2010年02月26日

PTAの任意加入問題3

e7528033.JPG 前記事に、『朝日もPTA任意加入を支持!?』を掲載したところ、猫紫紺さん、しれとこままさん、やまびこままさんより、コメントをいただいた

 それらコメントを拝読して、あらためて、賛否両論、多様な考え方があることを確認させていただいた。

 ありがとうございました。


 かねてより、『教育は、ある意味、地方分権が徹底しているため、よその地域の事情は分かりにくい。』と書かせていただいているが、このPTAの問題については、地方分権というよりも、その地域、地域ごとに、それぞれの歴史、風土といったものがあり、よそからはうかがい知ることのできない部分が多い。

 でも、こうやって、ブログをやらせていただき、それぞれの実情が分かるのは、多様な見方ができるという意味で、大変ありがたく思う。


 まず、最初にお断りしておきたいことがある。繰り返しのリンクで大変恐縮してしまうが、

 わたしは、『PTA任意加入問題』については、すでに、何回か記事にさせていただいた。そして、その考え方や、どうしてそのように考えるのかは明らかにしている。

 それに再度リンクさせていただこうと思う。まだご覧になっていらっしゃらない方は、ぜひどうぞ、ご覧ください。よろしくお願いします。

 ただし、『toshiの言いたいことは、もう分かっている。』と思われる方は、※印のところまでは読み飛ばしていただいてけっこうである。


○まず、

    『PTA任意加入』論についてのtoshi的考察

がある。むかしはむかし。PTA自動加入に意義があったことは認めるものの、その後の、時代の推移によって、『PTA任意加入』の必然性がましてきたと考えている。


○次に、『PTA任意加入』は時代の趨勢としたうえで、それを前提としたPTAの未来像も述べている。なお、これは、PTAとのかかわり方という意味では、学校の未来像でもある。

    PTAと学校(11) PTAの未来像は、

 やはり、個性重視、一人ひとりの思いを大切にする、これからの時代におけるPTAのあるべき姿について、考察している。


○そして、『任意加入』とまではいかないが、実質、それと同じと思われる、『任意活動』をとり入れた学校に、校長として勤務した経験をもっているので、それにもリンクさせていただこう。

    ひらかれたPTA

 『任意活動』の学校に着任した時のとまどい。しかし、その活動の様子を理解するにつれて引き込まれていった、わたし自身の思いを述べている。




 さあ。それでは、前回記事『朝日もPTA任意加入を支持!?』にいただいたコメントを紹介させていただきながら、わたし自身の思いを述べさせていただこう。



○初めに、猫紫紺さんからである。

 なんと、前記事に掲載させていただいたシンポジュームに出席されていらしたとのこと。驚いた。

 そして、シンポジュームでの寺脇氏の発言について、朝日新聞記事がふれていないことまでコメントにしてくださった。ありがとうございました。

 同コメントによると、

 『寺脇研氏は、従来ないまぜになっているPTAの「社会教育団体として機能」と「保護者会機能」を分離すると良い、とお話しされていました。』

とのこと。

 たぶん、これは、分離したうえで、前者の『社会教育団体としての機能』には任意加入で、『保護者会機能』には事実上自動加入でとおっしゃっているのだと思う。


 そうかもしれない。

 まあ、分離した場合、『保護者会機能』にまで、任意を求める声はないだろうからね。


 しかし、そうだとしても、どうだろうか。

 ここで、川端氏のブログ記事にリンクさせていただくが、

    『第18回 カワバタ私案を発表します』

 同氏記事にあるように、PTA活動にトラウマを感じていらっしゃる方にとっては、分離したからと言って、即、トラウマがなくなるとは言えないのではないか。

 そういう意味では、同氏の考えは、折衷案としての意義は認めるものの、問題解決に役立つかと考えると、それは疑問と思った。 


 猫紫紺さんは、さらに続けて、

 『わたしはさらに、「後援会機能」をも分離するとよいかと思っています。』
  
とおっしゃる。


 これには、驚かされた。そうか。いまだに、『後援会機能』をもつPTAもあるのか。

 まあ、『後援会機能』については、『PTA任意加入』の問題とはずれるが、せっかくふれていただいたので、ちょっと考えさせていただこう。


 なお、『後援会機能』については、同氏のブログ、『草履で歩きながら考える (旧:幼稚園弁当)』のなかの、『PTA、学校への金品の寄付という問題』なる記事が、参考になるのではないかと思う。


 わたしが校長として勤務した学校においても、『後援会機能』を有する学校はあった。もう15年ほど前の話だけれどね。

 まあ。これまでのわたしの論調からすれば、『PTA総会で、皆さんが承認されるなら、後援会機能もあっていい。』となるかな。


 参考までに、15年ほど前は、我が勤務校においても、こういう話があった。ある保護者の声だ。

「校長先生は、『公教育にかかる費用は公費負担が原則だから、後援会機能はなくしたい。』とおっしゃいます。それは分かります。公教育は税金で賄うのが筋というのも、よく分かります。

 しかし、公費負担は無制限というわけにはいきません。仮に、一般的な意味で、公費負担により満足のいく教育が保障されたとしても、親ならば、『これでいい。これで十分。』とは思わないのではないでしょうか。親としては、常に、公費プラスなにがしかを求めるのだと思います。」

