2010年02月04日

今のわたしには安心できる解き方だよ。5

56e5b99a.JPG 初任者のAさんが、またまた、すばらしい授業をやった。わたしは、後ろで見ていて、目頭のあつくなるのを覚えた。

 3年生の算数。はかりの目盛りを読む学習である。


 この授業のすばらしさは、授業の終末段階におけるBちゃんの発言が端的に示しているのではないか。さっそくそこから紹介しよう。

「(このはかりの)一目盛りが20gだっていうことは、さっきのCちゃんの説明でよく分かった。

 だから、(今、Dちゃんが説明してくれたように、)3kg500gの目盛りから一つ下を見れば(はかりにのっているランドセルの重さは、)3kg480gだってすぐ分かる。そのようにした方が早いし、簡単というのもよく分かるけれど、

 でも、今のわたしには、そのやり方は簡単ではないの。なぜかと言うと、一人でやっていたら、一目盛りがほんとうに20gか心配になっちゃうのね。だから、面倒かもしれないけれど、Eちゃんがやったように、3kg400gのところから、400g、420g、440g、460g、480gってやった方が、次は、500gだから、『ああ。よかった。やっぱり480gで合ってたんだ。』って分かるから、その方が、安心できるの。」


 いかがだっただろう。Bちゃんの発言。
 
 まことにBちゃんやEちゃんには失礼ながら、読者の皆さんは、その両名が、どちらかといえば、高いレベルの子ではないということが感じ取れるのではないか。

 
 この場合、どうやって目盛りを読んでいったらいいかということについて、4つの読み方が出ていた。

 そうして、どの読み方が早くて便利で楽かということについて、意見がたくさん出ていた。

 授業の前半では、Cちゃんが、『一目盛りは20gだっていうことが分かる。』と言って、さらに、『どうして20gって分かるか。』も学習していた。Bちゃんの発言はその後の、『Dちゃんの解き方がいい。』でまとまりかけたときのものだった。



 この、Bちゃんの発言のすばらしさは、いろいろあるが、


・まず、『今のわたしには、』が気に入った。

 そう。子どもは日々進化していくのだから、あくまで、『今のわたしには、』なのだよね。『わたしだって、やがては、Dちゃんのようにして解きますよ。』と言いたいように感じた。

 また、もう一つ。『多様性を認めてね。』と言いたいようにも感じた。あるいは、『みんなが多様性を認めてくれるから、うれしい。』だったかもしれない。

・また、『安心』というのにも、身ぶるいするくらいの感動を味わった。

 だって、これまで初任者指導していて、『どれが便利か。』とか、『早いか。』とか、『楽か。』とか、『応用がきくか。』とか、そうした観点で、いろいろな解き方をみていくことの大切さを指摘してきたが、『安心か。』というのはなかったと思う。

 初任者指導をしているわたし自身が、子どもから学ばせてもらったことになる。

・先ほど、Bちゃんはハイレベルではないなどと、失礼なことを書いてしまった。

 算数的には、そう言えるかもしれない。しかしながら、この発言の論理性の見事さはどうだ。そういう意味では、まさしくハイレベルな子だといえよう。



 次に、こうしたBちゃんの発言が出る背景としては、次のようなことが言えるのではないか。


〇子どもたちは、自由でのびのびと発言し、意欲的である。

 どのレベルの子も、自分の思い、考えを、たとえ、稚拙と分かっていても、それこそ、『安心して』発言することができる。よく指摘されるように、一部の高いレベルの子のみの発言によって、授業が進められることはない。これこそ、ほんとうの問題解決学習の姿である。


〇わたしは常々、『どのレベルの子にも合わせた授業をしなければいけないよ。』と言っている。しかし、それには、どのレベルの子も発言できる雰囲気が醸成されていなければならない。このクラスの場合、レベルの低い子への差別意識もなく、いや、それどころか、そういう子の解き方に対しても、その解き方のよさをみんなで考え合う雰囲気がある

 その一例だが、

 この授業で、最初に、一目盛りが20gであるとし、その理由も言ったCちゃんや、『3kg500gの目盛りから、一つ下を見ればいい。』としたDちゃんは、どちらかといえば、算数的に、高いレベルにいる子である。

 しかし、そういう子たちも、たとえば、一目盛りが20gを示すことについて、『そんなの簡単、簡単。』というのではなく、黒板のところへ出て、懇切丁寧に説明している。

 そうした土壌が、レベルの低い子たちによい影響を与える。簡単にあきらめない。食いついていくといった学び合いの姿を示すようになっている。


〇それは、担任であるAさんの子どもへの態度、はたらきかけが、子どもたちに転移しているからである。

 Aさんの子どもへのはたらきかけは、また、今一つ、進化した。


 たとえば、


・授業の冒頭、Aさんが、『ランドセルの重さをはかろう。』という学習問題を板書したとき、子どもたちは、すぐ、『教科書なんか、中身も入れてはかるんですか。』と質問した。それに対し、『みんなはどちらにしたいですか。』と問い返した。

