2010年03月01日

オリンピックが終わろうとしている今、若い人たちへエールをおくる。

e6d27bd4.JPG バンクーバーオリンピックが終わろうとしている。

 この2週間あまり、国民は、こぞって、テレビにくぎ付けになったのではあるまいか。


 そのような折、本記事では、オリンピックに関連して、2つのことを書かせていただきたいと思う。



その1


 今回、金メダルはなさそうだけれど、その分、数々の感動をいただいた。そのことに感謝し、わたしは、出場選手の皆さんに、『心の金メダル』をおくりたい。いや。出場選手だけではないね。多くの若者にエールをおくりたい。

 すみません。ブログに書くだけで、おくったことにしてしまって。


 ほんとうに、みんな、血みどろの努力をしてきて、この一瞬に、4年間の成果をかける。

 勝負がついた後は、『あっけなかったなあ。』という感じになるかもしれない。うまくいかなければ、むなしさをおぼえるかもしれない。『この4年間は、いったい何だったのだ。』そんな思いになるかもしれない。

 しかし、そんなことはない。

 努力は人生を生き抜く力になるはずだし、また、一瞬にかけること、そのこと自体が見る者みんなの感動を呼ぶのではないか。


 
 演技直後の浅田真央さんのくやし涙。しかし、翌日は、気持ちを切り変えることができたのだろう。心からの喜びの笑顔が見られたのは、ほんとうにうれしかった。ホッとした。

 まだ、19歳。

 わたしは仕事柄か、このようなことを言うと、19歳の人に向かってまことに失礼だが、『ついこの前まで小学生だったではないか。』と、思ってしまう。だから、演技はもちろんだが、インタビューでの受け答えのすばらしさを感じると、ものすごい感動をおぼえてしまう。

 これは、オリンピックに関係ある話ではないけれど、ゴルフの石川遼さんも、すごいよね。見事なうえに、実にさわやかだ。


 そう言えば、石川さんのことではないけれど、記事にさせていただいたことがあったっけ。

 今、その記事にリンクさせていただこう。

    東京落選は残念。しかし、さわやかだったのでは、〜



 さて、選手以外でも、感動したことがあった。

 今回、真央さんの銀メダル報道を見ていて、一般の若い人の受け答えにも感心してしまった。

 こんな内容だった。

「真央ちゃんの銀メダルに心からの拍手を送りたいです。見ていて、ほんとうに感動しました。わたしは、真央ちゃんと同じ19歳だけれど、一つの目標をもって、それに向かって挑戦している姿は、ほんとうにすごいと思います。わたしなど、まだまだ人生に対する目標をもてないでいるけれど、早くそれを見つけて挑戦していけるように、がんばっていきたいです。真央ちゃんから学ばせてもらいました。」

 この方は、真央さんの縁者ではないだろう。多くのファンと一緒に、テレビにくぎ付けになっていた方だ。もう感動の涙とともに、やっと話すという感じで、しかし、しっかりと語っていた。



 わたしは、この人にもエールをおくりたい。

 すばらしい言葉ではないか。

 真央さんの演技等を見て、

・これだけの想いをもてるということ。

・自分自身の生き方に投影させているということ。

 もうそれだけですばらしいと言い得る。

 だって、ここまで話すということは、もう、ほとんど目標をもっている姿と一緒ではないか。具体的にこれといった目標はまだないのかもしれないけれど、そんなことにあせる必要はない。

 こういう感想をもつことができる、その人生そのものを大切にしてほしいと思う。


 迷い。失敗。それはあっていい。

 人生。つきものだ。


 わたしにしても、一生の仕事として教員になったのは、25歳のときだもの。そして、さらに、今、ブログにいろいろ書かせている教育観を確固としてもつにいたったのは、30代も半ばになってからだった。


 人生は長い。

 再度言わせていただこう。

 迷い。失敗。それはあっていい。


 そう言えば、服装で、物議をかもした選手もいたよね。

 でも、わたしは、この選手にもエールをおくりたい。

 今回は、選手としてやるべきことと関係ないことで、失敗しちゃったけれどね。


 でも、いいではないか。わたしは、若者にとって、この種の失敗は、人生の栄養になると思う。むしろ、20代そこそこで、あれだけ騒がれる対象になってしまったことを気の毒に思う。

 報道によれば、難病にかかった先輩選手の募金活動やドナー呼びかけなどを積極的に行ったようだ。その選手は、彼のことを、『命の恩人』と言っている。

 すごいではないか。


 今回の経験については、その苦(にが)みをかみしめ、さらなる成長を目指してほしい。


 いやあ、どうもすみません。

 彼らの先生というわけでもないのに、なんか、えらそうに言ってしまっています。

 ごめんなさい。



その2


 わたしは、初任者指導に携わって、もうすぐ5年目を終えようとしているが、これまで担当した初任者の中に、オリンピックの候補選手がいた。残念ながら、出場はかなわなかったようだが、今、Aさんと呼ばせていただこう。


 Aさんと、オリンピック談議に花が咲いたことがあった。

「すごいじゃないか。出場できなくったって、候補選手になっただけでもすばらしい。大変な努力だったのだろうね。」
「はい。もう、その時期は、毎日〇時間を練習に費やしました。」
「そうだろうなあ。すごいな。」
「はい。toshi先生は、反復訓練はダメっておっしゃいますけれど、まさに、その、反復訓練の毎日でした。」
「いやあ。それはもう、オリンピックの候補となれば、当然のことだ。」


