2010年01月21日

ほめて育てることは大切なのだが・・・、4

57747fe9.JPG わたしは常々、ほめる教育の大切さを主張しているし、また、そうすることによって、子どもの心が育まれると確信しているのだが、

 しかし、どのような場合もそれが通用するとは言えないようだ。



 ある日、長女から電話がかかってきた。

 用件が済んだ後、雑談になったのだが・・・、

 
「ほめて育てることの大切さは分かっているつもりなのだけれど、A(次男・孫)は、わたしがほめると、怒り出すことがあるのよね。」


 Aは、幼稚園の年中組だ。

 いくら孫のこととはいえ、わたしにとって、園児のことは専門外。小学生のことなら、『ああだ。こうだ。』と言える気になるわたしも、このときばかりは、そうとばかりもいえない感じになった。

 それにしても、上記、娘の言葉には意外な感じをもった。『へえ。幼稚園児も、もう、そうした複雑な心理をみせるか。』


「ふうん。『こんな場合に、ほめると怒るのだな。』というか、なんか、思い当たることはあるの。」

「そうねえ。我慢しているときとか、こらえているときとか、そういうときに、その我慢やこらえていることをほめると、怒り出すっていう感じかな。だから、そういうときは、ほめないで、黙ってほったらかしておいた方がいいのかなって思うの。」

「そうだね。その方がいいかもしれないね。

 我慢しているときの心の緊張が、ほめられたことによって、切れてしまうのかもしれないね。我慢していたのが我慢できなくなってしまうっていうか。

 だから、ほめるのではなくて、独り言を言うように、『Aが我慢できているから、おかあさんはうれしいなあ。』って言うようにしたらどうだろう。」

「ああ。そうか。そうだね。今度やってみよう。

 でもね。やっぱりほめてもらいたいんだよね。『ねえ。見て。見て。』って言うから、見てやって、『うわあ。すごいね。もう、〜ができるんだあ。』などと言うと、そういうときは、すごくうれしそうだもの。」


 やっぱり心の琴線がぴったり合ったときは、うまくいくのだね。

 
 それと、これは、電話を切ってから思ったのだけれど、

 『今、まさに我慢しているといったそのときでなくて、後で、思い出したように、『ああ。さっきはえらかったね。』みたいにほめると違うかもしれない。もうそのときは、心が安定しているだろうからね。


 上記の例での孫は、我慢していることが不愉快でたまらないのだろう。よくないことを考えているかもしれない。そうだとすれば、『そんなときにほめないで。』とばかり、怒り出すのも無理はないといえなくもない。

 意識はしていないだろうけれど、自分自身を許せない気持ちになって、怒り出すのかもしれない。

 そんなことを思った。



 こういうこと、担任時代、自分のクラスの子どもたちで、経験したことは、あまりないように思う。ただ、高学年のケースだったが、

「先生。そんなことでほめなくていいよ。そんなことは、ぼくたち、当たり前のことと思っているから。」

と言われ、かえってうれしくなったことはあったなあ。(このことは、バナー下のリンク先記事にもう少しくわしく書いています。)


 ただ、学校の先生に対するのと、親に対するのとでは、気持ちに違いがあるのかもしれない。



 次は、ちょっとほめる話とはずれるのだが、よろしければごらんいただきたい。


 次女夫婦の長男Bも年中組だが、先日、おもしろい話を聞いた。

 これは、過去記事の、

    人権教育(9) 両性の違いは?

