2009年06月04日

学習問題とは(7) わけ方はいろいろ!4

a7c5b1de.JPG 本シリーズは、『正解はありません。(あるいは、みんな正解です。)考え方は多様です。』をテーマにしているように思う。

 しかし、実際、多く行われている授業は、『正解は一つです。他は間違いです。』ではないだろうか。


 このことに関し、先の記事、『学習問題とは(6) 子どもとのズレ!?』に、しれとこままさんより、コメントをいただいた


 
 以下、再掲させていただこう。

 授業参観に行くと、先生の「こうしたい」と思う目的と子供の考えのズレがわかりますが、参観日というプレッシャーか、若い先生だからか、目的外の方法を述べた意見を無視、もしくは簡単に流しちゃう(ポイってする感じ)ありました。

 社会以外でも、「正解!」を先生は求めてるので、ちょっと違う方法で正解を出した息子は(算数でしたか)数少ない正解者だったにもかかわらず、流されてしまいました。
 その考え方は、先生の正解ではなかったからです。時間も終盤でした。余裕というものは無くなっています。どうしても、少ない時間で「正解」を導き出そうとすると、急いでしまいます。
 頭では「自主性」や「考える力をつける」と思っていても、時間というものにさえぎられた感じでした。

 「ゆとり教育」には「考え方」だけでなく「時間」もゆとりが必要ですし、「基礎力」も必要かと思います。

 教える内容を減らしても、授業時間が減ってしまっては、ゆっくりと子供が考える時間がないですし、基礎力をつける時間もないんです。積極的に意見を出したり、考えたりするには、やはり頭の中にも余裕な部分がいるのではと考える次第です。


 そう。

 この時間がないというのは切実で、前記事で引用させていただいた、rusieさんも、子どもとともに学ぶ授業のすばらしさをおっしゃった後で、次のように続けられた。


 〜。
 でも,今の悩みは時間と体力の問題です。6時間授業が増えて,放課後の時間が短くなりました。私の場合は,6時半ごろまでは学校で仕事,家にも持ち帰りです。それでも,終わらず,準備不足のまま学校へ・・・という日々です。何を優先するか・・という問題だとは思うのですが,うまくできていないのが実情です。

 以前と何が違うのか,よけいなことに時間を取られてしまっているのかもしれません。
 シンプルに大事なことに時間をかけたいと思うこのごろです。




 長々と引用させていただいたのに、まことに申し訳ないのだが、

 『時間』の点は、本記事の趣旨ではないので、末尾に譲らせていただいて、

 冒頭の、『正解はありません。考え方は多様です。』『正解は一つです。他はみんな間違いです。』に戻らせていただく。


 
 そうなのだ。わたしが、教職員の意識改革とか、指導力アップとかいうとき、一番眼中にあるのはこの点で、

 しれとこままさんもおっしゃっていると思うが、

 社会科など、いろいろな考えが出ていいはずのものまで、正解は一つとなる授業が多いのである。以前、書かせていただいた言葉を使わせていただくと、

 尊重しなければいけないはずの『違い』を、正さなければいけない『間違い』としてしまうのだね。



 さて、そんなテーマの記事だが、今日は、算数をとり上げる。


 独り言だが、読者の皆さんは驚かれるかな。

 だって、算数って、一般に、『正解は一つです。他はみんな間違いです。』の世界だと、信じられているよね。


 そこで、今回は、あえて、とり上げることにした。

 算数で、どう多様性を受け止めるか。そんな観点でごらんいただけたら幸いである。


 3年生。割り算の1時間目である。子どもたちは、初めて割り算に取り組むことになる。わたしが行った授業だ。



 初めに、子どもたちに投げかけた。

「最近、学校で、あるいは、おうちで、何かを分けてやったことがありますか。その場合、何をどのように分けたか、言ってください。」


 そう。

 小学生の学習は、大人がつくり上げた学問体系の基礎を学ぶのではない。子どもの生活経験のまとまりから学んでいくのである。

 だから、この場合、日常生活での『分ける』生活経験を想起することから学習を始めることにした。


 挙手した子は、7・8人。そして、トランプ・クッキー・ケーキなどが出た。

 この場合、大切なのは、『どのように』だよね。

 そこでは、『同じ数ずつ』『同じ量で』『あまらないように』などがでた。


 ちょっと物議をかもしたのは、『あまらないように』だった。
 「あまるときだってあるよ。」
と言うのだった。

 冒頭述べたように、ここは、初めて学ぶ割り算だから、あまりのある割り算はまだ扱わない。そこで、どうしたものかこまったが、案ずるよりはうむがやすし。そんな心配をすることはなかった。

「〜を分けたけれど、一つあまっちゃったのね。そうしたら、妹がほしそうだったから、妹に上げた。」
「〜を分けたけれど、一つたりなくなっちゃったのね。そうしたら、妹が泣きそうだったから、妹に上げた。」

