2010年02月17日

『不易』の部分を大切に、3

1363fcd9.JPG 前々記事では、正岡子規の家庭教育論を通して、『不易と流行』について考えた。

 『教育には、時代とともに変えていかなければいけないものと、いつの時代でも大切にしていかなければいけないものとがありますよ。』

 そういうことを言いたかった。


 その後、読者の方とのコメントのやり取りを通して、『不易』の部分について、視野を広げさせていただくとともに、そこに共通する価値ともいうべきものを見つけることができた。うれしかった。


 さあ。その共通する部分とは。

 それは、すみません。後に譲らせていただこう。


 まず、子規についてだが、彼は、『家族の団らん』の大切さを言っていた。『これ(家族の団らん)だけの事ができれば家庭は何時までも平和に、何処までも愉快であるのである。』とし、さらに、『家庭の教育もまたこの際(団らんの際)に多く施されるのである。』ということで、教育にもたらす効果まで言及していた。


 次、YKさんから、コメントをいただいた。引用させていただこう。


 『〜。「不易」というと、今は、勤勉さとか、家族関係とかに焦点が当てられる傾向にありますね。松下幸之助さんなどが好きな経済人の語る教育はこういう感じになりがちです。また、最近では、藤原さんが「国家の品格」などで武士道が見直したりしています。これに影響を受ける人もいるでしょう。

 しかし、私は最近の教育論者の議論は、不十分なのではないかと思います。これからの教育論の枠組みを作るうえで必要な「不易」とは、西洋のキリスト教における「神の愛」、ソクラテスを代表とするギリシア哲学における「対話」、東洋儒学の示す「人の道」、日本の「もののあわれ」ではないかと思います。

 今の多くの教師はテクニックの向上を目指していると思います。しかし、私は、これらの要素の統合を目指しています。例えば、(どなたか忘れてしまいましたが)、以前、書き込みした方のリンク先に「きみのかわりはだれでもいない」という絵本を紹介していた方がいました。あの絵本は新約聖書の「マタイによる福音書」を題材としています。あの本は神の愛を描いているが、普遍的な教育観も示していると私は考えています。以前、私が少し書いたように、これからの教育は、道徳的な要素を加える必要があると考えています。』



 なるほど。『神の愛』か。


 なかなか、『神の愛』と言われても、それを的確にとらえるのはむずかしそうだが、しかし、けっこうYKさんは例をあげて書いてくださったので、少しは分った気がした。



 ところで、わたしは、何をあげようか。

 不易の部分として、『子どもへの愛』を挙げたいと思う。これは、拙ブログに流れる根本的な考え方だ。


 ここまで書き進めて、冒頭の問題提起に戻らせていただこう。


 『不易の部分に共通するものとは何か。』ということである。


 それは、『心』だ。『不易』にかかわるものを、ずうっと読ませていただいたり、考えたりして、このことに気づいたときは、ほんとうにうれしかった。

 

 もう何度も言ってきたが、大人が一方的に、『子どもとはこうあるべき』と決め込み、大人の一方的な価値観によって、子どもに対応するようなことはあってはならない。

 子どもの伸びようとする心を信頼する。

 子どもの立場になって考え、子どもが今必要としていることは何か、子どもの思い、こだわりは何か。それを気にし、それに沿ってこそ、学習は実りあるものになっていく。

 わたしはそこに、『不易』を見い出した。



 ところで、 
 
 前々記事において、子規の家庭教育論をとり上げたわけだが、その記事で紹介させていただいた先輩校長が、今度は、『与謝野晶子の家庭教育論』のコピーをくださった。

 それを読ませていただき、短い文ではあるが、わたしが、今述べたのとまったく同一の趣旨の家庭教育論を書かれていることに、ほんとうに驚いてしまった。

 子どものそばにいて子どもとふれ合う大人の『子どもへの愛』について、単刀直入に書かれていた。それでは、先日の子規に引き続き、紹介させていただこう。


 「親と子の間で明るく許し合うことの出来ないのは、大抵親の方が時代の思想感情に落伍して不通偏狭の人間になっているからです。この意味で親自身の上に一生涯怠ってならないものは新人としての教育です。親が断えず新人である努力をつづけている家庭の子供は幸福です。
 
