2010年01月24日

ほめて育てることは大切なのだが・・・、(2)3

e8ce69af.JPG 前記事、『ほめて育てることは大切なのだが・・・、』に対し、読者の方から、多くのコメントをいただいた。

 ありがとうございました。


 それらを拝読して感じたことは、『ほめて伸ばす教育・しつけ』の大切さには、大筋同意してくださっているが、同時に、『安易にほめても、それは子どもを伸ばすことにはならない。いや、むしろ、マイナスの効果をもたらすこともある。』ともおっしゃっているように感じた。


 前記事がマイナスの効果にふれた内容だったから、皆さんがそういうコメントをくださったのも無理はないのだが、

 わたしは、その末尾で、
『こんな記事を書いても、ほめる教育、ほめながらのしつけを大切に思う気持ちには、いささかの揺るぎもありません。』
と書かせていただいた。


 そう。いささかの揺るぎもないのだ。その理由については、前記事でもリンクさせていただいたが、下記リンク先に書いたつもりなので、ここでも再度リンクさせていただこう。

    認めてもらいたい欲求


 要するに、わたしの基本的な考え方は、

 『ほめる教育、しつけは、子どもを伸ばす。しかし、それを実践するに当たっては、留意点が多々ある。』

ということだ。


 そこで、本記事では、その留意点を述べるつもりであるが、そのまえに、基本的なとらえとしての、『ほめる教育、しつけは、子どもを伸ばす。』を、再度確認させていただきたく、

 実は、つい先日、わたしは久しぶりに授業を行ったので、そのときのことにふれさせていただきたい。


 我々、初任者指導に携わる教員は、初任者の学級で、初任者指導を目的として、授業を行うことがある。

 その授業の終わり2分間で、わたしは、子どもたちを絶賛した。


 「今日の授業では、みんなのがんばりに、わたしは感動しっぱなしだった。

 Aちゃんが、『むかしの道具は力が要るし、今のわたしたちから見るといろいろと面倒なことがあって大変なんだけれど、でも、何とか楽で便利な道具にしたいと思ってがんばった人がいたから、今は便利で楽な生活ができるのだと思う。』って言ったよね。道具を便利で楽なものにしようと努力した人がいることに気づくなんて、すごいと思った。

 でも、これはね。Aちゃんだけがすごいのではないのだよ。そのまえに、みんながいろいろ考えて意見をたくさん言ったでしょう。
『重くて道具が折れてしまわないかな。』とか、
『一人で使うことができたのかな。』とか、
『でも、この道具だって工夫されているよ。天秤を生かしているのだから。』とか、たくさん意見が出たよね。そうした発言が続いたので、みんなの力で授業が深まっていった。そして、そのように深まったので、最後に、あのようなAちゃんの発言があったのだ。

 Aちゃん一人だけだったら、あんなすごいことは考え付かなかったと思う。みんなで力を合わせて考えた結果なんだ。

 だから、言ったのはAちゃん一人だけれど、みんなして深めた考えを、Aちゃんが代表して言ったのだと、わたしはそう思っている。

 ねっ。みんなで考え合うってすばらしいことだね。

 これは、いつも、B先生(初任者の担任)と共に、そういう授業を一生懸命やってきたから、できるようになったのだね。」


 以上、ほめて伸ばすというのは、

 指導者が子どもをほめる。

 そうすると、そのほめた観点まで子どもは伸びるということだ。だから、指導者が何をどうほめるかは、きわめて重要である。

 指導者が、『静かにしていてえらいね。』と言えば、『静かにする』という、そのことが達成目標ということになる。


 もう一つ。

 指導者がほめるということ。それは、ほめる内容に価値があると子どもが認識することになるだろう。指導者が、『価値』と思っていなければ、ほめるわけがないのだからね。 

 このことに関して、もう少し具体的な記述は、姉妹ブログの『小学校初任者のブログ』に書いているので、よろしければごらんいただきたい。

    ほめるということ(4) ほめる観点

 以上、『ほめて伸ばす』ことについての、わたしの基本的なとらえについて、ふれさせていただいた。



 それでは、読者の方からいただいたコメントをとり上げさせていただきながら、ほめて伸ばす教育を推し進めるにあたっての留意点にふれさせていただきたい。


〇コメントをいただいた方のご指摘の大部分は、わたしも賛同するものであるが、基本的に認識が大きく異なると思う点がある。

 それは、ほめるということに関して、日本の公教育の現状認識にかかわる点である。コメントをくださったほとんどの方は、いろいろ課題があることはともかくとして、『教員はよく子どもをほめている。』としているようだ。

