2010年01月09日

若者よ。挑戦的な生き方を。3

c792322a.JPG お正月のNHKスペシャル生激論を聞いた。

 それをかなり正確に記したブログを見つけたので、リンクさせていただこう。

    ニコブログ NHKスペシャル『生激論2010 にっぽん大転換!? 』 メモ&感想

 このなかの、『討論ぁ‘本の未来のための成長戦略は』で、

菅直人副総理が語る。

 「坂の上の雲をめざす。

・とにかく日本でベンチャーが育たない。
・技術とお金とマネージメント、だいたいマネージメントで失敗している。
・ベンチャーが育つ国にしないと元気になったことにならない。」 

 また、『討論ァ 叛こΔ涼罎離縫奪櫂鵝瓢笋燭舛料択は アメリカ重視?アジア重視?』

では、やはり、同氏が、

「・(先ほど、)坂の上の雲と書いたのは、(今の日本は、)若者の消極性(が目立つからだ)。
・外国に留学したいという人が減っているし、優秀な人が外に行きたがらない。
・日本全体的に、若者の意識が収縮している。」

と語った。

 
 後者の意見は、すぐさま、他の論客から反論された。

 まず、東国原知事。

「・(今の日本は、若者が、)夢を持てるような政治や社会ではない。」

 次、川本裕子氏。

「・若者にだけ野心をもて、外に向かっていけと言っても無理。」


 それに対し、菅直人氏は、

「それは卵と鶏の関係でどちらとも言えない。

 原始的な元気を取り戻さないと中国やインドに負けていく。」

と切り返したのだが・・・、




 さて、

 これはやはり、『鶏と卵』なのだろう。

 これだけ不況が続いて、就職難で、少子化も進行し、おまけに、年金、医療問題への対応はお粗末で、将来が思いやられるし・・・、これで、夢と希望をもてと言われてもね。

 若者でなくても、ちょっと、『人生に挑戦的になれない。』のは理解できる。


 
 でも、ひるがえって考えるに、

 わたしが15歳のときだったが、

 夜が明けてもくれても、『安保反対』『安保粉砕』の大合唱で、ものすごい若者のエネルギーが、国会を渦巻いた。

 そのころはまだ、高度経済成長期以前で、やはり、将来に夢や希望を抱ける時代ではなかったが・・・、

 たぶん、当時は、イデオロギーに燃えたのだろう。でも、今は、そんな時代ではないね。

 それに菅さんだって、そんなことを言っているわけではない。

 ただ、若者がエネルギッシュだったことは確かだ。


 わたしのまわりを見ても、みんな、一様に企業に就職するのではなかった。それこそ、海外に雄飛した者もいたし、家業を継いだもの、職人を目指したもの、いろいろだった。

 わたしが初任のころの教え子を見ても同様だ。もうそのころは、高度経済成長期だったけれど、福祉、芸術、芸能、学問、教員、起業、家業など実に多彩で、企業等への就職者の方が少ないくらいだった。


 だから、本来、たとえ就職難でなくても、『よし。自分で起業してやれ。』くらいの迫力ある生き方が、もっとあってもいいのではないか。

 

 と、そこまで述べて、

 わたしの立場で言わせてもらえれば、これは、やはり、日本の教育にも、問題があるように思うのだ。

 ちょうど、上記リンク先の討論でも、

 マエキタミヤコ氏が、『教育は多様性』ということを言っている。


 
 そう。まさしく、『教育は多様性』だと思う。多様な考え方、生き方を保障するような教育が行われなければならない。

 でも、わたしたちは、そういう教育をやってきたかな。なんか、画一的で、規格に合った人材育成に励んでこやしなかったか。



 多様な生き方の保障といっても、それは、『分ける。』ことを意味するのではない。

 いろいろな能力、個性をもった子が一緒に学ぶなかで、

『うわあ。世の中には、いろいろな考え方、生き方があるものだなあ。』
『自分にはちょっとまねできそうもないが、あんな考え方、生き方ができたらいいだろうなあ。』
『いろいろな考え方、生き方の子が一緒に学び、刺激し合って生活しているから、協力し合うなかで、成果を上げることができるのだなあ。』

そうしたことを実感できる教育。つまり、多様性とそのよさを実感できる教育こそ大切にしなければいけなかったのではないか。


 また、

『なるほど。分かったよ。Aちゃんの言ったことはそういうことか。』
『おもしろいねえ。ぼく、思ってもみなかったよ。』
『すごいね。みんなで考えたら、新発見しちゃったね。』
『そうかなあ。でも、〜いうことも言えるのではないの。』

などという言葉が子どもからふんだんに出てくるような授業であるべきだった。



 どうだろう。

 こういう授業を経験し、力をつけることができたら、それが、ベンチャー起業精神につながったのではないだろうか。

 あるいは、そこまでいかなくても、主体的、自立的な精神が養われたのではないだろうか。


 
 さて、最後に、

 どうだろう。

 今の日本社会の現状では、やはりベンチャー精神は無理か。

 
 そんなことはない。前述のように、いろいろ制約はあるかもしれないけれど、ここは一念発起してほしい。

 わたしは、そのあたり、夢と希望をもって人生に挑戦してほしいと思い、そうした記事を書いたことがある。今、リンクさせていただこう。この記事の末尾あたり、『その1』から始まる。

    不況を乗り越える!


