2010年03月31日

『ゆとり教育との決別』か? 来年度からの教科書をめぐって3

6b863be0.JPG 今朝は、我が地域の教員異動の記事がのるはずだったから、起きると真っ先に郵便受けに向かった。
 しかし、とび込んできたのは、一面トップの『小学教科書 ページ25%増 文科省検定 ゆとり教育と決別』なる見出し。A社の新聞だ。

 驚いた。もう、教員異動のことなど忘れ、こちらの方をくい入るように見つめてしまった。

 その後、ネットのニュースも見たが、ちょっと各社の論調に違和感を抱いた。

 と言うのは、おしなべて、どれも淡々としているのだ。こんな淡々としていていいのかな。もっと、ショックだとか、怒り心頭に発するとか、そんな記事はないのかな。
 しかし、それはないようだった。

〇少なくともわたしは違った。

 新学習指導要領の改訂や、その後の世論で、ある程度は分かっていたとは言え、あらためて、教科書のページ数が現行の25%増となると、やはりショックだ。

 もっとすごい数字があった。やはり、今日のA新聞からだ。『ある教授の調査では、
 01年に検定合格したB社の算数教科書は、1〜6年の合計で942ページだった。かつて、『つめ込み』と批判された1960年版の3分の2に減っていた。
 今回合格した同社の教科書は1373ページあり、60年版を上回る分量だ。』とある。

 これは、すごい数字だ。だって、ご承知のように、6日制から5日制に移行しているのだもの。それなのに、ページ数はなんとその、『つめ込み批判』を受けた時代を上回っている。

 繰り返すが、新聞各社も、テレビも、これを淡々と報道しているのが不思議だ。

 相手が子どもだからかな。これが、大人相手だったら、こんなに淡々と報道できるかな。

 たとえば、942円だった商品が一気に1373円に値上がりしたとか、これまで942個運べばよかった仕事が、翌日から一気に1373個運ばなければならなくなったとか、あなたは、それでも淡々としていられますか。

 これはもう、子どもの人権にかかわるといっても過言ではない。


 先ほど、『3分の2に減った。』との報道を書かせていただいた。しかし、これは、日本が豊かになるにつれ、学力観も、画一化、立身出世から、個に応じた指導、個性尊重へと徐々に移行し、40年かけて、減っていった数字だ。それを、今回は、一気に50年前に復した。
 
 日本の大人は、いったい何を考えているのか。

 子どもを知識・技能をつめ込むうつわとしてしか見ていないのではないか。子どもにも人格はありますよ。性格、個性、そういったものはありますよ。
 あなたが子どもなら、『こんなのやっていられるかよ。冗談じゃないよ。』と言わないですか。子どもが黙っていることをいいことに、子どもは知らないことをいいことに、ものすごいことをやり始めた。それが日本だ。

 いじめ自殺が騒がれたり、不登校、保健室登校に現れるような、学校に行きたくない、あるいは、行けないという子が増えたり、つい数か月前は小1プロブレムをシリーズにさせてもらったりした、その日本で、よくこんなつめ込みを生み出したものだ。
 
 あのね。人間というものは、追いつめられれば、委縮するか、反抗するか、逃げるか、それしか手段はないのです。
 
 ああ。将来の日本が心配だ。

 
〇話題は続く。

授業時間が不足すると心配する声がある。

 あたりまえだ。これも数字がある。

 新学習指導要領に合わせて増加した標準授業時数は、1〜6年で5%増。それなのに、今回の教科書のページ数は、25%増なのだからね。

 さらに学習内容で01年と比較すると、算数、理科はともに67%増。国社算理の4教科でみれば50%増。
 ああ。もう、考えられない。子どもの頭が急によくなるとも思えないし。