 しかし、この点に関しては、拙ブログで何回も書いてきたように、わたしは、『日本の教員は子どもをあまりにもほめなさ過ぎる。』としている。

 このことに関しても、過去記事にあるのでよろしければごらんいただきたい。下記リンク先記事の冒頭でふれている。

    ほめるということ(2)


 つまり、『ほめて伸ばす教育』には数多くの留意点があるにもかかわらず、わたしが、なぜ、ほめる教育ばかり主張するかというと、ほめることを苦手としたり、ほめてもあまり意味がないと思っていたりする教員が、日本では圧倒的に多いのではないかとわたしが感じているからである。

 とにかく、ほめようよ。そこで問題点が出てきたら、それはそのときに真摯に反省したり対応策を考えたりすればよい。

 そう思っているのである。


〇まずは、最初にコメントをいただいたchocoさんのコメント(1〜4番)にふれさせていただこう。


 chocoさんは大学4年生とのこと。そして、4月からは教壇に立たれるようだ。こういう若い方々の未来が明るく希望に満ちたものになるよう、祈らずにはいられない。


 chocoさんは、『安易にほめるのは、この自信の芽を摘み取ることになりかねないのでは、』とおっしゃる。

 chocoさんは、先のわたしの指摘とは違い、家庭でも、学校でも、ほめられる環境の中で成長されたようだ。それなら、わたしの思いの中では、自信がつき、自己肯定感も育まれるはずなのだが、逆に、『自信の芽を摘み取る結果になりかねない。』とおっしゃる。

 何が原因なのだろう。

 コメントを拝読して分かったような気がした。そして、これがまさに、ほめて伸ばす教育の最大の留意点のように思った。


・それは何をどうほめるかにかかわる。

 「努力家だ。」「責任感がある。」など、一人の子を全人格的にほめている感じなのだ。これはやめなければいけない。

 およそ、人間である限り、完全無欠はありえない。必ず、長所と共に短所もあるはず。それなのに、全人格的にほめてしまうと、子どもは完全無欠を要求されたような感覚になってしまうのではないか。それでは、不安な心理になってしまうのもむべなるかな。

 人をほめる場合の鉄則は、その具体的な行為、言葉などをほめるのでなければならない。


・また、chocoさんは次のようにもおっしゃる。

 『本当は、勉強を頑張ったわけじゃない。友達に優しくするなんて、当たり前じゃないか。努力ってこんなものじゃないはず。責任感?怒られたくなかっただけなのに。
 そういう気持ちが大きくなって、ほめられることに対して違和感や、時に罪悪感すら感じるようになりました。』

 こうなるのは、指導する側が、指導する側の論理や感情で、一方的に子どもをほめるからである。

 chocoさんは書かれていないので、わたしの想像になってしまうのだが、どうだろう。そういうほめられ方に対し違和感や罪悪感を抱いたとき、その違和感や罪悪感を口に出して、親や教員に言ったのだろうか。

 おそらく言っていないと想像する。あるいは、言えなかったと想像する。(chocoさん。ごめんなさいね。一方的に、ご両親を批判するようで、申し訳ありません。わたしだって、親として、反省材料はいっぱいです。)


 なぜか。

 chocoさんの性格もあるかもしれない。しかし、仮にあったとしても、親や先生は、自分の思いのみでほめるのではなく、今、子どもであるchocoさんがほめられて喜んでいるのか、不安な心理になっているのか、そういうことに関心をもって、子どもに臨むべきだった。

 そして、『喜んでいない。不安そうだ。』と感じたら、自分のほめ方について見直したり、反省したりするといった、そういう柔軟性のある態度がほしかった。

(繰り返し、ごめんなさい。想像に過ぎないのに、どんどん我が主張を展開してしまっています。ほんとうに申し訳ありません。)


 学級であるなら、わたしは、『何でも言い合える学級づくり』を標榜している。

 そう。思ったことは、何でも口に出せて、それでいてみんな仲良しの学級集団づくりを目指す。初任者指導に当たっても、それを大事にしている。つい最近も、わたしの担当する初任者の学級が、そういう状態に近づきつつあることを記事にさせていただいた。

