2009年11月19日

小1プロブレムの心配は?(6) 新聞報道から4

9577c576.JPG 先日、『3歳と小1の男親です』さんから、コメントをいただいた。約半年前の、『小1プロブレムの心配は?(番外編)すごい取組があった。』なる記事へのコメントだった

 その冒頭に、『ニュースになっていたので、検索でここが出ましたのでコメントを少しだけ。』とあった。

 『ニュースとは何だろう。』と思い調べたが、よく分からなかった。


 そうしたら、一読者の方が、教えてくださった。『気になったので調べてみましたら、ありました。このニュースではないでしょうか。』

 今、それにリンクさせていただこう。

    授業崩壊「小1プロブレム」 都教委が教職課程調査

 
 わたしは、この報道を知らなかった。『3歳と小1の男親です』さん、そして、一読者の方、ありがとうございました。

 わたしは、その新聞記事を読ませていただいて、上記記事を連載していたころを思い出した。



 新聞記事によれば、小1プロブレムとは、

・小学校に入学したての児童が担任教諭の指示に従わなかったり、勝手に教室を出ていくなどの行動。
・新入生が集団生活になじめず、教室で騒いだり席を立って歩き回るなどして授業が成立しない状況を指す。

 そして、『都教委の調査では、公立小の4校に1校で発生している。』のだそうだ。

 その原因としては、『幼稚園や保育園からの生活の急変や、家庭などのしつけの不足』があげられるとしている。


 そして、都教委は、その対策として、

 現在の大学の教職課程が教員育成に実効性があるかを調べる。

 さらにくわしく言わせてもらえれば、

 小1プロブレムに加え、通常の学習・生活指導にも対処できない教員が増えていると分析。大学の教職課程が授業の進め方だけでなく、「人間力」や「指導力」の形成を含めた教職員の育成にふさわしいカリキュラムかどうかを見極める。

としている。



 わたしはこれを読んで、失笑を禁じえなかった。

 なんと、ピント外れの対策であることか。

 そう思った。


 そこで、拙ブログで、シリーズとして書かせていただいた記事を、もう一度振り返ってみようと思う。

 そこには、大学の教職課程の問題など、ふれられていない。そのようなことを、わたしはまったく思わなかったし、

 また、読者の皆さんから寄せられた声も、昨年度、バンキシャの番組も、これを報道したが、それらも、わたし同様であった。



 それでは、拙ブログ記事のおさらいですが、どうぞ。 


 まず、主要因は何か。

 一口に小1プロブレムと言っても、その様態、原因はいろいろあることにふれさせていただいた。
  
 今、再掲させていただこう。

・幼児期からの基本的生活習慣等、しつけの欠如
・少子化や地域の教育力の低下などによる子育ての孤立化
・子どもへの指図のし過ぎ。大人の言う通りになる子をいい子とする傾向の増大
・幼稚園・保育園が集団より個を尊重する教育を打ち出したこと
・保護者が、幼稚園・保育園に対し、自由のびのび保育より、しつけ、訓練的な保育を望むようになっていること
・幼稚園・保育園も、少子化の波を受け、経営上、保護者の要望を受け入れざるを得なくなっていること
・一人親、共働きなどで、子どもと十分向き合えない家庭がふえていること
・家庭の教育力の二極分化の進行
・低学年の子の心をひきつけられない、学校の教育力のなさ
・軽度発達障害児が一般の認識よりは多く、そういう子への理解のなさや適切な対応がとれていないこと


 なお、下から2番目の『低学年の子の心をひきつけられない、学校の教育力のなさ』については、上記、都教委の施策とかかわると思うので、ちょっとふれさせていただこう。

 別項で指摘するように、

 家庭の教育力が二極分化したことにより、一部の子どもたちの行動は大きく変わってきた。がまんすることができなかったり、すぐあきてしまったり、気ままに行動したりするようになってしまった。

 その分、子どもの心を一つのことに集中させる努力や工夫は、従来にもまして必要とされるようになった。

 本来子どもが変われば、それに即応して、学校の指導体制も変化しなければならない。しかし、学校現場の取組はその変化についていけなかった。

 