 そう。オリンピック候補選手ということであれば、
『なんとか、がんばって、オリンピックに出場したい。』
『夢を実現したい。』
きびしい、きびしい道だけれど、もえていたに違いない。青春の一ページとして貴重な時間の連続だったのではないか。

 たとえ、オリンピックに出られなくても、Aさんの人生に計り知れないプラスとなったことだろう。

 
 ところで、

 わたしは、Aさんの初任者指導を担当して2・3カ月たったころ、あることで、Aさんをほめたことがある。

「Aさん。わたしは、Aさんに感心することがある。

 それはね。Aさん自身は、オリンピック候補選手として、連日、反復訓練に励んできたよね。それで成果はかなり上がったと思う。自信もついたことだろう。

 だけれど、それだけに、その話を聞いたとき、ちょっと心配することもあったのだ。

 それは、Aさんは学級担任として、子どもたちに対しても、反復訓練学習を課してしまうかもしれない。自分が価値あることとして経験したから、そうしてしまうかもしれない。そうなったらまずいなと思う部分もあった。

 しかし、すぐ分かったよ。Aさんには、そんな心配はいらないってね。

 Aさんは、ほんとうに柔軟性があるなと思った。とにかく、子どもたちの、学びへの意欲を盛り上げようと、徹底して取り組んできたね。

 だから、わたしはすごく安心した。」



 そう。

 基本的に、公教育は違う。


 公教育に学ぶ子どもたちは、初めから、『さあ、勉強しよう。』『さあ、頭がよくなるようにがんばろう。』と、意欲満々、目的意識も明確にもって学校に来ているわけではない。
 だから、『いかに意欲をもって学習に臨もうとする子どもを育てるか、そのためにはどのような手だてがあったらいいか。』
 そういうところから、気をつかっていかなくてはならない。

 公教育においては、基本的に、反復訓練学習はなじまないのだよね。そんなことをしたら、学習嫌いの子はますます嫌いになってしまう。


 それだけではない。これまでもさんざん記事にしてきた。

 思考力を養うと学習は楽しくいきいきとしてくる。でも、反復訓練は、その思考力の育みを阻害する。


 そんな話をしたら、

「はい。よく分かります。toshi先生からご指導いただいて、その通りに実践してきた結果、授業中でもなかなか席に着こうとしなかったBちゃんが、今はほとんど席について、ときには発言するようになっていますものね。ほんとうに意欲的に学ぼうとするようになったと思って、うれしく思っています。」

「猛練習しているときは、ほんとうに考えてなんかいなかったですね。コツをのみ込むとか、もっと早く行くにはとか、そういうことを考えないわけではないのですけれど、でも、多くは、指導者の言うとおりに、機械的にこなしていくだけでした。」


 これは運動に限らない。

 音楽でも、図工でも、専門的に学びプロ級の力をもつ教員は、このあたり、気をつけていただければと思う。


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 スポーツのことではありませんが、若者の姿に、すごく感動したことがあります。今、それにもリンクさせていただきましょう。

    二極化現象を考える 


最後に、はなやかな選手のかげには、Aさんのような候補選手が、何倍もいることでしょう。今、その皆さんにもエールをおくりたいと思います。         
     

rve83253 at 00:05│Comments(2)TrackBack(0)エッセイ | 自己啓発

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この記事へのコメント

1. Posted by YK   2010年03月02日 03:16
バンクーバー五輪は、観ながら、競争というものについて改めて考えさせられました。今回、韓国人の友人と話しながら見ていましたが、やはり韓国では選手に対する重圧が違うようですね。「もしもキム・ヨナが金メダルを取れなかったらどうなるか」と聞いたら「ものすごいバッシングを受けるでしょうね」と言っていました。最初は、浅田真央は自分の最高の演技にこだわり、キム・ヨナは金メダルにこだわっている、という印象でしたが、浅田真央の涙で少し緊張感を取り戻した気がしました。やはり、彼女は金メダルだけが欲しかったんだな、と。全体的に緊張感が欠けた五輪でしたが、フィギュアは本当に素晴らしかったです。今、才能ある人が多いですから、彼らには積極的に予算を出して欲しいです。
2. Posted by toshi   2010年03月02日 16:17
YKさん
 国の重圧というのは、考えるだけでも、かわいそう。まあ、今回は、金メダルが取れたからいいようなものの、そうなると決まったものではないですものね。
 韓国選手の場合、『よく重圧をはね返し、』とも言えますが、やはり、気の毒だという思いが先に立ってしまいます。
 日本も、かつてはそうでした。東京オリンピックの時、ちょうどわたしは19歳。その時は知るよしもありませんでしたが、やはり、選手への重圧は相当なものだったようです。
 『積極的な予算を。』は、選手が打ち込めるように、また、すそ野が広がるようにということなら賛成しますが、それが、もし、選手への重圧としてはねっかえるのであれば、やはりまずいと思います。
 金でも銀でも銅でも、また、入賞でも、『よくやった。』という感じの今の日本がいいように思うのです。

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