2009年09月13日

民主党マニフェスト教育編(4) 教育委員会をめぐって 3

5089d3a0.JPG 本シリーズもいよいよ大詰めとなった。

 わたしは、民主党の政権奪取によって、教育の未来に明るい展望を抱くようになったが、ただ一点、この、『教育委員会制度の見直し』については、問題ありと思っている。

 これまで述べてきた『学校主権』と矛盾しはしないか。そんな思いを抱く。

 本記事では、2つの側面から、その問題を考えてみたいと思う。



 その1 教育委員会の見直しについて、


 まずは、全文を引用させていただこう


 一つ目は、『日本国教育基本法案』だ。

(4)地方の教育委員会を発展的に改組した「教育監査委員会」を創設し、教育行政の責任を首長に移管

とある。


 二つ目は、『教育の責任の明確化』の項である。

(2)現行の教育委員会制度は抜本的に見直し、自治体の長が責任をもって教育行政を行います。

とある。


 
 責任の明確化そのものに異存はない。誰が責任を負うのか、明確でないのはよくない。それは確かだ。


 しかし、少なくとも、我が地域の場合、現行でも、責任は明確になっていると思う。

 それは、やはり、教育委員会が責任を負うのだ。個人でいうなら、本来は教育委員長であろう。教育長ではない。


 ご承知のことをわざわざ書くのは申し訳ないのだが、教育委員会は、教育委員の合議制で運営されている。その取りまとめ役は教育委員長である。

 そして、その末席に連なるのが教育長。本来は、事務局長ともいうべき存在だ。

 しかし、教育委員の多くが名誉職化しているといわれる現在、実際に機能しているのは、教育長となるだろう。だから、実質的には、教育長が責任を負うことになる。


 多くの地域ではこうなっていると思う。

 『それが、明確でない理由だ。』というのなら、教育委員が名誉職化でなく、実質権限をにぎり、機能するようにすればいい。教育委員会見直しというのはおかしいのだ。

 
 なぜ、おかしいか。 

 それは、『地方教育行政は、地方行政府から独立』していなければならないからだ。これは、戦後の民主主義教育行政の根幹にかかわる問題である。


 なぜ、独立していなければいけないか。


〇一つは、戦前の反省からきている。

 国なら政府、地方なら、地方行政府となるだろうが、ここが教育に関する権限をにぎるとろくなことはない。戦前、国の手により、公教育が軍国主義一色に染まったことは、ご承知のとおりだ。

〇地方行政府の首長の多くは、政党色を帯びているだろう。だから、教育が首長の責任で行われるということは、政党に教育が振り回される事態になりかねない。

〇たしか、どこかの市町村で、共産党の市長が誕生したと思う。

 選挙で選ばれたのだから、そのこと自体は何も問題ない。

 しかし、ここで言いたいことは、教育まで首長の責任で行われるようになると、共産党から自民党へとか、その逆も起こりうるし、その振れ幅はあまりにも大きく、教育現場は安定性を欠くことになるだろう。

〇また、政党色の話でなくても、クセのある者が首長になった場合も同じだ。そのクセに、教育現場が振り回されることになる。今、どこかの都道府県がその渦中にあるよね。

〇教育基本法には、その16条に、『〜、不当な支配に服することなく、〜。』とある。国も含め、首長による教育行政は、まさに、その、『不当な支配』にあたる可能性が強い。

 ところが、民主党のマニフェストだと、これが合法化されるわけだ。


 ああ。子どもがかわいそうだ。



 その2 地方教育行政の権限について、

 
 あらためて、民主党マニフェストを見てみよう。

〇教育に関する国の責任について、どう書いているか。

・『国は、義務教育における財政責任を負うとともに、「学ぶ権利」の保障について最終責任を負います。

〇そして、国の役割は、

・教育行政における国(中央教育委員会)の役割は、
(1)学習指導要領など全国基準を設定し、教育の機会均等に責任を持つ
(2)教育に対する財政支出の基準を定め、国の予算の確保に責任を持つ
(3)教職員の確保や法整備など、教育行政の枠組みを決定する
――などに限定し、その他の権限は、最終的に地方公共団体が行使できるものとします。

