2010年03月23日

現職校長が語る、学校の実態と課題(3)3

e34b7160.JPG 本記事で、『現職校長が語る、学校の実態と課題』シリーズは終了させていただくつもりでいるが、

 今回、いろいろなことを考えさせられた。

 今日さんのブログ『日本の教育は、これでよいのかな』に書かれていた、東京の、ある校長先生の講演からはもちろん、それだけでなく、拙ブログに寄せられた今日さんのコメントからも、ほんとうにいろいろなことを考えさせられた。


〇今日さんは、そのコメント(リンク先3・4番)、でおっしゃる。今、ここに、引用させていただこう。

『先生方が明るく、活発にやっているところが結構あるのですよ。そういう学校は、校長さんが、先生方の気持ちを大事にしてやっているところですね。同じ市内でもかなり、差があるのですよ。』

 
 そう。元気に、明るく、活発に教育を実践している学校があるのは、わたしも知っている。何度もとり上げさせていただいているバンキシャの番組に、そうした学校が登場した。

 東京都北区のある中学校だった。

 今紹介させていただこう。これはテレビで放送された画像を、リンク先をたどって見ることができる。ご覧でない方は、すばらしい感動的な取組をしている学校なので、ぜひご覧いただければと思う。

 下記リンク先の左側上部、『過去の放送』欄の上から2番目にあります。

    問題校が模範校に 公立中の自力改革


 そう。今日さんがおっしゃるように、こういう学校もある。もう1年以上も前になるが、涙が出る思いだった。そして、確かに、校長先生がリーダーシップを発揮していた。



 でも、でもだ。

 すべてを校長の力量の問題にしてしまうことはできない。

 ことは複雑なのだ。


 
〇続けて、今日さんは、次のようにもおっしゃる。

 (リンク先1番)である。

 『教育も、プロ集団が行うものです。そこには、先輩の長年の研究の積み重ねと真剣な実践の上での知恵が結集されています。〜。
 しかし、それが、今、多くの教員のものになっていない現状があります。それは、ちゃんとした研修ができない状況に教師が追いやられているからではないでしょうか。
 この状況を何とかしないと日本の教育は、危機的状況にますます進んで行ってしまうのではないでしょうか。』

 これは、講演された校長先生もおっしゃっていることで、要約させていただくと、

 『わたしたちが長年精いっぱい取り組んできた『教育文化』ともいうべきもの。その積み重ねがあります。それらは日々の実践のなかで反省したり創意したりして、この学校ならではのものを作り上げてきました。それがこの十年くらいで、一気に継承できなくなるのではないかと思います。

 特に教師たちの授業力。わたしたちが若いときにいろいろな民間教育団体で学んで歩き、日々の教室のなかで実践し積み重ねてきたものも、それを継承していく人たちが今やなくなりつつあります。』


 
〇これは、教員でない、多くの市民の方々にはちょっと理解しにくいことだと思うので、わたしが補足させていただくと、


 強権発動的な地方教育行政府(教育委員会)は、

 民間教育団体の研究研修活動など、認めないのだ。それだけではない。校長会がリーダーシップを発揮しての研究研修活動も認めない。

 唯一、地方教育行政府が主宰する研究研修事業のみが有効なのである。


 それがまともならまだいいのだが、

 ご承知のように、学力調査至上主義、変な人事考課、及び、学校評価制度のもとで、学校現場をバカにしたような態度の行政マンがシバリをきつくしているから、それで、学校の『教育文化』が、継承されにくくなっていると、まあ、こういうわけだ。


 申し訳ないが、何度も言わせていただく。

 こういった、各学校の『教育財産、教育文化』は、法律上も認められている。いや。保障されているといってもいい。
 

 学習指導要領も、その総則の先頭に、

『各学校においては、教育基本法及び学校教育法その他の法令並びにこの章以下に示すところに従い、児童の人間として調和のとれた育成を目指し、地域や学校の実態及び児童の心身の発達の段階や特性を十分考慮して適切な教育課程を編成するものとする。』

