2010年03月07日

1年生の児童理解(1)4

59529c07.JPG 今日の記事は2回で完結します。本記事は、その前半とご承知ください。 


 昨年秋くらいからだっただろうか。わたしは、個別支援学級に週1日、それも2時間に限っておじゃまするようになった

    
 実は、これまでふれる機会がなかったが、新たにおじゃまするようになったのはそれだけではなかった。

 ほとんど同時期から、同時間数、ふつう学級1年生の教室にもおじゃまするようになった。

 そこで、本記事では、そちらの方をとり上げさせていただこうと思う。



 1年生の学級経営、児童理解に関して、今、3つほど、書かせていただきたいことがある。

 なお、担任は、新採用3年目のAさんである。



 その1


 わたし自身、1年生を4回担任しているので、そのときの経験も交えて書かせていただくのだが、


 1年生の教室には、その日、その日の雰囲気といったものが色濃くある。『今日は落ち着いてよくまとまっているから明日も、〜。』というようにはいかないことが多い。その逆もあるしね。

 その日、その日の空気に支配されやすいと言ったらいいだろうか。


 その原因は、何だろう。

 天候もあるかもしれない。朝、何かトラブルが起きて、それが尾を引くということもあるだろう。原因不明なこともある。


 これは、ある意味、担任が子どもの思いや行動を大切にし、子どもの主体性を尊重しているからでもある。子どもがいきいき躍動している証拠とも言い得る。 


 事実、Aさんは、いつも心に余裕があり、子どもが落ち着かないとか、教室が騒々しくなるとか、そういうことがあっても、特別声を荒げるわけでもなく、やさしく、表情豊かで、いつも子どもを包み込むように接している。

 だから、そういう意味では、子どもの心は安定しているはずである。



 今、『その日、その日の雰囲気』と書かせていただいた。

 しかし、それだけではない。

 一日のなかでも、ある一つの事件(?)をきっかけに、同じ日のうちにガラッと雰囲気が変わることもある。そして、いったんくずれると、なかなか修復困難なことも多い。



 1ヶ月くらい前のことだ。


 朝の読書の最中だった。子どもはみんな静かで、気持ちを集中させている。シーンとしていて、小さい子たちのこういう姿をみるのは、実に心地よいものだ。


 そんな折、突然、Bちゃんが泣きながら、Aさんのもとへ駆け寄った。Bちゃんの声は、そんなに大きかったわけではないが、こうした静寂を打ち破るには十分だった。多くの子が読書をやめて、Bちゃんの方を見つめる。

「歯が痛い。歯が痛い。」
としきりに訴える。そして、歯をしきりにいじっている。

「痛い?」
「大丈夫?」
という、何人もの友達の心配そうな声。

 すると、Cちゃんだ。
「歯がぐらぐらする?」
とやさしく心配そうに聞く。大きくうなずくBちゃん。

 そうか。歯の生え替わりだったのか。

 子どもに教えられた思いだった。


 そうこうしているうちに、
「歯が取れた。」
 そう言って、Bちゃんは、わざわざまたAさんのもとへ歯を見せにいった。

 Aさんは、大事そうに懐紙にくるみ、Bちゃんに返す。


 さて、これで、Bちゃんはニコニコ顔。落ち着きを取り戻したのだが・・・、

 でも、教室はそうはいかない。

 いったん騒がしくなった教室は、あっちでわあわあ。こっちでわあわあ。


 Aさんの注意でしばらくは静かになるが、またすぐ戻ってしまう。

 いったん切れた緊張の糸は、そう簡単にはもとへ戻らないようだ。



 その2


 これは、つい最近のこと。

 Dちゃんは、人なつこく、わたしに最初に話しかけてきた子だ。Aさんやわたしに身をすり寄せてきたり、手を握って自分のお気に入りの場所に連れて行こうとしたりする。一言で言って、あまちゃんだ。

 そのDちゃんは、いつも遅く学校にやってくる。そのうえ、きびきびとは動かず気のおもむくままに行動することが多いから、ランドセルから中身を取り出しロッカーにしまうことなども、一番遅くなってしまうことが多い。


 しかし、そのDちゃん。この日は、えらかった。やることの遅いことは、相変わらずだったのだけれどね。


 例によって、みんなが読書に集中しているから、教室はものすごく静かだ。

 その静けさを打ち破ってはいけないと、気をつかっていたのではなかろうか。ランドセルから中身を取り出すしぐさも、それを机にしまうしぐさも、きわめて慎重で、音をたてないようにしている。ゆっくりゆっくりやっている。

