2009年09月18日

日本とアメリカの中庸がいいのでは!? 他4

d1bb30c4.JPG 一昨日、ついに、民主党を中心とした連立政権が発足した。

 いろいろ申しても、各大臣の矢継ぎ早の動きに、わたしは少し興奮気味である。これからの日本がどう変わっていくか、教育に限らず、いろいろな面に強い関心がある。日本の夜明けとなればいいな。


 ところで、

 『民主党マニフェスト』シリーズは、前記事で終わりにさせていただいたが・・・、

 ドラゴンさんが、学校理事会や学習指導要領の大綱化について、不安や反対の思いをお寄せくださっている。


 わたしは思う。

 おそらく、読者の皆さんの中にも、ドラゴンさんと同じ思いをもたれる方が、少なからず、いらっしゃるのではないかな。

 
 ドラゴンさんは、『学校の裁量、教育委員会の裁量の拡大は、アメリカが手本になります。』とおっしゃっている。(リンク先コメントの1番)

 そして、アメリカの教育事情が分かりやすく書かれたブログを紹介してくださった。今、それにも、リンクさせていただこう。

    アメリカで学区が大事と言われる理由


 ただし、ドラゴンさんには申し訳ないが、

 ここでは、いきなり、学校理事会、及び、大綱化の是非を論じることにはやめようと思う。あくまで、論点の中心は、日米の教育事情の違いにおかせていただきたい。
 それが、結果的に、大綱化などに関わっていくと思われる。

 そして、バナーの下では、短くはあるが、ドラゴンさんご指摘の点にわたしなりの思いを述べさせていただこうと思う。



 さて、

 同ブログを読ませていただいて、強く印象に残ったのは、

 『アメリカは、やはり、自己実現を大事にし、結果に対しては、個人責任を志向するお国柄なのだな。』ということだった。子どもの教育にしても、医療保険にしても、金融システムにしても、日本では考えられないくらい、個人の思いを大切にする社会のようだ。
 だから、『国により一律に決められたのではかなわない。』といった、そんな思いが先に立つのだろう。 

 日本でいうところの学習指導要領にしても、アメリカにおいては、国民性として、『国によって、子どもの学習内容を一律に決められたのではかなわない。わたしたちの思いを大切にしてくれよ。』となるのだろう。 


 だから、その裏返しとしては、自己実現をはかれないものがいても、それはそれで、『個人の責任なのだから、やむをえない。』となるのだろう。

 よく言えば、合理的な社会。しかし、どうしても冷たさは感じてしまう。
 


 それに対し、日本は、協調、協力、連帯の社会。

 自己実現というよりも、協調、融和を求める。同一歩調が何より大事。他とそろわないと不安を覚えてしまう。『みんなで渡ればこわくない』社会だ。
 
 そういう社会では、同一歩調がとれなかったり、自我を出し過ぎたりするものがいると、『村八分』のような状態にしてしまう。こうした社会では、自己実現どころか、自己を見失う姿すらありそうだ。

 そして、個人責任と言うよりも、一律に利益を享受できることを求める。

 
 また、変な商法、変な宗教、非科学的な論法などにも、ひっかかりやすい。

 それについて考えられる原因は、自己責任の社会でないから、自分で思考し、判断する必要がない。何となく、大勢に身をゆだねていればいいとなるわけだ。

 
 そういう国では、学習指導要領のような全国一律は、『寄らば大樹の陰』という意味で、安心材料になるのかもしれないね。


  
 それでは、以上述べてきたことを、拙ブログの過去記事をのぞきながら、より具体的に検証してみよう。

 これらは、わたしの経験から書いているので、それですべてを論じるのは気が引けるが、しかし、以上、述べてきたことが、みごと、あてはまりそうなのである。



 その1  日本の子ども、外国の子ども

 この記事に出てくる、アメリカ人の子ども(今、Aちゃんとしよう。)の言葉を、抜書きしてみる。

「toshi先生。あのね。ぼくは、そういう乗ってみたいなという(夢の)乗り物を考えたことは一回もないの。だからね。そういう乗り物は描けないの。・・・。描きたいのは飛行機だから、飛行機を描いていいですか。」

