2009年10月01日

国語の授業がおかしくなっている・・・かな!?(7) 2

720ea90f.JPG 本シリーズも7回目を数えることとなった。
この間、今日さんはじめ、多くの方にお世話になったことに、感謝したい。ほんとうに、ありがとうございます。

 また、何人もの保護者の方から、メールをいただいた。その多くは・・・、

 わたしは、これまで、学習指導要領の問題を指摘することが多かったが、そうした内容ではなかった。もっと身近で、もっと切実で・・・、

 たとえば、地方教育行政府の教育施策とか、学校がおし進める指導(?)とかの問題が多かったのである。それらを拝読し、そうした現場が、学習指導要領の言っていないところまで踏み込んだり、恣意的、唯我独尊的だったりする姿があると認識させられた。

 なかには、ある保護者の方だが、
「我が子の学校で、〜のようなことがあるのは、学習指導要領がそうなっているからと思っていました。でも、toshi先生のブログを読ませていただいて、そうではないんだとよく分かりました。」
と書いてくださったものがあり、心が痛んだ。

 今日は、そうした事例を2つとり上げる。それによって、より良い教育のあり方を考え合うことができたらありがたいと思う。


 その1

 まずは、東京都世田谷区における古文の採用だ。
 これは、いつも大変お世話になっている今日さんが、ブログに何回かにわたって記事にされているし、また、ドラゴンさんからも、前々記事に対して、コメントをいただいている。

 まずは、今日さんのブログにリンクさせていただこう。2つある。
    世田谷区の論語の暗唱・品川区の小学3・4年の漢字300字と教育基本法改訂
    裁判員制度・中教審答申・教科審のまとめと子どもの教育

 そして、ドラゴンさんも、コメントをくださり、かつ、そのなかで、同区の『教科書「日本語」に掲載された漢詩25首』を紹介してくださった。前々記事にお寄せくださったコメントの4番である。

 なお、あらかじめ、お断りしておかなければならないが、
 世田谷区が、教科「日本語」と称しているのは、国から教育特区の認定を受けたからであろう。他地域において、このような教科はない。

 なくて幸せである。

 だいたい、ドラゴンさんから、同区教科書に載っている漢詩25首を紹介いただき、そこに1・2年とあるのを見たとき、まさかそれが小学校とは思わなかった。すぐ分かったが、そうなると、とても正気の沙汰とは思えなくなった。

 区教委のホームページを見ると、
 小学校では、週に1時間の授業を行い、短歌、俳句、古文、漢詩、論語、近代詩などを音読したり、暗唱したりする活動を通して、日本語の美しい響きやリズムを楽しむ学習を行います。
 また、地域に伝わる民話や世田谷区の地名の由来や、日本の伝統文化などについて学んだり、調べたりする活動を行います。
とある。

 やりようによってだが、後段はいい。
 わたしだって、かつて、低学年のとき、地域に伝わる民話をとり上げたことがあった

 ただし、リンク先記事でもふれているように、
 子どもが自然体で、自分ごととして民話を受け止められるようにするために、大変長期にわたる努力を積み重ねるのであって、簡単に与えたりはしない。

 でも、前段は・・・、
 ああ。これはもう、子どもにとっては、日本語などというものではないね。

 だって、意味不明だもの。1年生の子どもは、『しゅんぷう』『いたる』『ちじつ』『かんばし』など、など、
「ええっ。これ、日本語なのう。外国の言葉かと思ったあ。」
となるだろうし、
 日本語と分かった後でも、とても、『美しい響き』を楽しむようにはならないだろう。

 これを子どもに与えた大人の自己満足にすぎない。まあ、リズムは感じ取れるかもしれないけれどね。

 ドラゴンさんもご指摘のように、これで、
 同区が目的として掲げる、
(1) 深く考える子どもを育てる。
(2) 自分を表現することができ、コミュニケーションができる子どもを育てる。
(3) 日本の文化を理解し大切にする子どもを育てる。
などは望むべくもない。逆に、「日本語」を嫌いになる子どもを養っているように思う。

