2009年11月25日

初任者の成長(11) Aさんの変容4

44418f83.JPG 4月、希望と夢をもって教壇に立つ初任者。

 その情熱のせいか、おしなべて、初任者は、『教えなければ、』という思いが強いようだ。

・子どもの興味関心をさぐろうとしたり、養ったりすることなく、一方的に学習問題を与えたり、発問したりしてしまう。

・学習内容を説明してしまう。

・みえみえのヒントを与えてしまう。テレビではやりのクイズのようにしてしまう。

 そういうとき、子どもは、たいがい、『お客さん状態』だ。


 
 初任のAさんも、初めは、ややその傾向があった。

 それで、わたしがよく口にしたのは、

「Aさんがしゃべればしゃべるほど、子どもはおとなしくなってしまい、聞く一方になってしまうよ。」

「〜って、Aさんが全部説明してしまったけれど、あれは、ぜひ、子どもに言わせたい内容だったね。」


 そうなのだ。指導者の親切心(?)が、子どもを受身の学びにおいやってしまう。
 
 

 いきなり余談で申し訳ないが、

 保護者の皆さんが子どもに言う言葉かけも、たいがい、そうだよね。
「先生の話をしっかり聞きなさい。」
と言うでしょう。 

 あまり、
「みんなの前で、しっかりお話しなさい。」
とは言わないよね。


 でも、保護者の方だって、やっぱり、ほんとうは、子どもが活躍する授業をみたいのだね。それは、『初任者の成長(10)』なる記事の前半で紹介させていただいた、保護者の声が証明しているように思う。



 それでは、Aさんの成長というか、変容というか、そのあたり、どう指導力を身につけてきたか、仔細に検討してみよう。

 その検討材料として、前記事『子どもたちの変容に感動!』にリンクさせていただく。もし、その記事をお読みでなかったら、本記事はなかなか理解しにくくなると思うので、まずは、そちらから、ご覧いただきたい。



 では、まず、Aさんの言葉かけに注目していただこう。同授業の記録から、Aさんの言葉だけピックアップしてみる。


1・「そうか。そうすると、C商店街のアーチは、よくないことばっかりか。」

2・「やっぱり、C商店街のアーチは、近くへ行かないと分からないっていう意見が多いね。遠くの人は分からなくてもいいか。」

3・「みんなの言いたいことは分かった。やっぱり、C商店街のアーチは目だたないのだ。さっき、Gさんが言ったように、知っている人しか分からないのだものね。」

4・「ほんとうだ。なんで、目だたないのに、お客さんは大勢来るのだろうね。」

5・「何で。」

6・「そうか。みんな、さっきは、アーチが目だたないって言っていたけれど、でも、お客さんは、そういう(これまでの発言内容を記した板書を指しながら、)うわさを聞いて大勢来るんだ。」

7「うん。でも、人が多いのは確かでしょう。だから、ゴミゴミしていて、うるさいって感じる人もいるのではないの。」

 以上だ。わたしの筆記に現れたのはこれだけ。


 ピックアップして分かることは、


〇子どもたちの発言を無視しての、一方的な言葉かけ、発問は皆無だ。すべて子どもたちの発言を受けている。

・それまでの子どもたちの考えに対し、逆の考えを引き出せないか。

・子どもたちの考えの根拠、理由を引き出せないか。

・(指導者が)それまでの子どもたちの考えを集約することによって、さらに、子どもたちの手で、学習を深めることができないか。

・孤立無援になりそうな子が出た場合は、指導者がその子に寄り添う言葉かけをしてやろう。それによって、応援したくなる子が出るかもしれない。


 そう。

 すべて、子どもたちの思い、考えに寄り添う言葉かけとなった。

 
〇ただし、Aさんのあせりを感じるところはある。

 前記事でもふれたように、授業の前半でAさんは、『カンバンが目だつか目だたないか。』の話し合いを早く脱して、『お客さんが大勢C商店街に来る理由』に、学習を進め(深め)たいわけだ。

 それで、2と3の言葉かけでは、『遠くの人は分からなくてもいいか。』『知っている人しか分からないのだものね。』と言いながら、

 『(C商店街は、)有名だから、』あるいは、『(安くて新鮮という)うわさが広まっているから』、アーチなんか小さくて目だたなくても、そのようなことには関係なく、お客さんは大勢やってくる。

