2009年06月16日

『初心にかえる』ことの意味は、

PA0_0493 初任者指導に携わらせてもらうようになって、5年目を迎える。初任者の授業、生活指導、子どもとのふれあいなどをみていると、『すごいなあ。今の初任者は、よくやるなあ。』という思いを強くすることが多い。

 そして、自分が初任だったころ、どのような実践をしていたか。何を思いながら、仕事をしていたか。何に悩んでいたか。そのようなことを、折にふれて思い出す。もし、この仕事についていなかったら、もうとっくに退職したのだし、このようなことを思い出すことは永遠になかったであろう。そう思うと、『よかったな。この仕事について。』と、思わざるをえない。

 『今、初任だったころの気持ち、思いに戻ることができる。』ということ。それは、ただなつかしさを覚えるだけではない。今の仕事に、大いなる力を与えてくれる。そして、よく、『初心にかえる。』というけれど、そのことの意味を考えずにはいられなくなる。


その1

 ある日、初任のAさんが言う。
「今日、地域のBさんが、子どもたちの指導にいらしてくださいましたよね。むかしの子どもの遊びを紹介し、一緒に遊んでくださったわけですが、遊びもさることながら、軽妙でユーモラスな話し方に、子どもたちはすっかり魅せられていました。
 わたし、それを見て、なんか、すごく劣等感に襲われてしまいました。だって、わたしとの授業のとき、子どもたちがあんなに楽しそうにしていることは、まずないですから。」

 それを聞いて、『あれっ。自分もかつて、そのようなことを思ったことがあったな。』と思った。しばらくして、はっきりと思い出す。

 もう、40年近くもむかしになってしまった。初任で教員になったばかりの6月だった。遠足は観光バスだった。そのガイドさんはベテランですてきだった。子どもの心をバッチリつかむ話術。身のこなし。歌に、ゲームに、クイズに・・・。子どもたちはすっかりのせられた。ついぞ、教室の中ではみせたこともない、底抜けの笑顔をみせていた。その様子に、わたしは、劣等感にさいなまれた。

 その一方で、別な思いもあった。

 仕方がない。ガイドさんはお客さんを楽しませるのが仕事だ。それに対し、わたしがやっているのは、ただ楽しければいいという仕事ではない。授業という、子どもにとってかけがえのない時間を共有しているのだ。子どもたちの表情がまるっきり違うからといって、なにも、劣等感を抱くことはない。
 そう、自分にいいきかせたが、しかし、そんななぐさめでは済まないほどのインパクトがあった。打ちのめされる思いがした。

 冒頭のAさんの話を聞いたとき、わたしは、そのことを思い出した。そして、その思い出話をしながら、
「気にすることはないよ。仕事の中身が違うのだから。授業とは、子どもにとって新たな価値の創造なのだ。そういう大事な仕事をやっているのだから、くらべたって仕方がないではないか。」

 そうなのだ。まずは、そのときの自分に戻ってみる。そのうえで、『今の自分』が、『むかしの自分』に語りかけるように、Aさんに話しかける。少しは、心の琴線にふれる指導ができるのではないか。

 でもね。カゲの声ではあるけれど、やはりプロの教員なら、いくら『新たな価値の創造』とは言え、いや、それだからこそ、バスガイドさんとは違った意味で、楽しさ、インパクトを子どもに感じてもらえるそんな授業ができるようにならないとね。
 ただ、これは、初任のAさんにはとりあえず言わないようにしよう。まだ何年か先の話ということで。


 その2

 次は自分のことではない。自分の身のまわりに起きたことから、『初心にかえる』ことの意味を考えてみたい。

 校長時代、毎年、秋になると、我が勤務校と近隣のB小学校、それに、子どもたちが進学することになるC中学校と、その3校で、合同音楽会を開催するのが通例となっていた。器楽あり、合唱あり、トークあり。そして、地域、PTAの方々の参加もあり、全学年というわけにはいかなかったが、楽しいひと時だった。中学生の演奏には金管もあり、それを聴くときの小学生は、もう、あこがれのまなざしだった。

 ある年、いつものように、会場となるC中学校におじゃましたら、B小の校長から、楽しい話を聞いた。
「我が校の保護者に、地域の交響楽団の方がいらしてですね。『子どもたちの歌や演奏を聴かせてくれないか。』とおっしゃるものですから、『もちろん、どうぞ。』とおさそいしました。もうまもなくおみえになると思いますから、よろしくお願いします。」

 ほう。それは、どういうことなのだろう。単に、保護者という立場からだけではなさそうだ。
 
 音楽会終了後、校長室で、地域の方もまじえ、懇談となった。その折、交響楽団の方が口を開かれた。
「毎年、3校合同音楽会があることは、子どもから聞いておりました。それで、『一度おじゃましたいものだな。』と思っておりました。
 と言いますのは・・・、わたしは、こういう仕事をしておりますが、子どもたちの演奏を聴いたことがないのです。それで、〜。」

 以下、要約させていただくと、
 自分が音楽に親しむようになったのは、幼いときだった。そのとき、何を思い、何に苦労し、何を喜びとしたか、もう、ずいぶん忘れてしまったように思う。そこで、子どもたちの演奏を聴かせていただきながら、当時に戻ることができたらいいなと思った。
 また、子どもたちの演奏を聴いて原点に戻ることができたら、今のわたしに生かせるものがあるかもしれない。そうも思った。
 そして、今日、おじゃまさせていただいて、確かにそれはあった。
 子どもたちの純粋さ、ひたむきさ、また、子どもにしか出すことのできない音色というのがあり、心打たれた。すばらしい音楽会だった。
 ありがとうございました。