にかかわる。


 Bは、最近、『かわいいねえ。』って言われると怒り出すのだそうだ。

「かわいくなんかない。」

「どうして?かわいいからかわいいって言ったんだよ。」

「だめ。かわいいなんて言っちゃあ。女みたいじゃん。ぼくは男なんだから。」

 それで、『かっこいい。』と言うと、喜ぶのだそうだ。


 さて、そのようなことを娘から聞いていて、

 お正月、我が家へ来たときのことだ。ちょっとBと近所に出たのだが、そのとき、手をつないで歩いていた。

 何かの拍子に、Bが言う。

「ねえ。おじいちゃん。ちょっと、〜をしたいから、手を放してくれる?」

「あっ。そうか。分かった。」

それで、あわてて手を放したのだが、

 その言い方が何とも言えず、かわいらしくて、表情もとてもよかった。

 つい、『かわいいねえ。』って言いそうになったが、ぐっと言葉を飲み込んだ。

 でも、こまった。この場合、『かっこいい。』と言うのも変だから、何とも、言葉が出なくなってしまった。



 やはり、上記、リンク先記事ではないけれど、男と女。

 こんな幼児期から、違いは歴然としてありそうだ。もっとも、こういうことにも個性といったものはあるから、一概に決め付けるわけにはいかないけれどね。


 わたしたち夫婦は、女の子2人を育てた経験しかないから、この、男の子の心理というのは、新鮮である。(わたし自身のことは、忘れた。)


 さあ。2組の娘夫婦とも、まもなく、幼児期から少年期への子育てに移行する。楽しむ気分で子育てしてほしいものだ。


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 こんな記事を書いても、ほめる教育、ほめながらのしつけを大切に思う気持ちには、いささかの揺るぎもありません。

 本記事とは直接関係ありませんが、ほめる教育の留意点について書いた過去記事を紹介させてください。

    認めてもらいたい欲求


rve83253 at 00:22│Comments(19)TrackBack(0)子ども | エッセイ

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この記事へのコメント

1. Posted by choco   2010年01月21日 03:28
toshi先生、はじめまして!
現在大学4年生で、4月から公立校講師を希望しているchocoと申します。
「ほめてそだてる」ことについて思うところがあったので、初めてコメントさせていただきました(ちょっとドキドキしてます、笑)

私自身、親や先生からいつもほめられて育ったと思います(すいません、自慢とかじゃありません)。
小さい頃はそれが普通で、たまに叱られるとものすごく落ち込んだものです。

でも、小学校の3年生くらいからでしょうか。
ほめられてもうれしくなくなりました。
自分がほめられたことに対して、自信がもてなくなったのです。

勉強の成績のこと、「努力家だ」「責任感がある」などなど。先生も親もほめてくれました。きっと、ちいさなことから思いつく限りのほめ言葉を探してくれたのでしょう。

でも、
本当は、勉強を頑張ったわけじゃない。
友達に優しくするなんて、当たり前じゃないか。
努力ってこんなものじゃないはず。
責任感?怒られたくなかっただけなのに。
そういう気持ちが大きくなって、ほめられることに対して違和感や、時に罪悪感すら感じるようになりました。
(続きます)
2. Posted by choco   2010年01月21日 03:32
現在の話に飛びます。
この間、とある試験を受けました。
某小学校が会場で、先生方が試験官をされていました。
試験の後のことです。
「みなさんは、努力の結果ここまでの試験を突破してここまでこられた(この前にもいくつか試験がありました)。本当にすばらしい」
と。(正確でないかも…申し訳ありません)

これを聞いたとき、昔ほめられた場面を思い出して妙な気分になりました。

「なんでこんなことでほめられるんだ?」

勿論これは大人になってからのことで、大人からほめられたことで違和感を感じたものでもあります。
でも、たいしたことじゃない、出来て当たり前だ、と自覚していることをほめられて憤りを感じるのは、子どもにだってあるんじゃないか?
と思うのです。

私のように卑屈に捉えることがおかしいのかもしれません。
それでも、その子がほめられるに値しない、と思っているものをほめるのはいかがなものだろうかと思います。
これは、教育実習(高校)で、成績優秀、性格も良くて優等生な子たちが、「自分に価値などあるのだろうか?」と悩んでいる様子からも感じたことです。
誰からもほめられているはずの彼らが、あまりにも自信がなく、生きる価値がないとさえ感じているのです。
(すみませんまた続きます)
3. Posted by choco   2010年01月21日 03:33
なんだかまとまりませんね…すみません。
要は、ささいなことでもとにかくほめろ、というのは、本当によいことなのだろうか?ということです。
人は、努力の結果をほめられたとき、自信が育つのだと思います。
安易にほめるのは、この自信の芽を摘み取ることになりかねないのでは、と感じます。

