2009年11月23日

子どもたちの変容に感動!4

26f4df67.jpg いやあ。驚いた。

 たった一週間での子どもの変化だ。

 子どもって、ほんとうに柔軟だなあと、今回もあらためて、感心させられた。


 つい先日、わたしは、『初任者の成長(10)』なる記事に、次のようなことを書かせていただいたのだった。

 『いい子ちゃん』の雰囲気が強いと、本質、真理を究明できなくなったり、追求しようとする心が甘くなったりしてしまうのだ。

 そして、それは、

 担任である初任者のAさんが、『本質、心理を究明する学級集団にしなければ、』という願いをもって学級経営するだけで実現可能であり、そんなにむずかしいことではない。

と。


 しかし、こんなすぐ、しかも、容易(?)に、教室の雰囲気が一変するとは、夢にも思わなかった。たいしたものだ。


 でもね。

 いざ、そうなってみると、分かる気もするのだ。


・Aさんの心が柔軟であること。

・その感化を受けているからだろう。子どもたちが、素直なのである。

 そのことに尽きるのではないか。


 今、あらためて思う。

 それらのことを、これまでも、知らなかったわけではない。

 知らなかったわけではないが・・・、

 『鉄は熱いうちに打て』

 そのことわざの重みを、またまた実感させられた。


 やっぱり、人間、いくつになっても勉強だね。


 今回も、Aさんの、ちょっとした言葉かけの変化により、子どもたちは、『ああ。ぼくたち、わたしたちは、思ったこと、言いたいことを、自由に言っていいのだ。』と思ったのではないだろうか。


 よく言われることだが、

 『一回の授業で、子どもがそんなに変わるものではない。成果はすぐには現れない。息の長い勝負だ。』という言葉がある。

 それに対し、わたしは思う。

 『それは否定しないし、そうした長期的展望をもつことも大事だが、しかし、そうとばかりとも言えない。子どもって、変わるときは思わぬ早さで変わるものだ。』

 今回も、それを実証してくれたように思う。


 本記事では、そうした、子どもの変容した姿を書かせていただく。

 したがって、上述の『初任者の成長(10)』をご覧でない方は、そちらをまずご覧いただければありがたく思う。

 なお、リンク先記事は、地域のスーパーマーケットをとり上げての授業だったが、本記事は、同じ単元ではあるものの、スーパーから地域の商店街へと学習が移行する段階のものである。


 ところで、地域にあるC商店街は、近年めずらしく、活況を呈している商店街である。通りはいつもお客さんでにぎわっている。また、お店の方々も、お客さんへのかけ声が多く、サービス心も旺盛だ。ときどきテレビ局も取材に来る。

 そんなC商店街を学区に有しているから、わたしは、C小学校に勤務してからというもの、この単元を楽しみにしていた。


 ところで、Bスーパーマーケットの学習をしていたとき、その折々に、子どもたちは、地域のC商店街のことも話題としていた。それは、スーパーの特長をとらえやすくするためには、比較材料としてのC商店街が役に立つからだっただろう。


 子どもたちは、そのとき、どのようなことを言っていたか。

・Bスーパーにも、C商店街のお店のように、元気のいい店がある。それは、C商店街のお店の人の弟がBスーパーにお店を出しているからだ。
・Bスーパーは、C商店街と同じように、いつもお客さんで混んでいる。
・商店街のお店のカンバンは小さい。あるいはない。入口にはアーチがあるが、目だたない。
・商店街の品物は、新鮮で安い。

 ただし、この段階では、ほんの数人が断片的に言ったに過ぎない。なにしろ、学習の中心は、Bスーパーだったのだからね。


 そして、いよいよC商店街の学習に入ろうとするとき、わたしは、『看板やアーチの意味するところから入るのがいいのではないか。』と、Aさんに言った。

 その理由は、

・子どもの目に、一番見えやすいものであること。それゆえ、多くの子が興味をもって発言するのではないかと予想される。

・『間口は狭く、奥行きは深く』と、わたしたちはよく言う。これは、子どもたちの思考が拡散することを防ぐとともに、価値ある学びにつなげるための工夫でもある。


 子どもたちは、前時の最後に、この学習問題(『C商店街のアーチは目だたないか。』)についての考えをノートに書いた。

 そして、あらかじめ、Aさんもわたしもそれに目を通している。だから、誰がどのような考え、思いをもっているかは把握している。


 しかし、子どもたちが、柔軟に考えられるよう、

 授業中は、

・ノートをよりどころとして発言してもいいし、
・考えや思うことが変わったり、また、新たに思うことがあったりすれば、ノートに書いたことと違ったことを発言してもいいことになっている。

