2009年11月16日

思考力を育む算数の授業4

75e64c34.JPG 子どもたちはもえていた。どの子も豊かに思考力を発揮していた。

「ああ。そういうことか。」
「なるほどね。」
「すごい考え方だね。」

などという言葉がとびかった。


 初任者Aさんにとっては、課題の残る場面もあったが、おおむね、子どもたちは、楽しそうに、充実した思いで学習していた。いい授業だった。


 ただし、本記事では、初任者指導の色彩は薄めるつもりだ。

 思考力を育む授業、それは問題解決学習の授業でもあるわけだが、そうした授業の流れを中心に書きすすめていきたい。

 そうすることによって、読者の皆さんの多くが経験されたと思われる、知識・技能の押さえ中心の授業と、授業のパターンがいかに異なるか、ご理解いただけるのではないかと思う。



 本授業は、3年生の算数。『10倍した数』の学習である。

 そして、『20円のあめを10本買うと、代金はいくらになりますか。』という問題に挑戦する。この問題や、さらに、次の時間に扱う、『25を10倍した数は?』を通して押さえたい内容は、

・『×10』の解法を理解する。
・また、それは、『10倍する。』ということでもあることを知る。

となる。

 また、それらは、
・10倍することは、くらいを一つずつ上にあげることであることを知る。
・そのためには、1のくらいに0を一つつければいいことを知る。
ということでもある。


 なお、前時までに、かけ算としてではないが、『〇(1000、1万、10万、100万、1000万)を△個集めた数はいくつ?』という学習をしている。



 この授業の記事をお読みいただくにあたって、留意していただきたいことは、

・塾へ通っている子はもちろん、そうでない子のなかにも、少なからず、『本時の学習内容については、すでに解法を知っていそう。』な子がいると思われる。

 したがって、知らない子のために、懇切丁寧に解法を考え、とらえさせようとしても、それが教員主導である限り、もう分かっている子は授業に集中せず、あきてしまうおそれがあるといえよう。

・わたしはこれまで、『どの学力レベルの子にも合わせた授業を行わなければいけないよ。』と述べてきた。したがって、そうした視点でもお読みいただければ幸いである。

・もう一つ。算数という教科は、新しい単元に入っても、既習の知識・技能を駆使して解くことが可能である。したがって、ヒントカードを必要とする場合は、既習内容が身についていないということになる。そうした視点もおもちいただけたらありがたい。



 それでは、授業の概略を書きすすめることにしよう。


〇まず、各自、自分の力でこの問題を解くようにした。

 Aさんもわたしも、

 この文章題を解くにあたっては、『あらかじめ把握してある子どもの実態からみて、特にヒントカードなどは必要としない。』という見解だ。つまり、どの子もその子なりに自力で解決することができるという判断である。

 
 子どもたちは無言で、真剣に、文章題に取り組んだ。

 担任も、わたしも、机間巡視を始めた。案の定、どの子も、その子なりのやり方で、ノートに一生懸命書きこんでいる。『考えては書く。』を繰り返す子の姿もみられる。

 一つのやり方で解き終わった子は、『別な解き方はないか。』と、さらに挑戦している。これはいつもやっていることで、子どもたちは、挑戦意欲旺盛。手なれたものである。

 Aさんは、これも、いつもやっていることだが、ノートを見ながら、何人かの子どもに画用紙とサインペンをわたす。その子の解き方を書き写してもらう。黒板に掲示するためだ。

 そして、それが出そろったところで、みんなでそれらをもとに考えを出し合い、それぞれの解き方の意味、また、よさや問題点について話し合うことになった。


〇Bちゃんの解き方
 
9258e160.JPG これは、1本20円だから、単純に、20を10回たしていったわけだ。

 先ほど、『どの子もその子なりの自力解決ができる』と書かせていただいたが、それは、この解き方が念頭にあったからである。理解するのに時間のかかる子でも、これなら、容易に解くことができる。