 教育界にしても校長級の人達が常に率先して新しい教育を自ら励んでいるのと否とで、教育が或いは生き、或いは死にます。」(親として)『砂に書く』


 やはり、教育に問題があるとき、それは、子どもの側に原因があるのではないのだね。『大抵』がついているから、全否定することはできないが、まずはそういう認識に立つことが大切だろう。


 与謝野晶子さんは、校長級に対しても、ものを言っていた。身につまされるものを感じた。

 ここでいう『新しい教育』は、『流行』という意味だとしても、それには留意事項がつくはずだ。つまり、ここでも、『時代の思想感情に落伍して不通偏狭の人間になっている』のではダメということだ。

 わたしは、かつて、『学力狂騒』なる言葉を使って、何回も記事にさせていただいた。


 今、その中の一つにリンクさせていただこう。

    全国学力検査の結果公表で、(3) 大人の狂奏曲

 この記事をご覧いただくと、校長級だけではないことに気づかされるだろう。それ以上の、地方教育行政府のおえら方に対しても、『不通偏狭の人間になってしまってはいけませんよ。』と言いたくなるのではないか。



 再度、YKさんのコメント(4番)に戻らせていただく。


 ここに、『今の多くの教師はテクニックの向上を目指していると思います。』とある。


 そうなのだ。激しく同意する。

 『流行』の大切さは認めるとしても、『子どもの心』を忘れたテクニックでは、いかんともしがたい。

 テクニックを身につけることをいけないとは言わない。大切だというのもよく分かる。しかし、それは、あくまで、子どもの意欲・態度・興味・関心に寄り添うものでなければならない。



 わたしは、ここで、ちょっと奇抜な言葉が思い浮かんだ。

 『早寝、早起き、朝ごはん 対 家族の団らん』。

 何が言いたいのか、ちょっと、お付き合い願いたい。


 あるとき、一人の有識者(?)によって、唐突に叫ばれるようになった、『早寝、早起き、朝ごはん』。


 わたしは驚いた。

 何に驚いたかというと、

・このようなことの大切さは、よく分かる。理解もしている。しかし、これは、あくまで学級懇談会などのテーマになりうるくらいのものだろう。これが、全国的に展開する教育改革のテーマになるというのは、ちょっと異常だ。

・それでも、『子どもの心を養う』観点が示されていたのならまだよかった。しかし、そうではなかった。いきなり、『早寝、早起き、朝ごはんの子どもは、学力調査の結果がいい。』というかたちで示された。

・『早寝、早起き、朝ごはん』は、テクニックとは言えないね。あまりにも当たり前すぎて。しかし、これを全国的に推奨し、『これさえしていれば、学力調査の点数はよくなる。』

 まあ。そうは言っていないだろうけれど、でも、世間はそのように受け止めたよね。そうなると、やはりテクニックの一つとなってくるのではないか。

・今は、家庭生活も多様だ。まして、『子どもの貧困』などと言われる時代になると、『早寝、早起き、朝ごはん』したくても、無理な家庭もたくさんあるだろう。そういう家庭は、あきらめなければならないということか。



 拙ブログを運営していて、わたしには苦い思い出がある。

 あるいただいたメールをもとに、記事にさせていただいたことがあった。下記リンク先記事の、『その2』の2つ目の○しるし、『実は、家の子ども達は、本をほとんど読みません。マンガとかアイドル誌くらいです。』からが、それに当たる。

    国語の授業がおかしくなっている・・・かな!?(7)