    自分を冷静にみる力が、

 以上、ほめて伸ばす教育の前提として、どの子も自分の思いを率直に口にすることのできる学級集団であることが大切だ。そして、指導する側も、子どもの思いに敏感になり、修正すべきは修正するといった柔軟性が必要になってくる。

    
 chocoさんは、『たいしたことじゃない、出来て当たり前だ、と自覚していることをほめられて憤りを感じるのは、子どもにだってあるんじゃないか?』ともおっしゃった。

 これ、教員として、わたしも経験しているところである。まあ、憤りとまではいかなかったと思っているけれどね。

 先にもリンクさせていただいた記事、『認めてもらいたい欲求』の、今度は、真ん中あたり、『そう。高学年だと、こうなる。』からがそれにあたる。

 この記事に、子どもに、『先生。そのようなことでいちいちほめなくていいよ。ぼくたち、そんなこと当たり前のことと思っているし、そんなすごいことと思っていないから。』と言われてしまったことを書いた。

 そう。子どもは日々成長する。先にも書いたが、『何をどうほめるか。』も、その成長に見合って変えていく、そうした柔軟性が大切なのである。


 こんなことを書くと、読者の皆さんは、『ほめるのも大変だな。』と思われるかもしれない。しかし、そんなことはない。子どもが何でも言える環境があり、指導する側に子どもから学ぶ姿勢があれば、それは子どもが日々示してくれるのだから、それに合わせさえすればいい。それだけのことだ。


 繰り返すが、chocoさんは、4月から教壇に立たれるようだ。それなら、ぜひ、ご自分の経験を生かし、こうしたことに意を尽くしていただければと思う。

 ほめることは大切。

 再度、そう申し上げたい。


・『教育実習(高校)で、成績優秀、性格も良くて優等生な子たちが、「自分に価値などあるのだろうか?」と悩んでいる様子からも感じたことです。
 誰からもほめられているはずの彼らが、あまりにも自信がなく、生きる価値がないとさえ感じているのです。』

については、すみません。わたしは、chocoさんの認識とは違う。

『誰からもほめられているはずの彼らが、』は、chocoさんの思いだろう。chocoさん自身がそのように育てられたから、そう思うのは自然なことだ。

 しかし、わたしは、冒頭述べたように、日本は、子どもをほめなさ過ぎると思っている。だから、

 優秀な子達が、『自分に価値などあるだろうか。』と悩む姿は、それまでほめられることもほとんどなく、できて当たり前という感覚で育てられ、むしろたまにできないことがあると叱責を受け、その結果、自己肯定感を喪失させられた結果だろうとみる。

 もちろん、これだって、わたしの想像だけれどね。

 
・chocoさんの最後の言葉はまったく同感である。

 『人は、努力の結果をほめられたとき、自信が育つのだと思います。安易にほめるのは、この自信の芽を摘み取ることになりかねないのでは、と感じます。』



〇次は、いつもお世話になっているしれとこままさんからのコメント(5・6番)である。


 今、一部引用させていただこう。

 『長男が2・3年生と、新任の先生が担任となりました。卒業されたばかりの先生で、理想を持っていることがすごくわかりました。「褒めて伸ばす」をやろうとされていました。

 息子の同級生は息子含め7人です。

 その中でも、いつも宿題をしてこない子がいました。〜。

 先生は、してこないことを叱ることはしません。

 最後には、「これでは、全員が目標を達成したパーティーが出来ない。ではどうするか」(パーティーをする約束をしていました)

 そして、出た結果は「全員で○○レベルになったらいいことにする」でした。

 その後、その宿題をしてこない彼もぼちぼちとしてきたようですが、さっさとレベル達成していた子は、当時は何も言いませんでしたが、長男はちょっと不満そうでした。


 現在、長男は6年生です。この4月には中学生です。〜。

 この宿題をしてこなかった子は、今も「やらなくては」になっていないようです。

 でも、普段してこない子は、たまにすると褒められますが、いつもしている子は当たり前なので誉められないことをちょっと不満に思っているようでした。』

 しれとこままさん。一部のみの抜粋で申し訳ありません。



 この新任の教員の実践は、一部を除き、ほとんどわたしがやってきたことと同じだ。だから、まるで見ているかのように、お子さんのクラスの状態が分かる。

 異なる点は、宿題を連帯責任であるかのようにしている点だ。パーティはパーティで宿題とは切り離すべきだろう。全員が宿題をやったらパーティというのでは、本来宿題は個人の問題なのに、それがそうでなくなる。なにやら、江戸時代の五人組制度のようだ。

