2009年10月23日

朝日新聞社説の感激4

asagao 朝日新聞を購読されている読者の皆さんは、あるいは、気づいてくださったかもしれない。

 19日、同新聞の社説の見出しを見て、わたしは、『あらっ。』と思った。『新政権の日本 「学校自治」に変えていこう』とある。

 『わたしが拙ブログの民主党マニフェストシリーズに書いた、『学校理事会』設置支持の意見と同じ論旨ではないかな。』

 そんな思いで、一気に読んだ。

 
 今、同社説にリンクをさせていただこう。ただし、本リンクが有効なのは、あと2日に過ぎないようだ。

    朝日新聞 社説 『新政権の日本「学校自治」に変えていこう』


 なんか、夢をみているみたいだった。


・ついこの前書いたことを繰り返させていただくが、

 これまで、わたしが書いてきた、望ましい学校教育の模索。

 それは、たとえば、次のような過去記事にあるのだが、

    真の主権者は? 06・2・27

    教育再生会議の提言に思う。(4) 教育の地方分権を 07・2・19

    昨日の『たけしの日本教育白書2008』をみて、 08・11・23

    学校教育の復権を! 08・11・1

  
 これらの記事を書いているとき、『それがかなったらどれだけうれしいか。学校教育が民主化されるということは、子どもの主体的な学びが保障されることであり、子どもの幸せにつながっているのだ。』という思いはあったものの、

 時代が、こうした願いとは逆行し、国、一部地方行政府、地方教育行政府の独断的、専制的な教育行政が行われているだけに、実現は困難という思いもどこかにあった。


 しかし、民主党を中心とした連立政権が成立したことにより、事態は一変した。夢が夢でなくなった。実現性は高まったのだ。

 その思いを抱いたときの同社社説であった。 

 社説の、『鳩山政権は、この55年体制にもメスを入れ、地域や学校に大幅に権限を移そうとしている。』という文が、何とも力強い響きとして聞こえてきた。


・朝日新聞社説に喜びを感じるもう一つの理由。


 民主党マニフェストに、期待するところは大で、それは間違いないのだが、その一方で、教育委員会の位置づけについては、かなり強い疑問をいだいていた。   

 それは、

 民主党マニフェスト教育編(4) 教育委員会をめぐって 09・9・13   

にくわしい。


 しかし、同社説は、この辺、はっきり書いてはいないものの、『教育委員会と自治体の長との関係については、熟慮が必要だろう。』と、民主党マニフェストに疑問を提示しているようにみえる。

