2009年08月05日

国語の授業がおかしくなっている・・・かな!?(1)

4c735960.JPG 初任者指導に携わるようになって5年目だというのに、

 まことにお粗末ではずかしいのだが、近年、『あれっ。』と思ったことがいくつかある。

 特活については、すでに記事にさせていただいた。


 本シリーズでは、国語をとり上げる。

 
 さて、近年、『あれっ。』と思ったことだが、(若干初めから分かっていたことも含む。)


 わたしが学級担任だった平成3年度までとくらべると、

・授業で、子どもたちが原稿用紙に向かって作文を書くということがなくなってしまった。

・物語が減った。それだけではなく、物語をどのように学ぶか、その学び方も、多くは変わってしまった。

・音読発表会などをはじめとして、音読中心の学習がふえている。

・『話す・聞く』の観点があるが、その単元が、『話す・聞く』の学習になっていないのではないか。

などである。



 ここで、もう一つつけたさせていただく。

 実は、我が次女の小学生時代は、昭和の最後の方なのだが、

 次女は、毎年、教科書が配られると、翌日までに全部読んでしまうのだった。


 あるとき、娘がそう言うものだから、『ほおっ。』と思ったわたしは、

「すごいじゃないか。そんなに、教科書を読むのが好きか。」
「うん。だって、物語もあれば、説明文もあるじゃない。いろいろ読めて楽しいよ。」


 先日、娘が来たとき、『近々、このようなことをテーマに、ブログ記事を書くつもりだ。』という話をすると、

「そうなの。あのころの教科書って、読み物だったのよね。・・・。今は違うのか。」


 そう。だから、ここでつけたさせていただきたいのは、

・教科書の読み物的性格が薄くなった。



 さあ。それでは、一項目ずつ吟味させていただこう。


 あっ。そのまえに、お断りしておきたいが、

 こういうことって、地域性もある。

・教員の研究会というのは地域ごとに行われているし、
・全国的な組織ってあまりないし、そういうものに参加するにしても、一部の限られた教員になってしまう。

 したがって、上記、『あれっ。』と思ったという項目にしても、我が地域だけしか言えない可能性もある。

 以上、お断りさせていただいた上で、本記事では、先頭の二項目にふれさせていただこう。



・『授業で、子どもたちが原稿用紙に向かって作文を書くということがなくなってしまった。』点について、


 これは、2年くらい前に気づいたことだ。ほんとうに、原稿用紙を教室で見たことがない。

 なぜ、こういうことになってしまったか。


 授業中書く内容が、ガラッと変わってしまったのだ。



 かつては、生活文中心。日記とか、読書感想文とかも含め、自分自身の生活を見つめての作文が多かった。

 しかし、今は、違う。

・目的をもった文章を書く。

・誰に読んでもらうかを意識して書く。

 そのため、教科書では、
『自分の好きなもの、得意なものを友達に紹介するための文を書く。』とか、
『新聞記者になったつもりで、いろいろ取材し、新聞にまとめる。』とか、
『町で見たおもしろいものを友達に紹介するための文を書く。』

 そうした学習が中心となっている。


 わたしは、こうした学習の問題点を、具体的に過去記事に書いたことがある。だから、ここで詳細にはふれないが、もし、ご覧でなかったら、下記リンク先をご覧いただければと思う。

    学習指導要領の課題を現場の努力で、

 
 さて、

 『こうした学習では、原稿用紙を使うことができない。』とまでは言えないが、使いにくいことはご理解いただけるのではないか。


 そして、『むかし、よく書く機会のあった生活文は、なくなってしまった。』のではないか。少なくとも、教科書を見る限り、そう思う。


 読書感想文も同様だ。

 わたしの手元に、今、3年生の教科書があるが、『読書単元』はある。

 しかし、『おもしろかった本、他の人にすすめたい本のおびを作って、紹介しよう。』というもの。


 『お友達が喜びそうなおびを作りましょうね。絵も描いていいですよ。感想はあまり長くなると、お友達が読む気しなくなっちゃうから、一言感想でいいですね。一番いいたいことを文章にしましょう。』

 そのような授業者の言葉が目に浮かぶ。



 次。二項目に移らせていただく。


・『物語が減った。それだけではなく、物語をどのように学ぶか、その学び方も、多くは変わってしまった。』点について、


 物語は、半減した。

 そう言ったら言い過ぎかな。でも、むかしあった『伝記』『脚本』(6年の例)まで含めれば、まさに半減だ。

 
 ああ。すみません。ここでまた、お断りを。

 わたしは、こうしたことを、教科書会社のせいにしているわけではないですからね。

 これはもう、ご承知のように、国の学習指導要領に準拠せざるを得ないのだし、検定を通らなければならないのだから、国の責任だ。


 さて、記事を進めさせていただいて、

 どのような観点で物語を読むのか、むかしと今とくらべ考察してみよう。いずれもA社。6年生である。

 むかしは
『様子や気持ちを想像しながら読もう』(どろんこ祭り)
『読んで感想を深めよう』(石うすの歌)
『情景を想像しながら読もう』(やまなし)
『人物の生き方について考えながら読もう』(田中正造)
『作品の主題について考えながら読もう』(片耳の大シカ)
『人物の性格について考えながら読もう』(リヤ王)
『人物の心の動きを読み取ろう』(最後の授業)

 今は、
『本に親しみ、自分と対話しよう』(カレーライス)
『読書の世界を深めよう』(森へ) 
『表現を味わい、豊かに想像しよう』(やまなし)
『(これまで)学習したことを生かして』(海の命)


 わたしは、過日、ある国語を専門としている校長に言った。


 「今の国語は、物語が減っただけではなく、物語そのものを深く読み味わうといった感じではなくなっているのではないか。『読書生活を豊かに』というのはいいが、どうもあっさり学んで豊かにと言われてもね。」

「いや。子どもたちを、皆、文学者にしようとしているわけではないからね。」

という返事が返ってきたのだけれど、そういうことではないよね。


 教科書はすごくきれいになった。これはもう、隔世の感がある。

 しかし、学び方がガラッと変わってしまったのは、なにやらさびしい。

 これで、『心豊かな読書生活をおくる子』を育めるのだろうか。


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 古き、よき時代(?)の授業を、一つ、紹介させていただきましょう。わたしの授業ではありませんが、思い出深いものです。今も教科書に載っている『やまなし』です。

 こういう授業。今もできるのでしょうか。

 いや。しなければいけませんよね。わたしも初任者指導を通し、がんばらせてもらっています。

    充実した学習を(2)