 すでに記事に書かせていただいたが、我が孫も1年生。その孫が、この詩を暗唱している姿を想像するだけでも、なにやら滑稽である。

 わたしが言いたいのは、『特区だからと言って、何をやってもいい。』とはならないということだ。

 今日さんも、『子どもを大事にするということ』なる記事を書かれている。

 そう。子どもにかかわる人で、『子どもを大事にしない。』などという人はいない。しかし、同氏もおっしゃるように、子どもを大事にするというのは、子どもの心を大切するということだ。

 子どもの心を大切にするということは、最低限、成長発達段階を考えることが必要になる。世田谷区のそれは、成長発達段階を完全に無視しており、学習指導要領をも完全に逸脱するものである。


 わたしは、前々記事において、古文復活の学習指導要領を批判した。しかし、それでも、同要領には、『親しみやすい古文や漢文』とか、『内容の大体を知り』などという文言があった。

 また、〔伝統的な言語文化と国語の特質に関する事項〕には、
・低学年では、『昔話や神話・伝承など』と言っているだけで文語文という言葉はなく、
・中学年では、『易しい文語調の短歌や俳句』、
・高学年では、『親しみやすい古文や漢文,近代以降の文語調の文章』とあった。

 同区の教科「日本語」なるものは、それすら無視している。 

 わたしは、前記事において、以下のことを書かせていただいた。そっくり再掲させていただこう。

 『教員の自己満足の平和教育では、真の平和を手に入れることはできない。』

 同じことがここでも言える。
 『地方教育行政府の自己満足の日本語教育では、真の『日本語を愛する日本人』を養うことはできない。』


 その2

 本シリーズを始めてから、保護者の方から、お子さんが受けている国語指導についてのメールをいただくことがふえた。今、ある保護者の方からのメールを紹介させていただこう。2度にわたりいただいたが、わたしには、なにか、双方が、因果関係を示しているようにみえた。

〇『娘は、〜、作文などの文章を考えることはとても苦手で、親としても悩んでおりました。〜。
 担任は、(娘の作文に)真っ赤に訂正を入れて返してくれました。書き直しをするにも、私も悩んでしまうほどでした。〜。
 運動会の作文の書き出しや遠足のことなども、赤が入って書き直しもあります。先生の指導が行き届き、その担任のクラスの書き出しは、みごとに同じです。
 あれでは、作文が楽しいものにはならないでしょうね。読書感想文が賞をとることも多いですが、先生の指導の熱意の賜物となっております。』

〇『実は、家の子ども達は、本をほとんど読みません。マンガとかアイドル誌くらいです。
 今はテレビなどがとっても自由に使える時代です。子どもは本に興味を示しません。保育所時代に絵本を定期購読したりしてそろえてはいますが、私の時とは違い、読もうとはしないんです。
こうなると、先生方から言われるのは、
「お母さんが小さいころから絵本の読み聞かせをしていませんでしたね。」
などということです。 
「読み聞かせ」は万能薬のようです。
 しかし、昼も働き、家でも気を使い、早く子どもが寝てくれないか、自分の時間が欲しいか、ということだけに夜があったとき、「本を読む」ということをする気持ちにはなれませんでした。もちろん、昼に時間があれば、絵本を読んだり、雑誌(幼児向けのもの)を、いろいろと話をしながらみたりしていました。
 好きなキャラクターはほぼ覚えていましたし、がんばっている気持ちにはなっていました。
 でも、「寝る前の本読み」には匹敵しなかったようです。

 こんな私は、母親失格だったのだと思います。
 今でも、母親の「寝る前の絵本読み」は素晴らしく取り上げられていることが多いのですが、それをする気持ちになれず、出来なかった私には、とてもつらいことでしかありません。
 読んでやっていれば、本が好きになっていたのでしょうか。』