という発言を引き出したいわけだ。


 ところが、なかなか、その発言が出てこない。子どもたちは、あい変わらず、目だつ、目立たないの話し合いにこだわっている。

 したがって、2はともかく、3では、けっこうあせりにも似た気持ちになったのではないか。


〇子どもたちの話し合いには、潮時というものがある。

 しかし、いくらあせっても仕方ないのだ。子どもたちの話し合いには、潮時というものがある。それまでは、子どもたちに付き合うしかない。

 そうしたことは、今、Aさん、学んでいるところではないか。


 つまり、こういうことだ。

 問題解決学習においては、学びの主人公である子どもが主役であり、子どもたちが、まだこだわりたいとしていれば、いくら、指導者が水を向けても、子どもたちはのってこない。

 それだけの思いを、子どもたちはもっている。


 そのいい例が、Aさんの2の投げかけと、それ以降の子どもたちの話し合いだ。再度、リンク先をご覧いただこう。


 2で、Aさんは、早く、『遠くからアーチが見えなくても、C商店街にお客さんは大勢来るからいい。』という言葉を引き出したいわけだ。

 しかし、子どもたちは、Aさんの言葉かけを無視し、今度は、英語の話題を持ち出して、相変わらず、カンバンにこだわる。

 このやりとりのあたり、Aさんは、きっとイライラしたことだろう。

 でも、仕方ない。子どもにとって、こだわりたいということは、それだけ切実なのだから、指導者はつき合うしかないのだ。


 英語をめぐっての話し合いが一件落着したと思われたころ、再度、3の投げかけをした。

 今度はよかった。『目だたないけれど、でも、お客さんはいっぱい来る。』と、子どもがのってきた。


 Aさんは、安堵の思いになったことだろう。

 その安堵の思いが、4となって現れる。

 ここのところ、記事では考察を入れてしまったのだけれど、

 実際は、子どもの、『目だたないけれど、でも、お客さんはいっぱい来る。』の発言のあと、間髪入れずにA4となった。


 ここでの、Aさんの気持ちを推察すると、

 せっかく、『大勢のお客さん』の存在に、子どもが目を向けてくれた。しかし、このまま放置して、話し合いが元のカンバンに戻ってしまったのではかなわない。ここはぜひ、『大勢のお客さん』に着目させよう。

 そうした思いが、『間髪入れず』に現れたように思う。


 でも、結果的にみれば、やはりここが潮時だったのだろう。

 今度は、子どもたち、Aさんの言葉かけを無視せず、『カンバンは目立たないのに、大勢のお客さんが来るわけ』の話し合いに集中し出した。


〇A7の意味するところは?

 Lさんの、『C商店街は人が多くてゴミゴミしていて、うるさいから、ほとんど行かない。』の発言には、感動した。すごいと思った。

 その理由は、

 前記事にも書かせていただいたように、この発言をしたLさんは、どちらかと言えば内気な子だ。

 そのLさんが、C商店街について、マイナス的イメージをもっていることは、数時間前から、Aさんもわたしも、分かっていた。

 それは、Bスーパーの学習のとき、Bスーパーによく買い物に行くわけとして、ノートに書いてあったからだ。でも、ここで、これを、発言するとは思わなかった。びっくりした。

 だって、みんなから、集中砲火を浴びることは確実だものね。


 わたしたちは、内気な子がノートに価値あることを書いていた場合、何とかそれを授業の表舞台に引き出そうとして、手を尽くす。

 たとえば、

 ・その内容のすばらしさを朱書きして、発言意欲をそそろうとしたり、

 ・授業中も、『言えたら言ってごらん。』などと水を向けたり、

 ・言えそうもなかったら、『わたしが代わりに読んでいいかな。』などとお願いしたり、

 ・それでも、拒否される可能性が強ければ、『誰がノートに書いていたか忘れちゃったけれど、こんなことを書いていた子もいたよ。』というかたちで紹介したりするけれど、


 この場合は、『C商店街にお客さんが大勢来るわけ』を学習しようとしているのだから、Lさんの思いが出たのでは、むしろ、じゃまになる。

 だから、Aさんは、上記のようなことをしてまで、この発言を引き出そうとはしていなかったに違いない。

 それでも出てしまった(?)。


 Aさんは、内気なLさんがすごいことを言ったと、感動したには違いないけれど、

 そして、心配したとおり、反論が相次いでしまったけれど、

 でも、それは、Aさんの性格等度外視して、純粋に授業の流れからだけみれば、反論によって、スムースに学習がすすみそうで、ホッとしただろうし、

 でも、言ったのがLさんだけに、孤軍奮闘(?)させてはかわいそうとも思ったに違いない。

 そうした、複雑な思いが言わせたA7ではなかったか。


 それだけに、

「Lさんだって一度行ってみればいいと思う。そうすれば気に入るよ。きっと。」
「今日、一緒に行こうよ。」
のように、反論しながらも、Lさんと心を通わせようとする発言は、うれしかったに違いない。