・実は、もう一つ、要因があった。本シリーズのあと、2ヶ月くらいたってから、わたしが気づいたことだった。

 それは、『小1プロブレムの心配は?(続・番外編)』にくわしい。

 もっとも、以下は、我が地域のことを書かせていただく。全国的にみた場合も同じことが言えるか、たぶん都市部は同じだろうと思うが、くわしくは分からない。

 
・かつて、現小学生の保護者世代の方々の子ども時代、

 学校は、子どもが入学したばかりの4月、第一週は2校時まで。第二週は3校時まで、第三週は4校時まで。そして、給食及び午後の授業は、5月からというように、

 当時、小1プロブレムなどという言葉はなかったが、徐々に学校生活になれさせる配慮をしていた。

・それが、わたしの校長時代になって、

 一人親、及び、共働き家庭がふえたことにより、そんなに早く家庭に帰しても、家庭では保護者が不在で、昼食をとらせるにもこまる状態となった。

 子どもの成長発達段階とか、徐々に小学校生活に慣れさせるとかいった、子ども中心の考え方は成り立たなくなった。ことは、教育問題ではなく、社会問題としてとらえる必要がでてきた。

 そして、4月初めからの学校給食開始が求められるようになった。地方教育行政府の指導の下、学校はその要望に応えた。

・それから10年たった今、今回の学習指導要領改訂にあたっては、そうした10年あまり前の経過は忘れ去られ(?)、ただただ、世の中の、授業増を求める風潮に乗ぜられ、今は、なんと、4月初めから午後の授業も実施している。

・週授業時数を30年前と比べてみると、今は土曜日が休日にもかかわらず、同じである。つまり、月〜金は、今の方が、3・4時間多くなっている。それが、4月当初からスタートしているわけだ。


 以上、小1プロブレムが起こる一要因について、社会的な要請を受けての、国、地方教育行政府、及び、学校の取組を中心に述べてきた。


 
〇それでは、対策にうつるが、

 上述のように、『学校が子どもの変化についていけない。』とした部分が、都教委の対策の正当性を思わせるかもしれない。

 しかし、おもしろい。

 新聞記事の末尾に、

 問題が発生したクラスの担任教諭は「採用30年以上」が約24%で最多。次いで「20年以上30年未満」が約22%と、ベテラン教員ほど対処できないことも明らかになった。

とある。


 つまり、これまで、長年、経験とカンにたよっていた教員、また、『子どもとはこうあるべき』という自己流の信念(?)をもった教員が、子どもの変化についていけなくなったというのが、ことの本質ではないか。

 若い先生は、現状でも、比較的よくやっているのではないか。


 それなら、大学の教職課程を調べることより、もっと大事なことがあるのではないか。

 
 さあ。それでは、わたしの考える対策は。


〇先ほども書かせていただいたように、学校は、長年、徐々に学校生活に慣れさせる配慮をしてきた。ほんとうなら、そこに戻すべきなのだが・・・、

 しかし、ことは社会問題化したように、今、早く家へ帰すことはできない。

 とするなら、教室で席についてやる授業は、30年前に準じるようにして、

 あとの授業時間は、校庭での遊びとか、学校探検とか、幼稚園や保育園の指導形態に近いやり方にする。

 そして、『社会問題化した部分』で言わせていただければ、給食を学校でいただくようにすればいいのだから、給食後下校するようにする。少なくとも、4月いっぱいは午後の授業はしない。

 こうしても、1年生の場合、国の決めた標準時数は十分満たしているはずである。
 
 振り返ってみれば、地方教育行政府も、学校も、世論の学力低下論、授業時数増への動きに神経質になりすぎたのではないか。


 小1プロブレムは、上記のように、いろいろな要因があるので、これで一挙に解決などとはいかないが、しかし、かなり(?)減少の方向にいくのではないかと思う。

 これから、各学校は来年度の学校経営計画作りに取り組むことだろう。ご一考願えれば幸いだ。


〇もう一つ。大学の教職課程を調べるよりも、ベテラン教員の指導力アップを図る取り組みをする。

 どうも、こういうことを書くと、地方教育行政府は、教員免許更新制よろしく、大学での講義を受けさせるという発想になるらしいが、わたしのいう指導力アップ策はそのようなものではない。