 だから、同党マニフェストより、わたしの考えに近い感じだ。『これは強い味方が現れた。心強いな。』の思いを強くした。




 それでは、同社説をくわしくみていくことにしよう。



〇まず、見出しの『学校自治』なる言葉にすっかり魅せられた。わたしの主張を、的を射た言葉で、端的に表記してくれたように思った。

 こういう言葉はいいね。まだ一般的に通用する言葉にはなっていないと思うが、新時代の学校教育の姿をよく示していると思う。
 
 
 これは、『学校理事会』設置にかかわるので、同趣旨の拙ブログ過去記事にもリンクさせていただこう。

    『民主党マニフェスト教育編(1) 『学校理事会』をめぐり』 09・9・2


 この点について、同社説は次のように述べる。

・(学校理事会を通して、)学校自治が実現するならば、学びの場は大いに元気を取り戻すはずだ。

・(親や地域と学校との)信頼関係の中で、(学校運営の方策等を)決めていく。

・(学校理事会が)教師の創意工夫を尊重し、質の高い実践が生まれるよう支援する。


 わたしは、ここから、瀬見井前犬山市教育長の言葉を思い出した。

『学校、教師に、責任と権限を与える。自由にやっていい。そうすると、教師は燃える。いい仕事をする。教師は多忙と言うが、自発的に行う仕事に多忙感はないはずだ。』


 そうだ。

 国や地方行政府が、よけいな口出しをせず、地域・保護者・学校に多くの権限をゆだねれば、学校理事会の多くは燃えるはずだ。自分たちの夢がかなうのだものね。

 そこに信頼関係が生まれる。

 
 でも、そもそも、民主主義とはそうしたものだろう。国民を信頼しない民主主義は、本来、ありえないのだ。



〇こんな論述もあった。

・改革が進めば、日本の義務教育の風景は、一変することになるだろう。

 ああ。そうなってほしい。

 子どもが主体的に生きることができ、楽しく充実した学校生活を送れるようになれば、保護者も満足できるはずだ。学校が明るくなるに違いない。そんな思いにもなっていく。


 その『一変する姿』の一例。


 今、我が地域においても、教科書採択の広域化が進む。

 地方教育行政府がこの権限を強く握りたがっている。教科書を使うのは、子どもと教員であるのに、地域住民、保護者、教員を、この決定権限から排除している。


 そうした地方教育行政府は、地域住民、保護者や学校を信頼していないのだね。新政府の方針の、まさに逆をいっている。

 その結果、どうなるか。

 現に、今、我が地域の一部教員は、『いいのだよ。教科書を教えるのではない。教科書で教えるのだ。地方教育行政府が授業をするわけではないのだから。』と開き直る。

 『教科書を教えるのではない。教科書で教えるのだ。』とは、元来、問題解決学習を指向する教員の、『教科書に記された学習内容を教えるのではない。教科書は指導する際の手段に過ぎない。』という意味なのだが、ここでは、開き直りの言葉になってしまっている。


 さあ。新政権のもと、学校理事会による教科書採択が進めば、こうした時代逆行の動きは一変することになるであろう。まさに、子どもが主人公の学校づくりがおし進められることになる。



〇同社説は、学校理事会の使命を次のように説明する。

・地域の実態や子ども一人ひとりに合わせた教育を、ひざ詰めで話し合う。

・学校行事からカリキュラムの組み立て、教科書採択、校長の人選まで、信頼関係の中で決めていく。

・教師の創意工夫を尊重し、質の高い実践が生まれるよう支援する。


 わたしのこれまでの論述を、短く端的な言葉で示してくれた。ほんとうにうれしく思った。


 ここで特にふれたいのは、教員の意識改革も進むことになる。

 同社説の記述をもじって言わせてもらえば、

・(これまでの)ピラミッド型組織から脱却し、

・(上からの)指示に振り回されることなく、

「子どもに向き合う時間がとれないと悲鳴を上げることもなく、

仕事をすることができるようになるのだが、

 同時に、学校理事会の理念、要請に応えるべく努力していくことが必須となっていく。

 また、これまでもさんざん述べてきたように、学校理事会への説明責任を果たすことも大切になっていく。

 つまり、各学校の教育活動の主体は各学校理事会となるので、記事の言葉を使わせていただければ、『サラリーマン化した教師の質の低下』も防げることになる。


 これまでと、時代が大きく変わることを認識し、従来型の知識・技能偏重の教育をしているのなら、授業も一変させる必要がある。

 

〇ただ、同社説に違和感をもったところもある。


・まず、『校長の人選まで、』学校理事会が行うとしている点だ。

 これは正直言って無理だろう。民主党マニフェストもそこまでは言っていない。


 なぜ、無理か。

 たとえば、

 A学校理事会とB学校理事会が、C校長の取り合いをし、などということはあってはならないと思うからだ。

 『こんなタイプの校長をうちの学校へ、』と要望するくらいなら分かるが。


・二つ目は、理解できない部分である。

 学校理事会の機能として、いくつか書かれたなかに、『地域の学校以外の選択肢をどう確保するか。』とある。

 これは、意味不明だ。

 『どう確保するか。』ということは、地域の学校以外の選択肢を、はなから認めていることになる。公教育において、全国一斉の学校自由選択制はありえないだろう。

 また、ある地域が学校選択制を認めたとしても、それは、学校単位で決めることではないように思う。だって、A学校理事会が学校選択制をとり、お隣りのB学校理事会は学区制堅持というのは、やっぱり変だよね。


・三つ目は、違和感というほどではないが、『教育委員公選制の復活を検討してもよい。』については、

 これはもう、拙ブログでさんざん述べてきたように、ぜひ、復活するように論陣を張ってもらいたいと思う。

 これも同社説の言葉をもじって言わせていただくと、『教育委員会と自治体の長との関係』が、明確になっていくと思われる。

 つまり、教育委員会(地方教育行政府)のとる諸施策は、地域住民に対し直接的に責任を負うかたちで行われるようになるから、自治体(地方行政府)の長とは、一線を画することが明確になる。



