2010年04月03日

『ゆとり教育との決別』か? 来年度からの教科書をめぐって(2)3

4ee8459d.jpg 前記事に書かせていただいた来春から小学校で使用する教科書の問題。

 ちょっとカッカしすぎたかなと思わないでもないが、

 世論が意外と落ち着いているので、冷静でいられない自分の方がおかしいのかなと、ちょっと変な気持ちになった。


 なぜだろう。そんな思いで、落ち着いている方々の論調を読むと、『教科書観の転換が必要だ。全部教える必要はない。』とのこと。


 しかしねえ。

 それならそれで、

『高い税金で作った教科書ではないか。何で教えなくていい内容まで載せるのだ。』などという声が出てくるのではないの。


 わたしはわたしで、別な思いがある。


 そんなことは分かっている。自分だって、かつて、『つめ込み教育』と言われたころ、学校あげて内容精選に取り組んできた。

 でも、今回の教科書は、その域をはるかに超えている。あぜんとするくらいだ。とても、『全部教える必要はない。』くらいの意識では済まない。

 だって、いわゆるゆとり教育全盛のころの01年比で、算数、理科に至っては、内容が67%増だというのですよ。信じられない。

 日本の学校教育を破壊するくらいのものだろう。

 
 前記事に、kunoさんがコメントをくださった。そのなかに、『まさか1時間あたりの進行ページ数を単純に2割程度増やす先生はいないと思いますが、』とあった。

 わたしは、思った。

 わたしもいないと信じたい。信じたいが、やはり無理だ。


 これまで拙ブログ、それにホームページも加えると、ほぼ5年近く。その間、全国から多くのメール、コメントをいただいた。保護者、教員、市民の方など、さまざまだ。

 そのおかげで、全国あちこちの学校教育事情が分かってきた。とてもkunoさんがおっしゃるようではない。特に記憶に残っているのは、前記事にも書いたが、『こんなに指導内容が多いのでは、とても子どもが分かるのを待ってはいられない。』なる言葉。


 さらに、歴史的経過もある。

 これは、ドラゴンさんが、お寄せくださった。

 ドラゴンさん。ドラゴンさんがおっしゃりたいことは別にあるのですよね。それなのに、わたしの引用したい部分だけを引用させていただくことになり、まことに申し訳ありません。(後では、ちゃんと引用させていただくつもりですので、どうぞ、お許しください。)


 すぐ上に書いたことだが、『子どもが分かるのを待ってはいられない。』という言葉は、ドラゴンさんのおっしゃる、かつての、『新幹線授業と揶揄』されたことと同一だろう。

 『10の内容を与えても下位層の子どもは1や2の達成でも進級させていた。』とある。

 まあ。そうだったのだろうな。そうであれば、これからは、『ジェット機授業』となるのであろう。おいてきぼりをくう子のことが心配だ。


 
 歴史は繰り返す。


・日本は戦争に負けた後、被占領下、アメリカの影響を色濃く受け、民主主義教育を大々的にとりいれた。昭和20年代のことだ。これが、これまでのゆとり教育に似ていなくもない。

・ところが、戦前の子どもに比べ、戦後の子どもは学力が低くなったといわれるようになり、もっとしっかり知識・技能を身につけさせなければダメだということで、民主主義教育は弾圧を受けた。昭和30年代からだ。つめ込み教育が始まる。

・そして、ご案内のとおり、『新幹線授業』の反省から、『ゆとり教育』が叫ばれるようになった。

・今また、そのゆり戻しで、この事態。

 つまり、過去の歴史から何も学んでいない。まさに、繰り返しているだけ。



 だから、名実ともに、『ゆとり教育』を維持すればよかったのだ。

 維持し、『内容を(10から)7にするから、下位の子どもも少なくとも5や6にしなさい。上位の子どもは10でも11まで行ってもかまいません。』の徹底を図ればよかったのだ。