 たとえば、図書室におかれる本。

 公費で、新たに100冊、置くことができたとする。

 しかし、それならそれで、『120冊、150冊にしてほしい。』と思うのが親心ではないかというわけだ。

 そう。その気持ちはよく分かる。親心としてなら、よく分かる。

 
 しかし、やっぱり、それはよくない。『総会で、皆さんの総意としてまとまるのならオーケー』とは言えない。

 なぜなら、

・現実、会員には多様な考え方があるから、そうした考えに納得しない方もいらっしゃるだろう。そんな使われ方をしてほしくないと思う方もいらっしゃるのではないか。

・もっと根本的な理由。

 それは、使うお金の『性格』にかかわる。やっぱり、私的なお金を公的なものに使うのは間違いなのだ。これを許容すると、公金の概念がくずれてしまう。

 さらに、現在では、家庭の貧困の問題ものしかかってくる。
 
 だから、親心は、別なところで満たしてもらうしかない。


 我が地域においては、たぶん、今、『後援会機能』を有するPTAはないと思う。

 ただし、PTA予算の中で、『学校援助費』なるものは計上されている学校が多いのではないか。そして、それらは、卒業記念品、お祝いの品など、児童一人ひとりに還元されるものに使っているのだと思う。


○次、しれとこままさんは、任意加入にしたくてもできない事情にある(?)小規模校の問題について、コメントをくださった。

 小規模校の状況を知るにつれ、任意加入問題のむずかしさを、具体的に理解することができた。ありがとうございました。


 『冬季のスケートリンク作り』などは、ほんとうにご苦労の多いことだろうと思う。

 だって、小規模校であろうと大規模校であろうと、これにかかる苦労は変わらないものね。それなのに、小規模校なるがゆえに、個人にかかってくる負担は、大規模校とは比べものにならない。

 それは、『当番活動』であっても同じだね。

 ほんとうに頭の下がる思いがする。


 この、しれとこままさんのお子さんが通われる学校。今は、『できるだけの協力は惜しまない。』というのが暗黙の了解とのこと。

 しかし、小規模校においても、やがては、こうした活動に対する苦悩が表面化するのではないか。

 その兆候は、しれとこままさんのコメントからも感じられる。

 つまり、

 『したくない。』もしくは、『無理に子供にさせたくない。』という方もいらっしゃるとのこと。

 今は、そういう方も、『子どものため』『みんなやっていることだから。』ということで、協力は惜しまない姿勢になっていられるのだろう。思いは複雑だと思う。


 しかし、人々の意識は、時代とともに変わるものだ。

 やがて、『公教育なのだから、こういうことは、行政が人を雇ってやるべきではないか。』という主張になっていくことも考えられる。


 驚いたのは、『子供がいなくても、自治会に入っている家は、PTA準会員となっていて、会費を(半額かな?)納めている次第です。』とのこと。


 これは判断のむずかしいところだ。

・労力だけではなく、金銭的にも支えないと、PTA活動は成り立たないということか。

・しかし、他方、『自治会に入っている家は、PTA準会員となっていて、』のコメントから、『そうか。小規模校の地域でも、自治会に入っていない家庭もある。』のか。

 まあ、各家庭の自発的意志によるのか、地縁社会のお付き合いによるのか、その辺は判断がむずかしい。

 もし、各家庭の自発的意志によるのなら、寺脇氏やわたしが言うところの、『PTAは〜、保護者だけでなく、OBや地域の大人を入れ〜、』を、まさに地でいっているようにもみえ、これはこれでありがたいしうれしいことなのだが・・・、


 実際はその中間あたりかな。

 つまり、『やらずに済めばそれにこしたことはないが、小規模校であるがゆえに、金銭的な協力をせざるをえない。』といったところか。


 いずれにしても、小規模校であっても、やがては、『PTA任意加入』問題は、喫緊の課題となるのではないかと思う。


○最後に、やまびこままさんからのコメントをとり上げさせていただきたい。

 
 お気持ちはよく分かる。

 わたしとて、現職にあるときは、やまびこままさんと共感し合えるものをもっていた。つまり、『親が子供に教育を受けさせるのが義務なのですから、せめて義務教育のうちはPTA活動として、親と職員みんなが参加するべきでしょう。』は、かつてのわたし自身の思いでもあった。


 しかし、今は・・・、

 ごめんなさい。このことは後に譲らせていただいて、


 やまびこままさんのお嬢さんが通われる学校の姿についてだが、これは、過去記事の『ひらかれたPTA』で紹介させていただいたわたしのかつての勤務校とよく似ているなと思った。


 そういう学校はいい。

 少なくとも、皆さん、意欲的に活動なさっているのだから、任意加入であろうと、自動加入であろうと、大した問題は起きないと思われる。はっきり申して、任意加入にしたところで、それぞれの自由意思で、100%近くが加入するだろう。


 ところで、

 わたしは、上記、『ひらかれたPTA』でとり上げたかつての勤務校へ、一昨年、川端氏とともに訪れた。それは、過去記事でふれている。下記リンク先記事の末尾、『実は、今回、同校へ取材にうかがって、わたし自身も感動したことは、・・・、』からがそれに当たる。

    PTAと学校(6)

 今、任意加入の是非を論じるにあたって、この過去記事の補足をさせていただきたいと思う。


 このときお会いしたPTA役員さんが、一様におっしゃっていたことは、

・PTA活動が楽しいということ。それは、やりたいことをやりたい人がやっているからではないか。

・会員が主体的に取り組んでいるからやりがいがあり、したがって、役員の成り手が多い。それにより、一人一人にかかる仕事量はそれほど多くなく、役員になったからといって、特に負担に感じることもない。



 しかし、この学校は、わたしが着任する前、PTAと学校との関係が、ちょっとふつうではなかった。


 ちょうど、やまびこままさんのコメントに、『任意加入で校長が脱退したらどうなりますか?』というのがあり、それで思い出したのだが、


・まず、過去記事の『PTAと学校(7) PTAは任意加入か!?』で述べているのだが、

 この学校では、前校長からの引き継ぎにあたって、次のような言葉があった。

「この学校のPTAは、かわっているのですよ。『学校教育に対してPTAとしては、一切協力することはできません。』と宣言されてしまっているのです。だから、ふつうはあるPTAの学校援助費はまったくありませんし、行事などの折も、PTAの支援を期待することはできませんから、よろしくお願いします。」