 
 この解き方をめぐって、子ども同士で話し合いをしていると、

 Bちゃんは、順に、20、40、60、80・・・と単純にたしていったのだが、たし方もそれだけでないことが話題となった。

 Cちゃんが、『もっと早く答えを出すやり方がある。』と言って、後述のEちゃんの描いたあめ玉の絵を使いながら説明しだした。(Eちゃんの書いた説明の写真は、下へスクロールしていただくと、2枚目にあります。)


 それは、

 まず、2本ずつの束を作り、40円。

 次に、その2本ずつの束を足して80円。最後に、80+80+20とやったのだった。その方が早く解けていいということになった。



 ところで、

 読者の皆さんは、この授業場面をどうご覧になっただろうか。

「そんな、たし算など、時間のムダじゃない。だって、この時間は、『×10』とか10倍をとらえさせるのでしょう。たし方の勉強をしても仕方ないじゃない。」

と思われただろうか。


 しかし、わたしはこう考える。こうした学習過程は大事にしたいものだ。


・まず、『どの子も分かる授業』という視点がある。理解するのに時間のかかる子のためには、具体的、操作的であればあるほどよい。

・また、ここは、次の単元の学習内容である、『20×2』などの導入の役目もある。したがって、『20+20』を学ぶことは重要である。具体物を操作するなかで、『20+20』が『20×2』のイメージと重なっていくことをねらう。

・それでは、理解力のある子にとっては、ムダで退屈する時間だろうか。

 そのようなことはないだろう。Cちゃんに代表されるように、たし方に限定しながらも、早く解く解き方はないかと、一生懸命考えている。


 しかし、おもしろい。次のDちゃんにご登場願おう。


〇Dちゃんの解き方

71dcd823.JPG Dちゃんは、もう、『×10』も、10倍も理解している子だと思われる。でも、このDちゃんは、『すでに学習した内容で解かないと、分からない子もいるからかわいそう。』という思いを強くもっている子で、知っていながら、いろいろ解き方を工夫する。

 だから、ここでも、『10本ということは、5本の束が2つあること。』ととらえたのだね。


 ところが、おもしろい。

 Dちゃんは、『20円が5本』というところはたし算として説明したけれど、そのあとの、100円(5本の束)が2つあるというところでは、100×2とあるように、かけ算として説明した。

 3ケタのかけ算は、このあとの単元の学習内容だ。未習か既習かを大切にするDちゃんだが、ここはうっかりしたとみえる。


 したがって、ここでは、理解の遅れがちな子のために、担任が、100+100と置き換えてあげるとよかった。

 そうすれば、BちゃんやCちゃんがやった、全部たす解き方との共通点と差異点がうきぼりになっただろう。すなわち、どれも、たし方こそ違うが、たし算で解いている点は同じということだ。

 もう一つ。Cちゃんとはまた別な解き方で、早い解き方を工夫したことにもなる。


 つまり、整理すると、

・Bちゃん方式 20+20+20+20+20+20+20+20+20+20=200

・Cちゃん方式 20+20=40 40+40=80 80+80=160 160+40=200

・Dちゃん方式 20+20+20+20+20=100 100×2=200(100+100=200)

 また、前単元の『大きい数』では、『100円を2つ集めると200円』を学習している。したがって、Dちゃんの、『100×2』については、Aさんが、この考えに置き換え、復習のかたちにしてもよかった。