 つまり、『4kgのはかりなのだから、中身も入れてはかるに決まっているでしょう。』とか、『中身を入れなかったらどうなってしまうのかなあ。』とか言っていない。それは、指導する側の思いで授業を進めようとしたり、指導する側の思いが子どもに伝わってしまったりするような問いかけをしていないということである。

 こういう問いかけをすると、子どもにとっては発言の自由さがなくなり、そのため、何でも言える雰囲気を疎外してしまうのだ。


・『おっ。何だって!』と、子どもの何気ないつぶやきを大切にした。このつぶやきを大切にしたことによって、『kgという単位を実生活で使うのはどういうときか。』という話し合いをすることができた。

 子どもたちからは、『体重をはかるとき、』『肉を買うとき、』などという答えが返ってきた。

 むかしからの読者の方々は、これがどんなに大切な学力であるか、ご理解いただけるだろう。下記リンク先記事の真ん中あたり、『〇悪しき学力低下論が災いしたと思う面はまだある。』からがそれにあたる。

    全国学力検査の結果公表で、(3) 大人の狂奏曲


 話を戻して、Aさんは、子どものつぶやきも大切にできるようになった。子どものつぶやきをとり上げればどんな学習ができるか、瞬時に判断できるようになった。

 これは、初任者に限らずだと思うが、多くの教員が苦手とするところではないか。指導する側は、授業の流れを、あらかじめ考えている。指導者なら当たり前のことだ。しかし、それだけに、規定路線から外れる子どもの発言やつぶやきについては、無視しがちになる。あるいは聞こえない。

 このあたりも、関連する過去記事がある。紹介させていただこう。

    42円になったよ


 これでは、子ども主体の授業にはならないのだよね。『授業の流れの構想は練っておきながらも、現実の授業場面では、柔軟性を持って。』が、実践できるようになったのはすばらしい。


・ランドセルをはかりの上にのせようとしたとき、『先生。はかり、こわれない?』と言った子がいる。このときも、Aさんは、『どうして、こわれるか心配したの?』と切り返している。子どもからは、『重そうだったから。』の声。

 そこで、ランドセルの中を見せた上で、ゆっくり慎重にはかりの上にのせた。

 この、ランドセルをのせるときの慎重さによって、子どもはホッとしたというような安堵の思いを表情に浮かべていた。これも、子どもたちを学習に集中させる役割を果たしたといっていい。


・もう一つ。あんがい大切なのに、見のがされそうなことだが、

 Aさんのユーモアもいい。

 「さあ。五百円玉くらい目を大きく開けて見てね。」

 とか、子どもの発言を聞きながら、ズッコケルしぐさとか、

 ここからは、Aさんの自信、心のゆとり、そういったものを感じた。

 また、そうしたしぐさや言葉が、子どもの雰囲気にぴったり合っていて、子どももにこにこしているし、何とも言えない、いい空気をかもし出していた。


・それだけに、授業の最後はいただけなかった。

「4つ、解き方がでてきたよね。どれが一番いい解き方だったの。それをノートに書いて。」

 これはないだろう。

 せっかく、本記事冒頭のBちゃんの発言があった直後だ。

 ここはその発言を生かし、関係づけて、

「自分が安心できる解き方はどれ。それをノートに書いて。」

と言えばよかった。

 前述のように、問題解決学習は、多様性も認めるのだ。もちろん、Aさんだって、ずっと多様性を受け入れてきたのだけれど、この最後だけは、ちょっといただけなかったかな。

 
・あと、ここまで成長したAさんの、今後の課題は何か。


 子どもの発言に間違いはないとして、しかし、余分なことを言っている場合がある。

 たとえば、本授業においても、一目盛りが20gであることを説明している場面での、Fちゃんだ。

「0kgの目盛りがここで、1kgの目盛りがここでしょう。だから、真ん中のちょっと長い線(目盛り)のところがちょうど半分の500gで、それで、それよりは短いけれど、ちょっと長い線を見ていくと、ここが100で、ここが200で、300、400、500、600、700、800、900、そして、ここが、1000で、1kgは1000gだから、それで、ここが、100でいいって分かるでしょう。そうしたら、0と100の間に小さい線があって、それを数えると、20、40、60、80で、次,100だから、それで、一番小さい線は、一つが20gだって分かる。」

 ねっ。分かるでしょう。

 この説明の場合、最初の、『真ん中のちょっと長い線のところがちょうど半分の500gで、』は、説明としては余分なわけだ。説明が重なってしまう。

 このような論理の妥当性については、今のところ、子どもたちは問題にしていない。

 この説明の場合は、それによって、レベルの低い子の思考が混乱してしまうとか、何を言っているのか分からなくなるということはなさそうだが、こうした、ある意味、ムダな説明が、思考の混乱を招くことは往々にしてありうる。