・そして、最初のPTA役員会で驚くべき話を聞くことになる。もちろん、前年までの話だ。


 この学校は、わたしが着任する前、事実上、校長が脱退したと同じことが起きていたのだ。

 というのは、校長には脱退の意志などなかったが、PTA役員が、学校(校長をはじめとした教職員)をPTAから締め出していたのだ。

 ただ学校援助費がないだけではなかった。学校とPTAは、完全に分離していたのである。

 PTAとは言いながら、PAになってしまっていた。


 そう。そのことにあまり深入りしたくはない。

 ここでは、そういう異常事態であっても、それはそれ、学校は学校として、PAはPAとして、それぞれ機能していたことを指摘するにとどめよう。


 そして、わたしが着任した後は学校もPTAも陣容が一新され、同リンク記事の続きにあるように、新PTA役員さんから、『校長先生。わたしたちにも、(学校の教育活動について、支援)できることはやらせてくださいよ。』
と、言われるようになった。


 やまびこままさんが書かれたような、『校長が脱退』という事態は、およそ考えられない。しかし、それとよく似た事態を経験したものだから、ちょっとふれさせていただいた。


 さて、やまびこままさんのコメントについての続きだが、

 『PTAは保護者会ではありません。』は、『PTAは保護者会という性格のみではありません。』ということではないかな。それなら、先の寺脇氏のお考えとピッタリで、よく理解できる。

 次の、『保護者と学校職員が協力して家庭と学校と社会における児童の健全な成長を図ることを目的とする。』もまったくその通りで、異存はない。

 しかし、それは、即、自動加入を意味することにはならないだろう。

 『協力』を真の協力たらしめ、『児童の健全な成長を図る。』とうたうならば、形式的・慣習的、また、惰性に流れた活動にならないよう、活動を真に豊かなものにするよう配慮すべきは当然で、やはり、やりたい人がやるという最低限の保障をもたせながら、そのなかで、やりたい人を増やしていく努力をすべきなのだと考える。

 それには、『楽しいPTA』『誰もがやりたくなるPTA』を目指すのが一番いい。

 やまびこままさんのお嬢さんの通う学校は、全員が自動加入だから、そうなっているのであろうか。

 わたしは、全員加入であるにもかかわらず、学校、PTA、お互いの努力、協力体制がとれているからではないかと考える。


 ただ、もしかしたら、やまびこままさんは、『楽しいPTA』の楽しさを、『趣味に生きる』とか、『享楽的な楽しさを求める』とかいうようにとらえられているかもしれない。


 わたしの思いはまた違う。確かに、それも含むが、

 真の楽しさの意味は、『充実した楽しさ、』『やりがいを感じられる楽しさ、』なのだととらえたい。



 ここまで書き終えて、ブログに戻ったら、猫紫紺さんから、新しいコメントが入っていた。

 ここに、病気をかくしてPTA活動に参加し、そのために命を落とされたという話があった。痛ましいことである。

 ここまでいかなくても、『PTA役員にさせられたがためのトラウマに襲われ、』という話を、川端氏からもうかがった。川端氏は、自動加入ならぬ、強制加入という言葉を使われていた。


 それでは、最後に、

 ちょっと突飛なようだが、これは、わたしの授業論と似ている。


 わたしは、子ども主体の、子どもがいきいきとした授業を目指している。

 子どもが授業で発言することは、大事な自己表現の手段だから、わたしは、話し合いで価値を追求し、話し合いで価値を深める授業においては、常に、全員発表を目指した。

 目指したが、それは指導者たるわたしの気持ちである。

 子どもには子どもの思いがある。たとえば、

・分かっているけれど言いたくない。

・分からないから言えない。

・多分分かっているのだと思うけれど、自信がないから言えない。など。など。


 いくら全員発表を目指すといっても、そうした子どもの思いを無視し、強権発動して、全員の子どもに言わそうとするのは、いかに、指導者とは言え、僭越である。

 だから、全員発表を目指しながらも、それはおくびにも出さないように努めた。

 そうではなく、『誰もが意見を言いたくなる学級の雰囲気づくり』。子どもの気分がそのようになるよう努力したのだ。


 その結果、全員発表の授業は・・・、

 結果としてはあった。年間、わずか、4・5回にすぎなかったけれどね。

 でも、発表しない子、発表したくても時間の関係でできなかった子は、どの授業でもだいたい4・5人だった。その4・5人も固定した4・5人ではない。常に流動していたのである。


 わたしは、PTAの任意加入も同じではないかととらえたい。

 任意加入ではあるけれど、結果としての全員加入。

 校長なら、また、PTA会長(役員)なら、それを目指す学校経営、PTA運営、いや、ごめんなさい。何も全員加入を目指さなくてもいいですね。

 こちらは、『限りなく多くの方が、楽しく、充実した思いをもてるPTA』を目指そうではありませんか。


にほんブログ村 教育ブログへ
 ninki



 先ほど、保留にさせていただいた、『親が子供に教育を受けさせるのが義務なのですから、せめて義務教育のうちはPTA活動として、親と職員みんなが参加するべきでしょう。』については、その後いただいた、猫紫紺さんのコメントが、お返事になっているように思いました。わたしもまったく同感です。

 少なくとも、PTAの役を受けることが、負担になったりトラウマになったりしないようにしたいもの。

 逆に、PTA役員さん、委員さんを決める際、かつての我が勤務校のように、なり手が多くてこまるような、そんな雰囲気になったらいいなと思うのです。

 

rve83253 at 22:58│Comments(28)TrackBack(0)PTA | 学校経営

トラックバックURL

この記事へのコメント

1. Posted by やまびこまま   2010年02月27日 14:24
Toshi先生、コメントありがとうございました。
娘の学校の活動は、Toshi先生が経験されたものに似ているような気がしました。
現在の校長先生とP会長は当初から「形式的慣習的惰性に流れた活動」をされず、つねに積極的な取り組みをされていました。校長先生次第で学校が変わる、を実感しているので、無理とは知りつつず〜っと異動されないようにと祈るばかりです。