 以上、『初心にかえる。』ことによって、また、プロとしての新たな価値を生みだしていくのかもしれない。


その3

 わたしは、上記、交響楽団の方の話をうかがったとき、自分の担任時代を思い出していた。当時、5年生の社会科には伝統工業の単元があり、我が校は、紙すきをとり上げていた。

 毎年お世話になっていたD紙すき工房だったが、ある年、学校で子どもたちがすいた和紙、教員お手製のすきす、さらには、和紙原料を持参して、D工房へおじゃました。Dさんは、大きなポリバケツの、こうぞなどで白くにごった液をご覧になって、ちょっと驚かれたようだった。また、子どもたちがすいた紙を手に取り、それこそ、紙に穴があくのではないかと思うくらい、じっとご覧になった。
 
 だいぶ時間がたってから、やっと口を開かれた。
「すごいですね。子どもたちと、ここまでなさいましたか。
 いやあ。それは、もう、お子さんがすいた和紙だということはよく分かります。ほら。厚いところ、薄いところがありますでしょう。すきすに均一にのっていないからですね。あと、〜。

 でも、すばらしい。どの紙からも、お子さんたちの一途さを感じますよ。真剣にいい紙を作ろうとする心が感じられます。いやあ。すばらしい。
 実はね。わたしたち、プロが忘れていたような初心を、こうした子どもたちの紙が思い出させてくれるのです。それだけではない。こうした素人さんのすいた紙が、いい刺激を与えてくれることもあるのですよ。新たな挑戦へのてがかりを与えてくれると言ってもいいかな。素人さんの紙からも学ばせていただくのです。」

 何と謙虚なお人柄なのだろう。観光客が何人も来訪されていたが、彼らを待たせた上で、わたしたちが持参した和紙原料、すきすなどを使い、それこそ、真剣に、時間をかけてすいてくださった。わたしは、その姿をビデオに収めさせていただいた。

 その翌日、そのビデオやDさんのすいた紙を資料にして、授業をやった。子どもたちは、口々に、
「さすがプロだ。Dさんがすいた紙は、わたしたちのより、とてもきれい。」
「よくこんなにきれいな紙ができる。ぼくたちも、また、がんばってすいてみたい。」
「すごい。プロなのだから、『こんな素人がつくった道具や原料で、紙などすけるか。』と言われたって仕方ないと思うのだけれど、逆に、あんなに真剣にやってくれている。」
「ありがたいなあと思う。だって、ぼくたち、わたしたちより、ずっと真剣なのだもの。すごい目つきだよ。ぼくは、自分がはずかしくなった。もう一度やってみたい。」
「次は、ぜったい、もっといい紙をすいてみせる。」
 ただし、Dさんが、子どもたちのすいた紙をものすごくほめてくれたことは、ちゃんと伝えたけれどね。

 以上、『初心』は、プロの製作意欲を喚起したり新たな挑戦への刺激になったりもする。
 

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 いつもは、つけたしのようなことを書かせていただくのですが、今回は、『まとめ』と言っていいかもしれません。

 わたしよりはるかに先輩で、今、非常勤講師として数ヶ月間、学級担任をなさっている先生がいらっしゃいます。その方がおっしゃっていました。
「学級担任を外れ管理職となり、そして退職してから、また、学級担任をやっているわけだが、生涯を通じ今が一番いい授業ができている。子どもがよくみえる。」

 その話をうかがったとき、『ええっ。』と思いました。しかし、しばらくすると、分かるような気がしてきました。

 わたしも、初任者の研修のために、初任者のクラスで授業をやらせてもらうことがあります。でも、わたしは、『今が一番いい授業。』などと思ったことはありません。失敗も多いし・・・、

 そうか。わたしの場合は、自分の学級ではないですものね。

 しかし、初任者と一体となって、『初心にかえる。』ことはできていると思います。そして、気負いもなく、力まず、リラックスして授業がやれています。
 さらには、『子どもがよくみえる。』ということ。これは、まさしく、わたしも実感しているところです。

rve83253 at 06:53│Comments(2)TrackBack(0)自己啓発 | エッセイ

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この記事へのコメント

1. Posted by ゆっこ   2011年11月20日 11:49
御紹介感謝。

有名な宮大工の方が
「まっすぐな木より癖がある木の方が丈夫だ。」
と、ココにはコレと采配して使うようなことを書いていました。
感動した夫が、様々な癖・個性をつぶさないで ほめて伸ばすクラス作りを目指したいと
【ほぺいろ】サッカーの裏方さん・道具係 と言う名の通信を発行。
宮大工さんに転載許可を請うべく手紙を出しました。

すると 何と テレビに出るような有名な方なのに、わざわざ電話を下さり、
「ほぺいろって何色か」と尋ねるのです。
確かに日本古来の色名は にびいろとか すおうとか

すごいです。何歳になろうと名声を得ようと、いつも謙虚。
誰からでも学ぼうとしてる。
先生とか棟梁とか呼ばれてしまうと 初心を忘れるから要注意だと。とても深い話を伺えました。
2. Posted by toshi   2011年11月21日 01:09
ゆっこさん
 さっそくご覧いただいたのですね。ほんとうにありがとうございます。
《感動した夫が、様々な癖・個性をつぶさないで ほめて伸ばすクラス作りを目指したい》
 ほんとうにその通りです。わたしの想いも一緒です。初任者にもそのことをいつも話しています。

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