2009年07月24日

敬語は強制するものか。4

9ec8ea4c.JPG 読者の方から、またまた、教育観、指導観にかかわるメールをいただいた。

 さっそく、読者であるAさんからのメールをご紹介させていただこう。

 
 
 先日、家庭訪問があり、先生方に敬語を使うように指導(するという話)がありました。

 亭主は、
「そんなん必要ない。もし、使うなら友達にもだ!」
という考えです。また、
「本人が必要だと感じたらつかうようになるだろう。」とも。

 (我が子は、)乱暴な言葉づかいもしないし、お願いするときにはお願いしていると感じられるような口調だし、まぁいいのではないかと思っています。

 もし、敬語について、先生のお考えがあれば、教えてください。



 いただいたメールは以上だ。

 しかし、Aさんに、『敬語の指導についてのわたしの考えは、記事に書かせていただきたい。』とお願いしたところ、さらに、その背景とも言える内容のメールをいただいた。


 こちらの方は、要約して掲載させていただこう。


 Aさんは、以前は、上記のような考えではなかったとおっしゃる。

 今、高校生のお子さんが、小学校低学年のころ、学校に行くと、子どもたちが先生に友達のような口調で話しているのを聞いて、びっくり仰天されたそうだ。

 でも、その後、お子さんが成長するにつれ、先生に対し、話し方はともあれ、敬ったり、信頼したりする口調になってきたことや、中学生になる頃には、それなりに敬語も使用できるようになっていたことから、今となっては、『敬語を使うように指導する』と言われると、戸惑うようになった。

とある。



 わたしは、拝見して、Aさんに対しては、大変失礼になってしまうが、失笑を禁じえなかった。



 と言うのは、

 『学校に行くと、子どもたちが先生に友達のような口調で話しているのを聞いて、びっくり仰天された。』

は、まさに、わたしが小学生、中学生だった昭和30年代初め、当時の大人がわたしたちに言っていたことと、まったく同一だったからだ。


 これは、決して我が地域に限定される話ではなかった。

 だって、今ほどはなやかではないマスコミも、『最近の学校事情』ということで、けっこう話題にしていたからだ。当時は、何かと、戦前との比較が多かったと思う。


 戦争に敗れ、戦前の軍国主義教育は強く否定され、民主主義の世となって10年余り。当時の大人の思いは複雑だったに違いない。

 わたしが今、想像するに、

 自分たちは、戦前の教育を受けてきた。今、その教育が否定され、自由、平等の民主主義の世となった。そのこと自体はすばらしいことだ。戦前の国家統制のきつい世に戻った方がいいなどとは思わない。

 しかし、今の民主主義教育も、ほんとうにあれでいいのだろうか。

 先生と子どもが、まるで友達同士のように、話している。先生の威厳たるやまるっきり感じられない。先生方も、そうした子どもの言動を許してしまっている。

 無秩序になってしまわないかと心配だ。


 わたしは、大人がそのような思いをもっていたことを、子どもながらによく知っていた。


 何をかくそう。

 このわたしも、当時、先生と友達のようにふれ合っていた張本人だ。これは自信がある。



 また、それから、10年あまりたち、わたしが初任者だったころも、我がクラスは似たような状況だった。それで、当時の保護者も、わたしに対し、『子どもと先生が友達同士みたいなやり取りでいいのか。』と、先ほどと同じようなことを言っていた。

 そうした状況を嘆く方もいらしたし、軽い話題を提供しようというくらいの方もいらしたし、気にしていない方もいらした。

 当時の保護者は、世代的には、太平洋戦争時、学童疎開された方々だ。

 だから、やはり、心中は複雑な思いがあったことと思う。


 わたしは、自分の子ども時代のことを語り、『それが、今はこのようですから、大丈夫じゃないですか。心配いりませんよ。』などと言っていたと思う。



 さあ。話を戻して、(また、今回も、前置きが長くて、申し訳ありません。)
 
 上記、Aさんからいただいたメールにも、似たようなことが書かれているよね。

 簡単に言えば、『成長するにつれ、自然に身につけていくだろう。』と理解していいように思う。


 わたしも、基本的には同じ考えだ。

 敬語に関する知識は、もちろん学校で指導するが、それをうまく使いこなすかどうかは、自然な成長発達とまわりの大人の気配りとによる。

 そう思う。


 わたしは、教員として、乱暴だったり人を人とも思わなかったりするような言葉づかいに対しては、注意したり叱責したりしたと思うが、敬語に関しては、特にそのようなことはしなかったと思う。

  

 さて、それでは、本論に戻り、

 Aさんのお子さんが通う学校が、『先生方に敬語を使うように指導する。』ということに関してだが、

・これはもう、『うん。』という返事をやめさせ、『はい。』と言わせるとか、
・『校長先生は偉い人』と、子どもに言って聞かせるとか、

どうも、敬語指導のはんちゅうを越え、有無も言わせず、『先生を敬え。』とばかり、強制するようだ。


 なんともはや、以前いただいたメールに関する記事、『挨拶の習慣づけは、どうあったらいいの。』を思い出した。

 あのときの、『子どもの腕をつかんで引き戻し〜』にも驚いたが、今回のAさんのメールにも衝撃を受けた。


 今、その部分だけ、原文のまま再掲させていただこう。


 
 長男が1年のとき、トイレで校長と一緒になり、何か話しかけられたのだと思います。帰宅して、「うん、じゃなくって、はいって言わなければならないんだって。」と聞いたとき、自分への言葉遣いにうるさい(すみません)校長だなぁと思ったのを覚えています。

 ただ、そのときは「はい、の方がいいよ。これからは、はいにしようね。」と答えたように思います。



 以上だ。

 かわいらしくあどけない1年生が、『うん。』はダメと言われて動揺している様子が伝わってくる。


 わたしは、これをうかがって、あまりにも杓子定規で、形にとらわれ、子どもの発達段階もわきまえない、校長の姿を思い浮かべた。

 これの始末の悪いところは、校長は、たとえ相手が1年生でも、『指導の一環』と思っていて、『形から入るのも大切』とばかり、いいしつけをしていると思い込んでいるに違いないところだ。


 そこで、わたしは、

 これまで、拙ブログに、わたしと子どもとの会話を数々載せているが、

 子どもがわたしに、『うん。』と言った事例はないか、調べてみることにした。


 すると、あった。あった。

 『うん。』がでてくる。しかも、2度も。


 それは、下記リンク記事の後半だが、

 読者の皆さんの中で、もしまだお読みでない方がいらっしゃれば、会話の雰囲気を想像していただくためにも、冒頭からお読みいただければありがたい。

    『校長先生の代わりに』



 どうだろうか。

 読者の皆さんが、この会話の当事者だったとして、子どもの、『うん。』2箇所を・・・、

 いい直しさせようとか、お説教しようとか、思われるだろうか。

 それとも、やり過ごした方がいいと思われるだろうか。


 わたしはもちろん後者だ。

 どうなのだろう。

 Aさんのお子さんが通われる学校の校長先生は、言い直しをさせるのだろうね。そうしたら、この会話の気分、何ともいえないほのぼのとした気分を壊してしまうのではないかな。