P活動は、まずは我が子が安心安全に学校へ通えるように、そしてその学校が魅力あるものになるように活動することだと思っているので、その結果として皆が楽しく学校生活が送れるようになれば私は嬉しいです。親自身の享楽的な楽しさを求めるのとは違うのではないかな・・・。
ただし、子供の学習と同じで、
いやいややっても効果はないので、どうせやるなら楽しまなくちゃと思うわけです。
2. Posted by しれとこまま   2010年02月27日 15:19
こんにちは。toshiさんのおっしゃるPTA活動は、本当に、理想的なものだと思います。
記事を読んでいて、やはり自分の学校の状態をオーバーラップしてしまうので、受け取り方の違いというものが出来てしまいますね。
「楽しく」活動することは大切なんですが、それに対して「面倒くさい」「そんなことやりたくない」と堂々といわれてしまうと、本当にどうしたらいいものか・・・という感じです。
飲み会の準備となると、嬉々として集まるのですが、どうもその他が。
そして、あまりにもはっきりと言ってしまうと、そのお子さんも同じように言います。
それが、本当に気になってしまうのです。我が子もそれに引きずられますし。
スケートリンク作りは、決して苦痛だけではないんですよ。楽しそうにがんばる子供を見ると、こっちも楽しくなります。
それと、自治会は全世帯加入しています。田舎なので、拒否は出来ませんが世帯主やお子さんは卒業生なので、大事に考えてもらえているようです。
3. Posted by やまびこまま   2010年02月27日 16:30
先ほどの補足になりますが・・・

楽しく活動するためには、やりたいと思う人がやるまたはやれる人がやる、というのは大前提だと思います。ただ・・・うちの学校にもやりたくない、とか面倒だという方もゼロではないんですね・・・。

娘の学校PTAでの実際は、やりたい人、時間的に可能な方が委員を引き受け、できるようになった時に引き受ける。そうでない方には一年に一度は、どこか都合の良い日に活動に参加できるような仕組みを作っています。それでも無理な方は、会費を納入する、ということで参加しているのだと、個人的に認識しています。

なので・・・・
「任意加入だけど、結果として全員加入」は理想的だと思うのですが、「面倒だ」といいながら注文だけはしっかりつけるような保護者にはちょっと都合のいい解釈をされそうで、怖い気もします。

4. Posted by 猫紫紺   2010年02月28日 09:44
Toshi先生
 過分なご紹介を賜り、赤面しております。
 また、御エントリ《PTAと学校(7) PTAは任意加入か!?》コメント欄での、カワバタさんとの熱いやりとりを拝読し、わたしなどよりずっと前から PTA任意加入の問題をお考えになっていらっしゃったのだと、改めて、感じ入った次第です。ありがとうございます。

 シンポジウムで寺脇研氏ご発言の機能分離についてのご高察、ここまでご心配くださっているのかと、ありがたく拝読しました。

 トラウマが出る背景を体験を基に考察しますと、PTAは基本的には女性が多くなりますから、女性特有の「感情に配慮する」「出る杭」にならない、「とりあえず同調」が基本の会話、それから嫉妬に配慮するという、理念以前の問題が悲しいことに現実存在します。そしてそれは、表だっては出てきません。それと、娘が通っている学校のPTAは、総じて、仕事量が多いようです。委員会が5つ、係
が6つほど、当番もあります。本部役員になると、家庭に影響が出るほど大変だそうです(あまりの負担の多さに、学校禁止令をご主人から出された方がいらっしゃるとか)。
 ついつい、問題ばかりあげつらってしまいましたが、話の分かる方も、もちろんいらっしゃいます。

5. Posted by 猫紫紺   2010年02月28日 09:45
 「後援会機能」については、わたしの娘が通っている学校では、「リサイクル」と「ベルマーク」を行っております。ベルマークはご存じの通りだと思います。「リサイクル」は、文字通り、新聞紙や段ボール、アルミ缶等のリサイクルをし、区の委託業者が回収して収益を上げています。

 現金での寄付はしていないようで、学校の依頼により、物品を買って寄付しているそうです。
6. Posted by toshi   2010年02月28日 11:28
やまびこままさん
《娘の学校の活動は、Toshi先生が経験されたものに似ているような気がしました。》
 やっぱりそうでしたか。なんだかとってもうれしくなりました。そういうPTAがどんどんふえてほしいですね。
《現在の校長先生とP会長は当初から「形式的慣習的惰性に流れた活動」をされず、つねに積極的な取り組みをされていました。》
 そう。この点においても、よく似ているようです。わたしの勤務校においても、新PTA会長はすばらしい方で、包容力のある、人格円満な方でした。やはり会長さんはじめ役員の皆さんがPTAの雰囲気をつくっていくという部分は大きいと思います。わたしも、会長さんに助けられた部分がけっこうありました。
《「面倒だ」といいながら注文だけはしっかりつけるような保護者にはちょっと都合のいい解釈をされそうで、》
 どうでしょうか。現校長と会長さんのリーダーシップによって、皆さん、意欲的でよくまとまり楽しそうに活動しているようですから、こういう方は、減っているとは言えないでしょうか。どうもそのような気がします。
 
