2009年06月13日

運動会、あれこれ(2) 外国人講師の目から 他4

a6014bff.JPG 今日は、外国人から見た、日本の運動会という視点から話を進めよう。

 最後は運動会から話が離れてしまうのだが、申し訳ありません。

 それでは、どうぞ。


その1

 今、我が勤務校には、英語教育の一環として、オランダ人講師が、週1日、おみえになっている。

 大変明朗かっ達な方で、着任の日には、全校児童の前で、ユーモアたっぷりに大声で挨拶されたり、手品をやってみせたりして、子どもたちの心をいっぺんにつかんでしまった。

 職員室でも、大変気さくに、多くの先生に声をかけられる。

 英語教育もさることながら、こうした、ちょっと一般の日本人にはないような、外国人特有の明るい雰囲気が、国際人を養うという観点からみたとき、無言の教育になっていくのではないかと思われる。


 ある日、

 その講師が、大変真剣な表情で、校庭を凝視していた。そのときは、高学年が運動会演技の全体練習をしていた。


 わたし、ふだんと雰囲気の違う講師の表情を見て、思うところがあり、声をかけた。

「オランダの学校にも、運動会はありますか。」

しばらく考えていらしたが、
「あります。」
の答え。

 わたしは意外に思い、
「ああ。あるのですか。」

 すると、
「でも、こんなに練習はしません。日本では、どの学校も、時間をかけて練習しますね。それはもう、驚いています。」
「ああ。オランダでは、こんなに練習することはないですか。」
「はい。こんなにはしません。練習は、数日前からちょっとだけします。それでできるものをやるのです。」

 うかがってみると、日本でいうところの球技大会のようなものであるらしかった。
サッカー、バスケットなどで楽しく遊ぶといった感じのようだった。


 そうしたら、逆に、質問された。

「どうして、日本では、こんなに練習をするのでしょう。・・・。よく時間があると思いますよ。

 時間割というものがあるでしょう。国語とか算数とかありますよね。そういう時間をつぶして練習するのが、よく分かりません。国語や算数の時間が足りなくなってしまうのではないですか。」

 これは、説明することが大事と思い、

「それは大丈夫なのです。一年間の国語や算数の時間数は決まっています。運動会の練習のために、国語や算数をつぶしているようにみえるかもしれませんが、そういう運動会の練習の時間があることを、初めから予定して時間割は作ってありますので、一年間の時間数は足りているのです。」

「ああ。そうですか。・・・。それは、分かりました。・・・。でも、こんなにまで練習しないとできないことを、なぜするのか。不思議です。」


 これはもう、説明はむずかしかった。

〇国民性の違い。たとえば、日本は集団を重んじるお国柄なのかもしれない

〇日本人という、単一民族と信じ込まされていることの一つの現れ。まとまろうとするし、まとめないといけないという観念もある。

〇もう一つ。歴史の重み。

 そうだよね。何もないところで、いきなり、『このような運動会をやりましょう。』と言われたら、いかに日本人だって、『そのようなものは必要ない。』と言って、拒否するだろう。そのくらい大変な行事であることは間違いない。

 また、保護者の皆さんだって、先ほどの外国人講師のように、『なんで、国語、算数の授業時間をつぶしてまで、〜。』と思われるのではないか。


 学校にはむかしから運動会というものがあって、大人の誰もが幼少時代経験していて、空気みたいになっているから、『やるのが当然。』という無意識の意識になっているのだと思われる。

 そんなことが頭に浮かんだが、これは話さなかった。

 ただ、
「むかしからの日本の文化なのかもしれません。」
とだけ答えた。


その2

 以上の話を、ある先輩の退職校長に話した。

 すると、その校長先生がおもしろい話をされた。


 かつて勤務された学校でのことだ。近くに外国人学校があり、交流を進めていた。初めのうちは、運動会の交流もやっていた。

 しかし、あるとき、先方から、『運動会の交流は遠慮したい。』と、言ってきたのだそうだ。

「それはそうなのだよね。まったく勝負にならないのだ。たとえば、リレーなどやるだろう。そうすると、すぐ大差がついちゃう。もう、半周くらい、離してしまうこともあった。

 むこうは、ほら、体育など、ちゃんとやっていないだろう。だいたい日本でいうような意味での教科になっていない。だから、体は大きいのに走るのは遅いし、バトンの受け渡しなども、うまくできないのだよね。」