と述べる。適切な教育課程を編成するのは、学校なのである。


 それなのに、一部の強権発動的な地方教育行政府は、事実上、

『各学校の教育課程編成権は制約される。地方教育行政府が指示、編成するところがあればそれに従い教育活動を行わなければならない。
 だから、地域や学校の実態、児童の心身の発達の段階や特性は、考慮する必要がない。』
としているのだ。そして、教科『日本語』や、総合的な学習の時間『市民科』などを強制してくる。 


 
〇もっと具体的に、東京の事情を、校長先生の講演から見てみよう。

『今の若い教師たちは、指定の研修に本当に疲れ果てています。わたしの机の上に彼らの報告書がのらない日はないといってもいいくらいです。初任者研修、2・3年研修、4年、5年、10年と、その度毎に授業研究、そして、それを校長、副校長が観て評価して、それに対するコメントを書いて、教育委員会に提出する。〜。』

 これには、ほんとうに驚かされた。

 わたしの地域とはまるで違う。

 わたしも初任者指導に携わっているわけだが、初任者が書く報告書は月に1回あるかないか、また、研究授業は、年間1・2回くらいしかない。そして、後者については、教育委員会への報告の義務はない。さらに、2年次以降は、研究授業を全員やるということはない。

 だから、校長先生の講演にある東京の姿は、まさに、ノルマをこなす感じにみえる。そんなにノルマに追われるように研究授業をやって、子どもの変容、成長など、期待できるのかな。ほんとうに危惧してしまう。
 
 もっとゆったり、自然体で、それこそ、いつも拙ブログで紹介させてもらっているように、日々の楽しい実践、研究をしましょうよ。ノルマなど関係なく、子どもの変容と自分の成長のための研究をしましょうよ。それこそが、同講演にある、『教育文化』の継承と重なってくるのだろう。

 東京のそれは、教員を信用していないのだね。ノルマを課さなければ、怠けるとでも思っているのだろう。

 もしわたしが東京の初任者指導教員ならば、もう、連日、ノルマ達成のためのお手伝いに追われるのではないか。ああ。そんな仕事だったら、すぐ嫌になっちゃうだろうな。

 だって、初任者や子どもの成長とは関係なくなってしまうもの。ブログも書けなくなってしまう。

 
 まあ、東京と一口に言ったって、実に広いから、地域ごとの違いはあるだろう。どこも強権発動的なわけではないだろう。

 それはそうだが、それこそ、本シリーズの最初に書かせていただいたように、地域を超えて、校長会は連帯すべきだろう。講演された校長先生の言葉を借りれば、『共育を願って』の研究研修になるようはたらきかけてほしい。

 いや。しているだろうね。

 健闘を祈りたい。
 


〇バンキシャには、東京の一部強権発動的な地方教育行政府の施策について、市民の方から、次のような声が寄せられていた。コメントを見つけられなかったので、今、記憶で書かせていただくが、

 『一部に強権発動的な教育委員会があるのは、そこでは、そうせざるを得ない事情が、過去にあったからではないのか。そこの歴史を振り返ってみないと、一概に強権発動的だからダメとは言えない。』