 これでは、時間数が足りないのは、分かり切ったこと。いきおい、つめ込みに走らざるを得なくなるだろう。


 ここで、わたしは、拙ブログに寄せられたコメントを思い出した。そのときは、全国学力調査をめぐっての声だったが、

 これからは、全国の教員から、もっともっと、こんな声が聞こえてきそうだ。
『こんなに指導内容がいっぱいあったのでは、子どもが分かるのを待ってはいられない。』
 
 
 ああ。もうこのくらいにしておこう。ちょっと、カッカしすぎたかな。

 それに、時数、ページ数など、かなり、数字にこだわりすぎた。

 でもね。あまりにもひどい数字だから、ちょっと無視できなかったのだよね。
 
 だが、ほんとうに大事なのは数字ではない。教科書の中身だ。

〇それでは、中身に目を向けてみよう。

 それが、実は、あれもこれも、何もかも盛り込んで・・・、ほんとうにすごいことになりそうだ。
 
 報道では『脱ゆとり』とあるが、そうとばかりも言い切れない。

 『脱ゆとり』もあれば、『ゆとり教育』もある。双方ともに盛りだくさんなのだ。


 それでは、『脱ゆとり』の象徴とみられている円周率と台形の扱いで考察してみよう。


・最初からちょっとわき道へずれるが、すみません。

 それは、従来、とかく悪宣伝されていた、『円周率は3、14を扱わず、すべて3として計算する。』という点だ。これはまったくの間違いだ。悪宣伝としか言いようがない。
 くわしくは、下記リンク先記事の『?授業時数は3割も減らされていない。』に書いている。

    『ゆとり教育』は正しい・・・はず

 さて、話を戻して、

 これまでの学習指導要領では、『円周率としては3、14を用いるが、目的に応じて3を用いて処理できるよう配慮する。』とあった。それがこれからは、ただ『円周率は3、14を用いるものとする。』とあるだけだ。

 その結果、どういうことが言えるかというと、

 これまでは、目的に応じて、3と3,14を使い分けていた。およその数なら3で計算してもよかった。それが、これからは、およその数であっても計算は3、14でやるようにするのだそうだ。

 これはもう、これまでの『ゆとり時代』の方が正しい。これからも、『考える力』『生きる力』そして、『生活に生きる学力』を大切にすると言っているのだから、『目的に応じた使い分け』をなくしてしまうことはない。

 第一、これは、全国学力調査の活用問題でも、大切にしていたのではなかったか。

 間違った、脱ゆとりだね。

 
・もう一つ。騒がれたのに、台形の面積があった。公式は扱わないとしたものだ。

 これが不思議なのだ。ちょっと台形から話題が外れるが、

 今回の教科書では、算数学習で問題を解くにあたり、子どもたちが話し合い学習をするような記述になっているのだという。

 これは一見すばらしいことのように見える。拙ブログの読者の方は、よく承知してくださっていると思うが、

 拙ブログでとり上げている算数の授業は、全部話し合い学習だ。

 子ども同士、いろいろな解き方を出し合い、それらをもとに話し合いながら、よりよい解き方を考え、思考を深めていく。
 だから、そこだけ見たら、我が意を得たり。うれしくなってしまう。

 でも、でもだ。

 それなら、台形の面積の出し方など、こうした話し合いによって、いろいろな解き方があることが分かったり、よりよい面積の出し方はどれか考えたりすればいいではないか。こうした学習にはうってつけではないか。せっかく算数全般ではこういう学習法をとり入れながら、しかし、台形については、公式を扱うのだという。それでは、公式を覚える学習になってしまい、実にもったいない。