 敬語(?)の指導も同様だろう。

 敬語を使っていなくても、そのような気分が漂っていれば可。

 雰囲気が温かいか。とげとげしいか。さめているか。

 日ごろの会話では、そういうことこそが大切にされなければならない。


 そして、注意したり叱責したりするにしても、

「今の言い方じゃ、言われた人はかわいそうだね。」
「もっと温かな気持ちでお話できるといいね。」

ということになるのではないか。


 そのように、会話の雰囲気を大切にした指導をすれば、自然に敬語もふえてくるというものだ。


 少なくとも、言うことを強制して、心が温かくなるとは思えない。


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 だいたい、『先生方に敬語を使うよう指導する。』と先生が言うことに、違和感を覚えますね。

 
 小学校の場合は、温かな雰囲気があれば、それでいいのではないですか。

 そして、その雰囲気をつくるのは、やはり、指導者側でしょう。


 Aさんからのメールには、最後に次のような言葉がありました。


 私が出会った、尊敬すべき素晴らしい人達は、大概、生意気や失礼なことを言っても(敬語を使ったどうかはよく覚えていませんが)、笑って見守っていてくれたような気がします。



rve83253 at 14:48│Comments(68)TrackBack(0)教育観 | 指導観

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この記事へのコメント

1. Posted by kurazoh   2009年07月25日 00:20
指導=強制という固定観念があるだけならまだよいのですが,指導自体に違和感があり,それを放棄する,という発想が教師にあることがよくわかりました。
小学校の馴れ合い・なあなあ・緩い,非公的空間に漬かりきった子どもが,たまに中学校でも甘えてくる現実がありますが,「小学生だから」「小学校だから」という甘えを教師の側が棄てない限り,望ましい連携はとれないでしょう。
2. Posted by toshi   2009年07月25日 09:50
kurazohさん
 どうやら、kurazohさんの方に、固定観念があるようです。

 わたしは、記事に、
《どうも、敬語指導のはんちゅうを越え、有無も言わせず、『先生を敬え。』とばかり、強制するようだ。》
と書かせていただいたように、指導=強制などとは思っていませんよ。緊急避難的なときなど例外があることは認めますが、『強制』などは指導ではないと思っています。だから、違和感どころではありません。また、放棄でもありません。あってはならないことと思うのです。

 そうなると、kurazohさんから見た場合、馴れ合い、なあなあ、緩い指導とうつるわけですね。

 どうして。どうして。問題解決学習で育つ子どもは、ゆるいどころか、ちゃんと自己を確立しつつありますよ。

 小学生だからあまいどころではありません。1年生でも、1年生とは思えないくらい自己を確立しています。リンク先記事で紹介させていただいたとおりです。
3. Posted by toshi   2009年07月25日 10:02
 つけたしです。

 最後、小中連携にふれていらっしゃいますので、関連記事を紹介させてください。『小中一貫教育のあやうさ でも、がんばって。(1)』です。
 本コメントのHN欄に、URLを貼り付けさせていただきました。
4. Posted by Tom   2009年07月25日 10:13
5 toshi先生、はじめまして。
私は小5の女児の母親です。
子育て中にいろいろと悩むことがあり検索していたところ、先生のブログにたどり着きました。
まだすべては読みきれていませんが、自分の子どもへの対応のまずさが次々と露見して反省したり、反対に安心させていただいたり、納得させていただいたり、大変勉強になりました。
ありがとうございました。

敬語のお話も、ちょうど学級内で似たような話題が持ち上がっていたので、大変参考になりました。そう、敬えと強制するのはおかしいですよね。「場に応じた話し方、失礼にならない言い方」を「こんな言い方もあるのだよ」と指導する、そのくらいの気持ちでいる方が、自然と子どもも身につくのかもしれません。大人の世界だって、どんなに言葉が丁寧でも、そこに心がこもっていなければ、嫌味にしか聞こえないこともありますものね。

また、僭越ながら、当方の拙ブログ内の記事中において、toshi先生のブログをリンクさせていただきました。
もし不都合等ありましたら、お知らせくださいませ。
今後とも、勉強させていただきます。
長文失礼いたしました。
5. Posted by kurazoh   2009年07月25日 18:46
ご回答をいただいて,まことにありがとうございました。結局,私が感じていたことは的中してしまったようです。「先生には敬語を使うように」という指導があり得るという現実,そのような指導が必要な場面というものが,小学校の教師にはきっと想像もつかないのでしょう。
ある学校の入学選抜の面接場面で,敬語を使う能力を測っていたことがありましたが,気の毒に,そのような場面でも使う知識も能力もない子どもが(学力は高くても)存在することがわかっています。
「成長するにつれ、自然に身につけていくだろう」という言葉が,小学校教師の教育の姿勢を端的に物語っているようです。
指導と強制をごちゃまぜにして,結局子どもが「できる」ようにしない,強制になるからやらない,というスタンスなわけです。
6. Posted by kurazoh   2009年07月25日 18:46
子どもにとって,小学校では担任対自分という関係でほとんどの時間が成り立っているのに対し,中学校では関係をもたなければならない人間が急に増えてきます。
「先生には敬語を使うように」という指導がなければ,敬語そのものを使う機会が全くないまま進学してしまう子どもも出てくるわけです。小学校なら「先生には・・・」と言ったときは現実的にかなり限定がかかってきますが,中学校ではかなりの人数の大人が対象になります。「先生を敬え」は論外としても,なぜ「先生には敬語を使うように」という指導が必要になってしまったのか,その理由を,中学校を訪問する時間を増やして感じ取っていただきたいというのが私の感想です。ただ,ご紹介いただいた記事を読ませていただくと,「中学校に温かな雰囲気がないのが原因だ」と言われてしまいそうですが・・・。
7. Posted by toshi   2009年07月25日 21:05
Tomさん
《toshi先生、はじめまして。》
 こちらこそ、はじめまして。今後とも、よろしくお願いします。
 初めての方からコメントをいただくと、いつも改まった気持ちになり、心から、『よろしくお願いします。』という気持ちになります。
 ところが、今回は、前後して唐突でぶしつけなコメントが入っているものですから、ことのほか、うれしさを感じます。とり上げているのが敬語だけに、皮肉なものですね。

《敬語のお話も、ちょうど学級内で似たような話題が持ち上がっていたので、大変参考になりました。そう。敬えと強制するのはおかしいですよね。》
 ほんとうに、お互い、この程度の常識は、持ち合わせたいものだと思います。お子さんの学級でも、強制があるわけですね。申し訳ないことです。

《「場に応じた話し方、失礼にならない言い方」を「こんな言い方もあるのだよ」と指導する、そのくらいの気持ちでいる方が、自然と子どもも身につくのかもしれません。》
 もうおっしゃるとおりです。そのような指導なら、子どもも、心から身につけようという気持ちになるでしょう。

 リンクの件、ありがとうございます。さっそく拝見させていただきます。
8. Posted by toshi   2009年07月25日 21:31
kurazohさん
 あなたへのコメントにこまっています。どう返事をしたものか。
 だって、コメント2に対し、まったくふれていないではないですか。
 回答はそれをいただいてからにしましょう。