実際に教壇に立ったことがない身で、生意気にすみません。(しかも自分の昔話になってしまい…重ねてお詫び申し上げます。)
ほめるタイミングって難しいと思います。
まだまだこのブログから勉強させていただきたいと思います。
今後ともよろしくお願いいたします。
4. Posted by choco   2010年01月21日 03:35
追記

先生が「とにかくほめればいい」というお考えでないことは、ブログを拝見して存じております。
ただ、総じて(偏見でごめんなさい)、学校の先生ってほんとに小さなことでほめるよなぁ、それっていいのか…
なんて感じていたもので。
(ちなみに、私の親も教員です)

貴重なスペースを失礼いたしました。
5. Posted by しれとこまま   2010年01月21日 17:56
長男が2・3年生と、新任の先生が担任となりました。卒業されたばかりの先生で、理想を持っていることがすごくわかりました。
「褒めて伸ばす」をやろうとされていました。
息子の同級生は息子含め7人です。
その中でも、いつも宿題をしてこない子がいました。1日の宿題でレベルが1あがります。
みんなレベル100を突破しようと目標を立てていました。しかし、その子はいつまでもレベルは一ケタでした。
先生は、してこないことを叱ることはしません。
最後には、「これでは、全員が目標を達成したパーティーが出来ない。ではどうするか」(パーティーをする約束をしていました)
そして、出た結果は「全員で○○レベルになったらいいことにする」でした。
その後、その宿題をしてこない彼もぼちぼちとしてきたようですが、さっさとレベル達成していた子は、当時は何も言いませんでしたが、長男はちょっと不満そうでした。
(続きます)
6. Posted by しれとこまま   2010年01月21日 18:03
現在、長男は6年生です。この4月には中学生です。
幸い、私がうるさいせいか、長男は宿題などは先に済ませるタイプになっていますが、
この宿題をしてこなかった子は、今も「やらなくては」になっていないようです。
なんだかポイントがない内容ですね。ごめんなさい。
でも、普段してこない子は、たまにすると褒められますが、いつもしている子は当たり前なので誉められないことをちょっと不満に思っているようでした。
子供っぽいのかもしれませんが、不公平に思っていたのかな。
長男は、前にもコメントしましたが、先生の助手みたいになっていた時もあり、それは今でも尾を引いているので、より不満が見えるのかもしれませんね。親の欲目でしょうか・・・。失礼しました。
7. Posted by toshi   2010年01月21日 23:34
chocoさん
 4月から公立校講師を希望されているとのこと。教壇に立つことを夢見ていらっしゃることでしょう。希望がかない、がんばられることを祈念しています。
 「ほめて育てる」ことについて、ご自分の経験をもとにしての思いをお寄せいただき、ありがとうございました。

chocoさん、しれとこままさん
 お二人からいただいたコメントへのわたしの回答は、多岐にわたるように思いますので、次回の記事として、とり上げさせていただこうと思いました。
 どうぞ、よろしくお願いします。
8. Posted by きむきむ   2010年01月22日 23:31
toshi先生。ご無沙汰してます。
昨年はブログを始めて慣れない私に励ましをいただいてとっても嬉しかったです。
あれから毎月お母さんたちを集めてのお茶会も開催し、いろんな体験をしてきました。
お母さんたちとの交流が楽しくて、こちらになかなか来られずすみません。

今回の「ほめて育てる」には私も思いがあります。
以前は文字どうりほめれば子供は喜ぶと思っていました。(大人もです)
でも、本当に相手の気持ちに沿っていない言葉は相手の気持ちに響かないことを感じました。
それと似ている、教育への疑問も感じています。
ただ、私にはどうにもならないことですが、その疑問を持ち続けて自分のできることをやっていこうと気持ちを新たにするこの頃です。
よろしければ、私のブログの「卒業文集」の記事を見ていただいて、toshi先生はどんなことを感じるのかお聞きしたいと思いまして。
カテゴリーの「きむきむのひとりごと」から見ていただければわかりやすいです。記事は4つあります。最後の「卒業文集のその後2」のコメントも見ていただきたく。
いきなりの勝手なお願いすみません。