とある。

 それを受けて、別項として、学習指導要領の大綱化をうたう。

 つまり、平易に言えば、『教育に関するサービス面を受け持つ。』と言っているように思う。

 大変けっこうだ。


〇それなら、地方の責任についてどう書いているか。

 これはもう、驚くことに何も書いてはいないのだ。何も書かずに、上記のように、

『その他の権限は、最終的に地方公共団体が行使できるものとします。』となる。


 『その他の権限』とは、何なのだろう。

 国に準じ、教育に関するサービス面だけだろうか。

 
 これが、きわめてあいまいなのだ。場合によっては、学校の権限まで奪いかねない。


 だって、

・『学習指導要領の大綱化』については、

 設置者および学校の裁量を尊重し、地域・学校・学級の個別状況に応じて、学習内容・学校運営を現場の判断で決定できるようにします。

・『教科書採択』については、

 保護者や教員の意見が確実に反映されるよう、現在の広域採択から市町村単位へ、さらには学校(学校理事会)単位へと採択の範囲を段階的に移行します。

 そして、『自治体の長が責任をもって教育行政を行います。』となる。


 そうなると、学習内容、学校運営にしろ、教科書採択にしろ、実質的な権限を持つのは、地方行政府なのだろうか。学校(学校理事会)なのだろうか。


 どちらにも読み取れるような感じだ。 



 ここからは、その1、その2、双方を受けたかたちで書き進めたい。



 ああ。心配だ。だって、現状でも・・・、

 拙ブログでは、これまで、『知事の越権行為』とさんざん書いてきた。しかし、これからは、越権でもなんでもなくなる。


 また、
 
 かつて、拙ブログにおいて、バンキシャで放送された、愛知県犬山市と東京都品川区の教育行政をとり上げ、記事にさせていただいたことがある。

    壮大な実験!?

 今はまだ、教育委員会制度だから、このような、『壮大な実験』は限られたところでしか起きていないが、今後は、首長の恣意的な政治により、全国各地で、こうしたことが起きるのではないか。いやはや、驚愕してしまうのだ。


 
 どうだろう。ここまでお読みいただいて、読者の皆さんは、どうお感じだろうか。


 民主党のマニフェスト教育編は、大いなる矛盾を抱えていないか。


 本シリーズ、(1)(2)を書かせていただいたときは、『学校(学校理事会)主権になるのだな。』と感じ、感動すら覚えたものだった。

 しかし、よくよく読み込んでみると、なにやら、不安になってきた。


 
 ここは、やはり、これまでどおり、教育行政は、首長と切り離して行われるようにしてほしいし、『学校主権』については、これをしっかり確立してほしいと願う。


 それでは、どうしたらいいか、私見を述べさせていただきたい。


 
 そうは言っても、現状の教育委員会については、教育委員の多くが名誉職化してしまい、実質、機能していないところが多いと聞く。

・その原因の一つは、これまで、国が何もかも決めてしまい、地方はそれに振り回される状況が多かったからだ。

 これについては、民主党ははっきり国の仕事を書いており、現場のことは現場にゆだねるようなので、一応、今後は問題が起きないと思われる。

・原因の二つ目は、もともと教育委員は、地域住民による公選制だった。だから、公選制に戻せばいい。そうすれば、名誉職化どころか、しっかり教育に対する見識をもったものが選ばれ、実質、機能するようになるだろう。

 それに、公教育は、やはり、地域住民から選ばれた教育委員が、地域住民に対し直接的に責任を負うかたちで行われるのが当然と思うのだ。首長の責任にするのはやめてほしい。

 そうすれば、地域住民主権という意味において、地方教育行政府と学校理事会とのあいだに、矛盾はなくなるというものだ。


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 教育委員公選制については、過去記事にくわしくふれたのがあります。