 なお、Dちゃんは図も描いている。

 これも分かりやすくてよかった。しかし、後述する、Eちゃんの、あめ玉10本の絵よりは抽象的である。

 ここは縦に5枚。横に2枚と書かれているが、縦は『あめ玉5本』。横は『(5本の束が)2束』というように、Aさんが子どもに尋ねながら修正してやるとよかった。

 そうすると、この図がもっと具体性をまし、そこから、かけ算をイメージできた子もいたのではないかと思われる。


 次、いよいよ、先ほどから話題になっているEちゃんの登場だ。これはまた、おもしろい。どういうタイプの子といったらいいのだろう。


〇Eちゃんの解き方

c9defe1a.JPG これはもう、絵であめ玉を10本描いている。一見どの子にも理解できる解き方を工夫したように見える。

 しかし、いざ、解き方となると、『20×10』とか、『20の10倍』とかいうように、まさに本時押さえたい学習内容を、何の抵抗もなく、サラッと書いてしまっている。


 そこで、Aさんは、かなり声を張り上げて、

「あっ。そうなの。これは、×10ということなんだあ。また、10倍ということでもあるのだね。」

と、トボケた声を発した。


 これはよかった。

 理解力のあるFちゃん、Gちゃんたちが、口々に、これまで学習した画用紙の説明を使いながら、

「そうだよ。だって、Dちゃんは、20円のあめが5本で、それが2束というように分けたけれど、いっぺんにやれば、5と5が合わさって、『20×10』となる。」

「Bちゃんは、20円を10回たしたけれど、これは、『20×10』っていうことと同じでしょう。」とか説明しだした。

 ほらね。先ほどのたし算はムダではなかった。このFちゃん、Gちゃんたちが、たし算とかけ算との橋渡し役をかってでてくれたことになる。

 こうした、関係づけ、深め合いは、理解力のある子たちの独壇場となる。


 そして、初めてこれを学んだ子たちは、

 答えは200と、もうすでに分かっているから、

「あれっ。20×10は、2×1をやって、あと、0を2つつければいいんだ。」
「そうか。簡単じゃん。」
「九九より簡単。」
「他も、そうかな。」
などと、まるで、『未知との遭遇』であるかのように、すっとんきょうな声を上げた。

 
 30×10、40×10でも同様であることを確認し、

 さらに、『1本25円だったらどうかな。』ということで、次時に入っていくこととし、本時の授業を終えた。


 
〇さあ。しかし、本記事では、もう一つ、まったくとっぴなHちゃんの解き方を紹介しよう。これは、Aさんもどうしてそんな解き方が成り立つか理解できなかったようで、Hちゃんの発言をサラッと受け流し、特にとり上げることはなかった。

 わたしはそれでよかったと思う。

 だって、こんな解き方までまともに扱っていたら、時間数がいくらあっても足りなくなってしまう。

 でも、時間があればぜひとり上げてほしい。価値ある学習ができただろう。

 そう思う解き方だ。


 それでは、読者の皆さん。

 何でそんな考え方が成り立つか、理解できるかな。


 Hちゃんは、ノートに、次のような文章を書いた。

 そう。図や絵もなく、ただ文章だけを書いたのである。


 それでは、どうぞ。

『20円の20を2として、2×10で、この答えは20だから、それにさっき取った0を付けて、200になります。答えは200円です。』


 読者の皆さんは、どう思われただろう。

『それは確かにそうなるが、しかし、なんで、わざわざそんな回りくどい解き方をやるのだ。』

 そう思われただろうか。

 この文章に、何の意味も見いだせないか。

 
 でも、これは、わたしのみる限り、これまでの学習がある程度理解できていたことの証明になる。

 そう。『ある程度』だけれどね。


 それは、こういうことだ。

 『20円の20を2として、』というのは、『20円を10円玉2個と置き換えて、』という意味だ。したがって、『2×10』というのは、20円のあめを10本買うとき必要な10円玉の個数を出したことになる。

 つまり、Hちゃんは、まだ授業では、20×10は学習していないので、どの子にも分かるようにという思いはある。そこで、つい最近学習した、『20を2に置き換えることは、金額を10円玉の個数に置き換えること。』を応用したわけだ。

 しかし、その概念は身についたものの、残念ながら、それを言葉で表すことはできないのだね。それで、『20円の20を2として、』というように、理解力のある子しか分からない書き方をしてしまった。