7. Posted by toshi   2010年02月28日 11:35
しれとこままさん
 どうでしょうか。小規模校だと、プラス面にしてもマイナス面にしても、どうしても赤裸々に出てしまう傾向があるように思います。
 プラスなら効果絶大でとてもいいのですが、マイナス面は、それだけ人数が少ないだけに、受ける衝撃は大きなものがあるでしょうね。
 大規模だと、『どんな集団だって、いろいろな人がいるのさ。』で済んでしまうことが、『そんな簡単な話ではない。』と言われてしまいそうな気がします。
 親子の話は、わたしも苦笑いです。すごくよく分かる話です。
《自治会は全世帯加入しています。》
 すみませんでした。この辺は、わたし、誤解してしまいました。ごめんなさい。
8. Posted by toshi   2010年02月28日 11:54
猫紫紺さん
《わたしなどよりずっと前から PTA任意加入の問題をお考えになっていらっしゃったのだと、改めて、感じ入った次第です。》
 とんでもないです。わたしこそ、川端氏とお会いできて、初めてそういう認識を持てたものであり、しかも、それは退職後であったという、何とも恥ずかしい話です。
 女性特有ということはないと思います。猫紫紺さんご指摘のことは、すべて男性にも当てはまることです。
 PTAの仕事量については、普遍的なものはないので、単Pや学校の長年の慣行、意識などによって決定されているように思います。仕事が多くても楽しければ苦にならないという要素もあるので、むずかしいですね。

 後援会機能については、リサイクルやベルマークなどは、総会で皆さんが賛同してくれるなら、大いにけっこうな活動と思います。でも、現金でも、物品でも、学校がPTAから寄贈を受けるというのは、やはり、問題のように思いました。児童に還元できるものなら別ですが。

 
9. Posted by 猫紫紺   2010年02月28日 13:46
Toshi先生
 お手数おかけして申し訳ございません。いろいろ示唆に富むコメントありがとうございます。寺脇氏のリンク先の記事興味深く拝読しました。同氏の『さらばゆとり教育』をいま読んでおります。PTA問題は、考え出すと奥が深くてやめられません。
 後援会機能については、理想(法律)と現実の狭間で生み出されたもののようですし、根本解決を図ろうとすると国策に関わってくる事柄のようですから(社会保険制度とのバランスや、税収論にまで発展しそうです)、難しいです。
 
 任意加入につきましては、シンポジウムで言及された2点をお知らせします。1)寺脇氏発言「任意加入は、地球が回っているのと同じくらいの事実」であること。2)川端氏発言「強制のあるところにボランティアの花は咲かない」ここが、原則かと思います。
 任意加入、理念・原則のことを単Pの方にも話すのですが、どうかすると手間の問題やお金の不平等の問題に論点をすり替えられてしまうことがあるので、困っています。本質を見失わないで物事を考えられますように。
 
10. Posted by 猫紫紺   2010年02月28日 13:54
>本質を見失わないで物事を考えられますように。
というのは、わたしたち、一人一人が気を付けたいな・・・というメッセージです。失礼いたしました。
11. Posted by toshi   2010年03月01日 17:11
猫紫紺さん
 寺脇氏の『さらばゆとり教育』については、折を見て、拙ブログでも取り上げ、記事にさせていただこうと思います。寺脇氏の発言は、ときに過激なこともあり、せっかくいいことをおっしゃっても、誤解されかねないのではないかと思うこともあります。
 後援会機能にかかわることですが、我が勤務校の周年行事の際、地域・保護者から、物品の寄贈を受けたことがありました。しかし、それは、地方行政府の首長、及び、議会の承認を経てのことでした。もちろん一定金額以上の場合の話ですが、ことほどさように厳格なのも、公金の概念を大切にしているからだと思ったものです。
 
12. Posted by いちかず   2010年12月26日 16:47
こんにちは。9ヶ月も前の記事にコメントするのも何ですが。保護者(父)です。
規約も示さず、どういう活動があるかも示さず、自分が何者であるかも名乗らず、入学式の後に「役員を決めます」と(今思えば)PTA会長が出てきて始まったじゃんけん大会(低学年のうちにやっておこうという人が多くて「勝ち抜き」です)。
後で落ち着いてから他の方に事情を聞いて、「うちは入会しません」と宣言したところ、校長から電話がかかり、1時間。その後の授業参観時には殺風景な部屋に子供用の椅子机に座らされてまた1時間。PTA総会も開かれていたときなので、校長室のソファでは役員一同と談笑する教頭の姿が。
今のところ子供には何の被害もありませんが、学校の落ち度が少しでもあれば糾弾してやろうと手ぐすね引いて待つような親を一人作り出してしまったわけです。
不幸な話ですね。
13. Posted by toshi   2010年12月26日 23:00
いちかずさん
 《9ヶ月も前の記事にコメントするのも何ですが。》
 いいえ。そのようなことはないです。拙ブログは過去記事もけっこう多くの方にお読みいただいているようです。よろしくお願いします。
 PTA任意加入は、国もその周知徹底を図るように各教委に通達を出しているようです。しかし、現実は、あまりにもこの通達と食い違っている例が多いようですね。
 人々が、お互いに、善意、好意を大切にし合う社会になればいいがと願っています。
  
14. Posted by 石田剛   2014年08月14日 20:34
toshi先生

 ご無沙汰してます。
 2008年頃、コメント欄に寄せてもらってた石田です。

 この春から、我が子が通う小学校の、 PTA学級代表委員 なんかしてます。それで、その学校の校長先生や副校長先生と、いろいろお話しする機会もあるのですが、ずっとがっかりさせられ続けてます。

 それで、『そういえば、 toshi先生 は PTA についてどのようにお考えなのだろう?』と思いついて、久々に寄らせていただきました。そして、 PTAカテゴリ のエントリをいくつか拝読して、なんだかほっとしました。

 toshi先生 は、 PTA の主体性を大事になさっておられるのですね。先生が『PTA の文書には、誤字脱字の類しか口出ししない』と書かれているところを読んで、石田ががっかりしたことがそのまま書かれている気がして嬉しくもあり、また『石田が、がっかりしてる件は、けっこうしばしばあることなのかな』とも思いついて、心配にもなりました。

 石田は、石田の名前で書いたお手紙を、学校で配っていただけるようにお願いしたのですが、バッチリ口出しされたのです。
http://ishidatsuyoshi.hatenablog.jp/entry/20140629/1403992800