 そのためには、教員の雑務を排除したうえで、指導力アップ策に全力を挙げる。わたしがよくいうところの一斉授業のなかで『どのレベルにいる子も伸ばす。』指導法を身につけてもらう。教員の人事考課も、そこに焦点を当て、プラス指向のものにする。

 それが正しいやり方だった。



 逆説的な言い方になるけれどね。

 上記正しいやり方を日本中の教員が身につければ、今度の教科書もちゃんと使いこなせるのだ。

・どのレベルの子も、自分の力に応じて伸びる力を持っている。
・それは、どのレベルの子も、学ぶ意欲が旺盛だからだ。
・『好きこそものの上手なれ。』という言葉があるではないか。好きにさせてしまうことほど強いものはない。子どもは自分の力でどんどん伸びていく。
・そういう子どもたちなら、今度の教科書も、十分主体的に使いこなしていくだろう。



 それでは、現状において、逆説を逆説とせず、いばらの道ではあるけれど、どう取り組んでいくべきか。我が決意も含め、その辺を考えてみよう。



〇ドラゴンさんはおっしゃる。
 
 『つまり、教科書の内容は教材であって、それから学ぶことはさらにあるのです。だから量の問題ではないと思うのです。

 よく、「教科書を教える」と「教科書で教える」と言われますが、後者であれば、どんなに厚い教科書でも大丈夫でしょう。もちろん、教師の力量は問われますが。』


 『どんなに厚くても、』は気になるが、基本的には、そうなのだ。

・『教科書を教える』というのは、本記事でここまで述べてきた姿。つまり、教科書にある内容はすべて押さえなければいけないとする姿。教科書の内容は、即、教育内容であり、目標でもある。教育内容の決定権が国にあると、実質認めている。

・それに対し、『教科書で教える』というのは、教科書は教育の手段。数ある教材の一つ。教育内容を決定するのは、子どもの実態などであり、それを勘案した指導者にある。


 だから、『教科書で教えることに徹すれば、何も問題はない。』となり、それはよく分かるのだが・・・、

 問題は、だから、最後の、『もちろん、教師の力量は問われますが、』なのだよね。

 そして、この場合、教師の力量は、子どもへの指導力だけを指しているのではない。いろいろな外圧があるから、その外圧に対し、どれほど説得力ある話ができるかという、そうした力量も含むことになる。


 それに、もう一つ。

 今度の教科書のボリュームは、かつて、わたしたちが若かったころ、内容精選に意を注いだというレベルではない。精選ならぬ、厳選をしなければならない。これも、教師の力量に入ってくるだろう。


 その一例。

 ドラゴンさんが上げられた九九、円周率など、これはもうおっしゃる通りだ。


〇ドラゴンさんは、社会科の例も挙げられた。わたしが社会科を専門としていることをご存じだからかな。


 『歴史の学習でも「○○への知識理解を深めること」となるのではなく、「△△への関心を高め、自ら調べて表現すること」とすれば、詰め込みとはならないのではないでしょうか。』


 まさにおっしゃる通り。

 ところが、ご承知のように、今回の改訂で、押さえることとして、『47都道府県の名称と位置』が入った。

 これはもう、驚くべき時代錯誤になりうる。つめ込みに走った場合だ。そうなれば、問題解決学習にもなじまない。

 まさに単なる暗記モノとなってしまう。そうなれば、学習指導要領の総則にも矛盾する。


 もし、今度、わたしが担当する初任者に4年生の担任がいたら、わたしは言おう。

『こんな、47都道府県の名称と位置を網羅的に覚えさせる学習はやってはだめだよ。ただでさえ時間は足りなくなるのだから。

 でも、問題解決学習のなかで、我が地域とかかわりをもっていたり、我が地域と地域の特徴を比べるうえで有効と思われたりする地域はとり上げることになるだろうから、その都道府県名と位置については、しっかり押さえることにしようね。