 でも、これ、新任教員のせいにしてしまってはかわいそうだよね。日本の教育で、これは、あまりにも当たり前のように行われているもの。


 これについても、わたしの実践を書いた過去記事がある。それを紹介させていただいて、コメントに変えさせていただこう。

    えこひいきではないですよ。

 もう一つ。繰り返しリンクさせていただいていてまことにすみませんが、『認めてもらいたい欲求』にも、該当する内容がある。

 記事半ばの、
『まず初めは、前回記事にした、「ええっ。ぼく(わたし)だって、宿題やったよう。先生、ほめてくれないの。ひいきしてらあ。」という、低学年の問題から。』からが、それにあたる。


 ねっ。やはり、ここでも、『何でも言い合える学級づくり』が大切なこと、ご理解いただけるのではないか。


〇最後は、まいさんからのコメント(9・10番)である。

 初めてまいさんからコメントをいただいたときは、『えっ。日本にも、こんな自由な雰囲気の学校があるのか。』とびっくりさせられたものだった。


 やはり、引用させていただこう。

 『記事を拝見して、子どもの学校(きのくに子どもの村学園)はどうかなぁ〜と考えてみました。

 私の見聞きした範囲では「ほめる」というのとはちょっと違うと思います。○○ができたから、とか○○を努力したからという理由で大人(スタッフ)が子どもを直接ほめるという状況はあまり知りません。むしろ、「認める」という感じでしょうか。大人同士の関係のように(もちろん、大人対子どもですので教える部分はありますが)、基本的に「あなたはそれでいいんだよ」と認め、不都合な問題が起こったときには「クラスみんなが楽しくできるためにはどうしたらいいかな?」と問いかけているようにみえます。

 ほめるというのはとてもいいことだと思います。私もほめる育児を心がけてきました。でも、素人ながらきのくにを見ていると、安易にほめることは既成の大人基準への無条件の合致を促す危険もあるように感じだしました。』


 わたしは、意を強くした。

 これも、ほぼ、わたしの思いと同じだからだ。


・と言うのは、

 わたしは、初任者指導に当たって、子どもをほめることも大切にしている。自分の実践でも大切にしてきた。それによって子どもを伸ばすとも言ってきた。

 しかし、それが最良とは思っていない。


 それも何回か述べているが、今、一つのホームページにリンクさせていただきたい。(ホームページなので、文字は大きくなっています。)同ホームページ末尾の、
『最後に、ほめることは大事だが、ほめることよりもっと大事なことにふれたい。』以降をご覧いただきたい。

    子どもをほめるということ

 
 ここにもあるように、ほめること以上に大切にしたいこととして、『受容・共感・感動』の思いを子どもたちに語ることがある。

 ご指摘のように、ほめることは、上下関係を意識させることも多いだろう。それに対し、『受容・共感・感動』は、比較的上下関係を意識することなく、子どもの心を耕すことができるのではあるまいか。


・『安易にほめることは既成の大人基準への無条件の合致を促す危険もあるように感じだしました。』

 これも心しなければいけない点だろう。そして、現実に公教育において、けっこうそうなっているのではないかと思う。そうではなく、つまり、既成の大人基準への合致を目指すのではなく、一人ひとりの子どもの内にある『伸びようとする心』への合致を目指したいものである。



・『きのくには通知票はありませんが、各人に「生活と学習の記録」という記述式の通知が前期、後期ごとに配られます。うちはまだ一回しかいただいていませんが、それはそれはポジティブに書いてくれています。大人が「どうかな?」と思っただろうことについても、「○○だが次第に△△できるできるようになってきている」という感じです。

 ネガティブな評価を書いても、良い結果につながることは少ない・・・という学校の信念からだそうです。』


 これは、今、公教育においても、同じ考え方となっている。

 しかし、誤解のないように、まいさんには申し訳ないが、勝手に補足させていただこう。

 これを、ただ単に、通知票、生活と学習の記録の書き方の問題ととらえてほしくない。そうでないと、『現実にネガティブな面があるとき、いくらよい結果につながらないからといって、それにふれなくていいのか。』と指摘されかねない。

 
 わたしは、ネガティブな面だって書くのだと思う。

 ただ、『読み手に、ネガティブがネガティブにしか伝わらないような書き方はしない。』ということだと思う。まいさんが指摘された言葉、『○○だが次第に△△できるできるようになってきている』など、指導する側の受容、共感、励ましの思いが伝わる書き方をしようということではないか。