 それに対し、日本人の子どもだったら、まず、こういう言い方をしないだろうと述べている。たぶん、

「先生。何、描いていいか分からない。」
「思い浮かばないよ。」
「思ったことはあったけれど、忘れちゃった。」

となるのではないか。


 今、あらためて、この、『双方の言葉』を吟味してみる。


 どうだろう。

 双方に、それぞれの国民性が、示されていると言えないだろうか。


 Aちゃんは、学習指導要領を否定している。『それよりぼくの思いのほうが大切』と主張しているようにみえる。

 学習指導要領では、『感じたことや想像したことを絵や立体,工作に表す』としているのだが、

 『ぼくは、そのようなことを感じたり想像したりしたことはない。だから、ぼくの自由にさせて。』と言っているのだものね。


 日本に住み、日本の学校に通い、日本の子どもとふれ合っても、

 しかも、1年生という幼いうちから、このように自分の思いを言えるということ。


 今、日本人的感覚で振り返ってみると、感嘆に値する。

 これが、自己実現を追求する、お国柄の現われなのだろう。


 
 それに対し、日本の子どもの言葉は、学習指導要領を受け入れ、その枠内で、『ぼく、わたしには、そんな能力はない。』と言っているようにみえる。


 もちろん、小学校1年生がそこまで意識しているわけはない。それだけに、このような幼児でも、早くもお国柄を背景とした言動をしていると感じる。



 その2 外国人による日本語弁論大会から

 
 今度は、アメリカ人の国際交流員(ここでは、Bさんと呼ばせていただく。)の方にご登場いただく。


 上記のような国民性をもつアメリカ人が、日本の小学校の、『歯磨き指導』を見て、もう、ほんとうに、この世のことかと思うくらい、驚いたのだ。

 おそらく、『全体主義国家』のそれかと思うくらいの驚きだったのではないか。

 
 でも、Bさんは、この弁論のなかで、ユーモアの中に、だんだん日本への理解をましていることに気づく。

 それはたぶん、全体主義国家というよりも、集団志向の国民性に過ぎないと感じているのではないか。



 それで、『お互いに相手のよいところを学び合えば、とてもいい結果になるのではないか。』と提言する。

 

 わたしも、日本人という、逆な立場から、同じことを思う。


 そうなのだ。

 近年、どちらの社会も問題が噴出するようになった。


 アメリカの場合、個人責任ですましているわけにはいきにくくなった。

 健康保険のこと、金融危機のこと、環境問題など、いずれも困難さがまし、大統領直々に解決法を模索する時代となっている。

 日本の場合、日本人的感覚による格差が深刻さをまし、また、欲求も多様化してきたため、画一化、保守傾向、大勢迎合は、行きづまりを見せるようになった。


 そんな時代の合言葉。

 それは、日米とも、チェンジ、政権交代だ。象徴的なのが、どちらも、『民主党』の勝利となったこと。


 それなら、どうチェンジすればいいか。

 繰り返しになるが、Bさんの主張のように、お互いが、お互いのいいところを学びあっていくこと。そうなるのではないか。



 ここからは、日本がどう変わるべきか、特に教育の問題にしぼって、考えていきたい。

 日本においては、画一化の教育により、
・『画一から外れたもの』へのまずい対応が深刻だ。いじめ、不登校など、など。
・また、画一化にならされることによる、自己実現しにくい環境もいろいろ問題を抱える。