 次回は、残りの3項目についてふれさせていただきましょう。 

    『番外編』へ続く。

  

rve83253 at 14:39│Comments(60)TrackBack(0)指導観 | 教育観

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この記事へのコメント

1. Posted by しれとこまま   2009年08月05日 20:46
作文といえば、行事の後には必ず子ども達は書いています。
文集や学級通信に載っているのですが、書き方の指導があって、娘の時などは、真っ赤になって帰ってきていて、「自由な表現」なぞなかったことを覚えています(あまりいい感じじゃなかったので)。
娘は卒業した今も、同じ学年の子ども達は、皆同じ書き出しで、同じような内容です。
非常につまらないと思いながら読んでいます。
2. Posted by 通りすがりの教育学を学ぶもの   2009年08月05日 22:29
たまたまこの記事を読んで考えるところがあったので、ちょっとコメントをさせていただければと思います。

私は読書感想文というのが大嫌いでした。自分が好きで読んだ本について母親と話をするのは好きでしたが、なぜそれを原稿用紙に綴って先生に見せなければいけないのか全く理解できませんでした。真っ白な原稿用紙を前にして、何を書けばいいのかわからず、いやそもそも書きたくなどなく悶々と時間だけが過ぎていく。そして、時間内に書き終わらなければ居残りをさせられ、頭を振り絞ってマス目を埋めたことが思い出されます。読書感想文に限らず、自由に書きましょうだとか、行事の感想を書きましょうという感想文も同様に大嫌いでした。自由に書けと言われても何も書くことなどない、書きたいことなどない、しかもつまらなかったなどと書いた日には先生に怒られるし。自由に書けといいつつ、つまらないという正直この上ない感想を否定するという大いなる矛盾、欺瞞。
3. Posted by 通りすがりの教育学を学ぶもの   2009年08月05日 22:30
(上からの続きです)そんな自分の体験があるせいか、私は読書感想文こそが子どもを読書嫌いにする原因の1つであると思っています。また、自由に作文を書きましょうなどというのも子どもに書けないという恐怖感を植え付けるものだと思っています。関連記事で、ブログ主さんは「学習指導要領には、子どもの切実感、必然性のある学びへの配慮・工夫が、まったくと言っていいほどありません。」とお書きになっておられますが、それを言うなら読書感想文や生活作文だって子どもにとって必ずしも切実感、必然性があるわけではないと思います。

国語を専門としている校長先生の「いや。子どもたちを、皆、文学者にしようとしているわけではないからね。」という言葉は仰る通り!と私は思います。国語の授業は物語に偏り過ぎていたと私は思います。心を豊かにすると言いますが、教科書に載っている物語だけで心が豊かになるならだれも苦労しないと思いますがね。いまは物語を読ませるよりも言葉を正確に操る力を身につけさせる方が大事だと思います。知識・技能ばかり下に見るのはどうかと思います。

ちょっとコメントと言いつつ大変長いものになってしまいました。どうしても言わずにおれなかったものですから。

失礼致しました。
4. Posted by toshi   2009年08月06日 06:14
しれとこままさん
 
 わたしも、学級担任のときは、行事などのあと、作文を書く時間をとりましたね。
 ただ、子どもたちの、『言いたい。』『書きたい。』という思いをすごく大切にしましたから、真っ赤になって返ってくるとか、皆、同じ内容で、同じ書き出しとか、
 それらにはほんとうに驚きました。
 
 もちろん、教員は善意とそういう指導の必要感とでそうしているのでしょうが、それだけに、教育観の違いをひしひしと感じます。

 あとの、通りすがりの教育学を学ぶものさんのコメントとあわせ、新たに記事を起こさせていただきたいと思いました。

 よろしくお願いします。
5. Posted by toshi   2009年08月06日 07:17
通りすがりの教育学を学ぶものさん

《私は読書感想文というのが大嫌いでした。》
 このこと、よく分かります。 わたし自身若かったころは、『どうしたら子どもたちは楽しく意欲的に読書感想文を書くようになるのだろう。』と悩んだものでした。
 
 これは、学習指導要領の問題ではありません。指導法の問題です。

 公教育において、『強制すること』がいかに子どもの心をむしばむか。通りすがりの教育学を学ぶものさんのコメントもそれを示していると思います。

 わたし、しれとこままさんからいただいたコメントとともに、次回記事にまとめさせていただこうと思います。

 よろしくお願いします。
6. Posted by モニママ   2009年08月06日 10:54
教科書がつまらないし、教科書を読んでも答えがない。
これが私の子どもの教科書(国語に限らず)を見た感想です。
私の時代はわからないことがあれば、教科書を読むとわかりました。
今は、「どうなるかな?」「かんがえてみよう」で終わっていて、答えがない。
だから、授業でどんな結論になったかが親にわからないので、授業で理解しきれなかった子どもに、親は教えられません。
とっても困っています。
教科書は家庭学習には役立たずになってしまった感があります。
7. Posted by Tom   2009年08月06日 15:24
toshi先生、こんにちは。
国語の教科書、確かに物語が少なくなりましたね。娘の学校の先代の校長先生もそう嘆いておられました。
それと、私が一番驚いたのは、教科書の下の欄にに語句の意味がすでに書いてあることです。
たとえば『ごんぎつね』では、「家内」という言葉は「自分の妻を呼ぶ言い方のひとつ」と書かれてしまっています。この言葉から子どもはどう想像したかなど、広げることができないなと嘆息しました。
また、草野心平の『春のうた』では、詩の前に「かえる云々」と書かれてしまっていて、読後、「主人公は誰かな?」なんて当てっこができなくなっていると大いに憤慨しました。昔から掲載されておりましたでしょうか?
時間数も減り、子どもに自由に考えてもらうことが難しくなっていることと併せて、こうした教科書自体にも大変違和感を感じております。
8. Posted by Tom   2009年08月06日 15:24
続きです。
私の子ども時代、私自身書くことが大好きでしたので、全く苦になりませんでしたが、今思えば、先生に過剰にほめていただいたことが原因かもしれません。
めいめいが思いのたけを素直に書いたものを、先生が褒めてくださる、共感してくださる、それだけで、文章を書くことが苦痛に感じなくなってくると、そう思います。
予め枚数を決められてしまうと苦痛ですが、始めは書きたいことだけでよいのだと思います。それを見て、「そうなんだ。いいことが書けたね。○○についてはどうかな、先生、●●さんがどう感じたか知りたいな」などと声掛けしていけば、自然と原稿用紙は埋まっていくものかもしれませんね。
toshi先生のおっしゃる通り、指導次第と感じます。