 とにかく、子どもが充実した思いで楽しく取り組める問題解決学習を展開することだ。それが、結果的に、『気づいたら、47都道府県の名称と位置を全部覚えていた。』となるのだ。

 ただし、日本地図は常時掲示しておくようにしよう。』


 
〇さらに言いたいことは、

 
 わたしは、今春、初任者指導6年目を迎える。さらに、7年目も、8年目も続ける決意でいる。

 わたしの決意は固い。

 こんな時代となり、初任者指導の重要性、切実性は、ますます強まったと言えよう。

 また、日々実践する授業をブログに書き続けることも、ますます大事になっていく。簡単につめ込みに走ってほしくない。簡単にあきらめてほしくない。

 少しでも、魅力ある授業を提供し、『よし。自分もがんばってみよう。』と思ってもらえるよう努力していこう。

 

〇最後に、

 ここまでお読みになった読者の方のなかには、疑義を抱かれる方もいらっしゃるかもしれない。

 それは、じょんさんのおっしゃる(コメント10番)、『教科書のページ数が増えたのは、内容が増えたこともありますが、より説明をわかりやすくしたり、絵や図を多用したりしていることにも原因があります。』にかかわる。

 このように思っている読者の方はけっこういらっしゃるのではないか。

 ただね。これまでだって、小学生の教科書は、カラフルできれいで、絵や図を多用していたし・・・、まあ、新しい教科書を見てみないと何とも言えないことだけれど・・・、どうなのかなあ。


 また、kunoさんがコメントの7番でおっしゃっている、『話し合い学習を充実し』については、ほんとうにその通りで、がんばらなければいけないのだが、

 新聞記事によれば、想定話し合いモデルと言ったらいいだろうか。子どものイラストが紙面で話し合いを始めるらしい。


 これが前記事で『必ずしも脱ゆとりとは言えない』とした部分なのだが、

 まあ、一言で言っておせっかいなのだ。


 『学び方』まで、枠にはめようとするか。画一化しようとするか。

 そして、これこそ、教員が研究研修し力をつけるべきことで、わたしたちは、これに命をかけるといってもいいくらいがんばっているのだが、

 こんなことまで簡単に、形だけの話し合いを示す(これは新聞に事例が出ていたので、分かるのです。)とは、なんか、怠惰に流れる傾向を生みだすのではないかと、それをおそれる。


 ちょっと余談めいてしまうが、

 ここで、過去記事2つを紹介させていただこう。画一化、怠惰と重なるエピソードである。楽しくお読みいただけるのではないかと思う。

    マニュアル

    大先輩を悼む。(このなかの、『その2』ミツバチの話です。


 さあ。教科書の面倒見の良さ。これはどんなふうに現場に作用するのだろうか。


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 まいさんからも、コメントをいただきました。

 またまた、心打たれました。


 基礎学習はすべて担任の大人(先生とは言いません)の手作りプリントです。

 学年末に返してもらったプリントを見ると、

・子どもたちの名前を紹介しながらひらがなの読みを学習したり、
・クラスの子どもたちがみかん狩りをした様子から計算をしたり、
・クラス旅行の予定から時計の読み方を学んだり・・・