9. Posted by kurazoh   2009年07月25日 22:08
具体的に対応していただけるとは,光栄です。
>kurazohさんの方に、固定観念があるようです。
・・・何が固定観念なのか,わかりません。ご説明いただけますか?
>わたしは、記事に、《どうも、敬語指導のはんちゅうを越え、有無も言わせず、『先生を敬え。』とばかり、強制するようだ。》
・・・有無を言わせず・・・以下の捉え方が,小学校特有の固定観念なのです。「敬語指導のはんちゅう」が,小学校ではせますぎるというか,本文中にもあるように,「それをうまく使いこなすかどうかは、自然な成長発達とまわりの大人の気配りとによる」とは,要するに「成り行き任せ」ということでしょう。そのような姿勢の結果,どういう現状になっているかをご説明させていただきました。
10. Posted by kurazoh   2009年07月25日 22:08
>指導=強制などとは思っていませんよ。緊急避難的なときなど例外があることは認めますが、『強制』などは指導ではないと思っています。
・・・「緊急避難的なときなど例外」はいくらでも起こりうるのです。ですから「例外」という表現そのものがおかしいのですが,あくまでも「強制」は絶対にいけないという教育観があるので,『強制』にあたる指導はゆるせない,という意味になるわけでしょう。
>どうして。どうして。問題解決学習で育つ子どもは、ゆるいどころか、ちゃんと自己を確立しつつありますよ。
・・・是非とも限定をかけてください。「問題解決学習で育つ子どもの中には・・・もいる」が正しい文でしょう。
11. Posted by A(1)   2009年07月25日 22:16
toshi先生、kurazoh先生

ご意見を聞かせていただき、ありがとうございます。中学生のことも書かれていたので、私も思っていたことがあるので書いてみます。

去年、PTAの委員をしていたので、子どもの通学する中学校に足繁く通いました。意外にも、すれちがった際に「こんにちは」と挨拶をしてくれるのはウエストを少し下にずらし、白色のベルトをしている男の子達が多かったように思います。白ベルトの子達は、我が子の授業中の話から想像すると、先生方とは友達のような感じで対等に会話していたようです。物怖じせず、考えていることをはっきり発言し、素適な子達だなぁと思って、子どもからクラスの様子を聞いていました。

たまに、先生との対立についても聞くことがありました。子ども達の方が前向きな感じがする場合などは、応援したくなりました。
12. Posted by A(2)   2009年07月25日 22:23
丁寧な言葉でお互いに敬意を払いながら対立できるなら、それに越したことはないと思います。そういう先生方もおられましたが、一方で、自分の意見を通そうと威圧するような口調になる先生もおられ、この場合、子ども達の憤りは大きくなり、敬語どころではなかったようです。

PTAの委員会活動で、この子達にインタビューをする機会がありました。みんな丁寧な言葉で回答してくれたことが印象に残っています。
彼らも意識して、周囲から敬語を学んでいたのかもしれません。

小学生ならば、先生方に敬語を使うことを仕込めるかもしれません。私自身は仕込まれました。対立なんてとんでもない、先生の言われることには、自分の考えも持たず、絶対服従でした。ですから、先生方と子どもが友達のように会話するのを観て、びっくり仰天したのですが、「先生方に敬語を使いなさい」という指導は、自分の考えを持って発言することを邪魔するのではと今、感じています。
13. Posted by A(3)   2009年07月25日 22:31
そして、昨年度まで中学生だった上の子やその友達を見て、国語で敬語の用法を学び、学校生活や日常生活で大人達が丁寧な言葉を使用することで、子ども達にも、少しずつ、敬語が身に付いていくものかなぁと思っています。小学生であれば「うん」という返事でも、その子の言葉を待って聞いてくださる姿勢も、相手への尊重を学ぶ機会になると思いました。

小学校で信頼できる先生に出会い、大人への安心感がはぐくまれ、見守ってくれる大人を大切にしようという気持ちになり、大人から突き放されそうな中学生となったとき、信頼できる大人を失わないように、自分の意志を実現するためにも、丁寧に人と交わり、敬語を使用するようになるではと、今、思っています。
であれば、「子どもが、先生方に敬語を使うよう指導する」というのは、ちょっと違うのかもしれないと思いました。

的外れなことであれば、すみません。
14. Posted by A(4)   2009年07月25日 23:18
上に書いた「見守ってくれる大人を大切にしようという気持ちになり、大人から突き放されそうな中学生となったとき、信頼できる大人を失わないように、自分の意志を実現するためにも、」というのは、間違いのような気もしてきました。訂正したいのですが、上手く表現もできず・・・ただ、自分が大切にされることで、他人を大切に思えるようになり、その結果、丁寧に人と交わり、自然に敬語を使用するようになるのではと思います。

長々とすみませんでした。
15. Posted by toshi   2009年07月26日 00:37
Aさん
 コメント、ありがとうございました。よろしくお願いします。
《子ども達の方が前向きな感じがする場合などは、応援したくなりました。》
 強制する立場からは、『教える立場の教員と未熟な子ども』というとらえがあると思います。しかし、生活していると、そのとらえはあてになりません。特に中学生であれば、よけいでしょう。
 子どもの方が前向き。
 いくらもありうることだと思います。

《自分の意見を通そうと威圧するような口調になる先生もおられ、この場合、子ども達の憤りは大きくなり、敬語どころではなかったようです。》
 これもよく分かります。わたしの言葉で言わせていただければ、大人に気配りがないのです。知識としてはもっているはずの敬語が実生活で使えない場合、このようなことがたくさんありうると思います。
 
16. Posted by toshi   2009年07月26日 00:45
《「先生方に敬語を使いなさい」という指導は、自分の考えを持って発言することを邪魔するのではと今、感じています。》
 『なるほどな。』と思いました。そして、敬語云々というよりも、強制そのものが、子どもの表現力を奪うように思います。

《自分が大切にされることで、他人を大切に思えるようになり、その結果、丁寧に人と交わり、自然に敬語を使用するようになるのではと思います。》

 そうです。そうです。わたしがうまく言えていない部分を補足していただいた思いです。
的外れなどと、とんでもありません。ありがとうございました。


17. Posted by toshi   2009年07月26日 00:47
kurazohさん
《・・・何が固定観念なのか,わかりません。ご説明いただけますか?》
貴コメントにある、《指導=強制という固定観念》です。わたしはこのようなことは思ってもいないのですから。

 ついでに、《指導自体に違和感があり,それを放棄する,という発想》も含まれます。わたしが思ってもいないことを、《教師にあることがよくわかりました。》と言われてもこまります。
 ただし、指導を強制と置き換えれば、多少は分かります。コメント2に書いたように、しっくりとはきませんけどね。