またトピずれですが、我が子のクラスでは、原稿用紙というと、反省文が一番に思いつきます。何かあると、居残りで反省文を書かされるのです。夏休み前は、給食を食べるのが遅かったとのことで、反省文を書かされて帰ってきました(泣)
9. Posted by yoko   2009年08月06日 17:59
私は、小さい頃から読書好きで、国語の教科書は教科書というより『本』という感覚でした。まず、3つ上の兄の国語の教科書を兄より先に読みつくし、3年後また自分の教科書で同じお話しに再会するのがなんだか嬉しくて。残念ながら授業の記憶は全くないのですが、教科書に載っていたお話しには思い入れのようなものがあります。だから娘の教科書でまた再会できるのを楽しみにしていたのです。でも、毎年4月、新しい教科書を見る度に寂しくなります。もう載っていないものが多いからです。難しいことはよくわかりませんが、読み物が多い方が、国語は楽しい科目になる気がするのですが…。それが原因かどうかはわかりませんが、娘は国語はあまり好きじゃないそうです(>_<)
10. Posted by yoko   2009年08月06日 18:02
作文や読書感想文など、私が小学生の時は夏休みの必須の宿題でしたが、今はやってもやらなくてもいい自由課題なのですね。自由だと、どうしても避ける傾向があるので私は半強制でどちらか一つ書かせるようにしてきました。自分の考えを文章に表わす事や、人前で話しをする事などは、やはり場数、練習が必要ではないかと思っているからです。だから長い夏休み、一つくらい長文を書く機会があった方がいいと思っています。
次回のtoshi先生の記事、楽しみにしています。
11. Posted by kawa   2009年08月07日 02:10
toshi先生 こんばんは。

私も娘さんと同じで、国語の教科書はすぐに読んでしまっていました。本当に読書と同じで、しかも、それぞれの作品の一番いいところを集めていましたから、あっという間に読んでいました。そして、気に入った作品を図書館で探したり、同じ作者の作品を読んでいったりしていました。今思うと「読書案内」という位置づけだったように思います。今の教科書はそうなっていないということでしょうか。つまり、教室で行っていること・先生が指導したことが、すぐに目に見える結果に結びつかないと、授業としては認めてもらえないということなのでしょうか。私も日本にいるときには国語教師でしたが、読書や考えることが好きになって、言葉に興味を持ってくれたら、教師が「教えること」なんてほとんどないと思っていました。今、それを言ったら指導力不足と言われそうですね。
こちらの日本語教育もそうですが、「何かを教えた」というアリバイよりも、学習者が実際にどのように変化したのかということのほうが大切な気がしています。






12. Posted by toshi   2009年08月07日 06:46
モニママさん

 ごめんなさい。わたし、よく分からないのですが、そういう思いはなかったので、びっくりしました。

 そういう意味でしたら、むかしも今も同じというのが、わたしの思いでした。(あとで若干修正します。)

 また、『教科書に答えが書かれていたら、調べようとしたり、考えようとしたりしなくなり、安易に流れてしまう。』というのが一般的な考えではないでしょうか。

 なお、手元に、一社だけですが、3年算数の教科書がありますので調べてみました。すると、安易に答えはないものの、いろいろ答えに類するものは載っていました。

 まず、考えの筋道は随所に載っています。
 次に、これはむかしはなかったものですが、答えに色を塗るようになっていたり、答えの記号を並べると文章になるようにしていたり・・・、

 わたしはこういうパズル的なものをあまり評価しないのですが、しかし、工夫はされていました。
13. Posted by toshi   2009年08月07日 09:29
Tomさん

 そう。我が地域でも、物語が減ったことを嘆く校長先生はけっこういます。
 小学校に限らずでしょうが、大人になっても、子ども時代、教科書で学んだ物語をけっこう覚えていて、なつかしく思い出される方も多いようですね。

 言葉の意味が、教科書に書かれてしまっているという件については、たぶん、こういうことだと思います。
 子どもは、中学年になると、国語辞典など、小学生用のものを使うわけですが、その小学生用の辞典に載っていない言葉のみ、教科書に記載されるのではないかと。
 でも、これ、自信はないので、調べてみますね。

  
14. Posted by toshi   2009年08月07日 09:29
次の、原稿用紙に文章を書く件についてですが、これはもう、Tomさんのおっしゃる通りと思います。指導法の問題というのも、Tomさんが書かれたことを、次回、わたしも書くつもりでおりました。
 よろしくお願いしますね。

 最後の反省文の件。わたしは苦笑いです。と言いますのは、わたしも若いころ、よくこれをやりました。
 反省文を強制されて、心から反省するわけはないですよね。今となってははずかしい思い出です。
 でも、Tomさんとお子さんにしてみれば、苦笑いですむことではないですね。もっと意味のある反省のさせ方があるわけで、早くそれに気づいてほしいですね
15. Posted by toshi   2009年08月07日 09:36
yokoさん

 今は、PISAの影響か、『実用的学力』『社会に出ても通用する学力』という考え方が強くなってきていることに関係があるのかもしれません。

 そのこと自体、わたしは評価するのですが、どうも、小手先に走りすぎて、ほんとうにそういう学力を養えるのか、疑問を感じています。

 そのあたり、次々回の記事にさせていただきますね。よろしくお願いします。

 文学者を養うわけではないけれど、授業を通し、読書好きな子どもにはしたいわけで、そのためには、物語を大切にしたいと思います。
16. Posted by toshi   2009年08月07日 09:45
kawaさん

《今思うと「読書案内」という位置づけだったように思います。》
 そう。これこそが教科書に物語を載せる最大の意味なのだと思います。そして、今の教科書もそのようになっています。いえ。そこだけとり出せば、今の方がその色彩は強まっていると言えるでしょう。問題なのは、肝心の一つ一つの物語に深くふれる時間が大幅に減ってしまったとことだと思います。

《教室で行っていること・先生が指導したことが、すぐに目に見える結果に結びつかないと、授業としては認めてもらえないということなのでしょうか。》
 これは言えると思います。どうも、近年は学力調査万能傾向がうかがえ、心の豊かさを育む学習が軽視される傾向にあるようです。

《「何かを教えた」というアリバイよりも、学習者が実際にどのように変化したのかということのほうが大切な気がしています。》
 ううん。いい言葉だなあ。感じ入りました。ほんとう。今の授業はアリバイづくり傾向が強まっていますね。
 