9. Posted by まい   2010年01月23日 11:40
記事を拝見して、子どもの学校(きのくに子どもの村学園)はどうかなぁ〜と考えてみました。私の見聞きした範囲では「ほめる」というのとはちょっと違うと思います。○○ができたから、とか○○を努力したからという理由で大人(スタッフ)が子どもを直接ほめるという状況はあまり知りません。むしろ、「認める」という感じでしょうか。大人同士の関係のように(もちろん、大人対子どもですので教える部分はありますが)、基本的に「あなたはそれでいいんだよ」と認め、不都合な問題が起こったときには「クラスみんなが楽しくできるためにはどうしたらいいかな?」と問いかけているようにみえます。

ほめるというのはとてもいいことだと思います。私もほめる育児を心がけてきました。でも、素人ながらきのくにを見ていると、安易にほめることは既成の大人基準への無条件の合致を促す危険もあるように感じだしました。




10. Posted by まい   2010年01月23日 11:43
(続きです)
何かうまく書けませんがそういう感想です。きのくには通知票はありませんが、各人に「生活と学習の記録」という記述式の通知が前期、後期ごとに配られます。うちはまだ一回しかいただいていませんが、それはそれはポジティブに書いてくれています。大人が「どうかな?」と思っただろうことについても、「○○だが次第に△△できるできるようになってきている」という感じです。

ネガティブな評価を書いても、良い結果につながることは少ない・・・という学校の信念からだそうです。

ちなみに子どもは学校と寮が大好きなようで、昨日「好きな曜日は?」と尋ねると月曜と水曜と答えました。月曜は学校が始める日、水曜は一日中プロジェクト(体験学習)に当てられる日です。家に帰る金曜と答えてもらえず{あぁ、もうこんなに親離れが進んでいるのだなあ」と嬉しいけどちょっぴり寂しい母です。
11. Posted by toshi   2010年01月23日 15:57
きむきむさん
 お久しぶりです。今年も、拙ブログをよろしくお願いしますね。
 さて、貴ブログ記事、拝読しました。
 ただただ、公教育の至らないところをお詫びするのみです。心が通い合わないというか、いえ、もっと言えば、通い合わそうともしない公教育現場の姿がありますね。
 このようななかでは、いくらほめ言葉があったとしても、むなしくなるだけですね。
 わたしは『民間人校長を迎えるにあたって、』なる記事で、市民感覚をとり入れた学校経営をと書かせていただきました。民間人校長云々はともかくとして、『市民感覚をとり入れた学校経営』は、喫緊の課題であると思いました。
12. Posted by toshi   2010年01月23日 16:03
まいさん
《安易にほめることは既成の大人基準への無条件の合致を促す危険もあるように感じだしました。》
《「認める」という感じでしょうか。大人同士の関係のように。》
 この2点はおっしゃるとおりです。基本的に、お子さんの通われる学校の考え方のように、わたしも思っているし、そうした実践を心がけてきました。
 おっしゃる点も含め、次回の記事にまとめさせていただきたいと思います。
 
13. Posted by きむきむ   2010年01月23日 22:28
ありがとうございます。
市民感覚を取り入れた学校経営。民間人校長の記事も興味深いです。
ただ、一主婦の私としてはもっと身近なことで考えると、PTA活動の活性化かな。と思います。
他の学校は分かりませんが役員をやってみて、本当にカタチだけの活動か、当たり障りのない例年どうりの活動。
学校への要望や意見もありましたが、検討するとしただけ。もっと突っ込んで、検討委員会や意見交換会をするべきとの意見も、あいまいな(無理と思われるという)説明でごまかされてしまいました。
クレームのような要望ではなく、もっと保護者の気持ちや思いを聞いてくれたら…。
でも簡単にはできないですね。
私のお母さん達のお茶会も、先生の協力があればもっとたくさんのお母さんがほっとできるのに。
学校は不登校をなくしたい。そこに苦しむ子供と親の気持ちは置き去り。
だから私たちは学校以外でこうして話す場を作りました。
学校は協力すると言っても形だけでした。多分親たちが勝手に活動するのは学校経営には余分なことなんでしょうね。
役員を一生懸命やりたいと、新しいことを提案した友人も壁にぶつかっています。
確かに学校、先生だけじゃない、保護者の意識の問題もあります。
14. Posted by きむきむ   2010年01月23日 22:29
続きです。