 同記事の『その1』では、このネット社会がもたらす社会変革にふれている。

 これまで、高度経済成長期を支えた経済システムは、大量生産とそれに見合う大量消費だった。そこでは規格化された商品が安く売られていた。

 しかし、今、それもあるだろうが、『その1』の事例で示すように、ネットが、少量生産と少量消費も、立派に市場として成立できるようにさせつつある。かの、アマゾンにしても、ふつうの本屋なら返本してしまうような出版物が、有力な売れ筋になっているのだものね。

 
 ネットによる少量生産と少量消費の社会は、目だたないけれど、深く静かに進行中である。やがて、気づいたら、社会の一大変革がなされていたということになるだろう。

 これは、個性尊重の社会、多様性を認める社会の出現だ。

 そして、ここには、今、無限の可能性がふくらんでいる。若者が、ベンチャー精神を発揮するチャンスも、大いにありそうだ。


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 今、一般的には、『もう、この社会は固定的で変わらない。』『退化するのではないか。』という思いが、蔓延してしまっているのではないでしょうか。八方ふさがりのような気分になってしまっています。

 しかし、上記ネット社会要因以外にも、ネットそのものの進化、環境産業の拡大など、社会変革の要素はけっこうあるように思います。

 さあ。これは、若者の努力と相まって、現政権の力の見せどころでもありますね。世の中の気分を大きく変え、人々が明るい展望を抱けるようにしてほしいものです。
    




rve83253 at 01:49│Comments(4)TrackBack(0)教育風土 | ブログ、ネット

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この記事へのコメント

1. Posted by A   2010年01月09日 11:02
小中学生に目を向けるのも良いですが、
最近は高専の学生が力をつけてきています。
彼らが力をつけられるように援助を行ってはいかがでしょう?

過去に行われたSSH(super science high-school)
のように遅効性ですが効果が大きかった教育プロジェクトが多くの高専に浸透することで、またそのプロジェクトの援助が民間から出る文化が作られることで、数年後には産業にとって大きな力となりえましょう。

ぜひ時間と資金に余裕がある大人の方々が、こういったマッチングを行ってください。
こんな企業が次から次へ出てくると社会にも活気があふれそうですhttp://jp.techcrunch.com/archives/20080909techcrunch50-tonchidot/

※もちろん小中学生に対する教育も、他人の個性を尊重することを学びベンチャーを支援する社会の風潮を作るという点では効果があると思いますが、はたしてプレーヤーを育てるのとオブザーバを育てるのと、どちらを優先するべきか。
2. Posted by zazen256   2010年01月10日 04:26
全ての人々は成長期に哲学的思索を味わう時期があると思うのです。そのとき彼らの思索を導くには何が必要なのかということを真剣に検討して欲しいと思うのです。人間教育とは人の心に響く形で成されるものであると思うのです。
 戦後教育を含めて現代の教育は、あまりにも皮相的に過ぎると思うのです。
 人間の脳細胞はグリア細胞まで含めると数百兆個もあるそうです。人のDNAを一本の糸にすれば、なんと太陽と地球の間を八往復する長さになるそうです。そのような人間を教育するというのですから、おのずから謙虚にならなければなりません。
 教育は人々の成長を支援すること以上のことはできないと思うのです。
3. Posted by toshi   2010年01月10日 22:14
Aさん
 未来が明るくなるようなすばらしい取組をご紹介いただき、ありがとうございました。
 高専については、我が地域においても、すばらしい人材が育ちつつあること、わたしも、知らないわけではありませんでした。
 ただわたし自身は、小学校の教員として、今も、初任者指導に取り組んでおりますので、その視点から考察しています。

4. Posted by toshi   2010年01月11日 09:36
zazen256さん
《全ての人々は成長期に哲学的思索を味わう時期があると思うのです。》
 そう。その通りと思います。ところが、日本は、この人生の大事な時期に受験という足かせがあり、思索ができにくくなっています。
《人間教育とは人の心に響く形で成されるものであると思うのです。》
 これも同じです。人生のある時期、受験システムのために、人間教育が疎外されています。
 zazen256さんがおっしゃる、『皮相的』のかなりの部分は、このことにかかわっていると思います。
《おのずから謙虚にならなければなりません。》
 ああ。いい言葉ですね。学ぶ主体者に対し、指導者は謙虚でなければいけない。ほんとうにそう思います。ところが、今の日本は、受験体制といい、近年の学力狂騒といい、大人がまったく謙虚さをなくしています。
 その結果として、つまり、子どもを大切にしていないことが、『ベンチャー精神が育たない。』状況をつくっているのでしょうね。

 なお、受験システムの問題については、何度か拙ブログに書いております。そのうちの一つのURLを、本コメントのHN欄に貼り付けました。本コメントの『toshi』のところをクリックしていただければ出るようにしましたので、よろしかったらごらんください。
 

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