17. Posted by ドラゴン   2009年08月08日 14:19
通りすがりの教育学を学ぶもの さん

「教育学」を学ぶのであれば、自分の体験だけを元に教育を語るのは、非常に危険でもあります。ぜひ、たくさんの事例を見て、その中から学んでください。
いろいろな学問の中でも、教育学については、ほとんどの人が教育を受けているので、それなりに経験があります。だから、安易に教育を語られることがよくあります。教育再生会議の議論などもまさにそうです。
学校の指導に口を出す保護者の多くも「自分の習ったやり方と違うから」などのように、経験のみで語られることもあり、結構困ったことにもなっています。
算数は公式を覚えればいいんだ、社会は暗記だなんてのも、ほとんどがそうです。
通りすがりの教育学を学ぶものさんが、そうだと言うわけではありませんが、ちょっと教育学を学んだ先輩(だと思いますが)のアドバイスだと思ってください。
18. Posted by ドラゴン   2009年08月08日 14:29
この問題は、toshi先生のご指摘の通り、指導法の問題だと思います。子どもが主体的に楽しく書いている授業や実践もたくさんあります。
敬語のときにもコメントしようと思いましたが、教育界では「水辺の馬」という言葉があります。「馬を水辺に連れて行くことはできるが、水を飲ませることはできない」という意味で、子どもに無理に何かをやらせることはできない、ということでもあります。
だから、多くの教師は、子どもが意欲をもつように教材開発、教材研究し、指導法に工夫を凝らしているのです。やれと言ってやってくれればこんなに簡単なことはありません。
そこを工夫したすばらしい実践はたくさんあります。
19. Posted by toshi   2009年08月09日 07:34
ドラゴンさん

《経験のみで語られることもあり、結構困ったことにもなっています。》

 横からですが、失礼します。

 これ、実は、初任者にも、教育実習生にも、人によってではありますが、ときどきあるのです。
 ひどい場合には、『自分の勤務校のやり方が、育った学校のやり方と違う。」と言って、どちらがいいかという観点はなく、ただ感覚的に不満だという感じで、意見を言う人もいます。

 そういう場合、柔軟な考え方を身につけさせることも、大事な指導内容となりますね。


20. Posted by 柴田勝征   2009年08月09日 11:27
5 ご無沙汰しております。柴田です。ごく最近、友人から知らせてもらった「PISA型国語授業の失敗実践例」の論文原稿について、私のHP <http://www1.rsp.fukuoka-u.ac.jp> で紹介したところですが、「小学校・国語の授業」のことなので、この分野の専門家である toshi先生のご意見・ご感想も伺ってみたいと思って、久しぶりに訪問させていただきました。偶然、タイミングよく、まさに共通するテーマでみなさまが議論されているところだったので、興味深く読ませて頂きました。ここに書かれているような国語教育の変貌は、私はPISA型国語授業に象徴されるような、ある意味で世界的な傾向であると感じています。そして、ヨーロッパでは、このような傾向に強い批判的な意見が多く出されているにもかかわらず、日本では、表だっては批判する「専門家」が少ない、という、一見すると奇妙な現象があります。toshi先生のHPの投稿欄を読ませて頂くと、教室現場の具体的な状況に、教員や親御さんのご意見や、若い頃の自分の受けた教育などについて皆さんがくわしく議論しておられるのでとても参考になります。
21. Posted by toshi   2009年08月09日 17:12
柴田勝征さん
 
 お久しぶりです。いつも、ご覧いただき、ありがとうございます。

 わたしも、今のように教科書が変わったのは、PISAの影響もあるのかなと思ったのですが、どうも調べてみると、PISAが云々されるようになる以前から変わってきた経過があるようです。

 くわしくは、本シリーズの(2)以降でふれさせていただこうと思います。
 
 どうぞ、よろしくお願いします。
22. Posted by 柴田勝征   2009年08月09日 22:02
5 toshi先生、早速のご回答、ありがとうございます。本シリーズの(2)以降を期待しております。
>わたしも、今のように教科書が変わったのは、PISAの影響もあるのかなと思ったのですが、どうも調べてみると、PISAが云々されるようになる以前から変わってきた経過があるようです。
=> 私は必ずしも上のようには思っておりませんし、そのように書いたつもりではなかったのですが、書き方がまずくて、例によって誤解されてしまったようです。「ここに書かれているような国語教育の変貌は、私はPISA型国語授業に象徴されるような、ある意味で世界的な傾向であると感じています」。この日本語の文章の修飾関係は、「ある世界的傾向」=> (影響)=> 「PISA型国語授業に象徴されるような日本の教育の変貌」。こういうことは些細な、どうでもいいこと、というのがPISAの出題者やtoshi先生の文章感覚で、私のようにかなり気にするのは自然科学を職業にしている人間の感覚かなあ、と思っています。まあ、あまりこだわっているわけではありませんが。
「PISAが云々されるようになる以前から変わってきた経過」の解説を楽しみにしています。
23. Posted by ドラゴン   2009年08月10日 19:17
国語教育がこのようになったのは、現行の指導要領からだと思います。PISAの結果が出る以前からです。
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/12/kyouiku/toushin/980601.htm#1-4-2
教育課程審議会答申(平成10年)
「互いの立場や考えを尊重して言葉で伝え合う能力を育成することに重点を置いて内容の改善を図る。特に、文学的な文章の詳細な読解に偏りがちであった指導の在り方を改め、自分の考えをもち、論理的に意見を述べる能力、目的や場面などに応じて適切に表現する能力、目的に応じて的確に読み取る能力や読書に親しむ態度を育てることを重視する。」
ここに「文章の詳細な読解に偏りがちであった」と明記されています。この答申の影響だと考えます。
さらに新指導要領には、言語力育成協力者会議の影響も多くありそうです。
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/shotou/036/shiryo/07081717/004.htm
ここでPISA型が明記されました。
言語力育成協力者会議には、算数や理科の元教科調査官など理数系のメンバーもいます。国語を中心となっていますが、従来の国語観がより広げられた印象です。
 理念は望ましいと思うのですが、現場が振り回されそうで、ちょっと心配しております。
24. Posted by toshi   2009年08月12日 22:13
ドラゴンさん
 