 でも、さらにおかしいのは、2×10にしても、まだ学習していないことに変わりはない。せっかくの心配りも、中途半端になってしまったことになる。

  
 
 授業の考察は以上だ。

 最後のHちゃんのノートは、授業に無関係だったわけで、どうもすみません。



 それでは、考察にうつるが、

 いかがだっただろう。


 問題解決学習。それは、どの子も、思考力を豊かに育むことのできる授業の創造なのだが、ご理解いただけただろうか。


・それには、理解の遅い子も、自分なりの解き方で、授業で活躍してもらわなければならない。そして、友達同士、どの考え方からも学ぼうとする気概をもたせる必要がある。

 少なくとも、10回たす解き方をバカにするような雰囲気があったのではダメだ。


・そうすれば、いろいろな解き方があることが分かり、しかも、

 それらは互いに共通点をもっていること。

 しかし、それぞれの解き方には、違ったよさがあり、解くにあたっての早さ、便利さ、応用力など、実に多様であること。

 そのなかで、今学んだ解き方が、一番いい解き方であること。(これは、でも、違う場合もありそうだけれど。)

などを実感することができる。


・教員主導の、知識・技能のおさえ中心の授業では、子どもは受身であり、学ぶ必然性、切実感もとぼしいことが多いから、どうしても、教えたそばから、もれ落ちてしまいがちとなる。


・そして、こうした学びこそ、ただ単に知識・技能を押さえるだけでなく、

 思考力に含まれるが、関係づける力、応用する力、深める力、追求する力など、『将来、社会にでて活用できる学力』を養っていることになるのではなかろうか。


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 『将来、社会にでて活用できる学力』

 それが意味するところは、

・まず、

 これこそ、まさに、PISA型学力、そして、全国学力調査のB活用問題に通じる学力観だと思います。

 それは、学びの主体である子どもの思いを大事にし、それを軸におし進める授業によって、はじめて成り立つといえるでしょう。


・社会にでれば、基本的に、たよれるのは自分だけ。

 もう、学級担任のような存在はないのですから、自力問題解決力、協調心、自立心などを養うことが大切です。


・そして、現代という世相を見るとき、こうした力を養うことは、急務といえるのではないでしょうか。

rve83253 at 14:10│Comments(15)TrackBack(0)算数科指導 | 問題解決学習

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この記事へのコメント

1. Posted by tatsuya   2010年12月05日 22:00
はじめまして。僕も教員なのですが、この間ここの授業をしました。ですが、このように問題解決学習はやっていません。教科書の図(あめと10円玉)を見れば答えはわかりますしね。
算数で考えを発表させたり比べたりするのなら、もっと難易度の高い問題でやるべきだと思います。
大多数のわかる子は答えが出た後は退屈だし、できない子も人の説明を聞くより、同じような問題をいくつか解いたほうがよっぽどできるようになると思います。

3年生の単元でいうと「べつべつに、いっしょに」というところでは説明をさせましたが。

問題解決学習は自分も一昨年まではやってました。しかし、算数嫌いは増えるし、授業はだらけるし、だめですね。研究授業を見ても、9割の授業で、話し合いや先生のまとめのときにチャイムが鳴って、1問解いておしまいっていうパターンでした。最低の授業です。

さらに、今のように教える内容が増えてくると、問題解決学習をダラダラとやっていたら終わりません。教科書をつかって、基本を身につけ、練習をしっかりさせるべきだと思います。