 メールは以上だ。


 この保護者の方は、学校が、『運動会の作文の書き出しや遠足のことなども、赤が入って書き直しもあります。先生の指導が行き届き、その担任のクラスの書き出しは、みごとに同じです。』ということをするのは、学習指導要領がそうなっているからと思われていたようだ。

 拙ブログを読まれて、『そうではないのだ。』と思われたとおっしゃる。

 そう。ここにも、同要領を逸脱する学校の実態が見られる。だって、同要領は、『基礎・基本の習得』も言うけれど、『主体的に学習に取り組む態度を養い,個性を生かす教育の充実に努めなければならない。』とも言っているのだものね。どの子の書き出しも同じにしてしまうというのは、画一化のさいたるものだろう。

 それに、こういうことが、『基礎・基本』になるとも思えない。どの作文に対しても、その子らしさを大事にした上での作文指導というものがあるはずだ。


 実は、過去、わたしが担当する初任者の中にも、このようなことをやるものがいた。わたしはびっくりし、
「うわあ。すごいね。赤だらけだ。・・・。大変だね。こんなに手を入れるのは。ご苦労様。
 でも、だめだよ。これでは、Aちゃんらしさはまったく消えてしまう。・・・。ここなどすばらしい表現をしているではないか。何で平板な言い方に直してしまうの。」
など。など。

 そして、第二信だ。
 この方のお子さんが読書しないことに関して、ほんとうの理由は分からない。子どもに聞いたとしても、やはり分からないだろう。だが、学校が、
「お母さんが小さいころから絵本の読み聞かせをしていませんでしたね。」
と決め付けている。このことに対しては、ものすごく違和感を覚える。

 そして、双方から話をうかがったわけではないにしても、わたしには、第一信からして、保護者云々よりも、学校の作文指導等のあり方が、読書嫌いをふやしているような気がしてならない。

 どういう指導が子どもを国語嫌いにさせるか。
 それは、先ほどリンクさせていただいた、今日さんの記事、『子どもを大事にするということ』が、端的に示している。真に子どもを大事にしていないから、嫌いにさせてしまうのではないか。
 
 こういう学校は、学習指導要領にある、
・『人間として調和のとれた育成』とか、
・『児童の心身の発達の段階や特性を十分考慮』とか、
・『児童に生きる力をはぐくむこと』とか、
・『創意工夫を生かした特色ある教育活動を展開』とか、
・『課題を解決するために必要な思考力,判断力,表現力その他の能力をはぐくむ』とか、
・『主体的に学習に取り組む態度』とか、
・『個性を生かす教育』とか、
 そういったものがどういう指導によって養われるのか、ようく検討しなければいけないだろう。

 また、同要領では、『(学校は)家庭との連携を図りながら,児童の学習習慣が確立するよう配慮しなければならない。』とも書いている。

 家庭には、各家庭の事情といったものがある。
 十分子どもに手をかけることのできる家庭もあれば、多忙を極め、したくてもできない家庭もあるだろう。
 そうした環境の中で、一人ひとりの子どもは、成長している。

 それならば、各家庭の実情に応じ、それぞれ、その子どもなりに学習習慣が確立する方向で努力すべきで、
 少なくとも、まじめで善良な保護者が自信を喪失してしまうような、そんな言動は慎むべきであろう。ともに力を合わせていきたいものである。


にほんブログ村 教育ブログへ

 ninki

 

 しつっこいようで、大変恐縮してしまいますが、

 わたしが、上で過去記事にリンクさせたものを、再度、紹介させてください。
    しかけどころ(2)

 どうでしょう。

 大人にとっての必要感。それをむき出しにしたまま子どもに与えたのでは、子どもを大切にしていることにはなりません。そう思うからこそ、長期にわたって、意図的、計画的に、子どもにとっての生活化をはかるわけです。