《・・・有無を言わせず・・・以下の捉え方が,小学校特有の固定観念なのです。》
 最後の、『なのです。』が、これまた、kurazohさんの固定観念を思わせます。決め付けていますね。
 わたしは、いただいたメール内容で、『有無を言わせず』と書いたに過ぎません。
18. Posted by toshi   2009年07月26日 00:51
《自然な成長発達とまわりの大人の気配りとによる」とは,要するに「成り行き任せ」ということでしょう。》
 驚きました。どうしてこれが、『成り行き任せ』でしょう。Aさんがこのあたりのことを、分かりやすく書いてくださいました。

 なお補足させていただければ、
子どもは自ら伸びようとする存在です。また、大人の気配りは、わたしが拙ブログで日々主張しているところです。わたしの初任者指導の命と言ってもいいくらいです。ぜひわたしの、『初任者のブログ』をお読みください。ほめる。共感する。受容する。みんな気配りです。

 「緊急避難的なときなど例外」はいくらも起こりうる。
 まあ、これは、学校によって、違うことでしょう。
 
《・・・是非とも限定をかけてください。「問題解決学習で育つ子どもの中には・・・もいる」が正しい文でしょう。》
拙ブログ、及び、ホームページには、いろいろ授業記録や実践記録を掲載しています。ぜひご覧ください。
19. Posted by toshi   2009年07月26日 00:56
 入学選抜の件ですが、kurazohさんは、『強制しないから』と言っているようですが、(指導はすると記事に書いていますね。)わたしは、強制するから、こういう結果になると、そちらの可能性のほうが高いと思いますよ。
 
《指導と強制をごちゃまぜにして,結局子どもが「できる」ようにしない,強制になるからやらない,というスタンスなわけです。》
 おもしろいですね。わたしは、指導と強制を峻別しています。ごちゃ混ぜにしているのはkurazohさんでしょう。
 ですから、もちろん、「できる」ようにベストを尽くそうと努力しています。kurazohさんは、『気配り』を軽く見たようですが。

 繰り返します。
 Aさんもおっしゃっていますが、強制ではなく、愛情、受容、共感の環境でこそ、身についていくのです。

《「中学校に温かな雰囲気がないのが原因だ」と言われてしまいそうですが・・・。》
 認めているのかな。あなたのコメントを読むと、強制に自信があるからか、小学校の指導にばかり問題があるかのようです。
 
 最後に、荒れた公立中学校を見事再生させた事例を紹介します。『強制』ではなく、大人の愛情、受容、共感によって、たて直した事例です。ご覧ください。

http://blog.livedoor.jp/rve83253/archives/1200508.html
20. Posted by yoko   2009年07月26日 01:57
kurazouさんとtoshi先生のやり取りを拝見して「北風と太陽」を思い出しました。
kurazouさんは北風。toshi先生は太陽ですね。
私は、太陽がいいですが…。どうでしょうか。
21. Posted by ai   2009年07月26日 02:36
toshi先生、お久しぶりです。

確かにkurazohさんのような指導をすれば、その先生にはそれ以後敬語を使うようになったり、雰囲気を見て言葉を使い分けたりするようになるでしょうね。

しかしそれは表面上敬語を使っているだけで、本当にその先生を尊敬していることにはなりませんね。

toshi先生のやり方は、植物に水をやり、栄養を与え、花を咲かせるのを待つような・・・。
時間はかかるかもしれませんが、先生方が普段からこのような愛情を注いでくだされば、言葉は自然と後からついてくることでしょう。

ただ、toshi先生のやり方は、すべての先生ができるわけではなさそうですね。
やはり強制したほうが楽ですから・・・。
手間隙を惜しまない先生が増えてくださることを望みます。
22. Posted by A   2009年07月26日 04:45
kurazoh先生が教師の立場で、toshi先生が教師として関わってきた子達や去年の我が子の同級生に出会ったならば、もしかすると、toshi先生が書かれていることを、なるほどなぁと思われるのではないかと、ふとそんな気がしました。

私には、我が子の卒業した中学のその学年の子達のみが、基準となっています。
小学生のころ、先生方が大切にご指導くださったことが、相手を思いやる気持ちを養い、敬語も適切に使用できる子達に育ったような気がしています。

すみません。話題を提供しておきながら、1週間くらい自宅から離れます。パソコンが使えるかどうか分かりません。もどってきたら、ご連絡します。

23. Posted by toshi   2009年07月26日 06:05
yokoさん
 ほんとう。『北風と太陽』ですね。そういう意味では、むかしからある教育観の対立なのですね。
 これだけ科学が進化した時代にもかかわらず、この教育観の対立は、いまだ続いているわけです。 

 『北風と太陽』は、以前記事にさせていただいたことがあります。読み返してみると、本記事と重なる部分があるものですから、URLを貼り付けさせていただきました。

 強制は、権威に服従させたり、反発させたり、くらい気持ちにさせたりしますね。
24. Posted by toshi   2009年07月26日 07:50
aiさん
《しかしそれは表面上敬語を使っているだけで、本当にその先生を尊敬していることにはなりませんね。》
 おっしゃるとおりです。強制は知識のみあって、心が伴わないようになりがちでしょう。こわかったり、いやいやだったり、あきらめの気持ちだったりするからです。

《やはり強制したほうが楽ですから・・・。手間隙を惜しまない先生が増えてくださることを望みます。》
 わたし、何度も記事にしているのですが、『馬を水場に連れて行くのはたやすいが、水を飲ませることはむずかしい。』
 ほんとうにそうだと思います。強制して水を飲ませることは困難なのです。水を飲ませた気になっているだけなのです。あくまで水を飲むか飲まないかは、馬自身が決めることなのですね。強制論者はそこに気づいていないようです。

 わたしが主張する教員の意識改革は、このあたりのことを指しています。手間隙を惜しまない教員を増やすよう、努力しているつもりです。
25. Posted by toshi   2009年07月26日 08:01
Aさん
 わたし、何を考えていたのだろうと思いました。
 コメントの15、16番を打っているとき、Aさんが記事中のメールをくださった方とは気づいていませんでした。自分でイニシャルを使わせていただきながら、なんということでしょう。申し訳ありませんでした。

《小学生のころ、先生方が大切にご指導くださったことが、相手を思いやる気持ちを養い、敬語も適切に使用できる子達に育ったような気がしています。》
 中学校の、一部の先生でしょうが、子どもへの気配りを『成り行き任せ』などと軽くみるのではなく、それこそが、教育の命なのだという思いをもって、愛情、受容、共感の思いを大切に、指導に当たっていただきたいと、切望しています。