 だから、日本は、アメリカなど、外国のいいところから、大いに学ぶべきだ。

 学習指導要領の大綱化、学校理事会の創設の意義を、わたしはそこに見ることができる。


 ただし、自ずと『節度』というものはある。

・学校が行う保健指導はあっていい。

 『歯磨きなど、家庭のしつけとしてやるべきことだ。だから、学校はやらなくていい。』

 そこまでは思わない。

 しかし、音楽を鳴らして、全校一斉に、『1・2・3・4』と号令をかけての歯磨き指導といったものはやめようではないか。

・学習指導要領はあっていい。

 『学習内容は、各地域で違って当然。だから、同要領は廃止すべきだ。』

 そこまでは思わない。

 しかし、『低学年の国語の言語事項は、これこれです。』と、そこまで細かく国が決めることはないではないか。

 もっと学校裁量を認めようよ。

 児童、地域の実態、地域、保護者の願い、そういうものを生かし、学校が主体的に取り組む環境づくりを積極的にやろうよ。

 そういう社会にしていくことは大切なのではないか。


 ドラゴンさんがおっしゃる、『それだけの力のない学校』。それは確かにある。いや、多すぎるくらいあるのかもしれない。

 なにしろ、戦後60年の大部分を、学校はそうした努力をする必要のない環境で過ごしてきた。

 だから、変革は大事だが、大変だ。

 だが、もう、猶予はない。


 学校が力をつけるための政策を、強力に、

 しかも、旧態依然たる形式的なものではなく、現場に徹し、真に子どもの力をつける政策をおし進める必要がある。

 わたしが、教員免許更新制見直しに賛成し、全国学力調査継続に思いを託す理由もそこにある。
 

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 ドラゴンさんのご指摘に、お答えしたいと思います。

《学校、教育委員会の裁量の拡大は、地域間格差を招く。》

 ある程度は、招いてしまうでしょうね。しかし、学校、教育委員会に対し、力をつけさせる政策をとったあとは、それぞれが、主体的に生き、実力を発揮できるようになるわけですから、どちらを大切にするかの問題になると思います。

《首長の交代は、ガラガラポン。教育の継続性、教師の力量形成などで多くの問題があるそうです。》

 これについては、そこまでの変革をわたしは望みません。

 教育委員会の継続、教員の指導力アップの取り組みについては、すでに述べさせていただきました。

《指導要領がない。》

 これは、民主党の言うところの、『大綱化』にとどめます。

《教科書は、各地のニーズに応えようとしているため、分厚い。》

 教科書の検定制度には、反対しません。要は採択の仕方と思っています。

《学校の取り組みを適切に評価できるようにすることも大切ですね。
 もう1つは、よい取り組みをしたところを積極的に紹介してもらいたいです。
 最近の報道では、学校の問題ばかり取り上げられて、よかったことが取り上げられることは、ほとんどありません。

そうした取り組みが紹介され、保護者が知ることで、学校がやりやすくなるということもあるのではないでしょうか。》

 これはもう、大賛成です。そのとおりと思います。


《「教育は誰でも経験がある分、逆に危険があります。大阪の例もあります。最近、法学関係の方と議論しました。いわゆる「生きる力」は賛成ですが、小学校は、読み書きと計算練習で充分だと主張されて、問題解決型の学習は否定されていました。》

・とりあえずは、こうした考えをもつ方が理事になられたとして、それが地域の多くの方に支持されるかどうかだと思います。支持されるのでしたら、短期的にはそうなってしまうのもやむをえないと考えます。

・そのうえで、実力をつけた学校が上記ドラゴンさんの主張のように、各地に生まれ、それがPRされる。もちろん、我々教員もPRに努める。そうして、徐々に変革することを考えていく。

 そのような方策を考えています。 

 
《子ども手当の支給よりも、高校の無償化など、教育費を無償化する方が大事です。》

 これについては、新連立政権はどちらもやるのではないですか。

 もしどちらか一方のみとなれば、それぞれに一長一短がありそうです。

 子ども手当ては、パチンコ代、酒代に変わってしまう可能性もありますが、他方、教育費の無償化などは、その教育にあずかれないもの(保育園待機児童の問題など)にとっては、ないのと同然となりそうです。

