   2009年06月02日 13:38
しょうさん
 いつもありがとうございます。
 今回もすてきな記事をご紹介いただきました。
 我が地域に限らずだと思いますが、小学校において、縦割り活動は、割合活発です。6年生と1年生といったら、大人と子どもくらいの違いがありますから、必然性があるのかもしれませんね。
 ご紹介いただいた中学校の取組も、スポーツを取り上げるなど、必然性を大切にした取組のように思いました。
 中学校の場合、ただ縦割りをやったとしても、それだけでは必然性は薄いでしょうから、そこに先生方の知恵、配慮などがあったのでしょうね。
 大きく成長すればするほど、それまでの生育歴も長くなるのですから、その分、大変な取組になっていくと思います。頭の下がる思いがしました。

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