2. Posted by toshi   2010年12月06日 12:05
 tatsuyaさん
 以前も、同趣旨のコメントをいただいたことがあります。その方はご自分のブログにも算数の問題解決学習批判を書かれました。あぜんとさせられました。
 tatsuyaさん
 問題解決学習は、子どもが主体的に学ぶようになる学習です。答えを出してよしとする学習ではありません。
 思考力を発揮できる授業は楽しいものです。だらだらなどしません。また、どのレベルにいる子も生き生きと学ぶことのできる学習です。分かる子を退屈させないようにすることもできます。だから、算数大好きな子になります。
 そうした授業を初任者がやっています。拙ブログにはそんな授業が満載です。
 どうぞ、子どもが生き、また、生かす算数学習を
工夫してください。ダラダラなどしない問題解決学習を心がけてください。
 もちろん、教科書をつかって。基本も大切にして。
 教科書は問題解決学習の実践を呼び掛けていると思いますよ。

追加。
 こうして主体的に学んだ子たちは、反復ドリル学習など必要としません。やらないことはないですがね。ものすごく少なくて済みます。そして、全国学力調査の結果もいいのです。
《算数で考えを発表させたり比べたりするのなら、もっと難易度の高い問題でやるべきだと思います。》
 そんなことをしたら、低学力の子は浮かばれません。置いてきぼりを食ってしまうでしょう。どの子も伸ばす。それが問題解決学習の使命です。
3. Posted by tatsuya   2010年12月06日 22:36
返信ありがとうございます。
僕自身もまだまだ授業を試行錯誤している最中で、算数に関しても色々と試しています。
校内研究で算数の問題解決学習を2年間やっていたことがあったのですが、全校児童アンケートでは算数が好きな子が毎年減っていました。

だから今は教科書を使っています。思考力を発揮して例題を解き、同じやり方で練習問題を解いて、練習プリントをやり、時間があまれば発展問題をやらせています。問題解決学習に比べて高学力の児童も退屈せず、意欲的にやっています。低学力の児童は例題で躓いても、同じ解き方で何度も問題をやっていくうちにだんだんできるようになってきます。教師や友達の説明を聞いているより実際にやらせたほうがいいなと感じます。そういう子に
「できるようになったね。がんばったね。」
と声をかけることができます。教科書の基礎基本を学ぶ場合はこれがいいと思ってやっています。

《算数で考えを発表させたり比べたりするのなら、もっと難易度の高い問題でやるべきだと思います。》
教科書で基本を学んだ後にやることです。すごく難しいというのではなく、応用問題です。
教科書の例題はすぐにできてしまって退屈してしまう高学力の子が、解くことだけでなく、低学力の子に難しい問題をいかにわかりやすく説明するかを考えるようになり、意欲的になります。聞いている側も納得するまで質問するようになります。
4. Posted by toshi   2010年12月07日 07:06
tatsuyaさん
 tatsuyaさんが、地道によりよい指導法を考え、努力されていらっしゃることがよく分かりました。真剣に子どものことを考えていらっしゃるなと思いました。だから、子どもたちは、確実に算数の力をつけていることでしょう。その点はよく理解することができました。

 それだけに残念なのは、『tatsuyaさんのまわりの方々は、問題解決学習のかたち(自力解決、練り上げ)だけをとり入れ、ほんとうに大事にすべき子どもの思い、考えを大切にしていない。教員は子どもの思いや考えを大切にしているつもりでしょうが、それをうまく引き出したり整理したりすることができず、子どもに流される傾向にあったのではないか。』そう思われたことです。
 要するに、子どもの知的好奇心を満たしてやること、かきたててやることができなかったのでしょう。
 問題解決学習は、子どもが、『自分たちで解決した。やりとげた。』と思えるようにする学習です。学習指導要領がいうところの『生きる力』も大切にしています。算数の学力向上はもちろんですが、それだけを見つめているわけではないのです。
 その具体例の一つですが、tatsuyaさんの学校の研究では、教科書を開かせなかったのかな。『教科書にはもう答えが出ているから、自分で考えなくなる。』そう思われていたかな。どうもそのようなフシがうかがえます。
 でもね。我が地域においてそのような問題解決学習はありません。
5. Posted by toshi   2010年12月07日 07:08
 教科書には、『Aさんの考え・Bさんの考え』とでていませんか。これは、教員に、『子どもの考えを大切にしなさいよ。子どもの考えで授業を進めていくのですよ。』と呼びかけています。また、子どもにしてみれば、教科書に出てくるAさん、Bさんは、学級の仲間同然なのです。だから、級友の考えの一つというとらえになります。
 賛成して自分の考えとするもよし、批判的に見て、自分は違うと思うのもよし。
 だから、教科書は大切にしましたよ。だって、有力な自力解決の一手段なのですから。
 教科書に支配されない、教科書を使いこなす子ども。こうした子どもを育むのも、問題解決学習の大事な点です。
 実は、先の2番では、一人の初任者の授業をとり上げた過去記事にリンクさせていただきました。先に『生きる力』を養うのだと書きましたが、それに直結した記事です。toshiと名前があるところをクリックしていただければ出ますので、よろしかったらご覧ください。
 また、コメント4番では、それとは別な、4年ほど前の記事にリンクさせていただきます。こちらは、市民の方からも、その授業のすばらしさについてコメントをいただきました。市民の方のご感想もあわせご覧いただければ幸いです。
6. Posted by ドラゴン   2010年12月07日 19:12
tatsuyaさん
toshi先生

