2010年02月19日

『先生方、教育を楽しんでください。』5

7f464563.JPG いい講演だった。

 講師のA氏は、『先生方、教育を楽しんでください。』とおっしゃって、講演をしめくくられた。

 わたしは感謝の拍手をしながらも、隣りに座っている我が担当の初任者Bさんに、思わず言った。
「A先生のご講演のように、Bさんは、今、毎日、教育を楽しんでいますね。」
すると、即座に、自信をもった笑顔で、
「はい。」
と応えてくれた。


 その瞬間、この日のB学級の給食風景が、パッとよみがえってきた。

「今日の給食中も、いい光景があったなあ。とてもなごやかな学級の雰囲気が伝わってきて、ほんとうにうれしくなった。
 でも、最初は悲鳴が聞こえてきたから、びっくりしたのだ。『何ごとが起きたか。』と思ったよ。思わず振り向いちゃった。そうしたら、Cちゃんが立ち上がって、何やらわめいていたではないか。
 わたしは、耳鳴りがひどいのでね。何かわめていることはよく分かったが、何を言っているかは分からなかった。
 でも、その後は、Cちゃんも含め、みんな、楽しくて仕方がないといった感じで、心から笑い合っていた。それがあっちこっちの班にひびいて、ほんとうに学級全体が楽しい雰囲気に包まれたね。
 それが何ともいえず、よかった。なんか、ジーンとしてきちゃったよ。」

 そう。わたしは、この講演の帰り道、Bさんから初めてくわしく事情を聞くことになった。それで、あらためて、感動してしまった。

 「あれはですね。牛乳が2つ余っていたのです。それで、そういうときは、ほしい子のなかで、男子が一つ、女子が一つもらえるようにと、決めてあったのです。でも、たまたま、どういうわけか、男子2人で二つ取ってしまったのですね。そのまま誰も気づかずに、もう2人ともかなり飲んでしまったのです。
 最初に(男子の)Cちゃんが気づき、『しまった。』とばかり大声を上げてしまったのです。」
「そうか。そういうことだったか。」
「それでですね。Cちゃんは、『今度、2つあまったときは、女子が2つな。』と言って、またまた大笑いになったのです。」


 このようなちょっとしたトラブル(この場合は、トラブルではないけれど。)は、子どもならよくあること。
 しかし、この、B学級が一つになっての温かさはどうだ。これは、そうそうあることではないだろう。

 わたしは、すぐ、Bさんに、『明日の朝の会で、〜と言って、ほめてやりなよ。』と言った。

 それは、
○ふつうなら、女子が、『ずるい。』『約束違反だ。』などと文句を言い、男子が、『うるせえ。』『分からなかったのだから、しょうがないじゃないか。』などと言い返す。そういうことがあまりにも多いのではないかな。
○そんなわけで、口争いというか、けんかというか、そうなってもおかしくない。そんな事態でも、学級全体が楽しそうな雰囲気に包まれてしまうのがすごい。
○こんなことは、ちょっとしたことだ。それを、とんでもない事件が起きたかのように、悲鳴にも似た声を上げる。それは、Cちゃんが、男子を代表するかのような気持ちになり、申し訳ない気持ちでいっぱいになったからだね。
○そして、学級全体も、男子が、『ごめん。許して。』女子が、『いいよ。気にしない。気にしない。』というように、よくあるケースの反対だから、それがすごいしすばらしいのだ。
○それは、みんながやさしくて許し合える関係になっているからだ。
○わたしはそれがうれしい。


 さて、ここから先は、わたしだけの胸に秘め、Bさんには言わなかったのだが・・・、

 実は、Cちゃんには思い出すことがあるのだ。
 それは、昨年の秋、Bさんが一日出張で、わたしが全日経営した日だった。だから、Bさんは知らない・・・かな。

 この日の給食では、子どもたちの大好きなハンバーグが2つあまった。わたしは、これはほしい子が大勢いるだろうと思い、そばにあったスプーンを使って、4分の1ずつに切った。つまり、8人分にしたわけだ。

 何人目かのおかわりに現れたのが、Cちゃんだった。

「あっ。これ、つながっている。うわあ。ばんざあい。これで一つだ。」
そう言うと、なんと、2分の1ハンバーグを取って席に着いてしまった。
 わたしは、
「あれっ。切ったつもりだったけれど、切れていなかったか。」
それだけ言って、あとは何も言わなかった。