 ここにも、テクニック優先主義にはしる教員の姿が見られた。

 保護者が、『うちの子は、本をちっとも読みません。』と言うと、『お母さんが小さいころから絵本の読み聞かせをしていませんでしたね。』と言ってしまう教員。

 そして、その保護者は、『本の読み聞かせというのは、読書好きにする上で万能か。家庭の事情でとてもそのようなことはできないのに。』と思い悩む。

 そういうメールだった。罪な対応だと思った。


 そう。子どもの心に寄り添うのではなく、子どもを決めつけてしまうのだった。あるいは、テクニックの問題にしてしまうと言ってもいいかな。


 『早寝、早起き、朝ごはん』の提唱も、まさにこれと同じ役目を果たしているのではないか。



 やはり、『流行』も大切だが、それがテクニックに走りすぎるのは問題だ。根底には、『不易の部分』の『心』をも据えていきたい。

 だから、どうせ推奨するなら、『早寝、早起き、朝ごはん』ではなく、『家族の団らん』にしたらどうだっただろう。

・これなら、時間に制約されず、したい時にできる。『できるときでいいですから、心がけましょう。』というのはどうだろう。

・心の通い合いも感じられるだろう。一方的なお説教、叱責などだったら、これは、団らんとは言わない。ここには、子規の言う通り、温かな心の交流、楽しく愉快な交流。そういったものがイメージされよう。

・そして、拙ブログで言ってきたように、また、与謝野晶子さんも言っているように、『新人であろうとする努力』つまり、『子どもから学ぶ姿勢』『子どもとともに歩んでいこうとする姿勢』。これが大切だ。

 公教育も、そうした精神でいきたいものだ。


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 くどいようですが、すみません。

 『流行の部分』として、『早寝、早起き、朝ごはん』を推奨すること自体はいいでしょう。

 しかし、これが、学力調査結果と結び付けて説かれるという状況は、明らかにおかしかったのではないでしょうか。

 そこには、そうしたくともできない家庭が多数あることに思いをいたし、そういう家庭への配慮もしたうえで、推奨してほしいもの。

 『流行』が、ある程度テクニック中心になってしまうのは、やむを得ないかもしれませんが、その場合でも、『不易』に属する、『心』を大切にしてほしいものです。


 最後に、YKさんがおっしゃった、「きみのかわりはだれもいない」。

 素敵ですね。どの子にも、このようなメッセージを送りたいものです。

rve83253 at 12:54│Comments(8)TrackBack(0)教育観 | 環境教育

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この記事へのコメント

1. Posted by 猫紫紺   2010年02月18日 00:35
Toshi先生、こんばんは。
>『早寝、早起き、朝ごはん 対 家族の団らん』。

わたし、理想を申し上げるなら「早寝、早起き、朝ご飯」も「家族の団らん」も。どちらも欲しい、と思います。
たとえば、一家の主が会社から遅く帰ってくるのを待って、夜中の11時に2歳前後の子を含めて一家団欒しているとしたら、どうお考えでしょうか?子どもの睡眠所要時間は、9〜10時間前後ですから、もし朝の7時起床だとしても、慢性的な睡眠不足になると思います。集中力が欠けたり、朝ご飯が食べられなかったりする原因になると思うのです。

実は、「早寝、早起き、朝ごはん」運動には2つの団体があります。
本家
http://www.hayaoki.jp/index.cfm
協議会(テクニック的なほう)
http://www.hayanehayaoki.jp/
※こちらの広報のあり方には、わたしも引っかかるものを感じます。

本家の鈴木みゆき先生の受け売りですが、「ヒトは、昼行性の動物である」そうです。頭でっかちになって身体のサインを見逃しがちな現代人ですが、「生活リズムをきちんと整えてやること」で、動物としての人間の生体リズムが整い、健康に、意欲的になれ、結果として学校での学習が身に付きやすい状態になる、というのが本旨のようです。
http://www.hayaoki.jp/gakumon/gakumon.cfm
2. Posted by 猫紫紺   2010年02月18日 00:36
分割投稿失礼いたします。

Toshi先生おっしゃるように、“心”とても大切です。寝不足のイライラ・ストレスご経験おありになるかと思います。健全な“心”は健康な“肉体”に宿る、と考えておりますが、いかがでしょうか。