 なお、わたしは、子ども手当ての一律全員支給は変だと思います。やはり金持ちにまでやる必要はないでしょう。

 そうすれば、精査する人員が必要となり、その分雇用も創出できますね。

rve83253 at 09:45│Comments(11)TrackBack(0)教育制度・政策 | 教育風土

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この記事へのコメント

1. Posted by Parsley   2009年09月19日 14:52
この度は私の拙い記事をご紹介下さり、ありがとうございました。私が日本の教育を外から見て思うことはたくさんあります。

アメリカは個を大切にすると言われていますが、モザイク文化の中では個を主張すること、個を認めることしか道はない状況が背景にあります。日本の教育、ブロック塀の中の一つのブロックになることを教える教育、これは視点を変えれば実に難しいことを教えており、とても素晴らしい能力を育てていることでもあると今は実感します。
個を認めるアメリカであっても、教育課程を修了し最終的に社会人として仕事をする場面では他との協調性、チームワークの能力が日本同様に求められます。そしてそれがちゃんとできる人間が驚くほど少なく、生産性を下げ、仕事上の、人間関係上のトラブルの主たる原因ともなっています。
アメリカの一部教育熱心な地域ではアジアの教育を見習って制服を導入、系統だった学習を詰め込み式でやらせているところも増えました。日本がアメリカを見習っている間に、アメリカはアジアを見習ってるとは皮肉なものです。
個を大切にすること、和を大切にすること、どちらも正しく、どちらも行き過ぎは良く無いというのが私の感じたところです。
2. Posted by Parsley   2009年09月19日 14:54
日本の教育改革の話題であそこが悪い、これが悪いと言われていることは、逆の視点から見れば実は日本の教育の強みで、今の日本を支えていることだということを忘れてはならないと思います。
学習指導要領は長年吟味されて作り上げられており、国中がこの基準に従えるということはとても素晴らしいことだと思います。学校の自由裁量を認めること、これも良いことですが、自由にはレベルを上げる自由と共にレベルを下げる自由も伴うということで、これが悪い形で現われたのが現在のアメリカです。30年前はもっと系統だって、教師も教師らしく子ども達を導いていたそうです。
世界的にも教育の傾向はメトロノームの針のようにアカデミックに偏ったり、オープンスクールに偏ったりしている様ですが、針が大きく振れる度に犠牲になるのは子ども達です。途中で軌道修正をしたとしても、時間を戻してやり直しは出来ません。
大人は今、自分たちがしようとしていることの表と裏を良く見て、子ども達を実験材料にしないよう、注意深く教育の方向を定めて行かなくてはならないのではないかと思います。

長文コメント、失礼いたしました。日頃感じていることを書かせていただきまして、ありがとうございました。
3. Posted by toshi   2009年09月20日 09:43
Parsleyさん

 勝手にリンクさせていただきましたのに、こんなにも貴重なコメントをお寄せいただき、ありがとうございます。
《個を認めるアメリカであっても、教育課程を修了し最終的に社会人として仕事をする場面では他との協調性、チームワークの能力が日本同様に求められます。そしてそれがちゃんとできる人間が驚くほど少なく、生産性を下げ、仕事上の、人間関係上のトラブルの主たる原因ともなっています。》
 おもしろがってはいけないのですが、この新入社員の点でも、日本ではまったく逆な問題点が指摘されています。日本では、自分の思いを主張できない傾向、自分というものがないことが問題なのですね。
 拙ブログにいただいた象徴的なコメントを2つ紹介させてください。
・下記URLコメントの34番Hidekiさんより 
http://blog.livedoor.jp/rve83253/archives/746219.html#comments
 この記事のコメントでは、日本の学力観をめぐり、大論争を展開しておりますが、そのなかの一つです。
・もう一つ、下記URLコメントの1・2番。ベアさんより
http://blog.livedoor.jp/rve83253/archives/1019016.html#comments
 このコメントは、日本の教育システムにより養われたエリートの卵の、一つの典型を示していると思います。

 
4. Posted by toshi   2009年09月20日 09:51
《アメリカの一部教育熱心な地域ではアジアの教育を見習って制服を導入、系統だった学習を詰め込み式でやらせているところも増えました。日本がアメリカを見習っている間に、アメリカはアジアを見習ってるとは皮肉なものです。》
 アメリカのこのニュースは、日本でも報道されたため、よく知られています。そして、多くは、皮肉
っぽくとらえられていると思います。
 でも、わたしは、記事にも書かせていただきましたように、どちらの社会も、問題を多く抱えるようになったため、お互いがお互いに学び合う姿勢が必要と思います。

《個を大切にすること、和を大切にすること、どちらも正しく、どちらも行き過ぎは良く無いというのが私の感じたところです。》
 はい。まったくその通りに思います。そして、両国ともそうした気運が盛り上がりつつあると感じています。
 オバマさんも、『勝手なマネーゲームは許さない。』といったメッセージを発信したようですし、鳩山さんも、『勝手な仲間内だけのなれ合いは許さない。』と言っているように感じます。
 
5. Posted by toshi   2009年09月20日 09:58
《学校の自由裁量を認めること、これも良いことですが、自由にはレベルを上げる自由と共にレベルを下げる自由も伴うということで、これが悪い形で現われたのが現在のアメリカです。》
 これは、ドラゴンさんも指摘されているところです。
・『30年前はもっと系統だって、教師も教師らしく子ども達を導いていたそうです。』というのは、どうして30年前まではうまく機能していたのでしょう。
・そして、どうしてそれが、『レベルを下げる自由』となってしまったのでしょう。
 それが分かると、これからの日本に役立つように思います。
 