みんなが気付くことができるようなことはできるのでしょうか。
一歩一歩自分のできることをやっていきたいと思っています。
15. Posted by toshi   2010年01月24日 22:56
きむきむさん
《学校への要望や意見もありましたが、検討するとしただけ。もっと突っ込んで、検討委員会や意見交換会をするべきとの意見も、あいまいな(無理と思われるという)説明でごまかされてしまいました。》
 そのようなことはないはずなのですが、いまだにそういう学校があるようで、残念です。
 PTAは保護者と教員の会ですし、役員さんは保護者代表なのですから、保護者の皆さんの思いで活動されてしかるべきと思います。
 わたしの勤務した学校では、『(保護者の皆さんが)楽しくなければPTAではない。』をモットーに、ほんとうに楽しそうに活動していました。
 ただこういうのって、地域性も強いものがあるようです。
 もう一つ。わたしの言う市民感覚を生かした学校経営には、PTA活動も含んで考えています。
なお、本コメントのtoshiのところをクリックしていただければ、わたしが考えるPTAの未来像を書いた記事が出るようにしましたので、よろしかったらごらんください。

 
16. Posted by きむきむ   2010年01月25日 00:10
PTAの本当の活動!
素敵ですね。
でも、保護者も人まかせ、学校まかせになっているんです。
お互い様です。
みんなの意識が変わればいいな。って思っています。
ちゃんと考えている人もいっぱいいる。そう信じています。
17. Posted by toshi   2010年01月25日 06:52
きむきむさん
 『お互い様』ということ、分かるのですが、やはり、学校からまずは手を差し伸べるべきだと思います。何でも聞き、受け入れる幅を広げてくれればいいのですが、なかなかむずかしそうですね。
18. Posted by coco   2010年01月31日 03:29
失礼致します
コメントを拝見していて、私も一言・・・!!
と思い、つい筆を(?)とりました。

学級経営は児童理解がきちんとなされていることが大事

たぶん、ずっと昔から言われていたであろうことを
再確認しました。

褒めてもらいたいポイントって、きっと人によって違うと思うし
「その子」が求めている言葉 対応を
いかにしていけるかだよな、と思いました。

基本的には「褒める」というより
結果に至った過程を認める というスタイルで
日々子どもに接しています。

ただ、褒められることに飢えている子もたくさんいるので
そういう子には、小さいことでも褒め称えて
すごいすごい!って伝えるようにしています。

褒められて育った人にとっては
異世界かもしれないですが、
否定されまくってきた子って、なんだか
無気力だったり 攻撃的だったり 他人に優しくなかったり
自信のなさが良くない行動に表れちゃう子が多いような気がします。
当たり前のことでも褒められる経験がきっと必要なんだろうって思います。

19. Posted by toshi   2010年01月31日 10:27
cocoさん
 異世界って分かりやすい言葉だなと思いました。人間誰もが、自分の経験のない世界って分からないことが多いですよね。だからこそ、読書って大事と思います。読み方にもよりますが、多様な見方ができるようになると思います。

《褒められて育った人にとっては異世界かもしれないですが、否定されまくってきた子って、なんだか
無気力だったり 攻撃的だったり 他人に優しくなかったり、自信のなさが良くない行動に表れちゃう子が多いような気がします。
 当たり前のことでも褒められる経験がきっと必要なんだろうって思います。》
 もうおっしゃるとおりです。こういう子って、いつも、心が救急されるべき状態なのですね。ですから、ほめることは、最優先になるのだと思います。

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