 
26. Posted by yoko   2009年07月26日 13:21
kurazohさん
私、お名前のつづりを間違えていました。申し訳ありませんでした。

中身があってこその形式。
小学生のうちは特に、形式より中身を大事に育てたいと思います。勉強も、しかりです。そういう小学生で作った基礎があるからこそ、中学・高校…とステップアップできるのではないかと思っています。
27. Posted by しれとこまま   2009年07月26日 18:00
こんにちは。今回の記事は、ちょうど私も感じていたこととシンクロしており、読ませていただきました。
確かに、長女や長男は、砕けすぎるくらいに先生に対しての言葉遣いがなってなかったんです。尊敬というものを感じなかったようです。
しかし、現在の次男の担任の先生は、「きちんとした言葉で話しましょう」と教えておられ、とても礼儀正しい立派な1・2年生になっています。
そう、子どもらしさもないくらいに・・・。
保護者もたまたま訪れる学校ですから、親に対しても丁寧に話してくれます。悲しいくらいに。
そして、次男を迎えに行ったりした時、私に何かを頼んだ時先生が「お願いしますは」と言ったんです。入学して1ヶ月もしないくらいでしょうか。
衝撃でした。もちろん返事は「はい」。してもらったら「ありがとうございました」といっています。
ただ、できた時はすごく褒めてもらうので一生懸命従っていますが、どうも低学年には違和感を感じる次第です。
こんな私はどうなんでしょうか・・・。次男は家では普通に甘えてきますし、そんな言葉は使いません。
28. Posted by しれとこまま   2009年07月26日 18:02
すみません。上のコメントにつけたしです。
次男が、私に頼んだ時に「お願いしますは」と先生が子どもに言ったんです。
だから、衝撃ですね。
また、水筒が壊れて急いで換えのリュックなどをもって駆けつけた時も「ありがとうございました」と頭を下げられました(息子に)。なんだか、悲しくなった次第です。
29. Posted by kurazoh   2009年07月26日 19:13
toshi先生,ご丁寧な回答ありがとうございます。
中学生が正しい日本語が使えない理由が,「愛情、受容、共感」不足によるものである,あるいは,強制によって生まれているひずみである,こういう固定観念にブレはなさそうですね。
さらに,中学校で「強制に自信があるからか、小学校の指導にばかり問題があるかのよう」と捉えるパターンも,今まで接してきた小学校関係者にほぼ共通するパターンです。「みとめているのかな」がダメ押しでしょう。
挨拶指導,敬語指導についての「指導=強制」感は,小学校教師なら「絶対にそんな認識はない・あるべきではない」という人が大部分,中学校教師なら,「やむを得ない部分が多々ある」という認識がかなりの部分を占めているという感覚は,よくご存知の通りでしょう。
30. Posted by kurazoh   2009年07月26日 19:13

ことさらに,
>荒れた公立中学校を見事再生させた事例を紹介します。『強制』ではなく、大人の愛情、受容、共感によって、たて直した事例・・・をご紹介されるあたりに,その空気がよく漂っています。
この事例の出し方も,「中学校が荒れるのは,大人の強制が原因であり,大人の愛情,受容,共感不足が原因である」ことをイメージ付けたいものですね。
小学校での理想主義的な教育が,中学校での現実主義的な教育の度合いをいかに重度に追い込んでいるかという現実が,このような記事を通して明らかになると思われます。「緊急避難的な・・・例外」について,
>まあ、これは、学校によって、違う
で片付いてしまうあたりが,「卒業させる側」の気安さでしょうね。
31. Posted by kurazoh   2009年07月26日 19:24
指導がうまくっている,という例をあげるのは簡単なことです。もし,指導がうまくっている,というのが,ごくごくまれなケースでないのであれば。
あとは,こうすれば,うまくいく,というのも簡単なことです。
敬語指導については,「大人の愛情,受容,共感」「気配り」の必要性について。
当たり前の話で逃げることは,現実的には不可能なのです。
反抗期の子どもに,中学校のような敬語指導,小学校から言えば敬語強制は逆効果だろう,というのは,親でなくてもわかる感覚です。
しかし,反抗期だからこそ必要な指導というのが,それに直面しない小学校教師には実感できないのでしょう。
そもそもなぜ「敬語指導」が必要になるのか。なぜ日本語に複雑な「敬語」があるのか。そういう問いへの切実感がどうしても伝わってきません。
32. Posted by toshi   2009年07月26日 22:08
しれとこままさん
 わたしも、しれとこままさんの悲しみを共有させていただきます。すごく感じます。
 小学校1・2年生では、反抗することすらできませんものね。
《次男が、私に頼んだ時に「お願いしますは」と先生が子どもに言ったんです。》
 これ、ほんとうに多いです。でも、我が地域の場合、保護者の前でもやるかなあ。いくら担任でも、ここまで強制していいのでしょうかね。
 
33. Posted by toshi   2009年07月26日 22:48
kurazohさん

 もういちいち回答するのはやめましょう。
 わたしの思いだけコメントさせていただきます。

 牽強付会の論理。見事です。

 ただ、
 あなたには、本コメント欄に寄せられた何人もの保護者の皆さんの思いなどは関係ないかのようですね。
 しれとこままさんの『悲しみ』に少しは思いを寄せられたらどうですか。それが人間性というものでしょう。それとも、あなたとしての教職の専門性を優先させますか。
 
 
34. Posted by toshi   2009年07月26日 22:49
皮肉をこめて申し上げます。
 拙ブログに寄せられた保護者の皆さんのコメントの数々。保護者は悲しんだり批判したり遠慮しいしい思いを書かれたりしています。
 それらの多くは、小学校で強制している事例です。kurazohさんの思いとは違い、敬語を使うことを強制して中学校に送り出そうとしている事例です。
 現代という、ペーパーテスト的学力偏重の時代のなせる技でしょう。
 kurazohさんにとっては喜ばしい時代の到来です。どうぞ、思う存分指導に当たってください。

 最後に、敬語指導をそれだけ重視されるkurazohさんなのに、ご自身はいきなりぶしつけにコメントを入れたり(コメント1番)、kurazohさん宛に入れられたコメント11番、26番を無視したりしていますが、今後は、もっとていねいになさるよう切望します。
35. Posted by ななママ   2009年07月26日 23:02
先生に対しての敬語に対して・・
私の娘は幼稚園ですが、先生に「うん」といわず「はい」と答えるように話しています・・。

また転園して2つの幼稚園を見たのですが
娘が先生に「さようなら」とおじきをして
挨拶をしているのに「バイバ〜イ」と
いうんです。
またハイタッチをさせたり・・。

正直、先生に対してとてもがっかりしていたのですが、これでいいんでしょうか???????

とても疑問です。

先生には「さようなら」と挨拶し
先生も「さようなら」とこたえてほしいと
思うのは「やりすぎ」なのでしょうか?
36. Posted by ななママ   2009年07月26日 23:06
上のコメントを読まずに書き込んでしまったのですが、私は批判ではなく・・
自分のこれまでの考えが間違っていた?
堅すぎた?
子どもに無理強いさせていた???