誤解があったらごめんなさい。
tatsuyaさんの、考える学力は、「問題を解けること」であるように思いますが、どうでしょうか。
問題が解けることと、理解することの間には、大きな隔たりがあります。また、知識・理解だけが学力ではありません(計算ができるは技能)。

九九を覚えて計算問題はとける。
文章題の主な解法を覚えて、問題はとける。
それだけでよいのでしょうか。

子どもにどのような学力をつけてあげたいのか。
適切に説明できること、これも大事です。
なぜ、分数のわり算はひっくり返してかけるのか。
分数のわり算は、いったいどういう意味があるのか。
問題ができて終わりではなく、その解き方を分からない子に説明できるか。
思いつくだけでもいろいろあります。

以前、公共放送であった分数のわり算の授業では、塾で先に解法を習った子どもが何人もいましたが、それを逆手にとって、考えをクラスで共有する見事な授業でした。
こうしたことができるのは、教師の引き出しの多さでしょう。
すみません。思いつきの羅列ですが、ぜひそうしたこともお考えください。
7. Posted by みーやママ   2010年12月07日 19:47
toshi先生の算数への思いが伝わってくるような
そんな授業ですね。楽しいね。こんなに多様な考えが出たらすごいですよね。もちろん、普段の授業があってだと思うけど、初任の方でもそんな授業ができるなんてすごいね。
そう思います。
問題解決学習のよさ、楽しさもわかります。
ある程度、子どもたちが基本的な事項をわかっていて、自分なりの考えが持てるような子たちだったら
楽しいと思う。

でもね。先生、自分で解決できない子が多い学校もありますよね。若いころいた学校では、高学年では、算数の宿題が出せない学校がありました。

自分の子供でもね。上の息子は、そういうときに自分の考えを持てると思うんだけど、下の娘は難しいんです。

何も教えてないんだけど、1年の時、息子は12−3ってどうする?って言ったら 12−2=10 で 10-1=9なんですって。3を2と1に分けて考えるんですね。でも、娘は「うーん、うーん。」って何にもわからなかった。

ずっと前にいた学校で、話になったんだけど
たとえば、テニスだってラリーが少しは続かないとつまらない。基本的なことがないのに、考えよう。っていっても、考えつかない。って話になったことがありました。