 もしちょっとでも音をたててしまったら、『しまったあ。』という表情をしたのではあるまいか。ランドセルをロッカーにしまいに行く所作も同様であった。

 そのおかげで、子どもたちは、静寂をじゃまされることなく、読書に集中することができた。


 これは、すごいことだ。

 だって、『その1』に書かせてもらったように、いったん騒々しくなった教室は、もう立て直すのがものすごく困難になるのだもの。

 それに、Dちゃんにはまことに失礼な言い方になってしまうが、日ごろ、こういうことには無頓着なことが多い子だ。

 成長したかな。


 Aさんもこれに気づいたのだろう。Dちゃんが静かにお友達のじゃまにならないようにやっていたことをほめた。

 これはよかった。

 よかったが、放課後のAさんへの指導では、ちょっと注文をつけた。



 まず、Aさんをほめた点だが、

〇一番遅く学校へやってきて、ランドセルの始末を急ぐのならともかく、相変わらずゆうゆうとやっているのだから、客観的に見れば、『ほめる材料などない。』という見方もできる。

 しかし、Dちゃんをそのように見ず、教室内の静けさを打ち破らないように気をつかうなど、少なくともこれまでとは違っていたのだから、そうみてやれば、ほめることもできる。

 だから、Dちゃんをほめたのはよかった。

 しかし、同じほめるのなら、もっと『感動を伝える』ようにほめてやることだ。

 『お友達のじゃまにならないように、』を淡々と言うだけではなく、それこそ、声を高めて、お芝居の役者が感動するように、かなりオーバーなくらいでちょうどいい。


 そして、ほめる言葉も、

 『Dちゃん。すごい。大人になったね。だって、音をたてないように、慎重に、慎重に、やっていたもの。

 本を読んでいる子が、音を出さないのは簡単だよね。

 でも、Dちゃんは、ランドセルの中身を机に入れようとしたり、ランドセルをロッカーにしまおうとしたりしていたのだから、これはもう、音を出さないようにするにはすごく注意がいるでしょう。』

くらい言ってあげてちょうどよかった。

 こうして、初めて、あまちゃんでないDちゃんになることが期待できる。


〇それとともに大事なこと。

 Dちゃん以外の、本を真剣に読んでいる子たちも、ほめてやってほしかった。だって、ここだけの話、ほんとうは、こちらの方こそ、ちゃんとやっている子たちなのだものね。

 以下のように言って、ほめてやりたい。

「みんなほんとうに真剣に本を読んでいた。だから、物音一つしなかった。そのくらい真剣だった。

 そのように、みんなが真剣だったからこそ、その気持ちがDちゃんにのりうつったのではないかな。Dちゃんまで音をたてないように気をつけていたもの。

 もし、これが、あっちこっちでおしゃべりしたり、立ち歩いたりしていたら、Dちゃんだって、あんなに音をたてないように気をつけることはしなかったと思う。平気で、『ドタンバタン』って、音をたてたりおしゃべりしたりしていたかもしれない。

 だから、そう考えると、みんなもすごいよね。」



その3


 しかし、おもしろい。決していいことばかりではなかったのだ。

 Dちゃんは、ロッカーにランドセルをしまいに行くとき、きわめて軽くではあるが、後ろの方の席のEちゃんをこづいたのである。ご丁寧に席に戻るときもこづいた。にやにやしながら。

 そうされたEちゃんはというと、これもやはりにやにやしたまま、Dちゃんの方を見るだけで、やり過ごした。

 これも、教室中があまりに静かだったから、声を出したりやり返したりしなかったものと思う。

 2人は、ふだん、からかい合ったり、突っつきあったりする仲だ。そういう意味では好敵手なのかもしれない。


 こづきあいはいけないけれど、でも、2人の様子を見て、『これはもう、先ほどの絶賛事例の前では、特に問題視して、注意することもないだろう。』と判断した。わたしも黙ってやり過ごすことにした。



 Eちゃんは、どういう子か。

 おしゃまさんと言おうか、おせっかいと言おうか、とにかくそんなタイプのようである。まわりにいる子がもたもたしていたり、ふざけていたりすると、気になって仕方ないようだ。