〇同社説は、保護者や地域に対しても、

・『親や地域住民である私たち自身の覚悟も問われることになる。』
としたうえで、

・『公教育は行政から提供されるサービスだ。』という意識がはびこっていないか。

と反省を迫る。


 これは、これまで、文字通り、国が教育を牛耳っていたことの裏返しであろう。その象徴ともいえるものが、同社説冒頭に書かれたあまりにもなさけないエピソードだ。

 わたしには、『学校教育の復権を!』で述べたように、あまり国に牛耳られているという意識はないのだが、どうも、マスコミ、また、多くの世論は、これを指摘する。


 とすれば、

 ここはやはり、

・『(親や地域住民が)学校づくりを引き受けることは、市民社会を鍛え、豊かにすることにつながる。』
のであるから、

・新しい時代の教育に夢を託すとともに、『その夢は、国民一人ひとりの努力によって成し遂げられるのだ。』との信念を持って、がんばっていきたいものだ。



〇最後に、同社説が言っていないところ。

・鳩山政権が発足して1ヶ月余。しかし、今のところ、本記事で論じている部分について、何も言っていない。

教員の指導力アップ策にもふれていない。


 ほとんど、お金にかかわる話ではないのだから、民主党マニフェストに示した改革の方向を、早く示してもらいたいものだ。


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 ninki

 
 
 本記事を書くにあたり、気になっていたことがあります。

 それは、学校理事会設置にかかわっての、ドラゴンさんの思い

 つまり、学校理事会が、一部市民の、『小学校は、読み書きと計算練習で充分だと主張されて、問題解決型の学習は否定』するような声に同調するようだと、学校教育はおかしなものになってしまうのではないか。』という声です。

 それ以外にも、以前、学校理事会が地域のボスに牛耳られることを心配する声もありました。

 これらについては、上記、『ドラゴンさんの思い』のリンク先に、ドラゴンさんのコメントに続くかたちで、わたしの思いも、コメントさせていただいています。

 なお、よりよい方向を模索していきたいものだと考えています。

rve83253 at 07:10│Comments(3)TrackBack(0)教育制度・政策 | エッセイ

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この記事へのコメント

1. Posted by さめじま   2009年10月23日 22:00
>教科書選択、校長の人選まで、信頼関係の中で決めてゆく。
>教師の創意工夫を尊重し、質の高い実践が生まれるよう支援する。

民主党政権は自由な反日教育ができるように制度を整備しろ!
という趣旨の社説である。

>核となるのは、親や地域が学校づくりにかかわる学校理事会だ。

「学校理事会」とやらの理事会員は、職業ではない。これをやって生活できるわけではない。
60歳を過ぎたって、働かないで済むとは言えない。
普通の人は他に職業がある。働かなくてはならん。
ところが世の中には不可思議な人間がいるもので、
例えば「つくる会の歴史教科書」の採択・不採択が決定される日、それは平日であるわけだが、その日に大集合し、反対運動をできたりする人間がいる。
こいつらは仕事はどうしているのだろうか?と。
このように平日から学校理事会などに入り浸っていられる人間は怪しげな人間である。
にも関わらずそんな場所に足繁く通い詰める事ができるのは、つくる会の歴史教科書の採択現場に現れたような連中である。
そんな連中が、教科書を選定し、校長の首まですげ替えようというのは実に空恐ろしい事であり、
これは正に朝日新聞の腹黒さの証明である。
2. Posted by toshi   2009年10月24日 14:48
さめじまさん
 学校理事会を構成するメンバーについては、民主党マニフェストにおいて、保護者、地域住民、学校関係者、教育専門家等と書かれており、朝日新聞社説においても、似たような表記しかしていません。
 したがって、どのような選出方法をとるかは分かりませんが、わたしは、本記事末尾の『ドラゴンさんの思い』をクリックしていただいた先に、『裁判員制度同様、無作為抽出によるのが一番いいのではないか。』と書いています。
 そうすれば、特定の集団に支配される心配はなくなりますよね。

 また、同社社説にも、
「学校と地域が連携する試みは、各地ですでに始まっている。」
とあるように、学校理事会の前身といえると思うのですが、学校評議員制度は、すでに何年も前からスタートしています。
 
3. Posted by toshi   2009年10月24日 14:48
 わたしは、5年前に退職した者ですが、この制度のスタート時、我が勤務校は、モデル校としてこの制度を採り入れました。そのときの様子については、すでに記事に書いたことがありますので、よろしければご覧ください。コメント2番のHNのtoshiのところをクリックしていただければ出るようにしました。
 ただし、スタート時であったこともあり、年間3回の開催でした。また、参加メンバー皆さんの都合をうかがい、夜間に開催しました。
 本記事に書いた学校理事会となれば、やはり、年間3回というわけにはいかないでしょうね。

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