 そういう目で、世田谷区の、教科「日本語」を見ると、もう、無造作に、子どもに与えているとしか思えず、ほんとうに子どもがかわいそうです。    


rve83253 at 10:18│Comments(20)TrackBack(0)保護者 | 教育制度・政策

トラックバックURL

この記事へのコメント

1. Posted by みっきーまま   2009年10月01日 15:30
またまた、まとめ読みさせていただいています。
すみません・・・

自己満足・・・絵本の世界にも、評論家のいいという絵本がいいと、古臭く、それは、本当に今の子どもたちに理解できるか?という考えなしに読み聞かせで読んでいる場合があったりします。
もう一度、目の前の子どもとしっかりと向き合わなければなりません。その上で、子どもたちに聞いてみなければならないのでないかと思うこと、あります
でないと、絵本が嫌いになってしまいます。

「絵本の読み聞かせをしてこなかったのは、お母さんが悪い・・・」

最近、強く思います。何が悪く、何が良いのでしょう?
ほんとに、読み聞かせをしてこなかったことが悪いなんて、気軽に言えるのでしょうか?
そうしなかったから、こうなったのです。だから、こうしましょう?って新興宗教の勧誘に似ている気がします。

最後に、お孫さんと次男と同い年です。かわいいさかりですよね!
今、次男は、のはらうたの版画版(くどうなおこ)がお気に入りです。来年のカレンダーは「のはらうた」にしました

いつも勉強させていただいております!
ありがとうございます!
2. Posted by 今日   2009年10月01日 20:02
toshi先生は、本当に教育を大事にしているんですね。感動します。

国語科は、専門ではない方が、このようにお書きになっている。教育で譲れないことがあるという信念を感じます。

このような問題についての意見を国語を専門にやっている方は、どうしてか書かないのでしょうか、僕は、疑問を感じます。まだ、読んだことがありません。

(このようなことを東大の理科教育の先生が、言ったことがあります。)


 <『教員の自己満足の平和教育では、真の平和を手に入れることはできない。』>このことの意味、深いですね。

平和教育とは、国語科をちゃんと教える中で成り立つのではないでしょうか。

その為には、この世田谷や品川区の問題は、このようにみんなで考えるべきことではないでしょうか。

応援クリックして戻ります。

3. Posted by toshi   2009年10月02日 11:40
みっきーままさん
《そうしなかったから、こうなったのです。だから、こうしましょう?って新興宗教の勧誘に似ている気がします。》
 ほんとうにおっしゃるとおりと思います。いろいろな要因が重なっているはずですのにね。そして、いろいろ手を尽くしてみたが、やっぱり分からなかったといったことだってたくさんあると思います。簡単に言い切ってしまうところに、問題がありますね。
 みっきーままさんにこのようにおっしゃっていただいて、メールを送ってくれた方も、ものすごく救われた思いになられたのではないでしょうか。
 ありがとうございました。

 のはらうた。
 いいですね。このようなものを授業にとり入れてもらえれば、描かれた世界に想いを寄せてイメージを豊かにすることができますし、そういう学習をしてこそ、日本語を愛し、好きになる子どもを養うことができるのではないかと思いました。
  
4. Posted by toshi   2009年10月02日 12:03
今日さん
 大変過分な言葉をいただき、恐縮しております。
 『何が子どもを大切にすることになるのか。』とか、『どんな授業が子どもの主体性を育てることになるのか。』とかいったことに関しては、どの教科の研究をしたとしても、共通するものがありますね。

 わたし、今回は品川区の問題をとり上げませんでしたが、過去記事にはけっこう書いておりますので、やはり大変な問題を抱えていることはよく承知しております。
 今日さんにはご覧いただいていると思いますが、最近の読者の方々にお読みいただければと思いますので、一つ紹介させてくださいね。
 『壮大な実験!?』というタイトルです。URLは本コメントのHN欄に貼り付けさせていただきました。よろしくお願いします。
5. Posted by 今日   2009年10月02日 22:32