 つまり、ほめる教育、また、共感、受容、感動の教育の実践の結果として、通知票や生活と学習の記録の表記がなされるのだととらえたい。


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 本シリーズ。

 前回は家庭におけるしつけを中心に書かせていただいたのですが、本記事は、学校が中心となってしまいました。

 前回書き落としてしまったのですが、娘との電話のなかで、子どもの表情、言葉、態度などをしっかりみとろうという話はしたつもりです。

 そう。そういうことについては、学校も家庭もない。同じように大切にしたいですね。

 繰り返しになりますが、大人の既成の価値観や大人の一方的な思いを子どもに押し付けることのないよう、そんなほめ方にならないよう、気をつけたいものです。 



rve83253 at 12:35│Comments(23)TrackBack(0)指導観 | 学級経営

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この記事へのコメント

1. Posted by きむきむ   2010年01月24日 13:19
ほめる教育は子供にとっても大人にとっても大事なことだと思っています。
実は私はもともととても自己中心的で人をほめられない人間でした。
子育てをして、特に不登校などの問題を抱える親になり、いろんな人と関わり学ぶ中で心から素晴らしいと思うこと、心から素敵だと思うことが感じられるようになったのです。
それまでの「ほめる」はうわべだけ、社交辞令のような、“そうしておいたほうがいい”という言葉だったように思えてきました。仲良くするため、子供をやる気にするために言っていた言葉。
自分にうそをついているようでほめられなかった。
自分の心が感動できる心になり、自分でもびっくりするくらい人のいいところが目に付いてほめずにいられないようになりました。可笑しいですね。
学校の先生方みんなが心からほめるようになったら…なんて難しいでしょうが、下心のないほめ言葉は相手に伝わると思っています。
2. Posted by しれとこまま   2010年01月24日 16:32
toshiさん、私のなんとも仕様のない文を取り上げていただいて、申し訳ない気持ちです。
この「連帯責任」は、何年もしていることで言われて初めて、私の中の引っかかりを飲み込むことが出来ました。
思えば、競争のようになっていたりして「ちゃんとやったの」と我が子が「やってない」と言われないようにしていた部分もあったと思います。親の感情も入ってました。反省します。
大人になってきた息子は、今は「やることをやっていればいいんだ」と言いますし、今の先生はこの「連帯責任でのご褒美」はやらない先生です。
 ところで、3人の子供がいる私ですが、末っ子は本当に孫のようにかわいいので、何でも褒めてました。ごく自然の感情です。すると、自分で考えたり指示を待ったりしない自主的な子供になったように思います。3人目の余裕というか、あせらせないというのもあったと思います。
子供の様子をよく見る親の余裕って大切だと感じる記事でした。
3. Posted by toshi   2010年01月24日 23:26
きむきむさん
 なんか、ものすごく率直に語ってくださって、ジーンとしたものを覚えました。ほんとうにありがとうございます。
 でも、なんだかすごく分かる気持ちがしました。 わたしも若いときは、教員をやっていながら、『心にもないことを言ってほめるなどということができるか。』と思ったものでした。
 でも、きむきむさんがおっしゃるように、こだわりをなくすと、心が変わりますので、心からほめることができるようになるのですね。
 それで、学級経営がすごく楽しく感じられるようになりました。
4. Posted by toshi   2010年01月24日 23:34
しれとこままさん
 仕様のない文などと、とんでもありません。しれとこままさんがお書きになったコメントが、わたしの過去記事にぴったり来るものでしたので、すごくうれしかったのです。ほんとうに子どもからえこひいきと思われるようなほめ方をしてはいけないと思っています。
 『ほめる量』をそろえる努力。これは一人ひとりほめる規準が違ってきますので、教員主導の実践だとすごく大変になると思います。
 連帯責任にされると、親も大変でしょうね。『今はやることをやっていればいいんだ。』という息子さんの言葉は、こうした制約から解放された安堵感が感じられます。ほんとうに申し訳ないことだと思います。
5. Posted by まい   2010年01月25日 08:08
toshiさん
私の拙いコメントに的確なお答えをいただき、どうもありがとうございます。新米保護者である私の書いたことは、toshiさんはもうずーっと以前から実践されてきたことだったようですね。なんか、言わずもがなのことばかりだったようで・・・ちょっと赤面しています。