 ことは現場で起きているのである。したがって、指導力アップ策も現場における研修しかないではないか。


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 都教委は、よそに原因を求めるよりも、まずは、自分自身の教育施策を振り返るというか、点検してみる必要がありそうです。


 なお、対策についてですが、

 拙ブログには、わたしが書いたものとは別に、読者の皆さんから、小1プロブレムを減らす実践を寄せていただきました。

 それを記事にもさせていただきました。

 どうすればいいか。

 まだ、お読みでなかったら、ぜひ、どうぞ。

 本記事では特にふれていませんが、発達障害児にかかわる取組などがあります。

    小1プロブレムの心配は?(番外編) すごい取組があった。



rve83253 at 23:57│Comments(8)TrackBack(0)教育制度・政策 | 学校経営

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この記事へのコメント

1. Posted by ほほほまま   2009年11月20日 10:49
私の息子は今小学校三年生です。
小学校に入学したとき担任はまさに「ベテラン」の年齢の方でした。そしてすぐ言われたのが「日本語がわかってますか??」そして子供のいたらぬ点を保護者にがんがんおっしゃる。ついにムスコは授業中教室から脱走したのでした。

親としては、幼稚園ではそれなりに生活できていた息子がいきなり小学校で日本語がわからない状態になるとも思われず・・・でも先生の方はご自分の指示の出し方を変えようとは思われなかったようです。息子の持ち物がゴミ箱から発見されたときも「言えばわかると
2. Posted by ほほほまま   2009年11月20日 10:52
途中で送信されてしまいました。上の続きです。

息子の持ち物がゴミ箱から発見されたときに「言えばわかると思いますよ〜」ですまされ、その後も取り立てて扱いがかわらなかったときにあきらめました。

その担任は今のクラスの保護者に「ほんとに去年のクラスは大変だった」(二年持ち上がりなので)とさんざんはなしているそうなので、やはりご自分の問題ではなくすべて児童の問題だと思っているのだな、と感じました。
3. Posted by toshi   2009年11月21日 06:52
ほほほままさん
 人間って、ベテランになればなるほど、硬直さをましていくということが、確かにありますね。
 この先生の、一番おかしい点は、「日本語がわかってますか??」という実態があるのなら、それを分かるようにするのは、まさに、この先生の仕事のはず。分かっていないという実態を自己責任としなければなりません。
 保護者に言いたくなる気持ちが分からないわけではないですが、それは、自己責任を認識した後に出てくる言葉でしょう。
 そういう態度なら、『がんがん』言うのではなくて、『お願い』のような言い方になるでしょうね。

 ベテランであるほど、自分の流儀に染まった期間が長いので、自己改革がしにくくなるのでしょう。
でも、それでは、『小1プロブレム』の実態は増すばかり。やはり、記事に書かせていただいたように、指導力アップの研修が必要ですね。
4. Posted by redu06   2009年11月28日 23:48
以前、小1プロブレムで崩壊した後の小2を担任させられました。いつもさほど期待をされない火消し役です(苦笑)。

どう考えても私よりずっと立派な先輩教師が1年坊主に追い詰められてしまいました。

お書きになられているとおり、

>通常の学習・生活指導にも対処できない教員が増えていると分析。

は、ピントが外れていると思います。

確かに、子供の変化についていけなくなっている教員は増えているとは思いますが、子供の変化の質とスピードは尋常ではありません。正直なところ私も心細くなるほどの悪化の一途をたどっています。