ワークライフバランスが崩れている昨今です。企業社会は、世のお父さんをもっと早く家に帰して!って思います。

やりたくてもできないご家庭の存在、、実態を知るすべはありませんが、悩ましいです。
3. Posted by YK   2010年02月18日 20:59
toshi先生の「子供の愛」という言葉に共感を覚えます。最初は「早寝、早起き、朝ごはん」という言葉も素朴な感じがして、私としては害なしと感じましたが、全国的な運動や組織化しているとなると、イデオロギー的なものを感じないでもないですね。これが地域コミュニティが自発的に行った活動だったら、toshi先生も違和感を感じなかったのではないですか。私も「早寝、早起き、朝ごはん」はいいと思いますよ。でも、「早寝、早起き、太極拳」のほうが、もっと健康にもいいんじゃないかな・笑。でも、そういう議論にはならないですよね。何か、懐古主義的なものに、脳科学などの最新の科学を利用している感も無いではないですね。
4. Posted by YK   2010年02月18日 21:18
例えば、オバマの教育演説を読みましたが、彼のお母さんはシングルマザーとして働いていており、お母さんが仕事で忙しかったので、毎朝4時半に子供に補習をしたと言っています。確かに早起きだけど、早起きというレベルではないですね。でも、お母さんにはその時間しかなかったわけです。こうした教育環境で現代を代表する人物が生まれたという事実を、私なら子どもに教えたいですね。ついでに言えば、お母さんは決して脳の活性化を図ったわけではないと思いますね・笑。貧しいけれど、息子にはいい教育を与えたかった、というそれだけだと思います。私は、貧困恐怖症の現代において、こういうところこそ見習い、伝えていく価値だと思うのです。
5. Posted by toshi   2010年02月19日 01:40
猫紫紺さん
 TBありがとうございました。そして、『現代の親への心構えのヒントなどがあり、あたたかい視線にほっとします。』などとおっしゃっていただき、感謝しています。

わたしも、『早寝、早起き、朝ごはん』そのものに反対しているわけではないので、基本的には、猫紫紺さんと同じでしょうか。
 でも、夜中の11時云々は・・・、
 こうした事例まで、団らんと言えるのでしょうか。子どもにとっては苦行そのもののような気がしますが、いかがでしょう。
 記事には、確かに、『時間に制約されず、したい時にできる。』と書きましたが、それは、『親子ともに』という前提があるはずで、こうした事例があるとすれば、それは、与謝野晶子さんの言葉を借りると、『不通偏狭』の部類に入ってしまうと思います。 
6. Posted by toshi   2010年02月19日 01:48
YKさん
《これが地域コミュニティが自発的に行った活動だったら、toshi先生も違和感を感じなかったのではないですか。》
 そうですね。その通りです。ただし、学力調査の結果と直結させて論じると、やはりおかしなことになりそうです。
 オバマさんの話、興味深く拝読しました。
 そう。そう。
 『早寝、早起き、朝ごはん』に関しては、『脳の活性化』などとも盛んに言われていましたね。 
7. Posted by 猫紫紺   2010年02月19日 23:03
Toshi先生
 コメントありがとうございます。
>でも、夜中の11時云々は・・・、
 ああ、よかった。
 わたしも、先生と同じで、子どものことなどまるきり考えていない行為だと、思っております。わたしも今時の親ではありますが、夜型化する親の生活に、子どもを無自覚に付き合わせてしまうご家庭も実際にあるようです。身近な事例で、幼稚園児を夜中過ぎの1時に就寝させるひとにママ友を介して出会ったことがあり、衝撃を受けました。初対面で分かれた後にその話を友人から聞いたので、何も言えませんでしたが・・。
8. Posted by toshi   2010年02月20日 17:53
猫紫紺さん
《夜型化する親の生活に、子どもを無自覚に付き合わせてしまうご家庭も実際にあるようです。》
 こういうのって、ほんとうに判断はむずかしいです。夜中の1時過ぎが恒常化しているのであれば、それは論外としても、ある程度の夜型は、そのご家庭の事情により、やむを得ない場合もありそうです。
 ですから、学力調査結果といっしょくたにしての、早寝、早起き、朝ごはんの推奨は、そういうご家庭に心理的な圧迫感を与えかねないものとして、わたしは憂慮しています。

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