とにかく現実に即してうまく学べるように工夫されています。


とのこと。

 ほんとう。これこそ、教科書の理想形でしょうね。


 こういうことが、公教育でも行われるような、そんな環境整備を望むのは、ぜいたくなのでしょうか。


 最後に、やすださんからいただいたコメントの、『勉強ができて性格もよい人物をつくればよいと思う。精神性を高める教育を入れてほしいと思います。』が気になっています。

 特に、性格とか、精神性とか、あまり多くを語れませんでした。


 申し訳ありませんが、カテゴリーのなかから、『道徳指導』『算数科指導』をクリックしていただき、どこでもご覧いただければ幸いです。

 それこそ、怠惰と手抜きで、ごめんなさい。


すみません。付け足させてください。

 先ほど、リンクさせていただいた、『大先輩を悼む』の記事は、その3も、本シリーズにかかわります。その2と合わせ、どうぞご覧ください。


rve83253 at 11:26│Comments(13)TrackBack(0)教育観 | 指導観

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この記事へのコメント

1. Posted by やまびこまま   2010年04月03日 12:10
脱ゆとり、とはなんとも日本の貧しい教育観を表しているようで悲しい気持ちになります。
ゆとり教育のうちに高3まで成長した長男にはさほど低学力を感じることはありません。
しかしながら小5になろうとしている娘は、昨年度教科書に追加された小冊子を見て「やってられない!」を連発しておりました。
担任は懇談会で「がんばってやらないと終わらないんです!」とおっしゃり、こどもがわかるかどうかなど待っていられない、という思い丸出しでした。授業参観でもその様は明らかで、保護者としては娘の担任ながら「なんと教師としての実力がないのか」と残念に感じてしまいました。
子供は千差万別なのだから、教え方は画一でなくてよいのではないのか、それが授業の工夫であり、
教師としての醍醐味ではないのだろうかと思うのです。「教科書を教える」だけなら保護者がすでに家庭学習の中でもやっているのですから。
2. Posted by ドラゴン   2010年04月03日 16:42
拙コメントを取り上げていただき恐縮です。
toshi先生に引用いただいた通りで、まったくの同感です。ただ、こうした背後には、教材や学習内容についての考え方が、世間で誤解されているように感じたので、この場をお借りしていろいろご提案させていただきました。

歴史について話題にしたのも、もちろん先生が社会科ということもありますが、社会科が最も詰め込みのターゲットになりやすいということもあるかと考えました。都道府県の名前や位置もそうですね。下手すると九九のように暗唱させるなんかも出てきそうです。

新しい学力の徹底が図れなかったことの第一にはPISAショックがあると思います。現代化のときはスプートニクショックでした。
基本的には、社会(世論)、マスコミの力に振り回されたと思っております。それで、最近は社会にある教育への誤解を解かなくてはと思っております。
そこで、この場をお借りしました。
3. Posted by ドラゴン   2010年04月03日 16:52
「教師の力量」は緊急の課題だと思っております。今年の東京都の新採は1500人と聞きました。今までは採用試験に通らなかったレベルも採用されたという噂です(噂や憶測はいけないのですが)。
横浜市や神奈川県も同様に聞いております。

toshi先生は、まさにその最前線にいらっしゃるのでしょうから、いろいろとお感じになっていることもあるかと思います。

以前、toshi先生と同世代の方々とお話ししたときに、「もしかしたら、今の先生の方が我々より力量があるかもしれない」と言われるのです。どうしてかとたずねると、「我々の時代は子どもも保護者も言うことを聞いてくれていた。今はそうではなくて、授業以外の様々な問題も教室に持ち込まれる。その中で授業を成立させている今の教師もすごい」ということです。
教師の力量に頼るのであれば、先生方がやりやすくなるような環境や精度の整備も必要なように思います。

ここで、1冊の本を紹介させてください。大村はま先生の「日本の教師に伝えたいこと」です。
書評がここにあります。
http://muratyan.cocolog-nifty.com/book/2010/02/post-a5fd.html#more

大村はまさんの言葉を引用します。
まず「なになにしなさい」ということばをやめることです。教師がこうなったらいいと願っていることを、「なさい」ということばをつけて子どもに言う、これは専門職の教師としては、たいへん、みっともない気がします。