それでかたがついた。それどころか、とかく情緒など入り込むことのない算数で、『ほしそう。』とか、『泣きそう。』とかいう発言があったのは、よかった。


 
 授業後、初任者に話す。

 「今は、まだ、あまりのある割り算はやらない。でも、9月になればやるのだから、そのときまで、今日の、子どもの話をとっておくといい。

〇あまりがあるということは、『妹が泣いたり、ほしがったりすること』という感情と重なるのだね。

〇考えてみれば、あまることと、たりなくなることは、同一の現象だね。



 ああ。話がわき道へそれた。すみません。


 話を戻して、

 ここでは、『同じ数になるように、』を押さえることにした。



 そして、算数の文章題を板書する。

 そのあいだに、初任者の担任に用意してもらったお皿のつもりの紙3枚と、配るクッキーのつもりのおはじきを机の上に用意するよう指示した。

『クッキー12個を、3人に同じ数ずつ分けると、1人分は何個ですか。』


 そして、ゆっくり紙のお皿の上におはじきを置いてもらう。

 わたしと初任者の担任は、机間巡視をして、その置く様子を見て回った。

・Aのやり方 1つ目のお皿に4つ置き、次のお皿にも4つ置き、最後のお皿に4つ置く子

・Bのやり方 3つのお皿に、1つずつ置き、2巡目も1つずつ置き、3巡目、4巡目と置く子

だいたいは、そのどちらかだった。


 でも、Cちゃんは、おもしろいやり方をやっていた。

・Cのやり方 1つ目のお皿に3つ置き、次のお皿にも3つ置き、最後のお皿に3つ置き、それから、各お皿に1つずつ置いていった。


 そうか。冒頭のしれとこままさんのお子さんのクラスのようだと、このCちゃんのやり方は無視されてしまうかな。


 Bのやり方をする子が一番多かった。次がAで、これは数人。

 それで、A・B、それぞれについては、代表選手(?)1人を指名し、あと、Cちゃんと、3人に前へ出てもらい、実際に黒板で丸い磁石を使いながら、説明してもらった。

 Cちゃんの説明は、ただこのように置きますと言っただけで、なぜそう置くのかの説明はなかったから、多くの子には不可解だったようだ。

「なぜ、3つ、置くのだろう。」
という、ささやきがあった。

 
 それで、自然に、『AとBと、どちらの置き方がいいか。』の話し合いになった。

「一つずつ置くと面倒くさいよ。」
「でも、教科書はそうなっているよ。」
「そうだよ。1回置いても、まだ置ける。2回目も、まだ置ける。3回目もまだ置ける。4回目でもう置けないってなるでしょう。だから、4個が答えで、そのように置くのが、いいのではないの。」

「初めのお皿に、4つ置いた人に質問します。どうして、4つって分かったのですか。」
「そうだよ。最初っから分かっちゃうのなら、おはじきを置く必要がないじゃん。分からないから置くんでしょう。」

「4つかなあって思ったの。」
「分からないけれど、4つくらいかなあって思ったのだよ。そうしたら、ぴったりだったから、ああよかった。やっぱり4つだったって思ったの。」
「わたしは、初めから4つだって分かったよ。だって、4+4+4で12になるでしょう。クッキーは12個で、3人なんだから、ああ、4つでいいんだって分かったよ。」

「そうだけれど、やっぱり間違えることもあるのだから、1つずつ置いていった方がいい。」
「間違えたら直せばいいじゃん。1つずつ置くと面倒だよ。」


 ここで、すっとんきょうな声を出したのが、Dちゃん。

「あれっ。分かった。・・・。Cちゃんのだけれど、Cちゃんは最初、3つずつ置いたでしょう。それで、3つあまったからね。後からまた1つずつ置いて、ぴったりにした。

 最初、わたしは、Cちゃんのやり方は変だなって思ったのね。で、間違えたのかなって思ったのだけれど、間違えたのではなくてね。最初に3つずつ置いてみようって思ったのではないかな。」

 Cちゃんはおとなしい子だ。発言はせず、うれしそうにニコッと笑った。


 そこで、わたしは、Cちゃんの思いをみんなに想像してもらうことにした。

「わたしも間違えたのではないと思うのだけれどね。3つなら絶対置けるって思ったのではないの。」
「つけたしで、3つなら絶対置けるって思ったからね。そう思ったら、(Bのやり方のように、)最初から1つずつ置くのは面倒くさいでしょう。時間もかかっちゃうからね。それで、最初は3つずつ置いた。」
「3つなら、一気に置いても安心できる。」
「賛成。置きすぎて、足らなくなる心配がない。」

