2009年10月08日

教員採用試験に合格、おめでとう。(1)4

7b327d5a.JPG Aさん。

 教員採用試験合格、おめでとう。ほんとうによかったね。

 非常勤講師としての、日ごろの努力をよく知っているだけに、わたしも、とてもうれしい。校長先生はじめ、多くの先生方も喜んでいらっしゃった。


 それにしても、毎日、仕事をしながらの採用試験準備は大変だったことだろう。

 Aさんは、よく教材研究や授業の準備をしている。ほんとうに、頭の下がる思いだ。また、子どもにも好かれているから、採用後は、さらにすてきな教員になることだろう。

 奮闘を祈っているよ。




 さて、読者の皆さん。


 わたしの本来の職務は初任者指導だから、教員採用以前の非常勤講師にかかわることは原則的にはない。


〇しかし、席が隣り同士のためか、

 わたしが日ごろ、初任者指導しているとき、その言葉を聞き逃すまいとしていることはよく分かっている。だから、事実上、Aさんにも指導している感じがしていた。


〇さらに、7月ごろだったかな。

「toshi先生。わたし、今度、自分が所属しているサークルで、研究授業をすることになったのですが、指導案をみていただけますでしょうか。」

 すごい。教職への熱い思いを感じた。これじゃあ、一肌脱がないわけにはいかないよね。

 喜んでその依頼を受けることにした。


〇また、Aさんは初任者の学級で授業をすることもあったから、そのときは、Aさんの授業をネタに、初任者指導することもあった。


 本記事では、そんな指導の一断片を紹介させていただこうと思うが、


 そのまえに、すみません。話を大きく変えてしまいます。



  
〇これは初任者に限らずだが、こんな質問を受けることがある。

「授業というのは、どのレベルに合わせたらいいのでしょうか。学力の高い子に合わせれば低い子はなかなか理解できないでしょうし、低い子に合わせれば高い子は物足りないでしょうし、悩んでしまいます。」

 そうすると、わたしは、
「どのレベルの子にも合わせなければいけませんよ。」
と答える。すると、だいたい、多くの教員は、『そんなことができるのか。』と言わんばかりに、ポカンとした表情をみせる。


〇わたしは、前記事『貧困と子どもたち』の末尾に、『いくら教育が大事といってお金をかけても、公教育の中身が問われなければ、ほんとうの意味の格差是正にはつながらない。』と書かせていただいた。

 今、『子どもの貧困が教育格差を固定する。』と言われているとき、公教育ががんばらなければ、貧困の子どもは救われないことになる。


 そうだ。

 ドラゴンさんが、ご紹介くださったブログにも、そのような記述があった。『子どもの教育を考える。』の記事だ。

 『〜。このような状況を改善するために、公立学校が果たす役割は大きい。教育には格差を縮小し、平等化する機能がある。財政難であることは百も承知だが、すべての子どもが通える公立学校の充実が、格差の是正には欠かせない。』


 そうか。『どのレベルの子にも合わせた授業』は、教育格差是正につながるのだ。




 それでは、話を戻させていただいて、

 わたしは、常々、『教員の指導力アップ』が大切と述べている。その指導力とは、どのようなことか。今回は、『どのレベルの子にも合わせた授業』という観点で、2回にわたり、Aさんの授業をとり上げてみたいと思う。


 とり上げる授業は、4年生の算数。小数の学習に入ったところである。


 

 その1

 0から2までの数直線が黒板に貼ってある。全体を20刻みにし、長めの目盛りのところには、『0』『1』『2』の数値が書いてある。

 そして、問題は、『1.8を指しましょう。』というもの。


 Bちゃんが指名された。Bちゃんは、黒板のところに出て、最初は1.5のところを指さし、そこから、順次1.6、1.7、そして、最後1.8のところを指し示し、みんなの方を振り向いた。その間、終始無言。

 教室からは、一斉に、『いいでえす。』『合ってまあす。』の声。

 Aさんも、『はい。そこですね。』と言って、大きな丸を赤で書き、次へ進んだ。


 Aさんに限らず、また、初任者に限らず、これですませてしまう教員は多いだろう。きわめてふつうの授業パターンだ。

 そして、その後、指導者主導で授業は進んだのだけれど、



 しかし、よく考えてみよう。

 これでは、『分かる子は分かる。』『分からない子は分からない。』まま、授業が進んでいると言えないか。どちらの子も、ここで何かを身につけたという感じがしない。



 ここで、指導者は、こうなげかけることができたらすばらしい。

「今、Bちゃんはおもしろいことをやったよ。いきなり、1.8のところは指さなかったね。」


〇子どもが言ったりやったりすることを注視することが大切だ。

 子どもがやることには意味がある。そこには、子どもを伸ばすきっかけになる材料がいっぱい転がっている。

 指導者がいつもこういう態度で授業に臨んでいると、子ども同士も、お互い、友達が言ったりやったりすることを注視するようになる。その結果、上記のような指導者の投げかけも、子ども同士でやるようになる。