大村はまさんの言われることは、若い教師には、非常に高いハードルかもしれません。でもその高みをぜひ見てほしいとも思いました。
4. Posted by toshi   2010年04月03日 17:44
やまびこままさん 
 お嬢さんの『やってられない。』は、まさに、前記事の、『こんなのやっていられるかよ。冗談じゃないよ。』を思い浮かべました。
 おそらくこの言葉は、担任の『がんばってやらないと終わらないんです!』という思いが、子どもたちに伝わってしまった結果なのでしょうね。
 でも、その担任に対しても、上からの圧力があるのかもしれません。
 おっしゃるように、『教師としての醍醐味』が味わえる授業をしたいものだと思います。
 『教科書を教える。』についても、おっしゃる通りと思いました。小学生の教科書の内容なら、もう、教員免許などなくったって、保護者でも十分教えられますよね。ここからは、教職としての専門性など、うかがい知ることができません。
5. Posted by toshi   2010年04月03日 17:54
ドラゴンさん
 お寄せいただいたコメントを勝手に切り貼りするような使い方をして、ほんとうにすみませんでした。
 記事には書きませんでしたが、わたしは、都道府県名とその位置は全部頭に入っています。それは、小学生時代、地図を見たり、地図の上で旅行したりするのが大好きだったからで、学校で覚えさせられたわけではないのです。
 都市名についても、8割くらいはどこにあるか分かったものでした。しかし、今はだめです。あまりにも市町村合併が進み、聞いたこともない名前が多くなっています。もうこの歳ではとても覚えられません。
 単なる暗記による知識なんて、その程度のものです。

 おっしゃるように、『誤解』を解くということ、大切ですね。ともに頑張りましょう。必要なら、どうぞ、拙ブログをご利用ください。

 すみません。コメントの途中ですが、残りはかなり遅くなります。よろしくお願いします。
6. Posted by toshi   2010年04月04日 06:02
 投稿の間隔がえらくあいてしまって申し訳ありませんでした。
 PISAショックそのものも、マスコミを含め、大人がえらく短絡的でしたね。
 参加国が増えたことを勘案すれば、何も問題はなかったのですよね。また、つい最近になって次のような話も聞きました。今だって、『1億人以上の国に限定すれば、日本は世界一ですよ。』ああ。もっと早くそれを言ってくれればよかったのにね。
 まあ、順位なんてどうだっていいことですが、ショックそのものはその程度のことだったのですね。

 採用に関するうわさは、わたし、知りませんでした。今後、そのことにも関心をもっていこうと思いました。ありがとうございました。

 わたしと同年代の方のお話は、7割がた、よく理解できます。ただ、3割がたつけたさせていただくと、むかしは、教員の質も玉石混淆だったのです。今は、平均化しているのですよね。そして、むかしの玉石混淆を平均化すると、その方のお話の通りだと思うのです。

 ですから、ちょっと余談めきますが、今は、教員の教育課程作成能力が落ちたと言われます。これは、もうその通りと思います。
 で、なぜそうなるかと言いますと、むかしの玉の部分との比較になってしまうからだと思うのです。
7. Posted by toshi   2010年04月04日 06:21
 ドラゴンさんには、感謝しています。
 次から次へと記事を書くにあたってのヒントをいただいています。上記、玉石混淆の話も記事にさせていただこうと思います。

 大村先生は、わたしも尊敬しています。
 中学校における子どもを大切にした実践は、小学校以上に迫力があり、すごいものだと思いました。 『〜しなさい。』の話は、わたしもこの先生の言葉として深く記憶に残っています。そして、大事にしたい言葉だなと思いました。
 これを言ってしまうことはありました。でも、そのときは、常に反省の気持ちを持ち、『言わないで指導するにはどうしたらよかったか。』を考えたものでした。
8. Posted by やまびこまま   2010年04月04日 08:18
toshi先生コメントありがとうございました。
上からの圧力・・ですが、おそらく「指導しましょういう指示」を、必要以上に重い圧力に感じてしまわれる担任だったのだとおもいます。
教師の力量とは、それぞれの人間性や個性感性にも左右されるとても複雑なもので簡単に量れるものではないでしょう。だからこそ先生方には上からの指示や指導要綱を超えたところで、授業はもちろん人としても「さすが先生!」といわれるようになってただきたいな、と親として切に願うものです。
子供もそういったところは案外見ているのです。
9. Posted by しょう   2010年04月04日 10:18
 こんにちは
(コメント欄では)大変ご無沙汰していますが、大変貴重な発信と意見交換であると思います。