〇しかし、もっと肝心なことがある。A新聞は、ある教員の声を紹介している。

「発表の機会や考える時間を増やすと、授業中に計算練習ができなくなってしまう。こういう方式で、ほんとうに力がつくのか。」

 力はつきますよ。それは、拙ブログで何回も記事にしているとおり。

 しかし、こういうことを言う教員は、全国に大勢いることだろう。そして、研究をしていないのであれば、発表させても考えさせてもたいして力がつくとは思えない。

 そのうえ計算練習の時間もとり上げられるのではね。

 ああ、これでは、学力低下につながってしまう。もう、あぶはち取らずだ。

 そのうえ、学習内容は過多なのだからね。もう、どうなってしまうのだろう。


 発表の機会や考える時間を増やし成果を上げたいのなら、ほんとうは、学習内容をおさえるべきだったのだ。

 そう。現行のゆとり教育のままがよかった。というか、そもそもゆとり教育は、そういう教育だったのだ。


 以上、ご理解いただけたと思うが、
 新聞は、一斉に、『脱ゆとり』と書いている。しかし、内容的、方法的には、そのようなことはない。ゆとり教育は健在だ。

 問題なのは、学習内容過多の状況が、ほんとうに、こうした、発表や考える時間を保障するのか、上記、ある教員の声と相まって、その点で、ものすごく不安になる。


〇最後に、そう。嘆いてばかりいても仕方がない。

 こうした時代に、もしわたしが担任だったらどうやるか、それを考えてみる。

 ゆとり教育は内容面だけでなく、実質面でも、大事にしたい。考える力、生きる力を大切にする。それは、PISA型学力が大事にしているところでもあるし、新学習指導要領においても、重視している。

 だから、話し合い学習、考え合う学習は、これからも大切にする。しかし、内容過多はいかんともしがたい。

 そこで、学習内容の精選を図る。重点化して行う学習、さっと流す学習というように、メリハリをつける。

 それは、保護者にも伝える。『なぜ精選するのか。』『なぜこの内容は軽く流すのか。』そうしたことを保護者に説明し、ご理解いただけるように努める。
 
 そうしていくしかないだろう。

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〇わたしが一番腹が立つのは、マニフェストで『学習指導要領の大綱化』をうたった民主党。その民主党を中心とした連立政権下で、こうした教科書が誕生してしまったことです。

 前政権下で学習指導要領が決まってしまったのだから、やむを得なかったですか。

 でも、それはないでしょう。事業仕分けという手もあったのですから。


〇もう一つ。

 教員の指導力アップ策が急務だと、どの新聞も書いています。

 これは正しい。

 しかし、その具体策が教員免許更新制ですか。

 それはダメです。有効に機能しません。

 やはり、話し合い学習、考える力をはぐくむ授業。そういったものをとおして子どもの力をつけることのできる教員を育てる。それが大事です。

 そこをがんばらないと、楽してしまう教員が出そうです。

 なにしろ、ノートのつけ方とか、話し合い学習の進め方とか、実に細かいところまで、教科書には書いてあるそうですから、

 手を抜こうと思えばいくらも抜けるし、がんばって指導しようとすれば時間がいくらあっても足りないという・・・、

 ああ。いけない。またグチになってしまいました。すみません。

 気をとり直し、バナーの上に書いたように、努力していきましょう。


rve83253 at 23:18│Comments(16)TrackBack(0)教育観 | 教育制度・政策

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この記事へのコメント

1. Posted by やすだ   2010年04月01日 04:43
ゆとり教育をしてしまうと思考力が落ち、その子供たちが大人になるとその落ちた思考力で仕事や子供の教育をすることになる。国の力が弱くなると考えられないだろうか?勉強ができて性格もよい人物をつくればよいと思う。精神性を高める教育を入れてほしいと思います。
2. Posted by toshi   2010年04月01日 10:26
やすださん
 本記事に書いた円周率同様、いわゆる『ゆとり教育』も大変な誤解の所産と思っています。
 決して教員や子どもに楽をさせる教育ではありません。
 思考力を育む教育なのです。本記事でも少しふれましたが、思考力を育むには、学習内容は減らした方がいいのです。時間がかかるからです。拙ブログ記事に登場する多くの教育実践は、ゆとり教育の所産ととらえていただいてかまいません。 
 なお、『ゆとり』という言葉がよくなかったかもしれません。10年以上前のことですが、国は、変な呼称にしたものだなと思います。『生き方の教育』『思考力を養う教育』そういうとらえです。

《勉強ができて性格もよい人物をつくればよいと思う。精神性を高める教育を入れてほしいと思います。》
 大賛成です。そして、こういう教育こそ、ゆとり教育で養えるものです。拙ブログの授業をご覧いただき、ご理解いただければ、大変うれしく思います。
3. Posted by ドラゴン   2010年04月01日 18:30
いつも勉強させていただきます。
今回の報道には、ちょっと気が滅入っております。
前回の改訂では、減らしたことを批判して、今回の改訂では、増えたことを懸念する。
そうしたマスコミの態度を差し引いて考える必要があると思います。
それにしても、マスコミの不勉強、社会の教育への誤解が今更ながら強いように思うのです。こちらでは一般の方々もいらっしゃいますので、この場をお借りすることと、少々長くなりますがご容赦ください。