 ここはやはり、必要にして最小限な説明を心がける資質を育てていきたいものだ。

 『分かりやすい説明は、』とか、『これだけ言えばいいのでは、』など、そうしたことを気にかける話し合いに進化させてほしいと思う。

 やっぱりこの点に関しても、冒頭にふれたBちゃんの意見など、すばらしい発言をした子をほめることによって、その輪を広げるのが一番いいやり方だろう。

 以前も記事に書いたように、指導者が気にかければ、子どもは、一週間で進化する。残り、3年生は実質一ヶ月とちょっとだけれど、がんばってほしい。


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 冒頭、『わたしは、目頭のあつくなるのを覚えた。』と書かせていただきました。

 放課後の初任者との話し合いでも、それを言いましたが、

 そのあと、さらに、『次のように言えば、なお、よかった。』と言いました。最後は冗談のようになってしまいましたけれど。

「終末のところで、Aさんは、『どれが一番いい解き方だったの。』と発問したけれど、その直前に、Bちゃんが、『安心できる解き方』と言っていたのだから、『自分が安心できる解き方は人それぞれ違うよね。そこで、自分が安心できて、しかも早い解き方はどれかな。それをノートに書いて。』などというようにすれば、よかった。もしそう言っていたら、わたしはほんとうに感動の涙を流してしまっただろう。」



rve83253 at 05:25│Comments(4)TrackBack(1)算数科指導 | 初任者指導

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1. 目盛りを読むことについて  [ ★小学校教師みっぴのときどき日記★ ]   2010年02月04日 23:24
教育の窓・ある退職校長の想いの記事今のわたしには安心できる解き方だよ。を読んで、コメントしようとしたら長すぎてはねられたので、こちギ..

この記事へのコメント

1. Posted by ちろ   2010年02月05日 00:02
はじめまして。
地方で小学校教員を目指す学生です。
ブログ、とても興味深く読ませてもらいました。これからも毎日拝見させていただきます!

私は、経験があまりないのですが「こどものつぶやきを大切にする」というtoshi先生の言葉に共感しました。みんなのまえで発表できなくても、子どもってつぶやいてるんですよね。でもそのつぶやきから授業をうまく組み立てていくというのが、私にとってはすごく難しいような気がしますが。。
『今の私には安心できる解きかただよ。』と言えたBちゃん、そしてそれを受け入れる体制のできたクラスに感動しました。A先生の子どもに対する姿勢や、問いかけもすばらしいですね。
2. Posted by toshi   2010年02月05日 16:50
ちろさん
 コメントをいただき、また、ご愛読賜り、まことにありがとうございます。
 教員を目指す学生の方からコメントをいただけることは、大変うれしく思っています。どうぞ、その目標を達成されますよう、祈念しております。
 《私にとってはすごく難しい》とおっしゃる件、これはもう、わたしも含め、初任のときは、皆さん、同じだったと思います。教員主導になってしまうものです。みんな、経験と研究を積みながら、子どもを大事にするすべが分かり、実践できるようになるのですから、大丈夫ですよ。
 どうぞ、今後ともよろしくお願いします。
 
3. Posted by kuno   2010年02月07日 13:34
5 興味深く記事を拝見しました。「つぶやき」を大切に、その通りだと思います。現場での授業を見させていただくと、どうしても先生がご自身の作ったシナリオでないと安心して進められないのかな、と思ってしまいます。ひとりひとりの思考過程を細やかに見ることで、生徒が「どうやって理解できる(た)か」のきっかけを共有できる場をもっともつことができれば、学習も楽しいものになると信じています。
「今の私には...」に感激しました。この子の「知」の喜びを大切にしていって欲しいです。今レベルが高いと思われる子供も難題に向かうときがあるはず。そんなとき、それまでの様々な友の様々な考え方に触れたことは絶対生きてくるはず。そのことこそが、いわゆる「生きる力」なのではないかなと思います。
4. Posted by toshi   2010年02月07日 22:56
kunoさん
《どうしても先生がご自身の作ったシナリオでないと安心して進められないのかなと思ってしまいます。》
 このあたり、わたしは常々、『教員の指導力の向上をはからなければいけない。』と言っていますが、多くの教員の課題だろうと思っています。
 しかし、現状はなかなかむずかしいようです。初任のうちからこうした力を身につけてくれることを願い、わたしも微力を尽くさせていただいています。
 『生きる力』については、もう、kunoさんがおっしゃるとおりです。『学ぶ力』といってもいいでしょう。このあたりのことも、次回、記事にさせていただきますね。よろしくお願いします。 

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