>問題は、だから、最後の、『もちろん、教師の力量は問われますが、』なのだよね。
>そして、この場合、教師の力量は、子どもへの指導力だけを指しているのではない。
>いろいろな外圧があるから、その外圧に対し、どれほど説得力ある話ができるかという、そうした力量も含むことになる。

 力量の一歩手前の問題として「現状をきちんと把握し適切に対処していこうという意思」が大切ですね。現場においてはまず「大切なことは何かという問題意識」を共有していくことが一番重要だと考えます。

 私事ですが、2010年度も小学校に通う子どもの保護者としてPTAの執行部を受けることにいたしました。保護者の間でもぜひ「子どもにとって何が大切か」という問題意識を共有し、教職員に対しても要望を出していきたいと思います。toshiさんの記事もぜひ活用させてください。
10. Posted by toshi   2010年04月04日 22:15
やまびこままさん
 独り言を言わせてください。
 わたしの担任時代、尊敬する校長先生がいらっしゃいました。わたしが40代で初めて2年生担任になったとき、その校長先生は、わたしの週案の返事に、次のように書いてくださいました。
『初めての2年生担任とのこと。わたしはどういうわけか、3回経験した。その中の数名の子が、今も慕ってくれる。すでに立派な母親になっている。なかには、姑とうまくいかず相談にみえる者もいる。 たった1年間の担任だったが、印象深いらしい。ちょうど、自我意識が育ってきて教師の気持ちが分かるときなのかもしれない。』
 わたしはとてもその域には達していないようです。偉大な人には、偉大な気づきがあるのだなと思い、勉強させていただきました。
11. Posted by toshi   2010年04月04日 22:21
しょうさん
 すごいですね。教職のかたわら、2年連続してのPTAとは。
 そういえば、わたしも、担任時代に、町内会の自治会長をやったことがありました。できたばかりのマンションの町内会でした。
 問題意識の共有。これはほんとうに大切なことだと思いました。ご奮闘を祈ります。
12. Posted by しょう   2010年06月15日 18:25
 コメント欄ではまたまたご無沙汰しています。
(愛読し、応援させていただいてはいますが…)

 さて、貴ブログ 『ゆとり教育との決別』か? 来年度からの教科書をめぐって(1)(2)の抜粋とベネッセの以下の記事
http://study.goo.ne.jp/special/news/201004223.html
とをあわせて小学校のPTA執行部、および管理職と教務主任、私の息子の担任に読んでいただきました。

 とりあえずの問題提起にとどまっているのですが、保護者の反応は「難しい問題だが、現場の先生方に対応をお任せするしかないのではないか、」といったものでした。

 もう少しいろいろな場で話題にしながら、学校、保護者、地域が教育のあり方をしっかり見極め方向づけていけるよう微力を尽くしたいと思います。
13. Posted by toshi   2010年06月16日 23:07
しょうさん
 いつもお世話になります。
 また、このたびは、貴PTAはじめ学校へも拙ブログをご紹介いただいたとのこと、心より感謝申し上げます。ほんとうにありがとうございました。
 PTAの皆さんは、「難しい問題だが、現場の先生方に対応をお任せするしかないのではないか。」とのこと。
 確かに国に対してものを言うことは、大変困難なことかもしれません。
 しかし、市民、PTAや学校などが、国等へ献策することはしやすい環境になってきているとも言えそうです。
 近く記事に書かせていただくつもりですが、国は、『熟議カケアイ』と称し、ネットを通して、広く国民の声を集めるようになりました。
http://jukugi.mext.go.jp/
喜ばしく思っています。
《もう少しいろいろな場で話題にしながら、学校、保護者、地域が教育のあり方をしっかり見極め方向づけていけるよう微力を尽くしたいと思います。》
 共にがんばりましょう。

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