2009年12月28日

教員の精神疾患が過去最多とは、3

77e52744.JPG 冒頭、標題にまったく無関係の話で申し訳ないのだが、
 2ヶ月くらい前だっただろうか。拙ブログサイドバーに、EDUPEDIAをリンクさせていただいた。(2011年8月現在、本サイトは工事中とのこと。開けません。)

 そのころ、EDUPEDIAを運営されている方からメールをいただいたのだった。『ぜひ記事の投稿をお願いしたい。』とのことだった。拙ブログ(姉妹ブログ、HPを含む。)に掲載済みのものでもよいとのことだったので、快くお受けすることにした。すでに、6つの記事を投稿させていただいている。

 ところで、EDUPEDIAとは、サイドバーで簡単に説明させていただいているように、教育実践の百科事典ともいうべきものである。したがって、投稿する方は様々。各記事の教育観、指導観なども同様である。かつて拙ブログで批判したことのある『指導』も含まれているようだ。

 それはさておき、
 驚いたのは、投稿し始めて二ヶ月くらいたったときだった。わたしの『くつかくし対処法』なる記事が、同ホームページのランキングのトップになった。(2011年7月29日に補足させていただきますが、当サイトは前述の通りただ今工事中とのことですので、同じ趣旨の拙サイトを紹介させていただきます。『学級経営・児童理解のページ』

 それだけ、この種のトラブルを経験する教員が多いのではないかと思われた。


 ここで、やっと、標題の記事になるのだが・・・、どうも、すみません。

 一昨日、ネットのニュースを読んでいたら、『公立校教員:精神疾患で休職5400人 過去最悪、16年連続の増加』なる見出しが目についた。
 まあ、覚悟していたとはいえ、『16年連続』と書かれると、やはりショックである。16年といえば、わたしにとっては、校長になってから、退職後初任者指導を続けている現在に至る期間となる。
 その間、わたしが担当した初任者にそういう例はない。ただし、校長時代、勤務校職員のなかに、精神疾患にまでは至らなかったものの、ちょっとそれを思わせる事例はあった。
 
 
 さて、
 ある新聞記事によれば、精神疾患の原因として、国は、
・生徒指導や教育の内容の変化に適応できない。
・職場でのコミュニケーションが減り、相談相手がいない。
・多忙化でストレスが増した。
・保護者や地域住民の要望が多様化し対応できない。
という点を上げている。

 でも、わたし自身が見聞きした例で言わせていただくと、それは、年々生徒指導と保護者対応の困難さがましていることに尽きるようだ。
 すなわち、言い方を変えれば、学級経営に困難さを感じる教員が増えているのだと思われる。

 つい最近も、これにかかわる記事を書かせていただいた。『小1プロブレム』に関する記事だ。
 その記事では、小1プロブレムの原因の一つとして、
 『これまで、長年、経験とカンにたよっていた教員、また、『子どもとはこうあるべき』という自己流の信念(?)をもった教員が、子どもの変化についていけなくなったというのが、ことの本質ではないか。』
と書かせていただいた。

 また、同記事に対して、redu06さんから、『〜、子供の変化の質とスピードは尋常ではありません。〜。』なるコメント(リンク先のコメント4番)もいただいている。
 このことは、小1プロブレムのみでなく、教員の精神疾患の要因にもなっていると思う。

 ここで、冒頭の、EDUPEDIAに投稿させていただいた、『くつかくし対処法』の記事に戻らせていただこう。
 この記事が、わずか2ヶ月で、ランキングのトップになるほど読まれたことについては、精神疾患まではいかないにしても、こういうトラブルへの対応に悩んでいる教員が多いのではないかと思われた。

 いや。くつかくしくらいならまだいい。現実はもっと対応困難な事例が多いのではないだろうか。

 さあ。ここで、わたしがEDUPEDIAに投稿させていただいたなかから、もう二つ、別な記事を紹介させていただこう。精神疾患に至るほどの話ではないが、その原因や対策を考える上では、ヒントになる面があるのではないかと思う。
『深みにはまらないようにするために』(これも同上の理由で補足します。『深みにはまらないために』

 この記事の事例2だが、
 『いいかげんにしなさい。今度吹いていけないときに吹いたら、笛を取り上げるわよ。』などという言葉は、むかしなら、多くの教員がふつうに言っていたのではないか。そして、子どもの方も、笛を返してもらわないと自分がこまるから、たいがいは、『先生。ごめんなさい。』となったのだと思う。
 そういうむかしの流儀が、今は通用しなくなった。子どもは、明らかに変化している。それなのに、一部の教員は、それについていけない。