 へそ曲がりな石田は「断る」と応じたのですが、そうしたら配ってもらえませんでした。石田が 3度目 に「断る」と応じた後は、なんの連絡も無く、「朱書き通りに直さないなら配らない」といったお話しも無かったのですが、そういう連絡も無いままでした。

(続きます)
15. Posted by 石田剛   2014年08月14日 20:34
(続きです)

 石田は、そのお手紙のことを先生にお願いした際に、 PTA保険 が確実に使えるようにするため、ぜひ PTA会長 の名前が載った文書が必要である旨を先生にお伝えしていました。先生方も、そのことは気にしていてくださったようで、石田が書いた手紙を配らない代わりに、他の手紙を用意して配ってくださったそうです。けど、その手紙は石田には配られませんでしたし、「その手紙があるから PTA保険 の件は平気です」といった連絡もありませんでした。

 我が子が通う小学校の校長先生が、 toshi先生 のような方であればと願うことが、間違いであることは石田は重々承知しています。しかし、この春以降、校長先生と副校長先生から伺ったお話は、すべて『がっかり』だったわけではありませんが、あんまりにもがっかりすることが多すぎでした。

 釈迦に説法とは存じますが、石田が書いたことは、その出来事の一方の当事者である石田が書いたことであって、校長先生や副校長先生には異論があろうことには、ご注意をお願いします。実は石田も、石田が書いたことについて、校長先生や副校長先生のご意見を伺いたいと思っているのですが、それすらかなわないことに激しくがっかりしています。

 久々に寄らせて頂いて、こんな愚痴書いてしまってすみません。 PTA の活動自体は、自転車教室やら通学路の見守りやら、とても楽しくやらせてもらってます。石田は PTA は本来、楽しいものだと考えています。ただし、現状はそれを楽しめない、いろいろな事情が、我が子が通う小学校にはあるようです。
16. Posted by 石田剛   2014年08月14日 20:42
 それと、このエントリに書くことじゃないですが、 2009年 6年生 算数 の学力調査では、なかなかおもしろい良問があったようですね。

 先生が貼ってくださっていたリンクをたどって、 PDF で入手しました。ちょうどわが家でも、いちばん上の子が、いま 6年生 なので、今度の週末にでも一緒にやってみます。

 昨夜は、その 6年生 の我が子に、平行四辺形の面積の求めかたを利用して、三角形の面積を求める方法を説明できるか訊ねたのですが、上手くできませんでした。今朝、紙に書いて考えてみるように勧めておいたので、その成果をこれから確かめることにします。
17. Posted by toshi   2014年08月17日 03:59
石田 剛 様
 お久しぶりです。PTAの仕事、ご苦労様です。活動自体は楽しくやられているとのこと。少しほっとしました。
 いただいたコメントの内容については、地域が変われば常識も変わりますから、何とも申し上げられない部分があるのですが・・・、でも、言ってしまいますね。
 これはPTA行事なのでしょうか。わたしが勤務する学校にもこの行事はあるのですが、授業時間を使ってやるものですので、学校行事として行っています。学校行事にPTAの役員、委員さんが協力して下さるといった形です。したがってお知らせ、お願いのたぐいは、すべて校長名で出しています。
 貴小学校の場合は、PTA行事なのでしょうか。もしそうなら、文書はPTA会長名で出すのがいいと考えます。そして、石田さんのお名前も出すのなら、文末に《担当 石田》として出すのがいいのではないでしょうか。このことはわたしでも現職なら口をさしはさむかもしれません。でも、我が意見も参考にしてほしいくらいの言い方になります。
 学校とのやり取りについては、石田さんからのご忠告があり、わたしも同じ思いですので、具体的な記述は避けさせていただきたいと思います。ただ石田さんのご苦労が察しられます。いずれにしても信頼関係の構築に向けたやり取りとなることを祈念する思いです。
18. Posted by toshi   2014年08月17日 04:12
 算数については、さすがといった思いでした。多くの親御さんは、すぐ『こうこうこうだよ。』と教えてしまうでしょうね。お子さんの主体性を大事にされている点、余裕が感じられすばらしいと思いました。
 おっしゃる通り、全国学力調査の問題自体は工夫されたすばらしい問題が多いと感じています。学校現場においては、この種の問題に慣れさせるといったやり方ではなく、真に思考力を養う授業実践をされるよう願っています。
 また、外野が各学校ランキングにこだわるなどの間違った使い方をしないようにしてほしいものです。
19. Posted by 石田剛   2014年08月17日 12:40
toshi先生

 お返事有り難うございます。

 これが「PTAの行事」ではないこと、おっしゃるとおりです。自転車教室自体は、授業時間を使ってやる学校主体の行事です。それに PTA が協力していること、我が子が通う小学校でも同様です。

 そして、その協力する部分は PTA の行事という体裁をとってます。なんでそんなことするかというと、 PTA保険 を使うためなんです。石田から、先生に「自転車安全教室でお手伝いで、保護者の方が怪我とかしたら、学校の保険が使えますか?」とお訊ねしたら、「使えない」とお返事がりました。それで、 PTA保険 が使える状態にするために、 1通 だけ PTA会長 の名前でお手紙を出す必要があったのです。

 そのお手紙の文責が PTA会長 にあるべきというお話は、石田はちょっと違う考えを持っています。そのようにしてしまうと、 PTA会長 の仕事はたいへんすぎます。文責は石田など各行事の直接の担当者が負うことにして、 PTA会長 も必要最小限度の同意をしているという体裁が、ちょうど良いと石田は考えます。もし、石田が PTA会長 をやるなら、そのようにしてもらわなければ、かなりイヤです。石田は、他人が書いた文章を、いかにも石田が書いたかのように装うことが、たぶん我慢できないでしょう。

 この朱書きの他にも、 PTA が学校行事に必要な人手を供出する装置になってしまっていることや、「ボランティア」とは言い難い募集のしかたなど、いろいろ問題があります。まあ、石田個人の考えでは、学校の行事に PTA が協力すること自体は「アリ」と考えているので、保護者の方にお手伝いをお願いする方法が、まっとうなボランティアを募る手順になれば、だいたいオッケーだと考えています。