 貴重な資料をご紹介いただき、ありがとうございました。おかげさまで、その資料を参考にさせていただいて、本シリーズ(2)を書くことができました。感謝しております。

 まったく国語くらい変貌してしまった教科はないように思います。
25. Posted by 柴田勝征   2009年08月13日 10:48
5 ドラゴンさん、教育課程審議会に関する資料をご教示頂き、有り難うございました。
toshi先生、皆様からの投稿原稿を分かりやすくまとめて頂き、ありがとうございました。
実は、この教育課程審議会答申は、この時期の世界経済と日本社会の激変に対応するために打ち出された危機対応政策と見ることができると思います。その根底にあるのは、1980年代中頃から、インターネットの急速な普及と世界経済の先端産業がそれまでの重厚な物作り分野からIT分野に移行し、そのトップを走り続けようとする日本の産業界が学校教育の急速なコンピュータ化、情報化を強く求めたことにあります。そして、これはまた、日本も参加している先進国の経済協力開発機構(OECD)の教育政策を受けて大筋が決定されたものであり、その間の経緯については神原敬夫さんの論文
  http://homepage3.nifty.com/kkam12/sub3.html
の5ページ目に「PISA調査の背景・経緯(「評価の枠組み」の日本語版解説より)として解説されています。年表的に抜き出してみると、
26. Posted by 柴田勝征   2009年08月13日 10:51
1988年(昭和63年)OECDにおいて「教育インディケーター(評価指標)開発事業
(INES International Indications of Education System)」が正式発足
1993年(平成5年)「すべての人の為の科学技術の読み書き能力に関する国際フォーラム」(ユネスコ)
1996年(平成8年)中央教育審議会(日本)第一次答申「体系的な情報教育の必要性」など。
1997年(平成9年)フィンランドで開催されたINES総会において、PISA調査の原型が
 提案された。
1997年(平成9年11月)教育課程審議会(中間まとめ)
1998年(平成10年6月)教育課程審議会(まとめ)
1998年(平成10年7月)「理科教育及び産業教育審議会」、高等学校に教科「情報」の設置を答申。
27. Posted by 柴田勝征   2009年08月13日 10:54
というような流れになっています。今このサイトで盛り上がっている国語教科書の変貌も、この流れに沿った動きの一環と思われます。私自身も、所属大学でただ一人の「情報科」教員養成専任教員として授業や教育実習指導を行ってきました。教育内容の軽薄化、些末化、内容の深い理解よりも操作・処理・手続きの修得を優先(「知識よりも思考」というスローガンで美化されています)、「世界標準」への均一化・同化政策は、「国語」教科書だけの傾向ではなく、全教科を急速に変貌させつつあるように思います。このサイトでの皆様のご議論に注目しています。
28. Posted by toshi   2009年08月15日 18:00
柴田勝征さん

 すみません。

 どうも、いろいろ読ませていただきましたが、よく理解できないというのが実感です。神原氏の論文も拝読しましたが、柴田さんがおっしゃることとは、内容が違うように思いました。
 柴田さんがおっしゃるような流れはあるのかもしれませんが、それと、小学校国語における読解軽視、音読重視は、わたしの頭の中では、どうも結びつきません。

 どうも、『声に出して読みたい日本語』などの、ある大学教授の意見が影響しているのではないかと思います。そして、そうした風潮を《教育内容の軽薄化、些末化》と感じています。

29. Posted by 柴田勝征   2009年08月16日 10:46
コメント、ありがとうございました。
30. Posted by ドラゴン   2009年08月16日 15:26
柴田先生
toshi先生

お役に立てたようで幸いです。
学習指導要領の内容やこのような答申もその目標や理念だけ見ると賛成できるところは多くあるのですが、実際に学校現場に降りるところで問題が生じているのだと思います。何となく、現場が振り回されているという印象があります。
本シリーズ(2)も拝見しましたが、やはり授業を通して検討することが大切ですね。

柴田先生のご指摘の
「実は、この教育課程審議会答申は、この時期の世界経済と日本社会の激変に対応するために打ち出された危機対応政策と見ることができると思います。」
につきましても、まさにその通りだと思います。
31. Posted by ドラゴン   2009年08月16日 15:44
あくまでも噂なんですが、指導要領の改訂には、経済界、産業界からの要請が多くあるようです。
教育系の学会、研究団体も具体的に申し入れなども行っておりますが、それ以上に公式、非公式な要請があるそうです。
例えば、経団連の申し入れです。
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo6/gijiroku/05072801/004.pdf
3ぺーじの習熟度別学習にかかわって「・トップ層をさらに引き上げるという観点から、国は、地方や学校が発展学習に取り組みやすい環境を整備することが必要である。」などとも書かれており、経済界の期待にはエリート養成の方向が見えます。
それぞれの審議会のメンバーには、経済界の人間もおります。政治家からの圧力もあるようです。
学習指導要領は、そういったものと無関係にはできていないのです。
議事録も読めますので、丹念にあたるとそういうのが見えてくるかと思います。
32. Posted by ドラゴン   2009年08月16日 16:05
toshi先生が
「どうも、『声に出して読みたい日本語』などの、ある大学教授の意見が影響しているのではないかと思います。そして、そうした風潮を《教育内容の軽薄化、些末化》と感じています。」とご指摘されていますが、残念ですが、一部の大学教授の意見や社会風潮程度では、学習指導要領や教科書は影響を受けません。
やはり、「文学を読む力」よりも「対話ができる力」を優先しようという、社会の要請でしょう。
社会は、「論理的に意見を述べる能力」をみにつけるために文学作品を読むという発想がありません。直接的にそれを学習させようとします。
その結果ではないでしょうか。
33. Posted by 今日   2009年08月17日 16:04
<「どうも、『声に出して読みたい日本語』などの、ある大学教授の意見が影響しているのではないかと思います。
そして、そうした風潮を《教育内容の軽薄化、些末化》と感じています。」とご指摘されていますが、残念ですが、一部の大学教授の意見や社会風潮程度では、学習指導要領や教科書は影響を受けません。・・・・・・・・>

* 上記のご意見についてです。
文科省・文化庁・・・・・などには、そのような流れ(『声に出して読みたい日本語』のような)にしていこうとする意向があったようです。
34. Posted by 今日   2009年08月17日 16:05
23で、ドラゴンさんがお書きになっています<・・・・特に、文学的な文章の詳細な読解に偏りがちであった指導の在り方を改め・・・・・>の後、<(『声に出して読みたい日本語』>が、出版されて、この著者が、各地に講演をされているようです。それは、その筋の方針だったのではないでしょうか。

これを受けた(と、僕は思っています。)教科書は、読解軽視になり、読解もしないで、音読だ・手紙書きだ・・・・となってしまいました。

僕は、その教科書とその指導書と見た時、いったい、国語科は、何処に行くのだろうと危惧を感じました。

この時、僕らの研究会の者が、2社の漢字の指導書を書きましたが、その指導の時間がないのに驚きました。

下記のブログでは、その具体的な表れを教科書・指導書の面から書いています。
参考になるかどうか、分かりませんが、ご紹介させて戴きます。


35. Posted by 今日   2009年08月17日 16:06
2006.05.03

だから子どもを託しているのです・子ども達の手が槍のよう(授業参観で)D・やる気を継続させるには(13) [ 指導書 ]
http://plaza.rakuten.co.jp/zyx1830/diary/?ctgy=35




2006.02.04

いったいどういう人が教科書を作っているのでしょう。あまりにテキトーすぎますね。(3) [ 指導書 ]
http://plaza.rakuten.co.jp/zyx1830/diary/?ctgy=35


2006.02.03

いったいどういう人が教科書を作っているのでしょう。あまりにテキトーすぎますね。 [ 指導書 ]
http://plaza.rakuten.co.jp/zyx1830/diary/?ctgy=35