現に私の子どもだけが「さようなら」を
通しています。
(私が先生にはさようならと挨拶!と
話しているので・・)


バイバイでいいのでしょうか??
強制しなくても先生にバイバーイで
いいのでしょうか・・・。

さようならと立ち止まっておじきをして
挨拶しなさいと話しているのですが
自然にできるまで待ったほうが
子どものために良いのでしょうか。。
37. Posted by toshi   2009年07月26日 23:46
ななママさん
 ううん。わたしの記事やコメントが、ななママさんを悩ませてしまったようで、申し訳ありませんでした。
 わたしは、教職にある者の指導として書いているので、保護者の方の我が子への願いというのはまた別と考えます。

 わたしは校長時代、登校時(たまには下校時も)校門に立って子どもたちと挨拶をかわしていたのですが、
 『ばい、ばい。』という子には、『ばい、ばい。』、『さようなら。』という子には『さようなら。』と応えていました。

 わたし自身は、挨拶をかわすことがふれ合いで大事であり、その言い方についてはあまり気にしませんでした。

 ただ『さようなら。』と挨拶している園児に向かって、先生が、『ばい。ばい。』というのは、やっぱりちょっと違和感ありでしょうね。幼稚園の先生に、気軽にうかがう調子で、話題(お願い)にすることは、かまわないのではないでしょうか。

 強制しているのではないかとご心配なようですが、お子さんが違和感なくやっているのであれば、気にされる必要はないように思います。

 基本的に、ご家庭にはそのご家庭の子育ての方針、願いがあり、それは尊重されるべきだというのが、わたしの思いです。

 すみません。回答になったでしょうか。 
38. Posted by きゃる   2009年07月26日 23:47
私はkurazohさんのおっしゃることや
お気持ちがよく分かるのですが、
回答を拒否されていいのかなあと
思いました。
39. Posted by toshi   2009年07月27日 00:22
きゃるさん

 そうですか。どうもすみません。
 かってな決め付けや思い込みが多く、あ然とするような論理の展開に、不毛のやり取りになるなと思ったものですから、そのようにさせていただきました。
 決して反対意見を拒否するものではありませんし、これまでも、そして、これからも、歓迎するつもりです。
 
 ううん。でも、確かに、言いっぱなしで拒否するのはよくありませんね。

 一回だけ受け入れましょう。 
40. Posted by kurazoh   2009年07月27日 00:53
やりとりが不毛になるかならないかは,「事実」「背景」を見ようとするか,しないか次第です。なぜ,中学校からの「指導」が入ったのか。その「原因」や「背景」は何か。ここが最重要のポイントです。

41. Posted by toshi   2009年07月27日 05:52
kurazohさん
 もう、コメントは入れないつもりでおりました。
 しかし、読者の方々に質問するとは。
 わたしは、『非礼ではないか。』と申し上げたのです。
 したがって、非礼を重ねる部分は削除させていただきます。
42. Posted by とびうお   2009年07月27日 08:50
こんにちは。お久しぶりです。

私は初任から2年間、子ども達とはくだけにくだけておりました。
お笑い芸人のように面白く児童を”いじっ”て楽しく授業をしていました。ふざけているのではない、信頼関係の上で打ち解けてやっている自覚だけはありましたけども。

でも3年目あたりで「子どもらは大人のようにTPOを分かっているのかな」と思い始め、転勤を機に児童は「さん」付け。そして誰にでも敬語で話すようにしました。
例えばテレビで「バッカ、お前。何言ってんだよ(笑)」と言ってもそれはバラエティーという場の設定があり、お笑いの世界での無礼にならずむしろ温かみがある「暗黙の了解」なのだと。
43. Posted by 中   2009年07月27日 08:58
子供の目上の人に対する言葉遣いは、
常々、私も気になっていたことで、
興味深く、記事、さまざまなコメントを読ませて頂きました。

私が感じたことなのですが・・・

子供達が、特に社会に出てから、
人と接する時の最低限のルール…
つまり、挨拶、言葉使い、公共のマナーなど等、
これらを学ぶのは、まず家庭です。
子供は親を見ていますから。
子供の親を見ていると、
この子にして、この親あり…と思うことがしばしばです。
やっぱり親は子供の鏡です。

確かに子供達は、
日中、集団生活の中で、
家庭とは違う環境の中で、
色々なことを吸収していきます。

公立校で、様々な家庭環境、個性を持った仲間と触れ合いながら、
影響されたり、わが道をいったりと、
まるで上流から流れる石が、ぶつかり合いながら海を目指して転がっていくように、自分自身というものを確立していくように思えます。

だから、パーフェクトな教育現場というのは、ありえないと感じます。
厳しい学校で更生する子もいれば、
自由奔放でも、家庭がしっかりしているから大丈夫な子供も。

白か黒か、何でも物事はっきり決められたら、楽ですよね。


44. Posted by とびうお   2009年07月27日 09:04
前任校では生指担当の先生に『教師は「おはようございます」ではなく「おはよう」と挨拶してください』と言われたことがあります。
その通り実行したのですが、オウム返しに「おはよう」という児童が多く、毎度毎度「目上の人には『ございます』をつけようね」と指導するのにくたびれてしまい、挨拶が楽しく感じなくなってきました。

それで、今は「子どもは言われた通り返す傾向がある。ならば『ございます』をつけて、尊重する気持ちを養いたい。それにその方が『君は子どもだけど、一人の人間として先生は尊重しています』という気持ちが伝わるのではないか」と思っています。

また、この「ミラー理論」をさらに応用すると、元気のない子に元気に挨拶をしたり、乱暴な子に生真面目に挨拶してみたり、カタい子に冗談めかしたイントネーションで挨拶してみたり、と、いろんな工夫ができることが分かりました。

話を敬語に戻しますが、子どもは少なくとも私の前では「○○さんが○○して困りました」のように丁寧に話してくれます。ミラー効果だと思いますよ。

(ちなみに私は敬語も使いますが、ハイタッチもします)
45. Posted by 中   2009年07月27日 09:17
夏休みに思ったことですが、
例えば、セールスが来た時に、
丁寧に対応するか、ぶっきらぼうにお断りするかも、子供は見ています。

それから、電話の応対も、
人と肩がぶつかって、謝る時も、
目上に限らず、どんな相手であっても、
人として、立場が上か下かは関係ありませんよね。

我が子は、僭越ながら、
小さいころから、
完璧ではないですが、
私どもの見よう見まねで、
普通に丁寧語は話していました。

それでも、
小学校に入り、
お友達との会話、先生との会話を聞くと、
びっくりすることもあるんですが、
子供の中で、知っている人と、知らない人とで、話し方を分けているんだなあと思いました。

知っている人の中でも、
例えば学級会だとか、
先生に叱られている時(笑)、
TPOを子供なりに読んで、
言葉を使い分けているのだとということも、最近わかりました。

中学、高校で、
厳しい指導を学校側が真剣に考えなければならないような環境…、
もしあるとしたら、
う〜ん、私学へ流れても仕方ないかも!?