 これを裏づける放送があった。映像として残っているので、1年以上も前の放送だったが、今、紹介させていただこう。

 さきほど、上記リンク先のバンキシャには、左側上部に、『過去の放送欄』があると述べた。今度は、その一番上、『教育再生総集編』である。

 そして、それをとり上げての記事が拙ブログにある。併せてご覧いただければ幸いである。

    ACTION特番を見た。

 なお、今、この記事に補足したい点がある。


 画像から分かるのだが、教育長が在職した地域には、過去、あしき学校風土があったようだ。そして、今は、その反動として、強権発動的にふるまっているようなのである。


 では、どうだろう。

 そうだからといって、強権発動は是認されるのであろうか。過去がそうなら仕方ないで済ませられるのだろうか。

 それでは、今の子どもがかわいそうではないのか。今の若い先生もかわいそうだね。


 行き過ぎた振り子が、その反動で今度は逆に行き過ぎてしまう。

 それでは、どちらもまずいのではないか。


 衷心より申し上げるが、

 社会科には、歴史的な見方(むかしはどうだったか。)とともに、地理的な見方(よそはどうなっているか。)もある。

 ここは、正常に教育が機能している『よそ』に学ぶという視点を、ぜひもってもらいたいものだ。



〇我が地域の場合、そんなにシバリがきついわけではない。だから、自主的な研究活動は、盛んに行われている。

 しかし、それでも、

『特に教師たちの授業力。わたしたちが若いときにいろいろな民間教育団体で学んで歩き、日々の教室のなかで実践し積み重ねてきたものも、それを継承していく人たちが今やなくなりつつあります。』

と言われると、『そうだよなあ。』と、思わず共感してしまう部分もある。


 それは、上記、地方教育行政府とはまた違った、わたしたち教員自身の問題である。


 まずは、何はともあれ、過去記事にリンクさせていただこう。下記リンク先記事の前半、『ところが、かつて、なぜ教員は研究授業をやるのなる記事を書かれたブログを読み、あぜんとしたことがある。』からがそれに当たる。

    教員にとっての研究研修とは、


 要するに、保護者が、教員の研究授業を批判しているのである。

 そうした声により、研究会への出張等がしにくい状況になっているきらいはある。

 わたしたちが指導力アップを願い、日々研鑽のつもりで励む研究授業が、保護者からは批判される。

 
 これは、わたし自身の反省でもあるが、

 わたしたちは研究授業を行うに当たって、その成果や課題を、地域、保護者にPRしてきただろうか。

 『こういう内容の研究をしています。その結果、このような子どもの変容が見られます。このように子どもたちは成長してきました。』

そういうことを知らせる努力をしてきただろうか。


 子ども、保護者とともに歩む姿勢。それは、今後ますます重要になってくる。

    
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〇最後のPRについては、

 わたしは、今、ブログを書かせていただくことによって、微力ではありますが、そうした役割をになっているつもりです。おそらく今日さんも同様ではないでしょうか。

 市民の皆さん。

 そうした意味で、ご理解、ご支援のほど、よろしくお願いします。


〇上記、すばらしい取組をされた中学校の校長先生は、『学校を変えるのは学校の力ですよね。』とおっしゃっていました。

 まさに、その通り。地方教育行政府ではありません。同行政府は、学校がフルに力を発揮できる環境を整えることこそが仕事のはず。

 古今東西、権力が強権的になればなるほど、現場、民衆は、委縮するか、反抗するかのどちらかになってしまいます。


〇なお、最後、誤解のないようにふれさせていただきますが、研究授業は大切なものです。これによって、教員は授業力をつけていくのです。

 しかし、それは、断じてノルマ達成的なものではありません。学校ごとに、あるいは、研究団体ごとにまとまりながら、自ら意欲的に、自分自身の授業力アップのためにやるべきものであるはずです。

 

rve83253 at 01:25│Comments(2)TrackBack(0)教育制度・政策 | 学校経営

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この記事へのコメント

1. Posted by 今日   2010年03月25日 14:27
かなり、踏み込んでしっかりお書きくださいました。

このようなことをもっと、多くの校長が、先生方が書いて欲しいなあと思っています。

toshi先生につつく方が、出て来ないかなあ・・・・・。

応援をがっちりしてかえります。

2. Posted by toshi   2010年03月26日 14:42
今日さん
 いつもありがとうございます。
 勝手に今日さんの思いを想像して書いてしまったところもあり、すみません。
 ほんとうに少しでも明るい未来を照らすブログでありたいと思っています。
 今後とも、よろしくお願いします。

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