取り合えずの立て直しに2年生の1年間を費やしましたが、高学年になってまた荒れてしまいました。

tosiさんが分析されている


・幼児期からの基本的生活習慣等、しつけの欠如・・・・・

を、さらに詳しく徹底的にやって、情報共有をしたうえで、対策を考えないと現場はもうどうにもなりません。

5. Posted by toshi   2009年11月30日 10:14
redu06さん
《いつもさほど期待をされない火消し役です(苦笑)。》
 とんでもありません。元校長だったものから言わせていただければ、こうした火消し役(?)の先生に対してこそ、期待するところは大なのです。また、そうした力の持ち主と、信頼もしています。火消し役の教育実践は、教科書的教育論の通用しない世界ですから、ほんとうに大変だと思います。
《子供の変化の質とスピードは尋常ではありません。》
 わたしは、高学年ならいざ知らず、1年生からというのは経験していないので分からないのですが、もうそうなると、20人以下の学級編成でないと無理なのかなという気持ちがしています。いや。20人でも無理となるかもしれませんね。
 教育委員会には、もっと根源的な施策を望まないわけにはいかないですね。
 
 
6. Posted by 消耗品   2011年08月03日 17:26
小一プロブレムについて拝読させていただきましたが、難しい問題ですね。私が勤めて来た学校は高一プロブレム?とでも言うべきでしょうか?いいえ、正確に言えば入試の段階で崩壊している学校もありました。定数割れし、名前さえ書けば合格などと噂されるようになるとそういう事態になります。
面接試験の時に待機室で待っていられない、集合時間を守らない、トイレにたむろって試験官の指示を聞かない、、、、きっと驚かれる方も多いと思います。

高1から高3までほぼ全学年全クラスが崩壊している学校もありました。着任の挨拶にその学校を訪れた時、廊下の窓から向かい側の校舎の授業風景を見て唖然としました。生徒は好き勝手な場所に座り、出歩き、トランプやゲームで遊び、窓から携帯電話で話している者がいたり、その中で教師はぽつんと座って教科書を読んでいる、、、、学校崩壊です。
臨任にも担当指導教官がおりましたが、その方の授業自体も崩壊していて、毎日のように指導拒否、授業妨害、暴言、対教師暴力等で生徒指導部会に挙がっておりました。
この問題に限りませんが、小中高(高は義務教育ではありませんが、、、)を分けることに果たして意味があるのか?と思ってしまう時もあります。
(もちろん高校では工業、商業、水産、農業等の特殊技能、知識を身につけたい子もいるでしょうから例外も考慮に入れないといけませんが。)
分ける分けないは別としても、小学校から、あるいは幼少時からどういったプロセスを経てきたのか、小中高で共有すべきことなのでは?と思うのです。
7. Posted by toshi   2011年08月03日 23:27
Aさん
 ちょっとAさんのコメントと話がかみ合わないかもしれませんが、すみません。
 わたしの若いとき、『高校全入運動』というのがありました。『15の春を泣かせるな。』とも叫ばれました。つまり、高校に全員入れる社会にすれば、泣かせずに済むとしたわけです。そして、これは世論の圧倒的な支持を受けました。
 しかし、15歳のときに(あるいはもっと早い段階で言えるのかもしれません。)、人生が決まってしまうかのような印象を与えてしまっている受験システムを温存したままでは、どっちみち、《15の春を泣かせている》ことに違いはなかったのですね。
 やはり、人生選択のチャンスは幾重にも用意されていなければいけないし、また、学校によって人生が決定してしまうかのような印象を与えている世の中の常識を変えない限り、Aさんご指摘の問題はなくならないように思いました。
 若い人が、将来への可能性を信じられる社会にしないといけないと思っています。
8. Posted by 消耗品   2011年08月04日 00:14
全く仰る通りだと思います。
特に私が勤めてきたような高校に入学する子のほとんどは心無い落ちこぼれのレッテルを貼られ、その高校の制服を着ることすら周囲の目が気になったり、恥ずかしく感じたり、コンプレックスを抱えるようになります。そして自信をなくし将来にも失望し自暴自棄になる生徒が多いのです。
15歳にこのような思いをさせる日本の社会はずっと変わっておりませんね。
このままではいけないと思います。

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