「でも、オリンピックなどでは、日本はかなわないですよね。」

「ほんとう。そうだよな。これは不思議だねえ。」

 二人で大笑いとなった。


その3

 『郷に入れば郷に従え。』

 このことわざは、外国にもあるのだろうか。


 拙ブログ記事でも、我が勤務校に、何回か、外国籍の子が在籍したことをとり上げた。

 今、そのなかの2つの記事にリンクさせていただこう。
 
    日本の子ども、外国の子ども

    人権教育(7)国際理解教育

 これら、記事に書かせていただいた子たちも、日本の学校に在籍していれば、当然、運動会にも参加することになる。

 そして、保護者の方々はどうだったかというと、もう、皆さん、何の違和感ももたれていないようだった。日本人の保護者同様、喜々とされて、子どもたちの演技を見守っていた。


 これは、『日本の子ども、外国の子ども』に登場したアメリカ人の例だが、転入のとき、ご両親とお会いした。

「日本の小学校を希望されているようですが、アメリカンスクールも近くにありますよね。そちらへの入学は、お考えにならなかったのですか。」
「はい。アメリカンスクールがあることは、知っています。でも、せっかく何年間か、日本に住むことになったのですから、我が子には、日本の文化、学校教育に親しんでほしいと思います。わたしたち、親も、我が子を通して、日本をもっと知りたいと思います。」

 わたしは、ご両親の話に感動を覚えるとともに、自分の学級に入ったことで身ぶるいする思いになった。


 このご両親も当然、運動会には楽しく参加された。それこそ、PTA種目にも進んで加わった。

 少なくとも、『なんで、』『どうして、』『不思議だ。』などという意識で違和感をもつということは、まったくなかった。


 だから、逆に、わたしとしても、

 同リンク記事にあるような、
『toshi先生。あのね。ぼくは、そういう乗ってみたいなという乗り物を考えたことは一回もないの。だからね。そういう乗り物は描けないの。〜。』
という言葉にしても、

 すなおに、『アメリカ人の国民性から学ぼう。』という気持ちになれたし、『どの子も個性的で豊かな学力をもっている。』とか、『その子らしさを大切に。』という思いをなお強くしたのである。


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 わたしが接した外国籍の方は、皆さん、『日本の文化にふれよう。』『異文化から学ぼう。』『違いを認め合おう。』という意識をもたれているようでした。

 しかし、よその話を聞くと、どうもそうでない事例もあるようですね。

 日本の学校に子どもを入れながら、自国の文化を押しつけたり、日本の文化を非難したりするといった話も聞いたことがあります。


 もちろん、これは逆も言えます。

 日本の学校に通っているのだからとばかり、日本流を押し付けることは、あってはならないでしょう。 

 そして、せっかく外国籍の子が在籍している以上、その子の国を大切にする心情は、その学級、学校全体の子に養っていきたいものだと思います。

 相互理解を深めるいいチャンスにしなければなりません。


 わたしには、印象的によく覚えていることがあります。


 あるとき、ベトナムから転入がありました。その子は、日本語がまったく分からないために、当初、日本人の日本語指導の教員が配属されました。週1日の指導でした。


 しかし、子どもって、早いですね。

 もう、数ヶ月たつと、初歩的な日本語は完全に覚え、日常会話にはこまらない程度になりました。

 そのときのことです。

 その子が、

「日本の方が、ベトナムより好き。だから、ずっと日本にいたいな。」

 そのとき、その日本語指導教員は、語気を強め、その子の両肩に手を置きながら、
「Aちゃん。あなたはベトナム人なの。それを忘れてはいけません。ベトナム人なのですよ。だから、ベトナムが一番好きでなければいけません。日本は二番目に好きな国。いいですか。」

 やや、強引さは感じましたが、とても大切なことを教わった気持ちがしました。


 最後は、運動会の話題からずいぶん外れてしまいましたね。

 すみません。

 

rve83253 at 11:44│Comments(14)TrackBack(0)国際理解教育 | 保護者

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この記事へのコメント

1. Posted by きゃる   2009年06月13日 18:16
When in Roma, do as the Romans do.
ご存知だとは思いますが、釣られてみましたw

私が小学校のとき(昭和40年代後半)の運動会は
かけっこで3位まで胸にリボンをつけてもらっていました。
1位の赤いリボンはあこがれでしたね。
いつしか、走った子ども全員にリボンがつけられるようになり、
そのうちリボンは廃止になったような気がします。