「でも、置きすぎちゃったっていいじゃん。後で直せば。」
「反対。それは面倒くさいよ。」
「そう。直すだけ時間がかかる。」
「そうだよ。給食だって、配りすぎて足りなくなっちゃうと、後が大変じゃん。いちいち、戻してもらわなきゃならない。」
「わたしもそう思う。さっき、『妹が泣きそうになった。』って誰かが言ってたでしょう。わたしたちは泣かないけれどね。でも、後から減らされたら、泣きたい気持ちになっちゃう。」
「そう。最初は少なめに配った方がいい。だから、Cちゃんのように、まず3つ配るのはいいと思う。」 


 以下は省略させていただこう。


 わたしは、子どもたちの発言、話し合いから、

・同じ数ずつ分けること。
・見当をつけることが大切なこと。
・ぴったり配ること。
 
を押さえ、そして、
「どのやり方が、速くて、安心できるの。」 
と聞く。

 そうだね。最初は不可解だったはずのCちゃんのやり方がいいということになった。



 ところで、次時の学習だが、

 本時とり上げた文章題の、『クッキー12個を、3人に同じ数ずつ分けると、1人分は何個ですか。』なら、『九九の3の段を使えば解ける。』を学ぶ。

 その場合、本時のCちゃんのやり方の発展が期待できる。

 つまり、

『九九の3の段を使えば解けるけれど、いちいち、サイチがサンからやらなくていい。見当をつけて、サザンが九からやればいい。』とつがなっていくことだろう。

 もちろん、見当をつけた結果が、いきなりの『サンシジュウニ』だったら、それは、なお、けっこうだ。


 わたしは、かつての担任時代、もう、二十年以上も前のことだが、Eちゃんのつぶやきを思い出した。

「toshi先生。割り算て、消しゴムが絶対必要だね。」

 そうだ。高学年になれば、桁数も増える。見当をつけることの重要性は、どんどんましていく。


 割り算入門の授業。いい学習ができたと思った。


にほんブログ村 教育ブログへ
 ninki


〇もちろん、Cちゃんのような発言がどのクラスでも出てくるというものではないでしょう。ですから、教科書にあるように、Bのやり方で押さえるのが一般的ではないでしょうか。

〇本記事で紹介した授業は、

 『知識・技能の押さえ』重視の方は、『何やっているのだ。くだらない。時間のムダだ。』と思われるかもしれません。

 しかし、『数学的な考え方』重視の方なら、『思考をめぐらせる、いい授業だ。』と思ってくださることでしょう。

〇冒頭の、しれとこままさんとrusieさんのコメントにあった、『時間がない。』という点についてですが、

 わたしも時間がないときははしょってしまいます。しかし、無視はしません。

「ごめん。〇〇ちゃんの解き方も正解だ。そして、〇〇ちゃんに説明してもらいたいのだけれど、もう、あと、5分で授業は終わりだから、わたしが説明しちゃうね。」などと言います。

 あまり数多くの問題をやろうとせず、一つの問題を深く追求するようにすれば、考え合う授業は成立するように思います。そして、そうしたやり方のほうが、子どもにも身につくのです。

 ああ。これは、『道草学習のすすめ』のこだま先生がおっしゃっていたことですね。

rve83253 at 00:22│Comments(10)TrackBack(0)算数科指導 | 問題解決学習

トラックバックURL

この記事へのコメント

1. Posted by 中   2009年06月04日 11:44
割り算授業を先日、参観で見学したのですが、
小人数のグループ、6つに分かれて、
それぞれに考え方を大きな画用紙に書き、
前で発表するものでした。

絵でもいいし、式でもいいし、言葉でもいいと、
先生が仰ったので、
様々な解き方が並びました。

12このクッキーを2個づつ袋詰めして、
そのうち2つを、お隣さんへあげました。
残った袋の数はいくつでしょう?
という、2つの式をたてる問題でした。

早くから掛け算や、割り算をやっていた子供は、
簡単すぎて、つまらない問題かもしれません。
ですが、この日本語を頭の中でどうイメージして、
解答を出すまでのプロセスに、
色々な絵や、説明の仕方があり、
こういうことが、大切なんだなと思いました。