 さて、

 授業の記録から言えることはここまでにさせていただいて、


 Aさんは、ここまで成長した。子どもの思いや考えを十分引き出し、活気ある学級集団を創り上げた。反論もいっぱい出るようになり、議論は、深まりをみせるようにもなった。それはすばらしい努力だ。


 それでは、Aさんの次なる目標は何か。そこに目を転じてみよう。


〇今のところ、Aさんは、学習問題づくりに苦労しているようだ。

 この点に関しては、前時の最後、それは本時の学習問題でもあるわけだが、さらには、本時の最後、それは次時の学習問題となるわけだが、

 子どもたちがいろいろ言うなかで、どれを学習問題としたらいいかが、よく分かっていない。


 でも、これは、仕方ないよね。

 ある程度、瞬時の判断を迫られるし、

 その瞬時のなかで、それを学習問題としたら、『どんな話し合いになりそうか。』また、『どのような価値ある学習内容が押さえられそうか。』それを見極めなければならない。


 これはもう、成功や失敗を繰り返したり、研究したりしながら、経験で身につけていくものだろう。

〇学習問題について、一般論としていえることは、

・不思議のタネを模索するようにする。

 子どもたちが不思議がることを問題とすれば、議論沸騰が期待される。

 この場合なら、『カンバンが目だたないのに、お客さんが大勢来るのはなぜか。』ということだし、次時で言えば、『Bスーパーは若い店員さんが多いのに、C商店街のお店の人はお年寄りが多いのはどうしてか。』となる。

 それが、不思議のタネだ。

・ただし、『逆も真なり。』

 先ほど話題にしたLちゃんの考えを、次時の学習問題に想定したらどうなるだろう。

 一見、『C商店街に人が大勢来るわけ』に迫ろうとしているのに、『人が来るかな。来ないかな。』の問題に戻りそうな感じがしないか。

 でも、必ずしもそうとばかりは言えないだろう。

 Lちゃんが感じた、『うるさくて、〜』に着目すれば、うるさいわけは、お店屋さんとお客さんとのコミュニケーションが活発ということだから、それを追求していけば、深まるようにも思える。そうとらえれば、いい問題ともなりうるわけだ。

 ただ、この場合は、『内気なLちゃんが孤軍奮闘ではかわいそう。』という思いがあり、却下させていただいたのだけれどね。

・逆に、学習問題設定の失敗例としては、

 指導者が、こんな問題なら価値ある学習ができそうだと思っていて、それに迫れそうなことを、ドンピシャと子どもが言った場合、たった一人の発言なのにすぐとびついてしまうことが多々ある。そうすると、しらけムードになってしまうこともある。

 多くの子にはそのような問題意識がないのだ。その場合、食いつき不足が起き、むなしい話し合いになってしまうこともある。


 以上、Aさんには、そのようなことを把握し、さらなる成長を目指してほしい。


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 学習問題については、補足したいことがあります。

〇それは、『高学年になれば、学習問題づくりも、その多くを子どもの手にゆだねたい。』ということです。
・何が価値を生み出すか。
・どんな学習の流れにしたらいいか。
 それも子どもが考えて決めるのです。

 その場合、問題づくりが行われると同時に、仮説もたてるようになるでしょう。

 そこまで子どもがやるようになると、『自己教育力』も豊かになりますね。また、国のいうところの、『生きる力』の極致のようにも思います。

〇もうご理解いただいていると思いますが、

 授業というのは、前時、本時、次時と、あたかも、連続ドラマのごとく進んでいくものです。わたしたちは、それを、『ストーリー性を大切に』と言っています。

〇そのうちの一つとして言えることですが、授業の多くは、前時の最後に、本時何を学習するかが決まります。連続ドラマで言えば、『続く。次回をお楽しみに。』といったところでしょうか。

 このように、授業を仕組むと、学習問題が切実であればあるほど、また、言いたいことがあればあるほど、家へ帰ってからもこだわりますので、資料を収集しようとしたり、おうちの人にいろいろ聞こうとしたりするようになるでしょう。

 わたしの宿題論、家庭学習論は、そのような授業のあり方と深く関連しています。


 かつて、これに関連する記事を書いたことがあります。よろしければご覧ください。なお、ここにも、商店街とスーパーの学習が出てきますが、これは、昨年の勤務校のものであり、もちろん、本記事とは学校が異なります。

    toshiの家庭学習(宿題)論(1)    

rve83253 at 14:44│Comments(0)TrackBack(0)初任者指導 | 社会科指導

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