うちの学級は、特別支援学級だから極端だけど、
多様な考えを聞いているうちに何が何だかわからなくなってしまう…そういう子もいる。

でも、問題解決学習を愛している先生方は、一人ひとりを大切になさる授業をしてらっしゃることが多いかもしれない。と思います。

私は、今はもうそういうところから離れてしまったのですが、特別支援学級にしては、今年はちょっとは高い学級です。でも、問題解決学習は難しいなぁ。と思います。






8. Posted by tatsuya   2010年12月07日 21:26
>TOSHIさん
このブログに出会えて良かったと思います。僕のような経験の浅い者の意見にも真剣に返信して下さり、嬉しいです。ありがとうございます。

<その具体例の一つですが、tatsuyaさんの学校の研究では、教科書を開かせなかったのかな。『教科書にはもう答えが出ているから、自分で考えなくなる。』そう思われていたかな。どうもそのようなフシがうかがえます。>
まさしくその通りです。研究授業でわり算の筆算の単元を授業したとき、教科書を使っていたら、講師の先生に上の通りの事を言われてしまいました。そのとき僕はどうも納得がいかなかったです。教科書は何人もの偉大な先生方が集まって作ったもので1番わかりやすく、1字1句まで精選されている教材だと思っていました。

2と4の記事を見ました。ちょうど僕も今日同じようなことがありました。3年の小数の授業です。数直線(1目盛り0.1)から1.7を探す場面でした。みんなで1.7の場所を確認したときに、どうやって探したか、聞いてみました。僕がわざと
「0のところから1,2,3,て17こ数えればいいんだね。」
と言ったら
「いや、2のところから3つ戻って数えた方がいい。」
「いや、1.5の少し目盛りが長いところから2こでわかるよ。」
と子供から意見が出ました。僕はまとめる力もないのでうんうんて頷いていただけでしたが・・・きっと何も言わなかったその他の子供たちも、このやりとりに何かを感じ取って、自分の物にしていったのかなと思います。
こんな場面を授業中少しでも出せていけたらいいかなと思いました。
9. Posted by tatsuya   2010年12月07日 21:40
>ドラゴンさん
コメントありがとうございます。
<問題が解けることと、理解することの間には、大きな隔たりがあります。また、知識・理解だけが学力ではありません(計算ができるは技能)。>

僕もそう思います。「できる」ことと「わかる」ことの違いですよね。どちらも大切なことだと思います。
僕はいつも「わかる」→「できる」の順番じゃなくていいんじゃないかと思うんです。逆に「できる」→「わかる」にすすんでいくやり方もあるのではないかと。
低学力で算数に苦手意識がある子にはまず基本的な問題を解くことができるようにさせてあげる。
その後にどうしてこの方法で解くことができるのかを考えさせてみる。こうすることでいきなり計算の原理などを発見させるより効果があがるのではないかと思うんです。

基本的な解き方で問題を解けるようになってから
「教科書のAさんとBさんの2通りの考え方はどんなやり方なんでしょうか。ノートに言葉で説明を書いてみましょう。」
とやらせてみると、低学力の子も
「ああそういうことか。なるほど。」
って納得することができるんじゃないかと思います。
10. Posted by toshi   2010年12月09日 23:27
ドラゴンさん
tatsuyaさん

《問題が解けることと、理解することの間には、大きな隔たりがあります。また、知識・理解だけが学力ではありません(計算ができるは技能)。》
 視点を明確にしてくださいました。ありがとうございます。評価の観点には、『数学的な考え方』がありますが、この概念もしっかりつかみ取る必要がありますね。
《公共放送であった分数のわり算の授業では、塾で先に解法を習った子どもが何人もいましたが、それを逆手にとって、考えをクラスで共有する見事な授業でした。》
 これも問題解決学習ならではのじゅぎょうだからこそ、できることなのでしょうね。これに関連した過去記事があります。やはり、本コメントのtoshi欄に貼りつけさせていただきました。よろしかったらご覧ください。


