2005年12月15日

小学校における習熟度別は?

082b36f8.JPG 今、いわゆる『学力低下』論が声高に言われ、それへの対策として、習熟度別授業がもてはやされる。小学校においても、これは実行に移され、保護者の支持も得ているようである。

 わたしがお邪魔している学校でも同様であり、初任者も自分の学級を離れ、グループと称する少人数編成の集団で指導を行っている。

 わたしはその日々の取組を見ていて、『習熟度別授業は、特に小学校においては、いろいろ問題があるな。これで学力の向上は、期待できるのだろうか。』と危惧しているので、以下、それを記述したい。

 言い古されていることは、ここでは省略する。『優越感、劣等感を助長するのではないか。』と言った類のことである。



 小学校は、ご承知の通り、教科担任制ではなく、学級担任制をとる。それは、いろいろ理由はあるだろうが、人格形成の初期の段階では、担任と子ども、子供同士の心のふれあい、係わり合いが大切で、そうした豊かな人間関係の構築のなかで、学力が培われるということではないか。簡単に言えば、学力を身につける過程で、豊かな心、豊かな人間関係にかかる比重が大きいのである。

 ,錣燭靴蓮⊇蘿ぜ垰愼海仕事なので、そういうときでも初任者が指導するグループを見ることになる。
そうすると、当然他クラスからくる子どもたちも見るわけだが、彼らのなかには、指導者があまいということで、どう考えても息抜きに来ているとしか思えない子どもがいる。これは、わたしの想像だが、厳しい先生のクラスの子が息抜きをするのではないか。わたしはベテラン教員の教室に入ることはないから、あくまでこれは想像に過ぎないが、何も初任者ということでなくても、一つの学年には、いろいろなタイプの教員が配属されるのがふつうだから、こういうことは多くの学年でみられると思われる。

▲哀襦璽廚寄せ集め集団に見えてしまう。
名前も知らない子同士が一緒に学習している。当然心は通い合わない。週一度しか来ないわたしに対して心を開かない子もいる。初任者の教員に対しても同じとは言わないが、しかし、担任同様に心を通わすというわけにもいかないだろう。
 そんななかで学習しているので、わたしが机間巡視すると、「見ないで。」と言ってノートをかくす子が少なからずいる。
 学級で指導するよりも、その割合は高いと思う。

習熟度別学習は、算数で実施している学校が多いのではないかと思うが、算数では、共同思考による『練り上げ』を大切にする。ところが、これが上記のように心が通い合わないと、なかなかうまくいかないのだ。
お互いに刺激し合い、友達の考え、発想がヒントになって、着眼点に気づくというようなことが望まれるのだが、上っ面をなでるような話しか出ず、教員が引っ張る授業になりがちだ。

こ惶蕕砲茲覦貔道愼海両豺隋気心の知れたもの同士が一緒に学習しているのであるから、上記のような問題点は薄まる。
学力の違う者同士がともに学習するよさもある。子供同士の教え合い、学び合いが深まるということだ。
わたしの経験から言っても、むかしは5段階評価をしていたのだが、5の子が、1の子に教えているとき、指を使って教え、1の子が分かると、『先生。Aさん、わたしの説明で分かってくれた。』と、実にうれしそうに報告してくれたものだ。
「そうか。すごい。教え方がうまいということは、教わる側だけが得するのではない。そういう説明ができた教える側も、より深いところで理解できたのだから、すばらしいことなのだよ。」
そう言って、ほめたり感謝したりした。

 もっとも、これは、もうお分かりだと思うが、異質な子同士が、互いに助け合い、協力し合う雰囲気が学級にないと、無理な話ではある。

 以上の点を指摘し、しかし、何でもかんでも習熟度別はよくないという気もないので、どうしたら、習熟度別がうまくいくか考えてみたいと思う。

小学校における習熟度別学習を有効なものにするには、日ごろから、学年が一つになって活動する体験を、多く取り入れる必要があろう。体育、特活、行事など、さまざまな活動のなかで、学年が一体となった活動を取り入れ、気心が通い合うように配慮すべきだろう。

 これまで述べてきた習熟度別学習は、3クラスの場合は4グループ編成にすることを前提として述べたものであるが、少人数の指導教員と担任とで、1学級を2分割することも考えられる。これだと、上記のような問題点は薄まるだろうが、2分割ゆえのおおざっぱな習熟度別になってしまう。趣旨が徹底しない嫌いがある。


rve83253 at 20:51│Comments(4)TrackBack(0)指導観 | 教育観

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この記事へのコメント

1. Posted by MIE   2005年12月17日 11:12
今は、習熟度別授業というものがあるのですねー。全く知らなかったので驚きました。確かに皆で教えあったり色々な人の意見を聞くことで、より理解が深まることはありますよね。自分もよく近くの席の勉強のできる子に教えてもらったりしたことを思い出しました。
2. Posted by toshi   2005年12月17日 12:48
MIEさん。コメント有難うございます。教育改革の波は激しく現場の状況はどんどん変わります。
 この私だって現場にいなければ、すぐ今浦島になってしまうでしょう。
 わたしは異質な者同士が、ふれ合う場を大切にしないといけないという思いです。佐世保事件の後、異質な者をわけようとする機運が各地にあると聞いており、そのことには危惧を感じています。
3. Posted by こだま   2005年12月17日 15:40
こんにちは!
私も習熟度別には反対です。
(どう考えても「植林」よりも「雑木林」の方が土壌がしっかりしていますから。)
ただ、習熟度別のシステムへの移行を食い止めるためには、今のままの授業のあり方では難しいと思います。「ついていけない子」と「理解が早くて授業を退屈に感じている子」のギャップをどのように解消するかが鍵になると思います。だけど、現場の多くの方がどうもこの点をあきらめていらっしゃるような気がするのですが…。私は工夫次第でできると感じています。今後、この観点からの授業のあり方の論議が必要ですね。
4. Posted by toshi   2005年12月17日 22:11
こだま先生。有難うございます。先生のおっしゃる通りです。
 よく、初任者に限らずですが、「どのレベルに合わせて授業をしたらいいのですか。」と聞かれます。「どのレベルもみんな合わせるのですよ。」と言うと、狐につままれた顔をします。
 子どもの思いを大切にし、どの子も主体的に授業に臨めるような授業をすれば、必然的にそういう授業になってしまうのですよね。
 今度、そういうことも書きたいなと思います。宜しくお願いします。

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