2005.10.03

新任の先生の授業を見て・・・ 先生を大切にして 良い教育を(3) [ 指導書
http://plaza.rakuten.co.jp/zyx1830/diary/?ctgy=35




36. Posted by 今日   2009年08月17日 16:06
下記はフィンランドの国語教科書についての断片的な書きものです。




2006.03.18

日本の国語教育の宝とフィンランドの国語教科書の批判的検討 [ ・・・フィンランドの教育 ]
http://plaza.rakuten.co.jp/zyx1830/diary/?ctgy=41


2006.03.17

フィンランドの国語教科書と日本の国語科教育研究の実績 [ ・・・フィンランドの教育 ]

http://plaza.rakuten.co.jp/zyx1830/diary/?ctgy=41

2006.03.16

フィンランドの国語教科書についての私見(1) [ ・・・フィンランドの教育 ]

http://plaza.rakuten.co.jp/zyx1830/diary/200603160000/



2006.03.15

フィンランドの国語教科書の特徴(3)「考える」について [ ・・・フィンランドの教育 ]
http://plaza.rakuten.co.jp/zyx1830/diary/200603150000/



2006.03.14

フィンランドの国語教科書の特徴(2)「考える」について [ ・・・フィンランドの教育 ]
http://plaza.rakuten.co.jp/zyx1830/diary/200603140000/



2006.03.11

画像・フィンランドの国語教科書(1)・漢字教育を通して教育を考えてみたいのです
http://plaza.rakuten.co.jp/zyx1830/diary/200603110000/

いつも、今の教育に真剣に取り組まれています貴ブログでの話し合い、根本的な論が展開されています。うれしいです。

少し、僕もお邪魔させていたたきました。
37. Posted by ドラゴン   2009年08月17日 18:15
今日さん
先に紹介しました教育課程審議会答申は、「声に出して読みたい日本語」より2年以上前に出ているので、そういう影響はないと考えます。
「この著者が、各地に講演をされているようです。それは、その筋の方針だったのではないでしょうか。」とのご意見については、情報をもっていませんので、何とも言えません。すみません。

教科書は、検定があるので、特異なことはできないのでしょう。
ただ、幸いなことに、国語科の学習指導要領は、算数、社会、理科と比べると抽象度が高く、目標、内容も2学年でまとまっていますので、学校や授業者の裁量でなんとかできるところもあります。
算数で九九を軽く扱うわけにはいきませんが、国語では「聞く話す」を軽く扱い、読解を重視することもできます。
現場に期待するしかないでしょう。だからこそ、このような議論も必要になります。
38. Posted by ドラゴン   2009年08月17日 18:16
もう一つ大事な答申を忘れておりました。
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/bunka/toushin/04020301.htm
文化審議会答申「これからの時代に求められる国語力について」 です。
これは、新しい指導要領に大きく影響しているようです。ただ、いろんなことを言い過ぎて、逆に何を重視すべきかが分からなくなっているようにも思います。
39. Posted by 今日   2009年08月18日 13:09

ドラゴンさんへ
37の下記のご意見についてです。
・・・・・・・・・・・・

今日さん
先に紹介しました教育課程審議会答申は、「声に出して読みたい日本語」より2年以上前に出ているので、そういう影響はないと考えます。

    ・・・・・・・・




斎藤孝氏と文部行政の深いつながりについては,
以下のページから,証明できるのではないでしょうか。


?著書『声に出して読みたい日本語』(2001年・草思社)が,150万部を超えるベストセラーになり,文部行政担当者から注目をあつめる.

?平成13年度(文化庁主催)国語施策懇談会で講師を依頼される.
 提言『声に出して読む理想の国語教科書』(2002年3月19日)
  「国語を体育のように教える−名文の反復練習が子どもの心と身体を鍛える−」
  http://scef.es2.jp/kangaeru/asset/050111.pdf

40. Posted by 今日   2009年08月18日 13:11
?文化審議会国語分科会委員に起用される.

  同名簿      
       http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/bunka/toushin/04020301/011.htm


  かれは,2002年3月27日から2004年 2月3日まで委員をつとめました.
  また, 2003年4月23日からは,「読書活動等小委員会(甲斐睦朗主査)」委員となっています.


?第1回国語分科会(2002年3月27日)では,つぎのように発言しています.

 私は専門が教員養成で,あと小学生相手の塾を自分でやっている。小学校3,4年生でも,作品を選べば夏目漱石や小林秀雄を十分読める。国語教育の王道というのは読書にあると考えている。
今回の分科会は,総論はいいから,具体的に方策だけを討議する場にしてほしい。その際,読書力の形成に絞った方がいいと思う。今の子供は一応話すが,意味の含有率は低い。それは書き言葉を修練していないからである。書き言葉を修練するというのは,一つのスポーツを習得するのと同じように反復練習を必要とする。
41. Posted by 今日   2009年08月18日 13:12
そのときにレベルの高いものに出会う方が上達は早い。小学校時代から,意味は7割,8割分かればいいということで,小林秀雄,漱石,外,シェイクスピア,ゲーテというところを私は読ませているが,全く問題ない。次回の分科会では,現在の国語の教科書を全員に用意してもらいたいと思うが,幼稚である。とにかく教科書を全面的に,抜本的にレベルの高いものに変える必要がある。
そして,小学生が一般の本に手が出にくいのはルビがないからである。小学校時代は読書していても,中学へ行くと急に読書しなくなるのが日本の特徴である。それは,小学校時代に読んでいるのが小学生用の読み物だからである。大人の読書に直接つながらないのである。だから,小学生のころから大人の読書というものに触れさせる。そのためには,総ルビにした本を,例えば,このメンバーで100なり200なりという図書を推薦して選ぶ。次回までにブックリストをメールで当局に送っていただき,どういう本を皆さんがお薦めするのかを共有しながら,その本を総ルビにしたものを低価格で手に入れることができるようにしていく。その予算的措置を要求するということである。
42. Posted by 今日   2009年08月18日 13:12
朝読書でも,何でも読んでいいというのでは意味がないと思う。学校というのは強制力があるわけだから,やはり本当にいいもの,そこでしか読まないようなものに出会わせなければ意味がない。家で寝転がって読むような本を学校に持ってきて読む必要はないわけである。

  http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/bunka/gijiroku/011/020501.htm