11. Posted by toshi   2010年12月10日 00:42
 ミーヤままさん
 問題解決学習のよさや楽しさについて、ご理解いただき、ありがとうございます。
 ただ、問題解決学習は、あくまで子どもの意欲に支えられ、子どもが主体的に学ぼうとする気持ちになるようにすることを重視しますので、自分の学級に軽度発達障害の子がいたり、学力的に見て個性的な特徴をもつ子がいたりした場合は、その実態を踏まえてその子を阻害することのないような学習方法を真剣に考えなければなりません。そして、子どもにもそうした気配りができるように、学級集団づくりをしていく必要があります。
 今、一つの過去記事にリンクさせてください(toshi欄にURLを貼りつけ)。これは、特別支援学級とふつう級とそれぞれ別々な授業なのですが、たまたま双方とも算数の操作活動をしていたことから、そこに共通点があるとわたしが感じ、算数の交流授業を夢みたという内容の記事です。でも、実際こうした交流は可能だろうと思いました。
 また、特別支援学級における問題解決学習を、わたしは数ヶ月前見せてもらったことがあります。学習問題は、『サツマイモパーティをやるにあたって、サツマイモを使って何を作るか。』でした。中身が飛び出さないように、
12. Posted by toshi   2010年12月10日 00:44
薄くピザのようなものにしたいという意見と、おまんじゅうのようにした方がおなかがいっぱいになって食べたっていう感じがするからいいという意見との対立がありました。わずか5人で、でも、あるときは楽しそうに、あるときはむきになって対立するなど、おもしろい授業でしたよ。
 ただ、ミ―ヤママさんがおっしゃることも分からないではないのです。
 今、軽度発達障害の子がふつう級に在籍するケースは増えていますよね。その際、《多様な考えを聞いているうちに何が何だか分からなくなってしまう。》となりそうなのはよく分かります。
 これにはわたしも悩みました。そして、過去記事にシリーズとしてとり上げさせていただきました。その記事では、何か分かったように書いていますが、今振り返れば、やはりいざそういう場面に直面したら、悩ましい問題になるだろうなとは思っています。
 一応そのシリーズのURLもtoshi欄に貼りつけますね。よろしくお願いします。

 
13. Posted by toshi   2010年12月10日 00:54
tatsuyaさん
 拙ブログに出会えてよかったと、そのようにおっしゃっていただき、ほんとうにありがたくうれしく思いました。これをご縁に、よろしくお願いします。
 わたしね。3番のコメントを読ませてもらったときも思ったのですが、tatsuyaさんは、問題解決学習を批判しながらも、けっこう問題解決的に授業をなさっているのではないでしょうか。今回、その感をいっそう強く感じました。
 ただドラゴンさんご指摘のように、《問題が解けることと、理解することの間には、大きな隔たりがあります。》は、大事な点だと思いました。 
14. Posted by みーやママ   2010年12月12日 09:39
過去記事も見せていただきました。
ありがとうございました。

しみじみ考えさせられました。

『サツマイモパーティをやるにあたって、サツマイモを使って何を作るか。』・・・これも、楽しそうですね。

「生きた授業」をしたい。とは、思っているんですが、教材研究をする暇もなく、ドリルやプリントをこなしているだけのことも多いのです。トホホ





15. Posted by toshi   2010年12月12日 12:18
みーやママさん
 過去記事もご覧いただき、ありがとうございました。
《「生きた授業」をしたい。とは、思っているんですが、教材研究をする暇もなく、ドリルやプリントをこなしているだけのことも多いのです。》
 これ、すごくよく分かります。わたしは、今、初任者指導に携わっているわけですが、わたしが担当する初任者にも、個別支援級担任だったものがいました。そして、まさに、みーやママさんが書かれたように、ドリルやプリントに明け暮れる毎日でした。保護者の強い要望があり、校長と話し合った上での結論ですから、わたしがそのこと自体をとやかく言うことはできません。ただただ、初任者に対し、ほんとうの教育の姿を語るくらいでした。
 こうした悩み、葛藤も、けっこう全国的にあるのではないかと思っています。
 みーやママさんも、許される範囲で、『生きた学習』を心がけるしかないのでしょうね。『がんばってください。』と申し上げるのも、つらい感じがします。
 すみません。変なコメントで。

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