 だから、指導者が予想したとおりに授業が流れるとは限らない。



 それでは、子どもたちの発言をおってみよう。

 なお、Aさんは、双方とも写真を撮り、それを黒板に貼り出している。

「C商店街のアーチは見えにくい。目だたないよ。」
「賛成。そばまで行かないと分からない。」
「色もあまりついていないから、お客さんは気がつかないかもしれない。」
「Bスーパーのカンバンは大きいし、字も大きいから、遠くからでも見えるけれど、C商店街のアーチは目だたない。」
「賛成。Bスーパーのカンバンはビルの一番上にあるから、遠くからでも見える。」
「C商店街のアーチは、商店街のビルよりも下になっちゃうでしょう。だから、そばまで行かないと分からない。」
「Bスーパーのカンバンは、お日様がよくあたるから、遠くからでも見える。」
「C商店街のアーチは、虹の形をしているから、文字が斜めになったり、向きが違ったりして読みにくい。」

A1「そうか。そうすると、C商店街のアーチは、よくないことばっかりか。」

「そんなことはない。C商店街のアーチは、遠くからは見えないけれど、でも、近くまで行けば、にぎやかだから楽しく通れるよ。」
「賛成。近くまで行けば目だつから、『C商店街はここだ。』ってすぐ分かる。」
「それに電気もつくようになっている。」
「でも、C商店街は、夜はやっていないよ。」
「C商店街の周りはマンションが多いから、アーチがかくれちゃって、遠くからは見えない。」
「反対っていうわけではないのだけれどね。さっき、Dさんたちが言ったように、Bスーパーのカンバンは大きいから、遠くからでも見えるけれど、近くへ来たら高すぎちゃって見えなくなっちゃう。でも、C商店街のアーチは、ビルの2階くらいの高さだから、近くへ行けばよく見える。」
「今、Eさんが、Bスーパーのカンバンは、近くへ来たら高すぎちゃって見えなくなっちゃうって言ったけれど、近くに来れば、入口に、小さいけれど、Bスーパーっていうカンバンはあるよ。だから、Bスーパーだって分かる。」
「C商店街のアーチは、いくつもある。商店街への入口はあっちこっちたくさんあるけど、アーチは、どこから入っても、必ずある。」
「でも、小さいし、低いから、知っている人しか分からない。」

A2「やっぱり、C商店街のアーチは、近くへ行かないと分からないっていう意見が多いね。遠くの人は分からなくてもいいか。」

「Bスーパーのカンバンは英語で書いてあるでしょう。買いに来るのは日本人ばかりなのに、英語だから、見えていても、分かりにくいのではないの。」
「でも、それなら、C商店街のアーチだって英語だよ。」
「C商店街のアーチは、英語じゃないよ。ローマ字っていうんだよ。だからね。日本語なの。」
「英語だって、大人なら分かるよ。」
「さっき、Fさんが、近くに来れば、入口にBスーパーって書いてあるって言ったけれど、それはカタカナで書いてあるよ。」

A3「みんなの言いたいことは分かった。やっぱり、C商店街のアーチは目だたないのだ。さっき、Gさんが言ったように、知っている人しか分からないのだものね。」

「目だたないけれど、でも、お客さんはいっぱい来る。」



 ここで、いったん授業の流れを止めて、考察してみよう。


『初任者の成長(10)』に書き、また、本記事の冒頭にふれた、『いい子ちゃん』ばかりの件だけれど、どうだろう。本授業記録では、けっこう反対意見も出るようになっている。

 『でも、〜。』で始まる発言がいくつもみられるのが、うれしかった。

 これは、

・Aさん自身が、押さえたい学習内容を言ってしまうのではなくて、それを子どもに言わせようという姿勢に徹するようになったことと、

・それを子どもの側から見れば、
『先生は、ぼくたち、わたしたちに、何を言わせようとしているのだろう。』ということを考えず、『自分たちが思ったり考えたりしたことは、何を言ってもいいのだ。』
という気持ちになったことを意味する。