43. Posted by 今日   2009年08月18日 13:18
5 第2回国語分科会(4月22日)では,ベストセラーになった自分の著書を委員に配布しています.

 私からお配りした本についてであるが,3色のボールペンが付いている本は,3色の線を引くことにより,客観的な要約力を鍛えることと自分の感性で感じたところをコメントできるというところとをバランスよく組み合わせて学ばせることの大切さを述べたものである。それは,自分で話すよりも先に,書き言葉に線を引くという形で学ぶのがいいと思っている。話し言葉を論理的あるいは意味のあるものにしていくには,書き言葉で修練するのがいいと思うので,前回の提案を繰り返すけれども,総ルビにした推薦の図書をこの分科会から発信することを提案したい。それから前回も,小学校の教科書を配ってほしいと申し上げたが,次回は是非お願いする。
44. Posted by 今日   2009年08月18日 13:18
もう一つ,お配りした「理想の国語教科書」という本は,タイトルは大変図々しいけれども,それはそれとして,収録してある作品は私がすべて小学生に試してみたものである。先週『マクベス』をやったら,大変な人気で続けて読みたいという小学生がたくさん出た。小学生というのは,こちらがなめないでちゃんと対すれば幾らでも力が出る。ここに収録したような作品を読むことも全く問題がない。このような具体策について議論していくことを提案する。  

  http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/bunka/gijiroku/011/020601.htm
45. Posted by 今日   2009年08月18日 13:19
6 「答申」作成を目前にひかえた第17回国語分科会(2003年10月14日)では,こうのべています.

前回もちょっと言ったかと思うが,漢字に関しては,読みと書きに分けて,読みについては小学校教育から大幅にルビ付きで導入したいと考えている。私も小学生を何百人と教えているので,分かるのだが,読みに関してはルビ付きでやれば問題ないし,相当のものが読める。本に手を伸ばす・伸ばさないというのは,漢字に抵抗感があるかないかというのが非常に大きい問題で,書けなくても読めればいい漢字というのがほとんどなわけである。だから,今までの国語教育の考え方は頭が固すぎるので,本文もどうしても幼稚なものにならざるを得ない。それで,今のようなレベルの低い小学校教科書になってしまったと思う。だから,漢字の読みに関しては,学年配当の枠を外し,ルビを大幅に導入することで読書に対する抵抗感をなくしていく,読める漢字を増やすというような趣旨の文章を「漢字指導の徹底を考える」のところに入れていただきたい。

http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/bunka/gijiroku/011/04060801.htm
46. Posted by 今日   2009年08月18日 13:21
7 文化審議会答申「これからの時代に求められる国語力について」(2004年2月3日)では,かれの意見が大幅にとりいれられました.    

http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/bunka/toushin/020201.htm


答申から(抜粋)

<音読・暗唱と古典の重視>
音読によって,国語力や独創力とかかわる脳の場所が特に活性化するという脳科学の知見もあることから,積極的に音読を取り入れていくことが大切である。また,音読することによって,漢字の読みを覚えたり,文章の内容を確実に理解したりできる。
さらに,音読や暗唱を重視して,それにふさわしい文章を小学校段階から積極的に入れていくことを考えるべきである。特に日本の文化として,これまで大切にされ継承されてきた古典については,日本語の美しい表現やリズムを身に付ける上でも音読や暗唱にふさわしいものであり,情緒力を身に付け,豊かな人間性を形成する上でも重要なものである。現在以上に,古典に触れることのできるような授業の在り方が望まれる。




  文化審議会答申は,つぎのような形で,学校現場に浸透してきています.
47. Posted by 今日   2009年08月18日 13:21
<漢字指導の在り方を考える>
常用漢字の大体が読めるようになれば,本を読むことに対する抵抗もかなり小さくなると考えられる。国語科の授業時間を増やして,小学校の6年生までに常用漢字の大体が読めるように,現在の「漢字学習の在り方」について検討することも考えたらどうか。
なお,読める漢字を増やすには,教科書に出てくる「心ぱい」「せい長」「こっ折」などといったいわゆる交ぜ書き表記を,振り仮名を活用して「心配(しんぱい)」「成長(せいちょう)」「骨折(こっせつ)」と表記し,早い段階から漢字表記のまま子供たちの目に触れさせていく配慮も大切であろう。





    http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/bunka/toushin/04020301/007.htm
48. Posted by 今日   2009年08月18日 13:22
8 品川区小中一貫カリキュラム

カリキュラム編成の特徴
小中一貫教育の各教科カリキュラムについては、現行の学習指導要領のねらいと内容をベースにしつつ弾力的に編成しており、学年によっては、上の学年の内容を下の学年で指導しかつ本来の学年でも再び指導するなど「スパイラル」に繰り返し学習させ
たり、現行では扱っていない発展的学習を実施したりしています。
例えば、全ての教科の基礎となる国語科では、各学年の読書の時間を充実し、9 年間の系統的な読書指導を行います。また、今まで以上に漢字の学習に重点をおき、特に3・4 年生で「読み」、「書き」の基本を習得できるよう授業時数を増やして指導しています。
     http://www.city.kitakyushu.jp/file/79010200/kaikaku/kaigi7/siryou3-1.pdf
49. Posted by 今日   2009年08月18日 13:23
9 小学校学習指導要領

伝統的な言語文化に関する事項
低学年では,昔話や神話・伝承などの本や文章の読み聞かせを聞いたり,発表し合ったりすること,中学年では,易しい文語調の短歌や俳句について,情景を思い浮かべたり,リズムを感じ取りながら音読や暗唱をしたりすることや,長い間使われてき
たことわざや慣用句,故事成語などの意味を知り,使うこと,高学年では,親しみやすい古文や漢文,近代以降の文語調の文章について,内容の大体を知り,音読することや,古典について解説した文章を読み,昔の人のものの見方や感じ方を知ることを
示している。

漢字の指導については,日常生活や他教科等の学習における使用や,読書活動の充実に資するため,上の学年に配当されている漢字や学年別漢字配当表以外の常用漢字についても,必要に応じて振り仮名を用いるなど,児童が読む機会を多くもつようにする。

http://www.mext.go.jp/component/a_menu/education/micro_detail/__icsFiles/afieldfile/2009/06/16/1234931_002.pdf


10 「子ども読書の日」記念“子どもの読書活動推進フォーラム”(2008 年4 月23 日)で講演
   記念講演(斎藤孝氏「子どもの読書力をきたえる」)

www.mext.go.jp/a_menu/shotou/dokusho/meeting/080430/001.pdf
50. Posted by 今日   2009年08月18日 13:33
上記の39・40に?がありますが、
順に上から、
1・2・3・4をあてはめて下さい。
誤植です。失礼しました。

* なお、<教育の窓・ある退職校長の想い>のブログをお借りして、僕の意見を書かせて戴きました。

これ以上、お邪魔できませんので、この件は、僕は打ち切らせて戴きます。

toshiさん、ありがとうございました。

ドラゴンさん、まじめにお付き合いくださいまして、感謝しています。

51. Posted by toshi   2009年08月19日 09:43
ドラゴンさん

《学習指導要領の内容やこのような答申もその目標や理念だけ見ると賛成できるところは多くあるのですが、実際に学校現場に降りるところで問題が生じているのだと思います。何となく、現場が振り回されているという印象があります。》