 案の定、子どもたちで、言い争いが始まる。
「うわあ。C。ずるいぞ。それ、2人分じゃん。」
「だって、切れてないもん。だから、1つ取っただけだよ。」
 それから、まわりの子たちに、『ずるい。』『ずるい。』と言われる。

 でも、Cちゃんは、『これはまずかったかな。ずうずうしかったかな。』といった感じで反省の表情は浮かべたものの、そのまままた笑顔に戻り、2分の1を食べてしまった。
 他の子たちも、それ以上は、『ずるい。』と言うこともなく、何事もなかったように、元の教室の雰囲気に戻った。


 わたしは、『ごちそうさま。』の後、このことをとり上げて、子どもたちにお詫びするとともに、ほめた。

○お詫びは、もちろん、完全に切っていなかったことだ。
 でも、Dちゃんが言う。
「先生。ごめんなさいなんて言うことはないよ。ほとんど切れていたのだから、あとは、Cさんが自分で切って、1つだけ持っていけばよかったんだよ。」
「そうだよ。toshi先生は悪くない。Cちゃんがいけない。」
「まあ。そう言えば、そうかもしれないけれど、でも、Cちゃんは、つながっていたから、きっとものすごくうれしくなっちゃったんだよ。うれしくてうれしくて仕方なくなっちゃったんじゃないかな。」
 それで、このやり取りも終わった。

○逆にほめたのは、このときもそうだったわけだが、友達に文句や苦情を言うことは言うが、それがしつっこくないこと。
 しつっこいと、たいがい、泣く子が現れる。あるいはけんかになる。
 そうならなかったのは、
 わたしは折々、初任者のBさんに、次のような指導をするように言っていた。
・人をよってたかって責めるのは、よくないこと。
・たとえ、その子がいけないことをしたとしても、一人の子が責めたら、他の子は、黙って見守るのがすばらしいこと。
・もしよってたかって責めるようなことがあったら、ことの善悪は逆転し、責める方が悪いということになること。」 

 日ごろのそうした指導が行き届いていると感じ、うれしくなった。


 話を戻そう。

 そのCちゃんが、この日は、女子に謝罪と気配りをみせたわけだ。その変容も、とてもうれしかったというわけだ。前述のとおり、わたしだけの思いだけれどね。

 これは、繰り返すが、Bさんには言わなかった。だって、むかしのずうずうしかったことを、わざわざ言う必要はないもの。


 さらに話を戻そう。

 講演を行ったA氏は、本記事冒頭の言葉の前に、こうおっしゃった。
「どこかの教育委員会は、総合的な学習の時間を市民科と称して、各学校に授業を行わせています。それで、わたしたちのまちの教育委員会もそれをとり入れようとする動きがなかったわけではありません。
 わたしは、この動きに強く反対しました。

 今日、示された、我がまちの総合的な学習の時間の教育課程はすばらしいものです。心からうれしくなりました。

 子どもを、子どもの外側からいい子にしようとしても、それはむなしくなるだけでしょう。やはり、子どもの内にあるものをきたえないと本物ではありません。」


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○今、教員が教育を楽しめない状況が少なからずあるようです。その要因は多々あると思いますが、教員の指導に問題があるケースも否定できません。
 『こうでなければいけない。』とか、
 『ここまで到達させないといけない。』とか、
 そういう邪念は振り払って、子どもの心に寄り添うことこそ、教育が楽しくなる秘訣のような気がします。そして、その方が学力もつくというものです。

○それに関連し、ちょっとふれさせていただきたいのは、
 先ほどのハンバーグの件ですが、
 ふつうは、こういうケースでは、教員が出て行くでしょうね。そして、子どもに謝るか、逆に叱るかするでしょう。そして、完全に切り離して、4分の1を持って行かせるようにするでしょう。きわめて当然の措置だと思います。

 しかし、このとき、わたしは、そうしませんでした。実は、いやらしい根性(?)があったのです。
 それは、
 『子どもたちはこの事態をどう解決するだろう。あるいは、解決できないかな。』
 そんな興味関心です。
 
 そして、そこには、『この子たちは、自分たちで解決するだろう。そうした力は持っているはずだ。』という期待もありました。

 これも、『教育を楽しむ心境』かもしれません。そうして、子どもの内にあるものをきたえるのです。

○そうか。もう一つ、ふれておきたいことがありました。
 それは、この講師A氏への『感謝』です。いわゆる『市民科』を排除し、
・我が地域の教育を守ってくださった。
・楽しく教育を行う土壌を守ってくださった。
 そんな思いになりました。 

rve83253 at 01:13│Comments(0)TrackBack(0)学級経営 | 子ども

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