きのくにの大人たちは、確かに「受容・共感・感動」はたくさんしてくれます。ブックレットや毎週の通信で、「素敵な中学生たちです」とか「みんなで考えて(トラブルを解消したばかりか)最初の計画よりもっと楽しい旅行になりました」という感じの文は本当によく目にします。

toshiさんに分析していただいて、何だか自分の思いが少しはっきりしてきたようです。出勤前で時間がなく詳しく書けませんが、簡単ながらお礼を申し上げます。
6. Posted by toshi   2010年01月25日 10:13
まいさん
 《なんか、言わずもがなのことばかりだったようで、》
 そんなことないです。記事中にも書かせていただいたように、意を強くさせてもらったのですよ。
 ありがとうございました。

 出勤前のお忙しいときに、ありがとうございました。
 
7. Posted by YK   2010年01月26日 06:06
私の母が、私が成人した後で、「小学校に上がってからは嬉しくても褒めるのを我慢していたことがある」と言ったことがありますが、この記事を読むと、なるほど、自分の母ながら賢いと感じさせられます。私が小学生の頃は、教師は個性を尊重するとはいいながら、順応と平均を好んでいました。実際、それが小学校の社会的な役割でもありましょうし、今日の教育の行き詰まりの源泉でもありましょう。ところが、私が一定のレベルに達していると見るや、母は私の非凡なところを一つだけ注目しました。それは読書のスキルであり、読書の中でも読む「速さ」でした。それに合わせて環境を整えてくれました。小学校の頃から多読した経験が、私にとってどれだけ蓄積となって将来に役立ったか・・。
8. Posted by YK   2010年01月26日 06:36
蓄積という言葉を現代の教育者がどのように認識しているか、私にはわかりませんが、母の場合は、褒めもせず、矯正もせず、圧力もかけず、私の中に蓄積を作ろうとした、と考えられます。これがどれだけ労力の要ることかは、私にもわかります。受験の前に親のプレッシャーから潰れる子も、受験の後に目標を失う子もみてきましたからね。ちなみに、「自分に生きる価値があるのか」という問いは、生きていれば当然の問いじゃないですかね。そんな問いもない人生はつまらないと思いますけど、蓄積がある人間にとっては、「あるに決まっているじゃないですか」としか答えようがない問題でもあるんですよね。
9. Posted by toshi   2010年01月26日 21:53
YKさん
 YKさんのお母さんは、YKさんのことをよく分かっていらっしゃる。我が子への信頼もバッチリとお見受けしました。YKさんとの関係の中で、ほめることは必要ないし悪影響を与えると考えられたのでしょう。そして、YKさん自身もそうした親の思いを受け止め、よくそれに応えられたと思います。
 ただ、時代というものがあると思います。だんだん親の後姿で育つ時代ではなくなりました。口に出して言わないと理解しにくい時代になってきたと思います。
 たまたま今日、NHKのクローズアップ現代で、『ほめる力』なる放送がありました。
http://www.nhk.or.jp/gendai/
 企業、家庭など、大人社会においても、ほめることが人を伸ばす力として認識されてきているようです。わたしは、大人社会については、また、別な認識を持つものですが、子どもを育むうえで、ほめて伸ばす教育はますます重要になっているのではないでしょうか。
10. Posted by YK   2010年01月29日 03:30
ほめて伸ばす教育は大切だと思います。大人社会の「ほめる力」というのは、子供に対する「ほめて伸ばす教育」ほど重要ではないと思います(なぜなら、企業ならば、部下を褒めるといったときには、生産性の向上といった明確な目的があるため)。子どもの場合は、もう少し複雑でしょうね。その意味で、現在、「ほめて伸ばす教育」を実践しているのは個別指導塾のチェーン店などがありますが、私は、遅かれ早かれ、この業態は急速に衰退するだろうと思っているので、やはり、根本は公教育の現場に期待しなければならないのだろうと思います。
11. Posted by toshi   2010年01月31日 09:32
YKさん
 わたしが、前コメントで、『大人社会については、また、別な認識を持つものですが、』と述べたのは、
 大人は、目的意識を明確にもつことができるし、また多くの場合、報酬も得ているので、いちいちほめられなくても、やるべきことはやるといった気概を持つべきと思うからなのですが、
 どうも、成熟社会の宿命か、近年、そうとばかりもいえない現実があるように思います。テレビを見ていても、そのことを感じました。
 これから、大人社会においても、ほめて伸ばすことの重要性が増していくと思います。
12. Posted by YK   2010年01月31日 19:12
toshi先生