(続きます)
20. Posted by 石田剛   2014年08月17日 12:41
(続きです)

 自転車安全教室のお手伝いは PTA の「係」として、春の時点で、第3学年の 4学級 から、各学級 6人、ぜんぶで 24人 を選出しています。その方法のダメさ加減は、こちらにだいたい書いてあります。
http://ishidatsuyoshi.hatenablog.jp/entry/20140413/1397341003

 石田は、これは「ボランティアを募っている」とは言い難い方法だし、この「各学級 6人」っていう割り当ても、まったく無用だと考えています。なんなら、 第3学年 の保護者の方である必要すらありません。とにかく 30人 くらい手を挙げていただければ良いのです。

 さらには、 PTA でこういう「係」を用意しておきながら、別途、学校から出す学年通信でも、自転車教室に協力してくださる方を募集し、その募集に応じた方は「PTA が学校行事に協力する」のメンバーに組み込まれる仕掛けになっています。もう、誰が主体で誰の責任でやってるのか、わやくちゃでまったくわからない状態ですね。この状態がダメだってこと、なぜ校長先生がおわかりにならないのか、とても不思議です。石田の方から指摘してさし上げても良いのですが、『PTAいじめ』やら『かけ算の順序問題』やら、もっと重要な問題がたくさんありすぎて、そこまで手が回ってません。

 この自転車教室のお手伝いは、石田は今年はじめてやりましたが、とても楽しかったです。PTA の「係」になってないけど、学校からのお手紙の募集に応じて、お手伝いしてくださった方も数名いらっしゃいました。石田は、この「係」は廃止してしまって、まっとうな「ボランティアを募る」方法だけで募集すれば、充分にたくさんの方が応じてくれるだろうと考えています。ただし、その場合は「それが楽しい」ということを、より多くの方に伝える努力は、もう少し必要だろうとは考えます。

(続きます)
21. Posted by 石田剛   2014年08月17日 12:41
(続きです)

 信頼関係の件、お気遣いありがとうございます。まあ、石田が先にお伝えしたエントリの内容を読めば、それが危機的な状況であること toshi先生 にはお見通しですよね。正直にぶっちゃけますと、信頼関係はかなりマズいことになっています。けど、石田はその事自体は大きな問題だとは考えていません。信頼関係に対する石田のスタンスは「信頼せよ。ただし検証せよ」の一言に尽きます。この、石田のスタンスは、過去と現在においてまったく変わっていませんし、まず間違いなく将来もかわりません。

 石田は、我が子が通う小学校と、その先生方を信頼しています。毎日、我が子にくっついて小学校に通うわけにいかない石田は、信頼せざるを得ないのです。そのことと「信頼せよ。ただし検証せよ」のことは、我が子が通う小学校の校長先生と副校長先生にも、ずっと以前から伝えてあります。

 同時に子どもらには「先生も間違えることはある。しかし、間違える先生がダメな先生なのではない。先生の話すことはしっかり聴き取らなくてはいけない」と教えています。これは、すべての子どもに必ず教えなければならない、極めて重要な事だと石田は考えています。石田は 小学5年生 のとき、これを理解していなかったために、とてもひどいことをしてしまいました。

(続きます)
22. Posted by 石田剛   2014年08月17日 12:55
(続きです)

 小学校が、すべての児童と保護者にとって完璧な物になることは、物理的に不可能です。だから、石田は我が子が通う小学校にも、そのような無茶を期待してはいません。けど、公教育の主体たるべき『ひとりの市民』として、ダメなものはダメだと言い続けます。これはたぶん、石田が『保護者』であるか否かにかかわらず、ずっと続けるでしょう。もっとも『保護者』でなくなった時には、石田の中で相対的にプライオリティが低くなったりはするでしょうね。

 先にお伝えした「朱書き」の件は、後編を書きました。けど、お目汚しになるばかりですので、ぜひ読んでくださいとは申し上げません。
http://ishidatsuyoshi.hatenablog.jp/entry/20140815/1408108312

 正直、石田もこれを公開するにあたって、恥を忍んで公開した部分がおおいにあります。このようなことを、公開せず、当事者だけで話しあって解決できなかったこと、石田は恥ずかしいと感じています。

 他に、もっと激しくマズいことも起こってますが、まあそれがなんであれ、石田は石田にできるだけのことをするまでです。我が子が通う小学校の、校長先生と副校長先生には、もっとラクにそれらを解決できる方法を提案しているのですが、それは先生方には受け容れがたいことのようです。石田ではない保護者の方から、『石田の言うとおりにするな』というお話しも、きっとあるのでしょうね。掛算の順番の件では、実際にそのような事があったらしいです。

 先生方も、いろいろと御苦労なさっていることでしょう。しかし、この朱書きの件に限っては、先生方が無用の苦労を創出したと指摘せざるをえないと、石田は考えています。
23. Posted by toshi   2014年08月21日 08:13
 石田 剛 様
 拝読し強く感じたことは、先のコメントにも書かせていただいたように、所変われば品変わるではないけれど、やはり地域地域によって常識は変わるものだなということでした。
 その一例ですが、我が地域においては、学校が出す文書は校長名で、PTAが出す文書は会長名でというのは常識です。そして、学校の教職員は職業として組織されていますからその職務の遂行に関し全責任を校長が負うのですが、PTAはそういうものではありませんので、会長が全責任を負うなどということは考えられません。あくまで会長名で出すというのは、形式上のことです。
 これは地域によって常識が違うという一例として示しました。したがって、この点に関し、石田さんと論争しようとは思いませんので、ご了解願います。
 また、活動の具体的な姿についても同様な思いを持っております。でも、これについてはスルーさせてください。
 最後に、しつっこいようで恐縮してしまいますが、そうはいってもわたしの場合、PTAも皆さんいろいろな考え方がありますから、自説を押し付けようとは思いませんでした。よりPTA活動が盛り上がり、皆さん、楽しんで活動してくださるためにはどうしたらいいかという尺度で考えておりました。
 以上、お返事になったかどうか自信はありませんが、よろしくお願いします。
24. Posted by 石田剛   2014年08月24日 17:28
toshi先生