ご丁寧にありがとうございます。



<『壮大な実験!?』というタイトルです。URLは本コメントのHN欄に貼り付けさせていただきました。よろしくお願いします。>


本コメントのHN欄というのが、分からなかったので、

壮大な実験!   の文字でYAHOOで検索しました。
そしたら、出てきました。

ゆっくり読ませて戴きます。

6. Posted by 今日   2009年10月03日 18:14
いつも、ありがとうございます。

このブログを引用させて戴きました。ご了解ください。



2009.10.02

教育者の良心
http://plaza.rakuten.co.jp/zyx1830/diary/200910020000/
7. Posted by toshi   2009年10月04日 07:42
今日さん
 すみませんでした。分かりにくい記述で。
 コメント横にあるtoshiのところをクリックしていただければよかったのですが、今後、そのように書きますね。
 またまた拙ブログを大々的にご紹介いただき、ありがとうございました。読者の皆さんからのコメントがおもしろいですね。本質を突いているなと思いました。
8. Posted by 今日   2009年10月04日 09:43
 <コメント横にあるtoshiのところをクリックしていただければよかったのですが、今後、そのように書きますね。>・・・・・・・


* ご親切にありがとうございました。


<読者の皆さんからのコメントがおもしろいですね。本質を突いているなと思いました。>・・・・・・・・・

* この読者の意見は、絶対無視できないですよね。


ズバリ言っているので、ぐっと、きますね。


 <『教員の自己満足の平和教育では、真の平和を手に入れることはできない。』>・・・・・・・


* このご意見、僕が、日頃、感じていたことです。

<教員の自己満足の平和教育>・・・・・

* これは、センチメンタルなものですよね。突っ込んで欲しいですね。

応援クリックをして戻ります。




9. Posted by Tom   2009年10月05日 11:08
toshi先生、こんにちは。
小学校で読み聞かせをしているので、家庭での読み聞かせが、本好きな子?を育てる手段のように扱われていることが、とても気になりました。
本来、読み聞かせの一番の意義は、子どもとの心の交流にあると思うのです。
同一の、本の世界を共有する。
同じ世界を旅する。
たとえ同じ本でも、その時の体調や気分はもちろん、聞き手の年齢によって、その都度、新しい気持ちで向き合うことができると思うのです。
実際、娘の通う学校で読み聞かせが始まった一番の理由は、子どもたちの心の落ち着きを願ってのものでした。
本に親しむとか、聞く態度を育てるとかは、おいおいでよい、とにかく、子どもの心に平穏をもたらして、穏やかに朝の時間を過ごさせたいというものでした。
その試みは、4年たった今、とても成功していると感じています。
つづく
10. Posted by Tom   2009年10月05日 11:08
読み手の私も、毎週子どもたちの反応に一喜一憂させてもらっており、ことに同じ気持ちを共有できたときの、教室内に満ちるあの空気は、本当に味わい深いです。
こちらも、子どもたちの反応に勉強させていただいている気持ちで臨んでいます。
また読み手のお母様方や校長先生との意見交換で、本選びも勉強になっています。
そんなわけで、読むのが好きな私にとっては、読み聞かせが、本好きな子を育てるただの手段という感覚をお持ちの先生がおられるというのであれば、それはとても残念で悲しいことだと感じています。
各ご家庭で、お子さんとの交流やスキンシップを図る方法は、いくらでもあるわけですもの。
ちなみに、我が家の娘は、読んでもらうのは好きでも、悲しいかな、読書好きではありません・・・。
長文失礼いたしました。
11. Posted by toshi   2009年10月06日 05:43
今日さん
 いつもお世話になります。
 貴ブログにおいて、『教育者の良心』とか、『ふつうの人の自然な感情』とおっしゃっていただき、これこそが大切なのだと感じました。
 このテーマでも、記事を書かせていただきたいと思いました。
 ありがとうございます。
12. Posted by toshi   2009年10月06日 06:31
Tomさん
《各ご家庭で、お子さんとの交流やスキンシップを図る方法は、いくらでもあるわけですもの。》
 わたしが、記事中のメールをくださった方へ返信させていただいたときも、一番強調させていただいたのはこのことでした。
 けっきょく一番大切なのは、お子さんの心を育むことですものね。
《読み手の私も、毎週子どもたちの反応に一喜一憂させてもらっており、ことに同じ気持ちを共有できたときの、教室内に満ちるあの空気は、本当に味わい深いです。》
 心がつながった瞬間ですね。これこそが大切にされなければなりません。
 教員も、こうすればこうなるなどというのではなく、心の交流こそ、大切にすべきですね。
13. Posted by ドラゴン   2009年10月06日 19:07
拙コメントを取り上げていただき恐縮です。
世田谷の件は、ご指摘の通りです。
子どものことを考えてのことか、大きな疑問です。