 わたしが思うには、ここのところ、日本人は急速に政治を看視するようになったと思います。今回の政権交代もその結果でしょう。今度は民主党の政治を看視することになります。
 わたしは、そうした衆人の目が、学校理事会等において、『レベルを下げる自由』を認めないという方向に機能するようになると思いますし、期待しています。
6. Posted by toshi   2009年09月20日 10:01
《針が大きく振れる度に犠牲になるのは子ども達です。途中で軌道修正をしたとしても、時間を戻してやり直しは出来ません。
大人は今、自分たちがしようとしていることの表と裏を良く見て、子ども達を実験材料にしないよう、注意深く教育の方向を定めて行かなくてはならないのではないかと思います。》
 はい。わたしもそう思います。
 ここのところの日本は、そうした意味の実験材料に子どもが振り回されていると感じます。
 それだけに、大人が叡智を結集しなければなりません。
7. Posted by ドラゴン   2009年09月24日 19:18
拙コメントをこれほど取り上げていただき、恐縮です。
基本的に、学校の裁量権の拡大は賛成なんです。
ただ、そのための条件整備というか、必要なことがあるのだろうと思うのです。

その1つには、教育というものの理解でしょうか。
よい教育とは何か?受験に通るための授業が良い授業なのか?
そういうことを、社会一般で考えるということも必要なのではないでしょうか。

日本経済新聞が教育雑誌を創刊しますが、その最初の特集が「日本の教育、ここが問題だ!」と10人の識者が語りますが、そのうち本来の教育者は2〜3人です。どうして授業の専門家にお声がかからないのでしょうか。
このような風潮がまだ根強いのです。

ですから、誠に勝手ながら、toshi先生のこのブログには非常に期待しております。
8. Posted by ドラゴン   2009年09月24日 19:20
Parsleyさん
勝手にご紹介させていただきましたが、私の知る限り、アメリカの学区についてまとめられたものでは、一番わかりやすいと思います。よく教育の議論でアメリカ礼賛がありますが、こういう問題もわかってもらいたいですね。

PISAの結果については、アメリカはまったく気にしていないそうです。全体が悪くても一部のスーパーエリートが世界のトップを走っていれば、それでOKなのだそうです。
確かにアメリカは平均点は低くても、トップは、明らかに世界のトップを走っています。それで良いという社会なんですね。
9. Posted by ドラゴン   2009年09月24日 19:21
ドイツでは、PISAショックという言葉が生まれ、日本でも、ご承知の通り、PISAショックがありました。
そして私の見る限りは、できない子どもをどうしようか議論して、手厚く指導しています。やはり教師になろうという人は、できない子どもを放っておけないんですね。その分、先に進んだ子どもが待っていなければならない授業場面もよくあります。でも、それが日本の良さだと思います。
先に紹介しました経団連の申し入れは、明らかにできない子どもを放っておいて進んだ子どもを伸ばすことを主張していました。社会(経済界)では、そう考える人のほうが多いのでしょうか。
そういう社会のニーズに迎合してしまわないか心配です。
10. Posted by ドラゴン   2009年09月24日 19:22
また、今までも特区として、教育委員会レベルでは裁量権を拡大してきたこともあります。有名なのは品川区ですね。
その他の教育特区の一覧です。
http://www.yomiuri.co.jp/nie/note/kyoikukaikaku/2.htm
小学校で英語の先取りというのが多いように感じますが、いかがでしょうか。
こういうのを見ていますと、図工や音楽を削って英語にしろなんて意見も出てきそうな心配があります。

懸念ばかり述べて申し訳ございません。
では、どうするか。
くり返しになりますが、1つは教育についての理解を深めること、2つ目には取り組みについて適切に評価することができるようにすること、3つ目には、よい取り組みについての情報を交流することでしょうか。
今は、その程度しか思いつきません。
11. Posted by toshi   2009年09月25日 06:05
ドラゴンさん

 いいえ。こちらこそ、いつも大変お世話になっております。また、このたびは、すてきなブログ記事をご紹介いただき、ありがとうございました。

 ドラゴンさんとわたしは、思いを共有している部分が大変大きいと感じています。

《よい教育とは何か?受験に通るための授業が良い授業なのか?そういうことを、社会一般で考えるということも必要なのではないでしょうか。》

 その通りと思います。学校理事会制度、学習指導要領の大綱化を考えるとき、受験の状況が大きくその成否を左右するであろうこと、わたしも、自明のごとく思います。

 その際、教育のプロとして、我が論調が有力な位置を占めることができれば幸いと思い、これからもがんばりたいと思います。

 ともにがんばりましょう。
 

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