 まさに、問題解決学習の真骨頂。子ども同士が主体的に追求しようとする心を養うことになる。


〇上記のなげかけは、発問だろうか。

 わたしは、こういうところも気にする。

 そうだ。発問ではない。指導者がつぶやいたに過ぎない。だから、子どもは何を言ってもいいし、また、何も言わなくてもかまわない。つまり自由度が高いのだ。

 ここにも、自ら主体的に物事にかかわろうとする心を養うきっかけがある。


〇子ども同士言ったりやったりすることは、子ども同士で共感したり、分かり合ったりすることが比較的容易だ。子どもの話は子どもの方がよく分かる。


 ちょっと話がそれるが、

 たとえば、0から0.5までを5等分するとする。大人の世界なら、無意識にやってしまうこの作業。

 ところが、子どもの中には、それを見て、『それじゃあ、4等分じゃん。』と言う子がいる。何でも言い合える学級づくりが進んでいれば、けっこうこれは出てくる可能性がある。

 さあ。大人の皆さん。なぜ、そう思う子がいるか分かりますか。・・・。分からないでしょう。ところが、子ども同士なら、けっこうこれが分かり合えるのだ。


 なぜか。

 それは、0から0.5までのあいだに、目盛りを4つ打ったから。


 ごめんなさい。これは、それた話だから、このくらいにしておくが・・・、子どもの思いを大切にすると、子どものつまづきも見えやすくなる。



 それでは、上記、指導者の、『今、Bちゃんはおもしろいことをやったよ。いきなり、1.8のところは指さなかったね。』というつぶやきがあった場合、子どもはどう反応するだろう。

 想定してみよう。

C「そう。どこを指したか分かるよ。Bちゃんはね。1.5のところを指したの。」

T「そうだね。初めっから、答えの1.8を指したのではなかったね。」

C「1.5のところは、ちょっと目盛りが長めになっているでしょう。だから、見つけやすいの。それで、1.5を初めに指して、そこから、一つずつ、1.6、1.7って数えていって、最後に1.8を指した。」

C「それだったら、1のところはもっと目盛りが長いじゃん。だから、1から数えればいいんじゃない。」

C「そうだけれど、1から数えたらたくさん数えなければならないでしょう。時間がかかっちゃう。それで、ちょっと長めの1.5から数えたのじゃない。」

C「そう。だから、Bちゃんのでいい。」

C「それなら、2から数えればいい。2は1と同じだけ長い目盛りだし、目盛りを反対に数えていけば、1.9、1.8って、2回数えるだけだよ。だから、そちらの方が早い。」

 以上、こうしたやり取りが期待できる。



 ここで、わたしが一番言いたいことは、


〇こういう授業が、どの子も参加でき、どの子にも分かる授業なのだと考える。

 学力の高い子は、一生懸命思考力を発揮する。『1.8の答えが分かればそれでいい。』のではなく、

・どう問題解決するのが早いか。
・どう問題解決すると応用がきき便利か。

などまで追求しようとする。

 逆に、学力の低い子は、『なぜ、そこが1.8』なのかを、ストンと納得がいったかたちで理解することができる。


〇次に言いたいことは、

 『問題解決は子どもの学習においても協業だ。』ということだ。

 一人ではなかなか解決できなかったり、多様な見方ができなかったりする。みんなで追求することによって、見方が広がったり深まったりする。

 『友達のおかげで、』

 こうした思いを大切にし、養うことができる。


〇読者の皆さんの中には、次のように思われる方がいらっしゃるかもしれない。

・指導者が、Bちゃんのやったことから、そこまで、学習の見通しをもつというのは価値あることかもしれない。しかし、そんなのは、いわば名人技。誰でもできるものではない。

・Bちゃんはたまたまそういうことをやったに過ぎない。いつもそういう場面が現れるとは限らない。いわば、偶然だ。偶然にたよる指導でいいのか。 


 この場面だけとり上げれば、確かに偶然だ。起きるかもしれないし、起きないかもしれない。

 しかし、問題解決学習は、子どもが主体的に学ぼうとする心を日ごろから養っているから、何らかの偶然は必ず起きる。そのように子どもは育っている。

 子どもは生きているのだ。活動しているのだ。何もしない(受身)ということは考えられない。


 もっと言えば、指導者が、『〇〇ちゃんは、こうしたことを言うのではないか。こうやるのではないか。』という見通しをもつことも可能になる。いわば、教材研究ならぬ、子ども研究だ。

 もちろん、裏切られる(?)ことも多々ある。しかし、そうした努力を積み重ねることによって、子どもがだんだん見えるようになっていく。

 『子どもに対し、忠実。』ということ。これは名人技とは違うだろう


 現に、わたしが担当する初任者は、今、まさに発展途上。こうしたことができるようになってきている。もちろん、うまくいかず反省することもあるけれどね。


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 以下の話は、初任者にもAさんにも話していませんが、

 本記事で例示した学習内容を、もし、教え込みでやったら、4年生としては、やさしすぎる学習になってしまうかもしれません。どちらかと言えば、学力の低い子のための授業になってしまうでしょうね。

 受身の子どもは、それほど主体的に思考力を発揮しませんから、学力の高い子は、お客さん状態になってしまうと思います。



 だいぶ長くなってしまいました。
 
 『その2』は次回にさせていただきましょう。


 なお、次回は、『子どものやったり言ったりしていることをしっかりみとる。』こととは違う内容になります。

 指導者の教材への洞察力と言ったらいいでしょうか。『偶然ではない。』部分に属する教材研究をとり上げたいと思います。

 ここからは、非常勤講師Aさんのよさも見えてくると思います。 
 

rve83253 at 15:45│Comments(0)TrackBack(0)算数科指導 | 初任者指導

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