より PTA が盛り上がり、皆さん、楽しんで活動できるべきであること、まったく同感です。

しかし、石田の周囲では PTA は、ほとんどの保護者にとって、関わり合いになりたくないものになってしまっています。毎年、学級代表委員を決める際に、重苦しい沈黙に耐えねばならない事実が、その現実を明確に示しています。

積極的に関わろうとする方は、確かにいらっしゃいます。しかし、そういう方は極めて恵まれた境遇にある、極めて一部の方に限られてしまっています。石田はそのような PTA を、子どもらに引き渡したくないのです。

非力な石田にどれだけのことができるかはわかりませんが、やれる程度にやってみます。
25. Posted by 石田剛   2014年08月30日 21:08
平行四辺形と三角形の面積の話は、ようやく今日になって、 息子1(小6) と石田が一緒にやりました。彼は先日以来、今日まで、昼間は夏休みの最重要課題である遊ぶことに忙しく、まったく手を付けていなかったのです。

そしたら、彼は、三角形の面積を求める公式は口述できるのに、平行四辺形のそれは思い出せないという暴挙に出て、正直焦りました。
けど、石田がノートに 1cm x 1cm の正方形から書き始めて、長方形の面積を求めるところまで図形を書き進めると、彼はすらすらその面積を求める方法と、計算結果を述べました。
3cm x 2cm の長方形の話が済み、そこに 1cm x 1cm の正方形がいくつあるかといった話も、彼は石田の問いに簡単に即答してみせました。さらに、 2.5cm x 1.5cm の長方形を石田が書いてみせた時も、その面積について明瞭に述べることができました。

そこまで話してから、石田はノートに 底辺 3cm, 高さ 2cm で、傾きは充分に小さい平行四辺形を書いて見せました。
彼は、瞬時にその面積について述べたので、なぜそう言えるかを訊ねたところ、「ここで切って並べ替えれば、さっきの長方形になる」と、完璧な回答をして見せました。

さっきはマジで焦りましたが、どうやらそんなに慌てる状況ではなかったようです。

そこからやっと、本題の平行四辺形と三角形の面積の求め方の話をはじめました。いろいろ紆余曲折はあったものの、たぶん石田は彼に「実は平行四辺形の面積を求めてから、それを真っ二つにしているのだ」ということを、字面ではなく映像で見せることができたのではないかと思います。
26. Posted by 石田剛   2014年08月30日 21:12
最後に台形を書いて、面積を求めるように促しましたが、彼は意味不明の供述を始めたので、明日、こんどは平行四辺形と台形の関係について、また見せてやることにします。

石田自身が、台形の面積を求める公式をどうやって覚えていたか思い出すと、石田は頭のなかに描いた映像で覚えていました。実は石田は今でも、それをスラスラと言葉に出すことができません。言えないわけじゃないですが、翻訳に時間がかかるのです。けど、図形と必要な量(長さ)が読み取れれば、式にすることは瞬時にできます。

これは石田個人の体験に基づく話でしかありませんが、やはり一所懸命に公式を暗記するのは、あんまり上手くない方法だと、改めて、つくづくそう感じました。
27. Posted by toshi   2014年08月31日 15:04
石田剛様
 算数の記事、楽しく読ませていただきました。
《実は石田は今でも、それをスラスラと言葉に出すことができません。言えないわけじゃないですが、翻訳に時間がかかるのです。けど、図形と必要な量(長さ)が読み取れれば、式にすることは瞬時にできます。》
 実に大事なことをおっしゃっています。公式が言えても、なぜその公式が成り立つかの理解をしていない。そういう子どもにしてしまう授業が多すぎます。つまり問題を解くことはできても、理解はできていないということになると思います。
 この点、実は、わたしが懇意にさせていただいているこだま先生が、とても有益なブログを書かれています。
 同氏のブログは、《道草学習のすすめ》ですが、拙ブログサイドバーでは、同氏の最近の10記事を紹介しています。
 このブログのブログ名をクリックしますと、同ブログの目次が出てきます。そして、そのなかに、《公式主義からの脱却》なるタイトルがあるのが分かると思います。まさに、石田さんの子ども時代をほうふつとさせる記事ではないかと思います。きっと楽しくご覧になれると思いますよ。
28. Posted by 石田剛   2014年09月02日 20:35
toshi先生

ご紹介いただいた、「道草学習のすすめ」読んでみました。おっしゃるとおり、とても楽しげですね。面白い良問もたくさんあるようですので、子どもと算数の話をするときに、参考にさせていただきます。ありがとうございました。

それにしても、「くらべる量」と「もとにする量」はものすごく難解ですね。石田は、未だに、どっちがどっちだったか、まったく覚えることができません。石田が小学校でこれを習ったかどうかも、まったく思い出せません。けど、割合の計算は人並みにはできます。石田は日常生活のほか、仕事でも割合は使いますが、なにも不自由してません。

割合を、あんな公式にあてはめる練習に、どのような価値があるのか、石田にはまったく理解できません。たぶん、ほとんどの子どもは、石田と同じように割合を理解できるのでしょうが、そのために「公式に当てはめる練習」は不要だし、無駄だし、なにより *とてもつまらない* と考えます。

石田はいつも、子どもらには「算数はラクをするために使う、便利で、かつとても面白い道具だ」という話をしています。算数には「練習」はぜひとも必要ですが、この割合の公式に数字を当てはめる練習は、まったく害あって益なしですね。

コメントする

名前
URL
 
  絵文字