 しかし、これについては、明るい兆しも見える。我が地域だけのことではないと思うが、
 運動会の練習風景は、むかしと激変している。
 むかし、わたしが若かったころ、多くの先輩方は、子どもを叱りつけたり怒鳴ったりしながらやったものだった。
「ほら。そこ。・・・。ちっともそろっていないじゃないか。何やっているんだ。やり直し。」
「手いたずらばかりしているんじゃない。ちゃんと前を向きなさい。」
 学級数も多かったが、ダラダラしてやっている組だけ、懲罰的に練習させるなどということもやった。
 しかし、今、こうした光景はまったく見かけない。多くの教員は子どもを励ましたり、ほめたりしながらやっている。
「ああ。そこの〇〇さんたち、とてもいい。上手よ。」
「そう。そう。その調子。いい。いいわよ。・・・。うわあ。うまくなったね。これなら、本番はもっとすてきな演技ができるわね。」
 とても好感のもてる練習風景となっている。

 ああ。教室においても、こういう対応ができれば、精神疾患の教員など、減少すると思うのだけれどね。

〇もう一つ。『とらわれの心からの開放』がある。(これも拙サイトから紹介させていただきます。そちらでのタイトルは、『わたしも若いときは』となっています。)

 これは、わたし自身の若かったころをふり返り、記事にさせていただいた。
 わたしの修業時代だ。
 過去をふり返れば、わたしも悩み多き時期があった。
・子どもがついてこない。
・子どもの心がつかめなくなった。
・どうも子どもとの関係がギクシャクしている。
 そう感じた時期があった。

 でも、幸い、よき先輩のアドバイスをいただいて、子どもの変化に即応した指導がとれるようになった。
 今、その先輩には、感謝してもし尽くせないほどの恩義を感じている。

 自分を変えるというのは、歳がたてばたつほど大変になる。記事には、こだわりと書かせていただいたが、こだわり以前に、長年しみ付いた自分のやり方を変えるのは、それがただ単にやり方だけではなく、自分の内面を変えていくことを余儀なくされるので、それが困難さを伴う最大の要因だろう。
 しかし、それができれば、モヤモヤした霧が晴れるがごとく、ほんとうに明るく楽しい風景が目の前に広がっていく。
(もう一つ、中学校初任者の事例です。お時間のある方、及び、中学校の教員の皆さんにお読みいただければ幸いです。『初任者の成長(3) 中学校の事例 光が見えてきた』


 ところで、
 教員の読者の皆さんからは、『いや。子どものことではないのだ。今は、保護者対応で大変なのだ。』という声が聞こえてくる。
 それも、痛いほど分かる。

 子ども同士のトラブルをめぐって、我が子の言い分をそのまま信じ込み、すぐ学校に苦情、抗議を持ち込む保護者がいる。よくわたしたちは、『親の子ども化』と言っている。(いや。ごめんなさい。モンスターペアレントのそれは、多くの善良な保護者が持ち込むそれとは、明らかに次元が異なるのです。)

 しかし、それとて、子どもが、『先生大好き』で、信頼関係が構築されていれば、保護者は我が子の言い分をうのみにするのであるから、事件(?)にはならないのだ。
 
 最後に、拙ブログの過去記事から、直接教員の精神疾患にふれたものではないが、結果的に教員のそれを防ぐであろう学校経営、学級経営のあり方にふれた記事を紹介させていただこう。

    校長の立場から、

    学級担任の立場から、

〇やはり、基本的に大事なのは、『愛』ではないか。しかも、それは、相手に伝わる愛でなければならない。今の教育が危機に見舞われているとすれば、その基本が忘れられているからではないか。
 『子どもとはこうあらねばならない。』
 そう思って実践している者ほど、今という時代、危機に見舞われるような気がしてならない。

〇『愛』は、管理職と教職員間においても重要だ。どうも、近年、学校の管理色が強まり、いや、強まること自体はいいのだが、それが強権発動的になってくると、一般的に、教員の精神疾患が増えるのは当たり前だし、これは民間企業も同様ではないか。

 その点、冒頭書かせていただいた国の分析に、『多忙化でストレスが増した。』とあるのは、いささかこっけいである。多忙化させたのは、国ではないのか。そういう分析があるのなら、自分で何とかしなさいよ。

 もっとも、今は、民主党を中心とした連立政権。何とかしてくれるだろうとは思っている。(ここは、2011年7月現在としては、カットしたい部分ですね。すみません。)


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 ninki



 さて、ふり返ってみれば、わたしも、過去に、精神疾患寸前だったことがあるように思います。
 それは、会社員だったときで、過去記事に書きました。精神疾患にふれてはいませんが、記事の内容からそれをうかがうことができると思います。