 となりのFちゃんが、教科書は出したもののちっとも開かないでいると、そのページを乱暴に開けてやって、『ほら。今、勉強しているのはここだよ。しっかり見な。』とばかり、行動に現わす。

 また、Fちゃんがふざけていると、両肩を押さえるようにして、『ほら。しっかり前を向きなさい。』といったように、これも態度で示す。


 そういえば、先日のこと。

 わたし、机間巡視しながら、たまたまFちゃんのプリントが落ちていたので拾ってやったことがあった。そうしたら、Eちゃんは、間髪入れず、
「ほら。toshi先生が拾ってくれたのでしょう。(toshi先生に)ありがとうは。」

 これはもう、母親気取りというか、先生気取りというか・・・、

 それで、Fちゃん、しかたなく(?)、小声で、
「ありがとう。」

 いつもなら、『どういたしまして。』というわたしだが、このときばかりは、もう、おかしくて、おかしくて、笑い転げてしまった。

 Eちゃん、Fちゃん。ごめんね。


 これももう、この時は黙ってやり過ごすことにした。


 そして、例によって、放課後の初任者指導?(ごめんなさい。Aさんは3年目だから、初任者ではないよね。)の時間にゆだねることにしたのだが・・・、



 こういう指導はむずかしい。簡単にはいかない。


 なぜかというと、

 乱暴だったり、秩序を乱したりする行動は、本人もいけないことをやったと思っている。『これは怒られる。』と覚悟している場合だってありそうだ。だから、担任が注意したり叱ったりしても、かなりの部分、子どもは納得している。

 しかし、上記、Eちゃんのケースの場合、たぶんEちゃんは、『自分はいいことをしている。いけないのは、だらしのないFちゃんだ。』くらいに思っているのではないか。


「だからね。こういうのを注意したり叱ったりすると、『なんでわたしが叱られなければならないの。』とばかり、納得しなかったり不満に思ったりしかねない。ひどい場合になると教師不信を招いたりもしかねない。」

「ほんとうですね。高学年だと、よけいそうなりそうですね。」

「そうなんだ。

 さあ。それでは、どうしたらいいだろう。

 注意したり叱ったりできない。でも、そのまま放置して、高学年になってしまえば、それはそれで、大変なことになる。」

「・・・・・・?」


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 さあ。この続きは次回に譲らせていただきましょう。

 読者のみなさんも、教員である方もない方も、どう指導したらいいか、どう指導できるか、一緒にお考えいただければ幸いです。
    

rve83253 at 16:36│Comments(3)TrackBack(0)児童指導 | 学級経営

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この記事へのコメント

1. Posted by フルタ(1/2)   2010年03月10日 05:40
toshi先生
ご無沙汰しております。
今回の先生の記事で思い出したことが2つあり、そのとき適切に対処できず、今でもどうすべきだったか?と思うので書きます。

>注意したり叱ったりできない。でも、そのまま放置して・・・
おけなかった経験があります。
上が子は、世話好きだったのですが、参観日の理科の実験のおり、先生のような口調で友達に、今、何をすべきかを教えていたことがありました。対等の子ども間で上下関係があるようで見ていてとても不愉快でした。
そのとき、"あなたが言うことではない、先生がおかしいなと気付いたら、先生が教えることだし、自分と同じ子どもにあんな口調で言われて、あなただったら素直な気持ちで受け入れることができるのか”など説明したような気がします。説明が下手だったためか、本人は、不満気味でした。
2. Posted by フルタ   2010年03月10日 05:41
そして、下の子が2年生のころ、管理される側を経験しました。本人は全く気にもせずなのですが、親としては違和感を感じています。保健係が、クラスの友達のハンカチ、ティッシュ、爪の長さをチェックすることになっていたようです。このこと自体、不思議な感じもしたのですが、爪を切った直後であっても、×が付くことが多く「もっとたくさん切って」と子どもに言われることがありました。
私自身が先生と信頼関係を築けておらず、先生に尋ねることもできずにいたため、「×でもいいの。ちゃんと切ってあるのだから」と言い、子どもの「わかった」で終わったような気がします。
3. Posted by toshi   2010年03月11日 01:49
フルタさん
 お久しぶりです。コメントをいただけて、大変うれしく思いました。
 それだけではありません。続きの記事を予告しておりましたので、そちらに、お返事を譲らせていただきました。どうぞ、ご覧ください。
 保護者の立場からのコメントでしたので、また、いろいろ考えさせていただきました。
 ありがとうございました。

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