    教育委員会を民主的に


 
 次、

 以下3項は、前記事で書くべきだったのですが、すみません。補足です。


先日、OECDが、世界の国々の教育予算について、発表しましたね。

 日本はひどい状況にあるようです。教育は、『国の責任で』というよりも、『家庭の責任で』となっているようです。

 これが、教育格差、少子化、年金等、いろいろな社会問題を引き起こしています。

 民主党を中心とした連立政権となり、これからはかなり改善されるという期待があります。一国民として、注視していきたいと思います。


〇最近の読者の皆さんに申し上げたいと思います。

 これまで、全国学力調査は、マスコミ的には、学力狂騒ばかりがとり上げられてきたように思います。

 しかし、これまでも、良心的で、真の学力アップをねらい、教員の意識改革、指導力アップに取り組んだ事例は、全国各地にありました。

 それを紹介した過去記事もあります。

    全国学力検査の結果公表で、(2) その使い方は、


〇この記事に補足するかたちになりますが、

 ご承知かとも思いますが、愛知県犬山市は、3回目となる今年から、同調査に加わりました。

 そして、すばらしいと思ったのですが、上記リンク先の、岩手県のある小学校の取組のように、国による集計結果を待つことなく、子どもの全答案をコピーの上自己採点し、すぐ結果を日々の授業に生かすようにしました。

 転んでも(いや。失礼。別に、加わったことは転んだこととは違いますよね。)、ただでは起きない。

 敬服しました。 



rve83253 at 03:45│Comments(5)TrackBack(0)教育制度・政策 

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この記事へのコメント

1. Posted by ドラゴン   2009年09月13日 17:44
いつも勉強させていただいております。
毎回、懸念ばかりで恐縮ですが、また少々。
ただ、懸念があるから足を踏み出さないのではなく、理想へ向かうということはとても大切です。その中で、修正なりができればよいと思います。

さて、学校の裁量、教育委員会の裁量の拡大は、アメリカが手本になります。その結果は、次のホームページをご覧ください。

http://blog.livedoor.jp/parsley777/archives/51184805.html

結局は、地域間格差が広がっております。日本ではここまでにはならないでしょうが、それに近いことはありそうです。
2. Posted by ドラゴン   2009年09月13日 17:56
アメリカの研究者より、以前、聞いた話です。
市長なりが選挙の公約で、学校をこうするというのを掲げて当選します。その結果、今までのスタッフ、カリキュラムなどがすべてガラガラポンです。その次の選挙で市長が替わると、またガラガラポン。
スタッフから総入れ替えという極端な例は少ないにしても、無いことではないそうです。
教育の継続性、教師の力量形成などで多くの問題があるそうです。
また、検定制度がないので、教科書会社が独自に作成しております。よくアメリカの教科書は分厚くて内容が多いように言われますが、その実態は、いろいろな州や学校の要望に応えるため、厚くなっているだけです。違う学年の内容も盛り込まれたりもしています。だから、系統性などもあまりなく(指導要領がありませんので)、非常に使いにくいそうです。逆にシンガポールの算数教科書(英語なので)に注目が集まっているそうです。
3. Posted by ドラゴン   2009年09月13日 18:32
それでは、どうするか?
私も答えは見つかりませんが、次のようなことを考えてみました。

1つは、学校の取り組みを適切に評価できるようにすることも大切ですね。
もう1つは、よい取り組みをしたところを積極的に紹介してもらいたいです。
最近の報道では、学校の問題ばかり取り上げられて、よかったことが取り上げられることは、ほとんどありません。
知られていないけれど、とてもよい取り組みをしている学校は、たくさんあるはずです。
そうした取り組みが紹介され、保護者が知ることで、学校がやりやすくなるということもあるのではないでしょうか。
4. Posted by toshi   2009年09月15日 08:21
ドラゴンさん
 いつも貴重な資料をありがとうございます。わたしは、アメリカに限らず、外国のことは断片的にしか分かっていないのですが、『集団志向の日本』、『個人志向のアメリカ』は、きわだっているようです。
 過去記事も含め、ドラゴンさんから刺激をいただきましたので、次回記事にまとめさせてもらおうと思いました。よろしくお願いします。

 ドラゴンさんの提言も、賛成です。そして、これらは、過去記事にも書かせていただいています。

 ほんとうに、すばらしい実践の共有が大事ですね。ドラゴンさんがおっしゃるように、教育論は、誰もが一家言もちうるもので、それだけに、教育論をおおやけに語る方は、ぜひ、そうした実践をみてからにしてほしいですね。
5. Posted by toshi   2009年09月15日 16:53
怒る母、トム、NMさん
 名前を変えていらっしゃいますが、すべて同一の方ですね。荒らしと判断し、削除させていただきました。今後の投稿はご遠慮願います。

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