確かに指摘される通りのように私も考えます。私も組織のトップに褒められればやはり嬉しいですし、仕事へのモチベーションはあがります。このようなインターネットのブログの形式でも、教育について意見を書いて返事をいただければ「認められている」という気がしますから、やはり、これも褒めて育てる一環なのかもしれません。私も教え子とは文書で質疑応答を繰り返しています。勉強するうえで、問うことの楽しさ、知識を得る楽しさを知って欲しいからやっているわけですが、やはり、受験テクニックを教えるのとは違う楽しみがありますね。
13. Posted by toshi   2010年02月04日 09:18
YKさん
《インターネットのブログの形式でも、教育について意見を書いて返事をいただければ「認められている」という気がしますから、〜。》
と書いてくださっているのに、お返事がこんなにも遅れ、申し訳ありません。
 賞賛、共感、受容、それに、上記のようなお詫びも含め、これらも学力向上に一役も二役もかっているように思います。

 
14. Posted by choco   2010年02月11日 23:23
5 toshi先生

まずはお詫びから…。
記事にして頂いたのに、長い間お返事も書かず、大変失礼致しました。ご無礼お許しください
(卒業発表に続きしばらく寝込んでしまい…申し訳ありません…!)

一学生の手前勝手な意見に、正面からお答え頂き、また同意して頂けて、大変嬉しく存じます。
「ほめる」というテーマについては、この先ずっと考え続けていくべきことだと思っていますが、
先生や皆さんのご意見を伺うことができ、新しい視点を得られてよかったです。

(記事から)
> 「努力家だ。」「責任感がある。」など、一人の子を全人格的にほめている感じなのだ。これはやめなければいけない。
(中略)〜全人格的にほめてしまうと、子どもは完全無欠を要求されたような感覚になってしまうのではないか。それでは、不安な心理になってしまうのもむべなるかな。

なるほど…!! その通り、なのだと思います。私が巧く言葉にできなかった考えを、代わりにまとめて頂けたように思いました。

15. Posted by choco   2010年02月11日 23:26
(2/3)
> 人をほめる場合の鉄則は、その具体的な行為、言葉などをほめるのでなければならない。
これがポイントなのですね!
実際にどのようにしてほめたらいいのか(自分が「ほめる」側に立った経験があまりにも少ないので)、じつはわかっていなかったので、
あぁこんな風にほめるのか!…とヒントを得ることができて良かったです。

高校生の話は、なるほど、判断が安直過ぎたなぁ…と思いました(苦笑)
私の見ている範囲だけでなく、ほかの場面で、生徒がどのような環境で暮しているのか。つねに意識しておくことが大切ですね。
当たり前、だけど大事なことを見落としてしまうところでした。
的確なご指摘、ありがとうございます。

「ほめる」ことは絶対的に必要、という点は、私も同じ意見です。
ただやり方を間違えると、良い結果にはならない。このことを、今回のコメント・記事からより強く感じています。

誤解のないよう加えさせて頂きますが、私は「教育に携わる者」としての両親の姿勢について、基本的には尊敬しています。
彼らの児童生徒に接するすがたは、客観的に見て、学ぶべきところがたくさんあると感じています。
それに、toshi先生の「ほめ方」も、(これまでの記事などを拝見して)とても素敵だなあ、と思っています。
16. Posted by choco   2010年02月11日 23:28
(3/3)

ほめるのは、やっぱり、絶対に必要なのですよね。
問題は、「いつ、どうやって」ほめるか、ということで。
ほめ方とほめるタイミングを見極めるには、現場に出て経験を積んで、一人ひとりの子どもをしっかり見つめないといけないのだ…
という、なんとも根本的な結論に至りました。
(あれだけ長いコメントと、先生に記事として取り上げて頂いた結果が、こんな当然のことで申し訳なく思います…;重ねてお詫び申し上げます)