「しかけどころ」もまさにそうですね。
総合的な学習の初期に「カラスの実践」という一部で有名な実践がありました。
この先生は、カラスを教材にできないかと考え、何日も前から、朝の会などの授業以外の時間に「今日はカラスが多いな、どこから来ているのかな」などと、少しずつ話題に入れていきました。
そうして、総合の時間になったときに、「みんな、何について勉強したい?」と問うと、クラス全員が「カラス!」と答えました。そうすると、あとは自然に子どもが走ってくれます。保護者と近県の状況まで調べた子どももいました。

読書も大切ですが、それ自体は目的ではありませんね。読書はあくまでも手段です。子どもが知りたいと思えば、自分から読むようになると思います。
(実際、そういう例も聞いております)

14. Posted by toshi   2009年10月07日 10:19
ドラゴンさん
 いつも資料の紹介など、お世話になっております。
 総合的な学習の時間は、何をやってもいい時間なので、要は、子ども自らが追求しようとしているかが大切なのですね。
 それには、子どもにとって、教材が生活のなかにあるかが問われますし、また、子どもにとっての『ふしぎのタネ』があるかも大切です。

 読書も、多様ですよね。『調べるために読む。』これは、『問題解決のために読む』のですね。こうした態度を養うことも大切ですね。
15. Posted by 猫紫紺   2010年01月21日 18:33
はじめまして。世田谷在住の母親です。
もっとも、以前PTAの件でトラックバックさせていただいてご報告しなかったことがあり、大変失礼致しました。

教科日本語、横にいる小2の娘に感想を聞いてみました。「教科日本語、好き?」と聞いたところ、苦い顔をしました。なぜそう思うかを聞いたらうまく表現できませんで、「なんかイラツク」、と申しておりました。
1年生の頃、娘は論語や絶句を、宿題で音読(後には暗唱)しておりました。当時は、日本語がいいのかわるいのかよくわかりませんでしたが、先生の記事を拝読して、モヤモヤが腑に落ちたように思います。ありがとうございます。
16. Posted by toshi   2010年01月21日 23:54
猫紫紺さん
 お嬢さんが、『イラツク』とお答えになったとのこと。本シリーズの(6)へも、ドラゴンさんから、同様のコメントをいただいています。
 おそらく、大多数の児童が、そうした思いを抱いていることでしょう。
 『イラツク』という言葉からは、のどとか胃とか、体に変調をきたしていなければいいがとちょっと心配になりました。
 一部の大人の勝手な思い込みは、こわいものだなあと、あらためて感じました。

 PTAのことを中心に、貴ブログに拙ブログ記事をとり上げていただき、感謝しています。今後ともよろしくお願いします。
  
17. Posted by 猫紫紺   2010年01月22日 15:01
Toshi先生
 丁寧な、わたしにはもったいないご返信をくださりありがとうございます。ご心配いただきました娘の体調は、大丈夫です。入学直後はいろいろあって大変だったのですが、ここ最近、娘本来の明るさを取り戻して今朝もるんるんで登校いたしました。
 教科日本語は、世田谷区のW教育長の肝いりで行われている、と娘の学校の校長先生から伺いました。
 世田谷区では、「子どもの権利条例」を制定したり、プレーパークを全国に先駆けて整備したりと、子育てする側にとっては、いいな、と思う点もたくさんあります。
 これは情報としてお受け止めくださいませ。