 
〇このように、反対意見が出るようになるということは、

 自由な雰囲気の話し合いになったということで、これは、『変に友達に合わせよう。』とか、『みんなと違うことは言いにくい。』といった感じが薄くなってきたことを意味する。

 また、ノートに書いたことと違うことや、書いていないことを発言する子がふえてきた。それは、『友達の発言を聞いて、ひらめいた。』とか、『自分の思いが変わった。』とか、そういうことがふんだんに起こるようになったことを意味する。

 価値を追求する姿勢がでてきたと言えよう。


〇また、以前からあった子どものよさだが、

 『初任者の成長(10)』でふれた、保護者の声に、

・『ふだん、大人でもあまり考えないようなことを考えさせていたので、』
・『子どもたちから興味深い意見がたくさん出てきて、おもしろかったです。』
・『友達とのやり取りがおもしろかったです。』

などというのがあった。そのよさというものは、本時も遺憾なく発揮されているのではないか。


〇さあ、しかし、カンバンやアーチばかりに執着していても、仕方ない。これは学習の入口にすぎないのだ。

 このあたり、担任のAさんに、ちょっとあせりを感じる。早く次の段階に進みたいのだ。

 次の段階とは、学習問題として言わせてもらえれば、『C商店街のアーチは目だたないのに、どうしてお客さんが大勢来るのだろう。』ということ。それが価値ある学習内容につながるのだものね。

 だから、上述の授業の流れの最後に、『目だたないけれど、でも、お客さんはいっぱい来る。』という発言があったとき、Aさんは、ホッとしたのではないか。『やったあ。ついにでた。』という思いではなかったか。

 

 それでは、授業の流れに戻ろう。


A4「ほんとうだ。なんで、目だたないのに、お客さんは大勢来るのだろうね。」

「C商店街の周りには、家がいっぱいあるから、みんな知っている。『あそこへいけば、C商店街がある。』って知っている人が多い。」
「新鮮なの。魚屋には、いけすっていうのがあって、魚が生きている。」
「お客さんの注文で、魚をさばいて、売っているから、新鮮。」
「お刺身がおいしいって有名だよ。」
「そう。だから、『あそこへいけば、新鮮な魚が買えるよ。』って、うわさが広がって、それで、お客さんが大勢来るようになる。」
「C商店街の外は、そんなに元気ないけれど、商店街の中は、いつも元気があって、話し声がたくさん聞こえるから、元気がいい。」
「コミュニケーションがある。」
「Bスーパーには試食コーナーがあるけれど、C商店街は、新鮮な魚を売っているってみんな知っているから、それがうわさになって広がって、それで家もたくさんあるから、だから、お客さんがふえる。」
「同じ店がたくさんある。魚屋だけじゃなくて、八百屋とかもたくさんある。」
「安いし、おいしいし、だから、毎日来るお客さんもいる。人気の商店街なの。」
「店がたくさんあるという意見に賛成で、一軒のお店にあきても、他のお店にいけばいい。」
「お母さんが言っていたけれど、Bスーパーより安い。」
「サービスもあるよ。『これ、安くしとくね。』って言ってその場で安くする。」
「お店の人がやさしい。子ども連れだと、あめをくれる。」
「テレビに出ている芸能人も買いにくる。」
「テレビでも、C商店街は有名だよ。」
「隣りのクラスのHさんも、テレビに映ったことある。」
「そう。Hさんは、おうちがお店でしょう。だから、お手伝いしているときもあって、それでテレビに映った。」
「J商店だ。」
「お年寄りも多い。」

A5「何で。」

「近くて安いから。歩く練習をして、それで、買い物もするの。」
「いいものが買えるって、知っているから。」
「それもそうなんだけれど、ぼくが、お年寄りが多いって言ったのは、お店の方なの。お店の人もお年寄りが多い。」
「おばあちゃんが手伝っているお店がある。焼き鳥屋。」
「Bスーパーの店員さんはみんな若いのに、C商店街のお店は、若い人も多いけれど、お年寄りもけっこういる。」

