2010年01月13日

自分を冷静にみる力が、5

20acb088.JPG 新年を迎えても、初任者Aさんの学級はますます快調である。寒さをものともせず、校庭を走り回る姿は、やる気いっぱい。しかも、みんなでやる体育が、楽しくて仕方ないといったふうである。

 先に、このクラスの、学級経営に関するアンケート結果に関して記事にさせていただいたことがあるが、学級生活に対する満足の度合いは、ますます強まっていると感じられる。


 そんななか、同調査で満足群に属さなかった6人の子と、属したものの屈折した心を感じるBちゃんに対して、Aさんがこれまで以上に寄り添おうとしているのを感じ、とてもうれしく思う。


 やはり、担任がそのように心がけると、子どもは落ち着きを見せるようになるものだ。安心感が増すのではないか。




 さて、本記事では、その6人の中の一人、Cちゃんをとり上げたいと思う。


 と言っても、とりたててどうということではない、日常ありふれた、ほんのちょっとしたエピソードである。ただ、Cちゃんの言動なだけに、心打たれたと言えよう。


 Cちゃんは、過去記事に登場してもらった(?)ことがある。姉妹ブログの『小学校初任者のブログ』の方なので、Cちゃんの変容を見ていただく意味では、まず、下記リンク先をお読みいただければ幸いである。なお、リンク先では、Bちゃんとして登場する。昨年、7月のことだ。

    『雨降って、地かたまる。』


 さあ、以下は、そのCちゃん(過去記事ではBちゃん)の今日の出来事である。


 わたしは、今日、Cちゃんたちのグループで給食をいただいた。

 
1.『いただきます。』の直前だ。わたしは自分の給食にストローがおかれていないことに気づき、
「あっ。ストローがないね。」
と言った。

 すると、Cちゃん。給食当番でもないのに、
「ああ。ごめんなさい。」
と言って立ち上がり、自分の分のストローをわたしのところにおいて、そして、ストローを取りにいった。

 リンク先に書いたようなことが気になっていたから、これは、もう、実に奥ゆかしい行動にうつった。


 だけど、これを、ほめるのは変だよね。

 ただ、ただ、『ありがとう。』を繰り返した。


2.しばらくすると、隣りの班のDちゃんが、『あっ。ぼくのスープがない。』と大声をあげた。

 すると、Cちゃん、間髪入れずに、
「そんな、給食当番に持って来させないで、自分で取りに行きなさいよ。」
と、言う。

 そう言われ、Dちゃんは、恥ずかしそうに取りにいこうとした。もっとも、当番も持って来てくれたから、途中で受け取ることになったのだけれどね。


 わたしは、そのやり取りをみていて、
『ありゃ。これは、先ほどのわたしのストローの件とは違い、むかしのリンク先記事に書いたときのCちゃんに戻っちゃったかな。』

 『おせっかい。』そんな思いもちらついた。


3.その後だ。

 給食をいただいて、多くの子がお代わりをし出したころ、Cちゃんの隣りのEちゃんが、ご飯のお代わりに行こうとした。すると、Cちゃんが言う。
「スープのお代わりもないか、見て来て。」

 お代わりを終えて戻ってきた、Eちゃん。
「たっぷりあったよ。」
と報告。

 すると、Cちゃんが言うのであった。
「ごめんね。わたし、自分で見に行くべきだった。たのんでしまってごめんね。」
なんと、Eちゃんに謝ったのである。

 Eちゃんは、なぜ謝られるのだろうと、いぶかしげな顔。

 そうだよね。Eちゃんにしてみれば、たのまれたからやってあげたまで。『ありがとう。』と言われるのなら理解できただろうけれど、謝られる筋合いはない。


 わたしはもちろん理解できた。読者の皆さんも理解できるでしょう。


 そう。Cちゃんは、先ほどのDちゃんへ言った言葉、『そんな、給食当番に持って来させないで、自分で取りに行きなさいよ。』が頭をよぎったに違いない。

 人に、『自分で取りに行け』と言った手前、今度は、自分が、お代わりの分が残っているか、『見て来て。』と、人に言ってしまったことを恥じたに違いない。


 結論を急ごう。


 わたしは、このCちゃんの言動に、ジーンと熱いものがこみ上げてきたのである。それは、やはり、リンク先記事のことが念頭にあったからだ。

 自分で自分を冷静に見つめることのできる力、それが、身につきつつあることを感じた。

 まだ、時として、えばってしまうことはあるけれどね。

 でも、こうして自分を客観視できる力がつけば、謙虚な姿勢を身につけるのももうすぐだろう。


 いつもなら、担任のAさんに報告し、Aさんからほめてもらうのだが、これは、わたしがほめてやっていいだろう。Aさんはずっと向こうのグループで食べているし、そんな大げさにしたら、Cちゃんだって恥ずかしいくらいの、ちょっとしたこと。そう思った。 

「Cちゃん。えらかったよ。Eちゃんにたのまないで、自分でお代わりの分があるか見に行けばよかったって、思ったのだね。」

 それだけで、2人のあいだでは話が通じたようだ。

 Cちゃん、はずかしそうににこっとほほえんだ。


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 このように、変容をみせていくCちゃん。

 今、冒頭のべたアンケートを実施すれば、Cちゃんも立派に満足群に位置づくでしょう。そう思えます。

 小さな、小さなできごとからも、子どもの変容がうかがえると、ほんとうにうれしくなります。

 放課後、ことのてんまつとその評価を、Aさんに話しました。

rve83253 at 23:14│Comments(2)TrackBack(0)子ども | 児童観

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この記事へのコメント

1. Posted by しれとこまま   2010年01月17日 14:34
こんにちは。ご無沙汰しています。
今回の記事を拝見して、子供の通う学校に、A先生のような先生がいたら、どれだけ子供たちが救われるか、toshiさんのような指導ができる先生がいたら、どれだけ雰囲気が変わるか、考えてしまいました。
今、小6長男の担任は、「褒める」ことが苦手なようで、いつもがみがみ口調です。
能力ごとに対応を考えなくてはならず大変なのはわかりますが、一人一人にきつい口調で「それは大変だわ!」「よく考えてやりなさい!」など、聞いている方が嫌になります。
もちろん、今までが自由すぎて厳し目の対応が必要な子供たちではありますが、「褒めて伸ばす」の大変さをつくづく感じます。
長男にすれば、自分は他の子から見てがんばっているのに、褒めてもらえない、という気持ちがあるようですが、難しい問題なんでしょうね。
2. Posted by toshi   2010年01月17日 22:58
しれとこままさん

 今年初めてですね。
 どうぞ、本年もよろしくお願いします。

 『ううん。』とばかり、心の中でうなってしまいました。どの教員も、子どものためによかれと思って日々学級経営しているのですが、やっぱり、いろいろですね。
 もしかしたら、その担任自身も、ほめられたことがほとんどないまま大人になってしまったのかもしれませんね。

 今日、娘と電話で話しました。娘も孫のことではいろいろ悩みがあるようです。『ほめているのだけれど、ほめるといやがることがあるのよね。』とのことでした。
 我慢したり耐えたりしたことをほめると、ダメなんだそうです。
 『あぶなさそうなときは、知らんぷりしていたら。』と言いましたが、やはり、ほめ方もむずかしいようです。

 

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