 これからもよろしくお願い申し上げます。
18. Posted by toshi   2010年01月23日 10:52
猫紫紺さん
 お嬢さんの体調はいいとのこと。よかったです。
 でも、これは、わたし自身の子ども時代の経験から書かせていただいたことです。意味のない空疎な学習と思うと、とたんに体に変調をきたしたことがありました。おそらく、そういう子どももいるのではないかと、心配になります。
 「子どもの権利条例」を制定したのなら、それを実質化してほしいなと思います。
19. Posted by あまと   2014年10月21日 19:28
初めまして。
このような、数年前の記事に対してコメントをさせて頂くのはどうなのかとも思いましたが少しお邪魔させていただきます。

私は世田谷区で、日本語の授業を受けていました。

短歌、俳句、古文、漢文。

最初はそれこそ、「こんなので授業数増えるとかやだぁー!最悪!」なんて感想しかありませんでした。

でも、やっていると段々楽しくなって、友達と競って暗記をしたりしていました。
言葉の選び方や、言葉の響きが好きになり、結局今では一番好きな科目、得意な科目は古典です。

私は小学校高学年からの開始だったためかもしれませんが…。

中学校に入ったとき、古典に対してとてもとっつきやすくなりました。
中学校、高校に入っても、小学校でやった物が出てなんだか懐かしく思い出しながら他の人より楽に取り組むことができました。

だから、私は世田谷区で日本語の授業を受けて良かった!と思っています。
進路にも深く影響を及ぼしました。
知り合いにも、日本語の授業がきっかけで哲学者を目指すといっている子もいます。

勿論、忌避感を産んでしまう子供もいるとは思いますが、こうして日本語の授業を喜んでいる子もそれなりにはいると思います。
賛否両論あるのは当然とはありますがなんとなく寂しいような、なんともいえない気持ちになったもので、突然失礼させていただきました。

こんな人もいるんだなぁ、程度にお心に留めて頂ければ幸いです。

それでは、突然、まただらだらと長文になってしまい大変失礼いたしました。
20. Posted by toshi   2014年10月25日 05:30
あまとさん
 はじめまして。コメントをありがとうございました。わたしのブログは過去記事もかなり読まれており、こうしてコメントをいただくことも少なからずありますから、どうぞ、お気になさらず、よろしくお願いしたいと思います。
 あまとさんのようなお方もいらっしゃることよく分かります。さらに申せば、大変誠実な方とお見受けしました。《最初は「こんなので授業数増えるとかやだぁー!最悪!」なんて感想しかありませんでした。》
とのこと。そう。大多数の子どもはこの思いのままでいってしまうのではないでしょうか。あまとさんの場合は、あまとさんご自身の個性が合致したのでしょうか。また、担任の先生の指導力、ないしは担任との波長が合ったのでしょうか。おそらくそれらが合わさって、ある意味幸運に恵まれたのかもしれません。
 いずれにしても、いろいろな子どもがいることはよく分かります。また、あまたさんやお友達のように、能力を開発してもらったというのも分かるつもりです。
 しかし、純粋に教育論として語った場合はどうでしょうか。やはり《日本語》なる教科は、未来を担う日本人の育成に大事と思われますか。つい最近記事にした、《どの子にも合わせた授業を!!》の日経社説などをご覧いただければ幸いです。
 ごめんなさいね。《こんな人もいるんだなぁ程度に》とありますのに、最後は大変オーバーな記述になってしまいました。
 

コメントする

名前
URL
 
  絵文字