A6「そうか。みんな、さっきは、アーチが目だたないって言っていたけれど、でも、お客さんは、そういう(これまでの発言内容を記した板書を指しながら、)うわさを聞いて大勢来るんだ。」

「そう。C商店街へ行けば分かるよ。」
「みんな、知ってるもん。」
「なんで、人が多いかっていうとね。お店の人が元気いいし、さっき、Kさんが、その場で安くするって言っていたけれど、おすすめ品も教えてくれる。」 
「賛成。お年寄りもみんな元気だよ。どんどん、お客さんに声をかけている。」
「さっきも言っていたけれど、コミュニケーションがある。品物を売ったり買ったりする話だけじゃなくて、天気のこととか、元気ですかとか言ったりする。」

「わたしのうちは、C商店街は人が多くてゴミゴミしていて、うるさいから、ほとんど行かなくて、Bスーパーばかり行って買い物をしているのね。だから、C商店街はいやだっていう人も大勢いるのではないかと思う。」
「反対。安いし新鮮なのに、何で行かないの。」
「そうだよ。もったいないよ。」
「いいことがたくさんあるよ。」

A7「うん。でも、人が多いのは確かでしょう。だから、ゴミゴミしていて、うるさいって感じる人もいるのではないの。」

「そんな人は少ないと思う。誰だって安くて新鮮な方がいい。」
「Lさんだって一度行ってみればいいと思う。そうすれば気に入るよ。きっと。」
「今日、一緒に行こうよ。」


 授業は終末に近づいた。

 ここで、再度、考察に移らせていただこう。


〇どうだろう。読者の皆さんは、子どもたちのやり取りに、何を感じられただろうか。

 わたし自身、C商店街のお店の人に負けず劣らず(?)、子どもたちが活気ある発言をしていることに驚かされた。

 ほとんどの子が意欲的に発言した。こんなことは、Aさんの学級始まって以来のことではないか。それだけ、話題が身近で、話しやすかったということもあるし、切実だったのだろう。
 
 とにかくよかった。


 それに本音が出だした。先の、『みんないい子ちゃん』的雰囲気だったら、ここまで、話し合いは活発にならなかっただろう。

 特に、最後の、Lさんの、『ゴミゴミしていてうるさいから行かない。』なる発言は、Lさんがどちらかと言えば内気な子であるだけに、これまでだったら、発言しなかったのではないかと思われる。だって、みんなから反論されることはみえみえだものね。


〇子どもたちの話し合いは佳境に入り、もっと続けたいようだったが、やはり、授業時間は厳守しないとね。

 Aさんは、授業の出口にこまったようだった。これは、何を次時の学習問題にするかということでもあるのだけれどね。それに悩んだようだ。

 Aさんは、わたしの方を見つめる。

 助けを求めているようだった。

 そこで、わたしは、Aさんのところへ歩み寄り、『Bスーパーは若い店員さんばかりなのに、C商店街のお店の人に、お年寄りが多いのはなぜだろう。』がいいと言った。


 そうすれば、

・スーパーでは、お客さんとのやり取りはマニュアル化されているのに対し、
・商店街では、お客さんとの長年のふれあいの中で、仲良しになっていることが、うきぼりになるのではないか。

 たとえば、値引きの仕方一つとっても、大きな違いがありそうだ。


 そして、この次時の学習問題をめぐって、考えや疑問などをノートに書き、この授業を終えた。

 わたしは、授業終了後の初任者との話し合いで、

 さっそく、C商店街に出向き、お店の人とお客さんがどのようなやり取りをしているか、具体的な言葉を収集するように注文をつけた。それが次時の有力な資料となるだろう。


 最後に、

 Aさんの変容が、子どもたちのさらなる活気をもたらした。

 そのあたりの具体的なことは、次回の記事に譲らせていただこう。

 ここでは、上記の繰り返しになるが、

・Aさん自身が、押さえたい学習内容を言ってしまうのではなくて、それを子どもに言わせようという姿勢に徹するようになったこと、

のみを指摘させていただき、終わりとしたい。


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rve83253 at 07:50│Comments(0)TrackBack(0)問題解決学習 | 社会科指導

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