それでも、我が子の学校も、
問題は色々あるのですが、
だからと言って、流されて、
染まってしまったということも今のところないので、
やっぱり親次第なんじゃないかなと思いました。

46. Posted by 中   2009年07月27日 09:22
44のとびうおさんのコメント、
同感です!!
小さい子ほど、おうむ返しです。
幼稚園のころは、
おじぎをして、おはようございますが普通だったのですが、
強制されてやっていた感もなく、
可愛らしいものでした。
その頃、私が我が子を見て、
ご近所さんと会ったら、
ちょっと立ち止まって会釈するようにんばりました(笑)
47. Posted by yoko   2009年07月27日 10:58
私も、中さんと同じく44のとびうおさんに同感です。
周囲の大人が、ちゃんと「やってみせる」それが一番の教育ですね。指導する、教え込む…それ以前にとても大切なことだと思います。
48. Posted by toshi   2009年07月27日 11:56
とびうおさん
 お久しぶりです。再会したようで、うれしく思います。

・自分がよかれと思ってやっていることに問題性を感じたとき、素直にそれを反省し、次の実践に生かされたこと、

・学校の方針として示されたことにも、問題性を感じられたら、それを改めていこうとされること、

 どちらも、とびうおさんの柔軟性と自己を磨いていこうとする心を感じ、すばらしいことだと思いました。

「ミラー理論」にかかわる部分もその通りだと思います。

 ただ、とびうおさんとそんなに違わないと思いますが、わたしの思いを言わせていただければ、大事なのはコミュニケーション能力。心豊かな会話を楽しむ心と言いますか、そういったものを養うことが一番大事と思います。

 
49. Posted by toshi   2009年07月27日 11:56
とするならば、乱暴だったり気になったりする話し方に対しては、気づかせる努力が必要でしょうが、ふつうに会話できていれば、それでかまわないと考えます。

 朝、校門に立っていて、こちらが、『おはようございます。』と言っても、気づかない子もいます。そのときはやり過ごします。 そして、やり過ごした事実を覚えておきます。

 しかし、多くの子が挨拶をかわしている中では、その子もやがて挨拶するようになりますから、そうしたら、『うわあ。うれしい。ちゃんと挨拶できたね。』と言ってやります。

 こちらが、『おはようございます。』と声をかけても、ニコッと会釈を返すだけで、声にならない子もいます。また、『おはよう。』と返してくる子もいます。

 これらも皆同じやり方です。

 要は自然体の会話を楽しむといったらいいかな。だから、温かな心の交流があれば、友達同士のような会話でも、全然気になりませんし、

 また、そうしたとしても、皆さんがおっしゃるように、温かな心の交流があれば、敬語を使う子は、驚くほどふえていくものです。
 
50. Posted by toshi   2009年07月27日 15:01
中さん

《公立校で、様々な家庭環境、個性を持った仲間と触れ合いながら、影響されたり、わが道をいったりと、まるで上流から流れる石が、ぶつかり合いながら海を目指して転がっていくように、自分自身というものを確立していくように思えます。》
 わたしは今、毎年勤務校が変わります。年に数校勤務することもあります。そうすると、ほんとうに、学校ごとに、子どもの様子は様々であることに気づきます。

 家庭に原因がある。
 それはそうなのですが、川をぶつかり合って転がっていく小石なら、やはり、うまくぶつかり合ったり転がっていったりするような杭であるとか柵であるとかが必要になってきます。
 その部分は、まさに、学校の責任のはんちゅうでしょう。

 パーフェクトはありえないが、逆に公立校であるがゆえの、学校経営のダイナミックさはあると思います。

 次回の記事は、公教育の使命についてふれさせていただこうと思っていますが、それにかかわっていいヒントをいただいた思いです。ありがとうございました。

 
51. Posted by toshi   2009年07月27日 15:02
子どもは親の鏡。確かにそういった面はありますが、学級としてみた場合、それは、教員の鏡とも言えますし、ほんとうにそれらは複雑に絡み合っていると思います。

《中学、高校で、厳しい指導を学校側が真剣に考えなければならないような環境…、


 そういう学校があるのは事実です。しかし、そういう学校こそ、愛情、受容、共感をもっとも必要としている学校なのですから、厳しさを追求するのではなく、過去記事の、見事再生させた中学校から学んでほしかったのですが・・・、今回は、どうも無理だったようです。残念です。

 わたしは、中学受験には反対する立場ですが、今回のやり取りを通じ、個々の事情による緊急避難的な意味合いの受験は、やむをえないのかもしれないと思いつつあります。

《我が子の学校も、問題は色々あるのですが、だからと言って、流されて、染まってしまったということも今のところないので、
やっぱり親次第なんじゃないかなと思いました。》
 よかった。公教育にかかわるものとして申し訳ない思いとともに、ホッとする思いにもなりました。
52. Posted by toshi   2009年07月27日 15:23
とびうおさん、中さん、yokoさん
 いただいたコメントにもあるように、幼児期ほど、『やってみせる』は大事ですよね。そして、効果も上がるのではないでしょうか。決して強制ではないですよね。
 めったにないですが、赤信号でも平気でわたっていく親子連れを見るとき、『ああ。やがて、この子が一人で歩くとき、事故にあわなければいいが。』と、本気で心配になります。

 ああ。
 娘2人が結婚し独立して、5年以上がたちました。
 夫婦2人きりとなり、だんだん生活がいい加減になっているなと、反省したところです。
 
53. Posted by 中   2009年07月27日 17:48
 
私は当時、進学校から、父の転勤で、
環境が真逆の、荒廃した中学校へ最後の1年間、通わざる得なくなりました。
こういう環境の同世代がいるのだ…と、
かなり衝撃、カルチャーショックでした。
私は高校受験で、皆とは違う高校を目指すことで、勉強を友のように、なんとか1年を過ごしましたが、正直、辛かったです。


ある程度、マナー、良識を身につけた者は、ルールがゆるくても、目に余るようなことはしません。
ルールからはみ出したら罰則!!と思わせる環境は、そうせざる負えない生徒がいるからでしょうね…
安易に厳しさに走っているのでなく、そうするしか手段がない状況…
教師は大変だと思います。
親もどうしようもないなら、尚更。

もちろん、全く問題ない優秀な子が豹変することもあるわけで、
やっぱり、いかに周りの大人が子供一人一人を総合的に、多面的に見て、察してやることが大事ですね。





54. Posted by toshi   2009年07月27日 20:38
kurazohさん
 あなたのコメントが非礼であることは、41番でふれさせていただきました。
 したがって、同じ理由で削除させていただきました。
55. Posted by toshi   2009年07月27日 20:49
kurazohさん
 
 ただし、あなたは勘違いされているのかもしれないと思うようになりました。
 コメントの40番からそれを感じました。
《なぜ,中学校からの「指導」が入ったのか。その「原因」や「背景」は何か。》
 記事中の《Aさんのお子さんが通う学校が、『先生方に敬語を使うように指導する。』ということに関してだが、〜》は、小学校のことですよ。中学校と勘違いしてはいませんか。
56. Posted by 中   2009年07月27日 22:00
なんか…もうよしませんか??

kurazoさんの、中学校の現場でのご苦労も大変よくわかります。
でも、これって、幼稚園と小学校の関係に似ています。

幼稚園でも私立、公立、また保育園など、様々な方針の下で過ごした子供達が
小学校に入学してきます。
規律を重視する園、個性を尊重する園、
ほんとに最近は多種多様です。
小1プロブレムも社会問題化してますし、
今って、教育自体も選択の自由があり、
親も迷走しています。

席になかなかつけない子供、
挨拶一つできない子供、
打たれ弱い子供、
色々あるわけですが、
じゃ、どんな園教育がベストだったのか?