一番内容が多い時代は、新幹線授業と揶揄されたように、下位層の子どもを置いてけぼりにして、落ちこぼれを生み出しました。それへの反省と批判からゆとり教育が始まったのです。
それまでは、10の内容を与えても下位層の子どもは1や2の達成でも進級させていました。それを現行の学習指導要領では、絶対評価として、内容を7にするから、下位の子どもも少なくとも5や6にしなさい、上位の子どもは10でも11まで行ってもかまいません、としたのです。
台形の面積にしても、公式を覚えている子どもと公式を知らなくても答えを導き出せる子どもは、どちらが学力があるでしょうか。
ですからゆとり教育といってもめざした学力のハードルは高かったのです。
4. Posted by ドラゴン   2010年04月01日 18:31
そういう理想で始まりましたが、残念ながら、その理念は実現できずに終わったようです。
これが、歴史的な背景です。
そうした下位層への対応がままならないまま、単純に増やすというのは、危険のような気もしますが、私は単に量の問題ではないと思うのです。

最近になってようやく気付いたというか考えたのですが、世間というか、社会一般の教育への誤解の中で、実は教育内容への誤解が大きいのだろうと思いました。以前は、教育観、子ども観への誤解を感じておりましたが、それより大きいのではないでしょうか。

例えば九九の学習は九九を覚えるためにあるとみなさん思っているのではないでしょうか。
私のまわりの先生は、九九は覚えるだけでなく、自分で作ったりもさせます。そうして九九を教材として、かけ算とは何か、数のしくみ、数学的な考え方もみにつけていきます。
2の段で、かける数が1ふえると答えが2ずつふえていきます。こうしたことに気付くとかけ算は同数累加であることに気付きます。それでは3の段ではと考えると、類推するという考え方を使います。そうしてそうした考えを、発展・統合させて、九九の構成をつくりあげます。九九という教材から様々な学力がつくのです。
九九を覚えるという学習をしただけでは、こうした力は身につきません。
やすださんが書かれていた思考力は、実はこうした学習で身につくのです。そうしてゆとり教育であっても、そうした授業がなされていました。
5. Posted by ドラゴン   2010年04月01日 18:32
円周率を3.14とするのと3とするのでは、学力に差があるのでしょうか。数学的には、共に概数なので、同じと考えられています。中学以降はパイで計算しますので、不要です。
ちなみに、みなさんのまわりで「円周率とは何?」と聞いてください。ほとんどの人が「3.14」と答えると思います(私のまわりでもそうでした)。
正解は、「円周率は円の直径と円周の比率」です。3.14は「円周率の値」です。
円周率の値を覚えて、公式で面積を求める。そうして練習問題を繰り返す。こうした学習だけでは、図形への感覚は磨かれません。例えば正方形や正六角形の例から帰納的に円の面積を考えるという学習もありますが、こうした帰納的な論証に触れることもありません。それは非常にもったいないことでもあります。

歴史の学習も人名や事項、年号を覚えることが学習内容だと思われていますが、そうしたことから、歴史的なものの見方や考え方を学ぶということもずっと大事です。

つまり、教科書の内容は教材であって、それから学ぶことはさらにあるのです。だから量の問題ではないと思うのです。
よく、「教科書を教える」と「教科書で教える」と言われますが、後者であれば、どんなに厚い教科書でも大丈夫でしょう。もちろん、教師の力量は問われますが。
6. Posted by ドラゴン   2010年04月01日 18:42
tosi先生は、子どもに詰め込みになるのでは、と懸念されていますが、私もその懸念はあります。それは上記の、教育内容への誤解からでしょうか。
特に社会科でも、内容が増えると覚えさせてしまう、ということもあるでしょう。
算数も暗記科目という人もいます。