勤務校の運動会では、低学年は生年月日順、中学年は身長順、
高学年ではスポーツテストの50メートルのタイム順に
誰と走るか組み合わせを決めるよう、運動会法案で定めています。
今年からですけどね。
これもいつまで続くやら。
教育的な意味も様々だし、保護者の要望も様々です。
2. Posted by toshi   2009年06月15日 02:39
きゃるさん
《When in Roma, do as the Romans do.》
 そうでしたね。ことわざはちゃんとありましたね。昭和40年代後半とあり、『ああ。わたしが初任のころだ。』となつかしくなりました。
 確かにあのころ、我が勤務校も、徒競走において、順位で色分けし、腕のつけていましたね。
 おっしゃるように、我が地域でも、それはやらなくなりました。ただし、リボンは廃止でも、一位については採点するようになりました。
 生年月日順というのはおもしろいですね。わたしは経験ありません。中学年までは身長順でした。これまで子どもが決めるというのは無理があるでしょうね。
 
3. Posted by まい   2009年06月15日 15:17
こんにちは。国際理解という点とは離れますが、日本の小学校でもこういう運動会もありますよーということでご紹介します。子どもたちと大人(先生と他の職員のことを大人と呼びます)で運動会委員会を作って種目や進行を決めますが、練習は全くしないそうです。

どの種目も事前エントリーなしで誰でも参加できます。わが家は昨年初めて運動会に行きましたが、とても楽しくてあれもこれも出たかったです。

学校法人きのくに子どもの村学園という学校です。
下はその時に私が書いたブログ記事です。
http://kokoro-no-jiyuu.blog.so-net.ne.jp/2008-10-23
4. Posted by しょう   2009年06月15日 18:22
>「ああ。そうですか。・・・。それは、分かりました。・・・。でも、こんなにまで練習しないとできないことを、なぜするのか。不思議です。」

 確かにそうでしょうね。なかなか理解されないかもしれませんが、特別活動に力を入れるのは日本の教育の特長でしょう

 教育基本法で定められた目標「人格の完成」、「平和的な国家および社会の形成者」の育成を実現していくためには「教科教育」だけでは不充分だ、ということが1950年代文部省で論議され、新たに「特別教育活動」の領域がつくられた、ということです。

 ブログ記事でも取り上げましたのでよろしければ…。

http://plaza.rakuten.co.jp/shchan3/diary/200903010000/
5. Posted by しれとこまま   2009年06月15日 20:07
私も小学生の頃は昭和40年代後半でした。あの頃は、運動会の練習もすごく力が入っていて、全児童が整列するまで足踏みし、あたまがぐらぐらしていたら怒られたものでした。
まるで、オリンピック入場の選手団のようでした。すごく大変で、競技の練習より怖かった・・・。いかに子供が上手に遊戯とかが出来て、式のときにじっとしてられるかが、先生の評価につながるかのようでした。
それが今は行進曲は最新の歌謡曲だし、わりとのんびりした感じになってると思ってたんですけども。
それで、何か思い出がといえば、競技で応援してた時くらいが楽しかったでしょうか?その程度ですね。あと遊戯の先頭で緊張して具合悪くなりましたが、担任に頼まれ残りました。先頭がいないと形がとれないということでした。
昔の話です。
6. Posted by kawa   2009年06月15日 21:33
〈toshi先生〉
最後の「ベトナムが一番好きな国」、「自国の文化の押し付けにならないように」というところ、本当にその通りだと思いました。
私は中国で日本語を教えているのですが、時々「日本流を押し付けられている」という表情をする学生がいます。また、逆に「中国の悪い点」を並べたて、「それに比べて日本はいい国ですね」という学生もいます。前者に対してはこちらから「(日本と中国の)どちらがいいかという問題ではなく、あくまでも違う文化を紹介しているのです」と説明するようにしていますし、後者に対しては、〈toshi先生〉の記事の日本語教師のような対応を、もう少しやわらかい言い方でするようにしています。
「私は日本人として日本が一番好きです。それと同じように、自分の国が一番好きだと言ってくれる人とは仲良くなれそうな気がするのです」と言うこともあります。これは相手が大学生だからであって、小学生だったら違う言い方をするかもしれません。
いずれにせよ、その日本語の先生の考え方には賛成です。
7. Posted by toshi   2009年06月16日 20:15
まいさん
 いやあ。驚きました。日本にもそのような学校があったのですね。きのくに子どもの村学園のホームページともども、夢が広がる思いで読ませていただきました。
 また、A.S.ニイルの名がありました。若かったころ、興奮する思いで著書を読ませてもらいました。そのときの感動がよみがえった思いがしました。
 何よりも自由。自分を思いっきり出せる学校。そのようなイメージをもちました。
 ご紹介いただき、ほんとうにありがとうございました。
8. Posted by toshi   2009年06月16日 20:20
しょうさん
 ご紹介いただき、ありがとうございました。以前、拝読させていただきました。
 『特別活動』の理念等は、おっしゃるとおりです。しかし、運動会の練習などは、時間数の計算上は特別活動(体育にしている学校が多いかもしれません。)でしょうが、この特別活動の理念とは違う部分が大きいと思います。
 悩ましく難しい点ですね。
9. Posted by toshi   2009年06月17日 02:28
しれとこままさん
 いやあ。むかしの運動会のこと。分かるような気がします。確かに、ちゃんとやらそうと、叱りながらの練習が多かったように思います。
 それが、いつごろからだったでしょうか。ほめながらの練習が多くなっていきました。
《オリンピック入場の選手団のようでした。》
 そのオリンピックの入場風景もずいぶんむかしとは変わってきましたね。今は音楽はなっていても、音楽に合わせて整然と入場するようなことはありません。
 東京オリンピックがその契機になったような気がします。開会式の入場は、もうしっかり整然としていましたが、閉会式のそれは、各国入り乱れて思い思いの表情で、腕を組んだり、飛び跳ねたり、ほんとうに楽しんでいる光景でした。
10. Posted by toshi   2009年06月17日 02:36
kawaさん
《〜。それと同じように、自分の国が一番好きだと言ってくれる人とは仲良くなれそうな気がするのです」》
は、心に残る言葉です。ほんとうにその通りと思います。
 よく言いますよね。自国の国旗、国歌を愛することのできる人が、隣人の国の国旗、国歌をも愛することもができるのだと。
《「日本流を押し付けられている」という表情をする学生がいます。》
 そういう学生さんは、外国人に、中国流を押し付ける傾向を持っているかもしれませんね。
 kawaさんは、中国において、毎日、肌身で、国際理解教育を推進されているのだなと思いました。 
11. Posted by まい   2009年06月17日 14:20
丁寧な返信をどうもありがとうございます。再レスで失礼します。きのくに子どもの村学園とその関連校は、ニイルの自由学校とデューイの「為すことにより学ぶ」という実践から影響を受け、スコットランドのキルクハニティー校も一つのモデルとしています。