またきっと意見は分かれることでしょう。


57. Posted by kurazoh   2009年07月27日 22:28
toshi先生へ
小学校の担任が,Aさんに対し,子どもへ「先生方に敬語を使うように」と指導してください,と「強制」した,ということですか。
では,Aさんには,「なぜ担任の先生がそんなことを言い出すのだろう」という疑問(不信感)があったということですね。
その不信のもとが,

>これはもう、『うん。』という返事をやめさせ、『はい。』と言わせるとか、
>『校長先生は偉い人』と、子どもに言って聞かせるとか

いう担任の話だったのかどうかを,私が確かめる権利はないのでしょうか?
58. Posted by kurazoh   2009年07月27日 23:04
中さんへ
お言葉ありがとうございます。
私は,中学校の大変さを小学校のせいにしているわけではありません。
中学生というのは,「そういう」年頃なのです。「小学校とは違って甘くないところ」という意識で進学してくれる生徒が多いという面もありますが。
さて,問題は,正しい言葉遣いを教えてあげるだけで,あるいは,敬語を用いるべき相手には,敬語を用いなさい,と伝えるだけで,それが指導ではなく,「強制」である,という見方が,非常に危険だということを申し上げています。
具体例は挙げませんが,この指導観は,思想・言論弾圧に大きな効果を発揮します。
「見守る」「支援する」という教育的指導がはやった時期がありました。このとき多くの教師は,多様な「指導言」を失っていきました。失敗事例は数え上げればきりがありません。
59. Posted by きゃる   2009年07月27日 23:06
kurazohさんのすっきりしないお気持ちと、
toshiさんの困った様子と、
両方が目に浮かんで苦しいです。

中さんが提案されているように、
ちょっと時間をおきませんか?

アクセス数の多いブログで
記事もコメントも、その影響力が大きいと思いますが、
心に縫い代をもって利用できたらと思います。
60. Posted by きゃる   2009年07月27日 23:32
わたしは小学校1年生の担任をしています。

「相手に応じた話し方をする」力が育成される発達段階(学年)をイメージしていますか?
私は小学校高学年から中学校1年生の時期をイメージしています。
早い段階で身に付けようとする子ども、身に付けた子どもがいると、
「すごいね、まだ1年生なのに、ちゃんとした話し方ができるんだね。」
と、みんなの前でほめます。
1年生ですから「相手に応じた」というレベルではないかもしれませんが、ほめることで「相手に応じた話し方をする」力の基礎が、その子にも周囲の子にも身に付くのではないでしょうか。
育てたい力を明確にし、「ほめ、認め、はげまし、伸ばす」ことが「指導」だと思います。
そして、その指導は積極的に行わなければいけない。

自分の意見として述べました。
61. Posted by kurazoh   2009年07月28日 00:49
きゃる先生へ
最も重要なポイントにお答えいただければ済んでしまいそうなお話なのですが,削除されてしまったり,進展しないのが残念です。
62. Posted by toshi   2009年07月28日 06:25
中さん

 いろいろとご心配をおかけしております。申し訳ありません。
 わたしも、不毛のやり取りは、もうやめようと思います。kurazohさんがコメント40番で言っている最重要のポイントの前提がくずれたのですから、もう続ける必然性もなくなりましたよね。

 わたし、中さんからいただいたコメントの53番にまだふれていませんね。すみません。
 だが、これは、次の記事、『究極の教員像は!?』にいただいたコメントとあわせ、そちらの方でふれさせていただきます。よろしくお願いします。
63. Posted by toshi   2009年07月28日 06:38
きゃるさん
 ご迷惑をおかけしております。いよいよほんとうにやめようと思います。『あと1回だけ受け入れましょう。』と言ったことですしね。

 60番でおっしゃっているきゃるさんの実践はすばらしいし、心から納得できます。ありがとうございました。
64. Posted by toshi   2009年07月28日 06:57
kurazohさん
 やっと非礼がなくなり、ちゃんと受け答えされるようになりましたね。よかったです。

 しかし、これまでのやり取りについては、最重要ポイントとされた部分の前提がくずれたわけですから、もういいでしょう。

 また、きゃるさんあてのコメント61番ではありますが、次から次へと変わるkurazohさんのこだわりは、その方に対しご迷惑なことだと思います。私信の取り扱いについては慎重でなければなりません。したがって、わたしの責任において、その該当部分は削除させていただきます。

 きゃるさん

 そのようなわけですので、ご理解いただければと思います。
65. Posted by ハッター   2009年08月01日 11:42
5 toshi先生こんにちは
沢山のコメントがつき収束した感もあるところに失礼します。
学校での敬語の問題というと、私の住む地域では子供よりもまず先生の言葉遣いについて保護者で話題になります。児童・生徒を呼び捨てにする先生が多いです。保護者とその方の子供について話しているときにまで呼び捨てにする先生もいるそうです。「はじめから先生が呼び捨てだから子供同士も学校では友達をはじめから呼び捨てだけれど、私は”ちゃん”や”くん”をつけた友達関係を築いて欲しい」というお話をうかがったこともあります。
丁寧な言葉遣いで接する相手には子供も年相応の発達に応じた丁寧な対応をしようとするのではないかと思うのですが。
66. Posted by toshi   2009年08月01日 17:44
ハッターさん

 我が地域では、10年くらい前からでしょうか。男女とも、『さん』づけしての呼び方が定着しています。これは過去記事に書いたことがありますので、よろしければごらんください。『人権教育(8) 両性にかかわること』です。本コメントのHN欄にURLを貼り付けさせていただきました。

 ただ、ハッターさんのコメントはそういうこと以上に、教員の言葉遣いや話し方を気にされているように思いました。呼び捨てにすること以上に、乱暴な言葉かけがあるのではないかと想像しました。

『丁寧な言葉遣いで接する相手には子供も年相応の発達に応じた丁寧な対応をしようとするのではないかと思うのですが。』
 このことはもう、本コメント欄でも、何人もの方がおっしゃっていることであり、わたしもまったく賛成です。
67. Posted by ドラゴン   2009年08月08日 15:44
国語の授業で「水辺の馬」にふれたので、一言。
以前もコメントさせていただきましたが、教育には、すべて目標が大事です。
kurazohさんの目標は、きっと「学校をよくすること」であり、子どもとは関係ないところですね。
ロボットのようにいうことを聞く子どもにしたいのであれば、強制すればよいでしょう。
私は、主体的な存在としての子どもになってもらいたいので、そんなことはしません。敬語にまつわる情報を与え、自分で考えてもらいます。
私には、指導=強制という考えはありません。水辺に連れて行った馬が、どうすれば水を飲むのかを工夫することが指導だと思っております。

実はやくざな方々は、敬語が必須です。ちゃんと使えているようです(TVなどからですが)。
これもマスコミなどからの情報ですが、暴走族の先輩後輩関係でも、敬語や挨拶は必須ですよね。
68. Posted by toshi   2009年08月09日 15:58
ドラゴンさん
 kurazohさん宛のコメントのようですが、失礼します。
《水辺に連れて行った馬が、どうすれば水を飲むのかを工夫することが指導だと思っております。》
 そうですね。その通りです。『指導』の概念がまるで違ってしまっているようです。

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