そこで、私は、教育目標を明確にして、評価もしっかりすることも大事だと思うのです。
評価の観点は、知識理解よりも関心意欲、思考判断、表現などが重視されていますが、その部分を強調できればよいのかと思うのです。
歴史の学習でも「○○への知識理解を深めること」となるのではなく、「△△への関心を高め、自ら調べて表現すること」とすれば、詰め込みとはならないのではないでしょうか。
7. Posted by kuno   2010年04月01日 19:04
いつも興味深く拝見しています。
ありがとうございます。
ドラゴンさんの言われるように「教科書で教える」であって欲しいと思います。教科書はあくまでも教材のひとつ。所が、教科書に書いてあることが必要かつ十分であるような考え方をされる方が多く、学習に広がりを感じなくなっているように思います。「どこを勉強すればよいですか?」と聞いてくる生徒も増えたようにも思います。
ぺージが増えたことによって教科書の概念が変化し、使用方法ももっともっと広がることを期待したいです。まさか1時間あたりの進行ページ数を単純に2割程度増やす先生はいないと思いますが、Toshiさんのおっしゃるように、話し合い学習を大切にし、その意義を保護者の皆さんと共有することこそ重要で、これは、文科省、マスコミにも期待したい所です。
8. Posted by toshi   2010年04月01日 23:20
ドラゴンさん、kunoさん

 いやあ。ありがとうございました。
 ドラゴンさんとkunoさんの、冷静でことの本質を見抜いたコメントを拝読して、年甲斐もなくカッカしていたことを恥ずかしく思いました。
 『ゆとり』という言い方もやめようと思いました。これが誤解を招くもとになっていのだと思いました。
 冷静になったところで、お二人のコメントを受けたかたちで、次回記事にさせていただこうと思います。
 よろしくお願いします。
9. Posted by じょん   2010年04月02日 14:05
はじめまして、いつもブログを読み勉強させて頂いています。
一つ誤解してほしくないのは、あくまでもページ数が25%増なわけで、内容が25%増というわけではないことです。
教科書のページ数が増えたのは、内容が増えたこともありますが、より説明をわかりやすくしたり、絵や図を多用したりしていることにも原因があります。
10. Posted by toshi   2010年04月02日 15:32
じょんさん
 いつもご愛読賜り、ありがとうございます。
 ご指摘の点、実は、わたし、よく分からないのです。
 A新聞によれば、
『ゆとり教育全盛時の01年に検定で合格した教科書に比べると、算数・理科はともに67%、国社算理の4教科は50%、全教科では43%増えた計算になる。こうした内容を学校現場でこなし、子どもたちに理解させられるかが今後の大きな課題となる。』とあります。
 つまり、これらの数字は、内容増を示していると読み取れますね。(なお本ブログ記事中のページ数増の数字は、04年検定合格の教科書との比較です。)
 この意味するところは何か、わたしはちょっと分からないでおります。ただ、学習内容増はページ数の増を下回るということではないなと想像しています。
 なお、分かることがあったら教えていただければうれしく思います。わたしも勉強してみます。 
11. Posted by まい   2010年04月02日 18:19
こんにちは。今回の改訂については一保護者ながらとても危ういものを感じています。toshi先生のように熱くなってくださる方がいるのは嬉しいです。

テレビで教科書の中身を少しだけ見た限りでは、じょんさんのおっしゃるように図や写真がかなり多いようにも思いますが、詰め込み教育への逆行は心配です。

子どもの学校(きのくに子どもの村学園)では教科書を使いません。基礎学習はすべて担任の大人(先生とは言いません)の手作りプリントです。学年末に返してもらったプリントを見ると、子どもたちの名前を紹介しながらひらがなの読みを学習したり、クラスの子どもたちがみかん狩りをした様子から計算をしたり、クラス旅行の予定から時計の読み方を学んだり・・・とにかく現実に即してうまく学べるように工夫されています。

私たち夫婦はとても感心し、こうした教育をしてくれることに感動を覚えました。夫は「このクラスのための教科書を作ってくれている」と言っていました。

支給された教科書も持って帰ったので目を通しましたが、学校のプリントがとても心がこもっていてユーモアもあるのに比べて、何というか物足りなさというか、素っ気なさを感じました。