2. Posted by toshi   2009年06月05日 05:25
中さん
《早くから掛け算や、割り算をやっていた子供は、
簡単すぎて、つまらない問題かもしれません。》
 ただ解くだけですと、確かに、おっしゃるとおりでしょうね。
そこで、
・いろいろある解き方をくらべ、似ている点、異なる点を出し合ったり、それぞれの解き方のよさを考えることなどは、きっと、おもしろい授業となると思います。
・ただし、解くことを楽しむ子どもたちであることが大切で、
 日ごろ、『合っているか、間違っているか。』あるいは、『解ければいい。』という授業しかしていないと、なかなかこういう心境の子どもは育たないものです。
3. Posted by yoko   2009年06月05日 13:20
娘のクラスでは、分数の約分の授業で、答えだけではなく解き方を発表させるそうです。その際、数パターン出るように子供達が問題を解いている間、先生が机間巡視して発表する子を決めるようです。
日頃、娘に、答えは1つでもそこに至る考え方は一通りでないこと、そこから発展して多角的に物事が見れるようになってほしいと思って接しています。
だから、解き方を発表させるっていいなぁと思っています。
近々道徳の授業参観があるので、どんな授業になるのか楽しみにしています。
4. Posted by toshi   2009年06月06日 03:35
yokoさん
《だから、解き方を発表させるっていいなぁと思っています。》
 かつて、拙ブログにおいて、こうした授業について、議論し合ったことがありました。『一部の子だけしか活躍できない授業だ。』という指摘があったのです。yokoさんは、すでにその記事をごらんいただいていると思うのですが、ここに紹介させてください。本コメントのHN欄に貼り付けました。『問題解決学習への誤解(2)』です。よろしくお願いします。
 いずれにしても、多くの子が活躍できる授業だといいですね。

 
5. Posted by しれとこまま   2009年06月07日 21:18
大変楽しみにしていました。算数の割り算は、上二人も経験しましたが、やり方の説明はあったようでしたが、さらりとしてたような気がします。
家で、兄弟がいるとお菓子を分けたり、果物を分けたりと生活の中での体験が豊富で、自然と頭で考えることが出来るようでしたが、親が分けていたり、早い者勝ちだったりするとまた違うのでしょうか?
1年生の次男は、6年生の長男といつも数を分けています。
通っている学校で、一人っ子は一人しか居ないので、差を比べることは出来ません(笑)
6. Posted by toshi   2009年06月09日 07:46
しれとこままさん
 やり方の説明ではなく、やり方を子どもが発見するようにもっていくのが大切なのですね。
 1000円札を2人に分けることはできないが、100円玉10枚にくずせば分けられるわけです。それが筆算の『おろす』にあたりますよね。
 そうすると、『50円玉だって分けられるよ。』と言う子が必ずいます。

 そう。分けられる。

 しかし、5人に分けることはできない。そのような過程を経て、筆算が身についていきます。

 でも、これ、主体的に楽しんで学ぶからこそ身につくのであって、一方的に説明したり子どもを精神的に追い込んだりすれば、50円玉など、頭を混乱させるだけです。

 ああ。ごめんなさい。しれとこままさんは家庭でのことをお話なさっているのに、わたしは学校のことばかり書いてしまいました。
7. Posted by しれとこまま   2009年06月09日 16:50
toshiさん
こんにちは。
toshiさんのお返事で、ああなるほどな、と思いました。
長男は、2歳上の姉を見て計算を覚え、早くから自分で買い物をしたので、生活の中で計算が得意になっていきました。
しかし、姉は得意でない上に生活での経験が乏しく、私に説明で精神的に追い詰められてしまいました。
目の前で、100円と50円と10円とつみましたが、追い詰められている娘は、固まっていました。
家庭と学校は連携していると思っています。もちろん、家庭の役割は大きいですが、てんびんみたいな状態かな。それが段々と年が大きくなると学校にウエイトが大きくなっていくのでしょうか?
中学生になると、親の出番はないんですけれどね。
8. Posted by toshi   2009年06月10日 06:34
しれとこままさん
 ご長男の件は、ただ単にお姉さんがいるからだけではないですね。よく、『上の兄弟がいると、下は、九九を呪文のように覚えちゃう。』と言われますが、この場合まさに呪文のようであり、意味などまったく分かっていないわけです。
 ですから、『早くから自分で買い物をしたので、生活の中で計算が得意に、』ということは、きっとお姉さんの面倒見がよかったからだと思いますよ。
 そう言って、お姉さんをほめてやってください。少しでも、お姉さんに自信をもってもらうために。
《追い詰められている娘は、固まっていました。》
 これは、わたしにも苦い経験があります。どうも、親が面倒をみるというのは、よくない結果になりそうです。親がやる場合は、追い詰めることのないよう、よほど心しなければいけませんね。
9. Posted by SZK   2009年06月13日 19:34
TBが反映されないようです。
Cちゃんのお話を引用させていただきました。
大雑把、だいたい、適当というもののよさが、
もっと広がると良いなあと思います。
10. Posted by toshi   2009年06月15日 02:46
SZKさん
 拙ブログを引用されての記事、ありがとうございました。TBが反映されないとのこと。申し訳ありません。
 見当をつけるというのは、実生活においては、もっとも必要な学力ですよね。
 なお、貴ブログ記事のURLを貼り付けさせていただきました。
http://yuugaku.cocolog-nifty.com/blog/2009/06/post-1f06.html

コメントする

名前
URL
 
  絵文字