でも、自分の頭だけで考えてしまっていた時より、すっきりしました!
ありがとうございます。コメントさせて頂いて、よかったです。

最後になりましたが、私のこれからのことについても、応援ありがとうございます!
スタートラインにも立っていない若輩者ですが、はやく現場で学び、成長していきたいです。
先生のブログも、これからも拝見させて頂きます。またいつかお聞きしたいことができたときは、どうぞよろしくお願いいたします。
17. Posted by toshi   2010年02月12日 07:11
chocoさん
 大変な時期だったのですね。でも、いよいよ、教壇に立たれるのも間近。期待に胸をふくらませていらっしゃることでしょう。
《私の見ている範囲だけでなく、ほかの場面で、生徒がどのような環境で暮しているのか。つねに意識しておくことが大切ですね。》
 初任者に限らないのですが、自分の育った環境の通り、みんなそうした環境で育っていると決め込んでいるかのような言動をする人がいます。(chocoさんは違いますよ。今回いただいたコメントを読んでも、幅広く学ぼうとされている姿勢がうかがえ、大変うれしく思っています。)はなはだしいのは、“自分の常識”と違うと怒り出す人もいるのです。
 多面的な見方、子どもから学ぼうとする姿勢は、すごく大切だと思います。
 
 
18. Posted by toshi   2010年02月12日 07:12
話はえらく飛躍しますが、
 太平洋戦争のときの司令長官で海軍大将だった山本五十六さんをご存知ですか。ほめるなどということとは無縁だと思われ、徹底した上意下達の軍人社会に生きた方なのに、
『やってみせ 言って聞かせて させて見せ ほめてやらねば 人は動かじ』
『話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず』
『やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず』
という言葉を残しています。これらは、わたしたち教員にとっても、胸に刻みたい言葉だと思います。
《先生のブログも、これからも拝見させて頂きます。またいつかお聞きしたいことができたときは、どうぞよろしくお願いいたします。》
 chocoさん。いただいたコメントから、明るく前向きな姿勢をお持ちの方とお見受けしました。
(あれ。全人格的にほめてしまっているかな。すみません。)
 それは、教員としてとても大切な資質です。きっと4月から、あせらず、着実に歩まれていくことでしょう。がんばってくださいね。
 わたしの方こそ、どうぞ、よろしくお願いします。
19. Posted by choco   2010年02月12日 17:10
5 toshi先生

コメントにまで、早速のお返事ありがとうございます!

たくさんの温かいお言葉をいただいて、なんだか恐縮です(あれこれ言いつつも、ほめていただくのは、自然と嬉しくなるものですね!笑)ありがとうございます。

「明るく、前向きに」
これはいつも意識していたいな、と思うことのひとつです。

「教師は、忙しい、疲れたという顔を、子どもに見せてはいけない。自分を『演じて』いなくてはならない」
現職の先生方から、そのようなお話を伺ったことがあります。

疲れ果てて余裕のない先生には、気軽に話かけることもできませんよね。
20. Posted by choco   2010年02月12日 17:17
ほめるときに限らず、忙しいなかでも精神的なゆとりを持って子どもに向き合っていきたい、と思います。
まだまだ、理想を越えて、夢の段階ですが(笑)
多忙な現場だからこそ、「自分にゆとり」を心掛けていたいです。

山本五十六の言葉、とても考えさせられます。
ほめる、見守るということも、「人を育てる」ことの重要なプロセスなのですね。改めてその大切さを感じました。
教え込むことに終始するのではなくて、教えたあとの過程も大事にしたいと思いました。
21. Posted by choco   2010年02月12日 17:20
toshi先生の文章を拝見していると、
「先生に話せば、きっと何でも受け止めてもらえる」
という空気が伝わってきます。

子どもたちも、そういう安心感があるからこそ、先生の前で(記事のような)いきいきとした姿を見せるのだろうなぁ…と思って(大ベテランの先生に向かって偉そうにすみません!)、
先生に見守られて育った生徒さんがうらやましいなぁ、と心から思います。

自分がどんな先生になるのか、楽しみなような不安なような思いでいますが、
toshi先生のように、子どもの気持ちを受け止めてあげられる、あったかい雰囲気の先生を目指したいと思います。(理想は高く…ですね 笑)

22. Posted by choco   2010年02月12日 17:22

まだまだ寒さが続きそうです。先生も、お体にはくれぐれもお気をつけて、また素敵なエピソードを書いてくださいね!楽しみにお待ちしております。 (またとんでもなく長くなってしまってごめんなさい!)

23. Posted by toshi   2010年02月14日 22:34
chocoさん
《toshi先生の文章を拝見していると、「先生に話せば、きっと何でも受け止めてもらえる。」という空気が伝わってきます。》
 このようにおっしゃっていただいて、大変うれしく思います。そのように心掛けてきたつもりです。 若い教員の卵の方が、そのように心掛けていきたいなどとおっしゃっているのをうかがうと、ほんとうにうれしくなります。
 4月が待ち遠しいことでしょう。大きく羽ばたいてください。

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