さらにフィンランドの教科書など自分で調べたものと比べると、自分を好きになり認めたり、自分の意見を持つという点が弱く、外界やきまりへの適応をいきなり求めているように感じました。

私としては今回のような教育の乱気流のなかでも、子どもの学校がぶれずに今のやり方を続けてくれることを願っています。そして、「普通の」学校の子どもたちも良い先生に恵まれて生き生きと過ごすことができることを心から祈っています。
12. Posted by ドラゴン   2010年04月02日 19:32
じょんさん

まだ、新しい教科書を見ていない段階でこう言うのもなんですが、学習内容は増えていなくても、教科書の記述が増えるだけでも、子どもの負担になることもあります。
特に社会科や理科でしょうか。
以前、教育の講演会で教科調査官の方が話されていたことですが、教科書に出ていることを全部覚えさようとする先生が多くいるそうです。また、そのような保護者も。TOSSの方も算数では教科書に出ている練習問題を授業中にぜんぶやりなさい、と主張しています。
社会科などで、ちょっとしたコラムが増えただけでも、覚えさせる授業しかしていない教師だと心配にもなります。
13. Posted by ドラゴン   2010年04月02日 19:38
ちょっと余談を。
ゆとり教育への反動として百マス計算が流行したことがあります。計算の習熟に役立つと。
想像してください。百マスに取り組んでいるときの子どもの頭の中を。
また、虫食い算というのをご存じでしょうか。筆算の形式で、数字がいくつか空欄になっているものです。これを子どもにやらせた場合はどうでしょうか。
虫食い算でも、子どもは一生懸命暗算をしています。しかも、予想して、計算して、そしてさらに試行して。なれると、論理的に推論していくこともできるようになります。
どうして解けたかを説明するのも良い学習です。
同じ問題でも、算数・数学にはどちらが有効でしょうか。
でも、授業で虫食い算をすると遊んでいるしか見えないなんて批判もあります。

教科書の練習問題もよいですが、こうした教材を開発するのも大事だと思うのです。
14. Posted by toshi   2010年04月03日 17:29
まいさん
 いつも素敵なコメントを、ありがとうございます。
 大人の方々の教科書づくり。すてきです。まさに子どもの生活に密着し、子どもにとって切実で、解決のための意欲を持たざるを得ない、そんな教科書なのですね。
 むかし、幼稚園の先生がおっしゃっていた言葉を思い出しました。
「学校の先生はいいですね。教科書があるのですもの。その通りやっていればいいじゃないですか。」
 これに反論できるのは、まいさんのお子さんの通われる学校の教員と言えそうです。
15. Posted by ABC   2014年07月22日 23:51
ゆとり教育とは、政治的なものです。
1980年代の日米貿易摩擦で、日本車は安くて性能が良かったのでアメリカは、教育で日本人を馬鹿にしようと技術を衰退させようと自民党がゆとり教育を導入しました。
わざと科目ごとの時間を短くして習得できないようにしたり、円周率が3、九九が言えない、国語の読解力がない、わざとやっているのです。
アメリカは、戦後の徹底してやった詰め込み教育が脅威だったのです。
民主党政権になって、アメリカの圧力はありますが、言われても気にしないで徐々に詰め込み教育に方向転換していっています。
自民党とは、アメリカのポチであり、売国奴なのです。
ゆとり教育世代というのは、教育をまともに受けられなかった可哀想な人たちです。
これからは、選挙で自民党は徹底的に落とした方がいいですよ。
国民の事など考えていない、アホ連中ですから!
16. Posted by toshi   2014年07月25日 07:15
ABCさん 
 これまでずいぶんたくさんコメントをいただき、ありがとうございました。
 しかしながらどのコメントもわたしの記事内容にふれることなく、タイトルのみでご自分の主張をなさっている点、大変残念に思います。
 わたしのブログは、政治的内容がないわけではないにしても、教育実践、子育てにかかわるものが中心です。
 したがって、今後ご自分の主張はご自分のブログでなさるようお願いします。
 申し訳ありませんが、今後のABCさんからのコメントは削除させていただきますので、ご了承ください。

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