2009年10月10日

教員採用試験に合格、おめでとう。(2)4

a9c7538c.JPG 教員採用試験に合格したAさん。

 前記事にも書かせていただいたが、よく教材研究や授業の準備をしている。それも、楽しそうにやっている。

 そんなAさんに、わたしは、よく声をかける。

「うわあ。きれいにできたね。子どもたちは楽しく学習ができそうだ。」


 その一つとして、上の写真をご覧いただきたい。これも、Aさんの『作品(?)』である。

 
 この作品は、前記事で紹介させていただいた学習の続きとして、この授業の後半に使われた。小数の足し算である。


 それでは、前記事に引き続き、Aさんへの指導の様子もまじえながら、授業の後半にふれさせていただこう。




 その2



〇Aさんの工夫は、すばらしいものがあった。


 わたしは、Aさんが一生懸命作品をつくっていたとき、その工夫に気づかなかった。授業を見ているときに気がついたのである。

 思わず、ニヤッとしてしまった。『なかなかやるじゃないか。』そんな思いだった。


 それは、上記写真一番右のビンの絵の上に示した斜め長方形の存在である。

 これは初め、そのビンの下、黄色に塗られたところにぴったり重ねられていた。だから、気がつかなかったのだね。

 そして、いよいよ足し算の学習に入ったとき、この部分がはがされて、左側のビンの黄色の長方形の上に貼られたのである。

 子どもから、
「あっ。やっぱり、0.8になった。」
の声あり。


 さて、
 
 『どの子にも理解しやすい授業になるように。』との願いをこめて、このような視覚に訴えての教具を自作することは、多くの教員がやっているだろう。このような操作によって、頭の中だけではない、具体的な思考を展開することができる。

 学力の低い子にとっては、とてもいい教具となるだろう。


 が、しかし、これ、学力の高い子にとってはどうだろう。

 『そんなこと分かっているよ。』『まどろっこしい。』『早く先へ進もうよ。』ということになるのではないか。

 学習にもあきて、集中力がと切れることも考えられる。


 その辺のところは、こうした教具をどのように扱うか、授業者主導か、子どもの考えを中心に進めていくかなどとは別に、

 指導者の授業の流し方、及び、教材、教具へどれだけの洞察力をもつかによるところ大であって、工夫だけではいかんともしがたい面がある。


 
〇それでは、どのような展開が考えられるか。


 授業後、Aさんに話す。

 「とてもよく工夫されていた。よかったよ。・・・。でも、Cちゃんなんかは、Aさんが一生懸命話しているとき、もう、あきてしまったようだった。まじめな子だから、聞いているふりはしていたけれど、あくびをかみ殺しているときもあった。

 そこでね。この、Aさんがつけたビンの目盛りだけれど、このビンを横に倒してみるよ。なんか気づくことはないかな。」

 すると、Aさん、

「あっ。数直線になりますね。そうか。数直線なんだあ。」

 ものすごく大きく、すっとんきょうな声を上げた。


 わたしは、そうした反応に、Aさんの柔軟性を感じ、心打たれた。『こんなに感動してくれるとは思わなかった。いい先生になるだろうなあ。』


 さあ、それでは、その先、どのような学習が期待できるか。

・子どもたちは、それまで、ビンの中身をジュースの量としてしか見ていない。0.5リットル入ったビンにもう一つのビンに入っている0.3リットルがつがれたイメージだ。

・しかし、ここで、数直線でもあることに気づいたら、

 まず、ジュースの量という具体的なイメージだったものが、より抽象化されたイメージに変わる。

 次に、授業前半(前記事の『その1』)と関係づけるようになる。それまでは、授業の前半の『1.8を指しましょう。』と小数の足し算は、別々の学習だった。でも、この気づきを通して、『別々の学習をしているのではない。同じ数直線なのだ。』ということに気づくだろう。