 そう。そう。本記事中の修業時代にも、少しふれています。
 よろしければご覧ください。
    ミスマッチと言うけれど、
  

rve83253 at 01:57│Comments(6)TrackBack(0)学級経営 | 教員の指導力

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この記事へのコメント

1. Posted by redu06   2009年12月28日 17:27
>やはり、基本的に大事なのは、『愛』ではないか。しかも、それは、相手に伝わる愛でなければならない。今の教育が危機に見舞われているとすれば、その基本が忘れられているからではないか。

そうなんだろうと思います。何が愛であるのか、物事が複雑になりすぎてわからなくなってしまっている部分があるように思います。

私が教員になった20年ほど前に、既に年配の教員は「この頃忙しくなった」とぼやいておられました。その20年前の行事予定表と今の行事予定表を見比べると、今の方が1.5倍ほど盛りだくさんの文字が書かれています。

4月の初日に配られる書類はついに30通を超え、新任教諭の状態を心配して隣の教室をのぞきに行くと、あまりの多さに子供たちは「あの手紙がない、この手紙が2枚あると」騒然としはじめ、新任教諭の手紙を配る手は震えていました。

数えあげればきりがないほどの混乱にのまれ、学級は崩壊し、職員室は寒々しい空気に包まれています。同僚が心や体の病に倒れています。助けないと、変わらないとと思いながらも、自分の足元さえ危うい自分がいます。

いくら強く思っていても、言葉や行動が伴わないと、愛は伝わらないですね。愛を伝える言葉や行動をちゃんと考えていきたいと思いました。
2. Posted by toshi   2009年12月29日 10:30
redu06さん

 だんだん愛が伝わりにくいし、愛に対し鈍感な時代になっているのでしょうか。初日、30通を超える配布物というのは驚きました。教室の混乱が目に見えるようです。精選を図るとか、不急なものは後日に回すとか、あらかじめ児童の机上においておくとか、何らかの方法はあると思いますがね。 
 それに、全部、保護者や児童がそれに目を通し理解するとは思えませんから、ここにも建前主義が見え隠れします。
 こういうことは、管理職が何とかしなければいけないことだなとつくづく思いました。
3. Posted by rusie   2009年12月30日 09:09
5 『深みにはまらないようにするために』『とらわれの心からの解放』・・思い当たることだらけでした。深みにはまってしまっていました。自分で自分のクラスをだめにしていってるような感覚も持ったことがあります。周りの先生達を意識して,特にクラス担任では今は最年長なので,しっとりしたいいクラス作りをしていなくてはいけない,という自分へのプレッシャーがいつもある気がします。それが今の自分の苦しさのもとで,子供達に申し訳ないことをしていたのだと思います。以前,そういうことから解放されてのびのびと子供達と接していたこともあるのに,なんということでしょう。子供のいいところを見つけるのには自信があったのに。
今気付かせていただいたことをもとに,もう少しいい教師になってみたいと思います。
今年1年,たくさんのことを教えていただきました。ありがとうございました。来年もよろしくお願いいたします。
4. Posted by toshi   2009年12月30日 21:40
rusieさん
 とんでもありません。rusieさんは、しっとりとしたいいクラスづくりをしていらっしゃいます。
 わたしこそ、『とらわれの心からの解放』に書かせていただいたように、ほんとうに悩んだ時期がありました。試行錯誤の連続だったです。
 それに、人間、いくら修業と言ったって、それ以後は一切うまくいったなどということはないですね。反省の連続でした。
 この歳になって、初任者のクラスで時々授業をやらせてもらっていますが、『ああ。今日はよかった。』などと思うこともあるのですよ。退職していますのにね。

 さあ。来年も、拙ブログをよろしくお願いします。よいお年をお迎えください。
5. Posted by SZK   2010年01月04日 21:14
〇『愛』は、管理職と教職員間においても重要だ。どうも、近年、学校の管理色が強まり、いや、強まること自体はいいのだが、それが強権発動的になってくると、一般的に、教員の精神疾患が増えるのは当たり前だし、これは民間企業も同様ではないか。

自分の場合はこれでした。

ついでに、逆の場合
管理職がつるし上げされてる状態の職員室も経験しましたが、異常ですね。

今年も、ブログ楽しみにしております。<(_ _)>
6. Posted by toshi   2010年01月05日 08:09
SZKさん
 管理職のつるし上げ、
 確かに異常ですね。むかしは我が地域でも、少なからずあったようです。どちらにしても、教育の場にあるまじきことで、これでは、子どもへの愛どころではなくなりますね。

 こちらこそ、今年もよろしく。

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