 おっしゃるとおりだと思います。
 学習指導要領や答申などは、差し障りなく無難で総花的に書くのが通例だと思います。それだけに、ドラゴンさんからご紹介いただいた答申の、『特に、文学的な文章の詳細な読解に偏りがちであった指導の在り方を改め、』と、はっきり書かれているのには、驚きました。
 ほんとうにありがとうございました。

 今の国語教育の状況は、ここから始まったのかなという思いになっております。

《やはり授業を通して検討することが大切ですね。》
 そう思います。やはり、わたしたちは実践しているわけですので、授業に即して考えていきたいと思っています。
52. Posted by toshi   2009年08月19日 09:50
 経団連の申し入れのリンクもありがとうございました。
 これはもう、総花的などというものではなく、はっきりと具体的に主張している点、驚かされました。
 しかも、多くはとり入れられていますね。習熟度別授業の実施など、拙ブログの趣旨と相反するものも多く見受けられました。
 ブログの力は小さいけれど、ますます、がんばっていかないといけないという思いになりました。

《「文学を読む力」よりも「対話ができる力」を優先しようという、社会の要請でしょう。
社会は、「論理的に意見を述べる能力」をみにつけるために文学作品を読むという発想がありません。直接的にそれを学習させようとします。》
 この趣旨に全面的に賛成です。ただ、斎藤氏の主張については、後の今日さんのコメントと合わせ考えると、ちょうど時流にのったということかなと思いました。
53. Posted by toshi   2009年08月19日 11:06
《教科書は、検定があるので、特異なことはできないのでしょう。
 ただ、幸いなことに、国語科の学習指導要領は、算数、社会、理科と比べると抽象度が高く、目標、内容も2学年でまとまっていますので、学校や授業者の裁量でなんとかできるところもあります。
 算数で九九を軽く扱うわけにはいきませんが、国語では「聞く話す」を軽く扱い、読解を重視することもできます。
 現場に期待するしかないでしょう。だからこそ、このような議論も必要になります。》

 お気持ちはよく分かります。わたしも記事に書かせていただきましたが、初任者指導に当たっては、読解重視の指導をしました。

 しかし、指導書に流される授業を展開しているのも、多く見られる現実であることを思うと、やはり、こうしてブログなどを通し、議論を積み重ねる必要がありそうですね。

 と同時に、広く教育の課題を提起し、学習指導要領等、改善を迫っていくことも大切なように思います。
54. Posted by toshi   2009年08月19日 11:17
今日さん

 膨大な資料をご紹介いただき、ありがとうございました。
 あらためて、斎藤孝氏の詳細な発言内容を読ませていただきました。

 それにしても、ひどい論旨がたくさんありますね。そして、その方向に、今の国語教育が向かっているのは間違いないようですね。
 
 わたし、拙ブログの次回記事で、彼の発言をとり上げ、あくまで実践的立場から、論述してみたいと思います。

 どうぞ、よろしくお願いします。
55. Posted by 柴田勝征   2009年08月20日 11:20
5 今日さん、斉藤孝氏の発言に関するたいへん詳しい資料を紹介して頂き、ありがとうございました。私は全く知らなかったので、興味深く読ませて頂きました。
 ところで、神保哲生・宮台真司「教育をめぐる虚像と真実」(春秋社)の中で、二人の著者と寺脇研氏が対談している部分にたいへん興味深いことが書いてあります。寺脇氏は広島県教育部長、(文部)大臣官房審議官などを歴任し、「文部(文科)省の顔」として「ゆとり教育」を推進した中心人物です。
寺脇ー「ゆとり教育」自体は1977年からの流れの一環ですから、文部科学省だって大きな方針そのものを転換したいわけではないと思います。しかし世の中の不安を鎮めるのも役所の仕事ですので、やむを得ない面があります。「ゆとり教育」批判の陰ヽ謀ヽによって、東大や京大の先生から「子供の学力は低下している」とあれだけ言われれば、世間の人々が不安になるのも仕方がない。(中略)
56. Posted by 柴田勝征   2009年08月20日 11:22
 ただし、私があえてさきほど「陰謀」と申し上げたのは、これは経済産業省が意図的にたくらんだことだからです。彼らも自分で認めていて、「大勝利」宣言をしています。文科省を揺さぶってやったら、あいつらは馬鹿だから、揺さぶられてうろたえてみっともない、なんてことを書いたり喋ったりしているんです。(中略)
神保ー経済産業省はどんな意図でそんなことをしたんですか。
寺脇ー産業構造の変化なんですよ。重厚長大産業の時代は終わり、これからはソフトパワーの時代です。しかしソフトパワーは、科学技術振興にせよ大学にせよ文部科学省の領域にある。したがって経済産業省がこれからの産業政策で主導権を握るためには、文科省の領域に踏み込まなくてはいけない。そこで経産省は「文科省はこんなに頼りないんですよ」という、一種のネガティブ・キャンペーンをはじめた。
57. Posted by 柴田   2009年08月20日 11:25
これはすでに明らかになっていることなので言いますが、経産省は東大教育学部の刈谷剛彦さんとか京大経済学部の西村和雄さんなどを集めて、研究費は潤沢に出すから学生の学力がいかに落ちているかを調査してデータを作ってほしいと依頼した。その結果を、たとえば「分数ができない大学生」という書籍のかたちで国民に提示し、もう一方では学術的な体裁のレポートをつくって、政治家や財界人に見せてまわったわけです。その影響力がすごい。大学人の中には、これからは文科省ではなくて経済産業省に頼る時代だ、と公言する人も出てきています。
(以下省略)
私(柴田)は、この、経済界からの圧力が最大の影響を与えてきたと思っていましたが、「国語」科目の場合には、文化庁方面からの圧力というのも考慮に入れないといけないのですね。
58. Posted by toshi   2009年08月21日 21:01
柴田さん
 『へえっ。』
 すみません。失礼な言い方で。
 でも、ほんとうにそういう感じです。

 そのような、『陰謀』が、世を動かしていくのかと思うと、なさけなくなりますね。
 
 今、わたしが書いている、国語の問題も、陰謀があるのでしょうかね。まあ、でも、そうであったとしても、このシリーズのようにブログで書かせていただきますが、実践するのはわたしたちですから、しっかりとした理念をもち、がんばりたいと思います。
59. Posted by     2009年08月21日 22:26
てっきり清水義範よろしくな内容だと思ったら・・・
「地域の差で違うから文句言わないでね」と言い訳している内はどうにもならないだろうに
批判したいのに反駁されたくないなんて
60. Posted by 今日   2009年08月28日 07:57
引用させて戴きました。
ご了解ください。

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