・さらに、

 これを子どもがやってくれたら最高だが、

 しかし、やってくれる子がいなければ、指導者がやったっていい。『さっき、Bちゃんがやったことを、やってみるね。』

 これは、指導者主導にはならない。だって、Bちゃんがやったことを、指導者が追体験(?)しているだけだもの。

 横に倒したビンの目盛りの0.5をまず指し示す。そして、ゆっくり、0.6、0.7、そして、最後に、0.8を示していく。


 そうすれば、子どもは気づくだろう。そして、次のように言うに違いない。

「あれ。さっき、Bちゃんがやったこととおんなじだ。ということは、『ある小数がどこか。』というのと、『2つの小数を足す。』のとは、同じ学習なのだ。」

「そうか。さっき、Bちゃんは、1.8がどこかを分かりやすくするために、最初、1.5を指し、次に、1.6、1.7、そして、最後に1.8を指したのだけれど、これは、1.5+0.3をやったことになるのだね。」


〇このようなことを、指導者が説明してもたいした意味はない。受身の子どもなら、かえって混乱する。
 
 しつっこいようだが、子ども同士が思考をフルに発揮するからこそ、意味があるのだ。まさに、『子どもが発見した知識(?)』だものね。そして、Bちゃんのおかげと、もう一つ、みんなで切磋琢磨した結果、発見できた知識だ。

 その結果、学力の高い子も夢中になる学習が展開されることになる。


〇この話をした後、Aさんは感動したようだった。そして、
「もう一回、この学習をやり直します。」
と言った。

 わたしは、あわてて、
「何もやり直す必要はない。わたしの指導を受けたからと言って、いちいちやり直していたのでは、時間が倍かかってしまう。そんな時間はないはずだ。

 次にやるのは小数の引き算だろう。引き算の学習でも、以上、述べてきたような学習はできると思わないかい。」


 そして、その日がやってきた。わたしは初任者の授業をみていたから、残念ながらAさんの授業をみることはできなかったのだが、あとで、うれしそうに報告してくれた。


 Aさんがビンを横に倒すと、子どもたちは、『あっ。数直線だ。』と、発見の喜びを感じさせる声を上げたのだそうだ。

 そして、Aさんが目盛りを指す指を黙って移動させると、

 もう、Bちゃんがそれをやってから数日たっていたにもかかわらず、また、引き算だから、指の動きは反対方向へいくにもかかわらず、子どもたちは、『あっ。このまえ、Bちゃんがやったのとおんなじだ。』と言って、感動の声を上げ、喜んだという。



 さあ。これで、授業についての話は終わりにさせていただくが、最後にふれさせていただきたいことが2つある。


 
〇Aさんは、今のところは、やはりAさん主導の授業になりがちだ。しかし、子ども主体の学習を進めるよさに気づいてきている。

・何より、子どもが楽しそうだ。いきいきとしている。『分かった。』『そうか。そういうことか。』『なるほどね。』などという子どもたちのつぶやきが、Aさんを驚かせることもある。

 逆に、一生懸命Aさんが説明しても、子どもたちはつまらなそうな顔をして、このようなつぶやきはついぞ出てこないのだそうだ。

・どの学力の子もいきいきと学習に取り組めるよさにも、気づいてきている。それは、関係づける力、深めたり発展させたりする力など、思考力を育むことが鍵をにぎる。そのことにも気づいている。 


 そのAさんが合格。次年度、教員として採用される。

 Aさんのひたむきな心、柔軟な心、そして、何より子どもに好かれているということ。

 すてきな教員になることだろう。



〇拙ブログでは、これまでも、このような初任者の授業を紹介させていただいている。もうかなり前になるが、読者の方から寄せられたコメントで、忘れられないものがある。それは、教職にある方ではなく、一般市民の方だった。

 その方は、『パワフル算数』なる記事にコメントをくださった。亀@渋研Xさんとおっしゃる。同コメントの10番である。ここには、同氏ブログのURLが貼り付けられているので、リンク先を拝読することもできる。


 そこには、『よいものを見たのでおすそわけ』という題がついており、一部抜書きさせていただくと、

・小学校2年生の算数の授業でのできごとがつづられている。〜、発展的に学ぶというのはこういうことだろうと思う。必ずしも発展的教材を用意するということではないはずだ。

