小学校の特活はどこへ?(2) その理念は、今、日食のまっただなか

2009年07月19日

現在の政治状況から、学校経営を思う。3

a8ddad6f.JPG ああ。自民党の迷走はきわまり、ついにこのまま解散に突入するようだ。

 テレビを見ていたら、ある評論家が、今回の解散に、おもしろい名前をつけていた。名づけて、『雨やどり解散』。

 初め、意味不明だったが、お話をうかがって思わず納得してしまった。

 納得すると、『言い得て妙』というか、もう、感心してしまった。政党が言っている、『行き止まり解散』とか、『破れかぶれ解散』とかにくらべ、何と味わいのある言葉か。詩的にも思えてきた。


 つまり、こういうことだ。

 小雨が降ってきた(低支持率になってしまった)ので、もう少し待てば上がるだろうと雨やどりをしていたが、だんだん降りがひどくなり、『もう少し待とう。』『もう少し待とう。』としているうちに、とうとうどしゃ降りになってしまった。

 そんななか、もう、約束の時刻に近づいてしまったので、仕方がない。どしゃ降りのなか、とび出さざるをえなくなってしまった。


 ねっ。うまいよね。まさに今回の解散の一断面を言い当てている。


 しかし、違うところもあるよね。

 雨降りは自然現象だから、雨やどりする人の責任ではなく、運が悪かったに過ぎないけれど、

 低支持率の方は、これはもう、麻生さんをはじめとして、政治家の皆さんのなせる技だから、そういう意味では、自業自得というものだ。


 特に、学校経営してきた立場から言わせていただくと、ここ数年、『ああ。あんなことをしたら、学校だっておかしくなるよなあ。』と思うことが、いくらもあった。


 人の心が離れるというのはこわいものだ。

 いったん不信をかい、そうした目でみられるようになると、何をやっても、悪く、悪く受け取られるようになってしまう。よかれと思ってやったことも、みんな、逆風となっていく。そして、内部にまで崩壊は及ぶ。

 これは、国も、会社も、学校も、家庭も、どれも同じなのかもしれない。


 そこで、本記事では、学校経営に生かす意味で、国政の諸問題を反面教師としてとりあげてみたいと思う。


 
〇決断はむずかしい。


 確かにそうだ。過去をふり返れば、『あの時、解散しておけばよかった。』

 麻生さんが首相に就任した直後は、かなりの高支持率だったものね。今となれば、悔やんでいるのではないか。

 そうは言っても、渦中にあるときは、先行きどうなるか分からない。上向くかもしれないし、下がるかもしれない。


 麻生さんの場合、迷っただろうが、とりあえず、当分は解散しないと決断した。

 しかし、その後はどうだったのだろう。いったん決断を下すと、たいした考えもないまま、ずるずるいってしまったのではないか。


 これは、学校経営にも言えることだ。

 あの事件、この事故が起きたとき、『ああ。たいしたことはないな。よかった。』と判断してしまうと、その後、だんだん状況が悪化しても、最初くだした判断にとらわれてしまう。

 その結果、『ことの深刻さに気づいたときは、もう遅い。』

 だから、常に気持ちをリセットし、徐々に変わる事態を冷静に受け止めたいものだ。

 

〇言うことがぶれる。


 なぜぶれるのだろう。

・これは、自分なりの信念、一貫した思いがなく、周りの状況に影響されてしまうからだろう。

・また、情緒不安定なため、気分のいいときとよくないときで、判断が変わってしまうこともあるだろう。

・思いつきで口にしてしまい、『あんなこと、言わなければよかった。』という思いで、後で訂正を余儀なくされることもあるだろう。

・さらには、情報不足もある。一度言ったあとで、それが困難であるという情報が入り・・・、

 でも、首相の場合は、一番上の理由が多いようだね。その結果、つじつま合わせを余儀なくされ、それがかえって墓穴を掘る結果となってしまう。


 さて、この点でも、学校経営に生かせることがありそうだ。
 
 組織の長たるもの、一度口にしたことは、そう簡単に変えるべきではない。そのためにも、言動には慎重を要する。即答できないときは、判断を保留すればいい。

『明日まで、考えさせて。』


 いったん口にしたあとで、不都合が生じることもある。それでも、よほどでない限りは訂正しない。そのままでいく。そして、その反省を次に生かすようにする。

 そうは言っても、どうしても無理な場合は、これはもうお詫びするしかない。お詫びした上で訂正する。誠心誠意対応すれば、『ぶれた。』とはみなされないはずだ。

 

〇言ってはいけないことを言ってしまう。


 正直なことはいいことだ。しかし、それも、ことによりけりだ。

 何でも口に出していいというものではない。

・その言葉によって気分を悪くする人、打撃を受ける人がいないか、そうした気配りはしなければいけない。

 それは何も、気分を悪くする人、打撃を受ける人だけへの配慮ではない。第三者だって、当事者の気持ちに思いを寄せ、『かわいそうじゃない。』『気配りがない人ね。』などという思いを抱く人は必ずいる。

 どうせ一部の人だからなどと軽く思っていると、とんでもないことになる。

・責任のがれ、言いわけ、さらには、開きなおりなど、言った当事者は気持ちがいいかもしれないけれど、言われた国民の方はたまったものではない。

・『ぶらさがり』での、いやみ、詮索、開き直りなど、あれは、取材する側は、いやになってしまうのではないか。

 しかし、ほんとうの意味でいやになるのは、国民だよね。

  
 学校経営でも、まったく同じこと。

 相手が子どもだからと、いい加減になる人もいるようだけれど、そんなことをしていたら、子どもの心だって離反してしまう。



〇感情を読まれる。


 テレビの時代はこわいだろうな。なにしろ、顔色から表情から、すぐ全国に伝わってしまうのだもの。画面から、感情までよまれてしまう。

 麻生さんもそうだったね。人を嘲笑するような笑い、自嘲気味の笑いなど、多かったと思う。
 
 また、『あっ。いやがっているな。』『やる気がないな。』
 そのようによまれてしまうのは、まったくまずい。『国民が見ている。』ことに気づいていないのではないか。

 
 わたしたちだってそのくらいのことは考える。

 一人の子ども、一人の保護者と対応するときだって、その背後には、今、現実に目の前にはいないけれど、多くの子ども、保護者がいるのだと思って対応する。

 まさか、テレビに映るわけではないけれど、その印象は、口コミで伝わっていくものだ。


 最後に、

 首相のことは、過去記事にも書かせてもらったことがある。

    発言のブレと放言

 こうしたことが、なぜ、起きるか。

 瀬戸内寂聴さんの名言がある。

 ここにも、学校経営に生かせる言葉がありそうだ。


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 今朝の、政治トーク番組で、『首相は孤独だ。』という言葉がありました。

 そう言えば、『校長は孤独だ。』という言葉もあります。わたしは、孤独だなんて思ったことは、ほとんどなかったですけれどね。

 やっぱり、日ごろ、たよりになる人が、どうしても必要でしょうね。的確な情報を提供してくれる人、校長である自分が決断するにしても、ともに悩み、ともに考えてくれる人。そういう人がどうしても必要です。

 それには、おごることなく、ときには苦言も呈してくれるような、そんな、教頭との関係を構築したいものです。

 これにかかわる過去記事もありますので、よろしければご覧ください。

    教頭先生のお仕事(4) 補佐について

    

rve83253 at 18:21│Comments(0)TrackBack(1) 学校経営 | 学校管理職

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