サマースクール、運動会、体験入学など数回行きましたが、いつも雰囲気がふんわりと穏やかで、子どもたちは楽しく忙しそうに自分の仕事(体験学習中心です)に没頭しています。サマースクールでは子どもだけ3泊したのですが、迎えに行くと「もっとここにいたい」と泣かれて、嬉しいやら困ったやらでした。

そういうわけで、うちの子は4月からきのくに子どもの村小学校に入学してしまいました。学校に4泊し週末は家で3泊する寮生活です。ゴールデンウイーク明けに少しホームシックになりましたが、いまはすっかり元気で過ごしています。

小さな子どもを手元から離すのは寂しかったのですが、幸福な子ども時代を送ることができそうで、いまのところこの選択でよかったと思っています。

toshi先生ももし機会がありましたら、ぜひ一度見学においでください☆
12. Posted by しょう   2009年06月17日 18:18
>この特別活動の理念とは違う部分が大きいと思います。
>悩ましく難しい点ですね。

 なるほど。たとえば高校の実践報告(優れた実践である場合)は、文化祭や体育祭を自治的な活動の機会として活用できているものも多いのですが、小学校の場合は児童会活動というよりも「団体訓練的なもの」になりやすいのでしょうか。

 確かに難しいところなのでしょうね。
13. Posted by toshi   2009年06月18日 06:26
まいさん
 子どもが生きる学校、子ども主体の学び。
 わたしたちがよく言う言葉ですが、まさに、その究極の姿があるのだと思います。
《学校に4泊し週末は家で3泊する寮生活です。》
 これにもびっくりしてしまいました。
 しかし、確か、ニイルの学校も、そういう生活でしたね。
 見学させていただければありがたいという思いがありますが・・・、それも現在の仕事柄むずかしそう。なお、検討させてください。
14. Posted by toshi   2009年06月18日 06:30
しょうさん
《小学校の場合は児童会活動というよりも「団体訓練的なもの」になりやすいのでしょうか。》
 そうなのです。もう、まさに、5番のしれとこままさんからいただいたコメントの通りです。ただ、9番で申し上げたように、近年、状況は変わりつつありますが、
 でも、全国的に見た場合はどうなのでしょうか。もう、しれとこままさんがおっしゃることはむかしのことと言い切っていいのか、ちょっと自信がありません。
 

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