・ぼくらは「学ぼうとする主体を育てる」しかないのではないか(自分のなかにも、第三者にも)。自然科学は道徳やしつけの根拠にはなりはしないとぼくは思う。しかし、それは科学やロジックという「方法論」がぼくらの道徳や倫理(あるいは道徳観、倫理観)に対してなんの働きも持ち得ないということではない。初等算数であっても、そこで科学あるいはロジカルであろうとすることを学ぶ姿勢は成長を促すに違いない。

・こうやって考える力を磨くこと、異なるレベルの理解をぶつけあって次のステップへ進む体験を重ねた子どもたちは、自分には理解できないあやふやな「ロジックもどきの言説」に盲目的に頼ろうとすることはしないに違いない。少なくとも、そのように育つために有効な体験だろうと思える。

・「ロジックもどきの言説」とは、もちろん『水からの伝言』や『ゲーム脳』などといった「ニセ科学」を含むが、それだけではない。統計の恣意的な利用なども見抜けるようになっていく、少なくとも異なる立脚点に基づく議論を自分のなかで再現できる人間に、齟齬を見抜ける人間に近づいて行けるに違いないと思える。

・「もっと有能なリトマス試験紙(のようなもの)が欲しい」

 そして「リトマス試験紙を使うだけで済ませたい」あるいは「試験結果だけを知らせてほしい」ということだろう。これは怠惰だ。

・逆に「マスコミなんか話半分だと聞いておけばいい」というような諦念も、思考停止だという意味で実は同根なのではないか。


 同ブログ記事の抜書きは以上だ。



 このコメントには実に感動させられた。

 わたしの方が多くのものを学ばせていただいた。


 わたしたちが目指す問題解決学習が、未来を生きる市民に、論理的、科学的な追求態度を身につけさせる力を持つとは信じていたけれど、

 このコメントをいただくまで、道徳観、倫理観に結びつけて考えることはなかったといっていい。

 これ以後、わたしは、同学習による実践を道徳性の涵養とも関係づけて考えるようになった。


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 Aさん。

 この授業では、記事には書かなかったものの、いい発言があったのだよね。

 Dちゃんだった。

「リットルで計算すると小数になっちゃうけれど、デシリットルで計算すれば、5+3になるから、これなら、1年生だって計算できる。」


 これも、大事にすればよかったね。

 たとえば、数直線上に赤でリットル、黄色でデシリットルを表すようにし、どちらもその色チョークで数値を示してやるとか、これをビンのメモリの方でやってもいいのだけれど、そうすると、

 算数って、どの単元も、それまで学んだ知識・技能で一応は解けるようになっている。だけれど、新しく学んだ知識や方法で解くと、早かったり便利だったり応用が利いたりするわけだ。

 そのことを子どもに実感させることができると、子どもは楽しく学ぶようになると思うよ。  

rve83253 at 14:55│Comments(2)TrackBack(0)算数科指導 | 初任者指導

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この記事へのコメント

1. Posted by yoko   2009年10月15日 01:17
こんな風に、ビンの目盛りが数直線になったり、リットルをデシリットルに置き換えて計算すると…
こうやって、一つの物事は、色んな角度から見ることができるということを肌で感じ学ぶのですね。
こういった物の見方は、算数にとどまらず人間関係においても大事ですね。まさに生きる力を育むことになるのでしょうか。
A先生の今後がとても楽しみですね。
2. Posted by toshi   2009年10月17日 07:42
yokoさん
 
 ほんとうに、それまで別々と思っていたのが別々でないと分かったときの驚き、感激。また、同じ計算でも簡単にできる方法もあれば、利用価値の大きい方法もあるといったことも驚きや感激をもたらすのですが、そういう力を数学的な思考力というわけです。
 ほんとうなら、こういう指導は、いろいろな能力の子がいる公立校の独壇場と思うわけですが、そうなっていない現状がある。
 そこで、教員の指導力アップの取組が必要になる。それこそ、切実性と必然性があるはずなのですけれどね。
 これからも、現場とブログでがんばっていきたいと思います。
 ありがとうございました。

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